はてなキーワード: 喪中とは
「喪中だから今年の年賀状は送らないで」というメールとか葉書とかを送ってくる人がいるが、その理由が知りたい。
いや、喪中は不謹慎で年賀状を送ってはいけないみたいな習わしがあるのは知ってる。
私が知りたいのはその習わしを何故友人の年賀状にまで厳格に求める人がいるのかなのよ。
親族同士であればまだ理解できるよ。お互いの知ってる人が亡くなったから、今年は喪に伏して次の正月はお祝いするのはやめときましょうか。てな感じだよね。
でもそれを友人にまで求める必要あるの?
年に何回も会える機会もない。なんなら年賀状でしかやりとりする機会くらいしか無いのに、その年賀状を、知りもしない爺さん婆さんが亡くなったからってわざわざ制限する必要あるの?
正直12月末まで誰が喪中だったかなんて覚えておく自信が無いよ‥
招待状は出席で返していたけど、その後に身内の不幸があって喪中と被ってしまったから電話で謝罪&喪中であることは伝えました…慶事を控えている人に具体的に伝えるのは良くないかなと思いましたが、長い付き合いの子だったので正直に伝えました。
あと、友達グループの取りまとめポジの子2人にも詳細は伝えています。現金書留はご祝儀袋に三万円入れて送りましたが、そういえば手紙などは添えるの失念してました…
ただ、取りまとめポジの子たちから二次会か三次会で流すためにビデオメッセージをお願いされて送ってるし、身内の不幸があるまではその子たちと一緒に二次会の幹事として準備も頑張ってたのにな…の気持ちですね…
身内の不幸があり喪中で友人の結婚式に出席できなくなったので現金書留でご祝儀三万円と、卓上に飾れるブーケ付きの祝電を送った。
事前に式場には式の前日着で発送する旨と、万が一届かなければ業者に状況を確認をするので連絡が欲しいと伝えていたから届いてはいると思う。
LINEのグループのアルバムに写真がどんどん更新されていくがそれらしきものは見当たらないから飾られなかったみたい。
式場の雰囲気に合うかどうかや新郎新婦の意向もあるから、正直なところ寂しさを感じつつも納得はしている。
(これまで参列した式ではどこかしらに電報のバルーンやブーケが飾られていたから、必ず飾られるものと最初は勘違いしちゃってた…挙式したことがないので…)
式の後は4次会まであったみたいでその時の写真もアルバムに更新されていく。
私と同じく欠席した子とはビデオ通話もしたみたい。その子は出産直近で遠方には行けなくて欠席したから喪中の私とは状況が違うけど。
ビデオ通話してる楽しそうなスクショが更新されていくのを見ると寂しい気持ちになる。少し堪える。
翌日は友人たちと新婦で観光したみたい(新婦は地元から遠方に嫁いだ)でその写真もどんどん更新されていく。行きたかった。
地元を離れて10年近く経つので地元の友人と会う機会もなかなか無いし、結婚式はもちろんみんなと会えることを楽しみにしていたんだけどな。
私が欲しがりでさもしい人間だとは思うけど、数日経っても祝電に対して新婦からは何もないし、友人たちが撮影した写真を見る限りでは飾られたりもしてなさそうだし、欠席したもう一人の友人とはビデオ通話で楽しい時間を少しでも共有していたことを見せつけられてテンションがだだ下がりしてしまった。
そもそも私は新婦やみんなからしたら友人と思われてなかったのかな。みんなを呼ぶから私も呼ばないと角が立つと思われたりしてたのかな。
私の人徳の無さよ…
まぁ、身内が亡くなってメンタル弱り気味だから、必要以上に寂しさを感じてしまってるのかもしれない。
そうであってほしい。
お母ちゃんは60代半ば。
コロナが始まったら頃から今日に至るまで、少しずつおかしくなっている。
昨年、お母ちゃんにとっての義姉がなくなってからもっとおかしくなった。
四十九日までは外食も外出もしない。楽しいことはしちゃダメと言って行動を制限した。
あれやこれやとマナーを調べては「あれはダメ、これはダメ、これもダメ、それもダメ」と、Yahoo知恵袋とかアクセス稼ぎの謎いサイトとかに書かれた謎ルールを見つけてきては制限をつけまくる。
「自分がそうすることで楽になるなら止めはしないけど、私たちにそれを強いちゃダメだよ」と言ったら私たちに外食をするななどと強いることはなかったけど、家族が外食しても自分だけはいかないとか。
どんどんひどくなって、書こうにも書ききれないほどお母ちゃんの謎のこだわりは強くなっている。
