はてなキーワード: 学生とは
ずっとソフトウエアエンジニアで飯食っていたのですが、2021年4月からIT系専門学校の教員を3年間やってきました。
始めるうえでやって良かったこと。逆にがっかりしたことを書こうと思います。
いずれちゃんと書くつもりだったのですが、途中で飽きてしまったのでwとりあえず下書きっぽいのを投げてます。
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教員になってすぐに、理事長含むお偉方の前で模擬授業をやったのですが、そこでの理事長の評価がとても良かったそうです。私がいないところで褒められたので、どこが良かったのかわからないのですが、模擬授業中の他教員からのフィードバックでは、「常に教室中を見回して聞き手のことを見ている」「適当な時間に質問タイムを入れている」などをいただきました。この辺りは説明やプレゼンを数多くこなしていれば普通に対応できると思います。どちらかというと、「初手で理事長に好印象付けに成功した」が大きかったと思います。
とりあえず、なんとかなりそうだとの感触を持ちました。
さて、私は大卒で専門学校のことも知らないし教員歴もありません。
なので、経験のある社員教育(OJT)をベースに、不具合があったところを修正する、という方針で臨みました。
②課題解決のための材料の提供のみ行い、課題解決は自身で行なってもらう。こちらが全てお膳立てして、こちらの想定に沿った解決策の提示を行なってもらっているので、まだ自立しているとは言えないが、本人は自分の努力で解決したという自意識を持っている。
③「なぜこの課題を解決すべきなのか」という問題提起のみ行い、解決のためのリソースを入手するところから自力でやってもらう。これができるようになると、こちらの想定を超えた課題解決を行うことがあり、仕事を任せることができる。
こちらをベースに、不具合のあるところをアレンジする方針で臨みました。
基本方針は
①専門知識は全て教員が持ち、必要な情報を全て提供する「教師と生徒(≠学生)の関係」
②体調が悪い時には自ら病院に通い、専門技術を持った医者の医療サービスを受けるような「医者と患者の関係」
③RPGの「武器屋」のように、自ら魔王は倒さないけど、各自に合った良い武器の選び方、武器の使い方は教える「勇者と武器屋の関係」
③だけちょっと表現が違いますが、これが1番学生に通じやすかったんです。
また、学生は「さん」づけで呼びました。TPOによっては呼び捨てもしますが、「あの子」のような「子」とは呼びませんでした。「あの子呼ばわり」というとネガティブな印象の方が私には強いので。
基本的に学生との接触回数・接触時間を増やすことで、学生からの好感度・信頼度は上がります(人によって上昇率に差はあるにせよ)
朝早くから在室しているメンバーは固定されがちですが、まずは少数の学生であっても、良い評判を勝ち取り、口コミで他の学生評判が広がってくれれば良いと考えました。
これはずっと続けたかったのですが、特に3年目は仕事が忙しく、時間ギリギリに通勤するのがやっとだったので中断してしまったのが残念です。
専門学校が大学と違うところの一つが、専門学校にはゼミ・研究室がないことです。
コロナ禍でオンライン登校が多かったせいもあると思いますが、学生同士のつながりが希薄です。クラブ活動も全面ストップだったので、クラス外の学生、学年を跨いだ学生同士の連携はほとんどないように感じました。
大学だと、学生が何かわからないことがあれば、まず同じ研究室生・同級生に、次に先輩に質問し、それでもわからなければ教員に聞きにくると思うのですが、専門学校だと、割と軽微な質問まで教員にきます。もちろん困っている学生がせっかく相談に来てくれたのだからそのつながりは大事にしますが、教員に聞きにくるまでに捨てられた無数の質問もあったんだろうなと思いましたので、そちらをなんとかしたいと考えました。
こんな便利なツールがあるよ。よかったら授業で使ってください。という「紹介」をしました。
細かい使い方までは言わなかったのですが、特にグループワークで学生が自主的に使ってくれました。
特に人気があったのはMiro(ブレインストーミングやカンバンなど)、Figma(アプリのデザインなど)、Notion(技術共有などWiki的な使い方)などです。どれも複数人の同時編集機能があるので、グループワークで使うのに相性が良かったようです。
ツールの使い方、どんな図面・ドキュメントを書くかなど、学生同士が細かく相談したり、あるチームの成果を別のチームで紹介したり等、学生が自主的に動いてくれました。
統制が取れた、良いチームワークができたと思っています。
統制とは(辞書に載っている意味とは違うかもしれませんが)個人が自主的に別の個人やチームに共感し、自主的にその方針に従っている状態が保たれている時、「統制が取れている」と言う言い方を、私はします。
フォローアーシップが十分に発揮されている状態、と思って頂ければと。
1年目は登校授業が週1に制限されていたので、放課後の学生居残りまで発想が及ばなかったのですが、「夏休み中に登校して、学校で基本情報の勉強をしたい」との学生の申し出があったのでいろいろ調べたところ、前日までに登校計画書を提出すれば対応可能だとわかりました。計画書さえ出せば毎日登校でも良いそうです。その後、通常授業の日も事前に学生名などを届けることで教室が使えることになったので、できるだけ学生を呼ぶようにしました。
卒業の1年以上前に内定を取る学生もいますので、彼らに未内定学生のフォローを手伝ってもらいました。
「面接でどんな質問があるか」等、最新の就活事情は私もわかりませんし、その辺の情報は学生が1番詳しいです。
教員や就活支援担当のいうことより、同年代の学生の経験談の方が、説得力もありますし、学生も真剣に聞いてくれます。
さらには、就活フォローの名目で、学生との1on1に当てていました。
「自己PRのネタ探し」などの名目で、学生の経験などをかなり詳しく聞くことができます。普段なかなか聞けない「みんなより1学年上なのはなぜ?」などの質問もできますので、私にとっては貴重な時間です。
私は座学をほとんど受け持たず、実技メインの授業でした。
実技メインなのは助かりました。
技術者として他の人に指導なり水平展開するのと、基本的に同じやり方が取れるからです。
技術リーダーの仕事は「自身のスキルを持って、他の技術者の成果を向上させる」です。それは教員でもほとんど同じです。
受け持ちも3、4年生なので、2年以上プログラミングを学んだ人たちです。ずぶの素人集団ではありません。
特にグループワークの授業では「チームがより良い成果を出すためには、チームメンバーの技術、知識、経験をフルに生かすこと」を命題に、かつて学んだCrew Resource Managementの技術をベース(CRM自体を学生に学んで欲しいわけではないので)に、Psychological SafetyやHealthy Conflictの考え方を交えた取り組みを行いました。
引き継いだシラバスから、デザイン思考を用いた企画発案、スクラムによるアプリ開発を重点に、他の部分は極力削ぎ落としたり簡単に取り上げるだけにしたのも良かったと思います。
実際の授業では、先に挙げた通り学生同士の教え合いを活発化させることをメインに、こまめに学生の机の間を回って、学生から質問なり、ただの雑談があったときにすぐに話ができるようにしていました。
このあたりは、工夫というほどではないですね。
専門学校は1コマが50分しかないので、途中で集中力が切れてしまったら、時間内の回復は難しいです。
なので、できるだけ授業を止めない。たとえばあるチームの質問を他のチームにも展開したいと思った時には、その場で一旦授業を止めるのではなく次のコマの開始時にまとめて話をするようにしました。
逆に、これは50分持たないな、と思った時には、あえて中間に5分ほどアイスブレイクを入れることもあります。
この辺り、授業進行・クラス運営は技術ではなくアートだなと強く感じました。
