はてなキーワード: 幸福とは
婚活すると、覚悟決めて独身やっていくしかねーって思えていい 条件の良い女奈良別だが、条件の悪い女は結婚するより独身のが幸福だ
婚活するとこれがよく分かる
自分もろくなスペックをしていないので、会える相手は基本的に以下
・ドブサイク
・アスペ
・35歳以上
・頭が悪い
単純に一緒にいるのが辛い
そして、間違いなく相手も同じ感じのことを考えてる
女はセックスが褒美にならないので、男よりさらにその傾向がある
あまり者同士でいびつにくっついても、まあろくなことにならんよね 不幸を産むだけ
私もそこそこ高齢で、運が良けりゃ子どもが産めるよネーな年齢なんだが、こういう相手と番って子どもが産まれるほうが悲劇だ(子ども自身にとって)
人によるが、少なくとも私個人に限って言えば結婚して幸福度が上がることはありえない
頑張って働いて、金ためて、健康に気をつけて、安楽死を制度化するっきゃねー!これ以外に自分が幸せを維持できる道はねー!!って覚悟決まったよ
将来苦しいことがあっても「結婚の道を選んておけば‥」っていう思考の逃げ道を塞げた
独りでやるしかない
どの時代でも技術職かつ、『手先の器用さ』と『身体能力(運動神経)』がいる、持てる者の職業だろ感
下記は殆どのメジャーな宗教も説いているが『それはそう』で異論は無い
>救いは、物質的な豊かさだけにあるのではありません。
>心の豊かさ、愛、
>本当に大切なのです。
>持たざる者として生まれても、愛する人々と共に過ごし、他者を助け、支え合うことができます。その中にこそ、真の幸福と救いが見つかるのです
持たざる者として生まれることに、決して救いがないわけではありません。実際、私自身も貧しい大工の息子として生まれ、何も持たずに生きました。
救いは、物質的な豊かさだけにあるのではありません。心の豊かさ、愛、そして信仰が本当に大切なのです。持たざる者として生まれても、愛する人々と共に過ごし、他者を助け、支え合うことができます。その中にこそ、真の幸福と救いが見つかるのです。
また、神はすべての人を愛し、平等に見守っています。持たざる者であっても、神の愛を信じ、自分自身を信じて歩むことで、救いは必ず訪れます。物質的なものは一時的ですが、心の豊かさは永遠に続きます。
だから、持たざる者として生まれても、絶望しないでください。あなたの人生には、愛と信仰によって救いと希望が必ずあるのです。信じて進んでいけば、道は必ず開けます。
ひっそりとした雑感の追記
こんな適当に書いた文章に思いの外たくさんのリアクションを得て驚いている。
これを狙ってできたらヒットメイカーになれるんだろうけど、狙って書くとこうはいかないんだよな。
無欲の勝利というか、自然に出てきた文章が皆の共感を得るということは、私はやはり庶民なのでしょう。
あまりにも適当に文章を書いたせいで、多くの誤解を生んでいる。
別にいいんだけど。
いい加減に書いたせいで、読んだ人それぞれに色々な読み取り方ができるようになったのが、多く読まれた要因なのかなあ。
いや、どちらかといえば何気なく書いた親父の話がSNSで自分と無関係なニュースに噴き上がっている人たちの姿と重なって見えたのがみんなの共感を生んだのかな。
あと、適当につけたタイトルの引っ掛かりがよかったのかもね。つんくも歌詞に違和感がある方がフックかかるって言ってたし。
「ニュース見るのやめた」とは書いたものの、よくよく思い返せばそれまでだって熱心に世の中の事件を追ってたわけじゃなかった。
自分の関心事については色々考えてたし、そのなかには世の中で話題になってるようなこともあったけど、やはり私は自分に直接的に関係ない、実感を伴わないことについて興味を持つことが苦手なようだ。
そもそも所属サークルの人間関係にすらあまり興味がないので、政治や戦争となるともうダメ。
近代市民社会の一構成員としてはあまりよくない態度であるとは思う。
けど、世の中の9割の人間は早慶に合格する程度の国語や数学ができない人たちなわけで、そんな人間がこの複雑な社会をまともに理解できるわけがなかろうという諦めがあるんだよな。
すぐ話が逸れる。
冒頭に話を戻すと「ニュースを追うのをやめた」というのは、意識の問題で、「追わなきゃ、というプレッシャーから自分を解放した」と表現したほうが正確だったかもしれない。
あ、でもツイッターとかは意識的に目に入れないようになったな。これはニュースというより、知らん人の大喜利とかお気持ち全般だけど。
