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はてなキーワード: 大学受験とは

2024-05-11

東大文系も金さえあれば慶應医学部に受かってたかもしれんのよな

大学受験意識してすぐ医者あきらめることもなかったんだろう

かわいそうに

任天堂次世代ゲーム機

親の立場で言わせてもらうと「どうにか逃げ切れた」て感じ

子供小学生の頃にNintendoSwitchが発売された

まともに買えるようになる頃には息子は中学生になっており、ゲーム機への興味自体が大きく削がれている状態だった

正直な話、家計的にありがたかった

子供玩具の入手に奔走し、その結果大きな出費を強いられる、子供のためとはいえ本当に無為行為だと思っていた

しかしその直後にPS5が発売、当然ながら品薄状態が長らく続き、普通に買える頃には息子は高校受験シーズン突入

欲しそうなそぶりはあったが、子供私たちに直接伝える事はしなかった

高校生になった子供は週に2、3日、短時間アルバイトをしている

ゲームのためのパソコンを買うつもりらしいが、本人が欲しがっているやつは30万円を優に超える

高校生が目の前の欲望に抗えるはずもなく、その月に稼いだバイト代を友人達との遊びに使い切る事もちょくちょくある

半年近く働いて溜まった額はおそらく5万円にも届いていないだろう

おそらく目標額が貯まる頃には大学生か、下手をすれば社会人になっているかもしれない

そして、つい先日任天堂次世代ゲーム機存在を始めて正式に発表した

おそらく早くても年末、噂通りならば来春あたりになるのだろう

その頃には子供はもう大学受験体制

どうにか逃げ切れたと、夫と一緒に胸をなでおろしている

医師プロフィール

出身大学医局、経歴、専門医と一緒に大学受験で使った理科選択科目もつけてほしい。

生物化学か。

生物物理か。

物理化学か。

生物選択のおつむの弱いお医者さんが発狂して圧力かけそうだけど、患者としては人柄、経歴とともに知的な面でも申し分ない(物理化学選択国立卒)方に診てもらいたいからな。

2024-05-10

左翼の人は、ブコメ書く前にセンター試験国語何点だったか書いて?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240508181559#bbutton

原告不正がないと認識した上で不正があると主張していたとは認められないので、デマではない。という話であってColaboの不正を認めた、という話ではないよね。

あのさあ・・・そんなことこの文章中で一言も書いてないよね? 

左翼の人まじで読解力どうなってんの? 何と戦ってんの? 馬鹿なの? 

左翼の人は、ブコメ書く前にセンター試験国語何点だったか書いて?

大学受験できないくらい貧しい家庭の人だったらそう書いて?

大学受験した人がこういうコメント書いてるのであれば、その大学のセンセイにあやまって!



さすがに共通一次試験の頃の人がブクマ使ってるとは思ってないし

大学入試共通テスト受験経験があるほど若い人もいないと思うけど

2024-05-09

ワイ塾講師懊悩する

バカ高校数学なんか何の役に立つんですか!」

ワイ「大学受験の役に立つやろ!」

バカ大学受験なんか何の役に立つんですか!」

ワイ「やったら今すぐ受験やめて高卒就活してこいアホカス!」

バカ就職だけのために勉強する世の中でいいんですか!」

ワイ「それを俺に言ってなんか解決すると思ったんか!ええから黙って問題解け!」

バカハゲ!」

 

はい、敗北宣言いただきました。

俺の仕事って世界の役に立ってるんやろかって毎日考えるわ。

2024-05-06

勉強できるって幸せか?

自分以外の周囲が破滅していて人生しんどい。よく屍の山の上に王座があるイメージがあるけどあの死体が身近な人だとこんな感じの気分になるんだなって。

小さい頃から勉強はできたんだけど、このせいで周りの友達は親に自分と比べられて怒られてて(○○くんはあんなにできるのにみたいな)、いとこや兄弟もそんなんで気まずかった。友達いなかったから暇で勉強してただけだったのに……。

国立なら一人暮らしできたから、はやく家を抜け出したくて中高はたくさん勉強した。大学受験第一志望結局受からなくて某有名大入れたけど、これはこれで辛い。親戚に持ち上げられるけどいや、うーんって感じ。自分が持ち上げられる時、持ち上げられない誰かがいるのだ。大学には上には上がいるし、自分全然できる方ではないのはわかっていてもなんかこう、つらい。

こういうことの積み重ねでいわゆる普通のレールを外れてしまった兄弟を将来養わなきゃいけないのかなあとか思いながら生活している。

ヒスい親とか暗い兄弟とかマジで鬱なんだけど。金ないと不安だし家にいたくないかバイト鬼のように入れて自分を追い詰めるような生活をしている。なんのために生きてる?周りのキラキラ生活比較しちゃって死にたくなるな。ジワジワと真綿で首を絞められている感覚がする。

自分以外の周囲が破滅していて人生しんどい。よく屍の山の上に王座があるイメージがあるけどあの死体が身近な人だとこんな感じの気分になるんだなって。

小さい頃から勉強はできたんだけど、このせいで周りの友達は親に自分と比べられて怒られてて(○○くんはあんなにできるのにみたいな)、いとこや兄弟もそんなんで気まずかった。友達いなかったから暇で勉強してただけだったのに……。

