はてなキーワード: 実存とは
以下のブログにおいてホストに高額の金銭を費消する女性のことを「(実存的)貧困」とカテゴライズし、ブコメにおいて否が多めの賛否両論となっている。
「いったいホストに何千万もつぎ込む売春女のどこが貧困なんだよ(笑)」「ここです」。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/somethingorange.jp/entry/jituzonntekihinnkonn
批判の内容としては、「貧困って言葉を金銭的な貧困者から奪うな」「それは依存症だろ」「キャバや風俗のために借金する男性にそれを言ってきたか?」などなどだ。
歴史は繰り返すとしたのは、過去、自由という言葉にもそういった歴史があったからだ。
現代においては、自由は消極的自由と積極的自由に区別されている。そしてこの二つは非常に相性が悪い。
国家・権力に干渉されない権利のこと。具体的には信教や身体生命、経済活動の自由などが該当する。
自己実現できる権利のこと。したがって貧しくて自己実現できない者に対する生活保護やアファーマティブアクション、障害のために社会参画できない者のための各種施策も自由の実現の範疇に入る。
元来自由(liberal)というのは消極的な自由の意味だった(アメリカ憲法などからもそれは明白)。
何故かというと積極的自由を実現しようとすると、どうしても「理想的な人間」を規定する必要があり、国家によるお仕着せ(パターナリズム=家父長主義)をせざるを得ないからだ。
これは消極的自由を重要視する人からするととても認められるものではないため、消極的自由を信奉する人たちは積極的自由論者たちを「反動(反自由主義者)」などと攻撃した。
そこで、積極的自由論者たちは「私たちの考えるものも自由の一部なんですよ」と主張して現代に至るというわけだ。
自由主義者として有名なハイエクという学者は、これを「彼ら(積極的自由論者)は自らのイメージが悪いことを嫌って私たち(消極的自由主義者)の言葉(自由)を奪った」と表現している。
現代では消極的自由も積極的自由も、「自由」にカテゴライズされることが多い。特にアメリカなどでは「リベラル」というと後者が優勢で、ハイエクの危惧した「言葉が奪われ」た状態にあると言って良いだろう。
そこで、ハイエクなどの系譜にある人は「古典的自由主義者」や「リバタリアン(リバタリアンはハイエクの主張とかなり異なるが)」という言葉を好んで使っている。
そうなった場合、現在的な意味での貧困(経済的な貧困)への救済へのリソースは減らざるを得ないだろう。
こういった女性は「困難女性」として法や事業による救済対象となっている。話題となったColaboによる都の事業はそのモデルケースだ。
であれば風俗で借金しまくってる男性も同様に救済対象とするべきだと思うのだがこれまで無視されてきたようだ(少なくとも若い女性ほどには問題視されていない。「困難男性」などで救済の対象になっているだろうか)。何故だろうか。
あれで思い出したんだけど、昔のドラゴンボールのアニメも全然好きじゃねえかったんよね
まああれは引き伸ばしも酷かったっていうし皆んなもいい思い出じゃないかもしれんけど
好きなアニメがないわけじゃないの
ちょっと思いつくやつ挙げるね、思いついた順です
AKIRA …バイクと爆発が死ぬほどかっこいい。でかいコンクリートが良い
メトロポリス(2001年のやつ) …手塚治虫すきなんだけど、現代の目で見ちゃうとディティールがもっとあってほしいよね。この映画は完璧だった。ちょっとティマのキャラがあざとすぎるけど、そのぶんケンイチとかヒゲオヤジとかロックとかのキャラクターがキマりまくってて超エモい
もののけ姫 …なんかトトロとかラピュタとかこの辺はもうなんか「本当にあったこと」みたいになっちゃってるんで好きとか嫌いとかじゃない、もうね。てか先日トトロ見てたんだけど、あんな「完全体」みたいなアニメを見て育ってしまったせいで普通のアニメをあんまりすごいと思えないのではないのか、と思った。アシタカが強くてかっこいい
映像研に手を出すな …全部見てないけど。みんなで頑張ってアニメ作ってるのがいい。学校がゴシャゴシャしてて良い。でかいコンクリートが良い
TRIGUN(1998) …全部見てないけど。マンガとは結構お話が違うみたいだよね。砂漠が良い
アドベンチャータイム …ジェイクかわいい。バブルガムがそっけないのが良い
スポンジボブ …スポンジボブかわいい。パトリックが頭おかしくて良い
パプリカ …お話のまとめ方はあんまり好きじゃなかった。筒井康隆の原作が好きなんだよ。夢の世界でいろんなものが動くのが超超超良い。平沢進が良い
妄想代理人 …これ全部見たぞ!あんまり話覚えれてない。ちょっと怖かった。平沢進が良い
Serial Experiments RAIN …これ全部見たぞ!あんまり話覚えれてない。ちょっと怖かった。レインがかわいくて良い
美味しんぼ …これはなんか、そもそも漫画が好きなんだけど。完全再現って感じがして好きです。dancyuみたいなバブルで景気良い感が良い
戦え超ロボット生命体トランスフォーマー …これ全部見たぞ!!てかDVDで持ってる。おもちゃが好きなんだけどね。スタースクリームが良い
(略)2010 …これ全部見たぞ!!でもあんまり好きじゃない。なんか見てて不安なんだよね。コンボイが死んだり生き返ったりするし…グリムロックがかわいくて良い
トランスフォーマーザムービー …とにかく予算が潤沢でめちゃくちゃ使ったのにめちゃくちゃ余ったってうるし原智史が言ってた。すごい動く。コンボイがとにかくかっこよくて良い
スクライド …全部見てないけど。マンガと全然話違ったっていうか、これはまんがの方がおかしいので。面白いけど。今でも時々カズマの真似しちゃう。キャラクターの顔がガンダムSEEDとか無限のリヴァイアスみたいでキレイで良い
エヴァー …これ全部見た!と思う。たぶん。アニメはなんかセリフの感じとか見ててしんどい時あるけど、新劇の方はそうでもないので楽しく見れます。ちゃんと完結してお疲れっていう気持ちになれるんで良い
けものフレンズ …これ全部見たぞ!!お話が分かりやすくてよかった。トキがかわいくて良い
ミラキュラスレディバグ&シャノワール …シーズン4まで全部見たぞ!!最近見たんだけど話がすごい面白い。なんかお決まりの流れがありつつちょっとづつ大きいストーリー進めてく感じもいい。あと恋愛のアレが超やきもきするんだけどそれにもなんか理由づけが色々されてて良い
ニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨン …全部見てないけど。すごい金かかってない感じの作りなのに何があんなに良いのかよくわからない。シーンの間とか画の感じが良いんかな。オープニングの画質荒いとこが良い
ファンタスティックプラネット …暗くてグロいけどかわいい。最近見てピクミンみたいだなって思ったら実際ピクミン作った人のイメージにあったらしい。プライムビデオでいつでも見られるようになって良い
いや思ったよりあったな……なんかもう別に他のアニメ探さなくても良いような気がしてきたな……
まあせっかくなので、好きになれなかったアニメについても書くね
チェンソーマン …OPが良かったんですんごい期待して見始めたんですけど、もうとにかくダルくてダルくてダルくて。面白さが全然ないんですよ。デンジはずっと気だるそうにしゃべってて楽しくねえしさあ。ゾンビはチンタラ動いててダセえしさあ。チェンソーマンになってザクザクやるの見ても気持ち良くないしさあ。良いところが何にもない。いやなくはない。ポチタがかわいい。トマトの悪魔がウニウニしててかわいい。ってかがっかりしちゃって1話しか見てないんだよね。そしてそれもだいぶまえだからすごい印象だけで書いてるわ。無限の悪魔が好きだからそこまで見たいなーと思ったんだけど面倒で見れてないよ。
鬼滅の刃 …いやもうズーーーーーーーーーーーーーっとしゃべっててそれ自体は原作通りなんだけどさあ、しゃべるのがおっせえの!!!倍速視聴推奨なのか?鬼殺隊の試験終わってお館様の鬼殺隊の説明してくれるとこで「きのえ、きのと、かのえ、かのと、つちのえ、つちのと……って全部しゃべった時はアホか!!!て叫んじゃったよ。なんなのあのアニメは。マジで本当に漫画にあったセリフしか喋りやがらねえ。何考えて作ったらあんなになるんだよ。マジでクソだわ。動くとこもネットリネットリ動いてさあ、なんなんだよ!!!!しゃべってねえで早く走っていって首切れよバカか!!!!!!ひょっとこの人が追いかけられてんだろうが!!!!!!!!!!ねず子が作ってくれた時間で無駄話してんじゃねえよ!!!!!!!!!!!!!!!ってイライラしちゃってマジで見れないんですよ。
サマーウォーズ …なんかヒロインの女の子の感じが都合良すぎてキモい。ハッカーとかスパコンとかヴァーチャル空間とかプロゲーマー?とか親戚のおっさんとか、全ての要素が都合良すぎっていうか、なんかこういう設定の人を並べましたっていう感じがキモい。あと親戚のお姉さんたちの扱いも悪いよね。なんか「女が強いんです」って設定だけ与えられてる感じがしてキモいです。あとおばあちゃんが死ぬ前に狂って電話かけまくるのはちょっと面白い。おばあちゃんの妄想上の総理大臣とかに電話してるんだと思うとウケちゃいます。もし本気であのシーン作ってんならそれはそれでウケますけど。
ワンピース …長いよね。もう漫画が長いししょうがないんだけどさ。なんか紙芝居やってるだけっていうか、まとめサイトとかゆっくり実況みたいなアニメだなーって思います。
ドラゴンボール超 …とにかく展開の全てがダサい。もうこういう設定で行きますので立ち合い強く当たって後は流れでお願いします、みたいな感じなんだよね……なんもドラマないし、マジで設定をちょっとずつ開示してるだけっていう感じでしたよね。悟空もベジータもキャラクターの芯ていうか何考えてそれやってるのか?っていうのがもう何にも無くなってるんですよね。完全にキャラクターが殺されてたと思います。最終話の最後で悟空とベジータが戦うのはカッコいいし熱いと思いました。まあ過去の遺産でしかないですが……
転スラ …いやもうこの辺りはそもそも原作が嫌いなんだったわ。ペラペラ喋ってんなよって感じです。
いや、ここまで書いて思ったんですけど、単に俺は気に入らなかったアニメについて誰かに怒りたかっただけだわ。増田でちょうど良かったね。
ブコメ、新しいトランスフォーマー見てるよ!G1リスペクトなパートとかあってすごい楽しかった!1話もいきなりワスピーターが喋り出してめちゃウケた!!!
