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2024-05-09

[]よっ友

街中などで遭遇したら「よっ」と軽く挨拶を交わすが、それ以上の付き合いはない、という程度の友だち関係を指す俗な言い方。

特に大学生学内生活話題において言及されやすい。

2024-05-03

退職エントリー的な何か

ずっとソフトウエアエンジニアで飯食っていたのですが、2021年4月からIT系専門学校教員を3年間やってきました。

今年の3月末で退職し、技術系の会社転職しました。

教員は初めての経験でした。

始めるうえでやって良かったこと。逆にがっかりしたことを書こうと思います

いずれちゃんと書くつもりだったのですが、途中で飽きてしまったのでwとりあえず下書きっぽいのを投げてます

—-

教員になってすぐに、理事長含むお偉方の前で模擬授業をやったのですが、そこでの理事長評価がとても良かったそうです。私がいないところで褒められたので、どこが良かったのかわからないのですが、模擬授業中の他教員からフィードバックでは、「常に教室中を見回して聞き手のことを見ている」「適当時間質問タイムを入れている」などをいただきました。この辺りは説明プレゼンを数多くこなしていれば普通に対応できると思います。どちらかというと、「初手で理事長に好印象付けに成功した」が大きかったと思います

とりあえず、なんとかなりそうだとの感触を持ちました。


まず、何を考えて教員をやったか。やって良かったこと等。

さて、私は大卒専門学校のことも知らないし教員歴もありません。

なので、経験のある社員教育OJT)をベースに、不具合があったところを修正する、という方針で臨みました。

新人から入社数年くらいの社員に対しては

課題解決方法提供、答え合わせまで行う。

課題解決のための材料提供のみ行い、課題解決自身で行なってもらう。こちらが全てお膳立てして、こちらの想定に沿った解決策の提示を行なってもらっているので、まだ自立しているとは言えないが、本人は自分努力解決したという自意識を持っている。

③「なぜこの課題解決すべきなのか」という問題提起のみ行い、解決のためのリソースを入手するところから自力でやってもらう。これができるようになると、こちらの想定を超えた課題解決を行うことがあり、仕事を任せることができる。

という順序で指導を行っています

こちらをベースに、不具合のあるところをアレンジする方針で臨みました。

基本方針

①専門知識は全て教員が持ち、必要情報を全て提供する「教師と生徒(≠学生)の関係

②体調が悪い時には自ら病院に通い、専門技術を持った医者医療サービスを受けるような「医者と患者の関係

RPGの「武器屋」のように、自ら魔王は倒さないけど、各自に合った良い武器の選び方、武器の使い方は教える「勇者武器屋関係

という3つの関係の使い分けです。

③だけちょっと表現が違いますが、これが1番学生に通じやすかったんです。

また、学生は「さん」づけで呼びました。TPOによっては呼び捨てしますが、「あの子」のような「子」とは呼びませんでした。「あの子呼ばわり」というとネガティブな印象の方が私には強いので。


学生対応について

基本的学生との接触回数・接触時間を増やすことで、学生から好感度信頼度は上がります(人によって上昇率に差はあるにせよ)

なので、登校日はできるだけ朝早く教室に顔を出しました。

学生によっては、授業の始まる30分前には学校に来ています

朝早くから在室しているメンバーは固定されがちですが、まずは少数の学生であっても、良い評判を勝ち取り、口コミで他の学生評判が広がってくれれば良いと考えました。

これはずっと続けたかったのですが、特に3年目は仕事が忙しく、時間ギリギリ通勤するのがやっとだったので中断してしまったのが残念です。


専門学校大学と違うところの一つが、専門学校にはゼミ研究室がないことです。

コロナ禍でオンライン登校が多かったせいもあると思いますが、学生同士のつながりが希薄です。クラブ活動も全面ストップだったので、クラス外の学生、学年を跨いだ学生同士の連携ほとんどないように感じました。

大学だと、学生が何かわからないことがあれば、まず同じ研究室生・同級生に、次に先輩に質問し、それでもわからなければ教員に聞きにくると思うのですが、専門学校だと、割と軽微な質問まで教員にきます。もちろん困っている学生がせっかく相談に来てくれたのだからそのつながりは大事しますが、教員に聞きにくるまでに捨てられた無数の質問もあったんだろうなと思いましたので、そちらをなんとかしたいと考えました。

まずクラス内の学生のつながりを強化したいと考えました。

ひとつツールなどの紹介です。

こんな便利なツールがあるよ。よかったら授業で使ってください。という「紹介」をしました。

かい使い方までは言わなかったのですが、特にグループワークで学生自主的に使ってくれました。

特に人気があったのはMiroブレインストーミングカンバンなど)、Figmaアプリデザインなど)、Notion(技術共有などWiki的な使い方)などです。どれも複数人の同時編集機能があるので、グループワークで使うのに相性が良かったようです。

ツールの使い方、どんな図面ドキュメントを書くかなど、学生同士が細かく相談したり、あるチームの成果を別のチームで紹介したり等、学生自主的に動いてくれました。

統制が取れた、良いチームワークができたと思っています

統制とは(辞書に載っている意味とは違うかもしれませんが)個人自主的に別の個人やチームに共感し、自主的にその方針に従っている状態が保たれている時、「統制が取れている」と言う言い方を、私はします。

フォローアーシップが十分に発揮されている状態、と思って頂ければと。


もうひとつ放課後教室開放です。

1年目は登校授業が週1に制限されていたので、放課後学生居残りまで発想が及ばなかったのですが、「夏休み中に登校して、学校基本情報勉強をしたい」との学生の申し出があったのでいろいろ調べたところ、前日までに登校計画書を提出すれば対応可能だとわかりました。計画書さえ出せば毎日登校でも良いそうです。その後、通常授業の日も事前に学生名などを届けることで教室が使えることになったので、できるだけ学生を呼ぶようにしました。

あとひとつ就活の利用です。

卒業の1年以上前内定を取る学生もいますので、彼らに未内定学生フォローを手伝ってもらいました。

面接でどんな質問があるか」等、最新の就活事情は私もわかりませんし、その辺の情報学生が1番詳しいです。

教員就活支援担当のいうことより、同年代学生経験談の方が、説得力もありますし、学生真剣に聞いてくれます

さらには、就活フォロー名目で、学生との1on1に当てていました。

自己PRネタ探し」などの名目で、学生経験などをかなり詳しく聞くことができます普段なかなか聞けない「みんなより1学年上なのはなぜ?」などの質問もできますので、私にとっては貴重な時間です。



授業について

私は座学をほとんど受け持たず、実技メインの授業でした。

実技メインなのは助かりました。

技術者として他の人に指導なり水平展開するのと、基本的に同じやり方が取れるからです。

技術リーダー仕事は「自身スキルを持って、他の技術者の成果を向上させる」です。それは教員でもほとんど同じです。

受け持ちも3、4年生なので、2年以上プログラミングを学んだ人たちです。ずぶの素人集団ではありません。

特にグループワークの授業では「チームがより良い成果を出すためには、チームメンバー技術知識経験をフルに生かすこと」を命題に、かつて学んだCrew Resource Managementの技術ベースCRM自体学生に学んで欲しいわけではないので)に、Psychological SafetyやHealthy Conflictの考え方を交えた取り組みを行いました。

引き継いだシラバスからデザイン思考を用いた企画発案、スクラムによるアプリ開発を重点に、他の部分は極力削ぎ落としたり簡単に取り上げるだけにしたのも良かったと思います

実際の授業では、先に挙げた通り学生同士の教え合いを活発化させることをメインに、こまめに学生の机の間を回って、学生から質問なり、ただの雑談があったときにすぐに話ができるようにしていました。

このあたりは、工夫というほどではないですね。

専門学校は1コマが50分しかないので、途中で集中力が切れてしまったら、時間内の回復は難しいです。

なので、できるだけ授業を止めない。たとえばあるチームの質問を他のチームにも展開したいと思った時には、その場で一旦授業を止めるのではなく次のコマの開始時にまとめて話をするようにしました。