国立なら一人暮らしできたから、はやく家を抜け出したくて中高はたくさん勉強した。大学受験第一志望結局受からなくて某有名大入れたけど、これはこれで辛い。親戚に持ち上げられるけどいや、うーんって感じ。自分が持ち上げられる時、持ち上げられない誰かがいるのだ。大学には上には上がいるし、自分全然できる方ではないのはわかっていてもなんかこう、つらい。

こういうことの積み重ねでいわゆる普通のレールを外れてしまった兄弟を将来養わなきゃいけないのかなあとか思いながら生活している。

ヒスい親とか暗い兄弟とかマジで鬱なんだけど。金ないと不安だし家にいたくないかバイト鬼のように入れて自分を追い詰めるような生活をしている。なんのために生きてる?周りのキラキラ生活比較しちゃって死にたくなるな。ジワジワと真綿で首を絞められている感覚がする。

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 4/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

終わりに~

この大学卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京神奈川オフィス工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民はてな民ニアミスしてるかもしれない。

今では佛教大学感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。

仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。

この道は、正しかった。第一志望の大学不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格バカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。

自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。

でも、実は後悔がひとつだけある。卒業である。実は、自分卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。

失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。

というわけで、先日3/18(月)に佛教大学卒業式に参加してきた。もちろん保護者である

後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。

焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。

式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。

会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。

とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後プロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。

卒業式中の写真(※個人情報保護のため一部編集しています)

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ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室学位記を受け取る儀式があるのだ。

ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。

卒業式の会場を出てから100席ちょっと教室に入ると、今まさに社会学部とある学科学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。

「静粛に。これで二度目だぞ、君らは最後までわからんのか!」

約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまり煩いものから学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑

あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後卒業代表が、ステージ上で「私がこの学校入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月最後最後まで受験を続けて、それで最後合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業諸君は大騒ぎだった。卒業代表の話なんて聞いちゃいなかった。

今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?

それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。

最後に、学部先生挨拶をしていた。

(以下要約)

あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた

入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う

学生生活の中で、あなた達は多くの試練を突破してきたはず

社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい

・いつでも大学に帰って来ていい。私たちは待っている

すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。

※推測だが、2020年当時って、入学式オリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。

ちなみに、ほかの学部学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生学生も、熱の篭った感じで最後儀式に興じていた。特に教育とか保健とか看護学部がよかった。

卒業式の後~学内散策(※上に同じく一部編集)

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大学を出た後、近くにある千本北大路交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。

社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。



これで結びになる。

若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分雑魚すぎて嫌だった。

「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。

大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。

今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニング勉強をしている。

なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツから立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。

あきらめないでくれ……」

夢の中にいる自分には、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。

「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。

でも、学生時代が楽しかたかといえば、楽しかったよ。当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。

しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?

確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって無意識はわかってる。

から、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。

しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。

今回、自分記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。

ありえないことだけど、昔の自分に伝えられるのなら、伝えてみたい言葉があるんだ。「諦めないでくれてありがとう」って。

anond:20240502083336

中高一貫校だったし高校入試しなかったか大学受験するときくらいまで偏差値表を見たことなかったんだけど、うちの高校こんなに偏差値高いの??って衝撃を受けたこと覚えてるわ

中学受験しなかった人たちを全員集めて試験やったらこんなに偏差値変わるんだなって

どうりで高校編入組がエリート意識みたいなのを全面に出してくると思った 実際にはそんなに頭良くなかったのに

2024-05-01

anond:20240430075102

一芸入試AO入試が始まったこから大学受験おかしくなった。

スポーツ推薦も。体育大や体育学部ならわかるけど、早慶クラスでやってはいけない。

そういえば東大帰国子女枠も似たような時期にできた記憶がある。

2024-04-26

anond:20240426071106

別にセルフケアせずに不幸を嘆いてもいいだろ。

俺は大学受験に50%の力で臨んだが、やっぱり悔しかったぞ。

2024-04-24

自分存在する意味がわからない

小さい頃に公文式教室に通わされていたおかげで中学生までは無双していたが、レベルの高い高校に入ったところ要領がいい上に努力もできる人しかいなくて心が折れた

大学受験は失敗したものの外部の大学院受験し何とか持ち直したが、ここでも周りは皆優秀な人ばかりでやはり身の丈に合わない環境に身を置くことは良くないと改めて感じた

研究就活も家庭環境も上手くいかずに色々悩んでいた時、とても世話を焼いてくれていた彼氏に振られてしまうつ病になってしまった

大好きだった人から必要とされず自分より優秀な人しかいない環境で過ごしていると、自分がいる意味はあるのだろうかと考えてしま

私がいなくなっても社会は全く問題なく回っていくし、いたとしても精神疾患を抱えた状態では何も貢献することができない

その上運命だと思っていた人から見放されて生きる気力を完全に失った

本格的に社会お荷物になる前にここで死んでおいた方がいいのではないかと常に考えている


追記

反応してくださる方の多さにとてもびっくりしました!

