はてなキーワード: 天体とは
量子論と重力理論を統合するのはもしかしたら直接できないのではと考えてる。
「直接」ではなく近似や条件を付ければなんとかなるが互いの影響を100%成立させるのは無理筋ではないか。
重力のもたらす影響を物理的に計算はできるが重力そのものはまだ何なのかよくわかっていない。
一般的に重力は質量による空間の歪みとされている。空間は既存物理から大きく外れる性質を持っている。
空間は光速を超える。特殊相対性理論では光より速いものは存在しないことになっているが空間は別だ。
確かに今ここに空間は存在すると感じることはできるが文字通り「空」なので何もない。何もないものをどう捉えればいいのか。
空間がエネルギーを持っているように見えてもそれは本当に空間の持つエネルギーなのか空間の中の何かのエネルギーなのか今のところ区別が付かない。
まだまだわからない謎がたくさんある。
空間の及ぼす結果を観測したり計算したりはできるかもしれないが空間がどういったものなのか理解する力は人間にはないのかもしれない。
空間が理解できなければ重力も理解できないし、仮に理解できたとしてもやはり既存物理から外れる性質であれば統合は難しい。
空間に関する私の予想は
空間の歪みが重力という力で表れるのは何かしらのエネルギーが力に変換されているからだ。
大きな天体の重力は強力なのでそれだけエネルギーを消費すると考えると短時間でエネルギーを消耗し尽して重力は消失してしまう。
空間は常に一定のエネルギーを持っているからこそ重力は維持されると考えるとしっくりくる。エネルギーをいくら使ってもなくならないということだ。
そう考えると宇宙膨張の加速も納得がいく。
空間エネルギーが空間を押し広げ押し広げれば空間が増える。空間が増えれば増えた分だけ空間エネルギーの総量も増えていき膨張を加速させる。
子供の入園とか入学のためのグッズをネットで調べてたんだけども
男の子はとにかく色味が紺色とか黒とかでさ
恐竜とか車はまだ、まだわかる
いきなり惑星
そりゃあ天体が好きな幼児もいるだろうけども、なんかもう男の子の興味を引くデザインの選択肢をただ増やすために無理矢理惑星をねじ込んだ感がある
マカロン、ケーキ、コスメ、ゆめかわいいユニコーン、ねこ、うさぎ、プリンセス、かわいいお花、リボン……
女の子のグッズってほんとかわいくて見てるだけでほっこりするんだよね
もう、保育園、幼稚園の時点でジェンダーでここまで差をつけるのかと
男児用の衣装が全然魅力がなくて地味でなんだかな~な思いをすることがある
女の子の衣装はフリルだのリボンだのレースだのとにかくかわいい!!パステルカラーのピンク、ラベンダー、水色、レモンイエローとかほんとかわいい!!
普段、着るような服は男の子用でもかわいいデザインのものが増えてきたなあという印象
西松屋行っても「おお、男の子の服かわいいのあるじゃん!」って思う
私の娘が通う園で、たとえば男の子がピンク色のマイメロディのレッスンバッグ持っていたら「!?!?(驚く) おお、男の子でマイメロディ好きなのか~そっか~」と珍しいものを見つけた気持ちになると思う
女児がピンク色のマイメロディのバッグ持っててもなんの違和感もない
ブラックホールの特異点では質量が一点に集まるために重力が無限大になるといわれている。
「一点」とは数学的に面積や体積を持たない点である。そこに質量が集まるとなるとたとえそれが1gだとしても重力が無限大になるバグが発生する。
これはゼロ除算の結果が無限大になると無理矢理定義してしまった状態だといえる。
もし現実的に質量が一点に集まるとしたらその計算方法を新たに考えなくてはならない。
そもそも「無限大」は具体的な数値ではないので精確な計算はできない。
問題としてまず重力が無限大ならこの宇宙のすべてに無限大の重力が反映されないとおかしい。即ち特異点が生まれると同時に宇宙全域がブラックホールと化す。
しかし無限大になるのはあくまで一点だけなのでその影響範囲も一点の中に収まると考えると矛盾はない。
実際に宇宙全域がブラックホールになっていないのを見るとそう考えるのが妥当とも思える。
特異点を除外した物理の考え方では重力が無限大とは質量が無限大に相当する。
無限大に質量が集まることはないし、そんな天体が存在するとすれば慣性の法則で軌道を変えずにまっすぐ進む。
数学では一点は一次元として扱われる。もしかしたら特異点は次元が折り畳まれ一次元になっているのかもしれない。
影響範囲が限定的でない(一点に収まらない)場合は元の質量から重力を計算できそうだが、そうなると特異点を否定しなければゼロ除算の問題が残る。
・私の予想
E=mc²
ブラックホールの中心では物質はエネルギーに変換され存在しているのではないか?
