「市営住宅」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 市営住宅とは

2022-01-20

同和地区に生まれ

同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後世代』だと思っている私。

私は昭和の終わりかけに、関西大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。

現在幼児もつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードネットで見るにつけ、自分の育った地域時代現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。

まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。

母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。

母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。

運動会宿泊保育、遠足卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)

今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。

私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初自分の子時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。

保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。

まず、入学時に必要もののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。

私の実家貧乏ではなかった。後に書くが、学用品無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。

ランドセルデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんしたことも覚えている。

それから子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないか自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリ同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生さん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)

主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。

大人集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会最後シュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったかちゃうかな』そんな理由だった。

小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生制服に、別にの子意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。

学校道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアン問題とか。私の子供が入学して教科書名前を書いていたとき道徳教科書何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分ときとの違いにまた地味に驚いた。

小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。

他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制否定国歌を教えない、卒業式定番仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。

ある日の子供会の集会とき、『天皇制おかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。

洗脳レベル教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。

ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリ同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後世代』だと書いたのだ。

理由は、狭山事件容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。

一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。

母は私立高校卒業しているが、『タダだった』らしい。無料から私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?

それから、これは自分家族はいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。

母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。

江戸時代身分制度の名残で同和問題差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。

その後、高校大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。

まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。

かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。

かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロ団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホマップが普及するより前は、宅配ピザ配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。

そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。

人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚ときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。

結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。

私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子貧乏いじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。

これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。

私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。

すると母と伯母が、

『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子旧姓増田やろ?増田おっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃん滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田おっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』

増田おっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』

こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。

これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。

『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』

と、当たり前のことのように言われた。

同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。

解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会ポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。

今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟コネ団地簡単に入れるという話も聞かなくなった。

実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件ひとつも見たことがない。通り魔ひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別にB地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。

イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。

改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか普通生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…

何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。

2022-01-17

anond:20220117132719

あのね。出生率と密接に絡んでいるのは家なんだ

イギリスでは市営住宅に住むことができ

フランスでは都市近郊に住むことができ

スウェーデンでは大人気の公団住宅に住むことができ

ロシアではもらったお金で家を買うことができる

お金じゃないんだよ。家なんだよ。

2021-08-15

そして努力否定される時代へ…

Twitter

努力したくてもできない人がいる」

成功した人は運が良いだけ」

努力できなくても価値がある」

生活保護権利で気軽に申請を」

自己責任論は間違い」

みたいなノリに違和感を感じる

私は田舎農家に生まれ

バス自転車で往復3時間かけて高校に通って

私立大に行くお金もなくて

国立専願で受けて落ちて

公務員試験も落ちて

高卒コールセンター勤務(派遣から転職繰り返して

今は年収800万(エンジニア

だけど税金社会保険料で200万以上持っていかれる



私の従姉妹女の子

裕福な家に生まれ

私立大に行ったのに就職できなくて

氷河期世代を作った国が悪いとか不満言って

ずっとフリーター派遣で働いて未婚出産して結果的シングルマザーになった。

フルタイムで働いて収入が増えると

児童扶養手当が減るとか市営住宅出ていかないといけなくなるとかで

あえて時短勤務してるらしい

その方が得だからって

なんだかなぁと思う


一生懸命勉強して一生懸命働いてる人がたくさんお金持っていかれて

働きたくない人の福祉になってるんでしょ

もちろん福祉をなくすべきとは思わないし、不公平制度を作ってる政治家が悪いんだけど

努力した人を賛えても良いんじゃない?

