はてなキーワード: 大阪出身とは
大阪で生まれ育って26年、東京に出てきてもうすぐ丸7年になろうとしているんだけれども、すっかり東京弁が板についてきたな、と思う。特に仕事中はかなりスムーズに東京弁がすらすらと出るので、しばらく会話した相手に自分が大阪出身であることをいうと「分からなかった」と言われるまでには東京弁をマスターしてきたかな、と思う。東京弁とは、べらんめぇの江戸訛りというよりかは、一般的には標準語というのかもしれないが、ここは関西人の言う「東京弁」のことだと思ってもらいたい。
7年前に東京に出てきた最初の一瞬は、特に意識することもなく相手が誰であろうと関西弁で会話していたものの、これを続けるのはやはり難しかった。というのも、いわゆる「でんがなまんがな」までとは言わないまでも、それなりにもともと関西弁が強い方なので、人の名前を呼ぶときも関西弁丸出しのイントネーションで声をかけるんだけども、聞き慣れないイントネーションで呼ばれても、相手に自分のことだと思ってもらえない。何度か声をかけるうちに「あ、もしかして俺のことを呼んでたの?」と言うふうに、そもそも聞き慣れない方言はすんなり頭の中で処理できない人が多い、と言うことに気づき、無意識のうちになるべく聞き取りやすい言葉=東京弁で喋らないといけない、という意識が湧いてきたと思う。すると今度は、自分の中に東京弁が無いので、思っていることがスッと言葉に出てこず、頭の中で変換するのに時間が掛かる。そうなると、話すこと自体が億劫になったり、ストレスに感じたりして、一時期比較的無口な時期が続いたりもした。比較的喋る方だと思っていたのに。
当然ながら東京では日常が東京弁に溢れ、自身も多少頭で変換しながら東京弁を話す、という作業を続けること数年。触れる関西弁といえばテレビに出ているお笑い芸人のみ。関西芸人の露出も大阪にいた頃の比ではない少なさで、東京弁が少しずつ耳に馴染んでいくにつれ、いつのまにか頭の中の思考もハナから東京弁で行われるようになり、すっかり東京弁をマスターした、と言えるようになった。
すると今度は、たまに関西人と会話するときに、関西弁がすんなり出ない、ということが増えてきた。これは他の地方出身者なら気にならない人も居るのかもしれないけども、本来大阪の東京へのライバル心たるや凄まじく、文化においては関西の方が上、つまり江戸に対しての上方であると言っていたり、ただの対戦相手のひとつである読売巨人軍に並々ならぬ敵対心を燃やしたりというので、関西人に対して東京弁を話すと「もうおまはんは大阪の人間ではない」「東京に心を売ったんか」というようなことを言う人もあり、アイデンティティが薄れていってると言う心持ちがして少し寂しいな、と思うことがあった。
一方で、ここ最近芽生えてきた思いがある。それは「東京弁、ありじゃないか」というので、実は結構東京弁が好きになってきている。
というのも、最近芸人がパーソナリティを務める深夜ラジオをradikoで聴くようになって、関西芸人関東芸人問わず色々聞いてるんだけども、関東芸人の話すエピソードトークが、どれも壮絶なオチがあるわけでもなく、とはいえしみじみと相手に訴えかける話が展開されて、これが滅茶苦茶に良い。これは恐らく、良くも悪くも方言にサービス精神が乗っかる、例えばとにかく大袈裟にであったり、少しでも相手に面白おかしく伝える関西弁の悪いところが一切排除されているからで、このサービス精神の要素が無く、かつ話術に長けたエピソードトークは、粋を感じさせて良いな、という気がしてきている。