頂いたコメントはじっくりと何回も読ませていただき、読みながらつい泣きそうになってしまいました。

休日にでもコメントを読んで感じたことなどを再度追記したいな、と考えています

本当にありがとうございます

2024-04-23

男の同級生が死んだことについて

俺はそいつとは高校の時に知り合いだった。高校はそこそこ有名な進学校で、そいつ大学受験に失敗して、一浪してやっと私立大学に入った。

大学入ってからどうしてたのかは知らない。卒業してそれなりの会社に入って、数年後にヒキニートになって、それから自殺していたらしい。

同窓会でそのことを知った。今思えば、そいつは確かに社会生活に不向きだった。

発達障害なんだろうか、想定外のことがあってテンパると時折とんでもないことをしでかす傾向があった。そのせいで会社でなんかミスでもしたんだろう。

まあここから先が問題なんだが、そいつが死んだことでマイナスになるようなポイントが一つもなかったってことなんだよな。

同窓会では特に無風で終わったし、表面上は悲しむ風な素振りを見せながら、俺も含め誰もそいつの死を悼んではなかった。墓参りに行こうみたいな話も出なかった。

そいつの両親も、もちろん当初は悲しんでいたみたいだが、最終的に引越しをして、近所の悪い噂から解放された。それなりによく暮らしているんだそうだ。

男の生きづらさみたいな話題が人気になってるから思い出したことを書いた。

これが男特有の生きづらさなのかはわからないが、男が死んだところで同情も引けないし、むしろ無関心や死んでよかったって空気にすらなりがちなところは、男の無情を感じたな。

2024-04-20

anond:20240418113101

大学受験で超絶訓練して今も使うのは計算能力英語だな。あとは確率統計結構普通に使う。

その他も詳細な部分は覚えていないけれど、概念的なもの結構残ってると思う。

2024-04-18

anond:20240418113101

現状の受験勉強は長期的な忍耐力と記憶力、ルールを読み解きそれに従う性質を試すものになってるんで、そういう特性が活かせる仕事であれば価値はあるんじゃねーの

そもそも研究分析や開発職とかであれば、大学受験レベル問題が解けないとどーにもならんだろうし

anond:20240418110000

受験勉強時間ゴミ箱だよ。一切覚えてない、って誰に聞いてもそう返ってくるから

大学受験のために必死で詰め込んだ内容は、今では全く覚えてません。

……一流企業に勤めてる連中も口を揃えて言うんだから

受験勉強って、入社試験大学ネームバリューに頼りきりになってる現状の歪みをついたハックでしかない。SEO検索エンジン最適化)みたいなもんよ。

能力を測るんじゃなく代わりに肩書きを競わせるゲームのようなこと繰り返してたら、いつか破綻するぜ。今の壊れた Google 検索みたいにさ。

こういう話すると怒る人もいるとおもうけどね、だけど考えてもみてくれよ。

テストって理解度確認する検査だろ?

テスト前に一時的に詰め込んで回避するって……、それじゃテスト意味がない。不正じゃん。

若い頃の豊かな感性を、不要情報を詰め込む灰色マシーンになってドブに捨てるより、感情をフルに使えて心から楽しいと思える遊びを全力でして、恋愛もして、青春謳歌した方が、ずっといいさ。

2024-04-17

anond:20240417114231

俺は、意味がないのは分かってるけど大学受験の時に合格祈願のお守りを買ってみたし、意味がないけど毎年初詣にいくよ。たいしてめんどくさくないことなら、人間無駄なことも抵抗なくできる。

2024-04-16

「絵が上手いの、ずるい」と言われた

子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。

子どもたち「絵、うま!どうして?」

「君たちくらいのころから描き続けていたからだよ」

親「え~w最初から上手だったんだw」

最初はこの子たちより下手でしたよ~」

親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」

子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。

こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。

ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。

最近オタク文化根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)

 

というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?

 

ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。

 

初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。

幼稚園で一番好きなのは絵を描くとき

想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。

 

小学校に入ってからはつらかった。

漫画が好きで漫画をメインで描いていた。

しかし当時は

絵を描く=オタクキモイいじめていい

みたいな時代だった。それか自分学校治安が悪かったのかもしれん。

教室で絵を描いていればカースト上位にぶんどられて

「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」

である

移動教室ちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。

鉛筆や道具箱消えているし。

キャラを描いていたら

おっぱい描いてるwきっも~~~www」

だ。

しばらくして図工教室に籠もるようになった。

図工の先生だけは「上手!」ってほめてくれたから。

担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。

 

その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミク衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。

どんなに周りから馬鹿にされても描き続けていた。

同士がいることは本当に心強かったな。

 

中学に上がり、第一の衝撃があった。

絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。

マジで上手い。

な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!

ペリー来航だ!!!明治維新だ!(?)

自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。

ここで初めて自分の絵が「下手」ということを認識する。

下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。

 

そいつ鈴木とする)はまじで上手かった。

しか鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。

絵に対しての自信が違いすぎる。しかも懐もでかい

増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」

いいやつすぎる…なんだこいつ…。

こいつと一緒に絵を描いていると、下手なのが申し訳ない!!!

 

鈴木コミュ力も高くてどんどん絵描き仲間を作っていく。

私立だったからしらんけど、絵描きいじめるやつはいなかった。

しろ絵が描ける=すごいって認識だった。

 

そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。

「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」

と、好き勝手描くのではなくちゃんと人体や構図を意識して…。

鈴木コミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。

 

ここで自分の親は偏見を持たなかったのもでかかったきがする。

パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親相談した。

父親電化製品が大好きで、PC自作するタイプ人間だった。

秋葉原学生時代から足を運んでいたらしい。

父親ペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。

「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。

 

ここでアニメ絵という存在を知る。

すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。

この絵柄ジャンプとかじゃみない!かわいい

逆に渋くてかっこいいのもある!