誰も頑張ろうと思えなくなるんじゃないか

2021-03-08

anond:20210308035804

本来はそういうセーフティネット公営住宅都営住宅とか市営住宅)とかが担う建前になってるはず

予算ケチってるのと、公営住宅入居が代々木とか草加とかの利権なっちゃってるのをなんとかしないと

弱者保護施策を実行すると、そこには必然的市場の非効率性が生じるんだが、そこにつけこんでシノギにする輩が湧いてくる

2020-12-17

anond:20201217144600

そういえば、高級スポーツカー乗り回してパトカーに追われて暴走して人轢き殺したジャンキー女って何だったんだろうな

市営住宅母子家庭?で裕福とは言えない家庭だったみたいだけど、成績は優秀な方で、明治大学法学部に折角受かったのに大学デビューを間違えたんだろうか

司法試験を目指すわけでもなく、大学時代からヤクにハマって、住んでる市営住宅でも近所と揉め事警察沙汰起こしたり、

流石の自分もああいう何のメリットもないことをやる人間気持ちがまったく理解できない

メリットがあるなら殺人理解できるというもの

そういう意味では座間事件もまったく理解できない

金銭目的でもあったというのは嘘だろう

ネクロフィリアとか特殊性癖でなくても死体バラバラにすることは普通にある

旦那DVに耐えかねて殺してしまったセレブ妻も遺体をなんとか隠そうと思ったが、旅行スーツケース旦那が入らなかったため遺体バラしていた

キモいとかグロいとかそれ以前に、屠殺なども同じだが、バラすというのは非常に体力、労力、精神力を消耗する作業

座間犯人が自慢気に、人間死体バラすと臭いので食えないと言っていたが、それは他の動物でも同じではないだろうか

週刊誌記者との面会から感じる、彼のその自慢気な態度が個人的にはどことなく気に入らないのだが、

人間でなくても、他の動物でも食肉でも解体するのは臭いと思う

最近は流石に変わってきているだろうが、被差別部落と呼ばれるような人や在日朝鮮人普通仕事に就けないため屠殺をしていたのはそういうことを含んでいる

座間犯人筋トレ趣味だと言っていたが、かなりの体力バカではあるのだろう

どんな殺人犯であれ、猟奇的連続殺人犯であれ、死体の分解にはかなりの体力を消耗するはずである

まり、その体力消耗というコストと、当然警察逮捕される社会的ダメージを受けるなどのリスクと、リターンとしての金銭などが釣り合う必要がある

そうでなければ犯罪に手を染めようという気にならない

わざわざ損をしたいと思う人はいないはずである

シャブもギッハブ陰謀とか言ってる歌手から考えると自分にはメリットがないように思える

そもそもそんな金さえ自分にはないのである

ヤクの売人は基本的自分の売り物であるヤクはやらないものである

商売の基本であろう

2020-11-25

anond:20201125195227

東京でなければ夢あるぞ

わが地方都市工業市の場合

市営住宅抽選はなく申込み即入居

特にぼろくない民間アパート二万円台より

家賃五万円くらいで一戸建て借りられるというか俺がそうしてる

一戸建て建てたければ市から補助があるし土地は坪一万より

anond:20201125195016

中古でも4000万するんか

KKOには無縁やなあ

どっかの市営住宅当てて、孤独死できないかなあ

2020-11-15

anond:20201114190135

かに実習生と時給換算すると同じっていうのはあり得なくはない話というのは理解できる

ただそこまでになってしまうのって残業代が出ていないと思われるのでそもそも労基法違反

そしてだいたい田舎底辺貧乏人が生きるためのhowtoを知ってるよ

市営住宅入ったり後は親から金などの支援もらってることが大半

2020-10-12

市営住宅24女性遺体 10所以上の刺し傷、捜査本部設置・京都

https://news.yahoo.co.jp/articles/97db04259949fcf8df0730722d9c1363f2ad3234

茨城一家殺傷事件どうなったの?

鉄道道路住宅もそこら中国民を監視する防犯カメラだらけなのに、犯人を拘束できないのっておかしくないか

漫画家自転車に乗って女子生徒を置換するような軽犯罪は瞬間的に逮捕されるのに、殺人事件はどうしてスルーなのか

2020-08-31

ニチレイのフード自販機の思い出

ニチレイのフード自販機がそう遠くない将来にサービスを終了するかもしれない、という記事を読んだ。

ニチレイのフード自販機終了」という文字に、昔のことを思い出したので書く。

中学生になって数ヶ月した頃、父親の勤める会社倒産した。

ただでさえ裕福でなかった家庭(市営住宅に住み、両親共働きで、年1回の家族旅行なんていうものもなかった)で、それはかなりの衝撃だった。

だけど、落ちるときはとことん落ちる。

職を探す、と言っていた父親は職にありつく前にストレスや不摂生から持病をこじらせ、入院した。

ただでさえ苦しい生活費さらに上乗せされた入院費に文字通り頭を抱える母親は、精神的に強くはなく、度々そのストレスを私に向けるようになった。

家に家族といるのがしんどくて仕方ない。家族が揃う毎晩がまるでお通夜のような、そんな思春期の1年間だった。

そんな時に限ってテレビセレブブームで、誰ともなく番組を消し、誰も笑わなくなっていた。

父のお見舞いに週2〜3度、学校が終わってから行く。

制服のまま、田舎で一番大きな市民病院に。

市街地から一山超えたところに建て直されたばかりの病院は、その頃綺麗で、田舎には見たことがない洒落ものがたくさんあったように思う。

その中に、ニチレイのフード自販機があった。

最上階(といっても、たかだか4〜5F程度)の休憩室に、飲み物自販機と同じように並んでいた。

はじめてみたとき、ワクワクしたのを覚えている。

日に日に、家庭環境金銭から余裕がなくなって冷たくひどくなっていった。

父のお見舞いのついでに、時折、ひとり制服のまま、

もう20時を超えると電気が落とされる休憩室で

ブーンという低い自販機たちの稼働音に囲まれて食べた焼きおにぎりたこ焼きのあたたかさを

15年くらいの時を経て今日思い出した。

暗く湿った毎日にあって、唯一、少し浮き足立った気持ちにさせてくれたニチレイのフード自販機

きみは、同い年だったんだね。

まだあの病院のあそこにいるんだろうか。

何も喋らなかったけれど、あのひどく惨めな毎日のなかで確かに私の味方だった。

ありがとう

2020-08-28

動物虐待凶悪犯罪前兆」という割に……

少なくとも猫に関しては狂信的な猫飼いが凶悪事件を起こす方が多い。

猫の飼育規制した方がいいんじゃないのか?

