はてなキーワード: 峯岸みなみとは
AKB48須藤凛々花の結婚騒動を見ていて、峯岸みなみ丸坊主騒動のときよりさらに、粛清が陰湿かつ悪質になっているのではないかととても怖く感じる。
「恋愛禁止」を掲げているのにそれを破ったこと、総選挙というメンバーにとってもファンにとっても大切な場を私的な発表に使っていることなどは、確かに適切な行動ではない。
私自身男性アイドルに相当熱を上げていた経験があるので、応援してきたファンの気持ちを考えるととてもやりきれない。
しかし、この結婚騒動は、交際をすっぱ抜かれそうになった須藤さんに対する、逃げ場を完全につぶした「総括」なんじゃないのかとも思えるのだ。
「●●に言わされた」とあとから言っても、でもルール違反していたのは事実でしょ?となるし、そもそも言い訳見苦しいという扱いをされかねない。
須藤さん側にはもはや、「ルールを破って総選挙を私物化するほど恋に盲目な女」をやるしか、この騒動をやり過ごす道がないように思える。
そして、総選挙というAKBメンバー・ファンともに無視できない大舞台で広く周知させることで、他メンバーたち(特に上位メンバー)に叩かせることもできる。
今までAKBを盛り立ててきたメンバーにとって、この結婚宣言を手放しで受け入れることは(アイドルである手前)難しいだろうし、一言文句を言ってやりたい気持ちも出てくるだろう。
そしてメンバーたちが批判することで、話題も広がり、他メンバーへの見せしめにもなるだろう。
(山本彩さんのように冷静なコメントをするメンバーもいるのだが…)
この騒動がどういった経緯で起こることになったのか全く分からない以上、上記はすべて私の誇大妄想かもしれない。
しかし、誰かがルールを破ったなら、しかるべき責任者のみが適切な処分(除名なり謹慎なり)をすればいいんじゃないのか。
たった一人の人間をやり玉にあげ、かつての仲間に叩かせて、こんなの北九州監禁事件や山岳ベースと大差ないんじゃないのか。
そして、こういうやり方が「アリ」だとみんなが思ってしまうようになるのが怖い。
NMBの人気メンバー、渡辺美優紀(みるきー)のスキャンダルが発覚したのは、3月中旬くらいなのに、俺がそのショックを未だに引きずっていて。
なんでかなーと思っていろいろ考えていて、タイトルのようなことに思い至った。ので書く。この導入は結論とあんま関係ない。
で、ショックを受けた最大の原因は、AKBグループ全体のスキャンダルへの対応方針が峯岸坊主事件を期に「厳罰」から「放置」へと180度変化したからなのかなと思ってる。
これって、AKBグループ全体が「アカウント指向」から「プロダクト指向」に移行している過渡期っていえるかなーって思った。
ここで、
「アカウント指向」とは、顧客の求めるものを提供するサービスの意で、
「プロダクト指向」とは、自分が良いと思ったものを提供するサービスの意、な。
地下アイドルとか、若手芸人とか、インディーズバンドとかが、自分が提供するサービスに対して決定権が持てなかったのが、人気や実力が伴ってくると自分のやりたいことが出来るようになるみたいなイメージ。まあよくあることよな。
これを芸能以外に置き換えると、いろんなサービスが質が向上して、コスパで選べば激安or無料でそこそこのものが選べて、金さえ積めば青天井に素晴らしいものが手に入って、という世の中だと、自分の仕事の決定権が持てるまでの時間がどんどん長くなるなって思った。「串打ち三年、割き八年、焼き一生」とか、そういう世界。で、良いものを提供する世界で生き残るのは片手で数えるほど、みたいな。
AKB48のスキャンダルメンバーは恋愛禁止という暗黙のルールを破ったという罪に対してそれぞれ罰を受けた。あるメンバーは解雇され、あるメンバーは謹慎を受け、あるメンバーは九州に左遷された。それが罪に対する罰であり、罰を受け入れることで許された。
そもそも恋愛が認められないのはAKBの中の勝手なルールであり、一部のガチな人以外にとって、そのルールに対する違反など時間の経過と共に忘れてしまって当然だ。