 

イラストの描き方本がたくさんある場所も教えてもらった。

ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。

 

ますます絵を描くのが楽しくなった。

デジタル最初、まったくわからなかった。

レイヤーバケツ解像度ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?

でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。

 

中高一貫だったのでそのまま鈴木とともに高校に上がる。

このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。

美術部を差し置いてそんなそんな…。ありがたいことだった。

自分バリバリ運動部だった)

 

鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。

自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。

でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。

 

このあたりから自分は絵が上手いんだと思うようになった。

鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。

 

Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。

とあるジャンル二次創作にはまってどんどん絵を描いた。

ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?

でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。

 

大学受験が疎かになってペンタブ没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。

変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。

 

大学にはなんやかんや頑張って受かった。

……芸術系の。(美術専攻ではないが)

そう、これがやばい

 

第二の衝撃。

みんな………………絵が………………うますぎる。

え?みんな先月まで高校生だよね?

え?え?

プロじゃないの?!?!?!?!?

美術専攻でないのにこのうまさ?!?!??!!

落書き!?!?

同人誌だしている?!壁サー?!?!?

 

井の中の蛙大海を知らず。

鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。

鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)

しかネット上ではない。リアルにだ。

ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットから実感がなかったんだと思う)

 

比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分もっと下手になる。

 

改めて自分の絵を見る。

へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!

は?何が「自分は絵が上手いんだ」だ。馬鹿か。ドアホ!

クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!

恥ずかしいわ!!!!!!!!!!!!

 

みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!

でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!

息をするように神うま激うま絵が出てくる!!

 

困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラスト漫画

計5部くらい売れた。終わり。

(身内+他の島の本も全部買うタイプ富豪人間の5部)

隣接サークルボンボン売れている。

明らかに通りすがりの人の立ち止まり率が違う。

ようやく現実を突きつけられた。

自分はうまくないんだ…」

 

鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。

もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。

ありがとう鈴木。本当にいいやつだな君は。

 

 

大学時代結構つらかった。

何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。

ペンを動かしても「違うよな…」となった。

塗り方を変えてみたりした。

たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物構造は何があるかちゃん勉強した。

 

高校生まではちゃん勉強して絵を描いていなかった。

なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。

でも限界があった。

 

嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。

だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。

絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。

どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。

授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。

片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。

下手だから上手くならなきゃとただ漠然と絵を描いていた。

 

周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。

「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。

だってもっともっともっと上手い人が周りにいる。

つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?

人体通りに描けていれば上手いのか?

でもそうじゃない人もいる。

崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。

ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。

 

絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?

鈴木を超えたら終わり?

楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい

想像が目に映る形になるのがうれしい!楽しい

でも上手いってなんだろう?

 

そんな時、大学とある講義教授がこんなことを言った。

 

芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。

技術科学芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。

社会貢献という形で自己確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』

 

自己完結世界自分一人ならいいが、そうじゃない。

絵が上手い人は自分世界を持っている。

その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。

絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。

想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。

なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!

 

そのために、もっといろんなものを見よう!

せっかく芸術系大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!

他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!

そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!

それでこそ自分想像が完成する!自分勘違いで終わらせない!

という結論になった。

 

自分自身の絵を振り返って、自分の描ける絵柄を見直した。

流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメギャル塗りを極めようと絞った。

そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分100%実力が出せるように調べた。

 

大変だった。

初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。

漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。

何を描いても必ず楽しいにはならなかった。

ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。

何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。

くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。

でも、自然ペンは握っていた。

 

ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。

急にだった。どうした?

なんか漫画もすんなり描けたぞ?小説も苦じゃない。

徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。

無我夢中だったのか?

積極的コンテストに出始めたのもこのあたりだった気がする。

SNSでも反応が増え始めた。

 

大学4年になってもう一度コミティアに出た。

完売した。50部

 

え…?

え……?

え"?!?!?!?!?!?

 

しか漫画完売した。

 

は?!?!?!?!?

 

感想めっちゃくる。賞もちまちまと頂けた。

 

へ?!?!?!?!?

 

た、たどり着いたってこと?!

第三者が見ても絵が上手い人間!!!!!!

 

人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。

まらねぇ~~~!!絵描くの楽しい~~~!!!!!!

つか作るのたのしぃ~~~!!

思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分勘違いじゃない!

 

賞をいただけて、意図が伝わっている!

伝わっているってこんなにも楽しいなんて!

 

20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。

なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!

