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2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-04-29

「たわわ」の広告文面について

https://anond.hatelabo.jp/20220428103925

は、男性馬鹿にしているので、まず間違いなく、この内容は理解できないだろう。

男性を頭からバカにしているので、言ってることはすべて否定され、捻じ曲げられて解釈され、真っ当に届くことはないとしか思えない。

が、まぁそれは自分問題じゃない。まずは自分メモとして書いておく。

4月4日今年の新入社員最初に迎える月曜日です。不安を吹き飛ばし、元気になってもらうため全面広告を出しました。」

「何」で不安を吹き飛ばし、「何」で元気になってもらうのか。

「何」かを一言で言えば「世界破壊」で、だ。

渇望

男であれば多かれ少なかれ「渇望」しているのものだ。

何者かになりたい、認められたい、唯一無二のものになりたい。世界で誰も行ったことがないどこかに行きたい。

そう思うのは男性として普通だ。

泥沼のような世界

「渇望」はあるものの、自らが満たされることはない。

それは当然。世界自分のためにあるわけじゃない。学校に行けば勉強しろ社会に出れば、パワハラ上司にへいこら。結婚すれば奥さん平身低頭子供が出来れば、子供のことで精一杯。

仕事と言っても、どうでもいい雑用ばかりで給料も上がらなければ、褒められることもない。給料が上がらないか無能なのだろうと、いろんな人から責められる。

しろ一番許せないのは自分自身。

そのような世界は「渇望」を持った身からすれば「泥沼」のよう。何をどうしても抜けられない。「渇望」は自分の中から発生するがゆえに何をしても消えることはない。

何をしても抜け出せない泥沼のような世界。そこを誰かのために歩いていくしかない絶望、そして「死」。

死ねば楽になるのかもしれない。でも「渇望」ゆえにそれもかなわない。

これから社会に出る新入社員からすれば、不安いっぱいに決まってる。「渇望」が満たされるかは大いに疑問なのだから

「渇望」した世界への到達したという「妄想

そのような泥沼の世界孤独絶望し「死」しかない世界から逃げるには「妄想」位しか存在しえない。

「渇望」は非定型だが、男性であるがゆえに「性」の「型」として、「たわわ」のような女子高生無垢生命にあふれているという「妄想」を持つことが出来る男性存在する。

そういう男性が、たまたま、その存在を見ると、一瞬「死」の世界崩壊し「渇望」した世界に到達できたかのような「妄想」を感じるのだ。

言い方を悪くすれば、単純に「そういう妄想」を別世界で実現してると言い換えても、さほど間違ってない。

でもそういう「妄想」を持って何が悪いんだ?「渇望」を持っていることは犯罪とは関係ない。そんなんだったら男性は全員捕まってる。

そもそも原因である「渇望」が「性」とは必ずしも関連しないので性犯罪の原因とは無関係だ。

「たわわ」は問題ないが「賛美」とは到底かけ離れてる

大本妄想なので、悪く行ってしまえば必要悪。とてもではないが「良い」ものなどと思えるものではない。

問題ない」からといって「賛美」にはならない。なぜ「賛美」と言う単語を使えるのかさっぱり分からない。

から見るに、こういう「妄想」を持てる日本社会流儀というか社会文脈を把握して書いてるように見える。

「渇望」は非定型な「衝動

フェミニズムの考えでは「渇望」は社会的なものなのかもしれないが、男性からすれば自分の中から発生する、非定型な「衝動」だ。

全くの勘違いをしているようだが、「渇望」は非定型で、女性に向かうとは限らない。

上記のように、たまたま日本社会の「社会文脈」で女子高生になったが、おそらく別の社会なら、別のものになったろう。でも完全になくなるとは思えない。

男性の「渇望」が内にある限り。

「何」は「泥沼のような絶望せざるを得ない世界破壊

ということで、まとめれば「何」で元気になるかと言えば「泥沼のような絶望せざるを得ない世界」を「妄想」で破壊し、一瞬「渇望」を実現てきたと思える希望を持つことで、だ。

妄想」だから当然間違ってる。

その「妄想」を「キモい」と言って、男性の愚かさとして非難するのだろう。そもそも理解できないに違いない。

でも、その「妄想」を誰がどう非難するんだ?それが犯罪か?じゃあ「絶望せざる得ない世界」に銃を振り回して殺して回ればいいのか?

男性の悲しい適応反応を「弾圧」してさぞかし楽しいことだろう。

でも、その弾圧意味はない。男性の「渇望」が消えることはないからだ。

この内容もフェミニストからすれば、言ってることが分からないのだろう。私は一応「表現の自由」派になるのだろうが、そんなに大層なもんじゃない。単に「妄想」するぐらいの自由をくれと言ってるに過ぎない。

2022-04-01

しろ日本人もっとカジュアル暴力を振るうべき

基本的相手にぶん殴られたり、刺されたりしないと付け上がってるから

公衆面前で堂々と罵倒したり、集団で一人を追い込んだりできる。

被害を受けた側もやり返さず、律儀に平身低頭で防戦一方に徹するから

そのうち精神を病んで不登校/休職したり、電車に飛び込んだりしちゃうわけだ。

ある程度虐げられたら、これから振るう暴力妥当性の証拠集めを丁寧に行なってから

ここぞって時に満を持して加害者の横っ面を張り倒して、一発スカッとした方が精神衛生上、絶対良い。

衆人環視の元で思いっきり張り倒されて、プライドが傷付かない奴なんて居ないからな。

加害者側もよっぽど厚顔無恥人間じゃないと被害届出せないよ。自分過去悪事が露見する可能性が怖くてね。

ただ暴力妥当性の証拠集めの時点で、まだ情状酌量余地が無さそうなレベルなら一旦保留しろ。それはまだ機が熟していないから。

「内心よくやった!と思ったよ」「あれは殴られても仕方ない」とか周囲が隠れ擁護してくれそうなレベル悪化するまで待つこと。

復讐という料理は、冷めてから食ったほうがうまい。”

