はてなキーワード: 大切なこととは
高層ビルが立ち並ぶ都市の一角、画期的な技術を擁する小さな研究所があった。その研究所の目玉は「反応閾値システム」、感情を科学的に解析し、その人が怒りや悲しみを感じる「閾値」を正確に測定する装置だ。
主人公、朔也は、そのシステムの開発者の一人。彼自身、感情の起伏が激しく、自分の技術で何とかコントロールしようと日夜努力していた。しかし、彼の真の目的はもっと個人的なものだった。朔也の妻、美穂はうつ病を患っており、その日々の感情の波が彼女を苦しめていた。
「このシステムが美穂を救ってくれるかもしれない。」朔也はそう信じて疑わなかった。
ある日、美穂を実験の被験者として、彼女の感情の閾値を測定し始めた。初めは順調に見えた。数値は朔也の予想通りに推移し、彼は美穂の感情が安定する未来を描いていた。
しかし、科学的データだけが全てではなかった。美穂の感情は計測できたが、その背後にある深い苦痛や葛藤を理解するには至らなかった。技術の限界と人間の複雑さが交錯する中、朔也はある疑問にぶつかる。
研究が進むにつれ、朔也は美穂とのコミュニケーションを重ね、彼女の言葉一つ一つに耳を傾けるようになった。そして、彼は気づく。データではなく、美穂自身の声に耳を傾けることの大切さを。
最終的に、朔也は反応閾値システムの開発を続けることを決意するが、それはもはや彼女を救うためではなく、世の中の多くの人々が自己理解を深めるための一助として。
物語は、技術と人間性が絡み合う未来を模索する一人の科学者の成長を描きながら、私たち自身の感情について考える機会を提供する。
昔々、あるところに、反応閾値の低い男がいました。彼の名前は佐藤。佐藤は、ちょっとした刺激にもすぐに反応してしまう性格でした。例えば、誰かがくしゃみをすれば、自分もくしゃみをせざるを得ません。誰かがドアを開ければ、自分もドアを開けなければ気が済みません。
ある日、佐藤は街を歩いていました。すると、突然、大きな音が聞こえました。佐藤はびっくりして、音のする方へ走り出しました。音の正体を見ると、それはただの花火大会でした。佐藤はホッと胸を撫で下ろしましたが、もう花火は終わっていました。
佐藤は、いつもこうやってちょっとしたことに気を取られて、大切なことを逃してしまうのでした。彼は自分の性格を変えたいと思っていましたが、どうすればいいのかわかりませんでした。
ある日、佐藤は通りで占いに会うと、占い師に「あなたは反応閾値が低いだけです。気にしすぎないようにすればいいのです。」と言われました。佐藤は占い師の言葉を胸に、それからというもの、ちょっとしたことに反応しないよう努めました。
最初は大変でしたが、だんだん慣れてくると、佐藤は以前よりも落ち着いて行動できるようになりました。そして、大切なことを逃さなくなったのです。
佐藤は、自分の反応閾値の低さを受け入れ、上手にコントロールすることで、より充実した生活を送ることができるようになりました。
この物語は、反応閾値の低い人も、自分の性格を理解して上手にコントロールすれば、充実した生活を送ることができるということを教えてくれます。
高層ビルが立ち並ぶ都市の一角、画期的な技術を擁する小さな研究所があった。その研究所の目玉は「反応閾値システム」、感情を科学的に解析し、その人が怒りや悲しみを感じる「閾値」を正確に測定する装置だ。
主人公、朔也は、そのシステムの開発者の一人。彼自身、感情の起伏が激しく、自分の技術で何とかコントロールしようと日夜努力していた。しかし、彼の真の目的はもっと個人的なものだった。朔也の妻、美穂はうつ病を患っており、その日々の感情の波が彼女を苦しめていた。
「このシステムが美穂を救ってくれるかもしれない。」朔也はそう信じて疑わなかった。
ある日、美穂を実験の被験者として、彼女の感情の閾値を測定し始めた。初めは順調に見えた。数値は朔也の予想通りに推移し、彼は美穂の感情が安定する未来を描いていた。