逆に、これは50分持たないな、と思った時には、あえて中間に5分ほどアイスブレイクを入れることもあります


この辺り、授業進行・クラス運営技術ではなくアートだなと強く感じました。


優秀な学生への対応

基本的には「中間層の学生をメインに授業設計する」「よりできる学生は本人の自主性・成長力に期待する」「それ以外の学生個別対応」で対応しました。クラスに40名以上もいると、全員個別対応はできませんので・

ただ、できる学生からと放っておいてもいいわけではない。常に気を配っている姿勢を見せつづけないといけない。

で、そういう学生には「こちからお願いごとをする」機会をできるだけ作るようにしました。

直近2年連続で学年総代を私のクラスから輩出させていただいたのですが、彼(女)らは、4月の時点では特に目立って他学生への気配り・目配りができるタイプではなかったです(仲間内では人気がある学生でしたが)。「総代候補」の学生数人を中心にこちからお願い事を増やし「ありがとう」という感謝の意を伝えるようにしました。

結局、総代になった学生は、私から最もお礼を言った学生になりました。

総代になる学生は、何か具合の悪いことが起こった時に逃げたしだりやる気を失ったりせず、問題解決しようとするか、少なくともテンションが大幅に下がることがないですね。そういう「胆力」がある学生結果的に総代になってくれて、個人的にはうれしかったです。


成績・出席率の良くない学生対応

高校時代の出席率が良くない学生は、(高校入試偏差値が高くても)成績がよくないケースが多いです。高校時代の出席率は入試担当部門に行けば見せてもらえるので(そのことを知ったのは教員やって1年以上経ったころでしたが)、予め当たりをつけることができました。

ちなみに今は高校時代の成績、出席率は教務担当オンラインで見られます。なぜか国語の成績はシステムに入ってないので、そちらは相変わらず見に行かないといけないのですが。


人数はそう多くないのですが、高卒資格入学してくる学生は、これらの情報がありません。学生コミュ力結構な差があって一概にいえないのですが、教員含む大人との駆け引きは苦手な学生が多い印象です。つまり就活が大変になるということです。


調子の良くない学生典型例として心療内科受診経験者も結構いたのですが、教員にも隠していることが多く、引き継ぎにも書かれていないケースや、本人から教員に言わないで欲しいという申し出もたまにあります

私の場合心療内科受診を勧めた学生受診歴なしの学生はいなかったのですが(受診歴あるのに本人から申告されるまで気づかなかった学生はいます。)こういう対応ができる教員はそう多くないので、学生が隠したがる一員になっていると考えています

対処法は学生による、としか言いようがないですね。学生むけの無料相談室を勧めるところまでは共通ですが。


前年度の担任から、「特に問題点はない素直な学生だが成績は良くない」という引き継ぎを受けた学生が、実は大人を騙すことになんのためらいも無い人物だったことがありました。私などからすると「こんな単純なウソ大人通用すると本気で思っているのか?」と思える幼稚な対応でしたので、すぐに保護者連絡を取って(当然保護者は気づいていますので)、保護者担任連携が強固に取れていることをアピールすると、少なくともウソ通用しないことは気づきます基本的には保護者から先生、なんとか卒業だけはさせてください」という言質を取って、とっとと卒業してもらう、というスタンスです。

やたら素っ気ない態度と、1年の時から比較して成績が急降下していた学生がいたのですが、彼女の友人から父親と決定的に仲が悪く、そのためか年長男性に心を開かない」ことを教えてもらうまでは、全くとりつく島がなく、苦労した学生がいました。会話が成立するようになってからも、特に強い言葉を使ったつもりもないのに学校に来なくなってしまうことが時々あったのですがなんとか就職も決まり、今は元気にやっている様子です。

出席率・単位が不足する学生には補習を受けてもらうのですが、私を含めごく少数の教員は「他の人よりちょっと多く学校に来てもらうことになったけど、これが終われば進級・卒業できるんだから、あとちょっとけがんばろう」というスタンスでした。補習が終わり「これで卒業決定です。4月から新社会人として頑張ってください」というと、学生自ら反省とか決意とかを言ってくれるので、こちらはそれを信じて送り出します、

一方で補習中ずっと説教モード教員も多く、聞いているこちらがうんざりしました。説教しない教員同士で「学生はすでに十分反省しているのに、なんでまだ怒るんでしょうね」とヒソヒソ話をしてたものです。

保護者面談について

事前に全く想定していませんでした。

私自身、大学どころか、高校中学先生と両親が面談をやっていた記憶がありません。

とりあえず

保護者スポンサーステークホルダーとして対応する」

「できるだけエビデンスを揃える」

で臨みました。

成績の良くない学生就職を控えている学生保護者との面談特に重要です。

「もうすぐ社会人なのだから自分決断・行動してほしい。先生にお尻を叩かれてから行動を起こすようでは困る」という保護者は多い、というか、ほぼ全員です。こちももとよりそのつもりです。

単純に放置する保護者も多いのですが、「1人前になるのはゴールではなくスタートですよね?1人前の人間としての能力を持ったら、その力をどう使うべきでしょう?困っている人を助けるのも、力の使い方のひとつと思います」などと偉そうなことを言って、保護者連携を強化しました。

最新の就職事情がわからない。自身IT系人間ではないので、どういう支援をしたら良いのかわからない、という保護者の方には、過去学生活動事例、本校学生就職先、勤務地などの資料をもとに、説明を繰り返しました。

大学就活に関する情報ネットにたくさんありますが、専門学校生に特化した情報は意外とありません。それはこちらも同じなのですが、「ここは大学生とほぼ同じ。ここは事情が違う」という情報を集めてご報告しました。


保護者自身も、保護者懇談を予想していなかった人もいます

先生と会ってどんな話をしたらいいのかと思っていたが、お話できてよかったです」というメールをいただいた時にはホッとしました。

教員を辞めた理由について

1. とにかく忙しい。

去年の3月末で辞めた教員の補充しなかったため、仕事が山積みになった

その前年にもベテラン2名が辞めていたので、土日も休めない状況になった。

2.やることがなくなってしまった

2年目で数値化できる数値はほぼずべて学年トップ場合によってはIT学科トップや全校でも2、3番手などになってしまい、さらに上を目指すものがなくなった

3.学科長の方針独自すぎる

校長など経営陣の意向を取り違える。他の学科長と連携しないなど、独自路線を突っ走る。かといって学科の取りまとめもやらないので、成果の出ない(クラス数激減)学科になった。

4. 他教員と話が合わない

4年ではスクラム開発を取り上げるのですが、4年担任はよくいえばスクラムガイドに忠実。悪くいえば批判精神がない、なぜこういうルールになったのかまで考えが至らないタイプでした。

スクラムガイドには、チームは「10名以下」と明記されているのですが、チーム開発経験の乏しい学生にこの人数は多すぎです。

実際、成果を出したチームは4人チームが最も多かったのですが、ずっと多人数チームに固執し続けていました。

4年生は当然実力はあるのですが、それに見合った成果が出ませんでした

成果の出ない授業の担当は、本当に苦痛でした。

5.他教員が働かない

関係者以外の目に触れた実例として卒業式の例を。

私は卒業生・保護者来賓の方の誘導係でした。

2、3名で案内をしていたのですが、体が不自由そうな保護者の方をエレベーター誘導したり、 Permalink | 記事への反応(2) | 13:20

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 4/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

終わりに~

この大学卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京神奈川オフィス工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民はてな民ニアミスしてるかもしれない。

今では佛教大学感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。

仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。

この道は、正しかった。第一志望の大学不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格バカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。

自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。

でも、実は後悔がひとつだけある。卒業である。実は、自分卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。

失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。

というわけで、先日3/18(月)に佛教大学卒業式に参加してきた。もちろん保護者である

後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。

焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。

式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。

会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。

とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後プロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。

卒業式中の写真(※個人情報保護のため一部編集しています)

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ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室学位記を受け取る儀式があるのだ。

ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。

卒業式の会場を出てから100席ちょっと教室に入ると、今まさに社会学部とある学科学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。

「静粛に。これで二度目だぞ、君らは最後までわからんのか!」

約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまり煩いものから学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑

あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後卒業代表が、ステージ上で「私がこの学校入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月最後最後まで受験を続けて、それで最後合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業諸君は大騒ぎだった。卒業代表の話なんて聞いちゃいなかった。

今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?

それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。

最後に、学部先生挨拶をしていた。

(以下要約)

あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた

入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う

学生生活の中で、あなた達は多くの試練を突破してきたはず

社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい

・いつでも大学に帰って来ていい。私たちは待っている

すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。

※推測だが、2020年当時って、入学式オリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。

ちなみに、ほかの学部学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生学生も、熱の篭った感じで最後儀式に興じていた。特に教育とか保健とか看護学部がよかった。

卒業式の後~学内散策(※上に同じく一部編集)

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大学を出た後、近くにある千本北大路交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。

社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。



これで結びになる。

若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分雑魚すぎて嫌だった。

「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。

大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。

今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニング勉強をしている。

なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツから立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。

あきらめないでくれ……」

夢の中にいる自分には、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。

「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。

でも、学生時代が楽しかたかといえば、楽しかったよ。当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。

しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?

確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって無意識はわかってる。

から、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。

しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。

今回、自分記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。

ありえないことだけど、昔の自分に伝えられるのなら、伝えてみたい言葉があるんだ。「諦めないでくれてありがとう」って。

学歴コンプレックス卒業した 3/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

大学3回生の頃~

この時期は多くのことを考えた。特に就職のことだ。第一志望の大学には入れなかった。だからこそ、今後の人生では逆転したいと思っていた。

就職四季報を読み耽ったし、就職活動の参考になるサイト巡回したし、就職課の方々にもクソお世話になった(ワンピース的な意味で)。

リクナビとかあるじゃん。あれで友達かにURL付きの回答ページを送って、送り主のことを回答してもらって、そしたら他人から見た自分自身分析結果とか、どんな業界が向いてるとか、どんな価値観仕事をしたいとか、いろいろわかるサービスがあった。そういうのをやってた。

当時は、LINEとかTwitter一般的だった。ひと昔前の人って、LINEとかなかったんだろ? もしかして、全部メールとか郵便就職活動をしてたんだろうか、一体どうやって? という疑問を感じていた。

5.学内TOEIC受験の思い出

 本格的に就職活動が始まろうとしていた。自分は、1回生の頃からTOEIC】の勉強に励んでいた。少しずつではあるけど実力を身に付けていた。勉強時間はそれほどでもないけど、ずっと続けていた。二年半。

 受験にはお金がかかるし、実力を付けてから挑んでみようと考えていた。そしてついに、秋頃だったかな。受験料が少ないタイプ学内試験(※本番で実施済のテストを使い回すやつ)を受けることにした。

 人生で初めてのTOEICは……うん、こんなもんかって感じだった。緊張していて、そこまで問題は解けなかったけど、ベストを尽くすことができた。

 その結果は、なんと……(ドラムロール鳴る)……760点だった!! 当時の自分は、大喜びだった。狂喜乱舞だった。心の中でもリアルワールドでも小躍りをしていた。実際、佛教大学でのランキングは堂々の二位だった。一位は確か、文学部英米学科の人だったと思う。

 これは、この結果は……紛れもない一流である!! おそらくきっと、この点数は、同志社だろうと立命館だろうと飛び抜けた点数だろう。京都大学でも通用するし、ましてや就職活動通用しないはずがない。祇園木屋町などの飲み屋街、東本願寺渉成園とかの観光地で【外国人】とトークをしても通用するだけの英語力を、ついに、ついに身に付けたのだ!!

※そんなふうに考えた時期が俺にもありました

そんなこんなで、就職活動が本格スタートした。俺は必死で、シューカツとやらに取り組んだよ。リクスー集団に交じってさ、学内企業説明会とか、大阪城ホールでの合同説明会とか、東京までOB訪問に行ったこともあったっけ。とにかくマジだった。

あの頃の自分は飢えていた。なんの実力も実績も持っていないのが嫌だった。とにかく何か、ほかの人から見て、「あいつはスゴイ」となるものを最低一つはほしいと考えていた。

6.佛大就職の話

 いつからか知ることになったのだが、この佛大というのは宗教系の比較的裕福な大学である。当時の週刊誌大学職員給料ランキングでは、慶應関西大学などの有名私大と肩を並べていた。キャッシュフロー的な意味で裕福な理由はいくつかあるが、そこまでは述べない(この日記趣旨ではない)。

 大学構内には、相応の見た目の講義棟(兼研究棟)が鎮座している。学生時代は「おしゃれ~でかい~」くらいの印象だったが、歴戦の社会人となった今ではわかる。あの1棟ものの巨大な建物は、建設工事だけで百億とかいってるかもしれない。同じ規模の大学で、あれを作れるところは少ないだろう。

 あれは確か、3回生の終わり頃だったかな。本日部活もさあ終わりだ、という時に、部長(※教員側の部活責任者)から声がかかった。ほかの3回生も一緒だった。「佛大の就職試験を受ける気はないか? 希望者がいたら優遇する」ということだった。

 考えたのだけど、大学職員というのは、その大学がすんごく好きな人がなるものだと思った。当時は、民間企業への就職視野に入れていた。優遇できる枠は1名ということで、ほかの同回生が手を挙げることになった。

 まあ、年収であるとか、職務内容とかのバランスを考えると、「魅力的だ」とは正直思った。当方は、人生の方向転換が苦手なタイプである。この頃は、先輩やOBOGを探して、就職活動に関する考え方や情報を集めていた。何でもいい、そういう生のデータがほしかった。

けど、嫌なことはやっぱり起きる。わざわざ日記に書いているのだから、当時の俺は相当ムカついたのだろう。

就職に関する情報を探してる中で、聞き込みのために学内アルバイトをすることがあった。それは講義の出席者からレポートを受け取って、受付番号を整理して、最後に整頓するようなアルバイトだった。1日勤務で六千円だった気がする。

二人一組で受付作業をするのだが、隣の組を見てると気分が悪くなった――と日記には書いてある。

その組は、男子女子の組み合わせだったのだが、男子の方がやたらと女子の方にがっついている。レポート提出者がいない時に、割と雑談をしていた。

その中で、男子の方が「彼氏いる?」と聞いた後で、女子の方が「いる」と答えると、男子の態度が急に悪くなったのだ。それは仕事終わりまで続いた。

最後レポート仕分け確認をする時も、その男子は怒鳴りつけるようにして女子に当たっていた。俺はあまりにムカついたので、「ちょっとかにやってもらえます?」と声をかけて、ようやく静かになった……。

と、記憶を思い返したけど、今の俺にそこまで思うことはない。「男の態度がひどいね。でも、オスってそんなもんじゃね?」くらいしか思わない。間近で見たらムカつくんだろうけど。注意とかするかもしれない。

当時は、実際どんな人間だったんだろう。俺って。記憶が薄らいでるとかい次元ではない。消失している。全然からない。

なんかさ、十年前の自分ってさ、もはや『他人』じゃないか。体の細胞でいうと、20回分は完全に入れ替わっている。もはや完全に他人である

余談だが、佛教大学に通ってる女子には可愛い子が多いと、アルバイト先の立命館大学の人に言われることがよくあった。

根拠は全くないものの、社会に出た後の個人的感想では当たっていると感じる。福祉教育に強い大学はそうなのだろうか?