 

1つのゴールにたどり着き、次のスタートが始まった気がした。

 

 

ばーっとかいたけど、頑張ったんだな自分

「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。

どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。

 

 

「絵が上手いね。どうして?」と言われたら

「ずっと描いていたからね」と回答する。

とりあえずの最適解なんだよな。

 

でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。

 

自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。

からおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。

 

AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。

ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。

考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。

 

 

<余談>

鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。

鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。

絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。

でも鈴木には負けない自分の上手さがある。

そして鈴木に勝てない自分の下手さもある。

中学から変わっていない。

本当は親に直接言った方が良いのかもしれないけれど

いい大人になってから反抗期が来て、今年の年初から家族(・親戚全員)と一言も話したくないという状態が続いている。

両親は私を育ててくれた。教育お金をかけてくれた。でも、恨んでいることがいくつかある。まとまりがないが、自分が嫌だったことを書いていく。

両親・親戚全員が学歴

親戚

小学生の頃、勉強を習っていた親戚に言われた。

「○○ちゃん勉強の仕方が適当から東大は無理ね」

東大に入れなくてごめんなさい。実際私は勉強の仕方が適当かもしれない。でも私、東大を目指すなんて1度も言ってない。それに10歳そこそこの子供にそんな呪いをかけないでほしかった。

そして大学受験が終わったとき両親に言われた。

「親戚の言う通り、東大にはやっぱり入れなかったね。」

お父さん、お母さん、東大に入れなくてごめんなさい。でも、そもそも私は東大受験すらしていない。それに親戚も両親も誰も東大なんて出ていない。自分東大に入れていないのに、なぜ子供東大に入れると思うんだろう。

祖父母

祖父母には慶應こそが素晴らしい大学だと子供の頃から言われていた。祖父母慶應卒の芸能人のことはすごく応援している。特に幼稚舎から慶應の人のことは無条件に評価している。

「○○ちゃんは将来慶應医学部ね」

おばあちゃん慶應に入れなくてごめんなさい。でも、うちには慶應医学部に行くお金はないよね?

両親

私の両親はいつも学歴の話ばかりする。年がら年中夕飯のとき東大合格者数の話が話題に出る。名門中学の情報にも詳しい。

あなた高校、3年前と比べて偏差値が2上がって、○○高校より高くなったわよ。」

「○○高校最近進学実績が伸び悩んでいるのね。」

テレビを見ていても出演者出身大学の話ばかりしている。

私の友達の進学先や就職先も根ほり葉ほり聞かれる。

「○○ちゃんはどこの大学に行ったの?」

両親が顔も見たことのない友達の進学先を何度も何度も聞かれる。「分からない」と言うと「仲いいんだから、分からないなんてことないでしょう。」と言われる。本当に分からないのに。

「○○くんは△△銀行内定したらしいわ。」「○○ちゃんは××製薬に内定したの?すごいじゃない。」

お父さん、お母さん、ごめんなさい。私はお父さんとお母さんが望むような大学には入れなかった。キラキラした就職をすることもできない。

母に言われた。

「○○ちゃん地元公立高校から塾なしで慶応大学らしいわよ。コスパがいい人っているのね・・・。それに引き換え、うちは。これだけお金をかけてMARCHだったら目も当てられない。」

お母さん、コスパの悪い子供でごめんなさい。でも、私は子どもの時気づいたら学習塾に入っていた。中学校ときも、私は数学の塾には行かなくていいと主張していた。私がコストをかけるよう頼んだわけではない。思わず腹が立って言ってしまった。

「お母さん、コスパがいい子供っていうのは遺伝子がいいんだよ。結局遺伝子の差じゃないの?」

私は両親より学歴は劣っていない。コスパは悪いかもしれないけれど、ジェネパはそんなに悪くない。

教育虐待ぎみ

学歴厨の両親だったので、もちろん教育には本気である

ようやく歩けるようになった頃から公文式を始めて、毎日プリントを5枚解いた。それでも両親に言われた。

「○○ちゃんは1日10プリントを解くらしい。もうXXレベルなんだって。」

私は怠惰子供でごめんなさい。

公文式に加えて、小学校低学年のときから両親が買ってきた「トップクラス問題集」など高難易度問題集を解き始めた。週末に時々テストも受けた。

週末は泣きながら問題集を解いていた記憶がある。映画に連れて行ってもらったある日、両親の想像していたよりも学習の進捗が悪かったようで、めちゃくちゃ怒られて泣いた。

小学生の頃は両親によく叩かれたり蹴られたりしていた。

鍵をなくした等仕方がない理由ときもある。でも、お母さんも鍵をなくして、家の鍵をすべて交換していた記憶があるけれども。

私は挨拶をしたのに、親がそれを見ていなくて挨拶をしていないと思い込んで「挨拶しろ」とめちゃくちゃ叩かれたとか

工作教室で「AかBを作る」という指示で、私以外みんなBを作っていた中で私だけAを作っていたら「人の話を聞け」とめちゃくちゃ怒鳴られて叩かれたとか

いまだに納得のいかない理由で叩かれたことも多い。

中学受験ときのことは思い出したくない。小6の夏休みは1日中毎日家でも塾でも怒鳴られ続けて本当に辛かった。親が机を叩きながら怒鳴っているのに対して「ここのところ毎日こんな感じね」と離人症のような状態で思っていた。怒った親が机にバンバン叩きつけたせいでベコベコになった過去問勉強するのは辛かった。

結局、1番難しい学校には入れなかった。お母さん、立体図形が分からなくてごめんなさい。

中学2年生の8月下旬夏休み宿題をやっていないことがバレてめちゃくちゃ殴られて蹴られたのが最後の「教育虐待ぎみ」エピソードである

夏休みも残り2週間以上あったし、なぜそんなに怒られないといけないのか私には分からなかった。深夜にお父さんに部屋の隅まで追いかけられて顔を何発も叩かれたり殴られたりして、お腹も何度も蹴られた。