しかし、科学的データだけが全てではなかった。美穂の感情は計測できたが、その背後にある深い苦痛や葛藤を理解するには至らなかった。技術の限界と人間の複雑さが交錯する中、朔也はある疑問にぶつかる。
研究が進むにつれ、朔也は美穂とのコミュニケーションを重ね、彼女の言葉一つ一つに耳を傾けるようになった。そして、彼は気づく。データではなく、美穂自身の声に耳を傾けることの大切さを。
最終的に、朔也は反応閾値システムの開発を続けることを決意するが、それはもはや彼女を救うためではなく、世の中の多くの人々が自己理解を深めるための一助として。
物語は、技術と人間性が絡み合う未来を模索する一人の科学者の成長を描きながら、私たち自身の感情について考える機会を提供する。
昔々、あるところに、反応閾値の低い男がいました。彼の名前は佐藤。佐藤は、ちょっとした刺激にもすぐに反応してしまう性格でした。例えば、誰かがくしゃみをすれば、自分もくしゃみをせざるを得ません。誰かがドアを開ければ、自分もドアを開けなければ気が済みません。
ある日、佐藤は街を歩いていました。すると、突然、大きな音が聞こえました。佐藤はびっくりして、音のする方へ走り出しました。音の正体を見ると、それはただの花火大会でした。佐藤はホッと胸を撫で下ろしましたが、もう花火は終わっていました。
佐藤は、いつもこうやってちょっとしたことに気を取られて、大切なことを逃してしまうのでした。彼は自分の性格を変えたいと思っていましたが、どうすればいいのかわかりませんでした。
ある日、佐藤は通りで占いに会うと、占い師に「あなたは反応閾値が低いだけです。気にしすぎないようにすればいいのです。」と言われました。佐藤は占い師の言葉を胸に、それからというもの、ちょっとしたことに反応しないよう努めました。
最初は大変でしたが、だんだん慣れてくると、佐藤は以前よりも落ち着いて行動できるようになりました。そして、大切なことを逃さなくなったのです。
佐藤は、自分の反応閾値の低さを受け入れ、上手にコントロールすることで、より充実した生活を送ることができるようになりました。
この物語は、反応閾値の低い人も、自分の性格を理解して上手にコントロールすれば、充実した生活を送ることができるということを教えてくれます。
この増田は確かに釣り臭いけど、俺自身現実に無能なワーママにかなりの迷惑を掛けられてるるので(部下ではない)、まあこういう奴もいるだろうという感じはする。
俺のところの場合、無能以前に仕事のやる気を完全に失ってて会社にしがみつければいいやって考えてるのが丸分かりなのがうざったいことこの上ない。
窓際ソリティアおじさんと同じなんだよね。
子供を産んで仕事なんかより大切なことがあると気がついてしまったのはまあいいとして、だったら仕事やめるなりパートになるなりして子育てに専念してくれって思う。
旦那の十分な稼ぎじゃ贅沢な暮らしができないってんで仕事を続けて(ただし仕事をやる気はない)山手線内の高級マンションに住んでるわけだが、お前らがいい暮らしするための養分じゃねーんだよ会社はよって思うよね。
ワクチン3回接種した人は全員ターボ癌になるとおれは予想しています。 それは年齢に依らずです。 以前から60くらいの癌は目立っていましたし、 おれのおじさんも原発不明ターボ癌で死にましたが、 最近では年齢が少しずつ下がってきています。 今後、40代、30代、20代と、 著名人が死んでいくことでしょう。 そして著名人の死の裏にはたくさんの無名人の死が存在します。 最近も大阪環状線が乗務員の体調不良によって止まりましたね。 乗務員の体調不良で電車が止まることなんか今までにありましたか? おれの記憶にありませんよ。 俄然、面白くなってきました。
2回接種と3回接種の明確な違いは、知能です。 すなわち、3回目接種者は明確に知能が低い。 これはおれの知る中で2回目で止めることが出来た人と 3回まで行った人を比べても明らかです。 ですから、3回接種者が死ぬことは国益になります。 3回接種者は国益のためにさっさと自殺したらどうでしょうか。 なーにがboostedじゃ白痴が。