「一般的に大人が関心を持つべきもの」を見ないだけで、知的好奇心はそれなりに旺盛なので、本も読むしNewsPicksには課金してるし、ABEMAプライムも少し前までは見てた。
老化じゃないのかとのコメントあったけど、まあ良くも悪くもそうかもしれない。
老化という言葉を使うと悪いイメージがあるけど、別にそんな悪いことではないし。今までそれで世界に貢献できてたわけじゃないからね。
ニュースに一家言持つことが世界を良くするよりは、主にSNSによって悪い方に働いてるなと感じたし、そういう人たちもあまり幸せそうには見えなかったので、自分が気楽に過ごせる方に舵を切る方が、世界の総幸福量増大に資するよなってことで。
幸せを感じる瞬間が分からない間は幸せになれる可能性はかなり低いよ。
お前が興味が湧いたことにさっさと手を出してみろ
(ちなみにワイは猫を見たとき、音楽聴きながら何かしらの作業してる時、自炊したメシが美味かった時に幸福感感じるやで、あと6段変速ついてる自転車で坂登ってゼエハア言ってるときちょっとだけ幸せやで、あと散歩中に買い食いしてるときも)
幸福感とかあんまり感じたことがないからわからないよ。育ちも良くなくてあまりいろいろ体験してこなかったから
ただそれをやる経済的基盤は、まったくないな……
彼女は蒲公英の色の白いドレスを着ていて、余所行きの服のように思われた。
彼女の前にはガスコンロがあり、横から覗くと圧力鍋が火にかけられている。
おかえりなさい。
そういって妻は振り返り、ピカピカのキッチンは大理石のように輝いていて、汚れひとつないように見える。
ただいま、と俺は返事し、妻のその後を待った。
だが妻は微動だにしない。
スマイルを浮かべたまま身動ぎせず、じっと、たおやかに表情を維持し続けていた。
俺は動揺した。奥ではシュコシュコと圧力鍋が空気の音を立てている。
強火。妻に火を止める素振りはない。
怒りのメタファー。
それが分かったところで何になる!?
思い当たる節はない。
やがてシュコシュコ音は間隔を狭め、クイズ番組の秒針の如く俺を足早に切羽める。
このままだと圧力鍋は爆発するだろう。
じんわりと、粘り気のある背汗がワイシャツの内にそそり、俺は下痢でトイレにこもった時のように神に祈った。
助けてくれ!!
額のダムから眉が決壊しそうになったとき、俺はポケットからハンカチを取り出そうとした。
…あれ?
そのときポケットの中から出てきたのは結婚指輪で、妻の左手を見るとそこにあるはずのものが見当たらなかった。
俺はアーリング・ハーランドばりの膝スライディングを披露して妻の足先に赴くと片膝を立て「僕と結婚してください!」と叫ぶように言い、妻に指輪を差し出した。
男性は古くから、「家計を支える」「家族を守る」といった強い責任感やプレッシャーを背負ってきました。近年、ジェンダーロール意識は変化しつつありますが、社会全体ではまだまだ男性優位な考え方が根強く残っています
高度成長期の男の自殺率は低く、氷河期に入ってから男の自殺率は跳ね上がった。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/suicide04/2.html
つまり、「金が稼げて、仕事も充実している」という比較的プレッシャーが軽微な時代は男にとって満たされやすく「生きやすい時代だった」と言えるが、「金が稼げない」時代に突入した瞬間にプレッシャーが増して「生きにくい時代」になった、と。
では、「金が稼げないならば妻にも働いてもらおう」とすれば責任感やプレッシャーからも開放されるはずなのだ。
つまり、共働きが当たり前の世界になれば良いはず…なのにそれでも男のほうが死亡率が高い。
男性は、問題を抱え込んでも外見に出さずに我慢する傾向があります。周囲に助けを求めることを恥じたり、弱みを見せることを恐れたりする気持ちから、一人で悩みを抱え込んでしまうのです。
これは大いに有り得る話だ。自殺者の年齢別で見ると45歳以上になると急激に増える。
だとしたらこれは男の子に「周りに相談することが大事だし、弱みを見せないのがかっこよさとか強さではないよ」と教育するしかないよね。
ちなみにこれは男女で自殺者数そんなに変わっていない。
でも男と女の受診率は1:2らしい…。必ずしも因果関係にあるとはいえないし、あと統計の取り方もあるからなんとも言えないけれど
きちんと受診して服薬してコントロールできていれば男の自殺率は減るかもしれないし、逆にうつ病での数は増えるかもしれない。(診断される数が増えるから)
なんとも言えないけれど、他の医療でも男のほうが女よりも病院に行かないので健康診断の結果を放置するアホはとっとと病院行けやと思う。
