はてなキーワード: 安定剤とは
安定剤…飲もうか(使命)
「介護士ですが、クライアントに暴言や嫌がらせをされて辛いです」みたいな話がしょっちゅうSNSで話題になるけどさ、そんなの認知症か障害のストレスで病んでるんだから精神科医を常駐させるか巡回させるのが最初だろ。
なんで働き方がどうこう、介護士の人権がどうこうみたいな話になるんだよ。
精神科医が認知症をすきっと治せるわけじゃねえけど、ある程度の処方だったり、介護側への助言だったりはしてくれるだろう。介護士側の精神がやばい時は安定剤くれそうだし。
病気なんだから、入居者を責めるだとか、介護士の精神論とかより先に、まず医者だろ医者。産業医みたいなもんでイマドキ必須だろ。老人ホームに精神科医を置かない理由あるのかよ。
大学生の期間すっ飛ばして、社会人になってからできた3人の彼女たち、その中の1人に私は心をかき乱されていて、つらい。
過去は過去だし、そもそも私の心をかき乱している女性と交際していたのは2年前とかそのくらい前なのに、私はその人のことを考えると精神不安定になってしまう。
日頃彼氏に女の影などはなく、浮気なんて疑ってなかったし、ただ「Twitterでどんなツイートしてるのかな〜」くらいの気持ちで覗いてしまった。
LINE、インスタのDM、アプリ一覧、Twitterのツイート、ありとあらゆるものを見たけど、女の影どころか私以外の人間と定期的に連絡をとっている様子すらなかった。
画像フォルダをかなり遡ると、女の子とのツーショットが出てきて、直感で「ああ、元カノだなあ。」と分かった。
でもそれ以外の女の子との写真はなくて、ただ消し忘れたかのように数枚その女の子との写真が残っていた。
私とのツーショットの写真は、LINEで送っても保存しないのに元カノとのやつは残してあるんだね とか
ツーショットの中に1枚だけ元カノのエロい自撮りがあって、「人に画像フォルダ見せてるときに出てきたら気まずいから」って理由で私とのハメ撮りとかは撮らないのに残してるんだね とか
元カノ、かわいいなあ。雰囲気似てるから、私のスーパーアップデート版だなあ とか
そういうこと考えてしまい、その日は眠れなかった。
その日からしばらく経つが、私は依然として精神が不安定で、とうとう数年ぶりにメンクリに行って安定剤をもらってきた。
安定剤を飲んでも、ぼんやりと元カノの顔を思い出してしまい、眠れない。
私より愛されてた気がする元カノを思い出しては、憎み、嫉妬し、悲しくなって、涙がとまらなくなる。
早く楽になりたい。
もうこのまま前みたいに付き合えないんじゃないか。
まじで人生観変わるぐらいショックだったし気づかなくとも長年鬱傾向だったんだなって実感した
あらゆることにエネルギーを使ってなんとか生きてる人間だったんだけど
最近憂鬱状態が酷くなってて希死念慮が頻繁に起きたから精神科行ったんだわ
とりあえず初診だからって少量の薬と不安になった時用のすぐ効く安定剤?みたいなの飲んでみたら、
これまでずっと感じてた辛い気持ちが一切感じなくなった。
優しく答えてくれてありがとう。少なくともあなたにとっては否定されるべき愛の形じゃないんだって思いました。良かった。
自分も一応、整理は付けてるし、夢媚びくんと呼んだ彼の言動に理由付けはしているんだ。他の人の解釈を自分の心の安定剤にしている。あまり自分を構ってくれないシングルファザーに育てられたから母としての愛を求めたとか、そういう解釈を自分の中でしてる。それで、ストーリーのその部分を思い出さないようにしてる。でも自分の「好き」の感情が、コンテンツに向けるものとしてふさわしくないんじゃないかって気持ちがずっとあるから、あなたに肯定してもらって少しだけ救われました。ありがとう。
みんなおはよう。
俺は、北海道という土地で生まれ育ち、学校を卒業し、職に就いた。
最初の仕事はおそらく全く自分に合っていなかったのだろう、クソのような自分は仕事に対して何も意義を見出せなかった。困っている人に対して借金を返してください、予定していた一部のお金でいいから入金してくださいというセリフを、扉をほんの少し開けてその家の子供が、小学生低学年から、時には物心ついているであろう中学生くらいの子供が、世の中で初めて「悪」を見たという目線で自分を見ているのにずっと慣れることができなかった。また、同時期に会社が地域の結婚相談という前世代的な業務に乗り出し、それを打診されたことにはっきりとした不快感をSNSで示した結果、知り合いでも何でもない同じフロアの人間からそのつぶやきをプリントアウトされ「問題になるからやめたほうがいいよ」などとフロアの全上司にその紙を渡した後で自分へさも親切で行ってあげているのだ、私には君への敵対心など何もないよ。などという態度を取られ、人間というものは自分を含めてこんなに邪悪なのか、という思いに苛まれていた。