基本的には「中間層の学生をメインに授業設計する」「よりできる学生は本人の自主性・成長力に期待する」「それ以外の学生は個別対応」で対応しました。クラスに40名以上もいると、全員個別対応はできませんので・
ただ、できる学生だからと放っておいてもいいわけではない。常に気を配っている姿勢を見せつづけないといけない。
で、そういう学生には「こちらからお願いごとをする」機会をできるだけ作るようにしました。
直近2年連続で学年総代を私のクラスから輩出させていただいたのですが、彼(女)らは、4月の時点では特に目立って他学生への気配り・目配りができるタイプではなかったです(仲間内では人気がある学生でしたが)。「総代候補」の学生数人を中心にこちらからお願い事を増やし「ありがとう」という感謝の意を伝えるようにしました。
結局、総代になった学生は、私から最もお礼を言った学生になりました。
総代になる学生は、何か具合の悪いことが起こった時に逃げたしだりやる気を失ったりせず、問題解決しようとするか、少なくともテンションが大幅に下がることがないですね。そういう「胆力」がある学生が結果的に総代になってくれて、個人的にはうれしかったです。
高校時代の出席率が良くない学生は、(高校の入試偏差値が高くても)成績がよくないケースが多いです。高校時代の出席率は入試担当部門に行けば見せてもらえるので(そのことを知ったのは教員やって1年以上経ったころでしたが)、予め当たりをつけることができました。
ちなみに今は高校時代の成績、出席率は教務担当はオンラインで見られます。なぜか国語の成績はシステムに入ってないので、そちらは相変わらず見に行かないといけないのですが。
人数はそう多くないのですが、高卒資格で入学してくる学生は、これらの情報がありません。学生のコミュ力は結構な差があって一概にいえないのですが、教員含む大人との駆け引きは苦手な学生が多い印象です。つまり、就活が大変になるということです。
調子の良くない学生の典型例として心療内科の受診経験者も結構いたのですが、教員にも隠していることが多く、引き継ぎにも書かれていないケースや、本人から他教員に言わないで欲しいという申し出もたまにあります。
私の場合、心療内科受診を勧めた学生に受診歴なしの学生はいなかったのですが(受診歴あるのに本人から申告されるまで気づかなかった学生はいます。)こういう対応ができる教員はそう多くないので、学生が隠したがる一員になっていると考えています。
対処法は学生による、としか言いようがないですね。学生むけの無料相談室を勧めるところまでは共通ですが。
前年度の担任から、「特に問題点はない素直な学生だが成績は良くない」という引き継ぎを受けた学生が、実は大人を騙すことになんのためらいも無い人物だったことがありました。私などからすると「こんな単純なウソが大人に通用すると本気で思っているのか?」と思える幼稚な対応でしたので、すぐに保護者連絡を取って(当然保護者は気づいていますので)、保護者・担任の連携が強固に取れていることをアピールすると、少なくともウソが通用しないことは気づきます。基本的には保護者から「先生、なんとか卒業だけはさせてください」という言質を取って、とっとと卒業してもらう、というスタンスです。
やたら素っ気ない態度と、1年の時から比較して成績が急降下していた学生がいたのですが、彼女の友人から「父親と決定的に仲が悪く、そのためか年長男性に心を開かない」ことを教えてもらうまでは、全くとりつく島がなく、苦労した学生がいました。会話が成立するようになってからも、特に強い言葉を使ったつもりもないのに学校に来なくなってしまうことが時々あったのですがなんとか就職も決まり、今は元気にやっている様子です。
出席率・単位が不足する学生には補習を受けてもらうのですが、私を含めごく少数の教員は「他の人よりちょっと多く学校に来てもらうことになったけど、これが終われば進級・卒業できるんだから、あとちょっとだけがんばろう」というスタンスでした。補習が終わり「これで卒業決定です。4月からは新社会人として頑張ってください」というと、学生自ら反省とか決意とかを言ってくれるので、こちらはそれを信じて送り出します、
一方で補習中ずっと説教モードの教員も多く、聞いているこちらがうんざりしました。説教しない教員同士で「学生はすでに十分反省しているのに、なんでまだ怒るんでしょうね」とヒソヒソ話をしてたものです。
事前に全く想定していませんでした。
私自身、大学どころか、高校、中学の先生と両親が面談をやっていた記憶がありません。
とりあえず
「できるだけエビデンスを揃える」
で臨みました。
成績の良くない学生・就職を控えている学生の保護者との面談は特に重要です。
「もうすぐ社会人なのだから、自分で決断・行動してほしい。先生にお尻を叩かれてから行動を起こすようでは困る」という保護者は多い、というか、ほぼ全員です。こちらももとよりそのつもりです。
単純に放置する保護者も多いのですが、「1人前になるのはゴールではなくスタートですよね?1人前の人間としての能力を持ったら、その力をどう使うべきでしょう?困っている人を助けるのも、力の使い方のひとつと思います」などと偉そうなことを言って、保護者連携を強化しました。
最新の就職事情がわからない。自身はIT系の人間ではないので、どういう支援をしたら良いのかわからない、という保護者の方には、過去の学生の活動事例、本校学生の就職先、勤務地などの資料をもとに、説明を繰り返しました。
大学の就活に関する情報はネットにたくさんありますが、専門学校生に特化した情報は意外とありません。それはこちらも同じなのですが、「ここは大学生とほぼ同じ。ここは事情が違う」という情報を集めてご報告しました。
「先生と会ってどんな話をしたらいいのかと思っていたが、お話できてよかったです」というメールをいただいた時にはホッとしました。
1. とにかく忙しい。
去年の3月末で辞めた教員の補充しなかったため、仕事が山積みになった
その前年にもベテラン2名が辞めていたので、土日も休めない状況になった。
2.やることがなくなってしまった
2年目で数値化できる数値はほぼずべて学年トップ。場合によってはIT学科トップや全校でも2、3番手などになってしまい、さらに上を目指すものがなくなった
校長など経営陣の意向を取り違える。他の学科長と連携しないなど、独自路線を突っ走る。かといって学科の取りまとめもやらないので、成果の出ない(クラス数激減)学科になった。
4. 他教員と話が合わない
4年ではスクラム開発を取り上げるのですが、4年担任はよくいえばスクラムガイドに忠実。悪くいえば批判的精神がない、なぜこういうルールになったのかまで考えが至らないタイプでした。
スクラムガイドには、チームは「10名以下」と明記されているのですが、チーム開発経験の乏しい学生にこの人数は多すぎです。
実際、成果を出したチームは4人チームが最も多かったのですが、ずっと多人数チームに固執し続けていました。
4年生は当然実力はあるのですが、それに見合った成果が出ませんでした
5.他教員が働かない
2、3名で案内をしていたのですが、体が不自由そうな保護者の方をエレベーターに誘導したり、 Permalink | 記事への反応(2) | 13:20
”理系”という言葉を恥ずかしげもなく使っている人間からにじみ出る幼稚さってなんなんだろうな
現役の学生やら研究職やら教職ならともかく、いい年した大人がそのカテゴライズをふりまわすことに、なんの疑問も抱いたことないんだろうな……
まともだと思うからよく聞いてくれ
愛国者を自認するならネトウヨを続けられないし自民党もビジウヨやネトウヨのあのやり口や構図も支持出来ない(俺はフジデモに参加した学生が右翼に取り込まれるのを見てきた)
リベラルを自認するならリベラルを続けられないし立憲共産党や活動家のやり口も支持出来ない(SEALDsに参加したパンピーの奴らは共産党に取り込まれた)
清く正しいフェミニストを自認するなら今のフェミニストになんてついていけそうもないだろ?