割と冗談抜きで。

とび職(23)2009.3 岐阜市

保健所に押入り、収容されていた犬を逃がした23歳とび逮捕される。岐阜高山市で発生した事件容疑者23歳とび職は、飛騨保健所の窓ガラスを割り侵入し犬舎の鍵を破壊収容されていた捨て犬迷い犬などを逃がした。犯行1月1日28日の計2回。 2009年03月建造物侵入および器物損壊の疑いで逮捕される。 動機は「犬が可哀想なので逃がした」と供述、容疑を認めている。

林喜市(70)2009.8.27 船橋市

女性から野良猫の餌やりを注意され、その帰宅待ち伏せして包丁で刺殺。殺人容疑等で現行犯逮捕

近隣から苦情があるたびに逆上し、恫喝を繰り返していた。

平野幸男(73)2008.10.22  長崎市

犬の散歩に通りかかった男性を、餌やり中の野良猫が逃げたからと木刀で脅し、暴力行為容疑で逮捕

永吉教幸(72)2008.7.5  栃木県小山市ホームレス

寝泊まりしている公園野良猫を抱いた人を、猫を虐めていると勘違いし鉄パイプで殴り、現行犯逮捕

20歳夫婦 2008.7.3 福岡市

生後1ヶ月の乳児食事を与えず、育児放棄虐待死させる。保護責任者遺棄致死容疑で逮捕

乳児は猫のトイレにしていた段ボールに寝かせていた。「子供より猫の方が可愛かった」と供述

河田教晴(28)2008.6.19  大阪市

無職生活保護受給者で猫5匹飼う。餌代に困り何度もコンビニに押し入り、強盗容疑で逮捕

高田正雄(69)2008.6.5 神奈川県川崎市

アパート大家に餌やりを注意されて逆上し、サバイバルナイフ大家を刺殺、大家義理の娘にも重傷を負わせ、殺人及び傷害罪懲役22年の判決

中田光一(70)2007.7.27 大阪市

被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を包丁で刺し、殺人未遂容疑で逮捕

静岡県伊東市の老人(81)2006.8.24

ペット禁止市営住宅で猫を放し飼いしていることを市に告げ口されたと妄想、上の階に住む姉妹に言い掛かりを付けた挙げ句にノコギリで殴り、傷害容疑で逮捕

中島数男(73)2005.4.24 兵庫県尼崎市

猫の餌付けに苦情を言った人の部屋へ包丁を持って押し込み乱闘に。暴力行為(脅迫)容疑で逮捕

荒木正道(60)2005.8.29 埼玉県吹上町

猫糞迷惑していた隣人を金属バットで小突くなどして、傷害容疑で逮捕

藤田英久(52)2003.12.8 大阪府貝塚市

電車に轢かれた猫の仕返しに、線路自転車タイヤ段ボール、石などを置き、往来危険容疑で逮捕。<<

2020-07-31

anond:20200731173654

事情があるなら仕方ないですねって役員が済ませば終わりやろ

市営住宅なんてスラムなんかガン無視でやらん奴もおるわけだろ?そういうのはスルーして明らかな弱者にだけ当たり強く行ってる時点で終わりなのよ

はてな民って市営住宅自治会会合議員が来ると思ってんのか。本格的に社会エアプっぽい

日本よ、見よ、これが自治会だ。そしてこういう自治会会合自民党議員お客様として招かれて、力になります相談してください、と言う。自治会は、お願いします、と言う。それが日本の政治というもの

https://b.hatena.ne.jp/entry/4689292704927665954/comment/RRD

2020-07-28

父が死んで良かった

実家燃えてなくなった。

母の話によると父はタバコの吸い殻をダンボールにためていたらしい。なぜ父はそんなことをしていたのかは分からないし、なぜ母もそれを危険視しなかったのかはわからないが、とにかくそのせいで燃えた。

僕の昔住んでいた田舎実家はそうやってなくなった。次に見た時には簡単に整地されており、何を入れているかはわからないが小さな物置だけが建てられていてぽつんと建っていた。整地するためにお金が足りないということで僕も30万円を母に渡していた。

その後、父と母と、一緒に住んでいた次男一時的市営住宅のようなところに住んだ。向かいの家ではうさぎ放し飼いにされていた。しかしボロすぎて辛かったらしく、最終的に家を買った。今もそこに住んでいる。その家は2階建てで部屋もたくさんある広々とした家だが、前の住人が物置で首を吊って亡くなったため1千万円弱で購入できたらしい。