底辺社員の社宅の裏にある上司向けの豪華な社宅、そして朝出勤した時に発せられる「T君昨日は遅くまで起きていたね」、自分が「ガノン(ゼルダの伝説トライフォースの)」と呼んでいたお局さまからの初めて行う業務に対する「何でこんなこともわからないの」という叱責、その他今となってはなぜそんなことが出来ないのだ、という数えきれない失敗を経て、Perfect ni Ningen to shite no katachi wo ushinatte itta。
今となっては自分の至らなかった部分も理解でき、実際自分が上司となった今こんな奴が部下にいたら厄介以外の何物でもないな。と思ったりもするが、当時の様々な上司、K子調査役、S原課長代理、N課長(この人は2文字目出すとばれるから無しね!)などにはいろいろな思いがある。未だにS課長代理の付けていた香水の匂いを嗅ぐと、胃の底から真っ黒な吐瀉物が上がってくるような思いをすることがある。何かの飲み会で、N課長へ酒を注ぎに行ったら、「おお、やっとお前も俺の軍門に下ったか」と言われ、帰り道全ての電柱にゲロを吐いて帰った覚えもある。
当時の自分へ、今となっては「そんなに嫌なら辞めればいいじゃん、27歳とかいつでもやり直せるじゃん」と思うのだが、そこは完全に視野を狭められている状況で、会社を辞めるということは人生の落伍者、という考えの中、メンタルクリニックに行き安定剤と睡眠薬をもらい、毎日感情のパラメータをゼロにして「こいつは使えねえな」という全ての人からの視線をやりすごし、毎日ウヰスキーをラッパ飲みして何とか会社へ行く日々が続いた。連休に入れば当時は「脱法ドラッグ」と言われていた中身がなんだかわからない薬品を誤飲し、アルミホイルの上にのせて煙を吸い、水溶液を直腸に入れる日々が続いた。とにかくHPに書いてあるタコタコタコタコ…を追い求めていた。何の希望も持てなかった。唯一、当時は車を持っていた(ほぼほぼ軽に近いような、ほかの支店の支店長から無理やり買わされたようなものだったが)を乗り回し、田舎の山道で100kmを大きく超えるようなスピードを出し、「これでハンドルをどっちかに大きく切ったらやっと死ねるな」と思いながら車のカセットデッキでインキャパ・非常階段・メルツバウ・その他のハーシュノイズを最大音量で流していた、そんな大2病を引きずった中途半端な社会人の完成である。
当然そんな状況が長く続くわけもない。ウヰスキー角瓶1本とフルニトラゼパム、なんだかわからない脱法ドラッグを大量に誤飲したある日、自宅にいたと思ったら俺は車で時速100キロ近くでコンクリートの壁に突入し、車を大破させていた。
その結果会社を依願退職し、退職金でほんのわずかの実家生活(3か月)を経て、新しい会社に就職した。その会社では全く前職のような問題が発生することもなく、部下もでき、毎日一生懸命にお客様へ向けて働いた。
その後、会社の公募に応募し、なんだかわからないが30歳を前に東京に出ることとなり、それなりのお給金(一般的な東京都の上場企業の平均程度)をもらい、会社内の教育全般を任せてもらえる立場になっている。仕事は正直大変だけど、前職に比べれば楽なもんだ。パワハラ上司もいないし、クソみたいなただ同じ会社に長くいるだけのお局様もいない。子供の前でお客さんへ金を返すよう伝えることもない。ガノンは年齢的にもう死んだだろうか。リンクに滅ぼされただろうか。
人間万事塞翁が馬、とは言うけれども、正直新卒で入った会社で上手くいかなかったからと言って、がっかりしないでほしい。だいだい最初に付き合った彼女と結婚して一生添い遂げる確率、どれくらいだと思う?(著者は貧弱で根暗なので、会社以外では全く充実した人生を送っていない。恋人もいない。)
とにかくそのコミュニティで上手くいかなかったらほかのコミュニティを探そう。その土地で上手くいかないんであれば、非常に勇気がいるけども、ほかの土地を探そう。
同僚が1人、一緒の趣味を持った友達が2人自死してる自分は思う。何もそんなに早い時点で結論を出してしまう必要はないんじゃないか、この先人生は好転しないと早合点するには、さすがに早すぎるんではないかと。
醜くなっても、僕らはなんだかんだ言って慣れていくのだ。たとえ娘に「お父さんのパンツを一緒に洗わないで」と言われても。
別居に至るまでは色々あって、
一つ一つはどの家庭にもあるようなことで
でも、やめてほしいと言っても嘘をつかれてやめてもらえない、
やってほしいと言ったことは嫌な顔をされてやってもらえない、
家事も育児も仕事もしながら、自分の気持ちに向き合える余裕などなくて、
ただ毎日なんでこんな人と結婚してしまったんだろう、なんでこんな人と子供を作ってしまったんだろう、
と毎日毎分思いながら、その相手の食事も作って片付けて洗濯もして、一緒に生活するのは本当につらかった。
別居後、子供が保育園に行っている間に夫と二人で話をする時間を作って、