峯岸みなみは許されていない。騒動から半年も経過し、その間の健気な頑張りを考えると不思議なほど許されていない。その理由はあの坊主謝罪動画の衝撃が強すぎるから、あの時抱いたAKB48と峯岸みなみに対する嫌悪感が凄まじすぎるからだ。峯岸みなみはあの坊主謝罪動画のせいで「恋愛禁止ルール違反」という罪の他に「俺に強い嫌悪感を抱かせた」という罪を犯したことになる。恋愛禁止ルール違反のみであれば既に許されていてもおかしくない。が、思いの外「俺に強い嫌悪感を抱かせた」罪は重い。
峯岸みなみは、実は許されないのではなく、嫌われただけなのかもしれない。だとしたらもう許されることはないよね。
id:niggaの最近編集したはてなキーワードが誹謗中傷に満ちている。
アイドルグループ『AKB48』のメンバー・高橋みなみの母親を指す隠語。侮蔑の意図を込めて用いられることが多い。「ジャガー」+高橋みなみの愛称「たかみな」が語源で、2012年に淫行容疑で同人が逮捕された折、報道に出た写真から確認された同人(の顔)が女子プロレスラーのジャガー横田に似ていたことを由来としている。
アイドルグループ『AKB48』のメンバーにあたる柏木由紀の愛称の一(非公式)。ファッションブランド「シャネル」+柏木由紀の公式愛称「ゆきりん」の合成語。
2013年初頭、同グループの同僚にあたる峯岸みなみとAV女優の明日花キララ、ならびにサッカー選手の扇原貴宏と杉本健勇、これら4名とともに開催したとされる「夜更かし合コン」終了後の「ごきげんルンルン歩き」現場を関東連合系列とされるバルビゾンビルの前で週刊文春のカメラにパパラッチされ、その折に片手に下げていたバッグがシャネル製のものであったことに由来している。
“微ブス”をコンセプトとするAKB48の中でも並み居る面々をおさえた“清純イモブス”の筆頭格、「恋愛禁止条例」断固守護の“安全パイ”の最右翼と見做されてきた“ゆきりん”のその「ご乱行」の様はとりわけ純朴なる支持者筋に致命的ともいえようほどの衝撃を与えた。
2010年代とはなにか?
2010年代とは
リーマンショックであり、不況であり、超就職氷河期であり、311であり、フクシマであり、日中対立であり、TPPである
2010年代とは
反原発を掲げるしか能のない左派であり、尖閣諸島を国有化した石原慎太郎であり、橋下徹であり、維新の会であり、民主党であり、自民党であり、未来の党であり、山本太郎であり、片山さつきであり、幸福実現党である
2010年代とは
意識高い系であり、イケダハヤトであり、ワタミであり、「いじめ」であり、体罰であり、AKBであり、峯岸みなみであり、ヅラをかぶった峯岸みなみである
2010年代とは
まどか☆マギカであり、ガンダムAGEであり、ファントムルージュであり、虚構新聞であり、まおゆうであり、エヴァQである
東浩紀がAKB峯岸みなみ問題を喜び勇んで批判しているが、彼はAKB峯岸について問題意識を持っているわけではなく、全てが宇野濱野への嫌がらせに他ならない。
当然ながら宇野濱野のAKB関連書籍は等しくクソだが、そんなクソに「ざまぁwww」と言うタイミングをいつまでも見計らっている東浩紀は一切の生産性が無いぶんより質の悪いクソだ。
「正確には問題の本質はハラスメントそのものじゃない。そっちで議論すると「本当はハラスメントではない」で終わる。真の問題は、本人承諾しているからOKというノリで体罰公開してアテンション集める下品な商売が社会的に認められるのかどうかってこと。」(@hazuma)
彼の書籍以外の側面を知っていれば、どんなに東マンセーな信者でも、彼がパワハラ魔神であることを否定できない。というか彼のことを知れば知るほど、東浩紀はパワハラしかしないということがわかるはずだ。
あまりの暴力に目を塞ぎたくなる気持ちもわかるが、勇気を出して以下の動画を見ていただきたい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5228948
http://www.youtube.com/watch?v=l_1WmOGRJxQ
これがパワハラでなくて何だ?