大学4回生の頃~

就職活動に本気だった。この頃は、大手企業は今よりも早く内定を出していた(4月の1週目くらい?)。就職活動以外に教職課程のこともあったが、時間の隙間を縫って面接試験を受けに行った。まあ、書類選考でお祈りされることの方がずっと多かったけど。

うちの大学卒業生で、すごい就職先に進んだ人っているのだろうか? 自分高望みをしていないだろうか? そんなことが気になっていた。大手病に罹患していた可能性が極めて高い。

7.偉大な先輩方の話

 当時は社会学部政策学を学んでいた。社会学だけじゃなくて、社会科学ならなんでも学べる学部だった。地域を盛り上げる系のゼミに入っていたのだけど、どんな先輩方がどんな進路に進んでいるか、正直気になるところだった。

 ほかのゼミ交流する機会があった時に、同輩や先生方に聞いて回ったのだけど、凄い人というのはやっぱりいた。学生が六千人もいるのだからレベルが高い人は一定存在しているのだ。

 社会学部の先輩(俺と同じ公共政策学科)の例だと、自分入学する数年前に総合商社内定を取った人がいたらしい。学業だけじゃなくて、外の世界に飛び出して活動していた人だと聞いた。とにかく忙しい人で、授業にはそこまで出席してなくて、水商売仕事に明け暮れていたらしい。

 単位はそれなりに取得して、教職課程最難関の講義(兼演習)ではチーム全員で百点満点を取って、大学同士の研究分科会では発表役になって、大学学園祭ではパヒュームダンスを踊ってウケを取って……とにかく活動的な人だったらしい。

 学歴って、仕事の実力とは相関が薄いよな。多く見積もっても3割くらいだ。『誰もが嘘をついている』という本に書いてあったのだが、高偏差値名門校に1点差で受かった人・落ちた人を追跡調査する社会実験があったらしい。結果的には、学歴現在地位相関関係はないという結論だった。相関係数は0.1程度とあった。

 アメリカ合衆国での話なので、日本だとどうなるかわからない。けど、自分同意である。どんな中学高校大学を出てるとか、そういうのは人生での成功にはほぼ関係ない。

 どんな瞬間だって自分が今どこにいて、何を目指していて、どんな努力をしているかそれが大事だ。学歴を振り返ってる暇があるなら、さっさとやることをやって次の先に進むのだ。

就職活動の話に戻るけど……就職活動面接で問われる内容(志望動機自己分析自己アピール就職活動の軸、ガクチカ)とかってさ。釈迦人になった今ではわかるんだけど、ぶっちゃけ茶番だよな。はてなブログだと、借金玉さんがそんなことを言ってた。部族の掟に近いものがあるってさ。

就活的なキャラの型枠を、リクルートその他の人材会社が用意したうえで、企業側が「茶番」に対して本気になれる人材会社方針を素直に受け入れて、貢献してくれる)を探してる。それだけだ。

若き大学生が当日記を読んでる可能性は低いけど、たったひとつだけ、ただひとつだけ、会社選びで言えることがあるとすれば……以前、どっかの増田日記に書いてあったのを参考にすると、こんなところだ。

自分が入りたい会社というのは、自分が将来、どんなキャリアを描きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算して決めていく」

就職活動の軸というよりは、人生の軸という観点である。ちなみに軸、というのは「他人関係なく、自分が正しいと思える考え方」という意味だ。

経済社会バリバリ働きたいなら、そういう会社に行くべきだし、あなた大事にしてる『たましいの仕事』があって、仕事副業でやりたいなら暇そうな業界を選ぶべきだ。

将来、どんな人生を歩みたいのか? それさえ決まっていれば、業界会社を決めることはできる。職種についてはナントモだが……敢えて言うと、保育所とか幼稚園とか小学校とか、それくらいの年頃に何が面白かったのか、が答えになるんじゃないか。その年代に心から楽しめたものは、大人になってからもきっと楽しい

結局、その年の春の終わりに就職活動を終えて、内定をもらえたのは……京都市内にある電子機器メーカーだった。

大手企業を受けるのはやめた。大手病を克服したのだ。それで地元会社一本に絞った。ここまで絞ると、受験できる会社の数は十社程度になった。自分の力をそんなに分散する必要もない。十分に集中できる。

当時は嬉しかったよ。両親に報告したら、父も母も衝撃を受けていた。うちの親って、自分の子どもを親戚の子と比べたがる嫌いがある。それはムカつくのだが、いい結果を報告できてよかった。

両親が、俺が出した実績をありがたがって聞いている。その実績を、電話などで親戚やご近所に知らせて調子に乗りまくっている。スタンダール小説の『赤と黒』を思い出した。小説の中で、こんな感じの場面がなかったっけ? ブクマカで詳しい人がいたら教えてほしい。

両親よりも喜んでいたのは就職課の人だった。内定先を告げると、ご機嫌なビートで小躍りするようにして、ハッピーな感じでターンをキメていた。ずっと以前から、いろいろとお世話になっていた。喜んでもらえてよかった。

この年度の終わり頃、卒業間近だったか大学が出してる何かの広報で、俺の就職先がデカデカと上の方に載っていた。トレーニングルームでそれを読んでいる時、隣にいた学生達も同じ広報の同じページを読んでいた。

「うちの学校から、こんな会社内定が取れるんや」

「ん。どこどこ?」

「ほら、ここや。この会社

「ああ、それマンコやろ」

「……」

「女の一般事務職だって総合職ちゃうし。こんな掲載詐欺に近い」

俺の怒りは有頂天に達していた。当時の日記には「有頂天」と書いてあったが、怒髪天と書きたかったのだと信じたい。

こういう連中はどこにでもいる。気にしたら負けである増田の読者の人も、レベルが高い解釈と低い解釈があるとしたら、迷わず高い方を選ぼう。そっちの方が心身ともに健やかな人生を送ることができる。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193041

学歴コンプレックス卒業した 1/4


約十年前に、とある4年制大学卒業した。名を佛教大学という。

高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったこである

実際には文科系総合大学だった。ちょっとだけど理系もある。

なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。

普段から増田投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。

佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である

なんで自分がここに入学たかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学社会学部に進むことになった。

大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。

学業一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。

アルバイト金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態サークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家コピペだったのが記憶に残ってる笑

ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。

学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークル飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。

冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。

大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。

でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である

当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。

そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。

入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だった。

さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。

一番最後に、今の自分気持ちを書いてみたい。



大学1回生の頃~

入学式と最初オリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗大学だったので、そういう縁からか、知恩院僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。

今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。

この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代日記を参考に書いていく。

以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。

1.授業中の男子学生

 新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。

 先生それから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。

「もういい。お前は落とすっ!!!!」

 先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。

 当方は、京都まれ京都育ちである佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。

 しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。

仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。

2.想像を絶する張り紙その他

 一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだからマナー常識もこれから勉強すればいい。

 しかしbut。自分学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。

(貸出物品のこと)

 多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨張り紙がしてあった。

「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」

 久保帯人ブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。

体育館張り紙

 キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間ステージ上で寝てる人が多数いた。

 いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分認識としては……「なんでこんな貼り紙存在するのだろう。管理者ダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。

 大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。

コピーカードのこと)

 何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的もの(ex.学内新聞関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味出版物だと難しいものがある。

 同じ部活にいた文学部学科は忘れた)の女の先輩が、趣味同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミ教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。

 もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷無料販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。

  「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。

増田君。文学活動にはね、お金必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」

 だってさ。あまりクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑

 (参考:https://tadaup.jp/702e034b1.jpg)

 ※度数1000のコピーカード画像自分教授から借りてそのままだった笑

この頃から自分は佛大の学生とは距離を置こうと考えていた。

早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。

そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

2024-04-25

オラオラ!って言える能力必要だと思う?

昭和50年代生まれおっさんです。

時代的なものと、地域的なこともあり「なめられてはいけない」ってない

マインドがあり、口の悪い言葉と言うか怒声を中学生の時に出してました。

ゴラァ!とか、あ?コラ?、なんやねん!とかとか。

で、今でも出そうと思えば出せるわけです。

もちろん歳とって、きちんとした社会人になり、そんな言葉を使うことはほぼありません。

記憶にあるとこでは10年前くらい公園いじめしてる中学生に「ゴラァ!」って言ったくらい。

で、10歳の息子がいるのですが、そう言うオラオラ語を一切話せない。

時代的なものもありますし、地域的にもみな穏やかで学内暴力とか全然ない。

あだ名すら呼ばず男も女も「〜さん」言うてる。

しろ教師ちょっとオラ!と叱って、生徒が登校拒否担任交代とか。

かに必要ないに越したことはないのだけど将来、ちょっと柄の悪い輩に巡り合った時ひどいことにならないかなと心配

また自分は「ゴラァ!」と言えるからこそ、心の余裕みたいなものがあり

普段すぐにキレたりせずいろんなことに対処できてるような気もします。

けど「ゴラァ!」って言う練習なんてどうしたらいいかからないし

このぬるい時代に息子は流されるしかないのだろうかと思ったり。

いざという時、「ゴラァ!」と言える能力必要でしょうか?