2022-02-24

ネトウヨって白人に生まれたかったんだろうな

ロシアに対するネトウヨ平身低頭っぷりは願望の裏返しなんだろうね

2022-02-05

anond:20220205201911

親族が重度障害だったりするのも「まとも」じゃなくなるんだろうか

とりあえず、まともじゃない親族がいる場合は、絶縁証明書みたいなもの行政書士かに作ってもらって、相手やその親に提出して平身低頭姿勢婚姻許可をもらうのが正式に思う

2021-11-08

バイト日記

 18時半くらいまではそんなに混まなかった。最近フリーター女子アルバイトさんがお水風俗世界に片足を突っ込みたがっている、という話をAさんとする。まだ未成年だと諸々の支払いが来ないので、気軽な気持ち大金を稼ぎたがるのでは? とAさん。なるほど。今時はキャバクラとかでも雇用契約を結ぶ時にマイナンバー要求されたりするんだろうか。仮にそういうのが無かったとしても、最近税務署が厳しいので、稼いだお金銀行預金したこときっかけで脱税がバレるとかありそう。税金払ったら夜の仕事なんか、やるだけの価値があるほどの手取りは残らなさそうだ。そんな話をした。

 19時を過ぎた頃から家族連れがやたら多く来店。別に、良さげな一番くじがあるとか、アイスお菓子を何個か買うと良いものが貰えるキャンペーンとかをやっている訳でもないのに。

 小さな男の子数人と女の子を連れた一家が来店。まあやんちゃ坊主がそれだけいるとご両親でも制御しきれるはずもなく。アイスケースに群がる子供達の一人が、置いてあった台車(4段重ね)の上によじ登ってしまい、台車が動いた弾みにアイスケースの縁に顎をぶつけそうになった。慌てて飛んでいって「ごめんねこれには危ないから乗らないででね」っていってお子様を台車から降ろした。ご両親からめちゃめちゃ謝られたけれど、こっちも平身低頭謝罪した。子供達がアイスケースに群がり始めた時点で、足場になるものを全て退かすべきだったので。

 やばいな、自分の子供が大きくなるに連れて、幼児の行動の読めなさに対しての危機意識が鈍麻している気がする。きっと、3年前の私だったら、子供達がぞろぞろ入店してきた時点で、危ないものバックヤードに片付けたはず。たか子供自分の腹から産んだくらいで育児エキスパートになどなれるはずもなく。というか、育児スキルなんかほんの一時のもので、幼児のいない暮らしに戻れば、徐々に失われていくものなのかもしれない。過去経験から子供の面倒を見るのは朝飯前と思い込んで孫を危険晒すばあちゃんへの階段を、早くも昇り始めている自分に気づいた。

 とかいうことをAさんに話したら、「そういうもんなんですか!」と驚かれた。おう。私も、ついさっき気づいたばかりだしの。

 21を過ぎたら流石に暇になった。猫が好きなのに猫に好かれないAさんに、猫と戯れるためのコツを教えた。まず猫の方を見ずに座り、不燃ごみになった気持ちで、猫の方から近づいて来るのをじっと待つ。もし猫が人に可愛がられた経験を持っていれば、どんなに不燃ごみみたいにしていても人間人間ちゃん認識しているし、近寄ればエサはくれないまでも背中くらい掻いてくれるだろうと考えて、近づいて来るものだよ、と。「そういうもんなんですか!」とAさん。人間の育成方法は忘れても、猫と共存する方法は忘れないというのも、変な話かもしれないけれども。