あと他のブコメで、オサレ好みって何!?ブリーチとか読むたびにイラついているんだが!?
上の好きなやつリストでオサレなの、映像研ぐらいしかなくない??なんで実存を疑われなきゃいけないんだ!!
あとサマータイムレンダ、最近まで知らなかったんだけど、あれ瞳のカトブレパスの先生が描いてたんだって‥‥?俺は嬉しい、俺は嬉しいよ……瞳のカトブレパスの読み切りの時に、めっちゃジョジョっぽい言い回しするなこの作家と思って気に入ってたからさ……鍵人もあんま上手く行かなかって、その後どうしたんかと思っていたけど、最強ジャンプとかで頑張っていたんだね……アニメ化だなんて……本当によかった……サマータイムレンダ見るね……あと漫画も読む……
天国大魔境はアフタヌーンで連載読んでいるけど、本当にいいよね〜かわいいのに真剣でさあ。天国大魔境では、絵になんか大友克洋フォロワーっぽい質感を出してきているよね!?大友克洋本人の絵も好きだけど、大友克洋フォロワーの絵の感じ、好きなんすよねえ……………。いっときエロ漫画家の遊人とかも大友克洋っぽい絵を描いてて、なんかやたらに好みだったのを今思い出した。アニメも見てみるね!!
これから見てみるアニメリスト、めっちゃ集まった。ブクマも増田もありがとう!これを見ていくぞ〜
OBSOLETE
SSSS.GRIDMAN
DYNAZENON
忘念のザムド
オッドタクシー
バーディウィング
サマータイムレンダ
天国大魔境
ストレンヂア 無皇刃譚
レヴュースタァライト
蛍日の社
夏目友人長
SPY×FAMILY
呪術廻戦
獣旋バトルモンスーノ
舞HiME1期
バッドガイズ
ヒロアカ
ケムリクサ
GREAT PRETENDER
スプリガン(1998)
キディグレイド
パワーバフガールズ
羅小黒戦記
TRIGUN STAMPEDE
妹だけど妹じゃない
ロングウェイ・ノース
おすすめどうこう以前に自分はこういうのが好きだこういうのは嫌いだっていう自分の好みくらいわからんの?読んでると面白い面白くないって話じゃなくて単にお前の好みの問題なんじゃないのって気がしてくる。
いや自分の好みは完全にわかっており、それが上に長々と書いてあるんですけど??面白い面白くないって話もあるけど、それ含めて完全に俺の好みの問題ですけど??
その上で、俺は俺の好みに自信を持っており、俺が面白いと思えるものはある程度はみんなにおすすめしたいと思ってる。てかおすすめってそういう行為では??
みんなにもそういうおすすめを聞きたいんだよ。
あと加えていうなら、俺自身はあんまりノットフォーミーは言わないようにしてる。いや上でめっちゃ言ってるやんて話なんだけど、好みのやつだけ見てても面白くないからさ。ノットフォーミーであっても、どんなとこがノットフォーミーなのか知りたいんだよ。味見ぐらいはしてみたいわけ。だから鬼滅とかも自分一人で見たわけじゃないからだけどさ、一応最後まで見たよ。チェンソーマンは1話しか見れてないけどさあ。
RWBY、なんかの略かと思ったらこういうタイトルなのか。上のリストに入れさしてもらいました。
ところで、いろいろ書いてるうちに、自主的に見たいと思ってたリストを思い出しましたので、共有いたします。なんかたくさん書くといろんなことを思い出せて楽しいなあ。
The Midnight Gospel ……Netflix入ったらみる
雲のむこう、約束の場所 ……地上波で夜中にやってたのを見たことある気がしてて、ラストシーンっぽいとこが印象的だったんだけどそれがこれかわからない
南海奇皇ネオランガ ……昔ビデオ屋さんの棚で見てジャケが大層えっちだったので見てみたかった
再々追記
やっぱはてなーはアニメに詳しいな。とりあえずブコメに上がってるやつも含めて全部メモしたよ。
舞HiMEとか巌窟王とかVガンダムとかステルヴィアとか、微妙に見たことあるんだけど何にも覚えてないやつはリストに追加したよ。
Vガンダムとステルヴィアは、OPの歌は覚えてるな……あとVガンダムの強化形態の名前は覚えてる。V2アサルトバスター。光の翼。
巌窟王はアニメはすごい綺麗な感じだったような……原作は最初の方だけ読んだ覚えあり。お話はなんか児童書版みたいなやつとか洋画とかで見て知ってるな。
あとserial experiments lainはrainじゃなくてlainね……すみません恥ずかしい。ほら、lainって終わった後にウェザーブレイクやってたから……レインもよくカッパきてたし…
まず、仁藤夢乃は女性性を利用する男性向けコンテンツに対する憎悪や敵愾心がある。これは、彼女の生い立ちや、現在の社会的な位置、支持者や周辺の人物の意向などさまざまな要因があると思われる。
実在の女性をモデルに用いた性的コンテンツはもとより、イラストやアニメなど架空の女性を性的に扱うような表現について、明らかに敵対的に振舞っており、そのようなコンテンツの製造、流通、消費全ての段階において公的ないし私的な規制がされることを歓迎し、あるいは規制を行うように働きかけると予想できる。
重要な点は、仁藤夢乃はこれらの表現、コンテンツが一掃され、その作者、著作権者、消費者、流通や広告などの関係者が損失を被ることについて、一切考慮する必要が無いということである。少なくとも、そのような配慮、妥協そういった姿勢を見せたことは無く、現実的に温泉むすめのスポーツ文化ツーリズムアワードの受賞辞退という事態を招き、そのことに対し一切の後悔も配慮もしていない。
したがって、仁藤夢乃が、将来にわたって、その社会的影響力に応じて、そのような男性向けコンテンツに対して一切の限度なく攻撃し、最終的にはこれの完全な社会的排除を目指し続けることは間違いない。
したがって、そのような男性向けコンテンツに対して愛着のある者は、必然的に仁藤夢乃とは同じ社会で共存することが不可能な、実存的な異質者として対峙することになる。
仁藤夢乃は、都から委託事業を受けており、その中で都からの指導に対して不満があるという姿勢を何度も示している。
これは逆に言ってしまえば、都からの指導に対して適切に対応できていない可能性が高いということを示唆している。
これは、明らかな弱点である。
行政の無謬性という法的な擬制がある。これは、行政行為(いわゆる行政処分、つまり許認可や行政罰、補助金の交付決定など)は裁判で覆されない限り、法的に正しいと見なすという仕組みである。
この、行政の無謬性を担保するために、役所は間違ないように慎重に仕事をし、自分たちが悪くないと証明するために膨大な文書という証拠を積み上げている。そして、万が一間違ってしまったときは大問題になり、間違いを起こした事業は改廃を余儀なくされたりする。
しかし、現実的に間違いは存在する。ただ、多くの間違いは些細なもので、そんなものを細かく指摘することは、手間や金がかかる割に意味が無く、自分の利害にも悪影響を及ぼすから、誰にも気づかれず無かったことになる。
稀にオンブズマンが重箱の隅つつきをするが、これは、政党や労働組合、市民団体といった人的・金銭的なバックアップがあるから、政治的目的のために手間がかかることができるだけである。
そして、役所はこのような事態が起きることを徹底的に避けようとする。
実は、私も開示請求で精査しようと思ったが(元地方公務員なので文書は読める)、金と時間の問題で諦めた。
しかし、金と暇があり、最高裁まで戦った実績のある男が現れたのである。
実質的に監査委員会が認容した段階で、戦略的には勝利している。
役人の立場から言えば、舛添以来の認容であり、それが出た時点で本事業や受託者はアンタッチャブルな存在になった。
「桜を見る会」は今後開かれることは無いし、「温泉むすめ」が今後何かの公的な賞を取ることも無いだろう。それと同じである。
大学2年の時にニーチェを読んだ。ニーチェかサリンジャーを読まないといわゆる「基本的人権」が認められない世界観の中で、避けられない選択肢だったので、読んだ。そして意味がわからなかったので、本屋に普通に並んでる様な文化人の解説本をいくつか読んだ記憶があり、その後読んだ年齢の倍以上経てその殆どを忘れてしまってる。
さて、先日「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。何故かネタバレを極端に避ける風潮があって私の周りでも内容に触れる人は極端に少ない。
ただ「理解するのが難解な作品である」といった趣旨の投稿をしている人は何人もいた。
果たしてそうなのだろうか?という疑問を持ったので本増田を書いている。
特にメモをとってわけでもないので、ディテールに齟齬がある部分は勘弁いただきたい。
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その後、母親の妹が新しい母親となり、母親の実家に疎開(?)をする