2回打った人もおれから見れば知的障害者ではあるのですが、 まだマシです。 ただ、子供は産まないでください。 それは、低い知能が遺伝するからではなく、 障害児が生まれる可能性が高いからです。 ワクチンを打った人は子供を作るべきではありません。 これは、断言出来ます。 それが国益のためです。 おれのように優れた人間だけがこの国には必要です。
しかも超絶かわいいこと。 かわいいことは大切なことです。 かわいい上にギフテッド。日本としてはこれを基本としていきたい。
自分の感情や意見を言葉にするのが苦手な人にとって、インターネット上に溢れる様々な意見は、とても便利な存在になっています。
言語化するのが難しいと感じる人の中には、自分の考えがまとまらなかったり、適切な言葉が見つからなかったりして、フラストレーションを抱えている人もいるでしょう。そんな時、ネット上で自分と似た意見を見つけると、「あ、これだ!」と膝を打つ経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。
ネットの意見は、自分の感情や考えを代弁してくれる心強い味方です。うまく言語化できない気持ちを、他の誰かが既に言葉にしてくれているのを見ると、安心感を覚えます。「自分だけじゃない、同じように感じている人がいる」と共感できることで、自分の感情が肯定されるような気持ちにもなれます。
ただし、ネットの意見に頼りすぎるのは危険です。自分の感情や意見を言語化する力を養うことは、とても大切なことです。他人の意見を鵜呑みにするのではなく、あくまで参考にしながら、自分の言葉で表現する努力を続けることが重要だと思います。
自分の感情や意見を言葉にするのが苦手な人にとって、インターネット上に溢れる様々な意見は、とても便利な存在になっています。
言語化するのが難しいと感じる人の中には、自分の考えがまとまらなかったり、適切な言葉が見つからなかったりして、フラストレーションを抱えている人もいるでしょう。そんな時、ネット上で自分と似た意見を見つけると、「あ、これだ!」と膝を打つ経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。
ネットの意見は、自分の感情や考えを代弁してくれる心強い味方です。うまく言語化できない気持ちを、他の誰かが既に言葉にしてくれているのを見ると、安心感を覚えます。「自分だけじゃない、同じように感じている人がいる」と共感できることで、自分の感情が肯定されるような気持ちにもなれます。
ただし、ネットの意見に頼りすぎるのは危険です。自分の感情や意見を言語化する力を養うことは、とても大切なことです。他人の意見を鵜呑みにするのではなく、あくまで参考にしながら、自分の言葉で表現する努力を続けることが重要だと思います。
町長にたとえ加害の事実がなかったとしても、この議会そのものが十分に性暴力でミソジニーだった。「この議会の様子はYouTubeで世界に配信される!」と町長自身が動画内で言っていたので、自身の正しさを証明する機会として、新井議員をおとしめる発言を繰り返したのだろうが、「世界的」には完全にアウトなのは草津町議会そのものではないか。男性ばかりの歪な議会で、性被害を訴えた女性を「嘘つき」とののしる姿を世界にさらしてしまった。
日本には女性議員がゼロの市区町村が、311あるという(2020年内閣府調査)。全1741市区町村中なので、この国の約18%の“あなたが暮らす街”は、男性だけで大切なことが決められているということになる。日本全国でならすと、市区の女性議員率はたったの16.6%で、町村にいたっては11.1%。草津町のように女性がたった一人しかいない議会は地方にいけばいくほど珍しくない。
国政に出るより町議や区議のほうがハードルが低そうだし、女性も多そう……ということは全くなく、地域に根づけば根づくほど、そして田舎であればあるほど「女性は家に」の圧力が高く、政治参加が難しい現実があるのだ。