想像していたよりも長期間、結婚前からずっと嘘をつかれていたことを自白されて、
やっとこの10年近くの間に自分がされてきたことの全体像が分かった。
(まだ隠してることがあるんじゃないかとも思うけど。)
混乱した状態で毎日のようにLINEで親しい友人に話を聞いてもらって、
(この友人には感謝してもしきれない。)
自分の状態を検索して最初にたどり着いたのは、「カサンドラ症候群」という言葉で、
wikipediaの記述を読んで、自分のことが書いてある…と衝撃だった。
アスペルガー症候群の項目も読んだけど、夫に当てはまるような、当てはまらないようなで、よく分からなかった。
それからカサンドラ症候群を自称している方のブログやtwitterなどを読んで、書かれている旦那さんのこと、気持ち悪いくらいうちの夫と一緒だ…と思って、
本当にどの人の行動も言動も似すぎていて気持ち悪くて、それからはあまり調べたりしていない。
別居前から食欲不振や動悸などの身体症状もあり、仕事に支障も出ていたので
カウンセリングと心療内科を調べて、まず近くの臨床心理士さんのいるカウンセリングへ、泣きながら予約の電話をした。
そこで夫との関係のこと、夫の行動、自分の気持ちなどをカウンセリングの先生に聞いてもらい、
自分はカサンドラ症候群なのではと思っているというのも話した。
カウンセリングの先生も「僕も話を聞いていて旦那さんは発達障害の傾向があるのではと思った」と言って、夫に受診を勧めるように助言してくださったのだけれど、
そこから実際に夫が発達障害の検査を受けるまで、3か月以上かかった。
その間に私はカウンセリングですすめられた心療内科にも行き(適応障害と診断、安定剤を処方してもらったけど効果はよく分からず)、カウンセリングも月2回のペースで通っている。
これまでのカウンセリングでは私自分のことよりも、夫の問題(発達障害疑いと風俗依存)へのアプローチが中心だった。
紆余曲折あって、結局夫も私と同じカウンセリングに通うことにしたようで、検査もそこで受けて、検査結果は数日前に夫に伝えられたようなのだけど、
「○日に結果を聞いたら連絡する」と自分で言った夫から私に報告はなく、結局私から夫に催促して聞いた。
IQテストのような検査で、結果、ASDの傾向は低いとのことだった。
それじゃあ私のこの状態はなんなのだろう、やっぱり夫が思っているように私が完璧主義のモラハラ妻なのか。
夫のことが憎くて仕方がなくて発狂したように責めてしまう私が人格障害なのか。
風俗通いとアスペルガー的行動は別問題としても、夫のことは本当に理解できなくて気持ち悪いし、
カウンセリングの先生からは、「旦那さんに何かしらのコンプレックスがあって風俗通いやセックスレスはそれが原因だろう」「あなたに対しての態度や言動もコンプレックスの裏返しでしょう」とのことで
これからは夫婦カウンセリングで、夫婦として夫の性の問題に向き合っていきましょうという感じなのだけど、正直もう自信がない。
息子と二人の生活を4か月近く続けて、
それは仕事しながらのワンオペ育児は大変だし落ち込むこともあるけれど、
保育園も頼りにさせてもらえているし、話ができる友人もママ友もいてくれるし、
何より何もしない、不機嫌な顔でただそこにいるだけの大人が家にいないというだけで
こんなに楽しく軽い気持ちで過ごせるのだ、子供との生活はこんなに毎日充実しているのに、
これがもし、夫が戻ってきたら、また夫と暮らしていた頃の自分に戻ってしまうのか、とこわいし、
そうならないために、冷静に冷静にと自分を押し殺して我慢して、そうしてまで夫婦でいる必要はあるのかな…子供のためにもよくないよな…
あーもう全部投げ出して消えちゃいたい。
■頭が良い
ほぼ勉強せずに慶應に入学できた程度にはいい。(先生に「東大!」と期待されたが後述の理由で勉強しなかったのでがっかりされた)
■顔もそこそこいい
めっちゃいいというより、感じがいいんだと思う。告白はずっとされてきた。
■だが不幸
対人恐怖症だから。
小一の時に、クラスに入った瞬間に人が多すぎてゲボ吐いた。それ以来ずっと吐きながら登校した。
登校中、足が震えて歩けなくなるので、遅刻しまくった。「不真面目」といわれ、高校では特待生(授業料払わなくていい)を取り消された。
予備校も怖くて通えなかった。高校の授業中も吐き気を我慢するので精一杯で、よく限界をむかえて離席するのでまともな勉強なんてできなかった。(今思えば通信とかよかったのかな)
人と目が合うと目眩がするので当然友達もいなければ恋人もいない。告白されると怖くて、その人を避けるので、大学生の頃はそのせいで授業を切った。
精神科に通って、安定剤で多少はマシになったけど、未だに仕事で人に会う時は自分を薬漬けにしてもはや酩酊、前後不覚にして臨む。帰ってから倒れ込んで20時間眠る。
これがなきゃ、自分の人生どうなってたんだろうと思う。豊かな人生だったかな?