自分が大阪に居た頃、いかに会話を話しかたで誤魔化してきてたか、曖昧なニュアンスを曖昧なまま伝えていたか、勢いのある方言に頼っていたか、という反省と、東京弁だからこそ活きる言葉の選び方の妙、相手に与える印象みたいなものの面白さに趣きを感じつつ、この感覚は東京と大阪を両方を体感して初めて味わえるものだし、言語化が難しそうだけれども、稚拙でも良いから明文化して残しておこう、そして自分は東京弁と関西弁のどちらの良いところも扱いながら、言葉の妙を使いこなすバイリンガルを目指していこう、と心に決めたのでした。
そんな矢先。毎年実家から年末年始の関西ローカル番組の録画をブルーレイに焼いたものを送ってもらっており、週末に計10時間以上の関西弁を浴び続けた結果、東京で育った家人に「なんか急に早口な関西弁になって、心なしか性格までキツくなった気がする」と言われました。わずか7年では、たった10時間のテレビ番組に打ち負ける。バイリンガルの道は程遠い。
フィクションではマナーの悪い人や犯罪者はやけに(エセ)関西弁話者が多い。
ときにはストーリーに何も関係ないのにマナーの悪い大阪人が出てくる。
たとえばこの秋に地上波でやっていた「警視庁ゼロ係」という小泉孝太郎主演のドラマのある回では、遊園地が爆破事件の現場になるわけだが、
その遊園地のアトラクション待ちの行列に「あたしら大阪から来たんや」とか言いながら割り込むオバちゃん三人組が出てくる。
けれどもオバちゃんたちが大阪から来たという設定はストーリーに何も関わらないし、行列に割り込むというマナーの悪さもストーリーに関係ない。
一体どういう目的でマナーの悪い大阪人を出したのか?ストーリーの必然性がないのになぜ大阪人なのか?
現実では、暴力団構成員は絶対数でも単位人口あたりでも東京のほうが多いのにもかかわらずだ。
加えて新宿はチャイニーズマフィア、六本木はナイジェリアンマフィアが跋扈している現状、暴力団という意味では東京の方がよほど怖い。
以前私は東京都港区に住んで、働いていたが、そうした地元民にとってさえ夜の六本木は近寄りがたかった。
まあ店に入らず、道ばたの人と不必要に話したりしなかったら犯罪に巻き込まれるリスクは低いけれど。
ドラマや映画の制作会社は東京に所在していることが多いのだから、東京の現実を反映して、暴力団員は東京の人間という設定にしてくれればいいのに。
※フィクション中の暴力団は大阪だけでなく広島も多いだろと突っ込まれそうだが、それは「仁義なき戦い」や実録ヤクザものの源流である「県警対組織暴力」が広島を舞台にしていた影響であると考えられる。なのでフィクションの暴力団員に"なぜか"大阪人が多いこととは別問題である。
また、貧乏で歯のないアル中のおじさんも関西弁を喋っていることが多い。
しかし現実では、生活保護の受給者は絶対数も受給割合も東京が多い。
東京のメディアなのだから、こうした人物は東京の人間という設定にしてもらうことが自然だと私は感じるが、なぜか大阪人や関西人が多い。
仮に在阪メディアなら大阪人や関西人を悪者にするのは構わないと私は感じる。現実で彼らのまわりいるのが関西人である以上、善人もそして悪人も関西人が多いのだから。
けれどもなぜか東京のメディアが大阪を悪者にしたがっている。なぜ札幌、仙台、新潟、金沢ではなくて大阪なのか?