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亡くなった母親の思い出もあり、新しい母親に真人は心を開けない
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金持ち仕草に抵抗のない父親が車に乗せて初登校をしたため、ガキ大将的な奴と喧嘩になるがMMAの能力があったため圧倒する
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帰り道に石で自分の頭を殴り✳︎1 かつ犯人を言わないという知的な叱られ対策を行う
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亡くなった母親の残した「君たちはどう生きるか」に出会う ✳︎2
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ご覧の様にストーリーは極めてシンプルである。そして、✳︎2の描写が本作品の大部分を占めている。
いやいや、おしいれのぼうけんのさとしとあきらのぼうけんは実際に異世界へ行ったのであるよ。そういう人もいるだろうし、多感な子供がおしいれに罰として閉じ込められるという昭和のみ許された罰によって生じた脳への過大なストレスで発生したイマジネーションの中の世界という人もいるだろう。
今回は後者の説をとらせて貰いたい。
真人はあまりに強く石で頭を打ってしまい、かつ慣れない場所でのストレスから母親が残してくれた「君たちはどう生きるのか」に没頭してしまう。
この原著は小学生の時に読んだことがあり、その歳からは3倍以上の歳となってしまったので
あるが、コペルくんという快活な出来杉くんが日々体験した葛藤とかに、「叔父さん」が真摯に答えてくれるという内容で、漫画化されて話題になった時の売り文句を見ても感じたのだが、児童文学の姿を借りた思想書/啓蒙書である。
うっすら覚えている内容も、格差によるキャズムと父親の金持ち仕草でいきなり浮きまくって喧嘩となり、派手な登校拒否スタートとなった真人とは重なる点も多く、「叔父さん」の回答は真人の心に刺さるものが多かったろう。
聞くところによると反戦主義者であった吉野源三郎は、自由な言論活動が抑制された戦前、戦中において、その活路を児童文学に見出したようだ。
吉野源三郎とニーチェの対比については東洋哲学的視点で語る人は少なくない。戦前、戦中においてはニーチェが死んだと評した絶対的価値観と同様のものがこの国に溢れていたのは事実だろう。
そういった意味では吉野源三郎を日本のニーチェと感じる人はいてもおかしくないのだろうけど、昭和の小学生であった自分には全く刺さらなかった一冊であった。
なんにせよ、真人少年はこの本を読み、心の中のぼうけんへとでかける。
庭にある「塔」はよそから飛来した飛翔体で、大叔父は「これは大事なものだから」と新しい建築物で囲った。
「新しいぶどう酒は新しい革袋に盛れ」(ルカ5章38節)当時の慣例を無視したイエスは、新しい思想は、新しい環境にて受け入れかし的な意味で言ったらしい。
と宿るじゃ大きく意味が異なるので、この辺も解釈によって随分と違う。
さておき。この大叔父の言っている「これは大事なものだから」は絶対的な価値観で、この絶対的価値観を装飾したり保護したものが戦前、戦中に世に溢れていた「常識」なのだろう。
この常識に対して、「君たちはどう生きるのか」は児童文学というN国ハックを成功し、無事相対的価値観を真人少年に届けることに成功する。
✳︎母親も塔で行方不明になった時期があり、大叔父は姿を消したままなのは、絶対的価値観に対する「疑問」を持ったことに対して、思想警察等の介入を招いたという事なのでは?といった解釈もなりたつ。一方で、隠れキリシタンのマリア像的な「進歩的思想」を表すものとも受け取れるがその場合にはいくつかの齟齬が生まれる。
本作でトリックスターとして描かれるアオサギは古代エジプトのベヌウを始めとして様々な宗教で描かれている。
混沌に現れたベヌウがアトゥムとなりそしてラーとなったが古代エジプト神話の創世記で、ベヌウはその後もフェニックスになったり、旧約聖書で忌むべきものと描かれたりと様々な存在であり続ける。
全てのアオサギは嘘つきだとアオサギは言った。これは本当か?!
という問答が本作ではあったが、アオサギは「相対的価値観」のメタファとして描かれたのでは?と私は思う。
見る人によって、見る時によって解釈が異なる存在は相対的価値観の象徴としてこの上ない。
ソクラテスの良き友人であり、ソクラテスをソクラテスとならしめ、そして死に追いやった「ダイモン」はその後「デーモン」となり絶対悪となる。
アオサギは創世の核から、忌むべきもの、そして後世では聖職者やキリストとしても解釈をされている。相対的価値観の象徴として登場するに相応しい扱いのブレブレさ。
嘘つきを「悪」や「忌みもの」と置き換えたとしても時代、そして答えるもののスタンスでその答えが変わるだろうアオサギをトリックスターに据えたのは、アオサギが不死鳥=火の鳥としての立ち位置だと考えても中々に面白いのではないだろうか?
わらわらが空に舞うシーンとペリカンの登場をみて、多くの人が空襲によって生まれるはずの命が奪われていったのをイメージしたのではないだろうか。
出雲大社をはじめ、神道の結婚式では玉串をおさめるさいに、新郎と新婦は螺旋の様に左右に交わりながら神前に進む。
この「螺旋」という存在は、永劫回帰にもつながる東洋思想の根幹となるもので、すべてのものは平等に無価値で、それぞれが相対的な価値をそれぞれに対して持ち、または持たない。
下の世界は明示的に「地獄」と表記されてたのであるが、おそらく描かれてるのは冥界だろう。
ニーチェが死んだと評したものはそれ以前のキリスト教における始まりのある絶対的な価値観というのが有力な説であるが、その絶対的価値観を作った人物の1人である聖アウグスティヌスが「聖心、自己犠牲」の象徴とし、その後も様々な紋章で愛されたペリカンが魚の内蔵餌にし、上の世界での誕生を待つわらわらの命を次々と奪っていくのは宮崎駿のフラットな「反戦思想」が読み取れる極めてシニカルなメタファーではないだろうか。
ペリカンは第二次世界大戦でも輸送機や爆撃機のノーズアートとして愛用をされていたのは、ミリタリーに造詣の深い宮崎駿なら知らないわけはないだろうと考える次第である。
インコの軍団の描かれかたは、当時の日本の軍部の急進派やポピュリズムに扇動された国民をイメージとさせる。
ところが、インコはアオサギやペリカンの様に何かのメタファとして使われてた例を少なくとも私は知らない。
あえて言えば、ポピュリズムに扇動される一定数の国民は今も変わらない、その人たちはみな同じ様ち聞いたことを繰り返す。
これらに対しての皮肉を込めて、鸚鵡はアレだからインコにするか、となったくらいしか思いつかない。
1シーン、インコたちが「陰謀論者」を彷彿とさせるセリフを言ってたのが気になるが、それにしても偶然の一致だろう。
本作は極めてシンプルな構成で少年の成長の数年間を描きつつ、そのきっかけとなった一冊の本のバックボーンを深く掘り下げた作品だと思う。
ただ、その一冊が示すところは当たり前の様に社会に実存する不条理や、固定された常識を「畜知」として個々の持つ倫理観や、相対的価値観を持って超越すべきと描くものだった上に宮崎翁の表現だ。わかりやすく理解が困難であるところが極めてわかりやすい。
現象界では常に変化が起こり、全く同じ真理などは存在せず、全てのものに等しく「無」だけがその拠点として存在すると、ナウシカで宮崎駿は伝えたかった気もするのだけど、これすら三連休の最終日にしこたまアルコールを飲んで歩くのすらおぼつかない私の中だけの相対的な宮崎駿評である。
なんにしても本作の序盤の数分で感じるスパイダーバース同様の狂気は、宮崎駿存命の間しか味わうことが出来ない、スタッフロールと引き換えに命を削った各コマを作り上げた人々の命の結晶である。時間は貴重だ。一方、チケット代なんて酒を2、3杯飲むのと引き換えられる程度の数字が書かれた概念でしかないだろう。
よっぽど忙しい人や、ジブリや宮崎駿が嫌いな人も最初の10分で良いから見てほしい。
昨晩、地下室からのふしぎな旅を改めて読んだ。柏葉幸子は素晴らしい。
宮崎駿は引退するまでに一回で良いから柏葉幸子作品の監督をやりたいはずと、私は勝手に思っており、君たちはどう生きるかもその色眼鏡で鑑賞するといくつかのシーンから妄想が膨らむ。「鈴木くん。柏葉幸子は素晴らしいぃぞぉ」という宮崎駿の声が脳内で響く。
一回観ただけなので、細かいところ間違ってたらごめんなさい。ようするに君たちはどう生きるかを読めと言われている気がするので、みんなで読もう!
