はてなキーワード: 家族観とは
・ありがちな男性主人公をケアしてあげる都合よく親身な女性キャラはこの作品にはひとりもでてきません
・『ドラえもん』ではロボットのドラえもんがのび太に秘密道具を与えるばかりでケアをするという要素はあまりない
・自傷的な男を主に女性のケアで救うというのも、いい加減そこから完全に脱却した話にしてもいい
一方で男のケアに次のように断言している。
「『イニシェリン島の精霊』は男同士はケアできないという事実を無慈悲に描いています。」
・女の子たちを題材にした日本のアニメは、表象として理想化がいきすぎなことがままあり、“女の子”化」による消費がおおい。
・AIやロボットのジェンダーバイアスが問題視されておりこの女性差別がことさら酷い日本でも頻繁に批判が起きている
・日本のアニメ界隈の女子高校生依存は早急に大いに反省すべき点
・宮崎駿もふくめて日本の中高年男性クリエイターにありがちな記号的な描写にとどまり、問題意識のアップデートもなされていな
・中国や日本など東アジア圏のアニメ・ゲーム系コンテンツは白人至上主義
・「普通の家族こそあるべき姿である」という、なかなかに保守的な家庭理想論の強化になっている
・『新世紀エヴァンゲリオン』も映画版『進撃の巨人』も正直あまり好きじゃないとのこと
・日本のアニメ文化の問題点を踏まえてもっと自己批判的な要素は入れるべき
・「親は子どもを幸せにできるんだ」といい、保守的な家庭観がこぼれでている
・多様なシルエットを持つ男性キャラと比べて、女性キャラは単調な丸みのデザインばかり
・世間で人気の女性アンドロイド系の作品とそのファン層へのチクリとした居心地悪さを与える
・暗黒の軍団を従属させる元メイドの魔女…ってなんか日本のアニメにありそうな設定盛り盛
・昨今の日本作品は「公安」などを社会治安を守る人間としてカッコよく描く傾向がチラホラ見られる
・「公安」がやたらとかっこよく描かれがちで作り手の無頓着な権力美化がある
・日本だったら「どっちもどっち」「双方とも過激なことはダメだよ~」といういかにも知ったかぶりな中立風情の論調
・中立なんて言ってられない。だからといって今の政権のように増税してまでも防衛費をやたらと増やしまくりたいという姿勢を支持できるわけでもない
・「右も左も関係ない」とか「レッテルを貼られてもいい」とか、そんな聞こえのいい中立的言動を得意げに振りかざしている者はいないか。私もあなたもみんな差別主義者には簡単になれるのですから。
・「自分は中立だ」などという冷笑主義が加わるともう手が付けられない
・地球環境問題に対して否定派の人たちの主軸にあるのは「論破カルチャー」であり、完全な「冷笑主義」
・「リベラル・中立を気取る人」が無意識的にやってしまいがちな「偏見・差別」
・「女性は王子様を見つけて救われる」というシンデレラ・ストーリーの呪い
[B! LGBT] 首相、同性婚に否定的な考え 「社会が変わってしまう」 | 共同通信
岸田文雄首相は1日の衆院予算委で、同性婚の法制化に関し「極めて慎重に検討すべき課題だ」と述べ、否定的な考えを改めて示した。
この発言、簡単に解決できる問題じゃねーから即答できねーよ、という意味だと思っていたのだが、はてブ、というかリベラル層では「岸田政権は同性婚に反対!!!」と盛り上がっている
岸田が本当に同性婚の法制化に否定的なのかはわからないが、とにかく盛り上がったおかげで法制化へチャンスは出来た
ただ現時点ではガードが少し緩んだ程度なので、いつも通り「自民はクソ!!!支持者もクソ!!!」のへなちょこパンチを連打しているだけでは試合時間が終了してしまう(他に議論が必要な課題が出てきてしまう)
自分が立憲に求めるのは「こうしたら早期実現できるのですが、何故しないのですか?」という具体的な提案だ
実際のところ、Twitterやはてブを見る感じでは簡単には法整備は出来なさそうである
だが、立憲はずっと前から同性婚の法整備に関して動いている。きっとこれらの問題も解消した案を出してきてくれるだろう
2019年6月3日 婚姻平等法案を提出しました | 活動報告ブログ
泉代表らが結婚の平等を求める要望書を受領、Marriage For All Japanと懇談 - 立憲民主党
と思ったらコレ。
[B! 立憲民主党] 「プーチン氏の方がまし」立憲・西村智奈美氏、同性婚巡る首相答弁に | 毎日新聞
なにしてんの?