2024-04-08

川勝の講義について思い出すことな

昔、早稲田政経で川勝が担当する「日本経済史」の講義取ってたわ。

当時の川勝は、オクスフォード博士号取ってきた気鋭の若手教授。“校舎二流、教授三流”などと揶揄されてた我が母校にあっては珍しく、学会でも注目されるスター教授だった。

当時「日本経済史」は2年生から履修できる専門の基礎科目で、わりと受講してた人も多いはずである

橋下徹が“厳しいので生徒の評判は悪かった(笑)”などとテレビネタにしてたらしいが、“厳しい”というのは、当時早稲田の中でも指折りに単位取るのが簡単だった政経学部の中では、という話であって、もちろん出席を取るでもなく、普通に講義聴いて試験受ければ、まあ“良”くらいなら簡単に取れるレベルだったと記憶する。

いや、講義にでなくても著書を読んで「世界が注目する川勝理論」の骨子を理解しておけば、試験も恐るに足らず。

しかも模範解答の“シケプリ”が大量に出回っていた当時の早稲田で、あの講義単位を落とした人がいるなら、それはよほど要領の悪い奴に違いない。

経済学の一分野ではあるけれど、中身は歴史学に近く、面倒な数式とか経済理論を振り回すこともなく、自分のような数学が苦手なド文系政治学科学生にも優しい内容であった。

まあとき毒舌も挟まれるけれど、それも含めて話はうまいし、何を言ってるかすらよくわからんジジイ教授講義に比べりゃ全然まともで、そのインテリ然とした爽やかな風貌(但、当時の早大教授にしては)と相まって、女子学生の人気も高かった。学部女子一割くらいしかいなかったけど。

当時の早稲田政経は超マスプロ教育で、一番の人気講義であったスター教授ニシジュンこと西川潤の「開発経済論」は、講義教室大隈講堂というレベル。それでも抽選で外れて受講できない人が出る始末。

なお人気講義というのは、必ずしも学問的にレベルが高くて充実しているということを意味しない。

そんなに当時の大学生の志が高いわけがない。

単位が取りやすい”も大事な要素で、ニシジュンは有名教授で話もそこそこ面白くて単位も取りやすいという、実に人気講義の要素を兼ね備えたものであった。

世界が注目する川勝理論」というのは、当時川勝が自身経済史観を分かりやす一般向けにまとめてNHKブックスから上梓した著書『日本文明と近代西洋鎖国再考 』の帯に書かれていた文言で、その壮大なタイトルとともによく学内ネタにされていた。

ご本人もネタ化されているのを把握していて、講義では「あれば出版社勝手につけたんで、俺が自分で言ってるわけじゃない」とかよく言ってたが。

でも、そう言われるのも万更ではないご様子ではあった。

ゼミ指導教授としての川勝はよく知らないけれど、ゼミ入るのはわりと難しく、指導もそれなりに厳しかったようだ。

そんな川勝だが、当時、図書館の副館長も務めていて、そこで資料購入をめぐって上層部喧嘩して早大を辞めてしまう。

記憶が若干曖昧だが、たしか川勝の研究に直結する「英国議会資料」の購入をめぐって、予算的に折り合いがつかず、断固として購入を主張してた川勝が怒って辞めた、という話だったと思う。

購入をめぐって揉めてるという話は講義の中でも雑談として話していた記憶はある。「早稲田を知の殿堂にするためには絶対必要なんですよ」とかなんとか力説してた。

なぜかこれは鮮明に覚えているのだが、ある日、講義でなぜか論語の話をしだし

「六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えずって言いますけど、ありゃ孔子の゙ような偉大な人にしてはじめて到達できる境地なんですよ。凡人にはなかなかできることじゃないけど、そこを目指しなさいと。

世の中年取っても耳順わないやつがたくさんいるけど、あれはなんとかならないのか」

などと妙にヒートアップしだし、川勝よほど上の方と揉めてるのかな?と噂になっていた。

程なく川勝は日文研転出し、「日本富国有徳の国を目指せ!」と言い出して小渕内閣のブレーンになったり、静岡大学学長になったりして、気づいたら静岡知事になって、「暴言吐きながらリニア妨害するとんでも知事」になっていた。

実際、著書も講義おもしろかったし、ちょいちょいエリート主義毒舌が顔をのぞかせるけど愛嬌のある人ではあった。当時は。

学者言論人のままでいればまだよかったのだろうが、コンプラSNS正義が世の中を動かす時代にあって、政治家を全うできるキャラではなかったのだろうという、ざっくりとした感慨はある。

川勝の本、実家本棚に多分あると思うので、今度帰ったら読んでみようかな。

2024-04-06

自分の脳が、身体が、日々劣化していくのを感じる。

去年3月、自分内定無しのまま大学卒業一年就職浪人してようやく今年初めに内定をゲットし、4月から働き始めて一週間が経過した。

なんだか、ここ数年間で自分のあらゆる能力が凄まじいスピードで退化していくのを日々実感している。これは一体どういうことだ。

自分でこんなことを言うのもアレだが、小中学生時代は100点以外ほとんど取ったことがない上、さら夏休み自由研究では小1〜中3まで毎年、学内選抜で市や県の科学展覧会出展表彰されるなど非常に成績優秀だった。高校県内有数の進学校入学できた上、卒業するまでの三年間、中間期末試験では常に学年ベスト5に必ず入っていた。1位になったことも何度かある。

その後は有名私立大学指定校推薦入学したのだが、この頃から徐々に様子がおかしくなっていった。大学講義自分にとって興味深いものばかりで、毎日楽しく熱心に受講し、学内図書館毎日時間も入り浸って関連書籍を読み漁ったりと勉学に励んでいたにも関わらず、次第に学んだ内容が全く頭に入らなくなり(というか記憶できなくなり)、さらには講義を聞いても何を言っているのかサッパリ理解できなくなった。

文章力も極端に低下していき、レポート課題小論文定期試験記述問題などを書くたびに物凄く時間がかかる上に内容も支離滅裂意味不明ものばかりになってしまった。自分で後から読み返してみても、どれもこれも何が言いたいのか分からないようなグチャグチャでまとまりのない文章ばかり。そんなだから当然評価も低くつけられた。もともと自分文章を書いたりレポートを上手くまとめるのが得意な方だったのに。大学4年間、レポート評価試験結果も本当に悲惨だった。よくこれで留年せずに済んだな、というギリギリレベル

自分がこの数年間で実感した能力低下は、こういった学業面だけではない。

周囲の人と喋る時もまるで思考が停止したかのように言葉咄嗟に出てこない(他愛のない雑談ですら)、「うん」「そうだね」などの簡単な相槌すらもすぐに打てず、あはぁ、ふふ、などの辿々しい相槌とも言い難いような返事しかできなくなったり、ほんのちょっとした質問にもすぐに返答できなかったり、講義内で行われるグループディスカッションでも思考が停止し全く発言できない、そもそも何を話し合うのかも理解できないなど、コミュニケーション能力が著しく低下。さらには「おはよう」「こんにちは「ありがとう」すみません」など簡単挨拶すら咄嗟に出てこず、「ありがとうございます」と言うべき場面で「いただきました」だの「おはようです」など意味不明なことを言ってしまう。

自分子供の頃から社交的なタイプではなかったが、それでも対人関係で支障が出るようなことは今まで殆ど無かったのに。

就職活動でも面接時に全く言葉を発することができず、ようやく口を開いたと思えば質問された内容からかけ離れた支離滅裂言動になったりして、結局どこにも採用されず、内定無しのまま大学卒業となってしまった。それから約1年間の就職浪人の末、ようやく今年の初頭に内定を貰い4月から働き始めたが。