夜職界隈がそもそもヤバイのに、更にやべえ活動家に目を付けられて凄い事になってる!と理解してるしフェミニスト名乗るだけあって俺より遥かに界隈に明るいけど
痴漢というものの凄いところは見ず知らずのJKやJCと触れ合えることだ。
そんなことを街中でやったら大変なことになる。
完全に変質者扱いされるか下手すると逮捕される。
しかし、一度「裏」に入ればそうではない。
痴漢して欲しい。その奔放な性欲を隠そうとしない。
よく例えられる「女はオナニーをしているとは絶対に言わないが、オナニーをしていない女はいない」と同じことだ。
古き良き日本文化が息づく数少ない空間が満員電車、痴漢専用車両だ。
とはいえもちろん「今日は残念だけど、痴漢さんと触れ合う気分ではない」という学生もいることは確かだ。
だが昔と違って現代では女性専用車両というものが存在するため、間違って望んでいない女の子を痴漢してしまう危険がない。
わざわざ満員電車に華奢な身体を滑り込まるのは99パーセント痴漢待ち学生だ。
間違いなど起こるわけもない。
これが先程も少し触れたが「表」と「裏」の関係性だ。
「裏」で行われていることであれば、それは構わない。
自宅でこっそりオナニーしているぶんには存分に快感を味わうだけ。
以前、居酒屋で当時付き合っていた彼女のオナニーについて語ったことがあるが、そのあと彼女の怒り方は半端ではなかった。
おわかりだろうか?
だから満員電車の中で、サラリーマンの背中に未成熟な硬いオッパイを押し当てるのだ。
痴漢など言語道断許されざる犯罪行為!!という建前の世界へと暗転する。
つまり痴漢奉仕に夢中になるあまり周囲にその痴漢奉仕がバレた瞬間。
そうなれば話は180度変わってしまう。
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193040
この大学を卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京~神奈川にオフィスや工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民やはてな民とニアミスしてるかもしれない。
今では佛教大学に感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。
仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。
この道は、正しかった。第一志望の大学に不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格をバカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。
自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。
でも、実は後悔がひとつだけある。卒業式である。実は、自分は卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト+飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。
失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。
というわけで、先日3/18(月)に佛教大学の卒業式に参加してきた。もちろん保護者席である笑
後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。
焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館の和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。
式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館の和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。
会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。
とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後はプロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。
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ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室で学位記を受け取る儀式があるのだ。
ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から「部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。
卒業式の会場を出て、100席分ほどのとある教室に入ると、今まさに社会学部のとある学科の学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。
十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまりに煩いものだから、学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑
あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後に卒業生代表が、ステージ上で「私がこの学校に入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月の最後の最後まで受験を続けて、それで最後に合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業挨拶をしていた。が、当時の卒業生諸君は大騒ぎだった。卒業生代表の話なんて聞いちゃいなかった。
今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして、少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?
まあ、それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。
(以下要約)
・あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた
・入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う
・社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい
すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。
※推測だが、2020年当時って、入学式やオリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルがコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。
ちなみに、ほかの学部の学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生も学生も、熱の篭った感じで最後の儀式に興じていた。特に、教育とか保健とか看護の学部がよかった。
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大学を出た後、近くにある千本北大路の交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。
社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。
これで結びになる。
若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分が雑魚すぎて嫌だった。
「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。
大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業、アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分の雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。
今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニングの勉強をしている。
なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツ机から立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。
「あきらめないでくれ……」
夢の中にいる自分には、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。
「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。
でも、学生時代が楽しかったかといえば、楽しかったよ。当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。
苦しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分で自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?
確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか。自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって。無意識はわかってる。
だから、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。
苦しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。
今回、自分の記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学の卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。
前
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この時期は多くのことを考えた。特に就職のことだ。第一志望の大学には入れなかった。だからこそ、今後の人生では逆転したいと思っていた。
就職四季報を読み耽ったし、就職活動の参考になるサイトは巡回したし、就職課の方々にもクソお世話になった(ワンピース的な意味で)。
リクナビとかあるじゃん。あれで友達とかにURL付きの回答ページを送って、送り主のことを回答してもらって、そしたら他人から見た自分自身の分析結果とか、どんな業界が向いてるとか、どんな価値観で仕事をしたいとか、いろいろわかるサービスがあった。そういうのをやってた。
当時は、LINEとかTwitterが一般的だった。ひと昔前の人って、LINEとかなかったんだろ? もしかして、全部メールとか郵便で就職活動をしてたんだろうか、一体どうやって? という疑問を感じていた。
本格的に就職活動が始まろうとしていた。自分は、1回生の頃から【TOEIC】の勉強に励んでいた。少しずつではあるけど実力を身に付けていた。勉強時間はそれほどでもないけど、ずっと続けていた。二年半。
受験にはお金がかかるし、実力を付けてから挑んでみようと考えていた。そしてついに、秋頃だったかな。受験料が少ないタイプの学内試験(※本番で実施済のテストを使い回すやつ)を受けることにした。
人生で初めてのTOEICは……うん、こんなもんかって感じだった。緊張していて、そこまで問題は解けなかったけど、ベストを尽くすことができた。
その結果は、なんと……(ドラムロール鳴る)……760点だった!! 当時の自分は、大喜びだった。狂喜乱舞だった。心の中でもリアルワールドでも小躍りをしていた。実際、佛教大学でのランキングは堂々の二位だった。一位は確か、文学部英米学科の人だったと思う。
これは、この結果は……紛れもない一流である!! おそらくきっと、この点数は、同志社だろうと立命館だろうと飛び抜けた点数だろう。京都大学でも通用するし、ましてや就職活動で通用しないはずがない。祇園や木屋町などの飲み屋街、東本願寺や渉成園とかの観光地で【外国人】とトークをしても通用するだけの英語力を、ついに、ついに身に付けたのだ!!