父はぶっ壊れていた。

僕が小さい頃の記憶を思い出してみると、父と一緒にファミコンの難しいステージ試行錯誤しながら一緒に攻略したり、将棋で対戦したりしていた。父の仕事場が家から歩いていける距離にあったため、小さな僕はたまに仕事場まで歩いていき、父が仕事が終わった時に一緒に原付きに乗せてもらって家まで帰ったりしたこともあった。

しかし父は脳に異常があった。その関係で度々入院したり、手術を行ったりしていた。何度も仕事を辞め、何度も新しい仕事をしていた。

そのためうちは母がメインで働いている。働きに出ている母のかわりに家事はおじいちゃんがメインで行っていた。食事洗濯や、子ども病気になった時に病院に連れて行ったり、雪で学校へ行けそうにない時は車で送って行ったり。

父は特に前頭葉に異常があり、理性を保てずふとした拍子に豹変することがあった。僕らがゲームをしていたら急に部屋に入ってきて怒り出したり、部屋で普通に過ごしていただけなのにちょっとした発言で急に説教をはじめたりしだした。

一時期はおじいちゃんが目の敵にされていて、おじいちゃんのやることなすこと全てに文句をつけて自分のやり方を強要したり嫌がらせをしたりしていた。ある日次男は父に「殺いたる!」と言われながら追いかけ回されてトイレに閉じこもって避難したりしていたこともある。僕もある日「ボケてるんじゃないの?」と父にいったらそれは禁句だったらしく、急に後ろから思い切り殴られ、しばらくの間耳が内出血した状態で過ごしていたことがあった。

あとは理性が効かないためパチンコにもハマっていた。生活費ほとんど持ち出してしまたこともあるらしい。そのため家族は色々と対策をしていたようだ。とにかく数え上げればきりがない。家族みんなが何度もひどい目にあっていた。いつ何で発狂するかわからない父と過ごす毎日地獄だった。僕は本当に父のことが大嫌いだった。

中学高校の頃は僕も思春期を迎え、なぜ僕だけそんな境遇なのかと自分人生を呪った。特に僕は人と接するのが不得意だったこともあり、なぜみんな日々学校あんなに楽しそうにすごしているのに僕は何もうまくいかないのだろうかと感じていた。そして僕はきっと父親のせいでこんな風になってしまったのだろうから全てが父のせいだと思っていた。

高校で1日が終わったあと、僕は毎日夕方遅くまで部室でだらだらとすごしていた。やることがあったわけではないが家で父と顔を合わせたくなかったからなんとかむりやり時間を潰していた。そうして父がご飯を食べ終えて2階の自分の部屋に閉じこもるあたりの時刻に帰宅するようになっていた。たしかそのあたりでは父に話しかけられても全て無視するようになっていたと思う。正直、早く父がこの世から消えてほしいと思っていた。

進学は田舎から遠い関東大学を目指した。高校での人間関係は何一つうまくいかないし、家に帰っても狂った父親が家にいることが耐えられなかった。とにかく全てを捨てて新たな地で心機一転新しい生活をはじめたかった。

結局僕は関東大学合格し、そっちで一人暮らしをはじめた。自分以外誰もいない家。好きなことを好きなだけでき、誰からも急に理不尽文句を言われることが決してない、人生ではじめての心から落ち着け空間だった。

外での人間関係が決して完璧にうまくいくわけではなく苦悩も多くしていたが、それでも大学サークルに入ってみんなと普段から活動し、その中でいつも遊べる友達も出来てそれなりに充実はしていた。

そんな4年間を過ごし色々なことを経験する中で、僕の心も徐々に溶けていった。

色んな失敗をした。失敗をする中でなぜ僕はこうもうまく行かないんだろう? と考えた。一生このままで生きていかなければならないのだろうかと思った。そんな人生に何の意味があるのだろうかと思った。何もないのであれば死んだほうが良いのではないかとも思った。何かある度にすぐ父のせいだ、と思った。しかし、父のせいにすることは何の意味もないことにある日気づいた。たとえ本当に父のせいだったとしても、この先幸せになりたいのであれば、僕自信が変わっていくしかないのではないかということに、運良くたまたま気づくことが出来た。

それに気づいてからは父のことが頭によぎることがなくなった。自分にとって重要なことは、今後自分がどうしていくか、ということだけとなった。過去は何も関係ない。ただひたすら未来を描いて進むことだけが重要なこと。ひたすら考えて、考えて、考えるようになった。

そうやって過ごしているうちに、いつの間にか父のことを許していた。正確には、父に対しての興味を一切失った自分がいた。

僕は性格的に、一つのことに極端に集中してしまう傾向がある。大切な物は愛おしい。しか自分に全く関わらないものには興味が無い。ちゃんと考えて話している人の言葉は気になる。しか思考停止で人を傷つけるだけの言葉には全く興味が無い。嫌悪ではない。そんな人は世の中にたくさんいることが当たり前だからどうでもよすぎて興味が持てない。だから父のことも興味が持てない。しかし形はどうあれ、許すことも興味を失うことも同列だったため、僕の中で父のことは全てが解決した。