さらに動画には残っていないが東浩紀が、居酒屋で眠りこけてしまった女性の自社社員の前で部下に性器を露出するよう強要したことは有名だ。
AKBもそうだが、東浩紀は旧時代的パワハラの象徴だ。いじめ問題にも口出す権利無し。
酔っ払って、喜色満面の笑みをたたえながら大声で弟子や自社社員を怒鳴りつける彼の姿は、それを見た人に地球上からパワハラやいじめを少しづつでも減らしていかねばならないと決心させるに充分だ。
峯岸みなみの件で、運営側もまたこの物語に酔っているのではないか、ということを私は恐れている。
話題作りのためにやっているのならまだ良い。しかし坊主にして謝罪させることが、感動の物語だとか、そういうふうに思っているのなら私は恐ろしくてたまらない。
その正しさを疑うことなく、場合によっては残虐な行いさえもその人の中では正当化される。
ワタミの件もそうだ。
AKBは日本の現代社会の考察対象としての興味は強くあったが、メンバーそのもの自体にはあまり興味がなかった、しいて言うなら峯岸みなみが好きだった。
彼女の顔が好みだったというのもあるが、彼女の自分を下げるようなことをしてまで笑いをとるサービス精神が気に入っていた。
それは彼女の持つ、一種の愛に対する不安感がそうしているのではないかと思っている。心の奥底で、しっかりと安心した愛を受け取れなかった寂しさ。
しかし、その行為は、彼女に備わる本質的な優しさがそうしているのだと思うのだ。
実存的な不安から来る愛の渇望を埋める方法は人それぞれ違う。他人のことをわがまま放題に振り回したり、異様に執着したり。多くの場合はそうなる。
だけど、彼女は意識的ではないだろうが、自己犠牲を選んだ。自己犠牲なくして、何が本当の優しさなのか。
女性特有の利害関係への敏感さを標準以上に持つ他のメンバーの対して、異彩に存在していると感じていた。
彼女にたいする愛はこのへんにして、本題に入ろう。
今回の坊主謝罪問題は、AKB48というゲームを破壊するほどの衝撃がある。
「恋愛禁止」は、ファンと運営の間にある馴れ合いの果てに生まれたルールだ。
恋愛という実に個人的な出来事を、仕事であるアイドル活動に結びつけるのは、昔からあるアイドルの伝統ではある。
しかし、そういった不文律だったのものを、はっきりと打ち出したことは、AKBの大躍進の起爆剤になったのは間違いないだろう。
アイドルに抱く願望を、はっきりと約束してくれる。これは最初は一種のネタのようなものであったようだが、徐々にファンと運営の間での前提となっていったようだ。
ファンと運営との馴れ合い(ふれあい?)は総選挙やじゃんけん大会などがファンからの要望を答える形で誕生したように、AKBの伝統なのだろう。
そのファンと運営とそれをとりまくメディアとの馴れ合いのゲームそのものが、AKBというプラットフォームであり、彼女たちはゲームのキャラクターのように象徴化されて愛された。
そのゲームが現実にならないようにするには、彼女たちに生身の人間としての行動を許してはならない。それが恋愛禁止へと至ったのだと思われる。
しかし、今回の峯岸みなみの事件は、その関係に亀裂を生じさせる始まりになるのではないか。
これはゲームに熱中しすぎて、ゲームそのものが成立する条件を破壊してしまうということだ。
例えば、こういう経験はないだろうか。子供の頃、友だちとふざけてじゃれあってる時に、徐々に叩き合いになり、そして、ある瞬間一線を超えて喧嘩になる。
あるいは、文化祭の準備で、実行委員長が本気になりすぎて周りが引いてしまう。
ゲーム(遊び)が成立していた関係性や暗黙の了解が、参加者が過熱しすぎることで暴走し、破壊されてしまう。
これと似たようなことが、今回の事件で起こった。
AKBの人気が頂点を極め、ショービズの世界に巨大な化け物ように君臨した時、自分たちの成功法則の一つ、恋愛禁止のルールの存在が大きくなりすぎてた。
それは過去のメンバーへの激しいバッシングや、脱退や移籍などの処罰(人間的行為なのに!)を受けたのを見ればわかるだろう。あれほどの人気を持ちながら、その地位を奪うほどだ。
前田敦子なんて、恋愛禁止がいやで脱退したと言われるほどだ。それほどのことなのに、誰もそれを批判しない。まさにゲームが行き過ぎて暴走していた状態だ。
