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【学費問題】東大 年間授業料2割増し検討 来年度より適用の可能性 教授会で議論 - 東大新聞オンライン
深夜に。
東大の学費が上がるらしい。増田は東大から大学院(文系)に内部進学をしようとぼんやり考えてはいたけど、年間64万払って自殺による人生中退オプションを購入するのは冷静に考えたらばからしくなってきた。増田の専門分野(大学院に行かないんだからそう名乗る資格はないが)は、とにかく就職先がない。
アカデミアになんて残るもんじゃないことを、再確認できてよかった。アカデミアに心残りがあるとすれば、知的生産のための会話の愉悦にあるけど、それももう無理なんだと知った。
藤井輝夫総長は、Zoomウェビナーで学費値上げを学生と「対話」するらしい。ウェビナーって配信者が一方的に喋るだけで、コメント機能くらいはあるけど、「対話」ってのは無理なわけ。コメント読み上げられるためにスパチャに使う金があったら学費払うわ。
そもそも藤井総長が就任したときに不正選挙疑惑があったはずなんだけど、ウヤムヤになったんだよね。
そっちの「対話」は済んだのかしら。
【追記】
思わずしていろいろな方に読んでもらえて嬉しいです。
ただ、一部の私の言葉の使い方がまずくて気分が悪くなってしまった方には本当にごめんなさい。
祝ってくださった方、ありがとうございました!
【本編】
40歳の誕生日を迎えた日に私は、自称”地元の郷士”を名乗るご年配のご婦人に罵倒されていた。
なんでも、絹ごし豆腐と思って買ったそれが木綿豆腐だったらしく、絹ごしの気分だった喉が酷く傷ついたらしい。
何できちんと「これは木綿です。絹ごしではありません」と明記してくれなかったのか、と。
たしかにそれはたいへんだ、申し訳ないことをしたと思いながら無心で謝罪をしていた。
その心の裏側では今どきのゴーシさんって自分で豆腐を買いにくるのか、ゴーシさんもご多分に漏れず人手不足なのかなぁ、と余計な憐れみを感じていたことをあわせて詫びていた。
そんな心を癒してくれるのは、いない恋人でも友達でもなく、ヲタ活だった。
これさえあればどうとでも生きていける。
ずっと自分の推しを追うことに残りの時間全てを捧げようと決意した。
田舎住まいの私には、推しのコンサートチケットを入手する手段はコンビニ発券しかなかった。
コンビニ店舗に設置してある端末を使って引換券を発行して、店員さんにお金を払って紙チケットを発券してもらうやつ。
ある日、講演が近づいた某コンサートのチケットを発券するため、近所で唯一のコンビニに行くと
とてもびくびくした様子の店員さんがあたふたした様子で対応してきた。
「あの、私新人で、いまちょうど一人しかいなくて、わからなくて、、、」
毎日毎日、すげー”偉い”と自称されるお客様相手の仕事をしていた私はそういうの自分のことにしか思えなく、
「いいよいいよ、ゆっくりやってくれれば」
と本心から告げると多少は落ち着いてくれたらしく、その後、たどたどしいながらも何とか発券までたどり着いて
「おおー 券出たね やったね」
と口にしたら
「よかったー ありがとございますぅ」
と安堵した表情に何故だか自分自身が救われる気持ちがして、清々しく店を後にした。
と、多分普通はこれっきりのちょっと気持ちが和んだいい話で終わるところだろうけど、
発券できる場所が近所にたった一つしかないド田舎でヲタ活邁進を決め込んだ私と、
バイトできる場所といったら同じく唯一のコンビニしかないその人とが顔を合わせる機会が積み上がっていくのは必然で、