公開数ヶ月前になってタイ人に関するなんやかやの報道でどうでもいい悪印象を与えてくれた鈴木Pでしたが、「宣伝を全くしない」という前代未聞のプロモーション戦略のおかげで、「宮崎駿の新作を全く前情報のない状態で見る」という稀有な経験を与えてくれたことに感謝します。
これは実に小学生の頃「両親に連れられて『火垂るの墓』を見に行ったら突然なんか知らないアニメ始まった」以来の驚愕の経験であり、その後のジブリアニメが国民的アニメとなっていき毎回公開前に怒涛のプロモーションが行われていった経緯と、その時に見た「となりのトトロ」が私の生涯において不動のベストアニメであることを考えると、奇跡のような経験であるといえます。
ただ、正直あまり期待はしていませんでした。というより期待しないように努めていました。私のジブリへの信頼感のピークは「もののけ姫」とコミック版「ナウシカ」であり、今ではアカデミー賞に相応しい最高のアニメであると評価している「千と千尋」も終わった直後は頭の中「???」でしたし、ハウルでは「??????」、ポニョでは「????????????」となっていきました。
ゲド戦記とアリエッティは私の生涯のワーストアニメベスト1&2です。
「風立ちぬ」「かぐや姫の物語」も、「?」は浮かばなかったものの「ピークを過ぎた老境の作家の遺作としては十分以上の出来だろう」というような妥協した評価に落ち着きました。
この作品が制作発表された時にまず思ったことは「本当に完成するのか?」という心配でしたが、鈴木Pの斬新なプロモーション戦略により完成するまでその心配を思い出すこともありませんでした。ポスターが発表されてからもほぼ忘れていたのですが、「プロモーションをしない」という鈴木Pの方針が話題になってから俄に気になり始め、上記トトロ以来の経験をする決意をしたというわけです。
私と同じ体験をしたい人は絶対にこの連休中に観に行くでしょう。連休中に観に行く予定の人はこの先を読まないでください。
行かなかった人はその後普通にどのような作品だったか、情報を目にすることになるでしょうし、少々のネタバレを食らったところで気にもしないでしょうから、ここから私の感想を書いていきます。ストーリーの核心をネタバレするつもりはありませんが前提となる設定などは普通にバラしていきます。
◆面白い?
「カリオストロ」「ラピュタ」のような痛快冒険活劇ではありません。「ナウシカ」のような設定をしっかり作り込んだ異世界ファンタジーでもありません。しかし、見ている最中「最高傑作」という言葉が何度も浮かんだのは確かです。「トトロ」や「千と千尋」を上回るか?と言われると、難解で観念的すぎる部分はありますが、明らかに上回っている部分もあるので、評価を決めるにはまだ何度も見る必要があります。というかすぐにでももう一度見たいです。
◆この作品を見るべきか否か?
文字通り宮崎駿の集大成なので、ジブリ映画で育った人間なら見に行かないという選択肢はありえないでしょう。ハウル以降は見なくてもいいと思いますがこの作品を見ずに日本のアニメのことを語ることは不可能です。というか、確実に「トトロ」や「魔女宅」などと同じように日本人のDNAに深く刻まれる作品になるでしょう。
◆良かった点
・文字通り集大成なので過去の宮崎アニメの要素が全て入っている
風立ちぬ→トトロ→千と千尋→ハウル→ポニョ→コナン→カリオストロ→ラピュタ
と怒涛のようにどこかで見たような風景、展開が続きます。二番煎じではありません。
本人にしかできないセルフオマージュであり、過去作を踏まえた上で、それが国民的記憶として共有されているからこそできる唯一無二の表現です。
そして、あらゆる影響を生み出してきたオリジネイターにしかできない圧倒的イマジネーションがあります。
主人公のモデルは少年時代の宮崎駿自身であり、半分自伝的な物語になっているが故に、少女を主人公とした「千と千尋」などより真に迫ってくる情感があります。
何より宮崎駿がインタビューで度々口にしていた母親に関する憧憬が、作品として昇華されているところが素晴らしいです。
コンテを描きながら公開日を決め、締切に追われながら作られた過去の作品は、若い頃は力技で最後まで渾身の力で作りきっていましたが、近年の作品においては終盤明らかに息切れが感じられました。今回は明らかに時間をかけてストーリーが練り込まれており、「ハウル」や「ポニョ」で顕著だった「えっこれで終わり????」という感覚は一切ありません。
「既存のストーリー構成の枠にはまらない」という手法は「千と千尋」の方法論を踏襲しているので唐突な展開の連続に難解さを感じる人もいると思いますが、終わってみれば一本筋の通ったストーリーになっており、深く考察する価値がありそうです。
「千と千尋」で確立した「ゆきて帰りし物語」のフォーマットを発展させ、導入はよりゆっくりと自然に、異世界に入ってからはよりぶっ飛んだ展開の連続で飽きさせません。結末も「これしかない」という納得感のあるものになっています。
・泣ける
「火垂るの墓」以外のジブリ映画で泣いたことはあまりないですが、様々な要因からくる深い感動で終盤は涙が止まりませんでした。米津玄師の主題歌がその感動に拍車をかけてきます。ズルいと思うぐらい良いです。
◆悪かった点
・なんか説教くさそう
説教くさそうなのはタイトルだけです。少年時代の宮崎駿が「君たちはどう生きるか」を読んで感銘を受けた、という以上のことは原作との関連は読み取れませんでした。原作を読み返し、何度も見て考察したい点です。
バレエ講師のAV出演バレにともなう騒動(実態としてはセルフ炎上マーケティングと推測する)は、芸能人の浮気バレと似たようなものだと考えている。広末涼子を例にすればわかりやすいだろう。浮気が世間にバレてテレビCMなどの契約が打ち切られたが、これを擁護する意見はあまり見られない。一方で、スポンサーに対して「なぜ契約を打ち切ったのか?」といった非難の意見もまた見られない。広末涼子とのCMを打ち切ったキリンホールディングスの広報は「商品の価値を伝えることができないと判断した」と述べているが、企業の広報戦略を考慮するにあたって至極妥当な経営判断だろう。
また、契約の打ち切り自体が適法であることは言うまでもない。雇用契約を結んでいるのなら民事上の不法行為だけを理由に解雇できないが、広末涼子とCMスポンサーが結んだ契約はあくまでも業務請負契約だからだ。契約の詳細については推測の域を出ないが、タレント本人のブランドイメージの毀損があった場合に契約の取消しを可能にする事項があっただろうことは想像に難くない。
件のバレエ講師(兼AV女優)とバレエ教室の間の契約でも同様のことがいえる。バレエ講師とバレエ教室の双方で契約の継続や打ち切りの自由があっただろう。バレエ講師は来月のシフトを勝手に決められて指導日を無しにされたと述べているが、業務請負契約だからこそ可能な契約変更だ。雇用契約だったならばこうはいかない。
AV女優が子供にバレエを教えたらいけないのか 【https://anond.hatelabo.jp/20230628114724】
私自身の考えは述べ終えたので、上記記事の主張に対して意見を述べていく。まずは、タイトルに対してだが、元記事において『私は彼女がバレエを教えても良いと思う』と結論を先に述べているが、それに関しては私も同意見だ。そもそも、バレエを教える権利を侵害することなど誰にもできないからだ。AV女優が自らバレエ教室を開いて子供に教えることだって自由に決まっている。もっとも、すでに述べた通りバレエ教室がバレエ講師を選ぶことも自由なので、バレエ教室側から反発を食らえば講師が仕事を失うのも当然のことだと私は考える。
そういう意味で、性産業に従事する先生というのは、(子供にAVを見せろという意味ではなく)そういう人もいる、という理解をする良い機会なのではないかと思っている。
これには私も同意見である。ちなみに日本の存命人物で、最もその思想を体現している人は壇蜜だと考える。ヘアヌードモデルや成人指定映画に出演した経歴を持ちながら、NHK高校講座で講師役を務めたことがあるからだ。とはいえ、AV出演した経歴を持つ人で該当する人は思いつかないので(単に私が知らないだけかもしれないが)、社会全体が性産業を忌避する風潮はまだまだ払拭できていないのだと思う。
個人的には、性産業から政治家になる人が出てきたらいいのにと思っている。官能的表現をふんだんに盛り込んだ小説を書いた元東京都知事が政治家になったのは半世紀も前のことだというのに、未だに性産業が政治に力を及ぼすに至っていないことには残念だ。政治力の欠如が、当事者を無視したAV出演被害防止・救済法を生み出して、かえってAV俳優を苦しめていることに繋がっているのだろう。
最後に、このAV女優がバレエ教室が舞台のAVを撮った事を「バレエを性商品化しないで!」と怒っている人もいるようだが、正直学校やオフィスが舞台のAVがこれだけ出回ってて、そっちに従事する人の方が圧倒的に多いのに、何でバレエだけ怒るの?としか思えない。
非難の声は多いがバレエを性商品化したこと自体の反対はごく一部だと思う。例えば新体操選手やシンクロ選手がAVに出演する(という設定?)ことが多々見受けられるが、大抵は元選手であり現役の選手ではない。もしも現役の選手がAVに出演してTwitter等で競技の風景を無断で公表したら、実在する団体のブランドイメージを毀損することになって非難を受けることだろう。件のバレエ講師が炎上した主要因はそこにある。AVによくある『元選手』等の肩書ではなく現役を名乗ったことと、実存するバレエ教室を匂わせていたことが炎上につながったのだろう。
ただ、彼女は刑事罰になるラインを見極めた上で炎上マーケティングをしているので、忌避感を抱く人も言語化するのが難しかったのだろう。バレエ教室の名前やロゴを出していたら商標権の侵害だし、バレエ教室に通う生徒の顔を写したら肖像権の侵害だ。そうしたあからさまな違法行為を避けて、民事上の損害賠償請求になるかどうかのギリギリで広報活動をしていたので、非難をするのは難しいのだろう。さながら芸能人の不倫騒動を無関係の一般人が語るようなものだ。民事上の問題は当事者でないとわからないので、門外漢が語っても的外れな意見にしかならない。私自身も面白いテーマだと思ったから長々と意見を書いてしまったけれども、当事者にとっては頓珍漢な意見でしかないだろう。