日常生活においても、何かやろうと思ってもすぐに忘れる、しょっちゅう物を落としたり無くしたりする、食事の時にお茶碗やラーメンの丼をひっくり返したり落としたりする、ごく簡単家事作業すらまともに出来ず家族に叱られる、会話相手言葉理解できない、何に対しても気力が湧かない、1日のほぼ大半を寝て過ごす、イライラすると衝動的に自分の顔や頭を殴りつける(そのせいで奥歯が欠けたこともある)、自宅の住所や電話番号を忘れる、外出時に突然笑いが止まらなくなる、30分おきに歯磨きをする、意味もなく家族電話をする、自分が今何をしているのか突然分からなくなる、など、ありとあらゆる面で異常な行動が出てしまう。

数年前の自分と比べても、明らかに知力や生活能力社会性、人格などあらゆる面で退化していると感じる。

一体何故こんなことになってしまったのか全く分からない。日に日に様々な能力が低下し、異常行動が増えているのを身に沁みて実感する。そろそろヤバい領域に達していると思う。

4月から新入社員として働き始めて一週間が経過したが、やはり失敗の連続。まず自己紹介の際は話す内容が全然まとまらず長々と話してしまい、ものすごく微妙空気になってしまった。

その後は新人研修がありグループディスカッションや共同作業をする時間があったのだが、ディスカッションの時は自分意見を全く言えなかったし(恥ずかしいから、緊張するから、とかではなく、そもそもディスカッションテーマ理解できなかった)、共同作業の時は提出用プリントにうっかり折り目をつけてしまったり、少し破ってしまったり、記入欄に間違えて違う内容を書いてしまったり、とにかく失敗の連続グループメンバーからも(この人さっきから何なの…)みたいな呆れている感じがジワジワ伝わってきて辛かった。

また研修が終わって部屋を片付けている時も、長机を運ぼうとして倒したり、ホワイトボードを運んでいる人に気づかずぶつかって転倒したり、会社から貸し出されていたボールペンをうっかり持って帰ってしまったりと、もう本当にどうしようもない。別にボーッとしたり気を抜いていたつもりは一切なく、むしろ自分無能だと分かっているので、入社後は全神経を集中させて仕事研修に全力で取り組もうと思って臨んでいた。でもダメだった。

こんな調子新社会人としての一週間が終わった。

正直、入社5日目にして既に社内に自分の居場所が無いような気がする。あまりにもやらかし過ぎてしまった。

もう本当に嫌だ。

何でこんなことになってしまったんだ。

ここに書いても仕方のないことだが、ストレスを吐き出す意味で。

2024-04-04

東大ガッツリ半分くらいは女子枠を設定すべき

東大蔓延する女性差別伝統東大女子お断りサークル実態…優位なジェンダー秩序を維持するための「他大女子への”バカいじり”」

https://shueisha.online/articles/-/250107?page=1

女子枠で東大生の半分以上が女子になれば、「女性イコール勉強が苦手」というホモ男子東大生のジェンダー認知の歪みも正される。

学内自分達以上に優秀な女子達の活躍を目の当たりにすることで、くだらないプライドをへし折ってやれる。

また、女子枠を利用して入学した学生であれば、同じ東大女子の中でも中高一貫校などから入ってきた一般枠の学生と比べて、他大女子気持ち共感できると期待される。

インカレサークルで他大の学生が入ってきても、彼女達が分け隔てなく接することで、サークル全体が風通しの良いものになる。

2024-03-21

BLUE GIANTダイ玉田大学

昨日、アマプラで『BLUE GIANT』を見た。

料理しながらだったので画面から目を離している時間も多かったけど、ストーリーは真っ直ぐでわかりやすく、なによりジャズ演奏が良い。とてもいい映画だった。

……と、一晩経ってサブスクジャズとか聴いちゃったりしながらしみじみ考えていて、ダイ玉田がいた大学早稲田モデルだったな、とふと思った。

前述の通りちゃん映像すべてを追えていたわけじゃないけど、大隈講堂らしき建物や見覚えのあるデザイン学内看板があった。

玉田はまだしも、ダイ高校時代からずっと吹いてたみたいなキャラでいて早稲田行けるのか…すごいな…と(まあ漫画だし建物モデルにしただけかもしれないが)。

でも、あれだけの努力ができるような人間なら地方部活しながらでも早稲田受かるよな…という妙な納得感。

ダイだってあれだけの努力ができるなら早稲田留年しようが就職して会社でぼちぼちの成功を収められるよな…と。

努力努力努力成功者とはかくあるものなのかもしれない。俺も頑張らなきゃな、と努力できるだろうか。とりあえず今はジャズを聴いて満足している。

BLUE GIANTダイ玉田大学

昨日、アマプラで『BLUE GIANT』を見た。

料理しながらだったので画面から目を離している時間も多かったけど、ストーリーは真っ直ぐでわかりやすく、なによりジャズ演奏が良い。とてもいい映画だった。

……と、一晩経ってサブスクジャズとか聴いちゃったりしながらしみじみ考えていて、ダイ玉田がいた大学早稲田モデルだったな、とふと思った。

前述の通りちゃん映像すべてを追えていたわけじゃないけど、大隈講堂らしき建物や見覚えのあるデザイン学内看板があった。

玉田はまだしも、ダイ高校時代からずっと吹いてたみたいなキャラでいて早稲田行けるのか…すごいな…と(まあ漫画だし建物モデルにしただけかもしれないが)。

でも、あれだけの努力ができるような人間なら地方部活しながらでも早稲田受かるよな…という妙な納得感。

ダイだってあれだけの努力ができるなら早稲田留年しようが就職して会社でぼちぼちの成功を収められるよな…と。

努力努力努力成功者とはかくあるものなのかもしれない。俺も頑張らなきゃな、と努力できるだろうか。とりあえず今はジャズを聴いて満足している。

anond:20240320223804

筑波大卒だけど、そんなに郵便局バイトしてた人が多い印象はないな

学内郵便局があるから大学学生よりは郵便局が身近とは言えるかもしれないけど

2024-03-18

弟は早大卒なんだけど勉強全然できないし社会性もゼロ(今フリーター

高校入学から早々に理系科目は捨ててよくわからん学科ギリギリ滑りこんだんだったはず

世間的に早稲田いい大学なのは分かるんだけど身内の例を見るとあれだけのマンモス校ならまあピンキリいるからなあ…と感じる

姉は私立のF欄女子大に行ってたが生徒数が少ないからか学内就職センターみたいな人がすごく親身になってくれて理想業界中小企業に就けた(調べたらかなり就職率が高かった)

どっちが良いというより性格からしてどういう場所が向いてるのか考えた方がいいんだなあと思った

もちろん総合的に見たら難関大の方がメリットデカいのは言うまでもないです

2024-03-16

生産性になぜ差異が生じる かの原因の 1 つは,おそらく文章を書くという作業があ る種のスキルであることに起因していると考えられる. すなわち,生まれつきの技能特別な才能ではなく,地 道に練習をすればある程度までは論文執筆するスキル は身に付けられるものであり「文章を書くという作業を 習慣化する(生活の中に組み込む)」ことこそが最も重 要なのではないかと思う.

自分自身を振り返ると,授業 や学内業務社会活動をはじめ様々な日常業務がある中 で,いつも忙しいというのを言い訳にして「もう少しま とまった時間があれば,もっと論文が書けるのに」とい つも考えており,その改善策を考える上で,私の周りに いる生産性の高い研究者に教えを乞うことが有効だと考 えた.

そのため,論文執筆生産性が高いと考えられる 研究者対象に,執筆作業効率化およびそれを習慣化 するための具体的な工夫等について聞き取り調査から明 らかにすることを試みた.対象者は,論文生産性がかなり高い研究者 3 名(男性 2 名, 女性 1 名)であった.調査内容は, 1 )論文執筆作業を習 慣化するための具体的な工夫, 2 )論文執筆作業効率 化するための具体的な工夫,の 2 点である

論文執筆作業を習慣化するための工夫として,「タイマネジメント」の一環として,論文執筆の日は出張に 行く日と同じという感覚を持つことが挙げられた.具体 的には,実際は自分研究室にいるが,出張で終日不在 にしている体裁論文執筆作業のみを行うというやり方 であった.特に手帳論文執筆の日であることを明記 し,他の予定を入れない,メール確認頻度を減らす, 急用でないとメールは開かない,集中度が高いときは電 話にもでないという工夫をしていた.