※そんなふうに考えた時期が俺にもありました。
そんなこんなで、就職活動が本格スタートした。俺は必死で、シューカツとやらに取り組んだよ。リクスー集団に交じってさ、学内の企業説明会とか、大阪城ホールでの合同説明会とか、東京までOB訪問に行ったこともあったっけ。とにかくマジだった。
あの頃の自分は飢えていた。なんの実力も実績も持っていないのが嫌だった。とにかく何か、ほかの人から見て、「あいつはスゴイ」となるものを最低一つはほしいと考えていた。
いつからか知ることになったのだが、この佛大というのは宗教系の比較的裕福な大学である。当時の週刊誌の大学職員給料ランキングでは、慶應や関西大学などの有名私大と肩を並べていた。キャッシュフロー的な意味で裕福な理由はいくつかあるが、そこまでは述べない(この日記の趣旨ではない)。
大学構内には、相応の見た目の講義棟(兼研究棟)が鎮座している。学生時代は「おしゃれ~でかい~」くらいの印象だったが、歴戦の社会人となった今ではわかる。あの1棟ものの巨大な建物は、建設工事だけで百億とかいってるかもしれない。同じ規模の大学で、あれを作れるところは少ないだろう。
あれは確か、3回生の終わり頃だったかな。本日の部活もさあ終わりだ、という時に、部長(※教員側の部活責任者)から声がかかった。ほかの3回生も一緒だった。「佛大の就職試験を受ける気はないか? 希望者がいたら優遇する」ということだった。
考えたのだけど、大学職員というのは、その大学がすんごく好きな人がなるものだと思った。当時は、民間企業への就職を視野に入れていた。優遇できる枠は1名ということで、ほかの同回生が手を挙げることになった。
まあ、年収であるとか、職務内容とかのバランスを考えると、「魅力的だ」とは正直思った。当方は、人生の方向転換が苦手なタイプである。この頃は、先輩やOB・OGを探して、就職活動に関する考え方や情報を集めていた。何でもいい、そういう生のデータがほしかった。
けど、嫌なことはやっぱり起きる。わざわざ日記に書いているのだから、当時の俺は相当ムカついたのだろう。
就職に関する情報を探してる中で、聞き込みのために学内アルバイトをすることがあった。それは講義の出席者からレポートを受け取って、受付番号を整理して、最後に整頓するようなアルバイトだった。1日勤務で六千円だった気がする。
二人一組で受付作業をするのだが、隣の組を見てると気分が悪くなった――と日記には書いてある。
その組は、男子と女子の組み合わせだったのだが、男子の方がやたらと女子の方にがっついている。レポート提出者がいない時に、割と雑談をしていた。
その中で、男子の方が「彼氏いる?」と聞いた後で、女子の方が「いる」と答えると、男子の態度が急に悪くなったのだ。それは仕事終わりまで続いた。
最後にレポートの仕分け確認をする時も、その男子は怒鳴りつけるようにして女子に当たっていた。俺はあまりにムカついたので、「ちょっと静かにやってもらえます?」と声をかけて、ようやく静かになった……。
と、記憶を思い返したけど、今の俺にそこまで思うことはない。「男の態度がひどいね。でも、オスってそんなもんじゃね?」くらいしか思わない。間近で見たらムカつくんだろうけど。注意とかするかもしれない。
当時は、実際どんな人間だったんだろう。俺って。記憶が薄らいでるとかいう次元ではない。消失している。全然わからない。
なんかさ、十年前の自分ってさ、もはや『他人』じゃないか。体の細胞でいうと、20回分は完全に入れ替わっている。もはや完全に他人である。
余談だが、佛教大学に通ってる女子には可愛い子が多いと、アルバイト先の立命館大学の人に言われることがよくあった。
根拠は全くないものの、社会に出た後の個人的感想では当たっていると感じる。福祉や教育に強い大学はそうなのだろうか?
就職活動に本気だった。この頃は、大手企業は今よりも早く内定を出していた(4月の1週目くらい?)。就職活動以外に教職課程のこともあったが、時間の隙間を縫って面接試験を受けに行った。まあ、書類選考でお祈りされることの方がずっと多かったけど。
うちの大学の卒業生で、すごい就職先に進んだ人っているのだろうか? 自分は高望みをしていないだろうか? そんなことが気になっていた。大手病に罹患していた可能性が極めて高い。
当時は社会学部で政策学を学んでいた。社会学だけじゃなくて、社会科学ならなんでも学べる学部だった。地域を盛り上げる系のゼミに入っていたのだけど、どんな先輩方がどんな進路に進んでいるか、正直気になるところだった。
ほかのゼミと交流する機会があった時に、同輩や先生方に聞いて回ったのだけど、凄い人というのはやっぱりいた。学生が六千人もいるのだから、レベルが高い人は一定数存在しているのだ。
社会学部の先輩(俺と同じ公共政策学科)の例だと、自分が入学する数年前に総合商社の内定を取った人がいたらしい。学業だけじゃなくて、外の世界に飛び出して活動していた人だと聞いた。とにかく忙しい人で、授業にはそこまで出席してなくて、水商売の仕事に明け暮れていたらしい。
単位はそれなりに取得して、教職課程最難関の講義(兼演習)ではチーム全員で百点満点を取って、大学同士の研究分科会では発表役になって、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って……とにかく活動的な人だったらしい。
学歴って、仕事の実力とは相関が薄いよな。多く見積もっても3割くらいだ。『誰もが嘘をついている』という本に書いてあったのだが、高偏差値の名門校に1点差で受かった人・落ちた人を追跡調査する社会実験があったらしい。結果的には、学歴と現在の地位に相関関係はないという結論だった。相関係数は0.1程度とあった。
アメリカ合衆国での話なので、日本だとどうなるかわからない。けど、自分も同意見である。どんな中学・高校・大学を出てるとか、そういうのは人生での成功にはほぼ関係ない。
どんな瞬間だって、自分が今どこにいて、何を目指していて、どんな努力をしているか。それが大事だ。学歴を振り返ってる暇があるなら、さっさとやることをやって次の先に進むのだ。
就職活動の話に戻るけど……就職活動の面接で問われる内容(志望動機、自己分析、自己アピール、就職活動の軸、ガクチカ)とかってさ。釈迦人になった今ではわかるんだけど、ぶっちゃけ茶番だよな。はてなブログだと、借金玉さんがそんなことを言ってた。部族の掟に近いものがあるってさ。
就活的なキャラの型枠を、リクルートその他の人材会社が用意したうえで、企業側が「茶番」に対して本気になれる人材(会社の方針を素直に受け入れて、貢献してくれる)を探してる。それだけだ。
若き大学生が当日記を読んでる可能性は低いけど、たったひとつだけ、ただひとつだけ、会社選びで言えることがあるとすれば……以前、どっかの増田日記に書いてあったのを参考にすると、こんなところだ。
「自分が入りたい会社というのは、自分が将来、どんなキャリアを描きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算して決めていく」
就職活動の軸というよりは、人生の軸という観点である。ちなみに軸、というのは「他人に関係なく、自分が正しいと思える考え方」という意味だ。
経済社会でバリバリ働きたいなら、そういう会社に行くべきだし、あなたが大事にしてる『たましいの仕事』があって、仕事は副業でやりたいなら暇そうな業界を選ぶべきだ。
将来、どんな人生を歩みたいのか? それさえ決まっていれば、業界や会社を決めることはできる。職種についてはナントモだが……敢えて言うと、保育所とか幼稚園とか小学校とか、それくらいの年頃に何が面白かったのか、が答えになるんじゃないか。その年代に心から楽しめたものは、大人になってからもきっと楽しい。
結局、その年の春の終わりに就職活動を終えて、内定をもらえたのは……京都市内にある電子機器メーカーだった。
大手企業を受けるのはやめた。大手病を克服したのだ。それで地元の会社一本に絞った。ここまで絞ると、受験できる会社の数は十社程度になった。自分の力をそんなに分散する必要もない。十分に集中できる。
当時は嬉しかったよ。両親に報告したら、父も母も衝撃を受けていた。うちの親って、自分の子どもを親戚の子と比べたがる嫌いがある。それはムカつくのだが、いい結果を報告できてよかった。
両親が、俺が出した実績をありがたがって聞いている。その実績を、電話などで親戚やご近所に知らせて調子に乗りまくっている。スタンダールの小説の『赤と黒』を思い出した。小説の中で、こんな感じの場面がなかったっけ? ブクマカで詳しい人がいたら教えてほしい。
両親よりも喜んでいたのは就職課の人だった。内定先を告げると、ご機嫌なビートで小躍りするようにして、ハッピーな感じでターンをキメていた。ずっと以前から、いろいろとお世話になっていた。喜んでもらえてよかった。
この年度の終わり頃、卒業間近だったか。大学が出してる何かの広報で、俺の就職先がデカデカと上の方に載っていた。トレーニングルームでそれを読んでいる時、隣にいた学生達も同じ広報の同じページを読んでいた。
「ん。どこどこ?」
「ほら、ここや。この会社」
「ああ、それマンコやろ」
「……」
「女の一般事務職だって。総合職ちゃうし。こんな掲載は詐欺に近い」