学校やオフィスが舞台のAVは多々見受けられるが、実在組織名を使った例はおそらくないはずだ。現役の大学生を肩書にしたAV女優は大量にいるが、やはり実際に大学名を商品パッケージ等でアピールした例は見受けられない。AV女優の紗倉まなは高専在学中にAVデビューしたことで有名だが、高専出身であると公表したのは卒業してからだ。デビュー時は工業系の専門学校とぼかした表現をしていて高専生であることすら隠匿していたのだ。デビューしてすぐに高専生であることが知られてネット炎上して高専の教師にまで知れ渡ることになったが、紗倉まな本人は在学中はひたすらAV出演を隠し通したという。紗倉まながAVデビューしてすでに10年が経つが、やはり今でも学校や職場にてAVの仕事も兼ねていることを公言できない風潮は続いているのだろう。
とはいえ、性産業に対する社会の忌避こそが性産業従事者の高収入につながるという一面を否定することはできない。峰なゆかは自身のエッセイにて、もしもAVに対する偏見がなくなったら、学生や主婦が気軽にアルバイトとしてAVに出演するようになりAV出演による稼ぎは最低賃金近くにまで落ち込むだろうと述べている。そんな社会では性産業が大衆化・低コスト化して、性産業に対する魅力は作り手側にとっても利用者側にとっても無くなってしまうだろう。そう考えれば性産業を必死になって忌避している人の存在も、性産業の価値を高めるには必要不可欠といえよう。性産業を忌避することも魅力を見いだすことも表裏一体なのだ。
友人と語らい、カラオケにでも行き、趣味にかまけ、結婚でもする。
ニーチェやブッダやハイデガーみたいに強くなれる自信なんてないし、もう心はかなり限界になってる。
実存的な苦しみから逃れるには目先の生活にまるっきり埋没して忘却するのが一番。
そんな事は分かっているのだけど、根源的な不安と向き合う事が誠実な生き方に思えてならないし、手放したら「私」が終わってしまう気がする。
一切の妥協なき自己実現を諦めたり、初めから関心がない人から何を言われても全く心に響かない。
命そのものには何の価値もなくて、命を使って意志を持ち自分の信念を追求する事をやめたらそれは石ころと変わらない。
早起きして奴隷船に乗ってしたくもない賃金労働をして、残り少ない余暇も気力を充足させる気晴らしに充てるばかり。
より多くの余暇を得るために少ない余暇を使って金稼ぎのスキルを身につけるなんて、そんな回りくどい真似をするのももう面倒臭い。
世捨人になりたいと思っても、半端に内面化された社会性が邪魔をしてくる。
適当に書く。脚色したり故意に現実と変えたりした部分はいくつかある。けど、おおむね本当の話。だけど、フィクションなんだと思ってください。
元々はよくいる男のオタクだった、と言って良いと思う。といっても、オタ活で人生が充実していたというタイプではなくて、抱き枕カバーとかタペストリーとか買ってSNSで見せびらかすということもなくて。そこでアイデンティティを主張してた訳ではなかった、という意味では今風のオタクではないのかもしれない。
ツイッターで数千人くらい、絵師とか同人作家とかエロ漫画家とかフォローしてた。VTuberは見ない。基本的には絵を描く人のフォロワー。
たまにはすごい気に入る絵師というのは現れる訳で、『推し活』をやるかどうか、迷ったことが何度かある。けど、そういう文化は自分には合わなかった。リプ欄見てるとなんか歯ぎしりしたくなる。
同人誌の委託とか、電子書籍販売とかで、粛々と買う。あとFANBOX入ったりする。多いときで月に数万円使ってた。
この数万円という金額は、俺はコアなオタクであると主張するにはたぶん少ない金額だし、かといって俺の所得の内訳の中で、無視できるほど少ない金額でもない。
サブカルの世界でそれ以上なんか何者かになろうとは思わなかった・・・というと、違うのかもしれない。ワナビめいた憧れが絶無だったとも思えなくて、ただ、幸か不幸か、本気になって取り組んで挑戦する気にはなれなかった。
俺がなんかやるとしたら、音楽はぜんぜんレベル高くなかったけど少しやってたことがあって、もしかしたら作りたかったのかもしれない。そういうことは今でも思う。
というのが前提。書いてて自分でもつまらないと思う。俺みたいなのはよくいるタイプだとも。
あと、書いてみると、無意識にルサンチマンが煮えてたんだろうな、ということがなんとなくわかる。イラストは好きなんだけど、イラストが好きな人たちの界隈の空気にはぜんぜん入っていける感じがしなくて、ただの消費者に押し込められる感じがしてた、というかさ。イラストAIに手を出したのは、そういうのの影響が絶無だったとも思わない。あ、これは一応は予防線のつもり。
で、ここから本筋。
AIイラストが出始めたときは、まあホットな話題だった訳で、絵師数千人もフォローしてるのでツイッターに流れてくるたくさんの情報はそこそこ追えてた。「ふーん」くらいに思って眺めていた。初期のNovelAIとかは、「上手いイラストが描ける」というのとはぜんぜん違う代物だった訳で、面白いけどそれなんの意味があるのよ? というのが最初の頃の感想。
どうやら意味のある絵が描けるらしいな、ということがわかったのは今年に入ってから。だいたいイラストらしいものが描けるAnything-v3.0というモデルが出てきて、これもやはり「ふーん」とは思ったけど、多少は感心した。このペースで進化するんだ、という感じ。とはいえ、『イラストらしさ』が出てくるだけならpixiv、っていうか俺の場合は普通にツイッターのタイムライン、を適当に見た方が楽しい訳で、この頃でもまだ存在意義がわからなかった。
さて、この頃から同人コンテンツの電子販売サイトにはAI生成のNSFWな奴がずらずら並び始めて、俺は冷やかし半分に買ったりしていた。
実用性は、最初の頃は「うーん」だった。というか今でも、ああいうところで売ってるのは「うーん」なのが相当多い。人がイラスト描いて作ったのに比べると同じボリュームでもぜんぜん安いので、ギリ存在が正当化されないこともないかな、くらい。
とはいえ、たまには当たることもある訳で、頑張って漫画を作り始めた人たちのとかは、粗が多いとか漫画として出来が悪いとかを割り切れば、『今晩のおかず』に使えたりした。あと、すごく安く買えるCG集で、普通にNovelAIのつまらないAI絵なんだけど、ボリュームあるから多少は良い絵が混ざってるとか、シチュの力で抜けるとか、そういうこともあった。
そんな感じで、気づいたら販売サイトのAI生成の新作はけっこう真面目にチェックしてて、悪くなさそうなのを(相変わらず冷やかし半分という気持ちはあったけど)ぽちるようになっていた。し、この頃からAI絵師(この頃は術師という言い方はまだそこまで流行ってなかったように思う)のアカウントをフォローしてウォッチしたりもしてた。
そういう感じだった期間が、一ヶ月くらい。
俺にとって革命だったのは、AbyssOrangeMix2というイラストAIモデルで生成された絵が、そういうところまで流れてき始めたこと、だったと思う。
最初に見たのが、ツイッターだったのか、販売サイトだったのか、どっかのブログのまとめ記事だったのかは思い出せない。とにかくウォッチしてたAI絵師界隈で、やたらクオリティが 高く見える(傍点) 絵が流れてくるようになった。
「こういうの出るんだ、これは人には描けないので、AIの存在意義あるだろう」
ちょっと話が逸れるけど、自分でイラストAIを触り始めてからというもの、そういうのが成り立つ仕組みは、なんとなくは把握するようになった。
AbyssOrangeMix2というモデルは、リアル系マージモデルというジャンルの、古典的な代表格みたいな代物である。つまり、イラストを描かせるAIに、実写美女風画像を生成するAIを適当に混ぜ込んである。そうすると、服のディテールとか身体の表現とかがすごくなってエロい。
まあ上手く配合比率とか設定できれば、という話ではある。AbyssOrangeMix2はやたら完成度が高くて、未だにこれメインで使う人もいるようなモデルである。
Stability AIの中で働いててAI研究してるような人からしたらクソどうでも良い技術なのだと思われるけど、AIイラストの界隈では革命だった。
上に書いたことを繰り返すけど、イラストAIを使って『イラストらしさ』が出てくるだけなら、『人が描いた絵』を見れば良い。けど、『AIイラストらしさ』が出てきてそれが『人が描いた絵』とは違うベクトルで美しいなら、イラストAIの存在意義を認めるしかない。
そういうものである。逆に誰でも簡単にすごい神絵師みたいな絵が出力できますというイラストAIには(まあそういうのがあるとして、というかあるんだけど名前は出さないでおくとして)俺は率直に言って存在意義を感じられない。
だいぶ話が脱線したので本筋に戻すとして、そういう訳で俺がイラストAIに価値を見出だせるようになったきっかけは明確で、AbyssOrangeMix2である。その頃の俺は、初めてAI絵師のFANBOXに登録してみたりする、というムーブをしたりした。
とはいえこれ自分でできるわ、とも思ったのは、事実ではあって。
自分でやると、自分の性癖にフィットするので、そういうところを狙いたかった。
やや埃を被っていたデスクトップPCの数世代前のGPUを5万円くらいの新しめの奴に買い替えて、AIイラスト始めてみたりした。
最初の一週間くらいは、なにもかも思い通りにいかなかくて大変だったけど、ググってノウハウ調べて色々試行錯誤しながらやってたら、なんかちゃんと自分の性癖に刺さるものが出るようになった。少なくとも俺は抜ける。
あ、俺はIT系で、そういうの慣れてる。windowsでやるの面倒くさいだろうと思ってlinuxで動かしてる感じ。そういう人がなんとなく使えるようになるのに一週間なので、慣れてない人はもっと努力しないとできないであろう。
で、しばらくはネットに晒さないでこそこそやってたんだけど、こういうのは他人に見せて、という要素がないと行き詰まるわ、ということも感じるようになった。それで、某所と某所と・・・に上げるようにした。上げててもフォロワー二桁なんだけど、それは積極的に宣伝してないし始めて日も浅いのでその・・・という感じ。
ちなみに、渋とかには投げないようにしてる。サイトに投げるとしてもAIイラスト専用サイトである。あとツイッター。一次創作しかやらず絵柄LoRAとか既存絵からのi2iとかは当然やらず第三者が検証できるようにプロンプトとか設定とか基本的に公開してる。それ使うのどうすか問題を棚に上げれば(AIイラストそれ自体の是非と、あとNAIリークの問題がある)、わりかしクリーンなもんである。そして、それで金を取ろうとは思わない。
自分で言うのもなんだけど、さすがにヘタクソなの投稿してるとは思ってなくて、それなりにこだわって質が良いのを投げてるつもりてはある。まあまあ気に入って継続的に見てくれてそうな人も数人はいる雰囲気で、俺はそれくらいで良い。あと、それで繋がりが出来たというとさすがにそれは嘘だろ、なんだけど、それ繋がりでたまにネットでお話する人とかはなんかいて、現状は割と居心地が良い感じである。
