はてなキーワード: 安楽死とは
突然だが、私は精神障害者だ。
診断は双極性障害Ⅱ型とADHD。障害者手帳3級は貰えるが、アルバイトなどは多少の遅刻や作業すっぽ抜けはありつつもなんとか出来て、障害年金は降りないレベルだ。
自分の人生に変革が欲しくて、水商売をやって見た。存外向いていたが家族の反対が物凄くて辞めた。
アイドルや舞台俳優のオタクをやってみた。確かにコンサートや舞台に行っている間はドーパミンが分泌されてるのか楽しい!となったがそれ以外が虚無だった。全部2年くらいで飽きた。
現在はといえば、休日は比較的にお金のかからないサブスクでアニメを見ながら布団の中で一日の大半を過ごし、それ以外の日は5時間くらいのアルバイトを週に3回程やっている。
当然だが、その収入だけでは生活できないのでアラサーにもなって実家で親に頼りきりである。
絶対に無理だ。自分の面倒すらまともにみられないのに子育てなんぞ出来るわけが無い。
そもそも、根本的に自分が好きでは無いので自分の遺伝子を継いだ子供を愛せる自信が無いし障害が遺伝したらどうしようという気持ちである。
因みに、唯一履歴書に堂々と書ける正社員は1年で無能すぎてクビになった。
ハローワークにもちょこちょこ通っているが、日に日に職員の顔色が厳しくなって出される求人も条件に対して給金が低すぎるものばかりだ。
解決策は老人を減らして浮いた金を若者の出会いや子育てに回すこと。
それには健康保険を利用した延命医療の全廃(私財でやりたいなら勝手にどうぞ)、安楽死の制度化、金のない独身老人の安楽死義務化によって医療費をへらさないと。
少子化対策って意見ががっつり分かれてて、こういうものこそ選挙で決定すべきだって思うじゃん?
1. 結婚は墓場。結婚したくない自由のため少子化は受け入れるべき
1.1. こんな地獄に子を作らなかった私は善。作った奴らは悪であり悪のなした子は責任を取って善なる老人のため奉仕
1.2. こんな地獄は次世代に残すべきではない。世の中に貢献できなくなったら安楽死する選択肢を
1.3. こんなヘルはジャパンだけ。いつか他国が盛り返すからその時は外国の傘下となって生きる。日本全国オスプレイ飛びまくり
2. 結婚が墓場かどうかは個人の判断。産む人は産み、産みたくない人は産まない。少子化対策は産みたい人にがんばってもらう
2.1. 産みたい人は10人でも20人でも産めるよう再配分強化。子なしは個人の選択の結果なので育休で頑張っていただいてる子ありに奉仕しブラック残業
2.2. 産みたい奴は国内に限らない。意欲のある移民を呼んでとにかく外人と結婚しろ。多産の南米母とインドネシア母がPTAで宗教戦争しても耐えろ
2.3. 結婚制度は自由主義に反する。婚外子同性婚(Lは精子バンクGは代理母)多人数婚何でもござれでとにかく子を増やせ。10代でシングル出産?国の宝だ不幸にならんよう全力で援助
3. 家族は社会の最小単位。少子化は皆が平等に結婚し子を産み育てることで対策すべき
3.1. 自由主義は失敗した実験。地域親戚の紹介でお見合いして嫁をあてがえ。引き籠ってパソコンいじってる場合じゃねえ町内会で爺に酌しろ
3.2. 今さら地域社会の復活は不可能。国策マッチングアプリでやり手婆の代替を。市民、家族生活は義務です
明日はどっちだ
【追記】
書き捨てたつもりが反響があって驚いた。既婚の友達は全員子育て中だし、センシティブな内容なのでオフラインでは言いづらかったんだ。
結論から言うと子どもはもう欲しくない。正確には欲しくない九割、子育てしたかった五分、その他(親や夫に子の顔見せられなくてごめん、など)五分かな。自分が不惑となりいよいよリミットが迫ったらこの割合がひっくり返ることあるのか、そこだけが不安。そんなわけで一応子なし夫婦人生を楽しく歩むつもりでいる。
禊のつもりで少し書き捨てておこう。実は親も結婚して数年子宝に恵まれず不妊治療をして兄をもうけている。だから『親の私たちも検査したのだからあなたもしなさい』と言われたこともある。母親には数年前、長文LINEで夫の発言含めた思いの丈をぶちまけたことがありその時は謝られた。しかし翌年になって養子を……と言われたので、もう何を言っても無駄だと思う。台詞を命令調で書いてしまったが、実際は『あなたのためを思って、あなたの老後が心配で』みたいな言い方をする一方で、子がいないのは恥という価値観が内面化されているのが透けているので余計に気が滅入る。
20代のころ不妊治療をと言われた際に『私は養子でもかまわない』と言ったら、養子は責任が重いから大変だ云々と言われたことがあって、それが今になって(おそらく忘れて)養子のことを持ち出してきたのでそれもげんなりポイント。私の気持ちなんて忘れるくらいどうでもよくて、自分の意見を押し付けたいだけなのかなって。
親と自分は違う人間であり、親の価値観に引き裂かれる必要などないと頭では分かっていても心がたまについていかなくなって、帰省が近いと一人の時泣き叫んでしまう。私自身が、子がいなくて恥という価値観を内面化してしまっているからかもしれない。
夫が不妊治療を怖がってた理由は、夫は少し病弱なので自分に原因があると思っていたからかな。離婚を切り出されると恐れていたのかも。男の沽券に関わるとか言ってた。でも私にも原因あると思うしそもそも原因とかどうでもいいし離婚するつもりだってないんだけどね。
