はてなキーワード: 向上心とは
ただ、同じことはくり返されますし、その度に同様なお話し合いまで持っていく体力は相当です。そうなって次策が必要なときにこの書き込みに目が止まってくれればと思い、投下します。
当時の私の場合は、20年ほども同様な環境にいました。子供達が大きくなり思春期を迎えた頃、妻の矛先は彼達に向かい始めました。娘は相当に傷つき、息子はのらりくらりと逃げ回る私に対してさぞ幻滅したことでしょう。
その頃の私が子供へ反面教師の背中をみせていた状態から抜け出せたきっかけは、私の個人カウンセリングでした。それまでは問題行動を起こす妻がカウンセリングを受けるべきだと思っていました。ところが、私自身へのカウンセリングを通し、私も学び、成長することが必要な事でした。
問題行動は時間が経てば解決することはなく、私自身が自身の幸福のために自ら行動を起こすことで解決できることをカウンセリングは認識させてくれ、いざというときに最悪な事態が発生することを回避できるだけの行動力を与えてくれました。実際、振り返ると、別居や離婚、これらは必要な行動でした。
今、私の子供が元妻の問題行動をコピーしてしまわない事を第一の目標として日々過ごしています。私の解決策はそのためのものです。今のところ私にはその様な気配を見せる様子もないので、安心しています。私も幸福を追求できる喜びがあります。元増田さんの家庭環境等はうかがい知れませんが、良き人生であることを願っています。
元妻は何かしらの問題を抱えているとは思いますが、私ができることは何もありませんでした。本人が問題を自分のこととして認識し、向上心を持って取り組もうと意識しない限り解決しないと思います。あたりまえのことですが。
ママが学生の頃って、アッシーとかメッシーとかいって、彼氏でもないのにおごってもらったりしたんだって?
あー、懐かしい言葉ね。そういう女の子はママの身のまわりにはいなかったよ、学部の女子100人いるうち2,3人が噂されてたけど、本当かどうか知らない。
本当に?おばあちゃんが言ってたよ、ママの卒業式の日、BMWで迎えにきた男の子がいたって。
あーあー!あったねそんなこと。あれは当時の彼氏だよ、なんか無理して借りてきたらしいの。ふふ、優しい彼氏だねえ。
ふーん。その人とは別れちゃったんだ?
うーん。別れたのはそのBMWも原因かもね。今でこそ彼の背伸びが微笑ましく思えるけど、当時の私は全然嬉しくなかった。部活の軽トラで、エンジンかからない!とか言いながら送ってくれた事の方が大事だった。見栄が苦手だったの。だんだん価値観が合わないな、ってなって。
ふぅん?見栄って向上心みたいなもんじゃないの?何でダメだったの?
そうね、その向上心を私にまで求めはじめたからかな。「もっと女らしいオトナっぽい服を着て欲しい」とかさ。
https://www.bengo4.com/c_18/n_17626/
日本のテレビを腐らせてきた有象無象の一人による必死の弁明、にしか見えない。
自分の仕事に責任感もプライドもない、向上心も他者への敬意もないからこういう記事が書ける。
① コンテンツ制作の舵取り役が現場によって違うことを言い訳のように既成事実化している
映画なら監督が現場を仕切らないでどうする、で終わりの話。しかも映画の方が関わる人数はずっと多い。演出家が力を持っているから何だ。それを抑えるのがお前の仕事だろ。
誰も責任を取りたくないという腐った体制が透けて見える。これではいいコンテンツが作れるわけが無い。
>「限られた時間と予算の中で、放送事故にならないようになんとか番組を完成させた」と必死だったことしか頭に浮かんでこない。
と書いてあるぐらいだから出来上がったものに対する反省も改善も振り返ることなく、ましてや視聴者の受け取り方と向き合うことなんか無かったのだろう。
テレビは「誰の思い通りにもならない世界」なんて書いているが、自分の職責と向き合わないための言い訳のように感じる。コンテンツの品質を担保する、現場で出た問題を解決するという当然の役割を遂行できず、テレビは「丸めこむ世界」だなんて嘯いてくっだらない作品が自分の手で作り出されたという現実から目を背ける。
世界を見れば尖ったテーマのテレビドラマなんていくらでもある。自分の作品が尖っていないことをテレビ業界全体のせいにするな。と言いたい。
入学当初「俺、英語ちょっと得意だから」と誇らしげに言っていた男の子がいました。彼の英語力は実際のところ、私の高校の平均以下。私の英語を聴いて、彼は「もしかして帰国子女? 」と驚いてしまいました。本物の帰国子女を見 たことがないのですね。世間知らずでかわいいな。
読書家だという子の愛読書は、私が中学で卒業 したレベルの本。大学図書館に一緒に行った際 、彼女は私が借りた哲学書に目を丸くして「そ んな難しそうなのを読もうとしなくても…」と 呟いたのでした。え、読書ってこういうのじゃないの?