ある時「これ、すいません、ご迷惑かもとはわかっているんですけど、どうしても、、、」と泣きそうな顔してLINEのIDを渡された。
その時にはさらに年月が流れてて自分は41になっており、そこまで生きてきててもこんなことただの一度もなかったから。
与えられた好意。
実はその人もヲタ活盛んな人で、しかし推す方面が全く異なっていて、逆にそれがお互いを刺激し合い、
ますます惹かれる存在になることは付き合い始めて知ることになる。
これからもいろんな推し活を一緒にして、たくさん楽しい事したい。
推し活は軒並み中止。
私は当時働いていた偉いお客さま方が集う職場を急きょ解雇された。
あー
やっぱ私にはいい事なんてないよねー 知ってる知ってるわかってる。
対して、そんな昨今に立派な就職口が決まった元コンビニ店員さん。
身の程をわきまえて、自ら身を引くことを決意してそう切り出した。
そしたら、すごく泣かれた。
お客さんに怒られることが怖くて不安でたまらなかったレジ打ちバイトのときに、自分のきょうだいに接するみたいに優しくしてくれたこと、
全くのジャンル違いのヲタ活を尊重して一緒に楽しんでくれたこと、
優しくとか、尊重とか、正直全くそんなことを意識してたことはないんだけど、
”かけがえのない”と思ってくれていたことに感動して、もう何十年ぶりかに自分もアクビか足の小指をこっぴどくぶつけた時以外の涙を流して
こんなしょうもない身空な自分だけど一緒に生涯ずっといて欲しいと懇願した。
当時のパンデミックはそれはそれは酷いもので、結婚式場は軒並み経営難を強いられていた。
そんなときに「パンデミックおさまったら絶対に式を挙げるぞプラン!」というものをやってる式場をたまたま見つけた。
なんでも2020年を起点にした年数後分、割り引いた挙式費用を前払いすると、本当にその費用でやってくれるという。
最大は2024年まで、当時の4年後だ。
もしかしたらその式場自体が経営破綻してなくなるかもしれない。
そこでかけてみることにした。
2024年(4割引き)プランに申し込みして、式場も関係も破綻していなければ、本当に結婚してほしい。
私がそう言うと元コンビニ店員さんは「勝ったなガハハ」みたいな顔して快諾してくれた。
来月、2024年6月2日(大安)、結婚することとなりました。
2019年、それまで仄暗い毎日を過ごし、ヲタ活以外の残りの全てを諦めていた自分が、結婚。
ついでに仕事まで失っていたけれど、その後まぐれでホワイトな工場事務職に再就職できて
あー
生きていれば、
偏屈にならなければ、
こういう展開もあるんだ。
初めて知った。
ちょっと遅かったかもしれないけど、これからもいろんな推し活を一緒にして、たくさん楽しい事したい。
合わないとフラットだったりしんどかったりするが、そこよりはマシと思われる。
自分は学部卒だけど、学内外で割と評価されてて力入れてる研究室にいた。
社会人でもプレゼン酷い人いっぱいいる。というか殆どそうだし、殆どの人は一生研究室でやるようなプレゼンをしない。
研究室でもてはやされるプレゼンと、社会でいいとされるプレゼンは違うし。
今の社会の課題は「能力の低い人間にパフォーマンス上げてもらって気持ちよく働いてもらう」だからね。
大企業であればあるほど非正規が多い傾向で、非正規はやっぱり能力低い人多い。
しかも今の社会は求められること多いから、普通のハードルが高くてしっかり仕事出来る人は少数派。
そもそも勉強や研究が出来ることと、仕事が出来ることは全く別だよ!!!
