はてなキーワード: 大吉とは
でも駄目だった物を
で出来るわけ無いだろ。
キャイ~ンのウド鈴木枠だけは埋まってるけどそれ以外は全員実力不足じゃん。
あと数名爆発力無いと無理だけど、かまいたちは器用貧乏、ニューヨークは自覚している位置ここじゃない感、見取り図の見た目に合わない小爆発、意外と普通のモグライダーじゃどうしようもないし、何よりこのメンバー全員自主的に回すより回されるのに慣れた面子だからすぐグダグダになる。
華丸大吉と千鳥レベルが適任なのにフジで無駄遣いされてしまってとても残念だがこの二組はNHKとテレ朝で満足しきっているのでもう無理。というよりこのライン連れてこれなかったのになぜ企画進んだのだろうか。渋谷の女子高生にしかアンケートしなかったのか?
で、その次の日もさ、まだ職員旅行は続いてたんだよ。今日の予定は、バスで観光地を巡るツアーみたいな感じだった。俺、お姉さん先輩、メガネくん、そして派遣のおっさんも一緒にバスに乗ってさ。
最初に行ったのは、めちゃくちゃ古い神社。お姉さん先輩が「ここのおみくじ、当たるらしいよ」って言って、俺らもおみくじ引いたんだ。俺は「大吉」、めちゃ嬉しかったわ。メガネくんも「中吉」で、お姉さん先輩も「吉」。でも、派遣のおっさん、何と「大凶」って出てきてさ。
おっさん、すごい不機嫌になって、「こんなもん信じない!」って言ってた。俺ら、ちょっと笑っちゃってさ。
次に行ったのは、海沿いのレストランで昼食。ここでさ、メガネくんがずっとカメラを持って写真を撮ってたんだ。「写真、趣味なの?」って聞いたら、めちゃくちゃ熱く語り始めて、実はすごいカメラマニアだってことが判明。
派遣のおっさんも少し機嫌が直って、カニ料理に舌鼓。お姉さん先輩と話も弾んでた。
で、最後に行ったのは港町の小さなマーケット。ここでお土産を買って、バスに戻ることに。ただ、派遣のおっさんが何故か消えててさ。
バスの出発時間が迫ってるのに、おっさんが見当たらない。俺とメガネくんが探しに行ったら、なんとおっさん、地元のおっちゃんたちと釣りをしてるんだよ。
「何やってんだよ!」って言ったら、おっさん「ここで一生過ごす!」って冗談交じりに言ってた。結局、無事にバスに戻って、旅館に向かった。
旅館に戻って、最後の夜は打ち上げみたいな感じで宴会が開かれた。派遣のおっさんも、なんだかんだで楽しんでたし、メガネくんはカメラで写真を撮りまくってた。
この職員旅行で、いろんな一面を見れて、みんなとの絆が深まった気がする。派遣のおっさんも、普段は節約家だけど、ちょっと面白いやつだった。
最後に、みんなで記念写真を撮って、旅行は終わり。もう、めちゃくちゃ楽しかったわ。これからもこんな感じで仲良くやっていきたいもんだよな。
W不倫当事者の娘(今はOL)と、息子(高校生)が、なんやかんやで過去をのりこえて付き合うことになる話
いっちまえばただそれだけではある
OLが不倫した母親に会いに行くとこは、大吉がうさぎドロップの母親に会いに行くシーン思い出したなー
でも前作・子供はわかってあげないと違ってドロドロしてるのはどうしても避けられないから、そういう言葉も出てくる
あとがきマンガで作者自身も終わりが見えてなかったっつってたけど、そのせいもあってか、前作よりもまとまりは無い
2巻程度でおさめられたと思う
ただ作者自身も悩んだからこそこういうオチを付けられたのかなとも思うから難しい気もする
読んで損をしたとは思わないけど、ずれた感想いっちゃうとイケメンと美少女、きれい・かわいい人しか出てこないのがやっぱ微妙だなとは思う
作者女だしフィクションでまブスみたくないしブスだったらお話にならないからってのはあるだろうけど
うーん・・・つまらなくなくはなかったんだけど、純粋に面白い面白くないというもんでもなかった
やっぱドロドロ缶きになるから、前作よりも人を選ぶようにはなっちゃってるしなー
うーん・・・あ、作中にちょいちょい出てくる料理が結構おいしそうだなとは思った
年の差っていうと恋のツキとか思い出すな―
あれより生々しさはないけど
くっつくとこまでで作者の精いっぱいって感じでこの二人の今後がリアルに想像できない感じ
ここで終わってる感じ
お題「墨田区」
そしたらなんか観光客がめちゃくちゃいっぱいで、賑わってるんです。
で、よく見たらなんか看板が立ってて、「スカイツリー入場券10%引き」とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、10%引き如きで普段来てない墨田区に来てんじゃねーよ、ボケが。
10%だよ、10%。
なんかカップルとかもいるし。デートで墨田区か。おめでてーな。
よーし彼氏、展望デッキ行こうねー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、10%やるからその席空けろと。
路地裏の昔ながらの商店とか、古い神社とか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。観光客は、すっこんでろ。
で、やっと静かな場所にたどり着いたかと思ったら、隣の奴が、「雷門のおみくじ引いたら大吉だった!」とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
お前は本当に運試ししたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
墨田区通の俺から言わせてもらえば今、墨田区通の間での最新流行はやっぱり、
地元の人気店を回って飲んだくれる。これが通の楽しみ方。
大吉だったんだけどどうしよう
「おみくじ」っていうのは、その人間の運勢を示すテスターみたいなものじゃないの?