パンチ打たずに背中向けて観客にアピールしているレベルの酷さ。
もし岸田が「反対」と即断していたらヨシ! としたのか? そして何故プーチンを例に出した?
この例えがOKなら麻生の「ナチスの手口に学べ(たとえ話)」で大炎上したのは何だったのか?
さらに、立憲がtwitterで西村の選択的夫婦別姓・同性婚の質問をまとめているのだが、こっちはもっと酷い
https://twitter.com/cdp_kokkai/status/1620719477779496960
はてサみたいなこと言ってる…
プーチン発言の切り抜き以外を見たら旧統一教会との関係性追及がメインで、選択的夫婦別姓・同性婚の成立に向けた具体策が出ないとは思わないだろ…
立憲は本気で同性婚の問題を解消しようとしているのか? 単に自民を殴るためのこん棒として使っていないか?
今からでも遅くないので、立憲には過去に提出した婚姻平等法案を元に話を広げたり、再提出して盛り上げたりしてほしいのだが…
「すぐに更迭すべきだ」荒井総理秘書官の同性婚に関する発言に泉代表 - 立憲民主党
週明けの国会でこの件について立憲民主党がどのように追及するかと問われると、「当然週明けまでに更迭をするということを前提としたいと思いますし、そしてあらためて『多様性だ』『包摂だ』『認め合い』というのであれば、総理に同性婚と夫婦別性についてあらためて問わねばならない」と述べました。
おわりです。おわり
数日前、およそ千人以上が岸田総理の発言をバッシングしたよね?
で、どうするの?
岸田総理にごめんなさいできるの?
いやこれは違ってて、皆が言ってたのは岸田総理は変化自体を恐れてるんじゃないの?
匿名の論者たちの説得によって、ついにコメント欄の多くが考えを改めたようだ。
同性婚と近親婚の擁護の理屈は、論理的に同じだった。現在は同性婚賛成が人気で近親婚はあまり考えられてないだけで、本質的には同じ理屈で擁護できるのだ。
そして、結婚制度はどこにラインを決めようとそもそも差別を孕んでるので結婚制度解体 があるべき姿だと。
数日前、およそ千人以上が岸田総理の発言をバッシングしたよね?
で、どうするの?
岸田総理にごめんなさいできるの?
ボクたちはちゃんと考えてませんでしたって謝れるかな〜?