俺の怒りは有頂天に達していた。当時の日記には「有頂天」と書いてあったが、怒髪天と書きたかったのだと信じたい。
こういう連中はどこにでもいる。気にしたら負けである。増田の読者の人も、レベルが高い解釈と低い解釈があるとしたら、迷わず高い方を選ぼう。そっちの方が心身ともに健やかな人生を送ることができる。
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https://anond.hatelabo.jp/20240502193038
学生時代は、健康づくりのために、鹿渓館(学生棟)という建物の地下2階にある【トレーニングルーム】に通っていた。授業が終わった後に、週に三度くらいかな。
ここでは、体育会部活の支配(?)が圧倒的だった。柔道とか空手とか陸上とかラグビーとかウェイトリフティングはもちろん、数多くの部活がトレーニングルームを使用していた。めちゃ狭かった思い出がある。
自分のように体育会でない者は、ひたすらにベンチプレスの順番を待つしかなかった。でも、なかなか空かないんだよな。ベンチプレス。あとは、体育会の利用者が優先という空気があったし、実際そっちの方があるべき姿だと思っていた。
ただ、自分の番が周ってきて、ベンチ台でバーベルとか持ち上げたりするじゃん。その時にさ、ガーンッ!! という大きい音がするのだ。見れば、隣のスペースでアップライト気味に胸~頭上にバーベルを上げていた柔道部の人が、バーベルを放り投げるようにして床に落とすのだ。
あれは、マジでびびったわ。重さが50kg以上もある物体を放り上げるだけの筋力が俺にもあれば、驚かずに済んだのかもしれない。
結局、夕方以降にトレーニングルームを使うのはやめて、早朝にトレーニングする派に転向したんだっけ。朝だったらベンチプレスも、腹筋台も、エアロバイクも、大型鏡の前も空いている。
確か、カブトムシその他の甲虫類が、クヌギやコナラの樹液を深夜に吸うのって、スズメバチを回避してるんだよな。日中にスズメバチとやり合うと甲虫側がボロ負けするので、彼らは仕方がなく時間帯を変えて樹液を吸うのだ。俺もその仲間だった。正体は甲虫類である。
ただやはり、体育会の人たちはバックグラウンドが違うこともあって、正直無理なことがあった。特に野球部や柔道部といった上意下達のイメージがある部活は、当時の自分からするとヤベーことばかりしていた。
夕方以降にキャンパスから下宿に帰ろうとする時、北側キャンパスの中庭付近で、体育会の人たちがバイオレンスなことをしていた。例えば、誰かのTシャツの胸あたりを両手で掴んで、ブンブン振り回していた。後は、後輩にエレベーターかトイレの前のタイル貼りのところで、床オナをさせていた。あれは振りだったと信じたい。通りすがりの人は普通にスルーしていた。
基本的に、体育会の人達はやりたい放題だった。2024年現在と比べれば、あの頃の世界は「実績があれば何でもよかろう」の世界だった。実際、彼らはある程度の実績を出している。
例えば、先ほどの鹿渓館の中にある部室棟について、2階とか3階の日当たり良好なスペースは体育会が占めていた。部室の出入口は中がいつでも見えるように、目線の高さの0.5㎡ほどがガラス張りになっているのだが、彼らはそれすら張り紙で覆い隠していた。たまに、男性や女性の怒声や、うめき声や、金切り声が聞こえていた。一体、中で何が行われていたのだろうか……。
ちなみに、【文化系部活】は地下1~2階に生息していた。ジメジメとした暗い空間である。そこで毎日の部活動をしていた。最新の大学キャンパスを見る限りは、おそらく今でも其処に彼ら彼女らは生きているのだろう。
今はどうか知らないが、大学の授業の出席確認に際しては、出席カードを提出する形式だった。時代の先を行っている大学だと、学生証をピッとやれば出席したことになるらしい。
どうでもいいけど、今って授業は15回中10回以上出ないと単位をもらえないらしい。厳しいんだな。あと、年間に取得できる上限単位は42らしい。ちょっと少なすぎるよ。俺の時だと、大学3回生の前期時点で最低110単位は取っていたはずだ。
さて、あれは大教室での授業の時だったか。秋だったと思う。佛大の若き学生がこの日記を見ている可能性はほぼゼロかと思うが、6号館の101という大きい教室(余談だが同志社の講義室に似てる)で、中国明朝の歴史の授業中だった。当時の日記によると、倭寇とか康熙帝とか足利義満とか、そのあたりの絡みがある回だったとある。もちろん全く覚えていない。
授業が始まると、出席カードが前の席から回ってくるのかな~と思いきや、一番前の人が一番後ろの席まで配り切る形式だった。自分が出席カードを受け取ると、すぐ後ろには野球部と思しき人達がいた。彼らは、「すんません、出席カード追加で5枚くれる?」と発言していた。
出席カードを配ってる人が「すいませんね~」と言って去ろうとすると、「おいお前、待てやコラ!!」と野球部の人達が彼に絡み始めた。出席カードを配ってる彼も引かず、収まる気配がなかった。
これはいかん、と思って俺は、「ちょっと、ちょっと~」と騒いでいた。やがて中年ほどの先生がやってきて、彼らをひと睨みすると、何事もなかったように騒ぎは収まった。
上記のニュースは私が入学する前の出来事だが、大学の体育会というのは、どこもこんな感じだろうと思う。佛大野球部も、京滋リーグという枠ではほぼ無敵だった。その線でいくと、日本大学もそういう感じだったのだろう。結果だけは出していた。
結果を出しているうちはいいのだが、佛教大学だって、やりすぎるといずれは日本大学や福山大学のように、不祥事(大麻とか)>実績となってしまい、とんでもない結末を迎える。
https://www.bukkyo-u.ac.jp/news/info/20240213-26933.html
上記のように、今でも事件はあるといえばあるが、こういうのはいいよ。間違った人材(臨時雇いの研究者)を雇ってしまったんだろう。大学側はいわば騙されてしまったわけだ。次から気を付ければいい。
ただ、卒業生の一人としては、学生という本質的な存在についてはキッチリと管理して、自分のように不愉快な思いをする学生を無くしてほしいと感じている。
不満ばかりを書いてる気がする。
大学生活、楽しいことはいっぱいあった。例えば部活がそうだ。文芸部とか文芸サークルである。
文章を書くのが好きだった。それこそ子どもの時分から。中学でも高校でも、そういう系の部活がよかったけど、運に恵まれなかった。大学生になって、ようやく文字で作品を創造する喜びを得ることができた。
あとは、学園祭だ。その名も鷹稜祭(おうりょうさい)というイベントなのだが、年に一度の楽しみだった。一度だけ実行委員になったことがある。みんなで何かひとつのものを作る、といったら大げさだけど、最初は何をしたらいいか全くわからない……という段階から、次第にステップを踏んでいって、尻上がりにイベントづくりが面白くなっていく。
最初の一歩を踏み出すのが早ければ早いほど、ドンドンと楽しくハイになっていって、最終日を迎える頃には、自らがイベントと一体になっている。自分と仕事がひとつになっていく感覚。
こういう感覚は、仕事はもちろん、趣味の活動にだってある。精神的な意味で、自分とナニカが溶け合ってひとつになっている感覚である。そのナニカは、人によって違う。パートナーや仲間だったり、参加してる社会そのものだったり、取り組んでいる事柄だったり、特定の空間だったりもする。
ひとつ、少なくともひとつ、大学に進学してよかったと思えるのは――これまでの人生で一番、没頭できるものを見つけられたことだ。これだけで大学に進んでよかったって、そう思える。
あとは、アニメがそうだな。それまでのアニメって、安っぽい作画が多かった。特に、子ども向けアニメはそうだ。ポケモンはまだいいけど、デジモンとかはひどいものだった。この頃から、なぜかはわからないが綺麗な作画が増えていった。
どのアニメかは忘れたけど、女の子がドンパチやる系の朝のアニメで、必殺技のダンスのバンクがあったのだ。サンバを踊ってたんだけど、最後に「ウー!マンボ」ってやるんだよな。サンバなのかマンボなのかどっちなんだよwwwwwwと、当時は大笑いした記憶がある。
え、そんなものが面白いのかって? 当時はまだ20代前半である。箸が転んでも面白い年頃なのだ。
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約十年前に、とある4年制大学を卒業した。名を佛教大学という。
高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったことである。
なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めはひと月前である。ずいぶん時間がかかってしまった。
普段から増田に投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。
佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士や作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立に不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である。
