はてなキーワード: 大家族とは
エルフの赤ちゃんが何年くらいで自律的に活動ができるようになるのか?
エルフの子供は何年くらいで親の手が掛からないようになるのか?
それがエルフの人口増加率と人間の人口増加率の差分になると思う。
人間のように20年くらいで成人するのだとしたらエルフの人口増加は人間とほぼ変わらないはずである。
逆に長命がゆえに大家族になっていくエルフのほうが人間より繁栄する可能性が高い。
だから、もしエルフ20年成人説をとるのであればエルフの人口が人間より劣る理由を設定しなければならない。
しかし、エルフが成人するまでに200年掛かるとかいう設定なのであれば特に理由を設定する必要はなくなる。
エルフの赤ちゃんが幼児になるまでに20年程度かかるのであればひとつのエルフの家族が育てられる子供の数は自然と抑制されるからだ。
ただし上記したようにエルフは長命なので自然と大家族というか一族の数が膨大になっていくのでそれであれば助け合いにより子供の養育は容易になるはずだとも考えられる。
エルフの居住に適した環境が無限に広がる世界であれば問題ないがそうではないはずだからだ。
このへんは付加設定の範囲の話になるが、エルフの居住条件が人間よりも厳しいと設定すればエルフ人口が増えない理由として自然かもしれない。
人間は繁殖力が強くて、どこにでも住むことが出来るゴキブリのような存在。
対してエルフが住みやすいと思える環境は限られていて、進んで人間が居住してるような地域で住もうと思わない。
ゆえにある一定以上の人口を超えないように人口が抑制される傾向にある(それにより過去に戦争・紛争が状態化していた教訓からとか(しかしそれだとエルフらしい設定ではないからもう少しアレンジが必要か))。
まあいい
家族制が近代的になりつつある明治時代から昭和後期までで説明しよう
明治から昭和にかけても大家族と言っても様々であったようで、この形態が必ず
とは限らない
(昭和の時代に祖父母やってる世代なら複数子どもがいるだろう?)、
彼らの中には生家でもある実家で自分たちの両親(子供世代には祖父母)と同居していた者がかなりいたんだよ
昭和後期にはかなり減っていったので増田は知らんのかもしらんが
それと「高等遊民」って調べてみてほしいな
「大学を卒業するという超エリートにも関わらず、経済的に不自由しないために賃金労働につかない者(小説や随筆を執筆したリはする)」
という定義が明確にある
子供時代親がどれだけ文化的に経験的に豊かに育ててくれたかで人生決まる。
俺は大家族育ちだからどっか行くとかの経験がなくて、変な話旅行に行く時になにがいるとかがわからない、経験がないし考えようという地頭すら育ってない。俺はマジで服しか思いつかないんだけど、子供の頃から経験がある人だと、どこに行くかで何がいるかの想像がつく、海に行くならこれがいる、観光地に行くならこれがいる、テーマパークなら、これがたとえ山には行ったことなくても山だとこういうのがいるのかも?みたいなところに思考が及ぶ。服さえあればいいとかいう話ではなく、教養がない。
友達と旅行行った時に、え?なんで持ってきてないの?みたいなものすら持ってきてないことがよくある。もう大人だから行った先で買えばいいけど、なんていうか後になってその時になってからなんでこれ持ってきてないんだよちょっと考えたらわかるだろって自己嫌悪がすごい。
だからその場で目先の必要なものしか思いつかないから日常生活でも常に何かがない、生活を余裕を持って送る技量も器量もない、今の常に余裕のない生活のその先が想像つかない。当たり前にみんなができてることができない、不安だ。
九州の片田舎から大学入学を機に上京。仕事は順調。堅実な生活しているため経済的にとても余裕がある。
結婚して家庭を作り、子どもを産み育てることこそ幸せ、それ以外の生き方に価値を見出さない田舎の両親とは
疎遠になった。仲が悪いわけではないが、帰省するたびに「なぜ結婚しないのか?歳をとって一人はさびしいぞ」