2021-09-11

映像業界の闇と構造的な問題

撮影現場をみていると、そろそろ時間問題なのではないかと思う。

広告制作現場には多くのスタッフ我慢によってなんとか成立している。

クライアント広告代理店が次の映像をどうするかを考え、

制作会社にまるっと案件を振り、監督撮影監督などをアサインして

内容を作っていく。ほとんどが決まった段階で

撮影部、制作部、美術部、照明などがアサインされ、

現場スタッフの多くは急なスケジュール調整と安価労働力で調整をする。


当日の現場に数時間早く入る制作部のスタッフたち。

クライアント代理店のために大仰なスペースを確保し、

お菓子お茶、冷暖房などを彼らのために準備する。

寒い現場において本当に暖房必要なのは現場スタッフなのに関わらず。


出てくるお弁当は冷めていてコンビニ弁当と変わらない品質

規模がでかい現場場合はここらへんが充実しているがほとんどの現場はそうじゃない。

現場にある飲み物お菓子は糖分過多で体に良くないものばかり。

感覚を研ぎ澄まし、クリエイティブなことをする前提のスタッフに良い環境とはとても言えない。


現場で話をするスタッフは一様に顔が暗く疲れており、

体に無駄な贅肉がついた人が目立つ。

本来とても可愛らしいルックスを持つであろう女性

健康食生活睡眠不足で肌荒れに悩んでいる。

このコロナマスク必須になったのはせめてもの救いなのかもしれない。


新人である制作スタッフの彼は、後何年すればプロデューサーになれるのだろう。

彼らはディレクタープロデューサーチーフカメラマン、または優秀な照明マンを夢見ているが、

今やっている下積みは本当に今やらなければならない仕事なのだろうか。

彼らが現場でも重宝されているのは雑用スペシャルにできるからではなく、

各自カメラ、エディット、照明などをスペシャルにできるからである


多くの安価人材活用して作った一つの作品

金をかけまくれば良い機材も良いポスト処理もできて

当然高品質になるにきまっている。

有名企業でありしっかりと広告しかけることで、

出来上がる作品さらにかっこよく見える。バズる

再生される。話題になる。購買活動ブランディングにつながる。


しかし、作るフローは全くかっこよくない。

疲弊したアシスタント、飛び交う怒号、ピリピリした雰囲気

演者には平身低頭なのに末端のスタッフを顎で支持するプロデューサー

※ちなみにプロデューサーには2種類いて、ここでは代理店サイドのプロデューサーを指す。

現場制作プロデューサーは総じて調整力が高く、スタッフを気遣う人間味のある人が多い印象だ。


映像業界花形である映画」などは未だにエンジニアカメラマンアシスタント

つらい思いをすることが多いが、最近のNetfllixの撮影現場ではパワハラモラハラを防止するための

リスペクトトレーニングが必ず撮影前に実施されているようだ。


華の20代に、体が太り、肌があれ、寝ずに働き、安月給。

休みもなく、クリエイティブを発想する機会はどんどん奪われる。

世間で良いと言われる映像の裏にはこのような過酷さがある。


自身営業生業としていないが、

特殊部隊的な立ち位置で何度も大小の現場に入ってきた。

からこそ、ある程度客観的にこの業界が見える。


当然ながら、すべての映像制作現場がこうではない。

上述したようにNetflixAmazon Primeのようなビジネスモデルが違う映像世界では、

リスペクトが前提となり、良い関係性で良い作品を創るための仕組み化が進められている。



ちょっと視点を変えて、制作した映像価値ってなんなのだろう。

数億から千万円かけて作った映像は、たった1回の瞬間風速をもとめて戦略をもとに配信される。

最近飲料水CMSNSでバズった。趣向を凝らしていて共感できるエモい作品だった。

映像撮影手法演出もすごい。キャストイケてる。その裏側も公開されてバズっていた。

しかし、清涼飲料水なんてほとんど体に毒だ。砂糖水とほぼ変わらない。

イメージで作り上げた爽快感清潔感健康的な感じがまさしく動画補填され(狙い通り!)、

話題を呼び、物は売れ、映像評価も上がり、また似たようなベクトル作品が生まれ続ける。

安価材料利益率を最大化し広告で売りまくる大手企業にくらべて、

品質で良いものを創り広めようとしている企業にはお金が当然ながら相対的お金が足らない。

広告には大金必要となる。誰だって良い監督、良いカメラマン、良い照明、良いエディターと

気持ち良いスタッフたちと映像を創りたいに決まっているが予算的にできない。


最近SNS活用が幸いして素人であるお店のスタッフが上げた動画がバズりまくり行列を作る事例があった。

人が来て、喜んで、もちろん売上という実績が出ている。

そもそも大金をはたいて嘘くさい広告を作るインセンティブですらなくなってきているのかもしれない。

千万かけても、”偉い人たち”の実績にしかならない広告映像ではコスパが悪すぎるのだ。


広告を作るクリエイターポリシーを持って全力で考え映像を作っているのだろう。

自身、関わったナショナルクライアント大手企業CMなど実績として使うことがままある。

わかりやすいしマスの説得材料になるから

しかし、現場を思い返しても”創っている”という感覚最後までなかった。


これらの問題について僕は考えている。新しいビジネスモデルを考えている。

こうした課題に気づいている監督カメラマンは必ずいると思う。

僕の名前役割を出すと、最近まで関わってきた現場スタッフの方たちに申し訳ないし、

誰と議論対話をしたいわけではないので匿名で公開した。

誰かの何かを刺激して、この闇に立ち向かう人が増えればいいな。

2021-07-16

「僕は障害者イジメをしてずっと後悔してきました、いまこそオリ・パラと関わることで償いたいと思い立候補しました」みたいなストーリーとともに平身低頭謝罪すれば反応も多少は違ったと思うが。

2021-05-30

見つけただけ

2021年3月とあるVtuber引退した。でもって、Vtuberの「中の人」のTwitter(真偽不明)(たぶん)が引退2カ月後に判明した。

半信半疑で、その人がTwitterに上げてたガチャ動画を見た。声を聞いた。

一瞬で過呼吸になった。

好きな声だ、この約2年間ずっと聞いてきた声だ、引退してからずっと生きてるか心配してた、二度と聞けないと思って、それでも寂しい、また聞けたらなんて叶いもしないだろうけどぼんやり思ってた………………その人の声だった