そもそも結婚って、親愛的な情から性的な営みから出産、育児、家事、経済活動や法的な契約手続きから親戚づきあいから親の介護まで
今の日本だとまるっとセットになったパッケージ契約しかできないのがそもそも時代遅れだと思う。
これらの項目をそれぞれ個別にパートナーを決められるマルチパートナーシップ制度があると良いと思う。
少し話が逸れるが、今の日本って育児や介護などが各家庭内での努力義務が最優先にされてるのが社会の歪みを生み出している要因な気がする。
もう「家庭内で処理してね」はやめて、育児や介護の専門機関をもっと手厚くしよう。(もちろん専門家の給与はその分恵まれるべき)
https://www.sankei.com/article/20230204-MMIPNDUGAFIKJBR5O6DBOXLXEA/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20230204-MMIPNDUGAFIKJBR5O6DBOXLXEA/
私が「弱者男性や無職男性は見るのも嫌だ。私の周りの人もみんな嫌いだ。彼らのせいで日本を捨てる人もいる。でも人権はあるよ」と言っても差別だと感じないなら、一応筋は通っている。
この発言に感動した
これを受けての返しなんだけど
これを言うって事は「そういった発言は差別的である」と認識してるわけだものな
界隈がいつもやる、「国連や裁判で差別と認定されてから出直せ」、「俺の偏見は良い偏見」じゃないってすごい前進だよね
発言者は筋が通った正義の人なのだと思うんだけど、カウンターとして置かれたからか★がついていて
やっぱみんな「差別」だと思ってたんだなぁ
あとさ、これ記事とは関係ないけど同性婚絡みの話だから書くんだけど
同性婚でも「養子」や「代理出産」、「精子提供」で子供は持てる、みたいな話がカウンターで置かれる事多いんだよね
小梨異性婚と変わらないじゃないかという話をしたいんだろうけどさ
そういう事を「同性婚認めたら、家族観が変わる」を叩く口で言うわけよ
ゾッとするよね
その口が「お綺麗な理想」を語るのよ
もうさ、そこまで行ったら、「家族観」に囚われて、同性婚に固執するよりもさ
旧来の血と家を前提とした結婚なんて捨てちまえって思うんだけどな
ただ言いたいのは、同性婚に賛成するのであれば「私は現代日本ではこういう家族の形であるべきだ」というような一つの家族観を社会に強要する主張だということを自覚した上で活動すべきだと思う。
同性婚の賛成派は、ともすれば「同性婚賛成は倫理的優越した思想であり、自然に考えれば賛成するのが当然」だとか、「好き合っている者同士が結婚するだけなのだから他人が反対する理由がない」だとか主張しがち。
これは、主張じゃなくて事実がそうなの。
同性婚は、近親婚や多妻婚どころか、普通の異性婚と比べても優越した婚姻形態だといえる。
異性婚は妊娠を伴う非対称的な性暴力や、子孫を残したいという脇に逸れた目的を果たすためだけの婚姻が、高い確率で発生する。
それに対し、同性婚は社会学でいう「純粋な親密性」に相当し、生殖と完全に切り離された純粋の愛情だけで結ばれた形になる。
同性婚における性暴力は無視できるレベルだし、正しさを本当に徹底するなら、異性婚が廃止で同性婚だけを法律で認める状況ですらも考えられる。
今回の件で明らかになったのは、婚姻制度はどんな形のものであれ内在的に差別を含むということだろうね。
同性婚、近親婚、多夫多妻、どの制度にしても「婚姻はこういうもの」「家族はこうあるべき」という一つの思想、家族観でしかない。
同性婚の賛成派は、ともすれば「同性婚賛成は倫理的優越した思想であり、自然に考えれば賛成するのが当然」だとか、「好き合っている者同士が結婚するだけなのだから他人が反対する理由がない」だとか主張しがち。