正直なところ、初潮が来るか来ないかという頃の子供のお腹を「宿題をしていない」という理由で何発も何発も蹴るのは、人間としておかしいのではないかと私は感じた。

お母さんも止めなかった。

あなたが悪い。普段優しい人は怒ると怖いから。」

お母さんはお父さんのことを「優しい」と言ったが、私には理解不能だった。気分にムラがあり「機嫌が良いときがある」というのが適切な表現である

「お前はダメ人間だ」「中学校をやめさせるぞ」「お父さんはあなたスポンサーなんだから言うことを聞きなさい」

いろいろ言われた気がする。せっかく中学受験をがんばって入った学校をやめさせられたくなかったから、そこからすぐに表面上は宿題を終わらせた気がする。

観察の課題があって、都会育ちの私は苔なんてどこに生えているのか分からなかったから、適当な苔の絵を描いて提出した。あとからネット検索したら苔のすがたは私が描いたものとは全然違っていた。

その後、殴られたり蹴られたりすることはほとんどなかったけれども、最後まで両親は私が勉強以外のことをするのを嫌がった。私の勉強以外の側面には興味がないようだった。もし勉強が得意でなかったら両親の私への愛情ゼロだっただろう。私は両親にとって勉強以外価値のない人間なのに、中途半端学歴でごめんなさい。

大人になってから教育虐待をされた子供が親を殺した滋賀佐賀事件の話を両親にした。

「うちはそんなことがなくて、優しい両親で良かったね。」と言われた。自覚がないのかと愕然とした。

「私は自分の子供に中学受験をさせたくない。」と言った。「私たちあなた勉強を強いたっていうの!」と怒って、私のいないところで泣いていたらしい。

干渉

私の両親はおまけに過干渉だった。スキンケアをしたり髪を整えたりすると「色気づきやがって」と言われた。だから、今でもおしゃれができない。

親の目の前では自分の好きな娯楽いっさいを楽しむことができなかった。親の好きなワイドショーやらクイズ番組やらを見るだけの休日

高校の初めまでは定期的に必ずケータイチェックがあり、親にLINEの友人1人1人を指さして「これは誰だ」と聞かれた。様々な閲覧履歴ファイルもすべて見られた。年賀状もすべて検閲されていた。

高校生まで私はほとんど自分の使えるお金がなく、バイト禁止されていたので、スタバにいる高校生が理解できなかった。電車に乗る距離を徒歩で移動することでなんとかお金を浮かせてブックオフ100円の本を買ったりコンビニコーヒーを買ったりするのが楽しみだった。

未だに実家に帰ると誰とどこに行って何時に帰るかを報告しなければならない。

でも、お父さん、お母さん、そこまで干渉したのに、私は小5からFC2を見て、中2から金融商品を買っていた。意味なかったですね。

最後に両親へのメッセージ

両親は私のことを育ててくれて、話していて楽しかたこともあった。教育にもたくさんお金をかけてくれた。

両親にはこれまでの人生で様々な苦労があったことも分かっている。苦労が多かったか子供への愛情の注ぎ方が分からなかったのかもしれない。それでも頑張って育ててくれたことは伝わっている。

でも、今は距離をおきたい。

今年の年初、親が能登半島地震被災者差別的発言をしたときに、もう私の心は限界を迎えてしまった。これ以上、親の言うことは一切聞くことができない。理想の子供を演じることはできないし、親孝行もできない。今の私には親の価値観が歪んでいるように感じられる。歪んだ価値観が自分に伝播するのが怖いので、親とはもう一言も話したくない。お父さん、お母さん、親不孝な子供でごめんなさい。

2024-04-15

中学受験

私立理系来てるけど中学受験したの迫害されててつらい〜〜〜〜大学受験終わって3年経ってもまだ「東大合格できると思ってたんだけどね」って言われたりしないだろ 身の丈に合わない進学校中学受験合格できちゃうとそうなるんだぞ

19歳の観測限界

公園のベンチで出会ったホームレス男性は、僕に人生について語った。「自分人生責任を持つんだ」その言葉は、当時の僕にはあまりに重く、受け入れがたいものだった。

でも、再び受験に失敗し、焦りと不安に苛まれる中で、男性言葉脳裏に蘇ってくる。大学合格という「神」を追い求めていた僕は、その「神」が姿を変えていることに気づき始めていた。

昔は、大学合格することが全てだと信じていた。それが僕の「神」だった。でも、今はその「神」の姿が変わりつつある。大学合格重要だが、それだけが人生ではない。自分選択責任を持つこと、それが新しい「神」なのかもしれない。

ホームレス男性は、その「神」の姿を教えてくれたのだ。でも、僕にはまだその真意が掴めない。男性言葉は、僕の観測限界の向こう側にある。今の僕には、まだ理解できない領域なのだ

しかし、いつかその観測限界を超えられる日が来るだろう。自分人生を歩んでいく中で、もっと世界が広がり、新しい「神」の姿が見えてくるはずだ。

19歳の今、僕は自分観測限界と向き合っている。大学受験という「神」を追い求めながらも、その先にある新しい「神」の存在気づき始めている。

観測限界の向こうに、新しい「神」が生まれようとしている。それは、自分人生責任を持つという「神」だ。今はまだぼんやりとしたイメージしかないが、いつかはっきりとその姿を捉えられる日が来るだろう。