元気そうでよかった

これで別人だったら平身低頭するしかない

とりあえず非公開リストに入れた。フォローはしてない、リプも送ってない。たぶんこれからも送らない。

間違えてはいけないのは、そのTwitter垢は「Vtuber」の垢ではなく、「一般オタ」の垢だということだ。

私はただの一般オタの垢を見つけただけ。

Vtuber界隈には「転生」というワードがある。Vを引退した中の人が、違うガワで活動することだ。

あの人はたぶん、転生ではないと思う。私は転生判定しなかった。

声優さん相互フォローなのは、Vとか声優とか関係なく、ガチで仲良くなったからだろう……と勝手に都合よく思っておく。

他のファンがこの件をどう思ってるだとか、自分がどう思われるだとかは考えないようにしている。頭いたくなるしな。

今までさんざん書き連ねて来たのは、自分の指針を忘れないようにするため。ついでに、こんなオタクもいるよって発信するためだ。

あの人は一般人だ。

私は、「好きなVによく似た声の一般オタを、勝手に見つけた」だけ。

未練がましくパブサして、勝手に見つけたのは私だ。

私が初めてドはまりして、ボイス買って、メンバーに入って、ライブを見て、タペストリーを買ったVtuberとは別の人。

それでも、見守りたい。

2021-04-17

お前は謝るなとはいわれたが

殺してやるとおもいながら、怒りを抑えて

頭を下げて笑顔を作っているのだから

そりゃそうだろうとはおもう

何を言われても平身低頭

自分が悪いとおもう

というのはそういう事

から土下座もしたし

アスファルトもなめた

2021-04-11

anond:20210411103100

うまないよ 高学歴と闘おうと思わない

ドラゴンボールじゃねーが

対立きっかけで仲良くなったら困るだろ

平身低頭奴隷のように働くよ

2021-04-03

就職斡旋無料から一方的にやめられる。と通知を受けて

そりゃそうだとおもった。

金を払っている企業には平身低頭

労働者にはサービス

そりゃそうだ、金を払っているのは企業から名目上そうなっている異常

文系文章に従うのは当然。法整備上 何も問題のないことをした

2021-03-31

ニュージーランド移民に求めるもの純粋に金になったのとバブル崩壊するかもしれない

ニュージーランドはかねてより移民を受け入れていた。

当初は移民が全くこなかったこともあり、むしろ移民局は平身低頭「ワークビザ申請するならいっそ永住権申請しませんか?」くらいの営業活動をしていたし、永住権申請書も移民局に行けば普通に手に入った。制度ガバガバだったのでこの頃の人と話しても全く噛み合わない。

その後、「労働力として国の発展の手助けになる存在」として移民が取り扱われるようになった。このときは変な話だが英語ができなくても永住権を取ることができた。そのくらいに働き手を欲していたと言ってもいいだろう。なので、少し年配の永住権保持者を見ると英語が全くできない人はそこら中にいる。

これによって、ルールの隙きをついた永住権取得者がものすごいことになり、移民局はルールを厳しくしていった。これは「本来であれば永住権など取れるはずもない人を排除する」と言う割とまっとうな方向性だった。

2つ前の政権とき永住権ルールは「誰でもいいか労働者がほしい」から労働者はほしいが誰でもいいわけではない」に風向きが変わった。

例えば英語はできなくてはならない(試験合格するか同等の実績を示す必要がある)、オークランド以外での就職者には有利に働く制度をつくった、年収がその業界の平均を上回っている必要がある(これはもともとかもしれないが)、というあたりだ。

このあたりで英語がどうしてもできない人は断念せざるを得なくなったようだが、それについてはあまり文句はない。

さて、最近ニュージーランド永住権で「あまりにも不公平かつ意地汚いルール」が追加された。それは「就職して年収が平均の2倍受け取っている人は優先的に処理する(そしてそうでない人は永遠に放置する)」というものだ。

年収が平均の2倍というのは偏差値で言えば75以上というえげつない数字だ。

このルールのおかげでニュージーランドには全く永住権申請が処理されないまま放置された人が1万人以上ひしめいている状態になった。

これからニュージーランド移住を試みる人々はこの1万人以上のいつ処理されるともわからない人々の後ろに並ぶか、平均年収の2倍の仕事にありつく必要がある。ちなみに平均年収の2倍を得ている人たちは、数週間で審査が開始され、数ヶ月で永住権を手にしているようだ。

こうして永住権申請者は以下の2通りに分かれることになった。

選挙権もなく、家を買うこともできないし、転職引っ越しすら困難で且つ帰国すれば申請が取り消される状況で何年間も待たされ、しかも、その間ビザ申請し続けなくてはオーバーステイになる人々

申請すればあっという間に永住権を手に入れる人々

結果今の移民局には、永住権を手に入れるまでの期間が23ヶ月と書かれるようになった(数年前は9ヶ月)。つまり、この不公平ルールを変えることよりも申請者を不当に待たせることを国として選択した、つまり、「お前たちは永遠に搾取対象だ」と宣言したと言ってもいい。この23ヶ月すらどこまで本当か怪しい。

コロナ国境が封鎖されているのでなんとなく優先度が低い人々も今は処理されているが、国境が開放されればもとに戻ることは想像に固くない。

ちなみにこの移民に対する不当な扱いは、前政権日本人尊敬してやまないジャシンダ・アーダーン政権ときに始まった。大概的には先進的な女性リーダーを気取りつつ、内部に向けては異様なまでの移民に対する搾取を進めている政権が今の政権だ。

そのため、ニュージーランドにいて思うのは「よくここまでいい外面できるな」ということだ。

ちなみに、「移民ってそういうものでしょ?」と思う人もいるかもしれないが、全くそんなことはなく、移民に対して不当な扱いをしてはならないということはどの移民国家でも守るべき原則であり、この扱いはどうあがいても「不当」と言われる。

さらに言えば、最近不動産に対する投機加熱をクールダウンするという名目投機家や投資家を狙い撃ちにした制度改革もした。これが何かはここではいちいち言わないが、投資家があまりからないようにする制度改革だ。