『俺はいかにしてAI術師になりしか』ってことなら、経緯としてはこれくらい。読んできた皆様は、文章くどい割に中身がないことに薄々感づかれているであろう。AIイラストやる人間のクリエイティビティは大したことないので、大目に見て欲しい。
で、以下は余談的な話。
こないだツイッターで燃えてた?話で、AIイラスト作ってる人も努力してるんだよ、いやしてねえだろ、みたいなのあって、面白がって眺めてたんだけど。
俺たちは費やしてる時間ということなら、たぶんけっこうそれなりの量を突っ込んでるのは事実である。もちろんAIイラストが始まって数ヶ月しか経ってないので、これまでの蓄積の総量ではイラスト描く人たちには負けるけど、それなら数年後には追いつく訳で。
それを努力と呼びたい人がそう呼ぶのは構わないと思う。ゲーム遊んでるのとなにが違うんだ、とも思うけどね。
イラストレーターになるような人っていうのは、それこそ十代の頃から人生賭けてやってるんだろうなあ、というのはツイッターで見ていると伝わってくる。それと、不特定多数に対して自分の実力の承認を求めないと生きていけない、というのはかなり辛いことだろうな、ということも。それで病んで潰れちゃった人ってよく見るしね。職業イラストレーターで食って行こうというのは、大変なことであろうな、というのは、見てるだけの人も察することはできる。
で、俺たちはそういうことはなくて、なんとなく人生歩んでて、創作(仕事とかなんとか言い換えても良いかもしれない)って人生とか実存とか賭けてやるようなことじゃないとか思ったから、ここにいる。
イラストになにを求めてるかって、端的に嗜好品だと思ってて、ささやかな癒やしを買い求めたいに過ぎない。
イラストレーターさんたちがそういうところで商売してくれるかっていうと必ずしもそうではなくて、SNSとかでは必ずしも嗜好品として実用的なものが伸びる訳ではないっぽいので、イラストのトレンドと俺たちが欲しいものって、けっきょくどんどんずれていく。その中でどうにか自分の性癖に近い絵師をがんばって探してその人から買って人によっては『推し活』していついなくなるかわからない絵師を支えて、という日々だった訳である。そういうのが楽しい人は良いんだろうけど、全員がそうでもない、というかオタクというかサブカル消費者やるような人間の中では楽しんでやってる奴は少数派じゃないの?と思う。
でもイラストAIさんはそういうの端折らせてくれるので、確実に俺たちのニーズには応えている。好みの絵柄が出るようになるまで設定をチューニングして(モデル選び、生成の設定、プロンプト、LoRA適用など、ここには意外と努力と技術が要るのだが)、あとは欲しいだけ出せば良いんだから・・・
・・・というのは大嘘で、どんなにプロンプトで頑張っても欲しいポーズとか服とかが出てこない(学習がちゃんとできてなくて描けない)からControlNetでなんとかとかLoRAで云々とか、あと細かい粗とかは常にたくさんあるのでそういうの修正したいとかやりだすとここでもやっぱり努力しないといけないとか、そういう問題はある。
でもそれは努力でなんとかなる問題で、覚悟は問われない。ゲームをやり込むのと同じ。
俺は、覚悟のない人が余暇にやって、自分の欲しいものと多少の繋がりを得られる、っていうのは趣味というか道楽としては素晴らしいことだと思う。
そう、イラストAIとは、道楽である。たぶん、俺たちは、それをそれ以上のものとは思っていない。
ネットで見かけるAI術師たちを見てると、「AIを使っていることは不問とするならば、ちゃんとモラルを持ってやってるんだろう」という感じがする術師って、俺みたいなタイプが多そうなんだよね。ちなみに、すごくたくさんいる。たぶん一番多い。フォロワーせいぜい3桁なので目立たないけど。次に多いのはお金儲けとか一山当てるとか承認欲求とかやりたい人って感じはし、それより更に少ないほとんど例外的な人種として「なんか邪悪なことをしたい人」がたまにツイッターに湧いてるかな、という感じ。
雰囲気は昔の2ちゃんねるっぽい。大多数の利用者はなんとなく楽しみたくてやってる名無しさん。気の利いたことをやって認められよう、みたいな奴もいてIDで呼ばれたりコテがついたりしている。荒らしは数は少ないけど暴れるので目立つ、みたいな。
それでなー。以下は本当に余談というか、まあ世間の論点にいっちょ噛みくらいはしておきましょう、というお話。
俺たちは別に金取ってなんかしようとかそういうつもりはない。繰り返すけど、自分のためにささやかな癒やしが欲しいだけである。そういう意味で、イラストレーターさんの仕事を奪おうとかはまったく思わない(ある人・・・というか、そうさせたい人にはどう対処するの問題はある。それはそっちでイラストレーターさんたちはどうにか頑張って対抗してください、としか言えない)。
ま、実際問題として、AIイラスト垢って今のところ、同族のAIイラスト垢にフォローされて伸びる以外ではぜんぜん伸びない感じもするし。
ただし、俺のサブカル向け出費は順調に減少している。5万円するグラボを買っちゃったけど、節約効果で来月くらいにはペイしそうなのも、また事実である。
俺がサブカルに何万円も使ってたのって一種の中毒だった訳で、AIイラスト道楽中毒になれば相対的に安い訳で、差し引きプラスになる。『今晩のおかず』を自給自足する割と実用的な手段であるという効果も相まって。
これはつまりは縮小再生産に加担しているということであって、その点に関してだけはやや胸が痛む。
とはいえ、「オタク向けの商品をバンバン買え!消費しろ!」というのに踊らされ続けるのも、しんどい訳でさ。降りさせてくださいな。去るものを追わないでくれ。
今のAIイラストっていうのは、これまで書いてきた俺の事例みたいに、努力はできるが覚悟はできなくて満足が得られると嬉しい、というニーズに一番合ってると思う。おかずを地産地消し、その過程でも享楽が得られる、という道楽である。他人の出したAIイラストっていうのは、まあそんなに低くない頻度で刺さるのはあるけど、基本的にはそれを楽しむくらいなら自分で出した方が、ってところがある。逆に、AIイラストやる他の人に刺せると、してやったり感があって嬉しいというところもあるけど。
で、俺らみたいなのって、けっこうそういう意味の努力が要求されるのは事実。
そういうところが面倒くさいので、ものすごくでかいムーブメントにはならないはずである。ゲームを本格的にやり込む『廃人』みたいな人が数の上では少ないのと一緒。
『nijijourney V5』というサービスがある。『神絵師らしさ』を存分に発揮した画像がツイッターとかでよく流れてくるので、ご存じの方も多いと思う。これは無料枠でもそこそこの枚数、月額数千円課金するともっとたくさん、イラストが生成できて、しかもそこまで面倒くさい設定とか要らない。Discordで割とシンプルな呪文を投げれば向こうが勝手にやってる最適な設定で動く、ようなサービスになっている。
現状、これがいまいちなのは間違いないと思う。『神絵師らしさ』は出るんだけど、それはどっか上の方に書いた理由で存在意義がない、と俺は主張する。あと、それより根本的な問題としてはNSFW出せない縛りがあってそれがきついとか、あと本当に「誰がやっても同じ」になってしまうので自分の性癖に刺さるものにチューンできないとか、色々問題点はある。
けど、そういうのをなんとかした後発サービスはどこかの会社が頑張って作ってる最中だろうという気もして、それがサービスのクオリティというか気の利いてる度合いみたいなところで「俺たちが使える水準」になれば、でかいムーブメントになるのかもしれない。
なったら、あとは俺たちの縮小再生産が勝つ。
「AIに仕事を奪われる」立場の人たちってすごい大変だと思うけど、その反対側では「そもそも仕事にならなくなる」という形で需要が溶けていく部分もあると思うんだな。そういう需要で食ってきた人はどうするんだろう、みたいな。「イラストAIの方が低コストで需要に応えられる」ならこれまでイラスト描いてきた人たちが覚えて使えばそれで良いという話もあるけど、それ以前に需要のいくらか(ぜんぶではないにしても)は消滅する方向性である。現に俺は節約できてしまったのだし。
そういうのはあんまり正規雇用の職業としては成り立ってなかったという意味では「イラストレーターの仕事を奪わない」かもしれないけど、じわじわ来るだろう、みたいな。
そういう意味でイラスト文化というかイラスト産業の未来は明るくない気がするのだけど、とはいえそれがものすごく明るいものに見えてたのが異常だった、ということかもしれない気もしていて、ちょっとよくわからない。
俺は節約したとはいえ、サブカルに落とすお金がゼロになった訳ではないし、まだ消費者を名乗れるのだけどさ。
ささやかな癒やしを買いたい人に、ささやかな癒やしを売れてなかったという意味では、そのシステムはずっと前に壊れていて。AIって、つまるところそれを露呈させただけだと思うよ。
偶然だが最近、銀英伝のアニメ見たんだよ。まあ全編じゃなくてyoutubeに上げられてる細切れのエピソードを数十個って感じで。
この増田みたいに銀英伝への憎悪を顕わにする高齢オタクが憤懣ぶちまけてるのをたまに見るので気になってたんだな。特にヤン提督っていうのがリベラル代表として憎悪されてるのが多い。
https://anond.hatelabo.jp/20230407234853
結構面白かった。民主政の意思決定のダメさとか現場の意見が無視されて甘い見立てが人気を得ちゃうのとか色々テーゼが山盛りなのな。
でもTwitterやヤフコメで暴れてるオタクがヤン提督にイキってるのってヤン提督の態度や思想でしょう?特に有名なところだと
それは、権力を持った人間、権力に媚びを売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。
宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いをつづけるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することから始めるべきではありませんか。」
ってやつ。
何でかと言えば、最近というかここ数年「軍師」批判がポピュラーになってる。特に叩かれやすいのがネトウヨで軍師は居るが兵隊は居ないっていう界隈になっていて、己の能力の客観視と自意識のすり合わせが出来ていない集団を外から見たらそりゃ軽蔑されますわな。
はてブのコメでもよく見るが、自我の防御として言ってるケースが目立つ。言われたら痛い事を自分から言うってやつね。
特に2/5chでなんJとアフィまとめブログが衝突を繰り返すようになった5年くらい前から叩きの言葉として流行しており、ストレスが溜まっているのではないか?