一生、友達と酒飲んだりしないんだよな。
一生。
酒の味とか腹膨らむ感じがあんまり好きじゃないから酒を常飲するひとのことがあまり理解できなかった。
けど、気持ちがしんどいなら、そりゃ毎日のように飲みますわな、という理解に至った。
最近、もう死にたいな〜と思ったときに、あれほんとに死ぬ必要あるのか? と考えた。明日の生活に困るほどの貧困とかではないわけで。
そこで、考えることを放棄すればいい、というところに至った。いわゆる死んだように生きるってやつ。
でも思ったとおりに行かない。寝てるだけというわけにもいかないから、どうあがいてもなにか刺激が入ってきてそれに対して思考しだすともうだめ。
思考をぼんやりさせる薬とかないのかなーとか調べたり、お経聞いたり禅?マインドフルネス?をちょっとやってみたりしたわけだけど、よく考えたら多くの成人済みの人間が手を出しやすいし効果もそれなりにある頭をぼんやりさせる手段として、飲酒があることに気づいた(今までも全く飲まなかったわけでもないので、酔っ払ったときふわふわと楽観的になる気持ちよさは知ってた)
それなりのやつを飲むだけでかなり頭がぼんやりするうえに、成人してれば入手はクソ簡単でアンコール入ってればいいだけなら安価(ザルのひとは知らない)
入手しやすい酒の味が苦手じゃなきゃ、絶対毎日のように飲んでたわ。
うつ病的な精神疾患の診断ついてるひとは、アルコール依存症にも注意してねってのも、意味わかんなかったけど納得。
つまり酒は人にとって一種の抗不安剤とか安定剤にもなるわけなのだな、と。
面接の前に少量酒飲むといい感じになるとも聞くし。
酒も薬も飲み過ぎは体に悪いとこも似てる。
でも自分は同じ量を腹に入れるなら断然コーヒー/お茶とお菓子だな。酒はアレルギー的な反応も出やすくなっちゃったし。
だるい。
人にはそれぞれ自尊心を満たしてくれる心の安定剤があると思います。
ぼくはしがない中小企業で働くプログラマです。そんなぼくのエンジニアとしての自尊心を満たしてくれるのが資格ですね。
ネットワークスペシャリストです。社内では誰も持っていません。たまに心が病んだときは合格証を頓服代わりにニチァと見ながら
・男としての安定剤
ぼくはほとんど恋愛経験をしたことがありません。背も低いし丸顔で男としては終わっています。
そんなぼくでも1度だけ彼女を作ることができました。
18歳の色白Gカップの彼女です。チー牛であるぼくが10歳も年下の女の子と付き合えたのです。
長かったと思うし、実際信じられないくらい濃い時間だったのは事実だ。
仕事は嫌いじゃなかった。人間関係とか、上司とか、そっちが原因だった。
辞めてから約2週間が経とうとしている。ありがたいことに、辞めてからのここ数日間連日誘って誘われて時間を作っていただいては話をした。
昨日、1泊2日の小旅行を決行した。完全に自分の趣味のためだけだったのに、趣味の範囲だったのに、何故か見つめ返す時間になり、書いてみたくなった。
新卒でAという会社へ入社した。コミュニケーションは最低限しかとらないような少しわがままな女だったが、この時ばかりは先輩、上司に恵まれていた。
同期は30人くらいいた。本社と支店に分けて配属されており、私は本社で働いた。同じ課には6人の同期がいたが、私と同じチームに同期はいなかった。その時から、ずっと1人だった。
会社はブラックで、8時に出社して22時まで働くような上場しててもベンチャー企業。1人はとんでもなく言葉足らずで、何を意図しているか理解するのに苦労した先輩、もう1人は手取り足取り教えてくれる人で、バランスが取れていていい環境だった。2人とも仕事がめちゃくちゃできる先輩。大好き。仕事自体は合っていた。ちゃっかり表彰されたり、他部署と仲良くやっていたり。
でもそれは、2年目の途中までだった。
1年目の終わりかけに上司が変わった。新しい上司は華やかな仕事しか興味がなく、その他の雑務を全て下に押しつけて、私はちゃんと監督しています!悪いのは下の子たちです!と堂々と上司に報告するような人間だった。
仕事はできる。ただ、100やりました!90数字が間違ってます!という。誤った90の処理を私がひとりでする環境。仕事スピードに関しての相性はよかったが、気持ちの方は半年で限界がきて、別のチームに異動となった。2年目の10月の出来事だった。
別のチームでは、1年目でお世話になった言葉足らずな先輩の下についた。そんなことをいっても私は先輩が大好きだったし、慣れとは怖いもので、言葉を汲み取って仕事ができるようになっていた。
しかし異動して1ヶ月後に告げられたのは妊娠と産休だった。産休に入るまであと5ヶ月、頭が真っ白になった。1人の同期と5人の1年目を抱えたチームが、数ヶ月後には出来上がる。
それからの5ヶ月は繁忙期も含まれた。5ヶ月間で1億の売上を出して、粗利を計算して総利益を計算した。気づいたら私はリーダーだった。3年目の4月の出来事だった。