ホームレス男性との出会いは、僕に新しい「神」の存在を教えてくれた。古い「神」が姿を変えつつあることへの哀愁は、僕の心を締め付ける。でも、それは新しい「神」が生まれ予兆なのかもしれない。

観測限界の向こうに広がる世界を、僕はこれから探求していく。 この浪人生活は、新しい「神」との出会いの始まりなのだ

幼稚園ときに親が離婚して母子家庭なんだけど

離婚した理由、「仕事で色々あったから」ってずっと母親が言ってて、まあだからお父さんとは仲悪くないんだよ〜ってことになってた

大学入るまではたまーーーーに、年に一回ぐらいの感じで母・父・自分で会うときもあって

普通にご飯とか食べて近況報告とかしてたから、離婚したのに仲悪くないんだなーって思ってた

父が仕事で失敗したから母が逃げたみたいな流れだと勝手想像してて、ちょっとお父さん可哀想だなっていう気持ちもあった

実際は離婚について今まで何も聞けなかったんだけど なんか気まずいし

こないだ母の友達に道端で会って、世間話してたら父親の話になって

会社女の子に手を出して職場におれんくなって喧嘩になった」って言ってた

何かの拍子にポロって

そうなんですよね〜って自分も知ってた体で流したんだけど

脱力感がすごかった

そんなバカみたいな理由離婚したの?って いい年した大人浮気離婚とかマジであるんだ、子供そっちのけで 自分が生まれとき二人共30歳とかじゃない?

なんか三人で会ってたのとかすごい馬鹿みたいに思えてきたわ 母親ニコニコして会ってたのもムカつく 離婚したのにわざわざまた会いに行ってるの?何しに会ってたの?

父親浮気して離婚したけど子供には会って父親しますって何?

無理無理キモいキモい いい年した大人二人がそんな話で揉めて離婚までしてんのキモいって

追記

夜中に適当に書いたせいで文章めちゃくちゃになってるね

ご指摘の通り母親は一切悪くないです

そもそも父が浮気した時点でもうどうしようもないしね 離婚するか我慢するかしかない

でもキモい、無理以外に何の感想もない 何回考えても本当にない

だって離婚した理由浮気って馬鹿じゃん 納得のいく理由だけど本当に馬鹿みたいだよ

なんか父親に対して今まで感じてた小さな不満とかもやもやがすごい明確になったんだよね

嫌味なときもあるけど仲は良い だったのが嫌いになる感じ

やたら母経由で大学受験の話してくる割に学費一切出してくれなかったこととか(結局大学院までずっと自腹だった 母に頼むのもなんか嫌だし)

数千円のお小遣いをくれるときにすごい恩着せがましいこと言ってくること(なんで小遣いもらうのにこっちが謝らないと駄目なんだ)

まあ全部お金ことなんだけどさ

こんなんだから養育費貰ってたのかどうかも分からない それも母親は私に言ってくれなかったし わざわざ聞くべきことじゃないと思ってたし

もうすぐ初任給貰えるからさあ、

なんかお父さんにはお酒でも買って渡そう、それかご飯でも奢ろうとか思ってたのにさ

こんなんじゃ渡す気なくなるじゃん

お母さんと二人でご飯行こうかな

2024-04-14

裕福な女子が余裕を持って格上受験するから医学部合格率が低い

表題のことを書き残したい。

医学部入試男性のほうが合格率が高いのは差別の結果、というのは数年前よく見かけた。上野千鶴子2019年東大入学式"祝辞"でも冒頭で以下のように触れられている。

「全国医学部調査結果を公表した文科省担当者が、こんなコメントを述べています。『男子優位の学部学科は他に見当たらず、理工系文系女子が優位な場合が多い』。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。」

しかし、慶応医学部医学科 ("祝辞"では”事件”のあった東京医科大や順天堂大と混ぜて紹介された)は、点数操作無しで合格率男女比1.37で、上野の母校である京大("祝辞"には登場しなかった)も1.27だ。こちももちろん点数操作は無い。根本的な原因が点数操作以外にあることは、文科省調査結果が出たときから明らかだった。

医学部と他学部合格率男女比が異なることへの私の説明表題の通りで、詳細に言うと以下になる。

受験者の全体平均と医学部など難関大学受験者に多い富裕層では、受験選択の傾向が異なる。富裕層女性偏差値的格上校を積極的受験するため、合格率は男性なみかそれより下になる。》

難関大学は、特に理系医学部以外でも男性のほうが合格率も高い(ことが多い)

2019年4月時点で、一般人でもweb複数年・多数の学部の男女合格率を拾えたのが早稲田 だ。

学部ごとに'13~’18年の6年間の一般入試合格率男女比平均値を出すと

政経0.92, 法学0.97, 文化構想0.94, 文学1.03, 教育1.02, 商学1.22, 社会科学1.22, 人間科学1.20, 基幹理工1.47, 創造理工1.17, 先端理工1.57

となる。文系は男女拮抗が多いが、理工系3学部男性のほうが合格率でもはっきりと高い。

女子枠創設が話題('24年春時点)の京大理系は、‘22年、’23年の合格率男女比が理学部で1.55、1.79、工学部で1.38、1.29となかなかの値だ。

'23年の教育学部(理)も合格率比0.45とすごい値だが、ここは約10名という定員数の影響が大きいだろう。

裕福な家庭の女子学生には余裕がある(?)