なんで自分がここに入学したかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学の社会学部に進むことになった。
大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。
学業は一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。
アルバイトは金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態はサークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家のコピペだったのが記憶に残ってる笑
ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。
学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークルの飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。
冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。
大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族や兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。
でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である。
当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。
そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。
入社したところは、いわゆる超一流ではないけど、佛教大学の卒業者で会社員~という観点からすると、相当いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だろう。卒業間近には、就職活動終了者との懇親会に招待された。
さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。
入学式と最初のオリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗の大学だったので、そういう縁からか、知恩院の僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。
今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。
この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代の日記を参考に書いていく。
以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。
新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。
先生がそれから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。日記によるとスポーツ推薦で入った子だった。授業はきついのだろうか。
「もういい。お前は落とすっ!!!!」
先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。
当方は、京都生まれの京都育ちである。佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。
しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事の最中だった。仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。
一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだから。マナーも常識もこれから勉強すればいい。
しかしbut。自分が学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。
(貸出物品のこと)
多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨の張り紙がしてあった。
「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」
久保帯人のブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。
キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食は禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間にステージ上で寝てる人が多数いた。
いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分の認識としては……「なんでこんな貼り紙が存在するのだろう。管理者がダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。
大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学は自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。
(コピーカードのこと)
何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的なもの(ex.学内新聞の関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味の出版物だと難しいものがある。
同じ部活にいた文学部(学科は忘れた)の女の先輩が、趣味で同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミの教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。
もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷費無料で販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。
「増田君。文学活動にはね、お金が必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」
だってさ。あまりにクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑
(参考:https://tadaup.jp/702e034b1.jpg)
※度数1000のコピーカードの画像。自分も教授から借りてそのままだった笑
早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。
そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。
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神戸山口組・組長宅への発砲事件…対立する山口組の組長の名古屋にある自宅を家宅捜索 抗争事件の可能性も (2022/06/28 21:34)
https://www.youtube.com/watch?v=GvjiwylGGuQ&t=47s
こんなあからさまにヤクザでも、犯人の職業は無職ってことになる。
普段、「無職が犯人」って報道されてるものの殆どはヤクザってわけ。
マスゴミは、「ルールに従って、組員に登録されてなければ無職」っていう言い訳で、こういう誤解を招きすぎる報道をする。
でも、暴対法に対処して、今のヤクザの殆どは正式に組員に登録なんてしないから、そいつらが捕まるとほぼ百パーセント「職業・無職」って報道される。
京アニ放火犯の無職も、ヤクザだったって記事を週刊誌がちょっと書いただけで、あっという間に規制されたみたいに話がされなくなって、一般人のオタク叩きの道具にされた。
大体、子供の頃から悪ガキとつるんで万引き窃盗しまくってた奴なんて、ヤクザ以外にあるわけねーだろ。
「お、ここ間違ってるね。ははは、いいさいいさ。単純な勘違いだろ。次に間違えなければいいんだよ(ニッコリ)」
って、これだけじゃあ一生ミスが直らない人間ってたくさんいるんだなぁと悲しい気持ちになる
「おい!お前またここ違ってるじゃねぇか!何度目だよ!!数えてみろよ!!!何回ミスすれば気が済むんだよ!!!