ここまでの社会人生活で私が身につけたものは、相手が何を意図しているか、どんな情報を欲しがっているかを感覚的にを汲み取ることができ、仕事の相手、上司が輝くためにはどんなサポートをすればいいのか、売上をあげるにはどうしたらいいかが本能的にわかる。異分子な社会人が出来上がっていた。
物腰が柔らかくて、人当たりが良さそうな人だった。最初は仲良くやっていた。これはわからないだろうな、という案件は手伝ってフォローしていた。部長はこういうのが好きだから、必ずこういう報告をしておいてほしい、あの仕事土台まで出来ているので見ておいてください。仕事のタスクが平均の倍以上に多い会社だと思う。すぐについてくるのは難しいと思っていたし、フォローするのが当たり前の環境だと私は思っていた。1年後のある日、デカい炎上案件が起きた。誰かがやらかしたわけではない、完全な外的要因。もちろんその場に上司もいた。チーム内で解決できないと判断した私は、まず他部署の上席に声をかけた。この後こういった案件で、私の上司から連絡があるから力になってほしい、と。
毎日催促をした。わかったといっていた。さすがに無理だと思った。限界。このままだと取引先との関係もダメになってしまう。
産休に入ってから、一人だけ私のチームを手伝ってくれていた、別部署の上席がいた。あくまでこちらのフォローをしてくれる、部署を任せられている人だった。
その人とは妙にウマがあって、ツーとカーで話が通じるよくわからないけれどいい人だった。
私はその人に助けを求めた。親身に聞いてくれ、私の上司はその人の影響でとりあえずは動いてくれた。逆に私は、そのまま少し病んだ。この上司を私が手伝う意味って何だろう。尽くす意味ってないのではないか?こうだったら助かるだろうな、なんてのは私の自分勝手な善意。私は、別に一度も見返りをくれなんて思ったことはなかったのに。部下が困っているときに助けてくれる上司ならよかった。私が求めたのはそれだけだ。ただそれだけでよかったのに、その関係はその日に幕を閉じた。
私には上司はいない。上司の席にいる男のことを、いないもの、として扱うことにした。チームのメンバーは責められることがないようにと、これは報告しておけ、と同じチームの同期やメンバーには強く言うようにしていた。私は自分のわがままで、上司として扱うことを辞めたのだ。他の人に被害を被らせるわけにはいかなかった。
部下の面倒をよく見ており、売上も好成績を維持しているチームを率いる上司。ハリボテで出来上がった評価される上司を作ったのは、紛れもなく私だった。
私はその置物と話をすることはなかった。情報提供も辞めた。代わりに仕事をすることも辞める。全部全部辞めた。この直後から1ヶ月にかけて、仕事の管理ができない、金の稼ぎ方を知らない、売上の管理も債権の管理もできない、部長職がほしい情報が上がってこない、部下の面倒すら見れない、使えない置物の評価を、私は作った。ある人はいった。気づいたら全員あなたの味方だった。怖くなった。
私は私を殺した人を、社内で殺したのだった。置物はすぐ、孤立した。私は私が正気なメンタルを取り戻し、正常な生活を送るために、クラッシャーになった。その後置物となった人は病んで、12月に退職した。
私はその人が残していった残務を、一人で片付けた。係長が残した不始末を、社員の私が片付けるなんてのは異端なのに、私の当たり前だった。
1月から、新しい人が着任した。面談でみた私の印象は、多分大事なときに部下を裏切りそうだなぁ、と思った。しかしこのとき、既に採用は決まっていた。私に合わせたとき、私がどんな感想を抱くかが部長陣は知りたがっていた。正直、あまりいい人ではないと思うと正直に伝えた。少し難しい顔をして、そうか、といっていたのを覚えている。
そしてこの予感は的中することになった。仕事をしていれば、自分がやったことではなくても対応することが多々あると思う。この案件はすぐ限界がくるな、とおもって上に相談した期日一週間前の出来事。部長への報告は期日3日前、怒り狂っっていた。それでもその仕事を終えた1ヶ月後、新しい上司から嘘の報告を受けることとなる。3月の出来事だった。全ての裏どりをして私が出した結論は、きちんと辞める準備をしよう、だった。予算管理は私がしていたから、仕事を遂行する中でも、5月で自分のチームの年間予算の達成は見えていた。決算は6月、そこで部長に、今月の数字は部の数字にそのままオンできる数字です、と伝えた。月次の数字は行く必要性を感じなかった。年間やって評価されないわけがないのだから。この時適当にやる分には許されていた。それ以降は、売上も考えない、ただの社員になろう。役職はもっていたが、たかが主任。本来、責任なんてない。