その後の父

僕は自分普段生活のことばかりを優先して考えていて、あまり実家にも帰らなかった。たまに帰った時やたまたまから電話が来た時に話をするのだが、父は窃盗もするようになっていた。窃盗と言っても数千円を盗むくらいだったらしいが。

とはいえ特に意外性はなかったし、その後どうなったのかなども興味はなかった。しかし一緒に住んでいる母としては大問題だった。家族が盗みを繰り返すのを放置してはおけない。

結局そのあたりから、母は自分が不在の時は時々父を介護施設に入れるようになった。もちろんはたから見れば早くそうしとけばよかったじゃん、みたいな話だろうと思う。事実母も父と離れる時間が増えることで精神的にはかなり楽になっていたのではないかと思う。

しかし、施設費用はそんな安いものではない。時々だけとはいえそれなりの費用がかかる。家のローンに加え、介護費用。そのころ母はもう60近かったがとにかく定年まで働かねばと嘆いていた。

そしてなんだかんだで月日が過ぎ、父はどこかの溝に落ちて負傷してしまったらしく、自分で体を動かせなくなってしまった。完全な要介護者となった。

僕はといえば、そんな話を聞いても全く興味が持てず、帰省したときにも特に会いに行こうとは思えなかった。というかそういった発想すら出てこなかった。もう僕の中では全てが終わったことだったため、このままもう二度と会わなくても別にいいと思っていた。会ったほうがいいんじゃないかと兄弟に言われたりすることもあったが断っていた。

終わりが近づく

それから数年が経った2019年年末ちょっと前に母から連絡が来た。父がもうそろそろ長くないとの話だった。丁度正月前後に亡くなるかもしれないということだったため、喪服などを購入して準備をした。

しかし、年末近くになり、再度連絡が来た。どうも結局峠を超えて今のところ問題ないということだった。

年末になり、実家帰省した。正月はだいたいいつも帰省し、子どもたちを妹の子どもたちと遊ばせたりしている。

さすがに状況が状況だったため、自然と父のところへ行く流れとなった。僕は別に行かなくてもいいと思っていたが、妻が子どもたちと父を合わせてあげたいという事を言っていたため、それもまあ子どもたちにとって何かの意味があるだろうと思い、特に拒否もせず行くことにした。

母と僕の兄弟とその家族でそれぞれ数台の車に乗り、大人数でぞろぞろと介護施設へ行った。

部屋に入るとベッドに横たわっている父がいた。父はもう当然自分では動けない状態で、しゃべることもできないため、うー、うー、とずっと唸ったりしていた。目が合うような気もするが特に変わった反応もなく、何を考えているのかは分からないし、そもそも何かを考えることが出来ているのかもわからない。結構多い人数で来たためぐるっとみんなでベッドを囲み、ぎゅうぎゅう詰めとなる。みんなで父の様子を見て、きっと大勢来ているから父もびっくりしているだろう、とか、喜んでいるときの声だわ、みたいな話をしていた。

父はたしかの子たちを見たことがなかっただろうと思うので、子どもをそれぞれ抱きかかえて父の目線の先に連れて行った。特に反応もなく、自分の孫だと分かっているのだろうか、分かっていないのだろうかもよく分からなかった。

そんなこんなでそこで少し過ごし、写真を撮ったりして帰ることになった。

最後大人たちがうちの子に「早く元気になってね」と言ってあげて、と促した。7歳の長男と5歳の次男がそれぞれ父に、まだ幼い可愛らしい声で「早くおもちゃ買ってね」「早く元気になってね」と一生懸命伝えた。すると突然、父が今までと違うかなり大きな声であー、あー、と言った。みんなびっくりしていた。一応子どもたちの言葉は伝わったのだろうか。詳しくはわからないがそれっぽかった。

父が死んだ

それから半年ほど経った。コロナ流行し、緊急事態宣言が発令されて終了した頃。2020年6月29日、朝起きたら妹からLINEで父が3時頃に亡くなったという連絡が来ていた。月曜日

妹に電話してみたところ、コロナのこともあるし別に来なくてもいいよ、ということを母が言っているとのことだったため、僕は葬儀には行かないことにした。僕も正直葬儀には興味が無いし、それよりも子どもたちに学校に行かせたり普段生活をおくらせてあげたかった。

しかし妻が不安になって再度母に連絡をとってみたところ、そんなことは言っていないらしく、来いと言われた。一体なんなんだ。

とはいえコロナのこともあるし、妻もちょっと体調的にウロウロできる状況ではないため、僕一人だけ行くことにした。

葬儀は7/1。朝からだったため前日に仕事を終えたあと実家に帰った。弟や甥っ子たちも実家に来ていた。大切な父……というわけでもなかったため、みんな普通に過ごしており明日告別式ということも忘れそうだった。