でも同性婚も近親婚も多夫多妻も、一つの家族制度を社会に強要する行為である以上、上記の主張には妥当性がないと言える。
ただ言いたいのは、同性婚に賛成するのであれば「私は現代日本ではこういう家族の形であるべきだ」というような一つの家族観を社会に強要する主張だということを自覚した上で活動すべきだと思う。
それを自覚しない主張や活動は無用な反発の原因となる。リベラルやポリコレが嫌われる理由の一つでもあると思う。
公開当初、劇場で見て細田守を見限った作品(大好きな監督からサマウォ以前が好きな監督へ)。でもおかげで未来のミライをフラットに受け流すことができた恩人(恩作?)でもある。そのバケモノの子を7年ぶりぐらいに見ることにした。もちろん酷評となるが、さんざ言われている人間界不要や監督の家族観とかとは違う部分を書こうかと思う。
改めて見た率直な感想がこれだった。
OPのCG、でいいのかな。炎のシルエットで描かれる演舞はとても素晴らしくて、後を知ってる2回目視聴ですら否が応でも期待が高まる。カンフー映画のようなケレン味のあるアクションが味わえるのでは、と。
しかし今作の大きな格闘と言えば鍛錬を除けば序盤と終盤の熊(熊徹)と猪(猪王山)(面倒なので略す)の2回のケンカぐらいだ。そして悲しいかな、これが見ていてさほど面白くない。二人の戦いは剣術はもとより、相撲や闘牛やボクシングといったようなもののオマージュのような動きが散見される。これが良くなかった。自分としては当初これら齧ったようなエッセンスの動きは小手調べだと思っていたのだが、実はまっとうな戦いの組み立ての範疇だったように思える。それの何が悪いって、二人に軸がなくなってしまったことになる。
古典カンフー映画のようなアクションを期待していた身としては、やはり「流派」は大事だったと思う。違う流派あるいは同じ流派の者が対峙して技を競う。それぞれの特徴的な動きの差異が画面に映えるのだ。それこそスターウォーズだってやってる。バケモノの子だと(恐らく)正統派の武術を扱う猪と、師匠も居ない独学の熊との対決で、実に映えやすい。ところがそういうのは確かに所作に現れているものの、お互いあちこちからちょいちょいとつまみ食いした動きにしてしまったためにもう、流派のぶつかりもなにもない「ただのケンカ」になってしまった。もっと言えば観客が居るせいで「興行的スポーツ」。年末格闘技かのようなエンタメになってしまった。「バケモノ」の活かし方が体当たりなのもマイナスだ。
長年練り上げた鍛錬を披露する、思わず唸るような動きではないせいでもちろんナイスバトルも生まれない。
どちらが勝つかわからない。であるとか、敗者をも称える歓声が起きる決着。なんてものは生じるわけがなかった。次期宗師を決める神聖(かはわからないけど)な戦いがリスペクトも生まれない野次馬がたくさんいるケンカに堕ちていたのは残念でならない。
(負けた猪も勝者並に称えられていたら息子も闇落ちしなかったりそれでも闇に落ちる姿が強調できたりしたかもしれない)
九太の応援が余裕で10カウント超えている賛否多そうなシーンもルールが最重要な興行ではなく宗師を決める心も重要な要素の杓子定規でない神事として見ていたので許せたが、その後顔アップで剣を振り回すとかガッカリ。
その主人公の九太なんかも悲惨で、やはり修行以外ではまともに動かない。成長後の図書館のシーンで不良相手に鮮やかに立ち回るかと思いきや、得意の横長のレイアウトのパンを使いつつなんと画面外で音だけでボコるという手抜き。団子ラリーは好きだけどそれぐらいか。バケモノ界は闘争の世界ではないし、武術を習った主人公が人間をボコるのもよくないのは分かる。ただ素直に成長後九太で気持ちよくなれるシーンが欲しかったな。
直近の過去2作だけみてもキングカズマのOZ内移動含めた格闘やおおかみこどもの躍動感ある動きとかセンスは落ちてないはずなんだけどどうしてこうなったのかなあと不思議に感じる。