宇宙初期にエネルギーから物質が生まれたようにブラックホール内部の極限環境で物質がエネルギーになったとしてもおかしくない。
頭良くて良い仲間に恵まれて、
ビートルズとか天体とか、そういうのを自信を持って”好き”って言える人たちってそういう人たちばかりだよね。
たしかに、ビートルズとか天体とかって興味持てれば関心尽きないって何となくはわかる気がするけど、
どんな毎日なんだろう
ビートルズとか天体とか、そういうのを自信を持って”好き”って言える人生って。
少しは知りたかったよ。
知己の死に触れ、告別式に向かう。死体を見る必要を特に感じなかったので受付を済ませ弔いの花と香典を渡しそのまま席に腰を下ろそうとすると、喪主が顔を見てやってくれと2度言ってきた為に顔を見に行く。(己は喪主と面識は無かったのだが花を渡したから促されたのだろうか?)
棺桶を覗き込むと生前と然程変わらぬ穏やかな死に顔を整えてあり、さもありなん(生命活動を終えた肉体がそうなっている状態として自然な様子である、特に感慨はない。肉親を含み、過去2回見ている)と思ったが、悲しむのが礼儀と認識はしているため、心掛けて悲しい顔をした。
焼香を済ませ、棺に蓋をする手前、仏花を全て棺に入れていく旨あり、列に並び、係員によって盆の上に盛られている花達を手に取り遺体に添えていく。
人々の泣き声を聞きながら何度かその行為を行っていると別の知己が傍にやってきて、悲しい、残念だと涙を流すので、本当に、言葉もない、残念なことだと同意して心掛けて涙を滲ませ労る為に相手の肩をさすった。
夏目漱石の「思い出すことなど」を読んでいると、地球という天体はそも一塊の瓦斯から発生した程度のもの、宇宙の歴史から見れば人の一生はほんの瞬く間、その構造を鑑みると本来は生死を一喜一憂するまでもない事象といった事を述べた直後に知己の死への弔いの句を認めている為、システムとしての生死と、道義としての生死を別枠で認識している、せねばならんと能動的に意識しているのだろうと感じ、共感を抱いた。
他者が人の生や死に一喜一憂するのを無駄とは言わないが、己が同様にそう出来るかどうかはまた別の話である。己以外の他者も或いはそんなものかもしれないが、確認のしようはない。
悲しくない訳ではない。本来なら人前にそれをわざわざ出す必要を感じない、というだけの事で。他者の目があるので奇異に映らぬよう意識して外に出す努力はするが。
いくつか考えられるだろうな。
自分なりに前向きに現実に適応していくために占いを利用してる、という考え。
例えば占星術は天体の位置や動きと人間や社会のあり方を経験的に結びつけて占うっていう体になってる。
「自分の運命や運勢に一定の法則や意味がある」と信じることで、本来は不確実である未来に対する不安や恐怖を和らげる効果があるんじゃないか。
不確実性に由来する不安に対処するための手段の一種だと考えると、占いにハマる人は悩みや不安を抱えていて、それを晴らすための手段が占い以外にあまりない人なのかもしれん。
フォンテーヌの世界任務はそれぞれが関連しあっていることが分かるようになっている。
内容も世界観の根幹に関わる、各国の横断的な要素もあって興味深い。
また、これらはメインシナリオが残している謎にも示唆を与えているはず。
不思議な本のページ・12を読んでいた時、突飛な発想が浮かんできた。
これは、諭示機のプロトタイプなのでは?
諭示機の位置は四象限の一角、あるいは鍵である剣の位置だとしたら?