「お母ちゃんは、お母ちゃん教に入信してしまった」。それがいちばんしっくりくる。清潔を求めて手が荒れるまで手を洗って、1日分の洗濯をするのに数時間かけている。干した洗濯物が乾いたか乾いてないかを自分で判断できなくて、3日くらい干し続けて、乾いた洗濯物が床や絨毯に少しでもつくのをものすごく嫌がる。
こんなところに書ききれないほど、お母ちゃんの謎ルールは毎日増え続けている。
四十九日が終わるまでにと言っていた謎ルールは、いつのまにか義姉の次の命日(一年後)までに延長されていた。
喪中の間は寺はいいが神社に行ってはいけない。洗濯の仕方やら何やらをなんでもメーカーに電話しては「これで正しいか」「自分は間違っていないか」を確認するので、「神社の人にも聞いてみたら?喪中の間は行っちゃいけないんですか?って」と言ったら「神社の人はいいって言う。これは私の気持ちの問題だから神社の人には聞かない」だと。
どこかの知恵袋や謎サイトに書いてることを信じて、神社には問い合わせない。お母ちゃんは、前なら私が「〇〇の神社に行こうよ」と行ったらどこにだっていつだって喜んでついてきてくれた。私がご朱印帳をプレゼントしてからは、自分一人でもいろんな神社寺に行っては御朱印を集めていたのに。
今は、どれだけ言っても来てくれない。
お母ちゃんの楽しい思い出をたくさんつくりたいのに、お母ちゃんは「喪中だから楽しいことはしない」と言って家の中で汚いものを探してはそれに取り憑かれる生活をしてる。
もちろん、精神障害の自覚は本人も家族もある。私は新幹線を乗らなきゃたどりつかない距離で離れて暮らしているけど、父は実家に、兄妹は地元にいるので母は一人ではない。父は衛生観念死んでるので母のストレスの根源でもあるのだけど。
病院も「口コミがいいところがいい」と、なかなか行かないので、つい先日、私が付き添っていってよつやく抗うつ剤を処方してもらった。
これでよくなればいいが、本人も心配していたが薬に依存性してしまわなかも不安はある。ただ、もう自分では治せない域にいるので病院にかかるほかない。
そんな中、夢を見た。
お母ちゃんが、何かをしている。
私は浴衣を着付けてもらいたいらしいのだけど、お母ちゃんは自分のマイルールを済ますのに忙しくて私の浴衣を着付けてくれない。
「早くしないとお祭りに間に合わないよ」と私は困ってしまうのだけど、お母ちゃんは私の方なんて見向きもしないで「この汚れを取らなきゃ」とか「この床を磨かなきゃ」と言ってるばかりだ。
私が持ってる浴衣は、学生の頃にお母ちゃんが着付けてくれたものだった。お母ちゃんはお祭りのときはいつも必ず「着物はできないけどね」と言いながら、積極的に浴衣を着付けてくれた。
お母ちゃん、浴衣着せておくれよ。私は自分では浴衣着られないんだよ。お母ちゃんって、お母ちゃんの背中に向かって言うのにお母ちゃんは全然こっちを見てくれない。そんなところで目が覚めた。
いつだって、私たち子供のこといちばんに考えてくれて、人生で何よりも優先してきてくれたお母ちゃん。お金がなくても、どれだけ貧乏でも、それだけはずっと伝わっていた。
もう私も中年なので、子どもの頃と同じように甘えようとは思わない。お母ちゃんが子どもよりも夢中になれるものがあるなら、それを優先すればいいと思う。
でも、そんなに手を荒らして、ストレスと向き合いって、辛そうに辛そうにするものを見るくらいなら、私を見てほしい。一緒にお出かけしたいし、神社に行くときに「私入れないから外で待ってるね」なんて言わないでほしいし、浴衣をまた前のように着付けて欲しい。
大好きなお母ちゃん。
お母ちゃん教に取り憑かれてしまったお母ちゃん。笑っててほしいのに、なんでこうなってしまったんだろうな。
もちろん、これが私たち家族の介護の始まりかもしれないという気持ちもある。お母ちゃんは、もう自分を自分で元気にする力がないんだろう。薬を飲んで、少しでも良くなってくれたらいいけれど。
このままじゃ、お母ちゃんはあの世に行っても汚いものを探し続けて彷徨ってしまう。
私が死んであの世で再開しても、私の方なんて見向きもしないかもしれない。
悲しい。
正確には「良いお年をお迎えください」は12月中旬~30日までの挨拶