(剣が震えるところとかは好き)
熊の家を斜め上から見た図と家までの階段の坂道、あとは修行場の廃墟っぽいところ?バケモノの子はだいたいこのイメージ。あと市場か。
渋天街という異世界に居るのに街全体の引きの絵とかがほぼ無いからせまっ苦しい。ワクワクしない。主人公も視聴者も異邦人なんだから、街をそれとなく見せて欲しかった。たとえば熊とケンカして街中をバルクールじみて走り回る追走劇とかはどうだろうか。アラジンの冒頭みたいな感じで。坂の上下を生かすならコクリコ坂もよく時代の雰囲気を醸すことができていたと思う。
バケモノの子はとにかく「今どこに居るのか」がわかりにくい。賢者歴訪のシーンは渋天街に必要だった賢者の住む街の全景が描かれるが、それぞれ1秒未満ぐらいの一瞬しか映らない。振り返ってどんな場所に行ったかと思い出そうとしても難しい。結局思い出としては賢者の対面シーンと道中が繰り返される狭い印象になる。
絵作りができていないわけではなくて引きの絵も多くて背景もモブも全員書き分けるなど緻密なのだが、画面ごとにどうにもキャラクターが支配的で背景が薄味。乾燥地帯イメージな砂色なのがそう感じさせるのかもしれない。逆に夜や昼夜の境目などの暗さと光は非常に美しくて心に残る。
今作は「時空」の時間を重視しているのかと思う。九太の成長自体がそれでテーマだし、同じ場面で季節が流れるシーンや同じ場所が繰り返されるのも時間の流れが見て取れるので効果的だ。あるいはその犠牲で空間が少々ワリを食った形になったのかもしれない。
(季節が流れるシーンやミライの家の書き方は好きなので時間や密室劇的方面が悪いのではなくバランスかなぁと)
バケモノ界はたぶん全体的に武芸を修めることに重きを置かれると思う。そして武芸の強さが絶対の指標じゃなくて弟子を取るとかも重視されてる。熊ですら過去に弟子を取ろうとしたことがある。つまり剣術は人口が多そうだけど学ぶのは剣術の裏にある精神性とかかと。それで九太は賢者の話を聞いて強いっていろんな意味があるんだなと理解したわけ。じゃあ数ある強さの中で熊と同じ道で強さを歩むことを自覚的に選択しなくちゃならん。
当初の九太は選択の余地がなかった。家族を失って一人で逃げ出して置いておいてもらえそうなのが剣術家の熊んところだったわけだ。そこから8年過ごすわけだけど8年後の九太は人間界に重点されてバケモノ界のシーンがすくなるなる。だから8年間かけて(腕っ節以外に)身につけたものがあまり描写されず、思春期や父親周りの不安定さがフォーカスされていってしまう。九太の成長は物語の最後の最後に持ってくる必要があるのはわかっている。でも8年も経ったんだから自主的な強さの理解をお出ししないと漫然と表面だけ模倣していたことになってしまう。それも家庭内で父の真似をする子が似てきたっていうつっまんない閉じた話になっちゃう。
同じく家族を失って別の家庭に入り込む「三月のライオン」では主人公は明確に「将棋が好き」と嘘をつき、契約をして将棋で強くなり続ける代償を払ってきた。そんな主人公も将棋と向き合い続けてやっぱり将棋が好きで自分の意思で将棋の世界に居ることを選択する。成長には同じことをするでも「そうせざるを得なかった」という消極的選択から「それでもしたい」と一歩進む必要がある。
九太にそういった前進要素がないのは必然だ。だって最後は熊を「胸の中の剣」にする必要があるから。上手な二人の父子なら8年の中で教えることができただろうけどお互い不器用な二人ではそれができなかったんだろう。感動のラストのために。九太は親近感がわく普通の青年に成長した。心は普通程度にしかならなかった。武芸を通して技と体は鍛えられたが心の強さは(幼少期の気の強さの引きつぎはあるが)あまり感じなかった。物語の最後には九太は剣を置くことが語られている。胸の中の剣を手に入れて現実の剣を置くのは修めた感がある。最強の剣士が無手となりにゃむにゃむするかのように剣を置くなら悟り・理解を経てするが映えるというもの。でも九太はそんなに到達点に達してないし人間的にも彼女や熊の支えがあってようやくここからって印象の方が強い。そんな彼が剣を置いたってただバケモノ界から人間界に戻ったって記号でしかなかった。