日本有数の温泉街で繰り広げられるミソジニー議会。温泉街は女性の働き手抜きには語れない。一昔前は、住み込みでの旅館の仕事は、身寄りのない女性の自立の道でもあった。夜のサービス業も過去は非常に盛んで、今もコンパニオンの需要は少なくない。女性議員があげた性被害の声と、それを数の力で潰す光景に、女性たちは何を思うのだろう。
音程。リズム。音量。こいつらがビシッと揃ってると、文句なく巧い。(もちろん聞く人は「音程とリズムと音量が揃ってる」などとは思わない。ただ巧いと感じるだけだ)
ただ、こいつらをビシッと揃える修行はつらい。かなりの修練を積まないと正確無比な音程・リズム・音量にはならないし、最終的に「すごく巧い」と「なかなか巧い」を隔てるのはほんの1㍈の差だが、この1㍈が実は才能でしか埋まらなかったりする。
投じた練習量に対して稼げる評価が大きい。つまりコスパがいいのだ。
ビブラートで大切なことはふたつ。「周期が一定」と「振幅が一定」だ。
周期には速い周期と遅い周期が、振幅には浅い振幅・深い振幅があるが、これらのたすき掛け4通りのビブラートをしっかりマスターしよう。これらを一定にするには音感もリズム感もそれほど重要ではない。だから簡単なのである。
健常な親はそういう子どもの尊厳や権利を傷つける言動をそもそもしないんです
『みんなカジュアルにするよねー』『そういうこともあるよねー』じゃなくて、
『そもそもしない』んです。貧乏人の周りには貧乏人ばかりなのと同じ類いの話
こども家庭庁の配布しているパンフレットとか自治体の児童支援を一読すると良い
▼たたかれていいこどもなんて、いないんだよ
▼目黒区
ただ、自分の親が底ではないと知って、自分の幸運に感謝することは非常に大切なことではあるよね
ワイの家はフリーダムな両親だったし、家庭が荒れている子たちが知り合い・友達だったので、
ブクマカやブクマカ兼ねている増田を見るまでは、底辺だと思っていたんだが、ぜんぜん底じゃなかったよね。認識が甘過ぎた
5ch見ててあまりに辛いから移住してきたけど、まぁ増田もはてブも酷い
共感性が低いので、本当の意味ではぜんぜん腹落ちはしていないかもしれないが、
自己肯定感をバッキバキに折られることが、情緒不安定な親のご機嫌伺いを常にしないといけないことが、
色気付きやがってとか不細工のくせにと自尊心を傷つけられることが、
どれだけ大変なことで、どれだけ人生の大きなデバフとなるかは、
なんとなく理解したつもり
私はしないかな、する時は皮肉やパロディ目的で架空の主張かもう歴史の中のものだと思う。
以下は私がそんなにしない理由です。
そういうことがしたいと思う他の人は勝手にしたらいいと思います。
別に政治的な表現が含まれるだけで嫌いになるわけでもないですし、
あったら意識高さが伝わって来て嬉しいとかもないです。
ちょっと気を付けとこ。」と思うじゃないですか。感覚としてはそれ。
もちろん思想の内容面では全く異なり、もっと人道的なものだと思います。
さて多くの場合、オリジナルに比べて二次創作のキャラクターの方が知名度があります。
思想を持ってる人にキャラクターやコンテンツの素晴らしさが伝われば素敵ですよね。
しかし、寄ってくるのがいい人もしくは同調してくれる人だけとも限りません。
政治運動に限らず二次創作でも、解釈違いの奴や意図を汲み取らない奴、
最後まで見ない読まないって奴どこにも絶対いるじゃないですか。
キャラも公式も悪くないし、社会派オタクくんもそんなことは望んでないだろうに。
例えば古風なキャラを先進的な思想の持ち主に改変してあるファンアートを見て、
「このキャラって、保守的で封建的で考えが古くて、時代錯誤なところが魅力
だったのに、なんか現代的な価値観に染まっちゃったんだ。なんか残念だな。」
と思われることもあるかもしれません。意図的にそういう改変してるならともかく。
ぶっちゃけ私自身も、雑な社会運動してる二次創作でイメージが悪くなったキャラや作品もあります。
残念ながらインターネットに一度アップした以上、悪意があろうとなかろうと、