 

学部日本大学全体の平均を見ると文系理系女性のほうが合格率が高く (あるいは男女拮抗)、難関大学では男性合格率が高いなら、普通大学難関大学では合格率の男女比がはっきり違うことになる。

よく知られているように難関大学学生受験生の学力面以外での特徴は、経済的に余裕がある割合が高いこと。大学受験で難関大とフツーの大学で違う、はだいたい、リッチ受験生とフツーの受験生の行動が違う、になる。

リッチでそこそこ以上に成績が良い高校生が難関大を挑戦的受験するときは、都市部の中堅以上の私大を滑り止めにしていることが多い。

また、滑り止め大学受験・進学が容易な富裕層大都市居住者女性大学進学率が男性並みか、それ以上で、日本大学受験生の全体平均、ましてや就職コースを含む高校生の全国平均とは状況が大きく異なる。

富裕層女子学生でも進学についてのプレッシャーが強い、とも言えそうだが、"祝辞"では

女子学生浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります

と言ってこれが絶賛されたのだから、フツーは買えない余裕を高い家庭経済力で買っている、という認識が良いのだろう。

たぶん、都市から地方への進学がカギの一つになっている

逆転に至るさらなる要因として、都市から地方大への進学者数が男女で大きく異なることが挙げられる。例えば以下の調査結果

ttps://www.ipss.go.jp/publication/e/jinkomon/pdf/19823104.pdf

都市から地方公立大に進学する動機で大きいのは、一人暮らしをしたい・学費を低く抑えたい、だろう。男性理系との相性がいい。

女性が格上大学記念受験する傍らで男性都市部から地方に進学すると、男性の難関大合格率が相対的に上がる。

社会学徒的には初歩の初歩?

詳細な検討にはデータ (滑り止めと、進学実績水増しのための多数校受験区別とか) が足りない。

しかし書いていて、家庭経済力の差・都市地方における滑り止め確保のコスト差・男女の自主的な行動の違い、が組み合わさって自然難関大学では女性合格率が下がる、というのはむしろ社会学の知見としては当然の結果に思えた。

ただ、そう明記しているものを見つけられなかった。

難関大学における女性学生や志望者の少なさを問題視する論文はすぐ見つかるが、一般社会では数年前に問題視され、"祝辞”でも触れられるくらい話題になっていた合格率は、あまりアカデミック社会学では考察対象になっていないようだ。

かに、人気になれば下がる合格率にやっきになるほうがおかしい。しかし、余計な男女分断を避けるためにもそう言ってくれれば、文科省も何年も調査しなかっただろうとも思う。せっかくなので、ここに書き残しておく。

借金やきついバイトをさせないのは性差別” と上野千鶴子に言われたくない

あの"祝辞"は冒頭の後、こう続く。

2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。『息子は大学まで、娘は短大まで』でよいと考える親の性差別の結果です。」

原因がやはり家庭経済状況と、それへの対処の男女差に要因があることは明白だろう。例えば2014年に発表された調査では、奨学金借金している割合男性理系50%、女性理系46%、男性文系44%、女性文系41%だった。

学生数は男性が文:理 =約1:1、女性が同4:1なので、調査結果の数字を当てはめると借金率男女差は約5ポイントとなる。そして借金だけでなく、きついバイト貧乏生活、長距離通学など、大学進学の金銭面をどうにかするのは基本、男性のほうが適性がある。

借金などムチャをして進学できるのは男性有利な構造があるため、と主張はできる。ただ男性のムチャの動機は、自分より高所得パートナーを得るルートが無い、社会保障も届かない、という要素が強い。

エリート女の泣き所はエリートしか愛せないってこと、主夫 (ハウスハズバンド) を養うなんて現実的じゃない」

という上野本人の有名な言葉が、そしてこの発言をした上野がこの「祝辞」を述べる栄誉を与えられ、なおかつ今も権威として君臨している現実が、男性女性よりも進学や労働でムチャをする理由、ムチャせざるを得ない原因を端的に示している。
一方でそれらのムチャは、よく死ぬ(もちろん同じルート突入たからには男女問わず)、という副作用と、それでもそれがマシ、というつらい現実を伴っている。

上野の主張は、彼女ほど親の経済的援助(大学近くに住居を準備し、かつ博士課程修了までの学費生活費も支える)に恵まれていない子と、そこまではできない親の苦労と苦悩を無視している。また大学進学以外のキャリア視野に入っていない点でも同じ傾向で多様性を欠いている。

そして、大学進学率の低さを解決するために非エリート家庭への経済的支援模索するのではなく、エリート女性を含む女性全体に対する性差別解決せよと主張するのは、自らの指導地位を利用して非エリート女性被害者性を奪う行為だ。

他人の苦難に親身になるのは素晴らしいが、"彼女たちは苦労させられている" を "私たちは苦労させられている" に変換して他者非難し、自己権益を主張する行為を、私は当時も今も好きになれそうにない。

2024-04-02

大学に入れないと人生落伍するんだから大学受験なんてルール撤廃すべき

そんなルールひとつで人一人の人生を潰していいわけがない

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