ニュージーランド不動産はとにかく投資家たちのおもちゃであり、ひたすら値段が上がり続ける。これは世界的に見ても異常なペースであり価格である。そこに制度でメスを入れた。

これで思い出されるのは日本バブル崩壊だ。これと同じことが起きたらどうなるだろうか?今家を持っている投資家たちは、手放せない家を大量に抱えることになる。信じられないかもしれないが、家を投資で購入している人はこの国では20件位持っていることがザラだ(そして家を買えない貧困中流から限界まで金をむしっている)。

日本人が大好きなジャシンダ・アーダーンと彼女の率いる政権がいまニュージーランドをぶち壊そうとしているかもしれない。ぶち壊れてしまうのも見ものではある。

2021-02-28

anond:20210227183402

https://togetter.com/li/1473872

これ思い出したわ 夫婦別姓を選ぶほど姓にこだわっている家庭の姓に関する約束なんてマタニティハイであっさり吹き飛ぶだろうね

2021-02-11

anond:20210211204147

それははない。むしろ新幹線組は、どうぞどうぞ、おやりください。

邪魔したと言われないように平身低頭いわれたとおりに協力

おっしゃるとおりにいたします@旧新幹線

2021-01-10

anond:20210110162728

若くて健康世代からしたら自粛の徹底とかマイナスの方が大きいからな。

発症確率を考えたら、リスク生活の折り合いがつくライン安全対策しながらも活動するのが賢い生き方

にも関わらず、上の世代テレビにせよネットにせよ声高に情報発信するような層はやれ自粛しない奴は馬鹿クズだと言いたい放題。

社会全体のためにマイナスを負ってほしいなら平身低頭お願いするのが筋なのに、上から目線でモノを言い過ぎた。

はてな流行りの言い方をすれば、年寄りの側から『分断』を起こして若者が見限ったっていうのが現状だと思う。

2020-12-30

anond:20201230130109

せっかくだからコランダムをもってきて。 色合わせをしないといけないんだ

で コランダムって 何色だと思う?

 

とか

空の色で写真を取るで そらのいろって何色?

 

あわないんだよ 普通

 

面白いだろ

君の手元にはオーシャントリコの赤x白がもうあるかい

ちょっとちがうだろ?

それがプログラマー必要な、ヘアワックス 男性バージョンなんだ 買った人だけの秘密

たっぷりつけろ の意味もわかっただろ?

 

オーシャントリコは それが 一番わかり易い

1色1色全部使い方が違う 美容室にいくときは 髪の毛洗わせてやるよって 偉そうに言えば あぁ ワックスおちなくなったんだなぁって思ってもらえるし

客がペコペコするのはよくないか

えらそうに 髪の毛洗わせてやるよっていえば 察してくれる あぁ ワックス落ちなく成ったんだなぁって

たっぷり 初回はつけすぎるぐらいでいい おちなければ 美容室で 洗わせてやるよっていえば あぁ ド素人さんかぁって 優しく対応してくれるから

まちがっても 平身低頭するな 身内かとおもわれるから 偉そうにしとけ

2020-12-16

anond:20201216152927

連絡帳にときどき保育士さんへのお礼や労いの言葉を書いてたら、お迎えに行ったときに「いつも優しい言葉をかけて頂いて・・・」って泣かれてびっくりした

ほんのちょっとしたことでも平身低頭謝罪されて、むしろこっちが恐縮することもある

とんでもないクレーマー親、モンスター親がいっぱいいるんだろうな・・・

2020-11-19

anond:20201119224823

どういう状況でどんな内容を伝えたのかわからん

ストレート罵倒差別的言動でない限り、

謝罪すべてシャットアウトするような人間との関係は続けないほうがいいよ

絶対に今後も同じことを繰り返す

そしてあなた平身低頭して懇願して相手が赦す、って作業がいつ発生してもおかしくない関係性になる

逆にもし関係を切られても当然な内容のことを言ったのであれば

今後の関係性において絶対にそのことは禍根として残る

まともな関係性にならない

2020-11-11

クレーマーじいさまにキレた話

つい最近のこと。調剤薬局で、薬ができるのを待っていた。目の前で、じいさまが何やら駄々をこねている。ちょっと聞いてみると、処方箋用法記載が間違っているらしい。薬剤師さんは、処方箋通りの用法だと出せない薬なので、医師に照会するとのこと。ところが、これに気に入らないじいさま。「患者もわかってるのに、杓子定規だ」「時間がないか医師に照会なんてせずにいつもと同じように出してくれ」と言ってる。薬剤師さんはひたすら平身低頭する。そんな薬剤師さんにねちねちねちねち言い続けるものから大人げないとは思いつつもついにブチ切れてしまった。

杓子定規じゃないといけないんだよ!」「毒薬なんかな、杓子定規じゃなかったら死ぬんだよ!」って。さすがに、そうしたらおとなしくなったが。

処方箋ミス放置して調剤したら、人の命なんてあっさりと消える。たとえ患者がわかっていようとも、本当に患者がわかってるのかなんて薬局確認する術もない。人間ミスするものから薬剤師という専門職を置いてきちんと処方をチェックするわけで。専門職仕事リスペクトしないじいさまをつい一喝してしまった。

しかし、よく考えたら、こんな大人げないことをやる私もクレーマーになる素質ありかもしれない。

追記

ちょうどおすすめ記事

争いは同じレベルの者同士でしか発生しないがあって、思わず苦笑いした。争いは同じレベルの者でしか発生しない、その通りだな。反省しなきゃならん。

またまた追記

クレーマーじいさまと薬剤師さんの間にインフォームドコンセントが成立してたか、って視点で見たらちょっとじいさまには悪いことをしたんじゃないかと思い始めた。専門職としては平身低頭してるばかりではだめで、言うべきことはきちんと言わなければならない。処方箋ミス放置したら医療事故につながるから調剤できないと毅然と言わなければならなかった。薬局商売からお客様」に媚びなければならない辛いところではある。ただ、それで専門職として言うべきことが言えなくなるのはどうなんだろう?