科学実験で、実験器具に対して「良い結果が出ますように」とは願わないわけで、
それと同じ意味で、おみくじを引く前の「大吉」を求める祈りに意味不明さを感じる。
その祈りが通じて、実際には「大凶」な一年が始まるのに、おみくじで「大吉」が出てしまった、
みたいなシチュエーションを考えてみれば、その「大吉」を求める祈りには、何の意味もないことがわかるだろう。
だから、幸運を願う祈りはおみくじの前に済ませておき、おみくじを引く際は、「大吉」を願うのではなく、
テスターとしての精度が高いこと(今年一年の運勢を適切に示し、そのアドバイスが今年の運命を切り開いていくものとなること)を願ったほうがよいと思う。
そして、そのおみくじを本当に信じているのであれば、枯れ木に結んで、その記載内容を気分よく忘れてしまうのではなく、
持ち帰って机の前にでも貼っておき、そのアドバイスを毎日気にしながら生きていくべきだろう。
それぐらい活用すれば、おみくじの100円は十分元が取れると思う。
元旦だけ神に願えば、一年ずっと守ってくれるってほど、神も寛容ではないだろうから、毎日、そのおみくじを前に神の加護を願ったら良いのではないのだろうか。
⛩🚶🚶♂️🚶♀️🚶🚶♂️🚶♀️)))
どんな願いも叶うらしいよ!
お気軽にどうぞ
【由来】
2006年に、ある増田が資産運用でFIREに成功し、増田の地に創建
【ご祭神】
増田大明神。通称「増神さま(ますがみさま)」として慕われています
【ご利益】
縁結び・転職成功・ブクマ増加・色星獲得・下痢防止・その他なんでも
【お守り】
カラースターがお守りです。ここで買ってください https://www.hatena.ne.jp/shop/star
【参拝の方法】
ブコメかトラバでお願いごとを伝えましょう。ブクマだけでもご利益があります
【ご食事のご案内】
【アクセス・参拝料】
スマホ・PC等で徒歩0分、入場無料(通信量はご負担ください)
【よくある質問】
・参拝時の服装は?→ユニクロやGU、ワークマンがおすすめです
・会社に神棚を建てたい→増田信仰は匿名が基本。自宅に飾りましょう
ブクマやコメントくださった皆さんありがとう。ひとつひとつ大切に読ませてもらっています。
この日記は、コロナ前の2018-2019年。妊娠&出産したとき書き殴っていたメモがスマホから発掘されまして、削除するのも勿体なかったためここに放流させてもらいました。
あれから我が子はもう3歳になっており、毎日元気にすごしています。(「うちの子と同じくらい!」とコメントくださった方ごめんな...)