その下はきっと原初の海に接続していて、水に溶けた過去のフォンテーヌ人の意識に接続している――
憶測にすぎないが、諭示機がまるでシビュラシステムのように機能している原理を説明できる。
10ページ目が脱落しているが、ここにルネの結末の核心があるはずだ。
9ページで人間としてのルネは死に、水と融合したが、11ページからの書き手はルネとは同じようで別人のような書きぶりに見える。
これを水に溶けたがゆえの統合意識、あの噴水の声のようなものと解釈することもできるし、やはりルネ的な意志を継いで先導しようとする、結社側の人間のようにも見える。
また、溶けたあとに地上に何らかの形で顕現することが可能なようにも受け取れる書き方になっている。
現時点では「マリアン」に扮した純水精霊と化した水の記憶ソースは、リリスのように思われる。
純水精霊の形を取ることで人間(の記憶)が実体(投影?)を伴って顕現可能なのはヴェルーリヤ・ミラージュや、安眠の地で見てきた通り。
もっと遡れば、テイワットの地下を這っている地脈は過去の記憶の奔流であり、その投影が現れることがあるのは稲妻編以降、度々目にしてきた。
フォンテーヌにおいては、地脈にあたるものがおそらく、海、というかグレート・フォンテーヌ・レイクなのだろう。
海がせり上がり、文明を飲み込んでいくという地域特有の歴史があるのは、だいぶ深刻な現実だが、噂レベルまで矮小化されている仕掛けも気になる。
あと、一般的な湖は下に凸だが、フォンテーヌ全体で見るとそれは上に凸で、その上に文明が築かれているのは壮観ではあるが、それ以上の意味がある。
書くタイミング忘れたままクール終わってしまった、見てないのもそこそこ
一覧、あらすじはアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=5228)
前期で面白かったのはツルネ、ツンデレ悪役令嬢、異世界放浪メシ、便利屋斉藤、ロボコ、もののがたり
感想には偏りが強い
青のオーケストラ
かなりEテレ
メインストーリー進めて欲しいのに先にサブキャラで1話消費しちゃうの謎
日常系で徹底したゆるさ
話面白いから力入れてるのわかるけどクオリティ上げすぎて総集編入っちゃった
おとなりに銀河
ダークホースでかなり楽しめた
こんなに毎週盛り上がったガンダムいつぶりなんだろう
目新しさはないけど王道で良い
実写映画化も同時にやってるしコストかかって安定していたクオリティ
これでいいんだよ
このすばのキャストとしてのめぐみんは面白かったけど単独は微妙
地獄楽
序盤はジャンプらしくない殺戮系かと思ったがどんどんいつものジャンプ感に
敵のキャラデザも慣れると概ね同じ雰囲気、展開もジャンプの王道
細かいとこを気にし始めると集中できない設定
今期オススメ
青春の学校生活なんだけど出てくるキャラに自然で現実的な悪意、ネガティヴ感情あるのがいい
主人公にそれが向くこともあるし能天気だけでいられないんだけどそっから立ち直るのが丁寧
天国大魔境
最後投げっぱなしで終わった
BIRDIE WING -Golf Girls’ Story- Season2
同じ絵多用しすぎかとも思ったけど全体的に高コストじゃないからこんなもんかな
僕の心のヤバイやつ
原作の序盤がちょっとスローなのはわかってるつもりだけど原作の方が先が気になった
個人的には声もこれか?と、原作者絡んでるんだからこれなんだろうけど
山田くんとLv999の恋をする
あかねっちいい子すぎる
原作全部持ってるんだけどこの作品のどこが良かったのかわからなくなってしまった
序盤のギスギスと重々しさ、漫画じゃあんまり気にならなかったカフェの客が画面内にいると冷めてしまう
絵柄も思ってたより個性的な味付け
原作は面白かったはずなんだけどアニメ化したことで削ってた生々しさが表に出てきてしまった
天体の移動速度舐めすぎだろ
つながっているとしたら特異点に落ちていった物質はこの宇宙から消える。
消えた質量は重力を発生しないから特異点には重力がないことになる。
特異点ほどの強大な重力がはたらけばそこへ落ちる物質も半端な量ではない。
大量の物質が消えればブラックホールは蒸発を待たず比較的短時間で小さくなって特異点を維持できない一定の大きさに収束すると思われる。
仮に
特異点が生まれる→特異点にあるものがこの宇宙から消える→特異点が消失→また物質が極限まで圧縮されて特異点が生まれる
というサイクルだったとしても同じ。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。