私は大阪にも東京にも、その他の都道府県にも住んだことがあるが、なぜ大阪人がフィクションで悪者にされるのか理由がわからない。
私は今は大阪ではなく周辺の別の自治体に住んでいるけど、以前は大阪に住んでいたからそれなりに愛着がある。それに身の回りに大阪出身・在住の人は多い。
まずマニフェストをそれぞれ読んでWikipediaを読んで後は適当にブログを読んだ。
自民党 : マニフェストは経済成長に主眼を置いて書かれている印象を受ける。(特に経済について)他の野党が酷いから投票するという層がネットでは目立つ。
実際それほど保守に寄っているわけでもないようにも見えるけど杉田水脈とか荻生田とか本当にヤバい(平気で差別発言をするなど)レベルの保守層が一定数いるのでかなり悪感情を持ってしまう。
立憲民主党 : 左派最強という感じだが民主党時代と違い弱体化が著しい印象。自民党と同じく層は厚く保守寄りからかなり左派の議員までいる。どうにもまとまりがない。ネット上では穏やかなリベラル層から支持されている様子。
しかし、個人的には急に革新的なことを言ってみれば、あまりに保守寄りだったりで主張がブレブレであるように見えることが多い。
公明党 : ネットでの人気は皆無に等しい。自民支持者からはボロクソに言われ、野党支持者からは自民の補完勢力と言われる。歴史的には自民党の暴走を防ぐべく中道左派としてバランスを取るのが役割とみなされた時期もあったと聞いたことがある。 憲法改正には賛成してるし増税にも賛成してる。やっぱり自民党寄りなんじゃないかなあ。創価学会も弱体化しているし向こう10年で急速に弱体化するだろう。
国民民主党 : ネットでの人気はほぼない。民主党時代に田舎に票田を持っていた人たちが残っている印象。老人ばかり支持しているんじゃないのと思っていたがデータを見るとそうでもない。とにかくよくわからない。
共産党 : ネット上で支持者は運動家っぽい人しか見ない。マニフェストは自民党と対照的。資料なども真面目で勉強していることがよくわかる。議員も高学歴。ネトウヨなどがいうような共産党への批判(陰謀論や何にでも怒っているだけ)は全然共感しないが、問題はマッチョ気質と本来の意味での保守的すぎるところであると思う。努力家で頭が良い人の考える政治という感じで、多数弱者は守られるが枠にはまらない弱者は切り捨てられそうだ。後中国共産党とはずっと敵対関係にあるがネット上ではあまり指摘されない。
維新の党 : 大阪出身なだけに思い入れがある。個人的に一番嫌な政党。投票する人の心理に共感してしまうからだ。学費無償化などとにかくお金のことを数字入りで大きく書くポスターと大阪の愛郷心を誘う手法で上り詰めた。思うことが多すぎてここではかけない。吉本とかと同じく大阪文化というものを大きく弱体化させている。大阪愛があるからといって市民は大阪文化を詳しく知るわけではない。自らが大阪文化なのであってそれを言語化できているわけでもない。それをうまく悪用されている感じがしてとても不快だ。私の知っている大阪文化というものは吉本の語るそれでも維新の語るそれでもなかった。上品な上方文化もあれば商人文化もある多様なものだった。大阪と言われて上品なものや知的なものを想像するステロタイプがどれだけ残っただろうか。また学費無償化などの裏で多くのコストカットが行われた。貧困層はより貧困になった。
れいわ新撰組 : 維新と名前がややこしい。しかも山本太郎が関西弁。割と好きだがよくわからない。他の野党が保守的で改革を口にしなくなったので革新的なのが好きな人はこっちに着くんじゃないのと思う。
N国党 : 特に書くことはない。(どうせ消えるので)
ヒプノシスマイク オオサカディビジョン「どついたれ本舗」の白膠木簓が好き。
10・30のCDリリースからずっと曲を聴き続けて聴き続けて、やっと胸を張って好きと言えるようになった。
なんでかというと多分、架空の白膠木簓の残像に囚われていたから。
白膠木簓を白膠木簓としてではなく、顔のイメージから派生する何かに当てはめて勝手にハマる筈もないキャラクターとしてカテゴライズしていたから。
というのも私は10/30に曲が完全リリースされるまで曲の試聴をしていないのだ。
だって、全然ハマりそうにないキャラクターしかいないんだもん。オオサカディビジョン。
どれもハマらないビジュアルだったし、勿論白膠木簓くんもそうだった。
どうせ東京の人間に関西弁で軽薄そうにうざったく絡む三枚目ポジションのキャラで、彼女欲しいといいながらモテない(ような言動をする)。
ケラケラと乾いた笑いを零し心の中では世界中見下していて、裏表が激しい。
何かにつけて文末に(暗黒微笑)が入り、何かにつけて真顔で開眼しされた相手がビクッとなる。
裏で糸も引く。開いたハリセンに隠れて悪い顔をする。
ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーか!!!!