・妊娠しているのが判明したとき母親になる実感とか覚悟とか全然なかった。子供は嫌いじゃないけど自分が育てるとなると。。不安と恐怖ばかり。
・仕事や趣味もいっぱいやり残した事あったし、まだもう少し夫と恋人同士でいたかった。でもまあ…40前にもなって結局大成もせず何者にもなれない人生だったが、どうやら母親にはなれそう。か。
・妊娠8wかな。心音確認後、母子手帳交付へ。保健センターは大勢の妊婦さんでいっぱい。つわりが始まりかけていたので、しんどかった。
・エコー写真は相変わらず宇宙人みたいなウネウネ。その得体の知れない存在が怖かった。母としての実感なし。
・空腹が気持ち悪い...かといって何か食べても気持ち悪くて吐いてしまう。。
・つわりの酷かった時期の全てがトラウマに。当時よく食べてた物、よく行ってたスーパー、トイレの芳香剤の香り、よく聴いてた音楽までも…思い浮かべるだけで気持ち悪いよだれが口いっぱいに湧いてきて軽くえづく。
・食材のにおいや鍋の熱気などが気持ち悪くて台所に立てなくなり、以来ずうっと現在に至るまで夫が料理を作ってくれている。。夫は元々料理が趣味だからと快く引き受けてくれている。掃除洗濯皿洗いが私、買い出しと料理が夫。役割分担をしてちゃんとやってるのに、料理をしないことに罪悪感がある。
・15w頃。高齢出産のため出生前検査を受ける。何かしら障害があるのなら生まない選択をするつもりだった...が、容易いことではない。だって、あんな元気な心音を聞かされて、くるくるよく動き回る胎児の姿を見たら。
・18w 結果がわかる。異常なし。いくで!ようやく決心がついた。このあたりから母性と覚悟が座ってきた。
・22w頃。エコーでの最終検査もまったく異常なし。元気な男の子と判明。
・妊娠糖尿病に引っかかる。。1日5回の血糖値測定、毎食の記録、週1糖尿病内科への通院を義務付けられる。
・お腹が大きくなってきた頃、夫以外の男性に生理的嫌悪。道の向かいから男性が歩いてきたら回り道をする、レジ係の男性、会社の同僚と目が合うのも嫌。体の表面が警戒心という電気でビリビリ覆われている感じ。
・妊娠中期〜(産後半年まで続いた)はホルモンバランスのせいか感情過多&涙もろくなる。
・母親学級にて、先生が朗読したポエム「わたしがあなたを選びました」で、おんおん号泣。
・TV番組「ワイルドライフ 野生動物のリアル」産卵終えたばかりで弱っている母ウミガメをバリバリ食うヒョウ。むご過ぎて号泣。
・エコー越しの赤ちゃんが、ただ、ただ、可愛くて愛おしすぎて号泣「可愛い」って感情だけでここまで泣けるものなんだな。
・出産予定日に検診。胎動カウントを聞かれ「そういえば昨晩からあまり動いてないんですよね」と伝えたら即日入院になった。臨月は胎動が落ち着いてくるとか聞いてたから特に気にしてなかったがあかんかったのか。。内診エコーNSTの結果、いまのとこ緊急性はないけど予定日だし促進剤いれてもう産んじゃいましょうって。
・翌朝破水、陣痛はじまる。なんかおかしい...なんか異変を感じるんです看護師さん...→ヘイヘイ赤ちゃん心拍弱ってる〜→緊急帝王切開の流れ。
・硬膜外麻酔で大暴れしてごめんなさい。。陣痛よりも背中に刺す麻酔が1番痛い&恐怖だった…
・感覚のない下半身は、長時間雪遊びしたあとのジーンと痺れる感じに似てた。
・ずっとお腹の辺りでカチャカチャすること約30分後、赤ちゃんの鳴き声。生まれましたよ!と同時、胸元にドサッと生暖かい肉塊を置かれたのを感じた。カンガルーケアってやつ?シートで阻まれ姿がよくみえないうちに連れ去られたw
・術後、朦朧として「お腹の上に乗せてる重り?文鎮ですか?をどかして下さい」と言った。重いと感じていたものは文鎮ではなく、どうやら傷の痛みだったらしい。
・術後の姿を見て「難産だったね…」と義母に同情されたが、赤ちゃんが無事健康に産まれてきたのなら安産だと思う(思ってた。。)のでそう答えた。