引越しが住んで落ち着いて、もうちょっとお金を貯めて色々余裕ができたら足長基金などへの寄付とかボランティア活動とかしようと思ってる。そして親や夫の協力や世間体など外部は全て無視して私自身が本当に子どもを欲しい気持ちがあるのかもう一度よく考えてみようと思う。きっと気持ちは変わらないと思うけど。みんなどうもありがとう。
【追加ここまで】
女です。タイトルの通り。
結婚した時は27くらいで子ども生まれるかな〜と思ったら全然生まれなかった。
人並みに(?)子どもはほしかったので、29の時に産婦人科で相談したら『まだ若いからタイミング法から試しましょう』と言われ、一年できなかったから不妊治療しようかなと思ったいたけど夫が『子どもはほしいけど検査怖いから産婦人科に行きたくない』と言ったので(他にも価値観の相違から色々すれ違いがあり)、この時点で心が折れた。協力してくれないならわたしも不妊治療したくねーわ、と思い何もしないまま今に至る。
その間に実親には『あんただけでも不妊治療しろ、原因を特定しろ』とか、35超えてからは『養子をとることを検討しろ』とか言われ続けた。年をとればとるほど、家族との思い出で楽しいことよりも辛いことの方が多かったなとか、学校生活辛いことしかなかったなとか、わたし性格悪いから子供のことちゃんと育てられなそうだなとか、夫と足並みが揃えられないのに育てられる訳ないよなとか、子どもを生むことや持つことにプラスの感情がどんどん持てなくなった。
子どもはかわいい。私側にも夫側にも甥がいて世間一般なみの可愛がり方はしていると思う。子どもは光だから、安全に暮らせるような社会にしていきたいとも思う。育児ハック増田とか読むと子育てしている人たちは本当にすごいなぁと尊敬する。
家系の持病や健康診断の数値などから考えると、不慮の事故でもない限り夫の方が確実に早く死ぬ。夫を看取って一年後とかに死にたい。安楽死したいけどまだ難しいだろうな。
来月用事があり実家に帰省するし、来年から仕事の関係で知り合いなどの多いところに住むことになる。そこそこの若さで結婚して夫婦仲も(傍目には)良く経済的に困ってないのに子どもがいない、不妊治療もせず養子も取らないなんて非国民だと陰口言われるんじゃないかと不安になる。帰省が近くなると、実親に今度は何を言われるのだろうとかなり情緒不安定になって一人の時泣き叫んだりしてしまうので、増田に書いた。文章下手でごめん。
この意見にはいくつかの問題点や矛盾点が含まれています。それぞれの点を分析し、考察します。
• 問題点: この意見は、選択肢を増やすことが常に危険であるかのように一般化しています。しかし、「安楽死」と「選択的夫婦別姓」はまったく異なる状況や文脈であり、それぞれに伴う選択肢の影響も異なります。安楽死に関しては、生命の終結に関わるため、その選択がプレッシャーになることは深刻な問題ですが、選択的夫婦別姓は個人のアイデンティティや家族の在り方に関するもので、生命に関わる選択とは異なります。
• 改善策: 各問題について、その背景や影響を慎重に分析し、それぞれの状況に応じた議論を行うべきです。一つの例をもとに異なる問題に対して同様の主張を適用することは避け、文脈に合わせた議論を心掛ける必要があります。
2. 「選択肢が提示されると強制される」という過度な決めつけ
• 問題点: 「選択肢を提示されたら飛び込むしかない」という主張は、選択肢が存在すること自体を圧力と捉えています。しかし、選択肢が存在することは基本的に個人にとって自由度が増すことを意味し、強制的な選択を強いるものではありません。選択肢が存在することは必ずしもその選択肢を取ることを意味せず、むしろ自分の状況や価値観に応じた最良の選択をすることを可能にします。
• 改善策: 選択肢の提供がすべてのケースで圧力になるわけではないことを理解し、選択肢が提供される際の条件やサポート体制についても考慮するべきです。選択肢が存在することと、その選択肢が強制されることの違いを認識することが重要です。
• 問題点: 選択的夫婦別姓と安楽死の導入を同列に論じることは、議論を混同させる要因となっています。安楽死は生命の終結という非常に重大な決定であるのに対して、選択的夫婦別姓は結婚後の姓に関する選択の自由を提供するものであり、その影響の質や範囲が異なります。両者を同じ基準で比較するのは適切ではありません。
• 改善策: 各問題をその特異な文脈で捉え、同じフレームワークで扱うのではなく、問題の性質や影響に基づいて異なる議論を行うことが重要です。
• 問題点: 「選択肢が存在することが圧力になる」という主張は、個人の選択の自由を否定するものであり、選択肢を増やすことが必ずしも個人にとって有害であるという前提を暗に含んでいます。選択肢を増やすことは、個人がより多くの可能性の中から自分に最適な決定を下せるようにするもので、圧力として捉えるのは偏った見方です。
• 改善策: 選択肢の提供が人々に与える自由と、その選択肢を取ることに対する社会的圧力の区別を明確にし、適切なサポート体制や情報提供を通じて、真に自由な意思決定を支援する方法を模索するべきです。
この意見の主な問題点は、異なる事例(安楽死と選択的夫婦別姓)を同じ議論の枠組みで扱い、選択肢の提供が常に圧力になるとする過度な決めつけにあります。改善策としては、各事例を個別に分析し、選択肢の提供が自由な意思決定をサポートするものとして理解されるよう、文脈に応じたアプローチを採ることが重要です。