これは草。教えてない人が悪い。
教えた上で「わからなかったら、また聞いてね」「今説明したのこれに書いてあるからね」とかが社会の普通。
まああくまで普通だから、そうじゃないとこもあるけど多くないよ。
狭い世界で研究や指導に励んでばかりで、企業での実務経験がない、年齢も高いとなれば厳しい。
あと会社でもA社とB社で求められる能力が違っていて、片方では全然でも片方ではすごい活躍するとか超あるある。
「どこにいっても通用しない」なんて、何十と転職しても言えるようなことじゃないよ。
それがわからないでこういうこと言っちゃうの、最高に頭悪いなあと思うわ。
健診の人
父は元通産官僚・銀行員の高橋康太郎。父方の祖父は元農商務・商工官僚の高橋康順。母方の祖父は元内務官僚の武部六蔵。叔父は道路技術者の武部健一。大伯父は元文部官僚の武部欽一。
親族の優秀さと比較され続けることから逃げ出し、バンドに打ち込んで大学卒業に6年もかかり正社員として就職出来ず地道にライター稼業をしていたけど
当時自分が置かれていた状況とあまりにも似ていて、読んでて胸が痛くなった。
元増田を読んでたら居ても立っても居られなくなったので自分の経験を書こうと思う。
自分は10年ほど前、某国立理系単科大学のとある実験系研究室に所属する院生だった。自分もその分野の研究に興味があって研究室に入ったのだけど、指導教員が問題のある人だった。元増田の教員と同じように学生に対して「こんなんじゃ社会に出たとしてもやっていけない」と発言したり、お盆にも実家に帰省させず実験をするように学生に強要したりと、まさにアカハラ教員だった。でも多分元増田の指導教員の方がもっと酷い。当然自分含め学生たちは毎日深夜まで研究室で過ごしていたし、休日も大学に通うのが当たり前だった。
そんな状況の中過ごしていた自分は無事大学院入学半年ほどでメンタルを崩し、次第に自殺の二文字が頭にチラつくようになった。今となっては何であんなことで深く落ち込み悩んでいたのだろうと思うけど、社会に出て働いたことの無い人間が、自分より社会経験のありそうな人から「お前は社会に出ても使えない」と言われ続けられれば、そうなってしまうのも仕方ないよなと感じる。かくして自分のメンタルは順調に蝕まれ、結局朝、布団から起き上がれない状態までいってしまった。
そんな自分を救ってくれたのは旧Twitterだった。学生の頃の自分はツイ廃で、メンタルがやられていたのもあってぼーっとタイムラインを眺めることが多かった。インターネットにはいろいろな人がいて、自分と同じように過酷な研究室で過ごす人の愚痴だったり、そういう研究室で過ごしていた人の体験談などが書き込まれていた。特に自分の目を引いたのが大学院を中退して就職したという経験の書き込みで、そこに書かれていた「社会では案外なんとかやっていける」といった文章で自分の道が開けた。というかあの頃の自分は藁にも縋る思いで、あの地獄のような環境から抜け出せるのならばなんでも良かった。
大学院を辞めて就活しようと決心した次の日、両親にそのことを相談した。いきなり辞めるのではリスクが大きすぎるということになり、1年間大学院を休学することにした。学生課に休学届を提出し、指導教員に今日から研究室に行かないという旨のメールを出した日のことは今でも忘れられない。平日の真っ昼間に大学の外をふらついているという現実が信じられなくて、自分は自由になったんだという実感がなかなか得られなかった。それから1週間くらいは家でゲームをしたり、都内を観光したり、目一杯遊んで気分をリフレッシュした後、就活モードに切り替えた。