二次創作の作者の手を離れて拡散・無断転載・意図せぬ解釈などされてしまうことがあります。
自分の知らないところで、自分の二次創作が他人を喜ばせたり不快にしているって、
そういった不幸なすれ違いを防ぎ、自分の管理下に置ける、法的にも問題がない
と言う意味ではキャラクターを使うよりもオリジナルの方が少しは安全なのかな、と思います。
そもそも公式の温情で二次創作という犯罪行為をお目溢ししてもらってる立場なので、
実社会との接点を持つような創作物は扱いが難しいのかな、と個人的には思います。
揉めた時に間に企業が入って対応してくれるのも個人の匿名性が守られて安心だから、
やっぱり公式に任せるかなぁ。
昔、エロBL同人に「実体験に基づいた描写です」って書いてあるのに近しいもの
を感じます。エロ漫画の作者の顔を知りたくないとか、絵師は自我出すな、
みたいな気持ちとも近いかもしれません。私は知ってても抜くが…。
せっかくのお休みなのに仕事の話をずっとされるような感じとも言えます。
個人的な体験で恐縮ですが、数年前に虚構と現実の区別がついてない人間に
「私はメンヘラロリコンのレズだ」と思い込まれ、あたかも私がそのオタクを性的な目で
見ているかのように振る舞われたり、粘着されたりするという不快な出来事があり、
無事トラウマになりました。虚構も現実で創作活動を行なった結果なので、
完全な虚構としての創作物というものは存在しないのかもしれない。
だから狂ったように女体化ロリ同性愛二次創作などを描く私を、彼女はロリコンのレズだと思い込んだのかもしれない。
それは勘違いさせてごめん。それはそうとして顔も知らん会ったことのない人間と
あと、LGBTに理解があることと趣味で腐女子やってることを混同する奴いるよな。
あれ嫌い。愛知県出身って言ったら勝手に名古屋出身だと勘違いされるみたいな…。
なぜか私個人の身の回りの離婚率が異様に高く、友達も知ってる限りで片親や毒親の方が
過程環境に問題のないご家庭と比べて、比率が高い状況です。未婚率も高い。
私自身も片親です。結婚をすることによって税金年金の免除などの多少のメリットがあるにせよ、
親戚付き合いや介護など、結婚することによって生じるデメリットが大きいのでは?
と思っています。どうせ配偶者は所詮他人なんだし、死ぬ時は一人なんだからその過程はどっちでもいいかな。
このように終わった結婚観なので、結婚が実現した後二人はどのような幸せな生活を送るのでしょうか?
現実の話でもフィクションの話でもいいけど、オタクくんがどういう社会を築きたくて
なんで?なんのために?気まずくない?
品定めや口出しされるのも腹立つし。
現ジャンルは、アイドルゲームなのになぜか政治軍隊革命君主その他犯罪行為に
かかわるキャラクターで構成されており、今はお腹いっぱいだから。
私は二次創作に啓蒙的な役割を求めてないので、現実性や政治的なメッセージを
過度に入れ込むことはないのかな、と思います。デメリットもでかいし。そういう
実用的な知識や問題提起はオタクくんの描いた創作物楽しませてもらってからゆっくりしていい?
とりあえず今回は活動的で声の大きい方々が暴れて悪目立ちしただけだと思っている。
もちろん主張し続けること自体は大切なことだと思うのですが、私はやらないかな。
昨年子どもが生まれ、育休を3ヶ月取った。都内の上場スタートアップ勤務ということもあり、男性育休には寛容な環境で、同僚からはお祝いにおくるみもいただき、前向きに送り出してもらった。
当然だが、とてもハッピーな気持ちで育休に入った。出産に立ち会って自然と流れた涙は、これまでの人生で最も無垢で、言葉にならない嬉し涙だった。仕事と子育てを両立して、より一層充実した人生を送っていくぞと意気込んだ。
しかし、育休中に痛感したことがふたつある。
まず、育休中は仕事をしていないので、育休を取ったからと言って仕事と子育てを両立したとは思えなかった。数ヶ月程度の育休は「特に大変な新生児期を乗り切る手段」であって、「仕事と子育てを両立する手段」にはならないのが現実だ。