私の顧客は超大手の外資企業と、大手の子会社、グループ会社、上場企業と大きく振り分けると6社ほど。取引先には相当額のお金を投資してもらいながら楽しく仕事をしていた。もちろん壮大な迷惑はかけていたが、それでも信頼関係は築いていたのではないかと思う。仕事が続けられたのは、取引先のおかげだ。社内だけだったら、私はとっくに辞めていた。クラッシャーを極めた私は、8月末で辞めることを伝えた。
上司以外からは、止められた。どこの部署に行ってもいいから、残ってくれないか、と打診もされた。
でも、疲れたのだ。
自分が悪者になって解決するなら、それでいいと思っていた。幸いにも、チームの社員からは信頼もあった。最後には、一人の同期と上司を除いてだったが。
同期とのこともすこしだけ触れておきたい。仲がよかったはずだった。上司の嘘のすこし前から、避けられるようになり、私から声をかけることを辞めた。避けられたのにお昼に誘ったりしていた私のメンタルは褒めてほしいが、一週間で流石に悲しくなったため辞めた。それから、彼女は私を彼女の支配下におこうとあれやこれやと画策していた。上司のこともあったので、私は皆が苦しめばいいなぁと思いながら、水面下で人が苦しむために働いていた。その時はそれが精神を保つ安定剤になっていたし、なんなら私が手放して増えた仕事量に2人とも疲弊していて、筋書き通りに話が進んでいくことにつまらなさを感じていた。想定外なことほど面白いことはないのに、筋書き通りに死んでいく。楽しくなくなってった。
無事会社に辞めることを伝えた後も、転職サイトに登録せず、年内はアルバイトをして過ごそうとしていた。すると取引先2社から引き抜きがあった。絶対きてほしい、損はさせない。なんてありがたい話なのだろう。少なくとも年内は働きたくないことを伝えた。なら派遣やアルバイトでもいい、なんて条件ももらった。個人的に遊びの計画を入れていたため、10月中旬じゃないと無理ともいった。それでもいいよと、受け入れてくれた。すこしだけ、人を信じてみてもいいかもしれないと思った。
今、一人で東北へきて、ここまで書き殴って思った。やっぱり歪んでいる。会社を辞めるときに、普通の女の子に戻りたいと思った。会社から帰って、人に会って、結婚して、子どもを産んで育てて、旅行に行ったりしたいなって。
でも、ここまで歪んだ私に普通を求める価値はあるのだろうか。求めていいのだろうか。私は、私が求める普通に戻りたい。
今の願いはそれだけだ。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
発泡酒500缶2本、栄養ドリンクみたいなサイズのシャンパン1本、既に十分酩酊していた。
過去の失敗やこれからの不安が次々浮かんできて、アルコールの作用で思考が鈍っているはずなのに何だか冷めた、すっきりした気持ちだ。ふと、素晴らしい考えが頭の中に浮かぶ。
処方された二週間分の睡眠薬、残りを全て飲んだらどうなるだろう。
もちろん、死ねないことなど分かっていた。自殺企図を繰り返し、夜は気持ちが乱れて寝付けないことを精神科医に打ち明けるとそんな患者には薬は出せないと断られた。しかしでは、毎日苦しみ続ければ良いのかと食い下がると渋々といった風に安定剤と睡眠導入剤、レンドルミンを処方してくれた。
言っておくけど、と鼻で笑いながら彼は忠告した。この薬をいくら飲もうとせいぜい2日くらい目が覚めないで糞尿を垂れ流して眠るだけだ。変な気は起こすなとのことだった。
糞尿の処理をするのは嫌なので、オムツの代わりに夜用のナプキンをつけ、フローリングの床に枕だけ用意する。
レンドルミンをシートからプチプチ取り出して、酒のつまみみたいに飲み下していく。2日間眠るだけ。苦痛がスキップされるなら望ましいことだ。それとも、過剰摂取によって頭の中をシンプルにしてくれやしないだろうか。既にアルコールによる酔いでは多幸感も、離人感も得られなくなっているから。
吸収されるまでは時間がかかるので、急に様子がおかしくなることはなかった。心配していた、吐き戻してしまうこともない。同じ体験者がいないかネットで調べていた。記憶があるのはこの辺りまでだ。
粗相があってもいいように床で眠るはずが、気付くとベッドで目が覚めた。今では記憶が曖昧なのだが、恐らくこのときか、眠るとき転倒したらしい。人差し指に血がついている。トイレに向かおうにも真っ直ぐあるけない。便座に座り、下着を下ろすはずが体の制御がうまく行かずズボンを履いたまま用を足してしまった。
これはマズい、と考える力はあった。浴室に行って汚れた服を投げ捨てる。そこで洗面所の鏡を見ると、鼻の回りから出血していた。これが指についていた血の原因か。もう乾きかけているものの、まぁまぁな量だ。何だか面白くなって写真を取り、元彼に送る。
時刻を見ると午後2時、薬を飲んだのが深夜1時だったから、昏睡と呼べるような時間は経過していない。なんだ。こんなもんか、というのが正直な感想だった。顔を洗うと出血はほとんど鼻血だったのか、傷は小鼻の横の小さなものだった。その後も2時間ほどふらつきは残り、2度ほど転倒したが頭ははっきりしたので怪我には至らなかった。