大学院を休学する前から就活のターゲットは決まっていた。公務員である。公務員の就活は新卒であるかどうかが関係なく、年齢の条件と公務員試験をクリアすれば採用される。自分みたいな人生のレールを脱線しかけていた人間にもリカバリが可能である。そして自分は試験に受かるために半年間ひたすら勉強した。1日何時間も勉強するのは大変だったけど、研究室に閉じ込められて夜遅くまで過ごしていた時と比べれば屁でもなかった。そして最終的には某地方自治体の試験に合格し、内定をいただき、大学院には休学期間終了後に退学届を出した。今も同じ職場で働いているけど、メンタルよわよわでどんくさい自覚がある自分でも仕事は続けられてる。
長々と自分語りをしてしまったけど、伝えたいことは、あなたの人生はこんなところで終わらせるべきではないということ。
あなたはまだ本格的に社会に出て仕事をした経験がないから、指導教員の言うことだけが正しいと思っているのかもしれないけど、結局その人もn=1にすぎない。
普通の組織は、あなたやあなたの指導教員が考えているほど厳しくない。
むしろ大学教員の方が人生のほとんどをアカデミックの世界で過ごしている訳で、そっちの方が「社会を知らない」のではと思う。
人生、辛いことがあったら落ち着くまで休んでもいいし、なんなら逃げ出しても構わないと思う。
自分は大学院中退からの就職(公務員)を選んだけど公務員の仕事内容は相当ブラック。それでもブラック研究室よりはマシだし、同僚や上司に恵まれれば(自分は運よく良い人たちに巡り合うことができた)やりがいを持って仕事をできる。多分これは民間企業に就職したとしても同じだと思う。
ただし中退もいいことばかりでは無い。大学院を中退したという事実は、周りは気にしないと言ってくれるけど、自分は就職後も長い期間負い目に感じていた。ある決断を下す前には慎重に考える必要があると思う。
15年前に農学系修士(マウス扱う系)を出た人間だけど。その研究室、もし変えられるなら変えたほうがいいと思う。
内部進学する人間は院進が当然だから研究室めぐりや先輩からの情報とかで自分に合った研究室選びができるし(ブラック研究室を避けられるし)、入ったら入ったで4年生のうちに教官もしくは先輩から指導を受けててやり方に慣れられるし、学部時代からの友人関係もあってストレスを出しやすい。
一方、外部から来る人はそれが全くできない。だから辛くてついていけない人も結構いる。(そして学部上りはそれがよくわからない)
・やばい先輩がいる
・全然機材がなくて自分で顔広げてほかのところに借りに行かないと研究できない
そんなことはむしろ多い。でもそれでも内部進学が「わかってて」入るのと、あなたみたいに「わからずに」入るのとでは全然ちがう。
で、あわないところは本当にずっと合わないままだったりする。狭い世界だからなかなか逃げられないし。
そして、そもそも成果が出る出ないは全く違う次元で起こる。これはほとんど運みたいなものもある。
ちなみに私は子供のころから研究職になりなくて京都大学に入って、当然のように内部進学で院進したけど、できると聞いてたテーマは教授が変わっててできなくて、選んだテーマは時代にあってなくて、成果も全然でなかったからアカデミアは当然あきらめ、就活も研究職志望だったけどまったく受からず、そして自分が研究に向いていないことをようやく自覚して、結局院卒で文系就職したけど、いまは楽しいよ。研究の思考プロセスってなんにでも活用できるから。
研究がやってみたい、という気持ちでその世界に飛び込んだあなたはとてもえらいし、すごい。
そんなあなたが2か月もかからず心をつぶされるのは、本当に本当にもったいないし、悲しい。
研究は1日休んだだけでも不安になるよね。怖いよね。わかる。まわりすごい人ばっかりだし成果も出してるし。異様なほどタフな人たちがいっぱいいるから。
でも、勇気を出して誰かをたよって。学生相談室でも、ほかの研究室の人でもいい(夜中でもたいてい誰かいるよね)。ブラック研究室ってあるから。いっぱいあるから、みんなそれわかってるから、多分話を聞いてくれると思う。もちろん自分の学外の知り合いでもいいから。あともしかしたらメールの窓口もあるかも。しんどい、だけでもいいから学内アドレスで送ってしまおう。
なるくんは岡山県のわりと裕福な家庭で育つ