彼女が実存的な不安を抱えていると想定すると、きっと自分の居場所が消えてなくなるほどの強いショックを週刊誌を読んで感じたのだろう。
それがパニックとなり衝動的に坊主にしたのだろうと思っている。運営が事前に知ってたら絶対こんなマイナスなイメージを与える結果になるようなことはさせない。
坊主にしなければ許されないと彼女を追い詰めるほど、恋愛禁止ルールは暴走していたのだ。
そして、多くの人が後味の悪い気持ちになる。恋愛禁止を旗手にもってそれを犯したメンバーをバッシングしていた人も、今回は彼女に拳を振り下ろすことに躊躇するだろう。
なぜなら、自分が人を追い込んだことを坊主というはっきりとわかるヴィジュアルで見せられたら、さすがに自分がこれからやろうとすることの意味に気づいてしまう。
そして、それまで白熱していたことが、ゲームだったことに気づいて覚めた気持ちを抱くのだ。ネタだったものがマジになっていき、そして行き過ぎた時にネタだったことを思い出す。
あるいは、からかって遊んでいるつもりが、いつの間にかいじめになり、相手がひきこもりになってようやく自体を理解するような。
一度人はゲームに覚めてしまうと、なかなかまた再熱中出来ない。
もしかしたら、今回の事件がきっかけに、AKBは崩壊するかもしれない。
そして、今の芸能界と日本に漂う、自己増殖的に増えるゲームが、崩壊するきっかけになるかもしれないなんてのも思う(話を広げすぎだけど)
【けじめをつける】間違いや過ちなどについて、責任を取ること、または、区別をはっきりさせること。「けじめ」は、区別や差別や違いなどを幅広く指す表現。
【処分】規則・規約などを破った者に罰を加えること。
米エンタメブロガー、ペレズ・ヒルトンの運営する"PelezHilton.com"に史上2つめのAKB48の記事があがった。
「度を越して不気味」という文からはじまる記事の締め括りはこうだ「アメリカやヨーロッパのポップスターが同じことをするのを想像できる?全員ハゲになるよ(爆笑)」
今回、峯岸みなみがとった行動について日本人でさえも「大げさ」「不可解」と感じた人は多いだろう。
峯岸みなみは何故あのようなケジメをつけたのか。それは彼女の"責任"がいままでスキャンダルを起こしたメンバーよりも重かったからだ。「1期生」にどのような重みがあるのか、AKBをあまり知らない人はわからないかもしれない。
1期生は会社でいう「会社設立から関わっている役員クラス」みたいなものだ。
「まさか会社を誰よりも大事に思っている役員が規約違反を犯すとは思わなかった」。このくらいの"事件"なのだ。たかがアイドルグループの一員、たかが二十歳の女の子。でも彼女には組織の中心としての"責任"があった。
下った"処分"は「研究生に降格」。それとは別に彼女はケジメをつけた。「平気な顔をしていちゃいけない」「罰を受けなきゃいけない」。こういう意識が働いたのは組織の責任者としての重圧故だろう(じゃあルール破るな、という話はおいといて)。
ルールは完全ではない。しかし社会や人間は完全ではないからルールが要る。
AKBをそういう風にみていたつもりでいたけれど、今回ばかりはヤクザや武士にも通ずるような(あまりにも日本人的な)組織・責任に対する思想に、一種の嫌悪も感じた。"重い責任"を背負わなければいけない存在は必要なのだろうか。組織には必要だろう。アイドルには必要なのか。あんなの見せられたら、「AKBには長居するもんじゃない」と後輩は感じてしまいそうだ(今後は責任を感じなければいけない存在がいなくなるかもしれないし、責任者もファン投票で決まる、なんてこともあるかもしれない)。
株主の希望をきく。ルールを破れば降格になる、地方に飛ばされる。ストレートな出世が望めなければ、起死回生をかけて海外支部への転勤を希望する。役員がルールを破ったら、処分だけでなく、自らケジメをつけて、社員や顧客にしめしをつける。
あまりにも夢のない世界だ。アイドルなのに、夢が無い。しかし夢を追うからそこに居るのもまた事実だ。AKBは不思議なアイドルだ。
https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=joia4cvk7-13#_13