また,早朝の時間論文執筆作業に充てるという意見もあった.学生指導 を含めた業務時間を自他共に分かるようにし,指導学生 には業務時間になってから相談して欲しい旨を伝える工 夫を行っていた.

さらに,無駄時間作業を減らすた め,非常勤講師や超過コマを持たない,むやみに学会発 表をしないといった意見もあった.

一方,いつまでに書 き上げるかのタイスケジュールを(数カ月単位で)徹 底的に組み締切を作る,最低でも一文を書いてから帰宅 する等の「目標設定」を上手に行っていた.また,構想 から論文化までを一括管理し,何をどこまで書いたかを 常に把握しておく(可視化する)といった「セルフ・モ ニタリング」,できる限り大学に行く(まずは **やる場所** に行く),ふと良い流れや改善点,文章が浮かぶため, 常にメモができる状態にしておく等の「環境整備」に関 する工夫がみられた.  

論文執筆作業効率化するための工夫としては,作業 過程を 5 段階に分類するという意見があった.具体的に は,

①先行研究の動向を把握する段階(雑誌の最新号目 次のメール配信サービス活用),

データ分析し, 結果を確定させる段階(シンタックス自分で書き, 分 析手続きの記録を残す),

論文構成を考え,まとめる 段階(「日本語で」「段落ごとに」執筆する内容や主な引 用文献を, 箇条書きに簡潔にまとめる),

文章執筆す る段階(数日程度, 執筆のみを行う時間を作り, 細部は気 にせず一気呵成に書き通す),

文章ブラッシュアッ プさせる段階(冷静に見直すため少し日数を置き, 全体 の一貫性など細かな修正を行い, 仕上げる)であった.

また,書く→修正→書く→修正ではなく,執筆自体が止 まらないようとりあえず全体を書いてから修正する,上 手に気分転換を図る(同時に複数論文を書き, 1 つが 行き詰まったら他の論文を進める)といった意見も挙げ られた

論文執筆作業を習慣化するとい うことは,自分重要性を感じているその他の時間との 価値交換を行う場面が多々あるため,なぜ自分論文を 書くのかということを改めて突き詰める必要があるよう に感じた

2024-03-10

めちゃくちゃ叩かれてるビリギャル擁護?を少しだけ

長くなったので結論時間無駄から彼女のことを気にするのはやめよう。

(元)ビリギャルが以下のようなツイートをし、死ぬほど叩かれている。

『「努力出来る人と出来ない人がいるんだよ」と言う人いるけど、それって「努力出来ない人」なんじゃなくて、ただ「努力したくない人」なだけなんじゃないかなと思うんだけど、どうかしら。』

https://x.com/sayaka03150915/status/1764464963853144499?s=20

教育を学ぶ人間としてあるまじき発言ではあるけど、彼女にきっと悪気はない。

知っている人は知っていると思うけど、ビリギャルとは頭の悪いギャルが一発逆転で有名大学に現役合格!みたいな話。

しかし、ビリギャル別に頭の悪いギャルではなくただ私立校でやる気をなくし落ちこぼれていただけで、地頭が良い+実家がまあまあ太めで教育費もがっつり出してもらえていたというのがもともとの叩かれポイントだった。

その背景があり↑のような発言したことでかなりヘイトを集めている。

今回なぜ彼女擁護勝手にしようと思ったのかというと、彼女自分にとても似ているから。

小金持ちの親の希望中学受験をして地方の有名私立入学したものの、やる気は出ず学内落ちこぼれた。

でも地頭は悪くはないので高校ラスト1年だけガチって旧帝に受かった。

から自分は地の底からはいあがってきたような認識だったし、自分にできることができないってどんだけサボってるんだと周りを見下してた。

しか就職してから自分では太刀打ちできない化け物エリートたちや、貧困連鎖から逃れる気力すら奪われてしまった人たちと接することで自分の考えのゆがみに気づき恥ずかしくなった。

自分にもまだまだ直すべきところがあるけど、少しだけゆがみがとれた人としてビリギャル擁護?をしたいと思う。

書いてから思ったけど擁護ではないかもしれない。

【恵まれていない人のことは眼中に入っていない】

おそらくビリギャル自分と同じように、「決して貧乏ではないしむしろお金持ちの部類には入るだろうけど桁違いのお金持ちにはかすりもしない」みたいな家庭に生まれ育ったと思う。

実はこういう層が一番自分に甘く人に厳しいみたいな人間に育つ確率が高い気がしている。

生活心配をすることは決してないけど手に入らないものも多いので親がよっぽどしつけないと色々なことにおいて感謝気持ちが薄くなる。

そして本人においても絶望的に頭は悪くないもの天才にはかすりもしないので「どれだけ努力たか」に価値見出したがる。バカになる勇気天才についていく根性もないから。

そしてそこそこの結果を出すことができたら「ほら、私は頑張った。あの子は頑張ってない」と思い自分を上に置きたがる。

そういう気持ちをひっぱっているので今回の炎上ツイートのような感じになったのだと思う。

というか、彼女ツイート自体は間違ってはいないと思う。実際に何かと努力をしない言い訳を見つける努力をしている人はたくさんいる。

もちろん努力をすることすらできない恵まれていない人はたくさんいるが、彼女は今回そういう人のことを書いたのではない、彼女は素直だからその時に自分が思ったことを書いただけ。

しか彼女自分がどういう人で、どういう風に見られていて、このポストをしたら人がどう思うのか分からなかった。それは30後半の人間として、教育を学ぶ者としてかなり致命的だったと思う。

自分に対する批判おかしい、かわいそうな人たちという考え】

上記の通り、バカでも天才でもない自分を受け入れられない人は上を見ることも下に落ちることも辛いので、自分を下に落とすような行為絶対に許せない。

なので批判をされるということを極端に嫌う。絶対自分の非を認めないし徹底的に反論したくなる。

実際彼女は「ビリギャルビリギャルじゃなかったのでは?」というような意見にずっと反論している。

正直大人として「そうですね、恵まれていた環境いたことは感謝しています。今後、自分環境が整ったら塾に通うことに金銭面や精神面で抵抗ある子供たちの助けになるようなことをしたいです」くらい口だけでも言っておけば叩きは弱くなったのにと思うけど、そういうこともできないくらい「私は正しい」を発信することに熱心である

ビリギャルは、元々頭が良かったんだよ。」という記事でも自分への批判に対する批判ばかりで自分言動省みる言葉ひとつもないし、誰だって才能があるし輝けるんだよ!という恵まれていない立場の人の神経をよけい逆撫でするような気休めのポエムで締めくくられている。

https://note.com/sayaka_suto/n/n48f400487ba6

この炎上に対してこんなポストもしている。

『ここってまじで幸せじゃない人多すぎて心配になる... Please take care of yourself』

https://x.com/sayaka03150915/status/1766720264769794097?s=20

ここまで書いておいて雑な終わり方をするけど、小林さやか氏には決して悪気はない。

ただ自分の悪い点を認めることができず、そうしなくても生きてこられたからそうする必要もないと思っているしそんな発想もないだけ。

そしてこれからもそう生きていくことができる。なので小林さやか氏にかまっている暇があったら筋トレでもした方がいい。今すぐミュートしよう。

2024-03-07

anond:20240307095220

社会におけるマイナー用語だとは思うが、院の在籍者にとっては極めて普通に学内で使われる用語だし、元増田自称を信じるならそもそもまだ社会に出たことがないわけで、何ら意図なくごく普通に使っただけかと。あと24学生って浪人留年してんのかって思われたらヤじゃん。

2024-02-21

’新’柳川事件ファイヤーばい!」

福岡県柳川市ハリウッド美容学校一族経営)の

学内イベントBBQ

燃えの悪いBBQ台に、無水アルコールを注いだため

炎が上がり学生一名死亡、3名が負傷した。


理事長は「ファイヤーばい!」とイベント大好きで

カレーおでんをふるまうイベントが多数開催されていた。

なお美容学校国家試験合格率・就職率は優秀で

新幹線で通う学生がいるほど。

2024-02-20

anond:20240220110547

自分院生の頃だと、自分や周りの人間がやっていたのは

のどれかだったような気がする。

2024-02-19

anond:20240219192643

男女比が狂ってる所こそ、女は学内簡単相手見つかるから外で探す必要ないやん

2024-02-13

anond:20240213130312

山田カースト頂点にいるのが確定してるからこそ自由になれる話なんだよね。

普通の人は学内の誰々と付き合うとか仲がいいとかでカーストが決まるけど、

美人モデルっていう外部で決まった確固たる地位いるから、誰を相手しようが関係なく頂点に君臨する。

一方で市川は凡人なのでずっとスクールカーストを気にして避けようとし続けてた。

本当に僕ヤバ読んでたの?