センスが良くていい旅もさせてもらっていい教師も反面教師も居るなかで8年過ごして出来上がったのがただの思春期の不安定な青年って…。すこしも「強さとは」が染み入ってないのが残念なキャラだった。
なんなら熊とそれを見つける物語でもよかったけれど、最後は信頼・絆一辺倒で「父と子」をやっちゃったね。
尺不足…かなあと。もっとバケモノ界やアクションや九太の成長を描いて欲しかった気持ちがとても強い。そして何のせいで尺不足だというと人間界パートになっちゃう。結局、不人気の人間界パート不要論に収束する。ヒロインの楓は細田ヒロインの中でもとても好きなキャラなのだが…。
そんな感じで当時細田にはガッカリしたわけだけど宣伝だけみるとそばかす姫はそこそこドハデで楽しめそうな映画っぽいんだよね。受け流したとは言ってもミライのダメージもそこそこあってまだ見る気が起きないんだけど、評判はいいみたいだし。(変わらない悪い点もあるみたいだけど)
脚本雇えと一言で談じると楽だけどこうやって書いてみて自分がオタクすぎる気もする。ポストジブリなファミリー向けならちょっとクセがあるけどこんなもんなのかな。これが細田監督の味だとも思うから今後の作品も賛否が大量に出つつも売れて行くんだろうね。
金ローを録画しておきながらプライムビデオで見るのが最近のパティーン
細田監督はここ何回かの「家族観が合わねえな」って感想が重なったせいで全然期待してなかったんだけど、竜そばは主人公とその周りの関係が家族じゃなかったので良かった
そこだけを評価軸にしてる訳じゃないけど、とりあえずそれがラストに絡まなかったので気にならなかった
話は良くあるというか色々な過去作のつまみ食い。これはわざわざ語るほどでもないくらい知られた事だろう
主人公がクラスで炎上した時がイメージとしてボードゲームが描写されてたのがボドゲ好きとしては嬉しかった。ラストのその後が再炎上だったのかは知らない
主人公たちの声の演技に関してはまあしゃあない
忍のあご上げて話すザ・イケメン!って感じのしぐさはやっぱ慣れない
anond:20220924123746 の続き。
前回は嗜好面の特徴を書いたが、ポリティカル的な特徴も書いておこう。なおサンプルは二けた以上とだけ言っておく。
Z世代は何かをやろうとしている人を上に見る傾向がある。綺麗事や机上の空論は好まず、とにかくアクションとファクトを求める。逆にやろうとしている人に対して強く非難する人を嫌う。Z世代が左派野党を嫌う理由の本質はここにある。「口しか出さない人」を嫌うのだ。大人になる前からハラスメント教育をあちこちで受けていて、「面前で人を批判する」ことは内容にかかわらず悪であると刷り込まれているのも大きい。
これはよく言われる特徴である。オウム事件などをリアルタイムで見ていないのもあるが、意外とZ世代の周辺にカルト2世の同級生が居たりする。彼らは無理に勧誘して来ずに普通に過ごしているので拒否感を覚える機会がないのである。
上記2点の特徴が合わさったものである。従前から某カルト系(統一教会ではない)が強い学校部活動のジャンルがあるが、Z世代の同部活動経験者の大半はその学校や団体、および所属メンバーを崇拝している。「カルト宗教の広告塔であるから何?素晴らしい成果を見せれば問題ないじゃないか」という考えなのだ。
増田もそのジャンル出身の人だが、ここ数年、沢山のZ世代の人から「某カルトを批判する人達がうざい。直接被害食らっているのならまだしも、そうでない人がうるさく言うな」という類のフレーズを聞いている。直接被害を受けていないのなら、という但し書きがZ世代の考え方の特徴を表しているともいえる。
もちろん統一教会に対しても批判的ではない。それどころか「教団の人がマスコミや氷河期世代以上のおっさん達に叩かれて可哀想」と言っている人がそれなりにいる。
仮に統一教会がこの部活動ジャンルに手を出して来たら、一気に統一教会崇拝が起きる可能性すらあるのだ。既にニュートラルではなく同情的なポジションに居るし、ちょっとお金かけて全国レベルの団体を作れば・・・
前者はメディアでも報じられている傾向であるが、その結果後者の考え方が増えている。30代と比べたら3割くらい多いだろうか。キャリア志向が弱いので、キャリアを捨てて専業主婦になる事に対する拒絶感が無いのだ。しかも「お金持ち捕まえて専業主婦ライフ満喫♪」というお花畑志向ではなく、「つつましく暮らして子供育てよう」くらいの現実的志向である。統一教会と日本会議が望む家族観が既にZ世代の中に浸透しているのである。ちなみに近年、20代中盤の出生率が僅かながら回復傾向にあるが、この結果だろう。
次の世代に期待しよう。
一部とは言ったけど、はてなでは大半と言っても良いかもしれない。
夫婦別姓関係のブコメとか見てるとだいたい上位コメは「保守ガー」「家父長制ガー」みたいなコメで埋まっているけど、こういう風にまともな議論を避け、自分と意見の異なる相手に対して何か「時代錯誤で邪悪な存在」というレッテルを貼ることで主張をキャンセルしようとする姿は心底醜悪で邪悪に見えるわ。
最近は、統一教会の話題を引っ張って「壺ガー」とか盛り上がっていて、本当に目に余る。
この前の自民の意向が現れた設問内容で問題になった世論調査は論外にしても、夫婦別姓の賛成者はだいたい六割いくかいかないか、かなり賛同者多めの調査結果でも7割、逆に低めだと4割くらいだよ。
そんな中でじゃあすぐに保守がどうとか言い出す人達は、残り4割程度の人々は皆、自民党保守派のような旧態依然とした価値観や思想を持ち、あるいは何かよからぬ宗教と繋がっているかもしれないと本気で思っているの?
子供の苗字問題とか夫婦別姓のデメリットなんてググれば即座に出てくるレベルだが、それらを重視して反対している人々は「異様な家族観を押し付けてくるクズ共」と扱って良いって風に考えているの?
適当に今のはてブの人気記事にあった夫婦別姓関係の記事の上位コメから引っ張ってきたけど
統一教会問題がこれだけ騒ぎになったので、夫婦別姓などのリベラルな制度を進めやすい環境になったといえるのでは。ヘタに反対すると統一教会関係者と思われそうだし
統一教会騒動を利用して夫婦別姓反対派の口を塞ぐことができるじゃん! と堂々と言っているわけだ。
(一応、俺個人の立場を明示しておくと、そもそも別姓・同姓どちらもメリット・デメリットあって必ずどちらかだけが正しいと言えるモノでもないし、賛成者が多いなら政府はそれに合わせるべきなんじゃない? くらいには思っている。ただ俺個人として別姓制度は嫌だなと思っているし、少数派だからって反対の声をあげることは悪いことだとは思っていない)
※追記
はてブの方を見ていたら、昨夜書いた自分の増田が人気記事に出ていて驚いた。
ただ、それよりも驚いたのは
そんな中でじゃあすぐに保守がどうとか言い出す人達は、残り4割程度の人々は皆、自民党保守派のような旧態依然とした価値観や思想を持ち、あるいは何かよからぬ宗教と繋がっているかもしれないと本気で思っているの?
子供の苗字問題とか夫婦別姓のデメリットなんてググれば即座に出てくるレベルだが、それらを重視して反対している人々は「異様な家族観を押し付けてくるクズ共」と扱って良いって風に考えているの?
という俺の問いに対して、直接言葉にしなくても「そうだよ、世の中には少なくない数の夫婦別姓反対論者がいるけど、そいつらは皆、歪な価値観を持つクズ共だよ」と堂々と肯定するようなコメを残している人が少なくない数いて、なんかもう自分とは感覚が違い過ぎてビビったわ。
うんまあ、そこまで真っ向から言われると「それはもう認識の違いだよね」以上のことは言えないや。
俺は全く賛同しないし、一般的な価値観を持ったフツーの夫婦別姓反対論者はいくらでもいると思うけど。
あと、今回の俺の言いたかったことは『夫婦別姓の賛否』より『議論に対する誠実性』の話なので、その観点でブコメに対して気になった点で
inmysoul 選択制って言ってるんだから好きにすりゃいいんだよ。何で「俺が反対だから全国民同姓にしろ」って思うのかが謎なだけ。君は同姓にできるんだよ。
この手の「選択制だから良いだろ」って意見は間違ってはいないけど、手放しに賛同して良い意見ではないと思う。
「貴方に強制するわけではないんだから良いだろう」という理屈を肯定するならば、ブコメにもあるがまず近いところで当然、重婚はアリになるだろう。
(近親婚もという意見もあったが子供の遺伝的リスクを考えると、これは生まれてくる子供の権利の問題になってくるので、ちょっと違う話題に思う)
名前の自己決定権の話なら、変更の自由とか使用文字の自由も国に制限されず、「その名前を使うのは貴方ではなく私なんだから黙っていろ」が成立し得るか?
あるいは、自己決定権を国に侵されるべきではないという考えをより広範な社会分野に当てはめれば、例えば、「俺は障害になったら野垂れ死ぬから、私の社会保障費を障碍者福祉に使わせない」みたいな自己決定の尊重も十分、延長線上として考えられるようになってくると思う。
まあ、程度による線引きもあるし一足飛びにそこまでいかなくても良いかもしれないが、ただそれでも「選択制だから良いだろ」という考えはあらゆる社会分野に関してかなり覚悟のいるラディカルな自由主義方向に舵を切る思想だということの自覚は必要になる主張だよ。
そういう覚悟が決まってる人が「選択制だから良いだろ」って主張するのは(賛否は別として)主張としては完全に正当だと思うけどさ。
ただ、とてもそんな覚悟があるようには見えず、夫婦別姓反対論者の反論をかわすためだけに軽々しく「選択制だから良いだろ」って言うのは、議論における主張としてはどう考えても不誠実だよ。
そして、ブコメにはそうとしか見えない人がたくさんいた(中には本物の覚悟ある自由主義者も見受けられたが)。
社会制度というマクロ目線での影響などについても考慮した上で、やはり夫婦別姓で問題ないという主張するなら全然問題ないんだが、選択制の三文字でゴリ押すのは(覚悟ある自由主義者でない限りは)馬鹿か卑怯者のやり方。
2000年に除名処分を受けて破門されてるのよね
そして2001年に日本キリスト教婦人矯風会が世界女子キリスト教節制会(WWCTU)の世界大会へ参加しないことを表明して完全に関係が絶たれた
世界女子キリスト教節制会の正統な日本支部は「日本クリスチャン女性禁酒同盟(矯風会JWCTU)」であって日本キリスト教婦人矯風会ではない
つまり「矯風会」を名乗る団体が2つあるので単に「矯風会」と表記表現すると誤認する可能性があるので注意されたし
どういうことなのかと言えば、本家本元の世界女子キリスト教節制会から見れば現在の日本キリスト教婦人矯風会は異端であるということ
ただし世界女子キリスト教節制会の教義は一般的な日本人から見ると過激なので日本に合わせてローカライズしようとした日本キリスト教婦人矯風会の気持ちもわからなくはない
ちなみに源流であった世界女子キリスト教節制会自体がキリスト教の保守的な思想をもとに成立しているので「正しい結婚観」や「正しい家族観」を持っているから、この辺りのことをフェミニズムやジェンダーフリーなどを訴える日本キリスト教婦人矯風会へ問えば、Twitterなどで活動するフェミニストな人々は色んな意味で驚くと思うよ
ほぼ間違いなく日本キリスト教婦人矯風会を支持できなくなるんじゃないかな