江戸時代は買い物の代金を購入したその場で払うのではなく、帳簿につけておいてもらい、お金がまとまって入った時などに支払うツケのシステムが主流だった。ツケの支払いを年内に済ませられるか否かはとても重要なことだったため、今年の支払いは年内に綺麗に片付けてすっきりとした気持ちで良い新年を迎えましょうという挨拶が「良いお年を!」だった。
また、ツケ払い以外にも大掃除をして年神様をお迎えするなど、良い新年を迎えるためにやるべきことがたくさんあるため、そういったこともひっくるめて年内にやるべきことをしっかり済ませて、良い新年を迎えようねという気持ちを込めて「良いお年を!」と声を掛け合ったともいわれている。
本年の間にお会いするのは最後かな? という機会に、「良いお年をお迎えください」と挨拶をする。
とはいえ、12月も半ばになってから使うのが一般的で、またこの挨拶が使えるのは12月30日まで。12月31日の大晦日には、良い新年を迎える準備が整っているであろうことから使わない。
12月31日のご挨拶は「本年も大変お世話になり、ありがとうございました。来年もよろしくお願い致します」とするのが一般的。
喪中とだけ書いて詳しくは書かんとおもうけど、親戚多いなって思われてそう
末期の癌、発覚から4ヶ月だった。
不幸中の幸いにも母が亡くなる直前に、弟嫁も含めて、父・兄・私・弟・弟嫁と実家で過ごす時間が1週間ほどとれた。
弟夫妻は関西在住。東北のとある県の実家での時間は、弟嫁にとっては、恐らくしんどかっただろうな。
母が亡くなったあと通夜・葬儀など実家で過ごす間で、寝る場所で揉めた。
母の死後、遺骨のある部屋で寝るのはイヤなので、
私が寝ていた両親の寝室を譲ってくれと兄を通して伝えてきた。
仏壇のある部屋は、
元々私が帰省した際に利用していた部屋で、
弟夫婦の結婚後、仏壇のある部屋をあけ、両親と共に両親の寝室で寝ることになった経緯がある。
兄を通して伝えてきたことに腹が立ったし、遺骨がある部屋で寝るのは..というのも何調子いいこと言ってんのと思い、両親の寝室を開けなかったことで、兄と弟と父と揉めた。
それがきっかけで、実家居場所がないように感じ、追い出されてるような気がした。
初盆の帰省を悩む中で、実家帰るのもなぁと思っていたのところ、父から兄の結婚報告を聞いた(デキ婚)
1ヶ月前に母親が亡くなって、いわゆる喪中の状態になった。享年59。
ずっと寝たきりで闘病してたから、亡くなったときは結構気持ち的にキツかった。私はまだ22歳。母親をなくすにはまだ若いよなあという気持ちもある。
年の離れた兄がいる。39歳。
葬儀でも特に落ち込んだ様子はなかった。まあ普通に元気だ。超かわいい子供のために、毎日仕事を頑張っている。
問題というか、ちょっとなんかなあ、と思ったのは今日のことだ。
兄の子供(私の甥っ子)が1歳になった記念ということで、家族一同で記念写真を撮りに行った。
参加したのは兄夫婦と義姉の母、私。
(私の父は照れくさかったのか断っていた)
まあ皆で横並びの写真を撮るだけかなと思っていたら、行った写真館が結構「ハジける」タイプの店で、
なんかまあ色んな写真を撮られた。
虹色の光に包まれたり、でっかいハート型のソファに座って笑顔で赤ちゃんを囲んだり。
「はいお姉ちゃんもっと笑って~!」と言われるたび、母親のことが思い浮かんだ。そういや喪中じゃん!
まあ、だからどうということはない。せっかくの1歳バースデー。おどおどしながらも笑顔で撮影した。
無事に撮影が終わり、家に帰ってきた瞬間、何故か寂しい気持ちになった。罪悪感にも苛まれた。
まだ四十九日も終わってないのに、こんな幸せいっぱい!みたいな写真撮っていいのか?
私は最近ずっとブルーだったけど、兄はあっさり切り替えてるんだな…とか。
父には今日あったこと、今日どんな写真を撮ったのかは伝えていない。が、昔気質な父のことだ。内容を伝えたら、ちょっと顔を顰めるだろう。
葬式の時にめちゃくちゃ泣いてた義姉(うちの母と1回しか会ったことないはずだけどなんか泣いてくれてた)は、今日はめちゃくちゃ楽しそうだった。
自分は悲しいからお前もずっと悲しめ、というのは横暴だ。でもなんだかなあ…という気分だ。年取った親が死んだぐらいで落ち込んでるのはお前だけだよ、と言われた気がする。
あー、写真なんか撮りに行かなきゃよかった!家でめそめそしてればよかったんだよな私は。
そもそも喪中の人がいらっしゃるのにあけましておめでとうございますとか、
全てゾーニングすべき。
餅を喉に詰めて亡くなった方の遺族を慮って、鏡餅の展示も控えるべき。