2020-10-09

anond:20201009131515

どう見てもツマーの方が優秀だから平身低頭して生きていけ。

2020-10-05

子供囲碁教室のお手伝いをしてきた日記

 今時、保護者会のある習い事って珍しいんじゃないかと思う。しか文化系でっていう最近じゃあ野球サッカーのチームでさえ、子供じゃなくて親のいざこざでチームが瓦解するので親はかませないという所ばかりなんだけどなぁ。でも、囲碁教室保護者会は人数が少ないせいか、前からいる人達人徳なのか、そんなには居心地悪いとかはないので助かる。一時期、お当番に参加するのがいつもの少数しかいないってキレてた人もいたけど。

 保護者会で何をするのかというと、一番大きな役割は、教室のお手伝いだ。具体的には、宿題の丸つけと、対局の勝敗記録をする。

 丸つけは解答を見てやればいいし、別に子供達に教えなければいけない訳じゃないから難しくはない。ただ、人数分をなるべく対局が始まる前に終わらしておかないと忙しくなっちゃうのが大変っちゃ大変かもしれない。

 対局の記録は、不慣れだと大変だった。まず、誰と誰が対局するかマッチングしなきゃならないのだが、先週の手合いであまり対局してない子同士を優先するとか、棋力の差が大きくない相手と組ませるとか、そういう気配りをしなきゃならない。子供達が組み合わせについて意見を一度に言って来るしワガママも言うので、汲むべき意見・なだめるべきワガママなどに対応するのが難しい。

 マッチングが終わり、いざ対局なのだが、先生が忙しくて目が行き届かないときは、一々何目のコミ出しなのか、ハンディ表を見て子供達に指示しなきゃいけないこともあるようだ。

 子供達は速打な子もやたら長考な子もいて、対局を終えると次々にこちらにやって来て、結果を報告していく。せっかちな子は、こちらが他の子達の記録をしている最中にも結果を言い放ってどっか行っちゃうので、引き止めて順番に結果を言い、ちゃんと記録表に間違いなく記録されたことを確認してから行くようにさせる。こんな何人もの子供達を相手にすることなんか日常にないので、苦戦してしまった。

 でもって、総当たり戦用のあの対戦表!表の左端と上端にメンバー名前がずらっと書かれていて、左上端から右下端に向かって斜線が引いてあるあれね!書き込みづらいんだなぁ。書き込み間違うと子供達、がっかりしてしまうので、何度も見直した。子供達の立合いの場で書き込んでるのに見直してみたら間違えてたりして震える。

 不慣れな私があたふたとマッチングや記録を取っているとき子供達はもう容赦ないので、

「これちゃんとどういうことか分かってますか!!」

 とツッコミを入れてくる。私は、

すみませんぶっちゃけよく分かってないので、教えてください、すみません

 平身低頭、頭を下げて子供達に教えを乞うしかない。なんていうか、久しぶりに無力感を味わったよね……。子供達の方が、よっぽどしっかりしてる。

 普段囲碁教室には我が子を送迎するだけで子供達と関わることがほとんどなかったから、誰が誰だかわからなくて、対局結果を報告する子供達の名前を一々聞く。もう歳だもんで、すぐに人の顔を覚えられないのもあり……。すると、特に同性のきょうだいのいる子なんかあからさまにがっかりするよね。「この人私ときょうだいの区別ついてない」みたいな。すいません!めっちゃその通りです!!どっちがどっち!?……と、開き直る訳にもいかないので、間違って記録しないように、もう一度お名前教えてくれる?って聞いた。子供達の軽蔑眼差しが痛い!ちょう痛い!!

 どうやら、お当番に参加出来る保護者はまたごく少人数に限られているようなので、月1くらいのペースで当番が回ってくるようだ。来月もまた頑張ろう。

2020-09-30

いいまわしをひとつかえただけで、離婚危機を脱した

ちょっと大げさかもしれないし、あくまうちら夫婦に限った話かもしれないけど、割と目からウロコな話だったので聞いてくれ。

結論を先に書くと、「してもいい?」という言葉を「したい」に変えたということ。

同じと思うかもしれないけど、結婚して10年、前者はいつも使っていたけど、後者を使うことは多分一度もなかった。

その歪みが積もり積もって夫婦関係を冷ややかなものにしてしまっていた。

なぜ「してもいい?」という言葉を使っていたのかと言われれば、夫婦とは二人いて初めて意味のあるもので、何かしらの決定は常にお互いの承諾が必要だと考えていたからだ。

おそらく、その考え自体は間違ってないと思う。

しかし、その承諾を得る方法として、自分が選んだのは「してもいい?」という問いかけだった。

この言葉は、一見自分要望を丁寧に伝えているだけの言葉とも取れる。少なくとも自分はそのつもりで使い続けていた。

ところが、この言葉にはうっかり見落としてしまうような落とし穴があった。

それは、自分要望に対する責任相手依存してしまっているという点だ。

例えば、「今日の帰りに飲み会に行ってもいい?」と聞くとする。

少し難しい話をすると、これに対して「いいよ」と答えれば、それは”承諾”だけではなく”許可”が行われたことになる。

同じと感じるかもしれないが、大きな違いとして承諾ではなく許可をした以上は、飲み会に行っことに不満を持つわけにはいかないし、後になって飲み会に行ったことを咎められれば、聞いた側も「許可を得たのにどうして?」となってしまう違いがある。

さらに言えば、許可を求められた側は断ることに対してほんの少しの罪悪感を消費する。(もちろん相手が思いやりのある人だという前提で。)

このほんの少しの罪悪感が、10年も経てば積もり積もって離婚の原因となるほどの大きな歪みに十分なり得るのだ。

それならば、これが「今日の帰り飲み会に行きたい」という投げかけになればどうだろう。

そこには返答に対する責任存在せず、行きたければいけ、その代わりどうなっても自分責任を持てよということになる。

ここに一方的依存はなく、たとえ嫌な反応を示そうとも、それは素直な感情表現しかなく、罪悪感の歪みが生じることもない。

それどころか、受け入れれば相手に対してもポジティブな貸しをつくることもできるのだ。(もちろん自分が身勝手ではないとした上で。)

まり、「してもいい?」の問いかけは受け入れて当然、断れば罪悪感が残り、「したい」という問いかけは、断ろうが勝手、受け入れれば相手への貸しを一つ作ることができるという大きな違いがあるのだ。

同じ承諾をするにしても、片やリスク、片やメリットがあるという大きな隔たりがそこにはあった。

これは承諾を得る側にも言える。

「してもいい?」という問いかけは比較リスクが低く断られてもダメージが少ない一方で、「したい」という問いかけは一方的要望押し付けることになるので、承諾を得られたときに相応の報酬を与えなければならない。

まりある意味では相手良心の呵責に問いかけるようなずるい言い回しとも言えるのだ。

これだけでは離婚危機だなんて大げさかと思うかもしれない。

しかし、夫婦間での歪みはすでに危険レベルにまで達していたのは事実だ。

こうしたやり取りを繰り返していくうちに、妻は断る自分ばかりが罪悪感を感じていることに馬鹿らしさを感じるようになった。

その結果、妻はこちから提案に対して、冷たくそっけなく返事をするようになる。

それに対して自分の受け取り方はこうだ。

こちらは相手の顔色を伺って平身低頭お願いをしているのに、それを聞こうともせず冷たくあしらうとはどういうことだ。

事実、こうしたいらだちがお互いに溜まりに溜まって、結婚10年目にしてはじめて食卓がひっくり返るような喧嘩をした。

その後一週間、子供の前以外では全く口を聞くことすらなかった。

昨日今日始まったことではない問題根深さは理解していたので、もしかするとこのまま決別ということもあり得るかもしれないと、割と本気で考えるほどだった。

気軽に言っているわけではない。今までさんざんお土産を買ったり、喜ぶようなことをしたり、事あるごとにありがとう言葉を返したり、できる先回りして家事をやっつけたりと手を変え品を変え関係改善に努めてきたつもりだったのに、その結果がこうなのだからもう改善余地はないのではないかという絶望すら感じていた。

しかし、今回こうして感情的にお互いの気持をぶつけてみて、現状に対する認識に対してズレがあると感じたのも事実だ。

ならばそのズレの原因、認知の歪みはどうして発生してしまったのだろうか。

そんなことを口を利かない一週間の間にずっと考えてみた。

実を言うと、先日話題になった依存症の漫画を読んだことが一番のきっかけだったのだけど、そこで改めて”Iメッセージ”とは何かを考えたときに、自分の使っていた「してもいい?」は、実は”Iメッセージ”ではなかったのではないかという疑問に行き着いた結果、言い回しを変えてみたらどうだろうということになった。

発信は確かに”I”にあるのだが、決済責任が”I”にはない、あっても希薄だということに気づいたのだ。

それならば、ストレート要望を伝える言葉を選んでみたらどうだろう。

最初は、これすらも冷たくあしらわれたらどうしようと不安だったけど、いざ「~したい」と、自分要望を言い切りで伝えてみたところ、妻は一瞬はっとしたような顔をしてからむしろとても嬉しそうに快諾してくれた。

なんだ。こんな簡単なことだったのか。

そう思うと、ほっとしたのと同時に、久しぶりの妻の笑顔が見られたことが嬉しくて涙が止まらなくなってしまった。

まともに喋れる状況ではなかったけど、そこではじめて妻に謝ることが出来た。

「今までごめん。多分、僕の要望の伝え方はずるかったよね。窮屈な思いをさせてごめんね。」

多分、そんなようなことを言葉になるかならないかギリギリのところで話をしたと思う。

恐る恐る妻の顔を見ると、微笑みつつも瞳から大粒の涙をこぼしながら突然強く抱きしめてきた。

実は、妻からもそうしたストレート要望を聞いたことがなかった。

それも妻の遠慮がちな性格がそうさせていたのだと思うと、妻にもつらい思いをさせていたのだろうと悔やんだ。

これからはお互いを信用して、自分要望に対して素直に相手に伝えあえるようになろう。

そんな提案をすると、妻はとてもうれしそうに、恥ずかしそうにうなずいた。

ここから確証がもてないのだけど、おそらく、どちらかに偏ってしまたことに問題があったのだと思う。

自分の素直な要望は素直に伝えるべきだし、もしかして相手を傷つけてしまうかもしれないようなことは「~してもいい?」と相手の考えを口にできるきっかけを作り出すことが必要なのだと思う。