と言われ続けてきた。カミングアウトする勇気もなく、カミングアウトすることで両親を思い悩ませることもないと
ごまかしながらここまできた。田舎では独り者は変わり者。田舎の人間関係をすべて捨ててずっと一人で生きてきた。
最近歳の離れた彼と知り合った。20代半ばの彼はワーキングプア。毎日夜勤で働きづめ。海外から技能実習生として来日している。
祖国に残した大家族を養うためにひとり日本で働いている。技能実習生という制度についていま議論されているが、まさに使い捨ての調整弁。
そんな彼を金銭的にも支えている。家族と仲が良く、毎日のように国際電話で祖国の親兄弟と話している彼は自分が捨ててしまった
家族の絆を大切にしている。俺が彼に施す行為は単なる自己満足なのか愛なのか?彼が喜ぶことは何でもやってあげたいこの気持は
愛であると信じたい。
近所の弁当屋が美味しいけどムカつく。
だけど、三世帯大家族で仲良く営業してるのを見るとモヤモヤするし腹が立つ。
私は地方で農業を営む三世帯家族で育った。兄弟も多く兄、姉、弟、妹と全てコンプリートしている。頑固でいつも不機嫌でクチャ食いの祖父、離乳食と粉ミルクを毒物のように扱い子供には意地でも咀嚼した煮物を食べさせようとする祖母(そのせいでピロリ菌もらった)、いつも無口で赤ら顔の父、隣の家に住む父の姉家族にいつも気を使うヒステリックな母、野球をやってる(即ちうるさくてうざくて汚い)兄弟と従兄弟、意地悪な姉妹、わがままな従姉妹。家族が全員大嫌いだった。
地元の高校を卒業した後、首都圏近郊の国立大学に進み家出同然で上京。その後都内で就職。地方出身で実家の兄弟は健在で都内に就職した夫と結婚した。
夫と子供と、お互いの実家に全く干渉されることのない幸せな東京核家族ライフを送っていた。
だから大家族でいつも仲良さそうに楽しそうに営む惣菜屋がムカつく。商品は好きだから買う。だけど見ていて腹が立つ。
高校生の男の子が店主らしきおじいさんと一緒に料理を作り、小中学生にしか見えない子供達がおばあちゃんと一緒に呼び込みしたり袋詰めしてるのを見ると反射的に嫌悪感が湧く。
「こいつらは柔和な笑顔を浮かべて児童労働をさせる極悪人だ。子供たちを自分たちの家業の要員にしか見ていない封建社会の遺物だ。」
そう心の中で思ってしまう。
閉店間際に女の子がおじいちゃんにおんぶを迫り、家族みんなでキャッキャしてる様子を見ると仄かな羨ましさと同時にそれを掻き消す嫌悪感が湧く。
子供は祖父母や親戚ではなく両親の愛だけを貰って過ごすべき。両親以外の家族の影響は子供を不幸にする。親戚や祖父母の影響が排除された都内の核家族こそ幸せのモデルケースなんだ。
何言いたいのかわかんなくなっちゃった。
九州の片田舎から大学入学を機に上京。仕事は順調。堅実な生活しているため経済的にとても余裕がある。
結婚して家庭を作り、子どもを産み育てることこそ幸せ、それ以外の生き方に価値を見出さない田舎の両親とは
疎遠になった。仲が悪いわけではないが、帰省するたびに「なぜ結婚しないのか?歳をとって一人はさびしいぞ」
と言われ続けてきた。カミングアウトする勇気もなく、カミングアウトすることで両親を思い悩ませることもないと
ごまかしながらここまできた。田舎では独り者は変わり者。田舎の人間関係をすべて捨ててずっと一人で生きてきた。
最近歳の離れた彼と知り合った。20代半ばの彼はワーキングプア。毎日夜勤で働きづめ。海外から技能実習生として来日している。
祖国に残した大家族を養うためにひとり日本で働いている。技能実習生という制度についていま議論されているが、まさに使い捨ての調整弁。
そんな彼を金銭的にも支えている。家族と仲が良く、毎日のように国際電話で祖国の親兄弟と話している彼は自分が捨ててしまった
家族の絆を大切にしている。俺が彼に施す行為は単なる自己満足なのか愛なのか?彼が喜ぶことは何でもやってあげたいこの気持は
愛であると信じたい。