白膠木簓くんをそんな目で見るな!!!
白膠木簓くんが暗黒微笑なんてするかボケ!
「アッハッハッハ!!──(突然の真顔・開眼)死んだらどうや?」
とかすると思ったか?!
「アッハッハッハ!!ヒー!やめろ、やっぱお前おもろいな盧笙(にこにこ!)」
もしくは
「アッハッハッハ!!ヒーやめろ、おもろいやんけ(まあおもろないけど、ここは合わしとこ)」
の二択!!!やった!!白膠木簓くん、めちゃめちゃ人当たりもいいし思慮深い、人間関係の形成が上手!元相方の躑躅森盧笙がだいすき!
さよならの挨拶は「ほなさいなら」でもなく「せいぜい気を付けや」でもなく「ほなね~♡」なんだよ。
白膠木簓くん、白膠木簓くん、白膠木簓くん、好き。
“田舎者と貧乏人を初めて見た話”を読んだ感想を、そっと書き残す。
それも日本で5本の指に入るほどの田舎で生まれ、高校卒業までそこから出たことはなかった。
小学校は地元の公立に通い、そのあと中学受験をして、家の近くの中高一貫校を卒業した。
中高時代は近くの学校まで自転車で通学し、部活と勉強が生活のほとんどだった。
現役で慶應に進んだ。
まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。
私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。
まず、初めに、「この店、もってる株主優待券使えるじゃん」という会話に驚いた。
喉元まで出かかって飲み込んだ。
田舎では子供はもちろん、大人だってそんなものは持っていなかった。
他にも非常に面食らうことが多かった。
23区内で実家の近くに、マンションを借りて下宿させてもらっているひと
就職解禁日に東京ガスの内定が決まった報告を親から知らされるひと
などなど挙げだしたらキリがない
世の中は生まれた瞬間から不平等だということを腹の底から理解したね。
田舎ではそこそこ裕福な側だったから、余計に東京の富裕層をみておどろいたね。
都内御三家卒トリーバーチさんが言う通り、たしかに生活文化もぜんぜん違った。
ただ、今までの自分と異なった生活文化の良いところにたくさん気づけたし、良いとおもったところは自分に取り入れていったから、そこは都内御三家卒トリーバーチさんと異なる点かな。
まあ、東京という街が、大部分日本全国の地方からの上京者で構成されるので、地方出身者がその文化に馴染みやすいのは、構成からみてそうだろうというのはあるけどさ。
ただ、この文章は都内御三家卒トリーバーチさんへのアンチテーゼだから、敢えて悪いところも書くけど
都内御三家卒トリーバーチさんみたいに、いわゆる東京の消費文化にどっぷり浸かっているひとを見たときに、「なんだか人として薄っぺらいなあ」と感じたね。
それは、そういった人達が、自らの意識じゃなくて、営利企業の広告・周りの人々の目線・マウントといった外部の刺激に翻弄され踊らされ、自己を見つめる機会が少なく、モノを消費させられているかんじがするからだとおもう。
なんだか操り人形というか、外部の刺激にただ反応している動物のようにも見えるんだよ。
最近そういう消費させられているかんじをダサいと感じる精神性が、世界的に若い人の間で増えてきているように感じる。
あと少し話は変わるんだけどさ、都内御三家卒トリーバーチさんの文章を読んで
やっぱり日本で最も根深い差別は“出身地差別”だとあらためて確認することになったね。
例えばこんなかんじ
「大阪出身なんだ、なんかおもろいこと言ってよ笑」
「埼玉出身なんだ、ひっ捕らえろ」
それも無自覚で問題視もされてないから、LGBT差別なんかよりも根深い。