そして2つ目に、「両立」と勝手に言っているが、それは自分だけの問題なのかということ。子育ては夫婦の共同プロジェクトだ。義務教育までとしても15年を要する、一大プロジェクト。そのプロセスにおいて、当然、妻には妻の「両立」がある。
育休は子育てのほんのプロローグに過ぎず、その後が本番と言ってもいい。
3つそれぞれの満足度(納得度の方が適切かも)のバランスをどうやって保っていくか。中長期的にはこれが1番のテーマで、もはや、要素がふたつであることを前提にした「両立」という言葉で捉えること自体が、時代遅れに思えた。
妻はメーカー勤務で、仕事好きな人間だ。バリキャリ志向ではないが、自社商品を愛してやまないタイプで、今後もフルタイムでの仕事を望んでいる。彼女が仕事を通して充実感を得ることは、一緒に生きる私や子どもにとっても大切なことだ。
私は会社に働き方の相談をした。フレックスがなく、リモートにも回数制限があるため、せめて後者は緩和できないかと。しかし残念ながらその交渉は実らなかったため、転職を決めた。
次はリモートかつフルフレックスの環境で、幸いなことに年収も大きく上がるオファーをもらえたので、自分自身の問題は解決できたが、これだけ少子化が社会問題になる中でも、子育てと仕事の両立に優しくない現実を突きつけられたモヤモヤは消えていない。
経済合理性が伴う事由や、事業を左右するような外圧がなければ企業は変化しない。女性社員の活躍を進めて社会情勢に応じつつ、男性社員にはこれまで通り仕事にフルコミットさせたい。これが経営者の本音だろう。
しかし、その男性社員に子どもがいるとなれば、しわ寄せはパートナーの女性にいき、どこかで働くその人のキャリアを制限し、家庭の幸福度の総量も減らす。間接的に女性活躍を阻害しているわけだが、大半の企業は「知ったこっちゃない」と言うだろう。
だから思う、男性こそ子育てを理由に転職した方が良い。環境や制度を変えなくても男性社員が辞めないから、企業も変わらない。賃上げだってそうだろう。
厄介なことに、子育ては本当に千差万別。子の性格や体質、家庭の経済力、時間の柔軟性、幼稚園や保育園の環境、本人やパートナーの体力、実家の頼りやすさなど、いろんな変数で難易度が変わる。
カードに恵まれただけだったかもしれないことに想像が及ばず、n=1の個人的な体験談で断じてしまう人もいる。そういう人が上司や経営者の会社にいるなら、すぐに転職した方が良いと個人的には思う。
少子化と人手不足が課題の社会なのだから、共働きで子育てもしようという自分は多少わがままを言ってもいい。自分にそう言い聞かせることで、同僚に迷惑をかけることを頭から消して長めの育休を取り、転職も決めることが出来た。
仕事より家庭、という安直な二元論では捉えていないし、仕事ももちろん頑張っていくが、「仕事=今の職場」ではないはずだ。
繰り返すが、男性こそ子育てを理由に転職した方が良い。それが大きなうねりになれば、いろんな問題が少しずついい方向に向かうように思う。
増田が書いてるの見るとやっぱズレてるなってと思うよ
こういうところからじゃないかな?誰が見ても嘘だと思う嘘松書いちゃうのはさ
嘘職業増田は数有りすぎて探すの面倒になったので途中でやめました
たぶん、"嘘松"とか"嘘増田"とか"雑創作"とか"実在するなら"とかそんなワード使っていると思うよ
あと"anond:20240310173949"って検索すれば付けたのなら追える
https://anond.hatelabo.jp/20240309223338#
https://anond.hatelabo.jp/20240213233610#
https://anond.hatelabo.jp/20230913083845#
これは親切で言ってる。みんな君と同じじゃないぞ
https://anond.hatelabo.jp/20240107094256#
https://anond.hatelabo.jp/20200723150214#
https://anond.hatelabo.jp/20231216100152#