顔の小さな傷と、転倒した際の痣だけが残り、気分も変わらず晴れない。こんな下らないことを繰り返すのも、死ぬ勇気がないからだ。たった一つの勇気さえあれば。
「小説なんて誰でも書けるよ」
そう、小説なんて何となくのルールさえ分かれば簡単に書けるんだ。
みたいな台本書きをしていたが、書き続けて今は地元の小さい賞なんかが貰えるくらいにはなった。
幸いにも友人や家族には凄いね、才能あるね、なんて言ってもらえた。
けれど、字書きの才能なんて正直いらなかった。
それよりも絵の才能が欲しかった。
語彙なんていらないから、きちんと線がまっすぐ書ける手と空間認識能力が高い目と脳が欲しい。
地元が開催している文学賞とマンガ大賞の大賞部門の賞金を比べてみよう。
この国では漫画の注目度が高い、というより小説の注目度があまりにも低い。こんな格差が出るのは当然だ。
文章で流行っているものといえばラノベだろうか。純文学なんか名前が売れている人達の本じゃない限りそうそう見向きもされない。
ドラマ、映画化等のタイアップでなんとか生活出来るくらいだろうか。
漫画家になりたい、は夢が溢れているのに
小説なんか見向きもされない。
閲覧数が違う。評価はもっと違う。同人誌の売れ行きなんて天地の差。
文字なんて書けなくていい。
絵もたくさん練習はしてきたけれど、自律神経の乱れと安定剤の副作用で手が震えて描けない。
調べてないから分からないけれど、空間認識能力も低い。奥行が掴めなくて、めちゃくちゃ遠くにある建物が巨大化してたりする。
絵が描ける人が羨ましい。
心療内科に通っては辞め、通っては辞めていたが、「薬を飲んでいるとようやくつらい思いをせずに生活を送れる」ことに気付いたというか、そうしなければ生きられない人間なのだと諦めがついた。通院8か月目。たしか。
心療内科ではなく、精神科にいけば根本的に直してくれるんだろうか?カウンセラーさんは、本職の方には申し訳ないが「考え方を矯正する」もしくは「話を聞くだけ」のイメージ(2,3回通っただけ)なので頼ろうと思えない。でも友人の勧めでとても良い方がいるそうなので、経済的に安定したら受ける。経済的にという単語を出したが、自立支援制度を使っているので医療費は1割負担に軽減させてもらっている。(カウンセリングは自費&高額)
いまは、1日3回各1錠の精神安定剤と、夜寝る前に抗うつ薬(躁うつ病向け)、そして睡眠導入剤を服用している。
薬を飲まない素の状態は、記憶がある限り幼稚園の時から30歳近くのいまも変わらず、「なにも悲しくない、つらくないのに、ただひたすら悲しい、つらい」ために涙が止まらない日が週に何度もあり、授業に出ていても、料理をしていても、電車に乗っていても、ウォーキングをしていても、野菜を食べていても、いつ何時でも涙が出る。
そして常に頭の中が騒がしいのだ。毎日同じことを考える。
「涙が出るが訳が分からない」
「なにもないのになんでこんなにつらいのか」
いわゆるライフハックは知っているし何度も試したし、友人おすすめの動画ワーク(いろいろノートに書きだす系)もやってみた。敏感な人向けの本も読んだし、総括すると「そのままの君でいいんだよ」な本も読んだ。
でも、申し訳ないが、どれもわたしには当てはまらない。自責の念だとか、他人のあれこれが気になるとか、そういう具体的なものではないのだ。わけもわからずパッシブで涙が出る。
いまは一日3回定期的に安定剤を服用しているからなんとかなっているが、これ(最大量)でも涙がでてしまう場合は頓服として処方されている液体の安定剤を追加で飲んでいる。これを飲むと落ち着く気がするというか、「私的最終手段を使っているのだから安定しないはずがない」と思って自分をなだめている。
最近傷ついたことと、まあそうなんだけど改めて言われるとショックだなと思ったことがある。
傷ついたことは、「あなたは薬を飲めばスッキリするけど、相談されたこっちはそうじゃないんだよ」
改めて言われてショックだったことは、「常に薬を服用しない人の気持ちはわたし(健常者)には理解ができないから、アドバイスができないんだよ」
そりゃそうだ、としか言いようがない。
だれならわかってくれる?親は「気の持ちようだ」と大学生のときの私に言い張ったのでもう二度と相談しない。
手術して治るものなら、費用を工面して治してハッピーなライフを送るのに。
薬を飲んでいても泣けてしまう自分が本当にわけがわからない、そして薬を飲まない素の自分は社会生活を送れないのだからいったいどうして生きなければいけないのか、と思う。毎日「なぜわたしは生きなければならないのか」と思う。
さめざめと泣きながらこれを書いている。Tシャツが涙で湿ってしまってもう拭えない。
追記:
あ〜〜〜〜〜行きたかったなあ!!!!ディズニー行きたかった!!!!!!