人種もLGBTも本人の自由意志による選択ではないから、そのことで差別するのはいけないことなんだよな。その理屈は全くもって正しいとおもう。
そして出身地も本人の意志で選んだものじゃないよな。それなら“出身地差別”も前の2つの差別と同じようにやめようとなるはずだとおもうんだけど、実際はそうはなってない。
「田舎者の無粋さと、田舎のつまらなさには心底辟易だわ。関わりたくないわ。早く都へ帰りたいわ。」って言ってるけどさ
それは白人が「黒人の無粋さと、つまらなさには心底辟易だわ。関わりたくないわ。白人だけのコミュニティですごしたいわ。」というのと、構造的に全く同じだと自覚したほうがいいよ。
ただね、そんなバカにされている地方出身者にも、都内御三家卒トリーバーチさんよりも明確に恵まれている点がある。
それはスタート地点が低く恵まれていない地方出身者の方が、それから先の人生の伸びしろが大きいということだ。
もうね楽しくて仕方ないよ、ワクワクするね。
どんどん生活の質が上がっていく。これは本当に希望に満ちあふれているよ。
人間って生活の質が向上したときに幸福感を感じるというのが持論で、それは進化生物学的にも則しているとおもう。
(※もちろんそれだけでなく、他にも幸福感を感じるときはある)
そう考えたら、これからの人生ずっと昇り調子の地方出身者は幸せだとおもう。
生まれた瞬間から上限近くだと、それ以降の人生良くて現状維持で悪ければ転落だよね。
それは不幸だとおもう。
実際、都内御三家卒トリーバーチさんは都落ちして、生活の質の低下に苦しんでいるよね。
あとこの仕組みには、都内御三家卒トリーバーチさんへの救いも内包されているよ。
だって、都落ちした都内御三家卒トリーバーチさんは、その出来事によって、今までの都内での暮らしの素晴らしさに気づけたわけだし、何より一度下がったらこれから上がる楽しみを得られるわけだからね。
関東圏3年ならまだ染まりきらないのでOK。だとしても、大抵の人が2年その土地にいると方言は絶対伝染る。これは、関西、九州、東北、沖縄、アメリカ西海岸、南部、香港、上海どこであろうと、その土地の人たちと話をし続けていれば絶対伝染る。
ただ、6年以上関東圏にいるのにコテッコテの関西弁を使う人は、ナニワ金融道的な威圧型の人がほとんどだった。
多分、TVの関西弁使う芸人に影響されてるんだろうと思うけど、TVの芸人言葉そのままに使う関西出身の嫌な奴に出会いすぎたんだと思う。
丁寧語が必要なシチュでも頑なに関西弁で押し通そうとするような関西人。
公言するとは言っても、関西出身の人メインで公言してると、「わかるわー」と言われること多い。
なにかに対して「おもろいやろ?」だけで同意を求めるタイプがめっちゃ多い。
話してる先から関西芸人みたいな話し方できる俺すごいやろ。そんな俺の面白さがわからんお前はつまらんヤツなんやろうな。的な空気で場を支配しようとするので、困る。
元クレジットカード会社の社員です。クレカのお金が払えなくて裁判まで行っちゃった人とよくお話をしていたよ。
140万リボ払いの人を見て前職のことをふと思い出したんだが、やっぱり裁判まで行くお客さんはアレな人が多い。せっかく思い出せたので、その一例を思い出せる限り書いていこうと思う。
予防線張っておくけど、数年しか勤めてなかったんで裁判周り最低限の知識しかないしブコメ見る限り間違ってるところも多いみたいだからまるっきり信じないでね。
因みにここにあげた例は、特定の個人の話ではない。結構な人数いた。
よく何十万とか延滞した上でそんなこと言うね!!すごいね!!借金返すために頑張ってるのかな!!