先に引用したセリフはまさに軍師批判エッセンスみたいなもんで良く貼られてるのを見るしその度にイライラした反論チックな事がされている。
また元増田の
というのを見た事が無いのだが、どういうのなのか?ポリコレなどに過剰適応?
それに
とナチュラルに常識へのルサンチマンが出てるのってどういう事なのかね?
「元増田が新しい社会常識」についていけない老害なのではないかとの疑念がわく。
1970年に「増産より公害対策を」と言っているのは共産党などの左翼が中心だった。だが20年後の1990年には公害対策は規制に組み込まれあらかたの公害は解決に向かっていた。既に工業規格と共に公害規制を熟知していないと倒産する時代になっていたわけだ。
1975年にはどこにでも痰ツバ吐き放題、だが1995年に道端に痰ツバ吐いたら顰蹙だし客先の敷地でやったら出入禁止の懲戒解雇だ。
もしかしてその痛い第二世代ってはてな村の旧村長みたいな人の事を言っているのか?
この度のコラボ攻撃やその前の温泉娘擁護で批判者を炎上みたいなムーブメントに冷淡な人らの事を言っているのか?
温泉娘では吹き上がったオタクはオタクイラストへの攻撃だとの扇動にまんまと乗ったが、その実はイラスト拒絶じゃなくて昭和脳な運営の黒岩知事流出メールみたいなオヤジの小汚い性意識開陳でそれへの炎上だった、っていう所まで見ていて覚えているところとかが一体感に水を差して不愉快なのか?
その前の中野まんだらけ騒動では対面の商店主の批判は「お気持ちだ!」とフェミへの批判と同じ道理で炎上させて潰せるとオタクたちは思っていたが、その一体感に背を向けてこれは風営法案件である事、風営法の管轄官庁は警察署である事、行政権と司法権が近く更に裁量権が大きい分野である事、などを説明する人を見つけ出して読み、オタクの一体感には冷淡だった事が不愉快なの?
コラボ騒動ではそれらの経験を踏まえてオタクらの一体感に水を差し、「また同じ理路と実存操作で扇動されてる」と冷淡だったところが気に入らない?
最初から「共産党との癒着で」「NPOのスキームを乱用して公金ガバガバゲット」「保護した少女を管理売春」「汚部屋宿舎に超高額請求」というところから始まっているので今までの経験から絶対にまともな批判にならないと見抜いていた事がポリコレ的?
それらがデマである可能性が高い上にそのデマがネットでは既存の形式なのでセットになるデマがあり、駅前の放置自転車のカゴの様にデマがデマを呼ぶ展開となって、社会的な物事を知らないオタクへの軽蔑を深める展開となる事を最初から見抜いていた事が「新しい社会常識」への恭順的で気に入らない?
新聞が産経を除いて記事にしない、更にそれに対して「マスゴミが報道しないフンダダラ」「報道しない自由」という反応があるのを観察して「ああいつもの」と冷淡だったのが気に入らない?
まず2002年頃まで。ここでは2chはネオ麦茶を生み出した悪意垂れ流しのバカの集まりで近づいてはならぬもの。
2002~2007年くらい。2chの影響力が増す。特に後を押したのが小泉改革で、既存の道徳を破壊してもいいし我らはその抑圧されていた主体だ。僕らが目指すのは常に上。
2007年~10年代前半。Mixiが流行。そもそもMixiがあれだけ成功したのは「2chではない」からに尽きる。顔出しや所属明記してのネット活動は2chのエサになるので出来なかった。その普通の人らの欲求に合致した為に大流行。
一方、コアな2chユーザーは2chで炎上して炎上側に居たらネットでの正義、という一体感と全能感の前提が崩れてしまいMixiに異常な悪意を抱いていた。病的なやつは「2chは自由、Mixiは北朝鮮」と数千ものコピペを貼りまくっていた。
10年代前頃~後半。ネット広告の伸長によりまとめブログが大隆盛。不愉快な反対意見を削除してまとめてくれるので閲覧者は全能感全開で気持ちがいい。だが広告単価が高くなるとヘイトスピーチの様に反社会的で程度の低いコンテンツは掲出拒否や契約解除されるようになり低調に。
オタク第二世代というのはこのオタクを中心としたネット民が共同性を持ち、強い隣組的行動則で異論をパージし「若者の異議申立」の文脈で企業脅迫や誤情報流布での評判操作をもしていくという中で人格を形成していった世代だ。
そんな不遜な態度に異を唱える者もいた。例えば大塚英志などだ。
大塚の主張は大人ならオタク産業は給与や報酬の交渉権すらない(労働組合や職業組合)のに目を向けろというものだが、単に一体感や全能感を棄損するオタクバッシャーとして異端追放されるだけだった。
『さらば青春の光』っていう英国映画があるんだが、モッズという暴走族の物語だ。イタリアのベスパスクーターにミラーやライトなど過剰な飾りつけをして陸軍の野戦コートを着て集団で走り回り大人が目をひそめる事や喧嘩してばかりいる。
警察に捕まった主人公はカリスマモッズのエースに出会って心酔する。エースのベスパはGSという高級車種だ。
裁判では仰々しい説教の後の判決が罰金刑だったので「そんなもん今この金で払ってやるよ」とコケにして仲間で大ウケ。
だがエースたちもやがて「大人になる」時が来るのな。エースはホテルのベルボーイになってヘイコラする労働者になった。
主人公はこの姿を見るや、世間に迎合した憧れのエースに憤懣やるかたない。日経新聞と朝日新聞を併読する大人になんかなりやがって!いや間違えた、こっちは反ポリコレしか知らないのに法規制や過去の慣行やその上での現在の業界事情を知りやがって!これも間違えた、とにかくお前はあのエースじゃない、俺の心の裏切り者だ!
エースの愛車だったベスパGSを盗んで走り出した主人公は速度をつけて崖からGSでダイブ。エースのGSがグチャグチャになったところでフィルムはストップ。
だがその後主人公は生きていてトボトボと歩いて行く…っていうのがあらすじだ。
元増田らあんたらは結局世間的なものに迎合して己を変化させて行くオタク第二世代のいくらかがインフルエンサとして目立つの気に入らないんだろう?
今まで自分の立ち位置を自分で確認した事があるのか?みんなで炎上させれば正義になる、だけど隣組がキツくて「これは違う」という事は許されない、そんな村落共同体みたいなところにずっと居ていいのか?因みに暴走族とかアウトローの世界はみんな同じ行動規範だ。そうやって「世界を閉じる」事で共同性や象徴性が堅固なものになるのだ。
暴走族も学生運動もいつか卒業するんだよ。18や22でな。あんたらはいくつだ?40代だろ?