この人は「オタク」を最悪の形で極めてしまったのかもしれないな…。
私たちにわかる事実は、「丸刈りにした峯岸みなみが泣いて謝る動画を、運営が公式チャンネルに載せた」ということだけだと思う。
スキャンダルが事実かどうかも、丸刈りが誰の意思なのかも、なぜあの動画を全世界へ配信したのかも、AKBに何が求められ、何がいけなくて何なら許されるのかも、もちろん、彼女の本心も。私たちテレビのこちら側にいる人間には、知りようのないことなのだ。
だからこそ、そのたったひとつの事実に対する批判は、あるべきじゃないだろうか。
「アイドル」とは、生身の人間によるエンターテインメントである。
それがわかる人は、あの画像、映像を見た時、違和感を感じなければならない。
これは、生身の人間によるエンターテインメントとして、認められていいのか?と。
夫が帰宅するなり「峯岸みなみの丸刈り、見た?」と聞いてきた。
「あれはひどいね。あんなことをさせるなんて、本当に怖い」と答えた。
すると、彼は「大げさだな、何が怖いの?そんなこと言うあなたの方が怖いよ」と何故か怒り始めた。
「あんなことを『自主的』にさせる同調圧力や、世界中に映像を公開させて晒し者にする行為が怖いよ」
「それが怖いって、全く理解できない。ルールを破ったんだから、仕方ないじゃん。それが不満なら、やめればいいのに続けるんだから」
「仲間内の理不尽で不自然なルールを破ったからって、自分の身を切り刻んで謝罪の証にする必要なんてないよ」
「ほんとに大げさだよね。たかが髪じゃん。似合ってるしさ。かわいいからいいじゃん」
「そんなこと言うの、あなたしかいないよ。オレの方が普通だからね」
「そんなことないと思う」
「そんなことないって?何が?」
「多くはないかもしれないけど、私のように感じる人は他にもいると思う」
「だから?それで?『数が多いから、私が正しいんだ!』って言いたいの?」
もう、そこで私は話を続けるのを諦めて、先に寝るねとその場を去った。
彼は私にどういう反応を望んでいたんだろう?いっしょに盛り上がってほしかったのだろうか?そこに冷水を浴びせるような私の振る舞いに怒ったのだろうか?
かく言う私も、彼に何を望むだろう?調伏したかったわけじゃない。完全な理解と共感を望んでいるのでもない。自分のコピーが欲しくて一緒にいるんじゃないのだ。
分かり合えない。
それでもいい。でも、せめて私を言い負かそうとしないでほしい。
AKBの峯岸みなみが、恋愛禁止条例を破ったせいで丸坊主になりました。(参照])
しかし、20歳の女の子が奴隷みたいに自分の髪を切り落とす事態をみても、一部のファンは「よくやった(by小林よしのり)」「非処女!ビッチ!」「ざまぁ」「自業自得」「ルールを破ったんだから、このくらい当然」と言っている人すらいます。
若い女の子が髪を切り落とさざるを得ない性質の悪い体罰じみた状況は、明らかに異常ですよね。なぜ彼女はそこまで追い詰められてしまったのか?長年のアイドルファン視点で解説します。彼女が髪を切り落とすのは『日本型のイジメ体質』のせいなどではありません。そうしなければ、ファンが彼女を許さないからです。
日本のアイドルファンの中に「処女性を前提とした疑似恋愛の対象としてのアイドル」を求める気持ちがあります。日本のアイドルは、擬似恋愛の対象として成立してきました。だから、『恋愛禁止』はアイドルをする上で守らなければならないお約束だったのですね。実際、「恋愛しません」と宣言しているのに、「イケメンちんぽ!しゅきいい」と約束を破っているのですから、激烈に怒るファンがいるのは当然です。だから、峯岸みなみは禊として髪を剃らざるを得なかったのです。それくらいアイドルファンの中にある処女性信仰は根強い。
しかし、もう処女性を前提とした疑似恋愛の対象としてのアイドルは成立しなくなってしまっているのではないでしょうか?時代が変化し、「恋愛しません」というフィクションには限界がきている。AKB48は、既に賞味期限の切れている疑似恋愛というフィクションを守ろうとするあまり、秋元康以外の全員が不幸になっています。
かつてのアイドルは「恋愛禁止」のお約束が成立していました。アイドルは処女性を持ったみんなの恋人だったのです。
でも、実情はどうだったか?