次の日、起きて甥っ子たちはフォーナイトをしたり、みんなでだらだらと朝ごはんを食べたりしていた。そうこうしているうちに時間になり、葬儀場へ向かう。

葬儀

葬儀場は宿泊できる部屋があり、実家にいなかったメンバーはそこにいた。しばらくすると大阪のおじちゃんとおばちゃんがきた。それぞれ父の兄弟で、夏休み冬休みには僕の兄弟と同じくらいの子どもたちをつれて実家に遊びに来ていた。大勢マリオカートをして遊んだりしていた。おじちゃんはいつも海につれていってもらっていたし、おばちゃんは逆に夏休み大阪に泊まらせてもらっていたため二人とも馴染み深い。

おじちゃんによると、父は子どもの頃に事故で頭をうったという。当時は額あたりの怪我治療前頭葉があるため、簡単はいじれず、医師にも難しかったという。誰もしっかりとした治療はできなかったらしい。その後父は元気にスポーツをしたりしていたらしいが、大人になって障害が出始めたのはもしかしたらそのあたりが原因だったのかも、という話をしてくれた。とはいえ母も僕の夜泣きが原因だったのでは、と言っていたりするので何が原因かはよくわからず、おじちゃんの話も懐疑的だった。

しばらくして葬儀が始まった。みんなが部屋に集まる。何もよくわからない状態だったが言われるがままに並んで椅子に座った。部屋が暗くなる。導師さんが念仏を唱え、みんなで繰り返す。

その後も式が進行し、導師さんが話を始めたりした。誰なのかもよくわからないし、何を話していたかももう忘れてしまった。

導師さんの話が終わると、今度は親族代表ということでおじちゃんが話をすることになった。おじちゃんは前に出てきたのだが、マイク全然違うところで話をし始めた。式場のスタッフを見るとあわてておじちゃんのところに駆け寄ってマイクのところに連れて行こうとするところだった。おじちゃんはいわれるがままにマイクのところまで行ったのだが、なぜかマイクを背にしてマイクがない状態で話し始めたので再度スタッフ誘導したのがおかしかった。

おじちゃんはおじぎをしたあと、先程のように事故の話をし始めた。頭をうち、前頭葉があるため治療もできず、でもスポーツをしたりしていた、ということ。

そのあと、父が大勢の人に迷惑をかけるようになってしまたこと、そして、その父のことを母が最後まで面倒を見てくれたことを話した。すると突然、何か急にこみ上げてきたものがあったらしくウッと声を止めて泣き始めた。それを見て母も泣いた。なんとなく空気が変わった。

元々そんな雰囲気はなかったためびっくりした。僕はもらい泣きもしなかったし悲しくもなかった。ただ、みんな何かしらそれぞれ思うところがあるのだなと思った。おじちゃんからすれば身内がとんでもない状態になってしまって、父が元々赤の他人である母にひどい仕打ちをたくさんしてしまたことに申し訳ないという気持ちが非常に大きいのだろう。

母は実際にひどいめにたくさんあい、この年までずっと働き詰めで大変な思いを今もしている。しかし、お見合い結婚だったとはいえ、楽しく幸せな時期も経験し、僕らがまだ生きて経験したことのない年数を父と一緒に過ごしてきた。詳しいことはわからないが、そこには本人にしかからない無数の思いがあるのだろう。自分と妻も一緒に生きてきているが、子どもたちはそこであった多くのことを何も知らない。当たり前のことなのだが、不思議なことだ。

そして、ここにそれぞれの思いを抱えた色々な人が集まったことも不思議に感じた。みんな何を思ってここにいるのか。僕には分からないが、何かを思っている。

その後告別式は終わり、父の棺にみんなで草花を詰めた。父の顔は処理を施されてつやつやしており、蝋人形のようだった。

その後棺を閉じ、それを男たちで車へ運んだ。そしてみんながそれぞれの車で焼却場の方へ向かう。

焼却場は僕が今まで行ったことがあるような汚い場所ではなく、きれいな施設だった。コロナの影響で焼却場には15人だけが入れるということらしい。父に近い15人が部屋に入る。部屋の中にある等間隔に並んだ足のマークの上にそれぞれが立った。

次に、父が入った棺が焼却する空間に納められた。スタッフボタン類をアルコール消毒したあと、閉じるボタンを押した。機械により扉が閉じられる。

そしてどのボタンを押すと焼却が始まるかの説明を受け、準備が出来たら押すように説明があった。しかし誰も反応しないため僕が母に押しなよと促した。しかし、どうも嫌だったらしく、いやいやという手振りをしたので僕が押した。

その後は1,2時間ほど時間がかかるということで休憩の時間となった。密をさけるため、どの部屋も人数制限があり適当バラけることとなった。弁当が用意されていたためそれを食べて過ごした。

しばらくするとスタッフから声がかかったためみんなで部屋に集まった。中央には棺の台を収めるスペースがあり、今は空いている。そのそばに長い箸がたくさんあり、それぞれがその箸を手にした。