祖父と父がネットで真実に目覚めてネトウヨになり「共産党がー!」としょっちゅう説いてくるので反動でなるくんは左翼気味だった
なるくんは安倍晋三を揶揄中傷する芸風でフォロワーが数百人ぐらいいた
ケンモメンであることを公言しており、嫌儲のスレをよくTwitterで紹介していた
なるくんが安倍晋三ネタにこだわるようになったのはモリカケ問題のせいなのか、そこらへんの時系列は不明
学生時代はドラクエに熱中し、嫌儲のチーム「(ヽ´ん`)」に所属
ネカマ姫プレイで貢がれまくり、RTMで転売し小遣いにしていた
ドラクエで稼げる、と不正行為をブログで自分から書くせいでBANされたりもしたが複垢でがんばっていた
しかし、2ちゃんねるでプレミアム会員の個人情報や書き込み内容が流出する騒動が起きる
なるくんの本名がバレ、また自作自演で「なるでシコった」「なるの話は面白い」と書いていたのがバレる
ショックを受けた(ヽ´ん`)リーダーがドラクエ引退、ドラクエ板でなる叩きスレが伸び(ヽ´ん`)も叩かれ瓦解
ドラクエスレだけでなく、なるくんは岡山理科大学のスレにも書き込んでいた
なるくんは本名でやっているTwitterを大学スレに貼り付け「みんな本名出し合っちゃおう」と呼びかけて「危険だよ」と言われるなどしていた
社会人になりお金に余裕ができたなるくんはダッチワイフを購入してレポ
なるくん名義で猥褻なネタをよくやりアンフェ活動を開始、ゲーム実況も行う
また本名で真面目なnoteを書き、顔写真も公開し、和服にハマり「和服男子」を自称した
そんななるくんだったが、暇空茜に出会った
当時の暇空は6億裁判に勝って富裕層入りし、「これ今日食った5万円の寿司。お前は一生こんなの食えないよなw」と寿司画像を貼り付けてまわっていた
暇空に頻繁にリプを飛ばし、仕事で鍛えた動画制作技術を売り込み、暇空と組んで動画をつくるようになった
暇空も動画制作はしていたが品質がいまいちで伸びず、またゆっくりなどの機械音声狩りが激しい時期だったのでBANされていた
新しくチャンネルを作れず困っていた時に、なるくんが変わりに作ってくれた
そしてシュナムルという男性フェミニストを叩く動画で初めてのバズ
youtube収益化を果たし、チャンネル共同運営者としてなるくんは多額の金を得られるようになった
一人では叶えられない夢も二人でならどうにかなる、そんな出会いがあるんだ
大学生の頃。コミュ障インキャキモオタの私は、就活というシステムで自分が勝てる気が全くしなかった。
適当に就活を終わらせ、決まったところはどブラックの営業。それでもなんとかやるしかないと思い、耐えて三年。心が壊れて退職。死のうと思ったが、どうせなら人生の最後に一発逆転でも狙うかぁと、唯一そこそこ得意だった勉強でなんとかするため公務員予備校に入った。
貯金を切り崩しひたすら勉強すること一年、勉強は好きだったので、筆記は全勝。
面接なんて無理。そう思っていたが、予備校とは親切なもので、面接練習をたくさん組んでくれていたので、
いやいやながら練習に通った。
だんだんとコツがわかってくると、なぜか楽しくなってきた。そうかぁ、何も本当の自分を曝け出す必要はないんだな。なりたい自分を、演じればいいんだ。
そう思うと、心が軽くなった。
ある時は頼れるリーダーを、ある時は縁の下の力持ちを。こうありたい自分をさも自分がした経験のように作って話して演じた。憧れの友達や会社の先輩の話をさも自分のことのように話して話して話しまくった。
こういうネタが好きなのね。
成程、このたぐいの嘘は簡単に人を騙せるんだ。
バカだなぁ、こいつら!こんな話作り話なのに。
限界まで作り話したらどこまで騙されてくれるだろう!
ここはこういう設定でいこう
こっちはこうだ
ここはこうしよう
なんなら全部嘘で固めてやろう
やった!次の選考に進んだってことは、嘘がバレなかったんだな!次は、もっと立場が上の人間を騙すことができるぞ!