・腹の傷の痛みがとにかくつら過ぎた。腹筋どこいった?て感じで腹に力が入らない。あと、傷口にブッ刺さった2本のチューブから出血を溜める小さなボトルがぶら下がってる。トマトジュースのように濁った体液が常にタポタポしてて気持ち悪かった…
・縦に走った傷跡にはホチキスの芯がびっしりと。抜糸はそれを一本一本抜いてく。「陰毛を抜く程度の痛み」とネットで事前に知れたので、恐怖はそれほどでも。
・術後のガスがなかなか出てくれなかったので、入院食はずっと五分粥。お祝い膳をすごく楽しみにしてたが結局出てこなかった…ものすごく豪華で美味しいと評判の産院だったので残念。。
・術後のガス出ない。。お腹はガスでパンパン膨れ、とても産後に見えない大きさw傷口が開きそうで怖くなる。歩くのも苦痛。ガス出すために下剤飲まされたり浣腸されたが無駄だった…肛門ボロボロいぼ痔悪化…。ネットで調べたオナラ体操が一番効いたかな。体をひねってなんとか出した。
・「赤ちゃんと一緒にがんばりましょう♪」という通常分娩を前提としたイメージトレーニングを受け続けてきたせいだろう。緊急帝王切開となり「ちゃんと産めなかった」みたいな負い目がずっとある。泣きたくなる。「出産頑張ったね、大変だったね」の声に紛れて、実母が「この子はラクして産んだから〜」と親戚に話してるのが聞こえて悲しかった。
・産後翌日。保育器に入り色んな管に繋がれた我が子と対面。こんなに可愛い子が胎便漏らすほどお腹の中で苦しんでたなんて...可愛さといたましさに保育器の前で体をくの字に曲げおんおん号泣。異様な姿だったと思う。
・産後すぐ姉や友人たちに送ったメールを読み返すと、出産時の様子を生々しく熱っぽく報告してあって、テンションが二郎レポのそれだった。以上、レポっす!!ってやつ。
・産後すぐ、実母がすごく嫌だった。帝王切開はラクなお産発言とか母乳足りてないんじゃないのとしつこかった。マルチ商品みたいな怪しいドリンク持ってくるし。
・実父が「自分に似てる」と言うのが心底嫌だった。授乳する時思い出しては最悪。。
・ 実家は狭いうえ底冷えがひどく、両親が高齢なのもあり頼れないなと思ってたから里には帰らなかった。かといって、赤ちゃんとの暮らしなんて想像もつかないし実際体験してみないとわからない事だらけだ。退院後すぐ自宅育児が出来る自信がなかったので、産後ケア施設に2週間入所することにした。
・24時間助産師さんのもと赤ちゃんと2人の生活を監修して貰えるのはありがたいと思う。自宅育児が始まる前に、赤ちゃんと実生活しながら育児に必要な細々としたものを揃えていき(夜な夜なAmazonポチポチ)、日々のお世話の仕方をしっかり身につけられてあんしんできた。母乳の状態もみてもらえるし、疲れたら助産師さんに子を預けて休息をとれるし、栄養ボリュームたっぷりな1日3回の食事、おやつ、マッサージと至れり尽くせり。お金があれば、ずうっと入所してたいくらいだった。。。
・2週間、夫は毎日来てくれた。夕食の18時から2時間ほど親子3人で過ごした。たまに夕食を持ち込んで一緒に食べたり。面会終了時間までベッドで横になり、初めて3人一緒に眠ったり。嬉しくて幸せで貴重な時間だった。赤ちゃんの名前はこの時に2人で決めた。
・施設を退所して自宅育児開始。産後0ヶ月は壮絶だった。。赤ちゃんは1日のほとんど寝るか泣くかの繰り返し。愛おしい我が子なのに理由のわからないギャン泣きは異生物感凄くて、正直ギブつって放って逃げ出したかった。独身時代の自由気ままな暮らしに戻りたくてたまらなかった。産後はもっとこう、母性が芽生えて無限の愛に溢れたキラキラママへ自動的になれるものだと思ってたのに。なれない自分に自己嫌悪したり。
・止まないギャン泣き。途方にくれる。リビングが精神と時の部屋化する。
・おっぱい咥えてる間は泣かない、咥えたいだけそうさせればギャン泣きしない。解決!