当時のアイドルたちが大人になってから書いたエッセイ・回顧録・暴露本を読むと、「堕胎して死んだ赤ん坊を持ち歩いていた」「忙しいスケジュールの間をぬって、逢瀬を重ねていた」「同期の男性アイドルと関係があった」と書かれています。
つまり、恋愛禁止は昔も守られていなかったのです。考えてみれば当たり前のことです。アイドルになるような積極的な女の子に恋愛を禁止するなんて、どだいできるわけがないからです。そもそも、秋元康自体が恋愛禁止を掲げながら、高井麻巳子を喰ってるしな!
ただ、昔はその嘘がつき通せた。裏切りが露見しなかった。
携帯カメラを持っている一般人なんていない。秘密を知っている友人がいてもTwitterに書き込めなかった。芸能人そのものの人数が少なかったから、事務所がコントロールできた。処女性を前提としたアイドルは、過去だから成立し得た一過性の徒花だったのです。
ところが、現代では、「恋愛禁止」の嘘を突き通すのは並大抵のことではありません。
一億人が高解像度のカメラを持ち歩き、死角はどこにもない。男性遍歴を知るかつての友人がTwitterでリークし、一瞬で拡散されてしまう。アイドルになってから恋愛禁止を守ろうとしても、過去のプリクラ・ハメ撮り・書き込みをすべて消去することはできない。アイドルになる前に、アイドルとして殺されてしまう。
つまり、いくら嘘をつき通そうとしも「処女性を前提とした疑似恋愛の対象としてのアイドル」というフィクションは成り立たなくなってしまっているのです。
このように、「みんなの恋人」アイドルは成立しなくなってしまっています。賞味期限が切れて腐臭を放つフィクションをかたくなに守らせようとすると、どうなるか?
小林よしのりのように(参照)恋愛禁止を求め、アイドルに処女性を強要するファンは、ファンでありながら、好きな女の子の不幸を望むことになります。
まず、年頃の女の子にとって「好きな人と恋に落ちる」のは普遍的な感情です。おそらく止めようとしても止められるものではありません。昔も今も守られてきていないのですから。アイドルだって人間だから好きな人とご飯が食べたい、一緒に歩きたい、その先も進みたいでしょう。
疑似恋愛を求め、処女性を強要し、思春期の女の子に恋愛禁止を望むのは、要するに「人間たるな。アイドルを演じる奴隷たれ」といっているのと同じです。それは「疑似恋愛に酔いたい」という自分の欲望のために、彼女たちに、日本国憲法ではありえない自己犠牲を強要しているのです。
好きな女の子が夢を諦めたり、髪を切り落とさざるを得なくなる「条例」に何も感じないのは、ファンとはいえません。その約束はもう守れない時代になっているのです。
さらに、疑似恋愛型ファンは、ファン自身も絶対に幸せになれません。
まず、どんなに入れ込んでも、握手に通いつめても付き合えません。自分でも付き合えるなんて思ってないでしょ?(指原みたいな例外はあるが)アイドルはむしろ恋愛に積極的な部類の人間です。約束を守っているように見えているだけで、たいていは約束をやぶっている。だから、嘘に気がついた時に疑似恋愛を求めるファンは傷つくだけです。魔法は必ず解けます。なら、最初から恋愛の対象として考えない方が、幸せなのではないでしょうか?