しばらくして台が運ばれてきた。まだ熱く、気をつけるよう注意があった。その上には骨が置かれている。葬儀は何度か経験したことがあるため特に新たになにか思うということはなかった。そういえば昔妻が飼っていたうさぎを看取ったのだが、その時に焼却されて出てきた骨を見た時はとても悲しくて泣きそうになった。

スタッフ説明されながら、足から順に骨を入れ物に詰めていく。みんなで行ったり来たりしながらそれぞれ骨を詰めていった。思ったよりもポロポロともろい。頭の方になると、大きすぎるため箸で割って詰めていく。頭には手術の跡の金具がついていたりした。それも母が詰めていた。

そして一通り詰め終わり、葬儀の全ての工程が終わりとなった。皆それぞれ準備をし、帰宅した。僕も一度実家に帰って着替えをして荷物を整理し、車で帰路についた。

思うこと

僕は仕事もあったし、あまり車で長距離移動をするのは事故死ぬ可能性もあるし好きではない。そのためとにかく早く全てを終わらせたいと思っていた。なんとか生きて帰ってくることができたが、かなり疲れ果てていた。とにかくいつ始まるのか分からなかった大変な出来事が一つ終わり安堵した。

父が亡くなったが、母は元々次男と一緒に住んでいる。近くには妹の家族もおり、しょっちゅう甥っ子や姪っ子たちと遊んだりしている。三男もわりと話が好きで母によく電話をかけているらしい。僕は離れていて長期休み以外は音沙汰も無いが、それでも母はみんなのおかげで楽しく暮らしているように見えるため特に心配はしていない。

父がいなくなったことで母は父の介護費用を払う必要がなくなった。だいぶ生活も楽になるのではないかと思う。僕は本当に良かったなと思っている。

昔「家、ついて行ってイイですか?」という番組を見ている時に、一人の若い女性の家に行く回があった。

その女性の家には父親がいるのだが、要介護のため自分では動けない。女性はその父親介護をしていた。自分では動けないため、あらゆる事を補助してあげなければならない。朝起きてから、昼食、夕食、風呂トイレ、あらゆることだ。もちろん生活のため仕事もしている。ヘルパーさんがいたのかもしれないが、それでも何もなく普通生活をしている僕らには想像できないレベルの大変な毎日であることは間違いない。

女性はまだ若く、色々なことがしたい年頃だろう。彼氏を作ってデートをしたり、友達ショッピングに行ったり。インドア派であればゲームをしたり、ゲームキャラにハマって腐女子をしたり、好きなアイドルライブにも行ったりしていたのかもしれない。しかし、全て介護のためできない。ただひたすら介護をしなければならない。夢もあったのかもしれない。でももう諦めてしまったのかもしれない。

父のため仕方がない、と思いながらも、女性毎日どれだけ苦しいか想像をするだけでも苦しくなる。

その父はどう思うだろうか。自分の娘が自分介護のために全てを犠牲にし、尽くしてくれている。ありがたいと思うだろうか? 僕だったら死にたいと思う。一生懸命育てた自分娘。さなから育てながら思うことは、この子楽しいことも辛いことも含め色んな事を経験し、苦悩しながらもそれでもたくさんの素晴らしいことを経験しながら歩んでいき、やりたいことをやって自分未来を掴んで幸せになってくれればいいなということ。どんな未来でも自分が進みたい方向に進んでいってほしい。

しかしその全ての未来自分の手で摘み取ってしまう事になったとしたら。耐えられる自信はない。すぐに死に、失いかけていた大切な未来を与えてあげたいと思う。若い娘がそのような境遇さらされて多くの時間を失ってしまうことは世界にとっても大きな損失だ。

でも、死ぬということは難しい。自分死ぬ覚悟ができるものかどうかは全くわからない。さら介護されている状態自分死ぬこと自体そもそもできない場合もあるだろう。

この世には安楽死必要だと思う。死にたくても死ねない人を助ける制度必要綺麗事だけでは救われない人達がいる。その人達が救われる世界になってくれればいいと思う。しかしどうすればそういう世界にできるのかは壮大すぎて僕にはわからない。とにかく僕にはこうやって苦しむ人達がいるということを文字にして発することしか出来ない。

とにかく、その一つとして父が死んで本当に良かったと思う。

2020-05-23

まじかぁ そら市営住宅住みでSL63 AMG乗り回しちゃうよな

遊ぶどころか団地住みの奴らに近寄ってもいけないレヴェルだよね

市営住宅なんてヤクザが間に入れば収入なんか関係なく入居できるんだろ

団地の子と遊んじゃいけませんって言ってた親は正しかった

2020-01-27

まず入居審査に通らないもんで

アパートじゃなくて共産党員コネ市営住宅だろう

2019-09-24

[]2019年9月23日月曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
0012816255127.066.5
01759505126.744
0219124665.640
03267142274.759.5
04101112111.228.5
05962269.139
0623130356.743
071174367.542
0836278877.428.5
09385279138.967.5
107111515162.232
117312590172.547
1210711900111.235
13627431119.962.5
14124871670.325.5
15103661564.231
161191180499.239
1768556581.859.5
188611283131.238
1991667573.427
20112953685.123.5
21959580100.831
2212513195105.646
23656728103.543
1日1676179128106.940