お前の尻拭いでいろんな人が迷惑してるんだよ!考えたことあんのかよ!少しは頭使って仕事しろよ!
すいませんって言えば許されると勘違いしてないか!?学生じゃねーんだから少しは自分の仕事に責任ってのを持てよ!
お前何歳だよ!それは数えられるか!?いい年して数字も数えられないのかと心配だよ!!
その歳でこんなつまらないミス繰り返して恥ずかしくないの??あ??
じゃあどうしたらミスらなくなるんだよ!教えてくれよ!大先生よぉ!!!
は?「気をつけます」???じゃあ今までは気をつけてなかったってことかよ!!
あんだけミス繰り返しておいて考えることが「気をつけます」かよ!それって今までなにも反省してなかったってことだよな!!!
もっと頭使って考えろよ!!」
さっき見たやつは芸能人ではないんだけど、スポーツ選手のインスタ見てたらコメ欄で粘着しまくってる人がいた
選手のファン自体は若い人が殆どだと思うんだけど、そのアンチのプロフ見に行ったらどう低く見積もっても40歳は超えてそうなおっさんだった
フォロー欄がラーメン屋とグラビアアイドルばっかりで投稿もコンビニの菓子パン食べた❗とかそんなん
写真がなんか一人暮らしっぽくて、あんまり冴えてなさそうなおじさんなのかなって感じ
まともなアカウントでアンチなんかするわけないから当たり前ではあるんだけど
それでもおっさんとおばはんの率高すぎるだろ
ネットの誹謗中傷ってなんか学生とか若い人がやってるみたいに思われがちだけど意外と年齢層高いよね
いい年こいてやってるってパターンが多いように感じる
公務員(私が受けたいと思っていた職種)はそれほど待遇よくないし民間も見たほうがいいのかな、と軽々しく言って、父親が公務員だった当時の彼氏に、俺の父親公務員なんだけど、って言われて場が凍ったのを思い出したよ
違うんだよ、私が念頭に置いてたのは学力の低い自分でも受けられるような職種であって、彼の父親とは(某国立大卒だったしきっとキャリア官僚とか専門職とかであって)次元が違うんだ、と当時も言ったんだけど、なかなか気まずかったな
でもお前はピアノ持ってないんでしょ?
家庭では別々の口座を持っていて、各々の給料がそこに振り込まれる。
どうにも手が回らなくなり、どうしようもなくなって妻に泣きついた。
妻は最初、唖然とした表情を見せたが、次第に落ち着きを取り戻すといつもの和らいだ表情を見せてくれた。
妻は自分の口座からお金を出して、俺の借金を肩代わりしてくれた。
借金の肩代わりをするのは今回だけだからね、と妻は言い、俺は深く頷いた。
それでもギャンブルは止められなかったんだ。同じことが二度続くと、彼女は俺に離婚を切り出した。
俺はそれに従うしかなかったんだ。でも借金は必ず返す。そう誓い、不本意ながら離婚した。
そして今はギャンブルとほぼ縁を切っている。するとみるみる金が溜まっていった。
元々給料は悪くない。俺は今30手前だが同世代の平均よりは幾分か高い。多少の贅沢が許されるほどのゆとりもある。
先日の日曜、俺たちは共にランチを食べた。一か月ぶりに会う彼女は相変わらず奇麗で、淡い新緑色のワンピースのようなドレスを着てきた。
ナチュラルメイクのような薄い化粧は相変わらずで、彼女は本当に美しい。彼女が現れた時、俺は数秒間じっと見惚れてしまったほどだった。
雰囲気は以前のままで変わりなし。男の影がないことに俺は心底ホッとした。
ランチの雰囲気は和やかだったと思う。近況を話し合って楽しく笑い、食事の最後に思い出したように封筒を取り出して彼女に渡す。
ちょっと厚くない?という彼女に「利子だから」とそのまま渡す。でも…と躊躇するので「いいから」と無理にでも渡す。
そんな余裕があるなら残りも全部返せるんじゃない?