面接を繰り返すたび、私は
人を騙す高揚感に心が躍り、全身が震えた。
なんでこんな面白いゲームを現役時代にやらなかったんだろうと心底後悔した。
もっと人を騙してみたい
もっと作り話をしてみたい
なんか10社ぐらい受けて、3つも4つも内定取るのが普通らしいな。しかも大手とか準大手とか。
自分の時なんて、40社、50社申し込むのが当たり前で、それでも準大手とか中堅から内定1つ取るのがやっとだった。
まぁネットでエントリーはできるようになっていたので、上の世代みたいに何十枚もハガキを書くことは無かったけど。
その上、入社直後のリーマンショックでボーナス取り消しとか、残業代の固定化とかもあったし、まだまだ長時間労働やパワハラも横行してた。20代でメンタル病んだ同級生や入社同期もたくさんいる。
ミソジニーでもなんでもないでしょ
社会的に男性がやっていたことを女性も負担するべきであるっていうだけの話
男女同権っていうのであれば権利に紐付く義務も実施するべきである。って言うのは当然の話
だから、韓国でも徴兵は男性だけだったしキャリアの断絶が起きるから就職に下駄履かせてたのに
それを女性差別であるっていって撤廃させた結果女性に対する徴兵も検討され始めている。
ミソジニー云々ではなく、男は権利に対する義務を求められるからやっていただけの話で女性も権利を求めるなら義務をおえってだけの話。
投稿者さんのように、早い段階で業界を去っていく人が多いのは残念ですが理解は出来ます。
建築設計をしたい人がゼネコンに入社してはいけません。ゼネコンは建設業です。
ゼネコンの設計部も有りますが、アレは設計施工するための部門。オマケと思って下さい。
ゼネコンは給料が良いし、企業規模も大きいので就職の際によく見えます。しかし建築設計を
したい人が欲しい訳では有りません。建築学科の学生としてゼネコンが求める人材は
『現場管理(現場監督)』です。設計の現場監理ではありません。
建築設計は仕事として、一人前になるまではしんどいです。しかし大分やりがいが有る部類だと思います。
まずは一級建築士を取得しましょう。その後は、転職の選択肢は幅広いですよ。
もうしんどいのはイヤな場合、役所に逃げ込む人もたくさん居ます。
ゼネコンに高給で転職も出来ますし、インフラ業界でもそこそこ求人有ります。
一級建築士が取れない人は知りませんw
1.不正は声を上げよう: 不正を見つけたら、泣き寝入りせずに告発するべきです。
自分のケースでは、労基に訴えて残業代を取り戻し、母校に後輩たちが同じ目に遭わないように働きかけました。
2.建設業の体質問題: 建設業界は昭和的な体質が残っており、パワハラや過酷な労働条件が常態化しています。
自分も全く違う職種に転職し成功しました。同級生の多くも建設業界を離れています。
就職活動では、会社や業界の実態をよく調べ、無理を感じたら転職も検討してください。飛び降りるような無理は絶対にしないでください。
ChatGPT最強!
もう30手前になるんだけど、就職関係の話を見るたびに俺の選択はどうだったんだろうと思うから書き下す。
ガキの頃から建築が好きで、通学路に新築の一軒家が建とうとしている現場があれば眺めていたり
当時は劇的ビフォーアフターが流行っていたのもあって小学生の頃から「一級建築士になる」
ことを将来の夢にしていた。ちょうど、中学の頃に叔母が新築を建てる際に建築家の先生に依頼することになり
仕事の様子をよく見せてもらっていた。また施工中の現場もよく見に行っていた。
この段階では将来はこの仕事をして飯を食うことになんの疑問も抱いていなかった。
まず、一級建築士を取るためにはその前の二級建築士を取らないといけないため、高専の建築科を卒業するのが最短ルートだった。
幸い、地元に高専もあったのでそのまま卒業し、地元ではないが県内の有名なゼネコンに入社することにした。
今思うと最初からどこか個人か組織系の設計事務所に行けばよかったが、そこのゼネコンは医者等の高所得者向けの注文住宅のシェアが非常に高かったのでいろんなことが出来そうというのが理由だった。
まあ入社して最初から希望配属ではなく、定型的に公共建築やショッピングセンター等の不特定多数が使用する施設or大規模建築の部署の現場監督のほうに回されて
現場を見てきてね!ってことになった(ここに関しては文句はない、現場を知らずに設計すると大体あとからツッコミが入るのはどこの業界でも共通だと思っている)。
現場は楽しかった。何もない所を重機で整備して、図面をもとに指示出しをして・・・などなど、大変なりに現場の職人達とコミュニケーションを取りつつ仕事をすることと
だけども、監督業というのは当然ながら現場を監督する役割のため、朝は誰よりも早く現場に来て鍵を開ける。パトロールをする。書類関係(役所に申請するものも非常に多い)。
工事写真を撮る、職人からの質問や要望に応じる等、朝から晩まで動き回るし、図面をみてアレコレ指示出しもするし身体も頭も結構使う仕事。
特に明日の準備なんて今日の現場が終わって職人が帰ってからじゃないと出来ない。
あと、工期の短縮=コスト削減のため土曜日は基本的に出勤(最近になって完全週休二日制の現場が増えてきたよね。職人からは不評だそうだけど)です。
施工に関しては施工要領書があり、当然それを満たすように作る必要がある。
そしてそれを確認するために工事写真を撮って、ちゃんとやってますよという証拠にする。
ただ、全箇所撮るのは人が足りなくて無理だったりするので写真を撮ったところ以外はテキトーだったり…。
コンクリートの養生後の圧縮強度が規定未満だったり、エトセトラ。
昨年話題になった大成の札幌の精度不良の件、あんなの表沙汰になっただけで偉いよマジで。
当然、監督業とはいえ1年目のペーペー、当然、現場代理人というこの世の神みたいな扱いの最高司令官が上司にいます。
基本その人から仕事をもらうというか、指示があって動くので上司次第で現場は変わります。
上司より早く出勤し掃除して上司より遅く帰るのが絶対。いつの時代?