本日の急増単語 ()内の数字単語が含まれ記事

市営住宅(6), 温暖化対策(4), 移住者(5), ツメ(3), 奴隷商人(3), レフェリー(3), インボイス(3), お気楽(3), コスト削減(4), nd(3), 設計書(4), 小泉(7), 首都圏(6), 削減(6), ゴメン(5), 貧乏(29), コンサル(5), バター(5), 20万(7), 宝くじ(6), 国連(4), 保育園(19), 産め(7), 産む(15), 子持ち(10), 産み(8), 試合(7), 預け(6), 千葉(6), こだわる(5), 産ん(13), 貧乏人(10), アンチ(10), テスト(10), 勢い(11), フェミニズム(8), 子育て(14), マスコミ(9)

頻出トラックバック先 ()内の数字は被トラックバック件数

■(追記)貧乏だけど子供産みたい /20190923000541(58), ■フェミ粘着するのがやめられない /20190922132106(17), ■お一人様の難易度(2019増田調べ) /20190923131351(16), ■ /20190923004551(10), ■重度のコミュ障PGだけど未来が見えない /20190922235526(9), ■ /20190922033512(9), ■わかりあうのは無理なので噛みつかれないようにするしかない /20190923185124(8), ■ポイントカード有無の確認 /20190923125954(7), ■ /20190922010507(7), ■誰も答えてくれないか何度でも聞くぞ /20190923150507(7), ■ /20190923004055(6), ■ラストがいい映画 /20190923162107(6), ■おじさん仕草 /20190922190526(6), ■起き上がれない /20190923171827(5), ■レンタルなんもしない女 /20190923012431(5), ■ネトウヨだが安倍の愚かさに目が冷めた /20190922133817(5), ■部長最近増田君はツメが甘いよね」 /20190923094626(5), ■俺が財務省の偉い人だったら軽減税率商品区分ではなく支払金額にかける /20190923223000(4), ■ /20190923001049(4), ■なぜTwitterエンジニアマウントを取りたがるのか /20190923101951(4), ■地獄 /20190923103446(4), ■anond20190923000541 /20190923111139(4), ■anond20190923083359 /20190923111515(4), ■連れ去られおじさん /20190923114236(4), ■ /20190923124204(4), ■ /20190923130527(4), ■お得意様に手書き葉書送ってくる文化 /20190923153047(4), ■今日も女は男叩き /20190923162521(4), ■5分待って自由席か、1時間待って指定席か /20190923183639(4), ■技術書展ってなんであんなにオタクくさいの? /20190923183727(4), ■みんなスゲェよ。俺もPythonとか語りてぇ。 /20190923190612(4), ■くれかこわい /20190923205524(4), ■露出狂だが、エロコンテンツ性器最強説が許せない /20190923214622(4), ■勝手失望現象 /20190904003125(4)

増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

6632980(1614)

2019-09-23

anond:20190923135534

少なくとも自分が住んでる場所都心から時間圏内)では

保育園申請すれば100%入れるし来年から無料(今年までは二人目から無料

自分移住者なので移住者のつながりが多いし、

関西から来て市営住宅に住んでお金を貯めて中古で家買った知り合いもいる

移住するにあたって色々調べたから他の候補地も多少は知ってる

わざわざ具体名あげなくてもちょっと調べればわかることだよ

anond:20190923135229

で、具体的にどこ?

移住者が住みやすい所は人が増える分市営住宅だの保育園だのは入りにくいし、

それらが空いている所は人口流出してる所で、それは地元民ですら暮らしにくいか流出するわけだが

anond:20190923133934

市営住宅が空いてるかどうかなんて自治体電話すればわかる話だし、

待機児童ゼロ審査がザル(専業主婦でも余裕で入れられる)の自治体は全国にたくさんあるし、

就業支援がどうなってるかも聞けばわかる

調べもせずに自分経験だけで語るなよ

anond:20190923133934

分譲地の営業トークにのせられてローンでちっこい戸建買う奴が多いか市営住宅ガラ空きだぞ

県庁所在市の端っこあたりがオススメ

anond:20190923133228

移住者の多い、僻地すぎず排他的でない地方

はそれなりに人口が多いか市営住宅なんか入れないし、保育園も入れないけど都会ほど仕事は無いよ。

もっと老人ばかりの過疎地帯だと家が余ってるかもしれないが、勿論僻地だし排他的だし仕事絶望的に無いし

そういう土地から地元出身若者ですら出ていくわけで。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん