はてなキーワード: 宮沢賢治とは
さすがに貼るのはアレだからヤフオクでマニアックな商品を見つけてその名前で検索してみてくれ
市販されてない戦前とかの中古の掘り出し物っぽいやつ、商材がマニアックであればマニアックであるほどまともな競合サイトがおらず、ダミーサイトが見つかりやすい
FAXなのに携帯番号とか載ってるし、そもそも電話番号として成立してなかったりする
例えば「当時物 宮沢賢治 春と修羅 初版」とか。これと全く同名タイトルでヤフオク以外の該当サイトがそれに当たる
これも元が高額なのに大幅割引されてる
本当に悪質な詐欺
追記:どうも会社名は既存のものだが、元ネタとして使っている会社とは住所が別だ。地域が違えば別の会社として認識されるので勝手に使われているとも言いづらい
どこまでも狡猾な作りになってる
明治から昭和初期にかけての文学では、科学はもっと神秘的で哲学的なものとして描かれていたと思う。宮沢賢治とか。
戦後の復興を経て日本人が巨大ロボットに憧れるようになったのは、やっぱり巨大な工場と巨大な機械が日本の発展を支えてきたのが大きいんじゃないだろうか。
現代人は科学というものを再び教養として捉え直しているというか、科学をスキルとして見ている気がする。ラノベとかなろう系とかの「魔法」と呼ばれるものが、どんどん小難しくSF的になっている。扱うものが機械であれ魔法であれ、「理屈を理解して、自ら分解して組み立てられる」というスキルに対する憧れがあるんじゃないだろうか。
弱男度:★★★★★
悲惨度:★★★★★
弱男文学界のラスボス。貧乏でブサイクで字も読めない性格も悪い主人公阿Q(仮)が、何の救いもなく転落していく話。
「精神的勝利法」という思考法も阿Q(仮)を弱男たらしめている重要要素。底辺なのにプライドは人一倍高い。
金持ちの女中に言い寄ろうとして逃げられ村八分になり、盗みを働くようになる。
革命に便乗して騒いでいたら、最後は頭が悪いせいで冤罪で処刑される。
何が悲惨かというと、死んで悲しまれないどころか死自体が冤罪で無意味なところ。
弱男度:★★★★☆
悲惨度:★★★★★
阿Q正伝が東洋の弱男文学代表だとしたら、ノートルダムのせむし男は欧州代表。
主人公カジモドは見た目がキモいという理由で親から捨てられて幽閉されて育てられる。
自分に優しくしてくれた美少女に恋するけど、美少女はカジモドに怯え、チャラ男騎士(既婚者・クズ)に恋をする。
美少女は自分に振り向くことなく処刑されて、カジモドも追いかけるように死ぬ。
カジモドは阿Qほど性格が悪いわけではないので、弱男度は少し下がる。
弱男度:★★★★☆
悲惨度:★★☆☆☆
「豚」というあだ名の自称「もぐら」は、名前通り豚のように太っていてモグラのように穴蔵にこもって生活している。
穴蔵は地下の採石場跡でシェルター。そのうち起こる核戦争に備えて「方舟要員」にふさわしい人間を探している。
そしてインチキ昆虫を売る元自衛官、サラ金取り立て屋、結婚詐欺女を選出する。
そんなこんなしているうちにジジババ清掃隊やらDQNグループがシェルターに入り込んでくる。
この主人公もぐらは見た目がキモいだけでなく、結婚詐欺女の放尿音を聞き耳を立ててたり色々キモい。
ただ阿Qやカジモドと比べて、まだ人間扱いされているのと、他の登場人物ももぐらと変わらず全員クズで悲惨度は低め。
詐欺女には鴨にされているフシが有るけど。
弱男度:★★★☆☆
悲惨度:★★☆☆☆
よだかは兄弟は美形なのに自身はブサイクなせいで嫌われていて、終いには「鷹」と名乗るなとまで言われてしまい、故郷を出奔する。
その内自分以外の生命を食べて生きている事自体に嫌悪感を抱くようになる。
いっそ焼け死んでもいいと太陽に近づくけど「星のところにいけ」とあしらわれ、
星のところに行っても相手にされない。どこにも居場所がなく飛び続けて最後は青く燃える星となる。
一見するとかなり悲惨だが、阿Qや豚と違いむしろ人柄は高潔で最後は星になっているので弱男度・悲惨度はやや下がる。
弱男も高潔な魂を持てば星になれるよ…。いや、現世で何とかしてくれよ。
「弱者男性であることと性格の悪さは関係ない」というコメントが有るけれど、
性格は人間が社会生活をする上で重要なパラメータなので無関係ではない。容姿や年収や健康と同じぐらい重要。
ブコメに上がっている「寅さん」は、ダメ人間だけど憎めないところがあって、
おそらく困窮してもさくらやタコ社長が助けるだろう。そういう意味で弱男度はかなり低くなる。
のび太もだめな子だけど、しずかパパが「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人」と称賛するぐらいの人柄で弱断度は低め。
最果タヒさんの詩集『死んでしまう系のぼくらに』『夜景座生まれ』と、あとは図書館で数冊をパラ読みした。著作が映画化されているらしいが、見てない。本しか触れてない。
否定的な感想なのでブログには投稿するか悩んで、結局、こちらに持ってきた。ただの感想。
まとめ
最果タヒさんの詩はあまりに散文的で、これは本当に詩なのか、日記じゃないのか、小説と変わらないんじゃないのかとすら思う。実際、同作者の小説『十代に共感する奴はみんな嘘つき』も少し読んだけど、境が曖昧だと感じた。これなら全部小説でも良いじゃんと思うけど、当事者からすると違うのかもしれない。
詩そのものについては、単純に口調とテンポが私に合わない。あんまり真摯な感じがしない……と感じる。でも私が思う真摯な感じとこの人の真摯さが違うだけかもしれないし、この方に真摯なつもりなんてないだけかもしれない。
使われている言葉は、それっぽい言葉を並べてるだけに見える。色んな言葉が出てくるけど、そのひとつひとつの定義って、なんなんだろう? どういう意味で使ってるんだろう? そういうのが見えてこない。だから真摯には感じない。急に言葉が連想ゲームみたいに飛ぶのも、え? 寝ぼけてんの? って感じ。
あと、わざと間違った/厳密に間違いではないけどまず使わない言葉使いや組み合わせ、漢字の開き(ひらがな)が多用されてると、絞れ!になる。そういうのはアクセントに使うのがいいのであって、多用されると醒めるし、詩全体がぼやけてしまう。
これがぼやけたことを狙っている詩や短い詩ならまだ良いけど、長くて散文的だから、ただぼやける。何を言ってるのか分からない。批評を色々読んだけど、「わからなさ」を評価されている面もあり、それでいいのか、じゃあ私に合わないだけか、となる。
ちなみにこの「わからなさ」とは「共感できなさ」のことではない、と言い添えておく。
また、死にたい、殺されたい、の表明が素直球すぎて上滑りしてる。死にたさについて、現実世界の死について、空想上の死について、犯罪について殺人についてを描いている部分があるが、それはただの比喩なのかもしれない。(以下、長いので略してます、ごめんなさい。詩を引用する時に略すのってどうなんだろ……。よくないかも。)
❝(前略)今日も、撃ち殺されなかったと泣きながら眠る夜はただ一人で、(後略)❞
❝あいされたい
それはべつに深刻ではなく。ころされたい、でもいい。❞
❝せめて他殺で。惨殺で。❞
確かに、「死にたい」「あの人に殺されたい」「今日も死ねなかった」と思う人はたくさんいるだろうし、私にもそういう欲求はあるが、なんでだかこの直球ぐあいは合わなかった。反対に、この表現がいい!と思う人もいるでしょう。軽くなんてない、という人もいれば、軽くて何が悪い、という人もいるでしょう。
例えば『死んでしまう系のぼくらに』p.23「線香の詩」から1行目❝大切なものが死んだあとの大地はすこし甘い匂いがする❞のっっっってなんでなんですか!?
次に蝉が出てくるので夏だろう、じゃあスイカやかき氷を食べた庭かな? 大切なもの……有機物か?無機物か?ペット火?人か? 人じゃなければ何かを土に埋めて、それがなんらかの作用で甘い匂いをさせてるのかな?
って、そんなことは考えても考えなくても良くて、まあ私は考えるほうが好きだが、まあとにかくこういうのがなくてもいいけどとにかく「説得力」が足りない。
読んでて、否応なしに「そうなのか」となる、もしくは「そんなわけないだろ」と言えるのがさ、好きなんだよな。「そんなわけないだろ」すら言えずに、「意味わかんねーよ」じゃ、ちょっと良いとは言えない。
例えば宮沢賢治の「やまなし」は詩じゃなくて小説(童話)だけど、❝『クラムボンはかぷかぷわらったよ』❞って説得力えぐいでしょ。「クラムボンは、かぷかぷ、笑う」んだよ。まあこれも好みの問題かもだ。
私は作品の批評で、「分からない」からいい、分からないのがいいんだ、みたいなのは嫌だ。
感想においては「気づかせてくれる」とか「感性が素晴らしい」とかって、何も考えないで生きてるのかよ!と叫びたくなる。もちろん、詩歌(詩、短歌、俳句)って「新しい視点」が評価されるし、私もそういう作品は好きなんだけど、どうしてか嫌だ。単純に感性が素晴らしいって褒め言葉が嫌いなだけかもしれない。私がそう言われると、「感性は、普通ですよ。思ったことを表現するために、頑張ったんですよ」と思うからかもしれない。私の話じゃん。私の話だよ。
この記事は、最果タヒの詩について、否定的感想をあまり見つけられなかったので、公開しました。「最果タヒ 批評/感想」とかで調べるとね、いくつかは出てきますしリンク貼らないけどめちゃくちゃ良い記事もありました。でも、ほとんど見つけられなかった。なので公開しました。私のこの記事はただの感想で、うまい批評なんかじゃないし分析もできてないけど。
でも詩でこんだけ売れてて若者人気もあるってすごいよね、は本音で、昨今は詩歌の中では短歌ブームらしくて色んな本が出たり特集が組まれてるけど、現代詩もそういうふうに盛り上がると嬉しいなとは思います。
読んでくれた方、ありがとうございました。
この記事に対する反論も良いですが、おすすめの現代詩あったら教えてください。読むので。
現代より前の詩……工藤直子/金子みすゞ/谷川俊太郎とか、中原中也/島崎藤村/室生犀星/萩原朔太郎とかは既読なので、それ以外の「現代詩」のおすすめが、知りたいです。よろしくお願いします。
この猛暑の中って私最近増田で猛暑の話しかしていない50年に1度ぐらいにしか話題にしない猛暑だけど
やっぱり
それよか!
ちゃんとしっかり寝るに限りまくりまくりすてぃー山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃうのよ。
寝不足だと
フランダースの犬級にふらふらになるわ。
翌日に地獄が待ち受けているわよ。
ここ最近マジで2日ぐらいしっかり意識して意識することによる意識のための睡眠をとったら
なんか暑くても、
しっかり寝ることの大切さを
実感する感じがした実りのある睡眠よ。
夜もさー
バテ気味なのかよく分からないけど
晩ご飯食べてもなんかもたれてる感じが否めない稲村ジェーンを観ながらそう思ったんだけど、
睡眠に全振りしたら
良い睡眠が取れるんじゃないのかしら?
且つ且つよ!
お酒も今大好きなハイボールにお中元でもらったルービーのケースをなんとかして消化しなくてはいけないところも、
これまた睡眠に全振りしたら
結論の結果の持論を述べているのよ。
ジロンは自論なのか持論なのかどちらでもこの際いいけれど、
とにかく凄い自信なのよね。
なので、
食べ物の消化や体内のアルコールの分解にリソースを割くのではなく
ドコドコドコドコ!ジャーン!って
ドラムロールが鳴って結果発表のアタック音とならしつつ期待させる方法で私は盛り上げて言いたいところよ。
なので、
真面目に寝ることを取り組んだら
暑さにも負けないそれなんて宮沢賢治さん?
ってそれは雨にも負けず風にも負けず、
喧嘩があれば止めに入るでお馴染みのあの宮沢賢治さんばりのレヴェルとまではいかないものの
暑さにも負けないそんな心意気を思ったのよね。
だから
今日も夜は軽い目にして
灯台もと暗しというか風前の灯火というか走馬灯のようにというか、
うふふ。
納豆巻きね
納豆のネバネバパワーを求めているのかしら?
ネバネバの歌を歌う織田裕二さんに1度訊いてみたいわ。
しっかし暑いわー!
ネバネバパワーで乗り切るわ。
薄味の方が身体にすーっと染みる様な気がするわ。
暑さのあまり
まあ水分補給もしっかりと。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 富山(県
・07 [すべて]田沢湖 支笏湖(しこつこ) 十和田湖 池田湖
・08 クロップド(丈
・09 メンデルスゾーン
・10 [近似値]2億3502万967円
・12 心
・13 ト(ー)マス・ジェファーソン
・14 [3択]血小板
・18 鳥取(県
・19 [3択]1(番
・21 W
・22 蘇我馬子 そがのうまこ
・25 和同
・26 クマ
・27 鼎談 ていだん
・28e あのねのね
もうとっくに義務教育とか終わってて、誰もこちらの学力を上げたりしようとはしない年。
玄米の話をしてて、思い出したのが宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」なのだけど、玄米四合ってどういう量なのだろうと思ったとき、詩全体の
『苦しくても慎ましく元気に生きていきたい』
という印象から、玄米四合は『お腹いっぱい食べられて幸せな量』ではなく『生きるのに最低限必要な量』なのかなと思った。
そうやって、全体の印象から一部の意味を推測することって気付けばよくあるのかもと思った。
もし全体の文が『百億兆円欲しい!!贅沢したい!!』みたいな雰囲気で、そこに「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」と書かれてたら、その人にとっては『お腹いっぱい食べたいし野菜はあんまり好きじゃない』という解釈になるのかな、と思ったり。
今読解力の試験に関わってる人には「ここはこういう読解が正しい、常識」とかあるんだろうけど、中年社会人にはそんな『当たり前』を教えてもらえる環境はそうそうないので正解は知らない。
「俺は一人でもペンギンを見に行くぜ!」
最新回でまたしてもピンドラネタが出てきたチェンソーマン。ペンギン、だけじゃ無かった。飢餓ネタもあった。
今までもピンドラネタは何度か出てきており、有名なのは水族館扉絵とかだが、それ以外にも明らかなオマージュが出ており、テーマが共通する部分がある。
他いろんな作品を多数取り入れているので、いつものやつ、みたいに思いがちだがチェンソーマンとピンドラの関係は少し違うように思い始めた。
明らかに発想の根幹にピンドラが存在し、設定に組み込まれている。
もしかしたら「これが元ネタ」などと言われることにチェンソーマンファンは辟易しているかもしれない。
ただ「輪るピングドラム」という作品も宮沢賢治をはじめ村上春樹、それ以外にも小ネタや懐かしメロディーやセリフなど、他作品の取り込み方がチェンソーマンとよくにているのだ。
しかしチェンソーマン考察者には申し訳ないのだが輪るピングドラムという作品はあらすじを見てもおそらく2割も伝わらないアニメだ。
なんなら緩く流し見で全話見ても「え、どゆこと?」となる可能性は高い。
総集編の円盤化を待つ手もあるが、結構大幅なカットが入ってるのであれは一見さん向けではなかった気がする。
なので配信でTVシリーズをぜひ見てほしい。なんとアマプラでは今、追加課金なしで見れる状態なのだ。回し者みたいだな。
とにかく1話〜3話で切らないでほしい。無理して11話くらいまでは見てほしい。
そうすれば藤本タツキが何を考えてあの描写をしているのか、少しの手がかりになるはずだろう。
ちなみによく考察で出てくるのが「箱のシーン」
ピンドラでの心の会話をする抽象的なシーンのように語られているが監督が「現実のシーン」と言っていることはここ置いておきたい。