オタクのくせにオタクの共同性に埋もれないやつらは元増田にとってのエースだ。レゾンデートルを否定するやつらだ。
だがそいつらはオタクの実存の外の社会でやっていくことでオタクコンテンツが価値を産むことを判っているからベルボーイをやっている。共同体の失敗を見ないという隣組規則は焼畑であり行き詰まり誰かが尻ぬぐいをする事になる事を知っているからやっている。
温泉娘は老若男女の旅行客に訴えてアピールする為にある。年喰ったオタクの性欲を開陳したいから掲出してくださいというんじゃ温泉宿もお断りだ。
デビット・ライス氏のブログはバランスの取れた議論と時折混ざる素直な感想が好きで、時々読んでいました。
『How to Not Die Alone』の書評とかは、あまり英語の文章を読めないものですから、とても有益で思わずメモを取ったほどです。
先日、私が好きな『責任という虚構』のブログを挙げてるなと思って読んでみて結構びっくりしました。
https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2022/10/04/155546
まず、全体的に内容に基づいた批判というよりも、文体や語り方の批判になっています。しかもかなり口汚くののしるような文体で、かなりショックを受けました。
普段、結構素直に感想を語っていらっしゃるなと思っていましたし、今回も個人の意見の範疇かなと思ったのですが、今回のは批判が結構ズレているし、主張の部分と著者の感想を取り違えているような気がしました。
一部(アンダーソンの手紙の部分)有益な情報はあったのですが、数度読み直してみても、全体的にズレているなと感じました。
普段ほとんど人の書評にケチをつけないですし、内容理解にひどい部分があったとしても特に反応もしませんし、私はあまりネットに名前を出して文章を書きたくないので、どうしようかとも思いましたが、はてな匿名ダイアリーはネットの片隅に残るようなので、少々ずるいかと思いますが、書いてみたいと思います。
気になったのは4つの点です。
一つ目。
書評の中では、ロールズについて書かれた箇所に出てくる「理想郷」という言葉から、理想と現実の対比を引き出して『責任という虚構』は理想論を模索する哲学者を非難しているとして、それに対する再批判を展開しています。
私が本書を読む限り、理想と現実の対比は大して重要な対比ではないです。
ライス氏は「理想的な基準や規範が存在することで、ようやく、「現状の財の配分のされかたは間違っている」と批判したり問題を提起したりすることができる。」と続け、それを理解しない小坂井氏を非難する文章を連ねてますが、この論点は本書の主張に対する批判になっていません。
著者の小坂井氏が言いたいのは、人の行動や社会の動きというのは、人の手を離れて自律運動して生み出されるもので、したがって人の意識や理性でコントロールできるものではないので、そもそもべき論とは雨乞いの踊りのように無意味なものだ、という主張だと思います。
規範について言い換えれば、現実の世界における規範は、論理的だったり理性的に構築されたものではなく、権威などによって根拠づけられていることで初めて人の心理的な抵抗を起こすことなく円滑に機能するので、理性によって規範を人工的に構築しようとしても、規範の生成のメカニズムが異なるのでどこかで無理が生じる、という主張です。
ロボットを作っても出来上がるメカニズムが違うので人間にはならない、というのと同種の主張です。
この主張に反論するならわかりますが、規範を否定しているのに規範論を行う著者は倫理的相対主義のジレンマに陥っているというのは、少なくとも本筋に対する批判ではありません。
実際、哲学者の山口尚氏もライス氏と同じく、小坂井氏の哲学者批判に反論されています。しかし、批判の直接の理由は価値相対主義のジレンマではありません。
https://note.com/free_will/n/n24feea05db99
二つ目。
「哲学者やリベラルやフェミニストなどが「ただしさ」を語ることは否定しながらも、「ただしさがもたらしている悪さ」や「ただしさを語っている連中の悪さ」をあれこれあげつらって非難することで「ただしさ」を語るという自分の行為だけは特権的に許容する」
ということをしていると書いています。ほかのネット論客の方の本を拝読したことがありませんので、それに対するコメントは控えますが、『責任という虚構』を読む限りこの批判はズレていると思います。
一つ目の内容で書きました通り、小坂井氏は、規範論で物事を理解しようとすると、どうしても現実に規範が機能しているメカニズムを無視することになりがちであると主張しています。
これは、政治に利用しようと思って進化を研究すると、進化の本来の仕組みを無視することになるのと同種の主張だと思います。規範が対象なので感情的な反発が起きやすい文章で(正直言えば小坂井氏もちょっとケンカを売っているような気もしますが)、ライス氏の言うようなものではないと思います。
三つ目。
ライス氏は、規範を論じる哲学者たちに小坂井氏が、「傲慢」「偽善」「おぞましい」などの価値判断を含む言葉を使いながら非難を浴びせかけていることについて批判的です。
実際、小坂井氏のほかの著作を読んでも、哲学者に傲慢や偽善、おぞましいと言える根拠はありません。あくまで小坂井氏の主張する範囲では言えば、哲学者は「苦しい言い訳」を捻りだしているだけであり、別にだからと言って哲学者が傲慢だとか偽善だとかおぞましいとかいう主張はできません。
ではこれは何かといえば、小坂井氏のただの感想なのだと思います。
ライス氏のブログで言えば、「好ましく思った」とか「イラっとした」みたいな文章に相当します。
私は小坂井氏にかなり共感していまして、こうした言葉に少し心を揺り動かされたりしますが、でもこれは小坂井氏の感想以上のものではないと思います。
こういう言葉が出てくるのは、小坂井氏にとって学問が、ある種の実存をかけた戦いだからなのでしょう。私はそういう学問観、正直すごい好きです。強く共感します。
でもこれは本筋ではないので、ここに関して批判するのは、好み以上のものではなく、論理的な主張になりえないと思います。
もしここに論理的な批判を加えるのであれば、上述した山口さんの批判文のように、主体を虚構と言っておきながら主体を前提とする「責め」を行っているではないか、というものになるのではないでしょうか。
(とはいえ、このような「責め」が著者によって行われること自体が、主体の"虚構"性を表しているとすら私は思いますので、別にこの本の価値は減じないと思っています。この本の中において、虚構は単なる嘘ではないのですから)
ちなみに、小坂井氏の言う相対主義は認識論的な相対主義のことで、善悪は単独では決まらず、枠組みに依存するという立場のことです。この立場に立てば、「小坂井氏という枠組み内では哲学者は偽善者だ」といっているにすぎないので、特に問題はないと私は感じました。ライス氏の言う「イラっとした」と同じです。枠組みを超えた正しさは主張できないだけで、言う分には問題ないと思います。
四つ目。
正直、上記3つだけであれば、この文章も書かなかったかもしれません。ライス氏の言うことも理解できなくはないですから。
しかし、これがあったので書こうと思いました。
端的に申し上げて、他人の著作の題名を加工するというのは、少々失礼ではないですか。
『責任という虚構』であって、『<責任>という虚構』ではありませんよね。
類似の名称の書籍『〈責任〉の生成』と混同したのかもしれませんが、ブログが書かれてから随分と経たれたのに直っていませんし、別のブログで批判的な言及をされた際にも同じ書き方をしていたので、もしかしたら、意図的なものかなとも思いました。
もし、ただの間違いなのであれば、訂正した方がいいと思います。どんな著作であれ、一生懸命書いたものだと思いますし、関わったのも著者だけではないのですから。
仕組みとしては、ゼロ知識証明の一種であるDAA使うのがよいとおもう。
マイナンバーを使うと実存性は高いレベルで担保できるけどプライバシーの問題があるのでTPMくみあわせてDAAするといいと思う。
https://trustedcomputinggroup.org/wp-content/uploads/051012_DAA-slides.pdf
https://tpm2-software.github.io/2020/06/12/Remote-Attestation-With-tpm2-tools.html
TPMからAttestation Identity Key(AIK)を生成して、マイナンバーでTPMのEndorsement Key(EK)に署名して、EKとAIKが同じTPM内部で鍵を生成したことを保証できる仕組みを使って鍵の保護となりすましを防ぎつつ、AIK → EK → マイナンバーで実存性検証をつなげる。
利用サービス毎にAIKは異なる物を利用できるので匿名性を保ちながら、実存性は担保できる。
あとはPrivacy CAを誰がサービス提供するかが問題かな。
昔Hal Finney(bitcoinの黎明期で名前が出ている人)って人がPrivacyCA作っていたけど本人は現在存命ではない
https://web.archive.org/web/20131213105613/http://www.privacyca.com/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%83%BC
TPM組み込まれてないiOS とかでも応用すれば出来るはず。
https://support.apple.com/ja-jp/guide/deployment/dep28afbde6a/web
MacはまだDevice Attestation対応してないけど、今後使える様になると思う。
Androidは知らん
あとは問題はマイナンバーの署名を検証する仕組みが必要だけど、OCSPへアクセスするたびに、金かかる。OCSPなんてリッチなの要らないからCRLでCDNかまして一日一度ぐらいでCRL更新したものばらまいてくれ。金もかからんし利活用が増えるとおもいます。
https://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01gyosei02_02000263.html
こういった需要あるんかな?作ろうかな。
追記: 上記の総務省のリンクの別紙二に小さく書いてあるし知っている。
細かい事はこちら https://www.soumu.go.jp/kojinbango_card/kojinninshou-02.html
EXID(イーエックスアイディー、朝: 이엑스아이디)は、韓国のガールズグループである。2012年デビュー。グループ名は「EXCEED IN DREAMING (夢を越える)」から来ている。 前事務所との契約満了に伴い2019年以来休止状態となっていたが、2022年に10周年記念シングル"X"をリリースしグループ活動の継続を示した。日本での活動は2022年のファイナルツアーをもって終了したとしている。
エキシディ(Exidy)は、1974年から少なくとも1986年(Chillerがリリースされた年)のビデオゲームの初期に存在した、 アーケードゲーム最大手の企業のひとつである。
Exchangeable image file format(エクスチェンジャブル・イメージ・ファイル・フォーマット)は、富士フイルムが開発し、当時の日本電子工業振興協会 (JEIDA)で規格化された、写真用のメタデータを含む画像ファイルフォーマット。デジタルカメラの画像の保存に使われる。略称はExifで「エグジフ」(もしくは「イグジフ」)。
エクシーガ(EXIGA)は、SUBARU(旧・富士重工業)が製造・販売していた7人乗り乗用車である。生産はレガシィやインプレッサ同様、同社矢島工場(所在地:群馬県太田市庄屋町)。
Eximindsは、モスクワ出身のアレキサンダー・ジュコフ(Alexander Zhukov)と、ドミトリー・モンジコフ(Dmitry Momzikov)による音楽ユニット。世界のレコードレーベルで曲を使用される、トランス・ミュージック界の売れっ子プロデューサーである。
message@ware exire(メッセージ@ウェア・エクシーレ)は、NEC製のNTTドコモのDoPa無線機一体型携帯情報端末(PDA)である。
実存主義(じつぞんしゅぎ、英: existentialism、仏: existentialisme)とは、人民の実存を哲学の中心におく思想的立場、或いは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想である。存在主義とも。
exist†trace(イグジスト・トレイス)は、日本のバンド。