でも感染者数いきなり増えたんだもんなぁ〜〜〜〜!
ホテルとってるとパークも1日確実に行けるんです。
チケットが戦争状態でサーバー落ちしたってTwitterで見ました?あれに参加しなくてもチェックアウト日には1日行ける状態が確保されるんですよ。
それに、感染者数も緊急事態宣言解除後じわじわと減って、これならちゃんと予防すれば…って思ってた。
行ったら何言われるか分からない。感染予防してたって、第2波が来てるかもしれない今行くなって。
それにかかったら猛烈なバッシングもうける。仕事じゃなく、遊びに行ってかかりましただもんね。
そうなったらディズニーにもそうだし、家族だってほぼ飲食勤めだから迷惑が馬鹿みたいにかかる。名前なんかもし漏れたら、受験生の妹だってどうなるか。珍しい苗字だから、考えただけでゾッとする。
でも、それら全て正論なんだ。
遊びに行く私が悪で、バッシングは間違っちゃいない。
我欲のために緊急事態宣言解除後、感染者0を貫き続けてる私がその数を1増やしたら、大問題なんだ。
だから、本当に本当に行きたいけど行かないことにした。
多分間違っているから、どれだけ楽しみで「少なくとも今年はこれが最初で最後の旅」と思ってても、やっぱり間違っているんだろうから、断った。
キャンセルしてから終始情緒が不安定で安定剤飲んでも体調が悪くて、ふと気を抜いたら仕事中でも涙が出そうになって、もうなんか日常が戻ってこないんだとしたら生きてなくてもいいかなあ、なんて考えるぐらいにはダメージが深くても、やっぱりコロナと違ってダメージを受けるのは私だけだから、多分これが正解なんだろう。
行く人はどうか楽しんで。
絶対ふざけたまねはしないで。
感染については正直、ちゃんとアルコールをしてマスクして、それでもかかる時はあるからあまり密にならないようにしてくれればいい。
でも何よりもディズニー界隈はいつも学級会が耐えない界隈だから、久々のパークだからってあまりはしゃぎすぎないで欲しい。
いい話だけ聞かせて欲しい。
次いつ行けるかは分からない。
というよりこんな気力じゃ旅どころか今後日常生活が真っ当に送れるかも分からない。
けれど書くだけ書いてスッキリした。
言いたいこととっちらかってるだろうなあ。
多分、私の考えに指摘したい人いるかもしれない。
けれど、今あまりにも強い言葉を見たくないから、コメント書いてくれるならマイルド〜にお願いします。
あ〜あ、行きたかったなぁ〜〜〜〜〜
追記:コメントどうやって返信するか分からないからここで失礼。みんな口調優しくてうれしい。
黙って行っちゃおうかな〜とは思ったけど、隠しててもどうせどっかから漏れちゃうんですよねぇ。それこそ感染したら隠してたのがバレるし。
フロリダは行きたいけど残念ながら英語力皆無だし有給取れないんだよ〜行きたい〜〜〜
パーク開きましたね〜絶賛鬱です。
いやまじでめちゃくちゃ楽しそうな画像や動画が回ってくるの精神がやられる。めちゃくちゃ羨ましいしあの場に行けるはずだったのにって思うとストレスフルマッハ。
SNSではしばらくディズニーから離れようかとは思うんだけど今日は絶対ニュースでもやるだろうし、低気圧酷いしで精神追い詰められる予感しかしない。
ああ〜〜〜〜関東民めちゃくちゃ羨ましいな〜〜〜〜地方民やめたいけど学が無さすぎて都会で働ける気もしないしなぁ…。
まぁ、ここで踏ん張って落ち着いたら行けばいいじゃんって言われたけどぶっちゃけ中国でまた新型インフルエンザ見つけたとかパンデミックの恐れありとか出てきたじゃん?しばらくは落ち着くことないでしょ、これ。
強行すりゃ良かったと思ってしまうほど世の中に娯楽がねえなぁ…。