割と学生時代からチクり魔で(嫌な奴)、これ以外にも沢山問題点はあったので都度会社にこれっておかしくない?
って相談しましたがいやいやそんなもんだよ。スタンダードだよってあしらわれて終わりでした。
まあ残業代も出なければ週休二日制ですって労働条件なのに毎週土曜日出勤して振替休日もなく
好きで選んだ仕事、自分で選んだ会社、こんなもんか~って思っていましたがあまりにも無理すぎて大体半年で体重が15kg落ち病んでその半年後に退職しました。
退職する時もモメにモメて散々暴言も吐かれたしコーヒーカップを投げつけられる(一応平成と令和の境目くらいの話です)なんてこともありましたが無事退職&転職しました。
さて、無事に退職出来たら段々と会社に対してムカついてきたので労基に行き申し立てをしました。
残業代未払いその他の労働基準法違反が疑われることに関して告発を行いました。
結果から言うと残業代は払われましたが、立ち入り検査があったとか、是正勧告があったとかは聞いていないです。
でも泣き寝入りせずに告発したことで、お金と残業代を払っていなかったことを認める書面を手に入れたので
それをもって母校に行き「今後かわいい後輩たちをこんな会社に入れないでくれ。就職斡旋するな」と言いました。
これは受け入れられたようで後輩たちが入ったという話は聞いていないです。被害者が増えなくて良かった。
ダメ元でも不正に関して窓口があるならとりあえず行くべきだと思います。
そしてニート期間を挟まず再就職をしました。子供の頃からの夢はここで終わり、縁もゆかりもない地方の縁もゆかりもない職種に就くことにしました。
別会社の同じような職種やそれこそ設計職に就けばよかったかもしれませんが、業界に対して絶望していたので全然違う職にしました。
転職後はマテハン業界に入りました。全然畑は違うものの、もともと趣味でバイクに乗ってイジっていたこともあり
工具はわかるし、建築を専攻していたので図面もなんとなく読める(公差は未だにわからない)。
PLCも元々興味はあったので軽く勉強して少し修正するくらいならできるようになったり、
最近は文系職種から「手に職つけたい」とこの業界に来て右も左もわからない状態で辞めていく人間も少なくないので
最初からある程度なんとかなると踏めば知らない業界でも飛び込んで努力すればいいと思う。
盆やら正月やら帰省して、たまに同級生と会って飲んで近況報告をすると驚きの事態が起こっていました。
「建築科卒業同期約30名のうち、約1/3は建築・建設業界を辞めている」
最初から建築業界を選んでいない人間も確かにいます(女子とか、テキトーな地元の携帯ショップとかに就職してそのまま結婚したやつ)。
少なくとも27人ほどは何かしらの建築・建設業(ゼネコン、サブコン、役所、設計事務所、大学出てコンサル等の建築にかかわりのある仕事)をしていました。
早い人間でやはり1年ほどで辞める(俺)か3年ほどで辞めるパターンが聞いてみると多い。
話を聞いた当時社会人5年目、同期で建設業に残っていた人間はなんと「8人」だけでした。
・建設業に残っている奴
自身の事を建築の奴隷だと自称して設計事務所に就職後、大学に戻って学び直している奴。
上司から怒られていてもプロテインシェイカーを振るくらい神経が図太い奴。
・辞めた奴
ゼネコン入社後1年でパワハラを苦に飛び降り自殺をした奴(幸い助かっている)。
会社で被災し(労災案件)、もみ消されて大暴れしクビになった奴(ニュースにもなってない。地方のデカい会社は怖いね)。