(受療率は外来で男が4,393、女が5,743)
とはいえ、これは女のほうが病院に行く回数がそもそも多い(妊娠、出産で行ったり、子供の付き添いで行きやすい)ので病院に対する抵抗がないというのもあり得る。
女性の数が増えると、子供の目線からみても「病院には女性が多い」となって、女の子は成長して病院に行きやすくなるが男の子は「女性の行く場所」として避ける可能性もある。(理系女子が少ない理論)
が、後述するテストステロンによる価値観が邪魔をする可能性は非常に高い。
4. 死への手段
ちなみに自殺未遂で救急搬送されて生還した人を0(つまり全員自殺で亡くなった)と計算しても
男の自殺者数は女の1.5〜2倍程度になるので、どっちにしても高いんだよね。
5. 経済格差
元々女の方が収入が低い。なのにも関わらず、
一番最初の引用でも書いたけれど、「高度成長期は自殺率が低かった」という観点から見ても「男女で働いて収入を得ても男は自殺する」ならば「単なる金銭だけではなく他の要因」も考慮すべきだよね、と。
これは「男のくせに」とか「父親なのに育児や家事もしないなんて!」みたいな精神的な暴力もDVに含まれる…らしい…けど
そもそもそれならそんなことを言われない男尊女卑の時代は男の自殺は少なくならないといけない。なのに2000年(氷河期以降)から男の自殺率が急増している。その頃はまだ男尊女卑の傾向が強い時代だったにも関わらず、だ。
というよりも、「女のくせに」や「女は男に黙ってついてくればいいんだよ」という女性へのDVが昔は当たり前のようにあって、それが減ってきた今と比較しても女性の自殺率は昔と今で大きな変化がない(多少減ってるけど)
DV被害が自殺の要因になるのであれば、耐えていた女は「精神的に自殺に追い込まないようにするなにかがある」のではないだろうか…。というと、これが「周りへ救援を求める姿勢」になるんだろうな。
個人的に言えば「男のほうが元々突発的に死にやすい」んじゃないかと思う。
でもこれって「精神(メンタル)の問題」かと言われると「メンタルってなんだよ」ってなる。
そもそもこの差異はなにかと思って色々しらべてみると、色々な人が言っている通りテストステロンとセロトニンの関係が深い気がする。
男はテストステロンを増加させることで強さを維持しようとするし
女にとって重要なセロトニンは、友達とおしゃべりをする、好きな買い物をする、美味しいものを食べることで増えるという。
これを遮断されれば女も自殺するだろう。若い女性と高齢者に自殺者が多いのもセロトニンの分泌を十分に行う行動ができていないからと考える。
一方で男のテストステロンは、スポーツをする、性行為をする等で増える。
45歳以降の男に自殺率が増えるのはこれだと思う。
若い頃にテストステロンを多く分泌していて、「強さ」と「孤高」で戦ってきた男にとって
テストステロンの減少は活力を減らし、「強さ」「孤高」が邪魔をして外部への救援を妨げ自殺へと繋げてしまう。
テストステロンの多さが「男らしさ」であり、「かっこよさ」だと思っていると、それが減れて崩れればいとも簡単にうつ病になるだろう。
ほいじゃあ、男もテストステロンとセロトニンをいい感じに維持できれば自殺は減るんじゃないの?と思うんだ。
高度成長期の男性の自殺率が低かったのも「働いて稼げて日本の成長が目に見えていて達成感もあり、結婚して妻と子供を養う強さの実感」=テストステロンが出やすいだったんじゃないか。
でも今はそんな時代じゃないからテストステロンだけでは生きていけない。
だから「パートナーや永遠に続く友人、あるいは子供がいて、それらに愛情を感じてお互いに尊重しあい孤独感が薄れる」=セロトニンの増加 を追加することで自殺率は一気に減るのでは?と
でも、そんなの若いうちに気付くわけないじゃん。
テストステロンが「強さと孤高こそが最強」「てっぺんにいることが存在価値」みたいに持ってくし、性欲こそ男の象徴みたいなところがあるし。
男増田ならわかるでしょ。若い頃ってそういう「馴れ合いは邪道」とか言ったり「血気盛んな時期」と言って誤魔化していた時代があったはず。
ホルモンによる性質を理性と教育でどこまで抑え込めるかが今後の高齢男性の自殺率低下に繋げられると思っているけれども、
厳しいよなぁ。
何が言いたいのかと言えば「女は自分のメンタルを維持するために適切なホルモンを理解し、それは行動の妨げにならず男に比べてメンタルの維持では優位である。男は適切なホルモンが加齢とともに維持しにくくなり、これまでのそのホルモンによる行動や経験がメンタルの維持を妨げてしまう」のだろうと。