「恋愛しない可愛い女の子」というフィクションには必ず終わりがきて、ショックをうけるだけです。
「疑似恋愛型アイドルには限界がきているから、やめるべき」というと、「歌も上手くないし、ダンスも微妙。顔もそこそこの子が売れるには、処女性幻想、疑似恋愛幻想って付加価値がないとダメなんじゃないの?」との反論があるかもしれません。
しかし、現に疑似恋愛を抜きにしてもアイドルは成立します。なぜなら、アイドルのファンは疑似恋愛を求めるファンだけではないからです。「頑張っている子を応援したい」気持ちでアイドルを好きになるファンはいくらでもいて、彼らの需要は非常に大きいのです。
たとえば、Perfume。ルックスはそれほどではないけれど、パフォーマンスの上手さ、楽曲の魅力、物語の魅力でファンを獲得しています。
たとえば、ももいろクローバーZ。ルックスもダンスもそれほどではなくても、「全力でカバーしている。(僕は今一番好きなアイドルです)
彼女たちの人気は、疑似恋愛を抜きにした「応援したい」需要で成立しています。
実際、Perfumeの子たちにスキャンダルがあったときは、一部をのぞいてそれほど騒がれませんでした。人気も全く落ちていない。仮に、ももいろクローバーにスキャンダルが起きても「お…おう…」と若干の生臭さにひく人はいても、AKBのように激烈な反応は起きないはずです。
最近では勢いがあるのは「応援したい」型のアイドルです。なぜなら、老若男女の需要を取り込めるから。実際、私の家族は全員ももいろクローバーZのファンです。
だから、AKBも恋愛禁止っていうもう時代遅れのフィクションに拘泥するのはやめて、「頑張っている姿を応援したい」需要に特化していくべきです。
AKBには、百田夏菜子をはるかにしのぐ運動能力を持つ子がいる。世界大会に出場するくらいのダンスの実力を持った子もいる。アーティストより歌が上手い子もいた。多様な個性を持つ彼女たちが、死ぬ気で夢に向かって頑張っている姿は、ファンを取り込む普遍的な力があります。彼女たちの魅力をそのまま伝えていくべき。
疑似恋愛をやめても、「そこそこ可愛い子が死ぬ気で頑張っている」だけでアイドルは成立するのです。それこそ、SKE48はかなりももいろクローバーZに近いタイプの人気がある。
「処女アイドル」という時代遅れの腐臭を放つフィクションに拘泥しても、関わっている全員が不幸になるだけ。彼女たちが『人間として』アイドルを続けられるように応援するのが真のファンではないでしょうか。
まず、アイドル。恋愛をしてもいいけど本気で隠して欲しい。隠して欲しいのは、生臭いから。できるだけ隠すように努力するべきです。芸能人専用の絶対にバレないラブホテルとか、芸能事務所合同でつくってほしい。トイレで暗証番号を押すと、扉が開いて、ホテルに入れるみたいな。
それでも、昔の友人の嫉妬でリークされたり、コンビニ強盗のような格好に変装をしているのにフライデーされることはあるでしょう。その時、ファンは「まぁ、しょうがないよね、女の子だし」と寛容になるべきです。「そのかわり、もっと頑張ってよね」でいいじゃないですか。処女性を押し付けるのはやめて、夢に向かって頑張っている女の子の物語を楽しみましょうよ。
ファンが寛容になり、「恋愛をしてもいいよね」という風潮が生まれれば、秋元康だって恋愛禁止条例を取り下げるかもしれない。廃止しないまでも、ペナルティも軽くなるでしょう。カビの生えた「恋愛禁止条例」に拘泥して騒いでも、得をするのはスポーツ新聞と秋元康だけ。ファンとアイドルは傷つくだけ。
恋愛禁止条例なんて守る必要はない、支持する意味もない。なぜか。
そもそも、秋元康自体が恋愛禁止を掲げながら、高井麻巳子を喰ってるからだよ!教祖だけが破っていい掟の正当性なんてあるわけないだろ!