https://anond.hatelabo.jp/20190120105934#
https://anond.hatelabo.jp/20190121031924#
前編
俺はこの、増田という日記帳に書き込んだのは実は昨日が初めてなんだ。
婆パンジーの教えに「新しいコミュニティじゃ半年ROMりゃなあかん」というものがある。
それがここまで多くの人に読んでもらえるとは思いもせず
交通安全啓発の一助となったのならチンパンジー冥利に尽きるというものだ。
(実際15年くらい2chやらSNSから離れていて頭チンパンジー)
このように書かれており、ニンゲンに従順なチンパンジーの一匹である俺は従わざるを得なかった。
また勢いに任せて書いてしまったこともあり、色々と指摘もあったのでドライバー編にも後日修正を行う。
母パンジーには幼少より口を酸っぱくして
こう言われて育ってきたため、レンタルキックボードくらいの経験しかない。
幼少の頃より憧れはあったものの、運転には才能と訓練が必要らしい。
その中で、チャラチャラしたチンパンジーが通りがかりのニンゲンの女ライダーに
パンクも直せないのならバイクに乗るな、とボコボコに殴られるような描写があったのを思い出した。
確かにバイクでツーリングする場合、山道など自然の多い場所に出掛けている人も多い。
統計的には、クルマとバイクの事故の発生頻度はそれほど変わらないらしい。
ただ、万が一事故に遭ってしまった場合の、肉体へのダメージが大きいということは容易に想像できる。
これは考えてみれば当たり前で、バイクは生身の体が飛び出しているわけだ。
ヘルメットだけでなく、グローブや肘・膝・胸部プロテクターなど最大限の安全装備を整えろ。
分かったな、間違ってもTシャツにサンダルでブロロロするんじゃないぞ、そこのチンパンジー。
近所だからいいとか、田舎だからいいとか、そういう気の緩みが事故の元なんだ。
仮にお前の装備が不十分だったために、亡くならないまでも、一生残る傷を抱えてしまったら?
もちろん、轢いた方が悪いのはそうだが、その人に一生消えない後悔の念を残すことになる。
外気に長時間さらされるということは、当然疲れるということだ。
そういったところでお土産を買うのもツーリングの楽しみ方のひとつだろう。
確かに免許は高い。高いが、免許を取ることは自衛にもつながるから
近所に子供を乗せながら、傘を差しながら、電話をしながら運転しているチンパンジーを偶に見かけるが
あまりに少ない睡眠時間だと、アルコールで酔っ払ったのと同じくらいの脳の反応速度になるらしい。
お前が営業で外回りをしていたとしても、うとうとしたのなら仮眠を取れ。
最近じゃ、俺たちチンパンジーの運転の様子を記録する会社もあるらしい。
「うるせえ!!!!!」
これは俺だけかもしれないが、眩しいと眠くなる気がする。
サングラスを用意しておけ。
夜、見づらくなるやつは、昼夜兼用のドライビングサングラスのようなものがあったような気がするから
そういうのを試してみるのもいい。
どことどことどこのPAまたは道の駅またはコンビニに寄るかきちんと考えておけ。
お前は漏らしてもいいかもしれないが、トイレが近いパンジーもいる。
それを恥ずかしがって言い出せないパンジーもいる。
冷房の温度にも気を使え。お前は毛深いから寒くないかもしれないが、同乗者は寒いと感じているかもしれない。
ブランケットも用意しておけ。
別にドラマの如くドアまで開けて、頭をぶつけないよう手をかざせと言っているわけではない。
だが肉体的な性差への配慮をこっそり行うのは紳パンジーの責務だ。紳パンたれ。
500mでも1,000mでもいい、とにかく車間を空けろ。とにかくチンパンジーだ。
お前はクルマを完全停止させるのにどれだけの距離が必要だか把握しているのか?
俺はしていない。そんなことはニンゲンに任せておけばいい。
俺たちは、とにかく車間を空けておけばいい。
50mでも100mでもいい、ちょっと空け過ぎかな?あれ、後ろに煽られてる?