あんまり上手に説明できてないかもしれないけど、もしどちらかに偏ることで大切にしたい人との距離感がギクシャクしてしまっている人がいるなら、何かの足しになればと思い文字を起こしてみました。

2020-08-24

アンチメッセージを食らった同人作家の話

私が生まれて初めてアンチからメッセージを貰った話をしたい。少々乱暴物言いになる。長い長い恨み節に徹した殴り書きだ。

またどうしてメッセージ、という曖昧表現なのかはおいおいわかってくると思う。

まず同人界隈だとよく目にする焼きマロ、毒マロ関連の話題。私は某ジャンル同人界隈に身を置くオタクの端くれながら、完全に対岸の火事として今まで扱ってきた(もちろんそれらが邪知暴虐の行いであることに間違いはない。)。理由は単純、版権垢を持っていなかったかである

なぜ版権垢を持っていないのか、と言われれば自分作品人格第三者から見て完全に隔絶した状態でありたいから、としかいえない。まあ平たくいえば他者との交流が苦手であるだけなのだが。とにかくその時までは同人作家として活動してきて、ネットの悪意に遭遇したことはありがたいことになかったわけだ。

私は自分作品がかなり人を選ぶものである自覚している。内容が倫理に反しているだとか、いわゆる同人界隈からは毛嫌いされるようなcp傾向、シチュエーションであるだとか、そもそもアングラ趣味である二次創作からであるとか、そこらへんは書き出せばキリがないので割愛させていただく。

とにかく私の作品を読めるのは同じcpを好む、ある程度インターネットでの歩き方を知っている人間だけだ。pixiv投稿した作品にはタグどころかキャプションにまで慎重な検索避けがされているし、万が一の事故を防ぐため読むのがうんざりするような長くてくどい注意書きが添えられている。そして私と接触を図ることができるのは感想を伝えるためのコメント欄か、またはメッセージ機能だけだった。これはだいぶハードルが高い。

もう見るからに防御度マックスの触るなキケンオタクだ。オフでの活動も一切していないし、わざわざこんな偏狭な地までやってきて絡んでくる輩もいないだろうと安心しきっていた。

私の世界は狭かった。狭かったが豊かだった。

ありがたいことにいいねブックマーク、また感想をいただくことが徐々に増えた。

もちろん見知らぬ誰かに読んでもらえるのは、良くしてもらえるのは、活動するジャンルcp自体が大きくて栄えたところだった、自分はそれにあやかっているだけだ。それに尽きるけれど、それでも自分の好きを肯定してもらえるのが幸せだった。

しかしある日そんな些細な幸せを踏みにじられる羽目になる。

それがアンチメッセージだ。本当に唐突すぎて、まるで通り魔に刺された気分だった。

特定が怖いので内容はかなりぼかすが、一番に目についたのは読む人間自己責任を強いるなというものだった。どうやら送り主は原作愛の強い方であるらしく、だからこそ私の不謹慎かつ不道徳表現キャラを巻き込んで面白おかしく扱う話が許せなかったのだ。

正直ここは自分でも仕方ないかなとも思う。

何回もいうけれど、私の作品は人を選ぶ。ましてやそれを(できるだけ場所限定的にしたとしても)ネットの海に放流しているのだ。否定的意見が出るのは仕方ない。表現自由があるように、読み手がそれを評価する(作品自体排斥する資格は誰にもないとして)自由もあると思う。どうしても受け付けないものがあるのも仕方ない。何より二次創作なのだから原作第一考える人不快な思いをしたのであるなら自分平身低頭せねばならぬ立場だろう。

しかし、しかしだ。

私が腹を立てているのはそこではない。画面の向こうにいる人間に向かって匿名センシティブ言葉を投げつけてきたその根性である

あろうことか送り主は私の人格にまで言及してきたのだ。このcpを好んで、こんな話を書く人間は××××(この言葉は実際にその病気で苦しむ人に失礼であるので伏せ字とする)しかいないとまで言ってのけた。

開いた口が塞がらなかった。

なんの権利があって私にそんなことを言うのだろう。貴方に許されるのは私の作品への評価だけだ。(決して自分の好きな原作や、自身創作を軽んじているわけではない。)何を知った気になって生身の人間にそんな言葉を投げつけているのだ。

これが加害でなくてなんなのだろう。心底腹が立つ。

だったら私も言わせてもらう。私も非常識になろう。私の二次創作における矜恃を曲げてでも貴方を傷つける。ここでくらい好き勝手に書く。

そもそもそっ閉じ』もできないような人間pixivを使うな。注意書きや検索除けを全て無視して突破してこちらの陣地にズカズカと踏み込んできたくせに、偉そうに自己責任という言葉を使うな。配慮ばかり求めて自衛を怠るな。配慮自衛、どちらも揃わなければ二次創作は成り立たないものであることも知らないのか。そして他人を平気で傷つけるような言葉を使う人間が、配慮してもらおうとするな。倫理を説ける立場だと思うな。お客様根性もいい加減にしろTwitter愚痴垢でのノリを対面にまで持ち込むな。陽の光を浴びようとするな。貴方世界でならお仲間と一緒になってcp叩きもなんでも好きにすればよろしい。でもそれをガバガバの自他境界のまま生きた人間にぶつけるな。

最後に、私は絶対二次創作をやめない。

私の好きを今までどおり私の狭い世界に向けて発信し続ける。残念でした。

なんだかもはや同人関係ない気がしなくもないが、とにかくこれが一人の人間としての感情だ。

あーむかついた。

おわり。

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