早めに会社へ連絡をしてくれた人や、せめて答弁書って言う意見書を裁判所に送ってくれた人はまだもう一度『お客様が希望する額(5年で払い切れる額だけど)』で分割払いさせてあげられたんだ。
でも裁判の日までにそういう連絡をくれなかった人は、裁判が終わったら差押手続きが出来るようになっちゃうんだ。
だから、折角連絡入れる暇も惜しんで働いてもらってるけど、その給料の4分の1が差押として会社に取られてしまうんだ。働いた意味なくない?
「使ったのは俺じゃない妻だ妻と話して」とか言う男性結構いたんだけど、カードの名義人はあなたですからね。知らぬ存ぜぬでは通用しません。基本個人情報保護とかの為あなた以外とお話出来ないし、支払義務もあなただし、奥さんが支払わなくて差押食らうのもあなたの口座や給料や資産ですからね
3.使ったのは私だから夫(カードの名義人)ではなく私と話して 夫にバレたくない
これも多かった。ダメですよ奥さん。でも上に書いた感じの理由で会社は話せないので頑張って夫と話し合いをして。
どうしてお前は裁判当日に会社に電話して何がどう間に合うと思った。せめて裁判所に直接出向いてくれればそこで支払相談も出来たと言うのに。
例えこのタイミングで支払相談されても、「答弁書」の提出が間に合わない。
裁判所に「答弁書」と言う、お客さんの「分割で払いたい」という意見を陳述した書面を提出しないと、「判決」という「一括で払え」という結果になってしまう。
そしたら分割で支払われるより差押さた方が確実に取れるので会社はそうする。
5.裁判の日もう過ぎたけど、分割の話がしたい
当日どころか過ぎちゃったよ!なんで出来ると思ったんだよむしろ!お前は夏休みの宿題も9月からやり始めるやつだったろ!
いや答弁書って紙を裁判所に出して頂ければ裁判の日来なくていいんです!その飛行機代は返済に回して!
日本には民事裁判と刑事裁判ってものがあってだな。大丈夫あなたは逮捕されないし前科もつかない。
8.カード今使えないんだっけ?新しく作ればいいの?
カード延滞して裁判起こされてよくまた持つ気に……。一応また新しく手続きをお願いします〜なんて返す。が、専門の機関には信用情報ってものが登録され、カード会社は申し込まれたお客様のそれを元に審査を行う。延滞したと言う情報は完済した後も数年残り続ける。
つまり、暫くカードの審査が通ることはまずないだろう。というか作らない方がいいって。結構聞かれたけど。
裁判まで行った人が分割で支払いをしたい場合、争う気がないんだったら弁護士が出来ることってあんまないんだ。会社と支払相談も答弁書を書くのもお客さん本人が出来ることだからね。勿論弁護士に相談したところで、リボ払いでは支払うお金が減ったりとかそんなミラクルは起こらない。
(過払い対象のカードローン、キャッシングを利用してないと減らないと思います。遅延損害金減額狙えるくらい?)
つまり弁護士費用が無駄にかかるだけ。そのお金も返済に回した方がいいんじゃない?
但しカードの利用自体認めないとか、自己破産とかする場合は別(その辺あんまり知らないが)
追記:基本弁護士入ってる方は弁護士と相談してました(本人と話すのは法律違反のため)
この場合はお客さんからかけてきて、今弁護士と相談してる…と申し出があったパターンですね。受任通知来てない場合は話してました。大抵受任通知がそのまま永久に来ないパターンが多かったです。
子供か!!
裁判まで行くとお客さんも腰が低い方が多いんですが、大阪出身の方だけは常に半ギレみたいな人が多かった気がしました(体感)
とまあこんな感じの人が多かった。会社によって違うかもしれないし、今は何か変わってるかもしれない。
この会社で学んだことは「裁判まで行ってもカード会社に電話して、答弁書提出すればなんとかなるかもしれない」です。
カード延滞して裁判になった人・なる予定の人皆これだけは覚えてくれよな!