そのくらいで丁度いい。
イキったチンパンジーが痺れを切らして左車線から追い抜いてくる、その程度で丁度いい。
※そもそも左車線を走れ。
最近職場で与えられたクルマは、よく分からないが勝手に前の車を追随し車間も保ってくれる。
三段階で車間を設定できるのだが、その車間でさえ、イキリチンポンジーはあおり散らかして左からその車間に収まってくる。
高速道路を運転するとき、バックミラーを見ないくらいの王者の風格を見せつけろ。
※ベテランドライバーはバックミラーを10~20秒に1回くらい見るそうです。ちゃんと見ましょう。
お前も、車校でベテランドライバーとチンパンジーの視野の比較映像を見せられたことがあるだろう。
例えば数台前のクルマや、隣や後ろを走るクルマや、はたまたコンビニの駐車場から出そうなクルマなどに
こういったあらゆるモノの影からびっくりチンパンジー!の可能性を常に考えている。
いきなりチンパンジー、またもやチンパンジー、あたかもチンパンジー、ココカラチンパンジーというわけだ。
そしてチンパンジーは"絶対にいる"運転へとアップデートしていけ。
そして伝説へ。
まず気をつけなければならないのが、逢魔が時。
夕方の薄暗くなった時間帯のことを指すらしい。なんと詩的な表現なんだ。
それはさておき、なぜこの時間帯がそう言われるのか。
これは、暗順応という眼の機能が関係しているとか関係していないとか、俺にはよく分からない。
https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/anzen/hakubo.html
実際にこういう統計が出ているようだ。
とにかく、夕暮れ時には気をつける。それでいい。お上の言うことは素直に聞いておけ。
例えば、お前が仕事を終えて17時頃にクルマで帰社するとする。
当然お前は疲れているから、注意散漫になっている。
ドラマが始まっちゃうから早く帰らなきゃ?お前はいつの時代のチンパンジーだ。
コンビニに少し停めてコーヒーでもエナジードリンクでもいいからカフェインを入れろ。
すると今度は夜眠れなくなるのでほどほどにな。
ハイビームを使いこなせ。
田舎で鍛えられたチンパンジーは野生動物との邂逅が日常茶飯事だろうから癖づいているはずだが
最近はコンクリートジャンクルで産まれ、一度も森に触れることなくその生涯を終えるチンパンジーもいるという。
道路に寝転がっている酔っ払いをお前が轢いたとしても、お前の責任が半分になることもある。
昼間より気をつけて、ゆっくり走れ。
チンパン社会と同じだ。空気を読んで周りと同じくらいの速度を出せ。
ただし赤信号みんなで渡れば怖くない、みたいなチンパンは辞めておけ。
みんなで作る、平和な交通社会だ。お前だってインドのようなクラクション地獄は嫌だろう。
前回のトラックの後ろをなるべく走らないという話にも繋がってくるが
黒塗りスモーク、見たことないエンブレム(高そう)、○ル○。○、若葉マーク、もみじマーク、教習車、わ・れナンバー、他県ナンバー…
挙げればキリがないし、多少なり差別的な思想になってしまうので
みなまで言わないが、なるべくなら近づくな。
ただしBaby in the car. このステッカーだけはマジで意味不明。だからどうしたオブザセンチュリー。
俺は人生でなんと5回も交通事故に遭っている生粋のADHDパンジーだ。
※身バレを防ぐために、多少盛ったり控えめにしている
なお俺は森の王者チンパンジー。一度も骨折したことはない。野生動物最大のアドバンテージが出たな。
幸いにして運転者としては無事故で、昨年ようやくゴールデンチンパンジーに相成ったところだ
チンパンジーだからこそ運転しないと商売にならないことだってある。
お前たちだってそうだろう?求パン票にも、普通自動車免許が条件の会社も多い。
ただこうした経験があるからこそ、自らへの戒めとして今回筆を執ったまで。
警察官でも教習所の職員でもない、一介の野良ADHDパンジーとしてキーキー喚こうと思っただけで
このふざけた文章にたくさんのコメントやブックマークがあることには大変嬉しく思う。
動物に例えるの分かりづらいという声もあったし
たまにチンパンジーが運転しているのを想像してニヤニヤしながら書いていて気持ち悪いし
書く方も読む方も次第に飽きてしまうような気もしている。
ただ、他にいい書き方が思い浮かばない。
あえてチンパンジーとすることで、書く側も読む側もストレスが少ないようなそんな気はしている。
バーチャル化というか、少し耳の痛いことでも頭に入りやすいというか。うまく言えないが。
これからも試行錯誤していきたいが、チン権の保護を訴える団体が現れたら削除を検討する。
このあたりか。途中で飽きたら悪いな。