峯岸みなみが反省の意を込めて丸坊主にし、それを事務所・運営公認で公式動画で配信されている件について。
峯岸みなみの動画は一般的にみて「痛々しい」と思わざるをえない。たぶんそれが普通の感覚だろう。もし彼女が自分で勝手にやってきたとしてもこれはさすがに「ノー」である、髪が伸びるまでは謹慎させ表舞台に立たせないなどの判断を下すべきだろう。それどころかカメラを構えて泣いている彼女を撮り公式動画としてネットで公開するということになっているわけである。これについてはほとんどの人が”気持ちの悪さ”を感じたのではないか。
アイドルが坊主頭にして反省することは法律で禁止されているわけではない。しかし私はこれを「自傷行為」だと考えるし程度の差はあれどリストカットをしたり指を詰めたりと変わらない行動だと感じる。いかにそれが芸能界の厳しさであったとしても、結果としてそういった行動をさせてしまったシステムや運営としての責任を考え、どうにか世間に見せない方策をとるべきだった。
これを彼女が自分でやったことなどと言って論点を誤魔化すのは、どこぞの宗教団体が「実行犯が勝手にサリンを撒いた」と言っているようなものである。
実際この動画がどういった経緯で撮影され公開されたのかは定かでは無い。秋元康のOKでやったのか、支配人のOKでやったのか、事務所が勝手にやったのかはわからない。
暗黙の了解としての”恋愛禁止、それを破ったら処分”というルールを持たせている運営は組織としての責任を持って、”破った場合の対処方法”を彼女と一緒になって考えるべきだったのではないか。
また、彼女本人について言えることといえば、彼女の精神状態についての仮定である。
私はこう推察する。
法律に違反しない以上、彼女が男性と交際しようが丸坊主にしようが、その行為への賛否であり彼女への評価は彼女のファンがそれぞれ決めることである。男遊びが激しくても別に気にしないよ?というファンもいるだろう。
まず、峯岸みなみはバラエティを得意とする結成当時からのメンバーであり、個としての人気は総選挙14位と、トップのメンバーとは言い難いものの、仕事や待遇、地位の面ではそれなりに確立されているものだと考えられる。現在20歳の彼女は13歳のころからAKBとして活動しており、一般人としては学歴や職務技能等の金銭獲得能力はそれなりに低い。現在の年収は明らかではないが、500万~1000万程度はあるのではないかと推察される。
先日ISSAとの交際報道で脱退し、さっぱり音沙汰がなくなった増田有華とは少し事情が違う。増田有華は目立った特技もなくかつ総選挙26位というあまり重要なメンバーではなかった。報酬の額もそれほどでもないだろうし、ルックス的にも”バラエティ顔”の峯岸みなみよりもイケメン男性にモテるタイプだろうし、役者としての能力もあるようだ。AKBをスッパリとやめて他の人生を考えてもそれほどの違いは無い。前田敦子の場合はレジェンドオブAKBとして今後もやっていける自信があっただろう。最近脱退が相次いでいるSKEなどのメンバーも同様で、人生について天秤にかけているのである。
しかし峯岸みなみの場合は、本当に「今AKBを辞めてテレビから消えたら本当に何も残らない」という一発屋芸人並のメンタルだった筈だ。
何も残らないわけではないにしろ、金銭面で大きな落差が生じるのは確実である。それゆえの丸坊主行動、というか、もしも丸坊主じゃなくて例えばどこぞのお偉いさんに対する肉体接待で許されるなら、そこまでもできたのではないかろうか。
そもそも前田敦子のケツ出しなども含め、彼女達の一部では”遊びたい”という意味での鬱憤は相当に溜まっているハズだ。恋愛禁止という暗黙の了解があったとしても、本質的な欲求として、必ず一定の割合でそういう子は出てくる。青春という一度しか無い時期に遊びたいからリスクをおかして遊んだ、でも金銭含めて地位を失うことは受け入れがたい、であれば”丸坊主にして話題にもなり、再度チャンスを”という判断は個人としてわかりやすい。
これは反省とかそういう意味ではなく(そもそもナニに反省すればいいの?)、彼女にとって最も合理的な行動なのだ。
そもそも彼女達の大事な人生を奪ってまで恋愛禁止として人気の有無に関わらず厳しいルールにするのか、それとも恋愛を解禁し、万が一の場合でも処分を含めて辞退等を許さず、あくまでファンの賛否に委ねるのか、そういったことを運営としてしっかり態度に出して行かなければならないだろう。