妻がそう聞いてこないことに俺は安堵し、なにより嬉しかった。
食事代はもちろん俺が払う。彼女はただ「ありがとう」という。それだけで俺は満足だった。
じゃあまた来月、といって俺たちは笑顔で別れる。
俺たちはこうして来月も、再来月も会うだろう。でもそれは借金があるからで、もし借金がなくなってしまうと彼女は俺に会う理由をなくしてしまう。
それがなによりも恐ろしかった。また借金を作って彼女に借りる?といったことも一瞬考えたが、あまりに馬鹿らしいのですぐにその考えを捨てた。
このままでは返済が終わってしまう。でも俺は彼女との関係を決して終わらせたくはない。
もし彼女に別の男が出来たと、そう考えただけでも気が狂いそうになるのだ。
彼女は美人だ。数多の男が言い寄ってくるのは目に見えるように分かる。
じゃあ普通に復縁したいって言えばいいだろ?っていうのは分かってる。
断れたらどうする?そんな、学生の恋愛みたいな臆病は恐怖心が俺を貫き、言い出すことが出来ない。
ああ、こうしている間にも俺は彼女が今、何をしているのだろうかと考えている。
嫉妬に狂いそうだ…俺はどうすればいいのだろうか。
昨日、弱者男性の
「高卒や中卒ではなく大卒以上を優遇したから教育コストが増して少子化が進んだ」
「中卒や高卒を優遇したら少子化は解決する」って主張がバズってたけど
この命題で重要なのは教育コストが増えたから、少子化が進んだって話でしょ
それだったらヨーロッパみたいに「私立大学も含めて大学の完全無償化」にすればいいだけじゃん
もちろんヨーロッパでも国の介入を良しとしない私立大学は大学を無償化してないけどその場合は学生に授業料相当の給付型奨学金を支給すればフォローできる
役所とかはよくわからないけど、民間企業とかで働いてたら当然知ってるだろうけど
現代って産業の高度化がかなり進んでるから正直、高卒程度の知識じゃ全く足りないんだよね
例えば、工場とかは計器類のデータ分析には学部1-2回生程度の解析や統計の知識が必要なので工業高校卒の知識じゃ全く足りないくらいだし
経理とかでも昔は商業高校卒の知識でなんとかなったけど現在では、会計の国際的なコンバージェンスが進んでて
私立も含めた大学の完全無償化って弱者男性には受け入れ難いかもしれないけど
この考えは経済学者の中では通説中の通説で
新自由主義者ですらほぼ全員が賛成してる考えなんだよね
(例えば新自由主義者のミルトンフリードマンですら賛成してることは弟子のノーベル経済学賞受賞者のベッカーの著書に載ってる)
自分小さい頃から習い事でミュージカルやってて、学生時は着ぐるみショーのバイトしてて、地方だけど格闘技のコンパニオン人足りない時に助っ人で出てたりした
普通にエンジニア採用で就職して、開発の業務とかもあるのに、新卒の頃から学生への説明会だとか、そういう展示会によく連れ回されて、私だけスカートのスーツ指定で、手当が出るわけでもなく、通常業務に手が回らなくなりその会社辞めた
俺の先輩、肩書的には同格なので先輩と呼ぶが、40手前の女性がいる。仮にTさんとしよう。Tさんは非常にバリバリ仕事のできる方で、10歳ほど年下の下っ端採用担当者である俺に色々教えてくれる面倒見の良い人でもある。
そしてぶっちゃけ美人だ。尾野真千子を素人っぽくした感じというか、一般人としてはかなりすごい美人だと思う。中途の採用面接をしてると、特に30半ば以上くらいの人だと男女問わずTさんの顔を最初ガン見してる人が多い。
昨年秋、某社主催の新卒向け合同説明会、弊社も久々のリアルイベントに出展したのだが、なんとも客入りが悪かった。特に男子学生の着席数が非常に少ないとの結果となった。
そこで俺、Tさん、そして主催某社の担当営業を交えて反省会をしたところ、営業マンが「他社平均と比べてすごい悪い数字ではないが、即効性のある対策をしたいなら、この場にいる人事・採用担当の皆さん限りということで……」と前置きをしつつ話した理由は次の2点だった。
確かに、合説当日に他社ブースを見て回った感じにおいては、やっぱり分かり易く派手な色使いだったり明らかにキレイ系の若い女性社員のいるブースは客入りが良かった覚えだ。
俺はなるほどなーと思いつつ話を聞いて、そしてその反省会MTG後である。
Tさんはブチ切れていた。普段滅多に怒ったりしないTさんがである。そしてその怒りを俺にぶつけてきた。
普段そんなに怒らないTさんがそうもブチ切れていたのがそもそも意外だったし、もっと言うと営業マンの話した内容はそれなりに妥当感があったから、Tさんとしては勿論面白くはないだろうが、とりあえずどう改善すべきなのか、という話が面白いわけがないので、仕方ないではないか。俺だってダメ出しをされているのである。
そっから色々あったのだが、Tさんはもう自分が呼込み係として合説に参加したくないとおっしゃる。そして残念ながら採用チームで一番若いのはダメだしされた俺である。
そうなると社内別部署から見た目の良い20代前半の女性社員の応援を募らなければならないわけで、そして実際それに該当する女性社員はいるにはいるのだが、採用に全く関係ない部署なので露骨に「見た目が良くて若い女に協力させた」感が半端ない(=人事はその女性社員を美人と評価している、とバレる)し、そもそも該当者がそういう呼込み係とか嫌がるタイプである。
よって、俺としてはプロのイベントコンパニオンを雇いたいわけだ。ぶっちゃけそんなすごい高額というわけでもない。正社員を1日休日出勤させる人件費+数万円と思えば、「見た目が良くて若くて愛想良く呼込みをしてくれる」ということが保証されているプロを雇う対価としてはお安いであろう。
それを上申したところ絶賛社内で揉めている。
自社の説明するのに社外の人間にやらせるのか美人で釣るとか下品じゃないか機密漏洩の心配はどうなんだとか云々。
いや、どう考えてもプロに頼む方が後腐れなくて絶対良い上に即効性があるんだが。
もうイベント約1か月前だよ。どうすりゃいいんだ。助けてくれ。
至急お返事求めます。
私は学生でスマホを持つにあたってルールを決めています。一週間のうち3回以上8時までに起きられなかったら次の週はスマホを没収といったルールです。
先週、3回以上寝坊してしまって今週から一週間夕方からスマホ没収になったのですが、毎日推しが夕方に配信していたり今週は推しの周年がありお祝いツイートなどをしたいのですごく困っています。そして昨日見れなかった配信のアーカイブを見ようと思ったら非公開になっていまして、推しのツイートを遡ってみたところ「ある歌い手グループについて。ほんとうに怒っています」というタイトルで配信がされていました。ある歌い手グループとはなんとなく想像はつくもののその配信に行けなかったことにすごく情けないと思いました。
私の推しはそこそこ人気はあるもののコメントは全部見えるくらいのスピード感で、誰がコメントしているかもわかる状態です。私自身推しに認知はしてもらっているのですが、ツイートには「録画は残しません。絶対に来て」と書かれており自分が行けなかったことにオタク失格だなと自分に嫌悪を抱きました。
推しのリスナーも私が見たところ全員来ていて、自分だけが行けなかったことがすごく恥じで情けなくて悔しいです。
昨日の配信内容をなにもしらない私が次の配信で普通にコメントをすることができそうになく、推しやリスナーに顔合わせができない状態です。
リスナー友達もいないためどういった内容だったのか聞くこともできません。
そして、次はどうしても配信に行きたいのですがルールがあり行けません。自分勝手なのは十分承知ですが、次の配信に行けなかったらもうその推しのオタクを堂々とできません。
自分は起立性調節障害と診断されていて、今のルールが自分に合っていないためルール破りとなってしまいました。
この場合どうしたらいいでしょうか。