病んだ奴多数
それ以外にも業界はそのままだけど転職を繰り返している奴、休職中の奴、転職を考えている奴とかはいる。
地方で就職した連中だけでなく首都圏で就職した人間も同じ悩みを抱えている。
会社に対して何か指摘しても会社側は「好き・憧れてこの業界に入ったのに何言ってんの?」ってスタンス。
ただ当然、最近は世間の目があるのでデカい会社から変わりつつあるそうだが…根本的には変わらないだろうのが同級生たちとの共通認識。
建設業の人間はどこの会社も奴隷労働、お金が出るかどうかは会社次第。
ワーカホリックが生き残っている。寝ても覚めても建築一辺倒の人間かONOFFのスイッチがかなり明確な人間。
好きなことをして稼げているならいいじゃんって話ではなく、必要な労働をした結果の対価を求めているだけなんだけどな。
現在、就職活動をしている人たちは社内の事情や業界についてはよくわからないはずので
実際にその会社に就職している先輩に聞く、ネットで情報を集める(バイアスがキツいと思うけど)は当然必須。
ただ本当に覚悟してほしいのは、まだまだ昭和体質が抜けていない時代錯誤な業界だということ。そしてそれは地方に行けば行くほど
目も当てられないくらいヒドいということ。
ちなみに転職後、都内で某オレンジ色の●林組と1年ほど仕事をしたときに思ったのは
タブレットを使っているとか電子化・スマート化が進んでいるだけで書類関係やらは却って数は多いし品質面はうるさいし
現場事務所が24時間灯りがついている(と警備が言ってた)らしいからあんまり変わらないかもね。
最終的に就職に関しては他の皆は応援するだけで責任は自分で取るしかないから。
なるべく良いところを探して就職できるように頑張ってください。
そしてもしそこでダメだと思ってもなるべく悲観せずに転職してください。
飛び降りるような真似はやめてね。
自分語りのほうが長くなったけど以上です。
業界の先輩が書かれていましたが「楽しい」のは確かにそうです。現場も楽しかったこと、良い思い出は沢山ありました。
ネガティブ面ばかり書いてしまいましたけどね。これもモノづくりの一端なので好きな人はハマるとおもいます。
設計志望でもいざやってみたら現場もいいな!って思ったくらいなので。
でも、好きでもこれは許せないって出来事が積み重なり、ラインを超えたら…。
あとキャリア形成間違えたんじゃないって話。確かに。大学院までいけばもっとやりたいことも出来たよなあ。
自分のキャリアが高専卒というマイナーな存在なので参考になるのか?と言われれば微妙なところですが
就活生には少しでも自分に合った会社を見つけてほしいと願うばかりです。
平均年齢32歳の前の会社で50歳が数えるくらいしかいない所にいた50歳子持ちパート喫煙おばさん(子どもは就職せず家に入り浸っていてその世話に苦労している)、痛かった。
基本見た目は温厚そうに対応してたけど自分より後に入ってきた人や社内で浮いてる人には他の陰湿な若者に混じってチクチク言葉で攻撃・いつも愚痴ばっか、同じ部署で頑張って作業している人間が評価されると「あなたがいなくなった後も同じレベルを求められると困るから頑張らなくていい」と言われる・お腹が空いている時とタバコ吸いに行く前に話しかけると理不尽にいらついてる
という痛さだった。
おばさんばっかりの職場も嫌だったけど、若者の中に混じって愚痴愚痴いって同化できてると思ってるおばさんが実権握ってる職場も気持ち悪かったな。