因みにカード会社に勤めてる人でもリボ払い使ってる人は殆どいません。
・お客さんについて
ごめん前職にあまりいい思い出がないからやばいお客さんのことばかり書いてしまったけど、5割くらいは仕方のない事情で払えなくなった人や、怠慢で延滞してもきちんと債務を少しずつでも良いから払おうとしてくれるまともな方達でした。
・債務者から稼いでるのにどのツラ下げて言ってるんだ、リボ払い規制しろ
気持ちは分かるけど、自分に言われても督促部署でそんな権限ないので正直困る。違う部署の人に言ってくれ。リボ払い規制は自分もちょっとやった方がいい思う。
まあでも債務者は一回払いの人もリボ払いと同じくらい多かったよ。借りた金はちゃんと返してくれ。
・破産について
これも社員側の意見を書いてしまった。社員としての考えは、やはり破産されてしまうと『貸したお金』が戻ってこないので出来る限り払ってもらう方がやっぱり良かったんだ。
ただ、個人としての考えはそれこそ病とかどうしようもない事情がある場合取るべき選択だと思う。責められることは何も無い。信用情報とかのデメリットはあるけど。
カード会社に勤めていてもう1つ学んだことは「借金で自殺することはなく、他にも選択肢がある。」だった。まあ取ってつけたような形になってしまったけど、この辺りに関しては浅慮で申し訳なかった。
関東とある寺院ではこの時期無数の紫陽花が一斉に咲き誇り見頃を迎える。先日夫の実家にお邪魔した際、お義母さんにおすすめされたので、翌日夫と寺院へ行ってきた。
最寄駅の改札を出たところから入場待ちの行列は続いていた。まぁ仕方ないと列に並び、黙々とスマホを弄りながら入場を待っていると、前に並んでいた女の子2人の会話が聞こえてきた。結構大きな声で話していたと思う。
一字一句漏れ無く覚えているわけではないので、かい摘んで彼女達の会話を並べるとこんな感じだった。
・2人は幼稚園教諭
・大阪出身の同僚がいる
・子供たちに大阪弁で話すのが迷惑。子供達が理解できない。理解できるようになったら子供たちが真似し始めて不快。保護者も多分嫌がってると思う
・この園に来てもう1年以上経つのに大阪弁を標準語に直してくれない
・他の方言の人はきちんと矯正してるのに、こっちに住んでて大阪弁を話し続ける意味が分からない
・とりあえず大阪弁が無理
私は大阪弁話者だ。生まれも育ちも大阪。和泉の下町出身の父の影響で、北大阪の人からは「コテコテだな」と思われそうな感じの話し方をしていると思う。今まで、夫をはじめ夫の知り合い・親族に大阪弁に批判的な人は誰もいなかったので、何も気にしていなかった。でも少し横に目を向けてみると、大阪弁の悪口を言ってる人がこんなにあっさり見つかったのだ。
もしかしたら親族の中にも私の大阪弁が迷惑な人がいるのかもしれない、と思ってしまった。
私は来年、関東へ引っ越すことが決まっている。私は標準語を話せない。
後で夫がフォローしてくれたが、実際大阪弁を嫌がる人ってどのくらいいるのだろう。大阪弁を話してるだけで嫌がられるって悲しい。久しぶりに、はっきりと、心が傷ついた。
しかしそれと切り分けて考えてみると、例えば子どもがいたとして、自分の子供がいる幼稚園に、コテコテの別の地方の方言の方が来たらどうだろうなとも思った。
大人から見れば楽しいけれど、先生の影響で子どもが私たちの知らない言語を話し始めたら…ちょっと嫌かもしれない…。でも英語教育の一環で英語しか話さない先生だったら何故か許せてしまうかもしれない…
この違いはなんなんだろう………。