明確にスクールカーストの話は描写され続けて山田が気にしない描写がずっとあったんだけど

イチから説明しないと理解できないんか?

anond:20240213000427

あれだけ男女比偏っててよりどりみどりのはずの環境でそれなんだもんな

もう上の上の上しか目に入りませんと自己紹介しているようなもの

そしてそういう連中が一番ムカついて我慢ならないのが何かと言えば、インカレのテニサーだったり医学部体育会に群がる他大のマネージャーだったり

学内アルファオスを格下の女にかっさらわれる状況」というわけ

2024-02-01

自分の脳が日々退化していくのを実感する。そろそろヤバいかもしれない。

去年、自分内定無しのまま大学卒業し1年間就職浪人してようやく数日前に内定をゲットした。

なんだか、ここ数年間で自分のあらゆる能力が凄まじいスピードで退化していくのを日々実感している。これは一体どういうことだ。

自分でこんなことを言うのもアレだが、小中学生時代は100点以外ほとんど取ったことがない上、さら夏休み自由研究では小1〜中3まで毎年、学内選抜で市や県の科学展覧会出展表彰されるなど非常に成績優秀だった。高校県内有数の進学校入学できた上、卒業するまでの三年間、中間期末試験では常に学年ベスト5に必ず入っていた。1位になったことも何度かある。

その後は有名私立大学指定校推薦入学したのだが、この頃から徐々に様子がおかしくなっていった。大学講義自分にとって興味深いものばかりで、毎日楽しく熱心に受講し、学内図書館毎日時間も入り浸って関連書籍を読み漁ったりと勉学に励んでいたにも関わらず、次第に学んだ内容が全く頭に入らなくなり(というか記憶できなくなり)、さらには講義を聞いても何を言っているのかサッパリ理解できなくなった。

文章力も極端に低下していき、レポート課題小論文定期試験記述問題などを書くたびに物凄く時間がかかる上に内容も支離滅裂意味不明ものばかりになってしまった。自分で後から読み返してみても、どれもこれも何が言いたいのか分からないようなグチャグチャでまとまりのない文章ばかり。そんなだから当然評価も低くつけられた。もともと自分文章を書いたりレポートを上手くまとめるのが得意な方だったのに。大学4年間、レポート評価試験結果も本当に悲惨だった。よくこれで留年せずに済んだな、というギリギリレベル

自分がこの数年間で実感した能力低下は、こういった学業面だけではない。

周囲の人と喋る時もまるで思考が停止したかのように言葉咄嗟に出てこない(他愛のない雑談ですら)、「うん」「そうだね」などの簡単な相槌すらもすぐに打てず、あはぁ、ふふ、などの辿々しい相槌とも言い難いような返事しかできなくなったり、ほんのちょっとした質問にもすぐに返答できなかったり、講義内で行われるグループディスカッションでも思考が停止し全く発言できない、そもそも何を話し合うのかも理解できないなど、コミュニケーション能力が著しく低下。さらには「おはよう」「こんにちは「ありがとう」すみません」など簡単挨拶すら咄嗟に出てこず、「ありがとうございます」と言うべき場面で「いただきました」だの「おはようです」など意味不明なことを言ってしまう。

自分子供の頃から社交的なタイプではなかったが、それでも対人関係で支障が出るようなことは今まで殆ど無かったのに。

就職活動でも面接時に全く言葉を発することができず、ようやく口を開いたと思えば質問された内容からかけ離れた支離滅裂言動になったりして、結局どこにも採用されず、内定無しのまま大学卒業となってしまった。それから約1年間の就職浪人の末、ようやく先日内定を貰うことが出来たが。

日常生活においても、何かやろうと思ってもすぐに忘れる、しょっちゅう物を落としたり無くしたりする、食事の時にお茶碗やラーメンの丼をひっくり返したり落としたりする、ごく簡単家事作業すらまともに出来ず家族に叱られる、会話相手言葉理解できない、何に対しても気力が湧かない、1日のほぼ大半を寝て過ごす、イライラすると衝動的に自分の顔や頭を殴りつける(そのせいで奥歯が欠けたこともある)、自宅の住所や電話番号を忘れる、外出時に突然笑いが止まらなくなる、30分おきに歯磨きをする、意味もなく家族電話をする、自分が今何をしているのか突然分からなくなる、など、ありとあらゆる面で異常な行動が出てしまう。

数年前の自分と比べても、明らかに知力や生活能力社会性、人格などあらゆる面で退化していると感じる。

一体何故こんなことになってしまったのか全く分からない。日に日に様々な能力が低下し、異常行動が増えているのを身に沁みて実感する。そろそろヤバい領域に達していると思う。

4月から内定貰った会社で働く予定だが、こんなことで務まるのだろうか。

ここに書いても仕方のないことだが、ストレスを吐き出す意味で。

コメントくれた人たち、ありがとう

少しだけ荒んだ心が和らいだような気がする。

2024-01-24

修論の謝辞

アカハラ指導教員に謝辞とか死んでも書きたくないので謝辞の項目自体撤廃しようかと思ったが

アカハラで心身壊した後めっちゃ助けてくれた学内相談員カウンセラーには謝辞でお礼が言いたい

結局アカハラ野郎はまともに指導もしてくれなかったか

カウンセラー事務員の皆さんのほうがよほど修論完成の役に立ってくれてるんだよな

2024-01-17

anond:20240116210442

通ってた女子大建築系の学部があって当然生徒は女子しかいないんだけど敷地内に色んな建物を作ってたし学内改修工事かにも携わってた

学長はよく「女子大メリット肉体労働や先導指揮といった男子がやりがち・やらされがちな作業もすべて女子がやることになるため学びが大きい」と言っていた

社会に出ると全くその通りだなと思うので世の男子大学生諸君一人暮らし等を機に料理や化粧を覚えてみるというのはいかがでしょうか

2024-01-16

岸和田だんじり祭り滅べ

息子の学校岸和田にあるんだけど、この年明けに退校者を出したらしい

その元凶だんじり関係なんだそうですよ、岸和田市?

縦のつながりが強くて、上位者から要求に逆らえない状況が原因とのこと

未成年者に飲酒バイクでの暴走行為強要する

祭り前にタオル・花の販売ノルマを課す

それをこなせなかったり逆らったりすると晒し者にしてボコボコに殴る蹴る

ていうのが日常だってさ、岸和田だんじり祭り

で、その退校者はだんじり祭りの偉い人の息子で、逆らえない若手を使って傍若無人してたそうで

学内でもやっちゃって退校になったとのこと

不法行為を仲間の証としてやらせシノギ要求する

ねぇ、そういうのってヤクザとなんか違うんかしらね

岸和田だんじり祭りは荒っぽいってのは有名な話だけど、やってることがヤクザ半グレとかと一緒なら、続ける必要ないよね、だんじり祭り

ちなみに退校したバカ、親の会社を継ぐとかで地元での影響力は維持したまま

学校辞めたのも武勇伝になってそうで吐き気するわ

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