・産後1〜2ヶ月頃。夢を見るが不思議と我が子は出てこない。一度だけ、仕事もバリバリやってスタイリッシュなオフィス、魅力的な同僚に甘酸っぱい恋、うんとオシャレして素敵なレストランでワインを飲んで…というコテコテの月9かよみたいな世界観の夢みて、まじでどんな悪夢よりもきついものがあった。だって自分には決してもう有り得ないんだもの。
・我が子はものすごく可愛いし毎日幸せでたまらん…のに、退屈で死にそうになる事がある。
・開き直るようになった。これまでは、電話が取れなかったりメールの返事が遅れる自分をだめなやつだと責めてたけど、今では「だって育児してるんだもーんしょうがないでしょ」と。
・お洒落しなくなった。白髪増えていくのにそのまま、化粧も適当、服買わない、身なりに興味なし。
・人とうまく喋れない。言葉がでてこない。話し相手は夫だけ。それも生活上必要最低限の会話だけ。
・自宅育児初日のこと。「沐浴はどうしようか...」となり、とりあえず沐浴マットを敷いたシンクに横たわらせシャワーをジャーっと…したっけ大号泣よ。洗剤スポンジ置く鉄網?を、ちっちゃな手で力一杯握りしめながら怯え泣いている姿を見てハッと我に返った。赤ちゃんをお皿や食材みたいに洗っちゃいかん、これはいかん、わしら何てことをしてしまったんや(寒かっただろうしね…)それ以降は湯舟に一緒に浸かるスタイルで安定。
・母親学級で習った「怒責感(どせきかん)」という言葉が流行る。うんこしたい時の合言葉になった。
(使用例:「怒責感が…」と言ってそそくさとトイレへ立つ。怒責(どせき)ってきた。など)
・オムツ替えは、うんちの回数が多くまぁ進んでやりたいような楽しい作業ではないのもあり、そこでちょっとワクワク感を加えようという思いもあって、うんち量が多いほど小吉〜中吉、うんちがオムツからはみ出したら大吉といううんち占いを
・自宅にて家族3人ようやく念願の川の字になるが、我が子ピンポイントで夫の股間を蹴るため、PK時のサッカー選手みたいなポーズで就寝する夫。
・イベント化する選挙。夫婦2人だった頃の生活上には「投票に行く」なんて一度もなかったが、いまでは選挙があるたび散歩がてら家族揃って投票所へ足を運ぶようになった。
・産後1ヶ月あたりからずーーーっと手首痛い。抱っこが苦痛。おむつ替えのとき、赤ちゃんの蹴りが手首にちょっと当たっただけで痛みにうずくまって泣いた。
・整形外科通院。手首の腱鞘炎に注射。むちゃくちゃ恐怖だったが、硬膜外麻酔よりマシ...!と脳内で繰り返し唱えて耐えた。手首への注射はすんごく不思議ななんともいえん新感覚な感触。。ポクン!て鳴った。
・痛みが緩和されるのはほんの数日。根治治療にはならないのと、あと注射の効きにムラがある。。注射後かえって痛くなる日もあった。
・やたらとオナラがでるんだが。。。
・首、肩、手首、乳首がボロボロ。。首という首がやられる。(足首だけが無事)
・妊娠中20kg近く太り、産後1ヶ月で10kg痩せたが残り10kgェ…
・産後すぐの授乳指導で、助産師さんがおっぱいのあげ方を「手に乗せたハンバーグを差し出すように」と表現したのだが、いまだにイメージがわかない。もしかして単に聞き間違いだったのかな。。
・母乳が壊れた蛇口のようにビャービャー出る。我が子の顔や頭にまき散らして笑ってしまった。
・紐の扱いが天才的にうまいw いつのまにかヒュヒュッと絡め取ってる(見ないで取ることも)胎内で臍の緒で遊んでた名残とも言うがはてさて...。
・新生児期、ミルクあげると両手を胸元でキュッと寄せるぶりっ子ポーズをしたり、ゲップ出しで背中とんとんする際、酔っ払いみたくクッタリする姿がほんと可愛くて。
・いつ見てもホコリや垢を握りしめている。
・布類を顔にかぶせたがる。洗濯物に埋もれていることが多々ある。
・「THIS IS IT」のポーズで大喜びしてくれる。
・たっちができる頃には組み手、歩けるようになったらぶつかり稽古の相手をしている。
・突進してきては抱きついて私の着ている服で口や手を拭ってゆく。
・夜中寝ているとき、ちゃんと生きているのか不安になって呼吸や鼓動を確認する。
実母との関係を心配されているようでしたが関係は至って良好です。母は人から褒められたり持ち上げられると、つい自分sage身内sageをしてしまう性格に加え、母自身もあの頃は孫ハイになっていて深く考えず発言していたんだと思います。実父に対してはほんと理不尽だったなと反省...。
超個人差があると思いますが、ガルガル期、いま振り返ると自分でも異常なほど攻撃的でした。人が変わったように感じることがあるでしょうが一時的なものですので安心してくださいね。