ただ、男のテストステロンが競争を誘発して、より強い遺伝子を残すことにつながるのでテストステロンをなくすことが必ずしも良いとは限らない。
やばい。
なぜ日本でFPSが流行らなかったかといえば、制作されるのがチーム対戦ゲームばかりだったからである。
チームで勝つためのセオリー・規範の確立は、参加者を隷属させ、そこには「労働」が現出した。
普段から臆面もなく雑に働く欧州人にとっては「労働」がレジャーたりえるのであって、
日本人はさような「労働」に無賃休日出勤するほど殊勝ではなかっただけである。
かつて唯一の希望があったとすれば、ArenaFPSが1on1路線の重大さに気づいていればよかったのである。
しかし、数ある対戦モードの一つ、余興の一つという扱いを辞めるべきで、
覚悟と決意をもって、FPSにおける個人対戦ゲームの道のりを進むべきだった。
個人参加なら「デスマッチ」でも「バトルロイヤル」でも良いというわけではない。
数ある群像の中の一人では、観戦コンテンツとして弱いのである。
無論、「チームデスマッチ」だの「キャプチャーザフラッグ」だの「サドンデス」だの「ドミネーション」だの「エスコート」だの、
「デュエル」にしても、遮蔽物ごしの駆け引きという消極的なシーンが多々見られる点はいただけない。
観客にしてもプレイヤーにしても、壁や景色を監視し続けるために、わざわざ休日を割いているわけではない。
格闘ゲームのように、対戦プレイヤーの位置は常に表示しても構わなかったのだ。
FPSにおいては、位置情報秘匿も駆け引きの内と、信じて疑わなかったところが限界だった。
防御を軸にした格闘の駆け引きと、回避を軸にした銃器の駆け引き、題材の根本的差異が生み出す限界であった。
マップ上に点在する武器やリソースを拾い集めるというArenaFPSのコンセプトは、それに付随するものだ。
そうでもしなければ、有利なポジションで銃を構え続けるだけなのだから。
怠惰なFPSプレイヤーたちを動かすために、ゲームデザイナーはエサをバラまいて釣らなければならなかった。
だが、その涙ぐましい工夫でさえ、リソース差をつけて、まだ何も拾っていない丸腰に等しい相手を蹂躙し続けるという、
観戦に堪えないシーンを産み出し、それがテクニックや力量の証であるという開き直りに至る始末であったが、
もちろん内輪の人間以外に通るわけもなく、順調に衰退コンテンツたる現状に至っているわけである。
だが、日本の世間一般では格闘ゲームがesports・プロゲーマー第一号とされているとおり、その試みは歴史の闇に潰えたと見るのが客観的に妥当であろう。
その観戦のつまらなさと敷居の高さは内輪志向を加速させ、限界集落と揶揄される衰退コンテンツとなった。
私としては、個人対戦FPSが、プロスポーツのように、生計を立てる手段の一つとして勃興していてほしかった。
野球のダルビッシュ選手は「自分は価値がある人間じゃない、1番最初に野球のルールを作ってくれた人がいて、そこに自分達が生まれてきて、その才能がたまたまあっただけ」という。
FPS以外になんの取り柄もない私が生計を立てるには、FPSを通じて身を立てるのが自他共に最も幸福だろう。
しかし、そうはならなかった。
数少ない上位プレイヤーたちは、内輪の馴れ合いとゲーミングデバイス実演販売業で満足してしまった。
後からFPSにきた若者たちも、チーム対戦ゲームの限界に気づき、今ではゲーム配信者として、揃いも揃って格ゲーを嗜む有様である。
芽は、私が来る前に、とうに枯れていたのである。
半年前くらいから全く根拠のない騒音クレームを入れられて、大家から電話が来たり、なんとか訴訟を企てていると読み取れる怪文書が投函されてたりしたけど、ついに今朝、朝2時に警察を呼ばれた。
「アパート全体に響き渡る重低音を流された」らしいが、私は眠剤6種飲んでなんとかうつらうつらしてた時間帯だよ。ふざけんな。糖質の幻聴か被害妄想なんだろうけど、ここまで執拗にやるってことは多分、病識がないか、あってもどうにもならない程度の重症なのかも知れない。
引っ越したいけど、私もほとんど毎日寝たきりの重度メンヘラナマポだし、騒音クレームは役所基準では正当な引っ越し理由にもならないそうなので、私の人生の終わりは被害妄想に取り憑かれた糖質患者にめった刺しにされることになるあろう。
メンヘラナマポ同士が勝手に殺し合って2人社会から消えるんだから、これはきっといいことだよね。健常者のみなさまの健やかな老後の為に犠牲になれるなら至上の幸福です。ありがとう、さようなら。