よく相談に乗ってあげる子は「これでも地元で は神童って言われてた」そうです。単位落とし で留年すれすれの人が神童って。よほどレベル が低い地元だったのかな。もちろん本人の前では言いませんよ、泣かせちゃうから。
ぶっちゃけ増田的にはこれ愚問でしかないんだけど、たぶんみんなタイトルだけ見て完全にこの記事の内容勘違いして想像してると思うんだよね。
この記事は、実はその勘違いがどっから起きてんのかって話です。
夏目漱石の有名な一節「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と、昨今みんな当たり前のように理解したつもりで使ってる「政治的な正しさ」が日本語の乱れによってどんな風に誤って解釈されているか。
まあこの辺でちゃんとしてる人はもう気づいてると思うけど、それは「的な」という便利ないいかげんな日本語表現から来てるよってことを述べる記事でござんす。気づかなかった君こそ読もう。
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」って言葉は、国語の授業で「こころ」を読んだ中高生はたいてい知ってる。
ときには授業のあとにクラスで、冗談めかして馬鹿だ馬鹿だと言い合う遊びが流行ったりしただろう。
でもその意味を本当には理解できているのか? 「精神的に向上心のないもの」とは何だ? 「精神的にでなく向上心のないもの」とは何が違うんだ?
この言葉は作中で計二回用いられている。一度めはKが何気ない場面で「私(若き日の先生)」にかけた言葉。そして二度めは、それを反復して「私」がKにやり返した言葉だ。
最初の場面にはただこう書かれている。
つまりKにとって「精神的に向上心のないもの」とは、ただ「日蓮の事について取り合わなかったもの」のことなのだ。
次の場面には、これをもうちょっと細かく解説した文がつけられている。
Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味も籠っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。
ここでは「精神的に向上心のないもの」とは、一言で言えば恋をするものということになっている。
もうだいぶ見えてきた。実はこの「精神的に」という言葉は、君たちが思ってるよりだいぶシンプルで、現代となっては時代錯誤過ぎて本気には取れないような内容なのだ。
spiritually
そう、Kにとっての「精神的に向上心のないもの」とは、ただ単に宗教的精進をしないものということなのだ。
普通の向上心、つまり立身出世とか勉学の追究とか、そういう現世利益とは程遠いという意味で、わざわざ「精神的に」とつけているのだ。
これは英語のpolitically correctの訳語なので、英語で調べるのが手っ取り早い。オックスフォード英英辞典のcorrectの項目には、こんな類似表現が紹介されている。
environmentally correct
環境的に正しい、とでも訳そうか。これはどういう意味だろうか?
普通に考えれば、平易な日本語で言う「環境に優しい」くらいの意味だろう。まかり間違っても、本音では違うんだけど環境に配慮して用意した建前、なんて入りくんだ意味ではないだろう。
それなのになぜ、「政治的に正しい」という表現になると、そのような皮肉を含んだ偽善的なニュアンスをもつものになると考える人がいるのだろうか? 同じニュアンスで「優しい政治の」くらいにふんわり理解しても良さそうなものなのに。
結論を言えば、これはひとえに「的な」という便利な、それゆえに乱暴に使われがちな日本語表現の問題から来ている。もちろんそれと、そういう曖昧さを悪用しようとするずるい詭弁愛好精神にもよるものだけど、これを言い出すと話がややこしくなるので触れません。
「的な」という言葉は、上で見てきた例のように、英語の名詞から作られた形容詞を直訳するための便利な接尾語という側面がある。この場合、もとの英語の意味内容をそのまま適用して、その名詞の事柄に関するものというくらいのニュアンスしか持たないとおおらかに解釈しておくべきだ。
しかしここに何故、もっと皮肉なニュアンスが含まれると勘違いしてしまいがちなのか。
君たち的にはどう思う?
……そう、つまりこういうことだよね。口語のブロークンな表現として、「オレ的には」「アイツ的には」なんて言い方で、その人にとってはそうだけど、他の人には必ずしも理解されるわけではないよっていうエクスキューズの言葉に使われているからだよね。
でも注意深く考えてみればわかるけど、それは一般の形容詞を作る場合、特に外国語を訳して作られた言葉の場合には何の関係もない、あくまで「的な」の複数の意味内容のひとつにすぎないんだよね。それこそ、「口語的」にはそうだけど、堅い術語では違うわけ。
こういう解釈で「精神的な」「政治的な」を解釈したら、本来の意味が薄れちゃう。「政治的な正しさ」に建前だとか皮肉な意味なんてないし、「精神的な向上心」は「気持ち的に高まる」みたいな曖昧な意味ではない。
増田的には、みんながもっとこの点に注意深く、誠実になってくれることを切に望むよ。将来展望的に。
子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。
子どもたち「絵、うま!どうして?」
親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」
子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。
こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。
ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。
最近はオタク文化が根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)
というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?
ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。
*
初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。
想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。
しかし当時は
みたいな時代だった。それか自分の学校の治安が悪かったのかもしれん。
「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」
である。
移動教室でちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。
色鉛筆や道具箱消えているし。
女キャラを描いていたら
「おっぱい描いてるwきっも~~~www」
だ。
しばらくして図工教室に籠もるようになった。
担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。
その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミクの衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。
同士がいることは本当に心強かったな。
絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。
マジで上手い。
な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!
自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。
下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。
しかも鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。
「増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」
いいやつすぎる…なんだこいつ…。
私立だったからしらんけど、絵描きをいじめるやつはいなかった。
そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。
「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」
鈴木がコミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。
「パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親に相談した。
父親は電化製品が大好きで、PCを自作するタイプの人間だった。
父親はペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。
「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。
すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。
逆に渋くてかっこいいのもある!
ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。
レイヤー?バケツ?解像度?ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?
でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。
このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。
鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。
自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。
でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。
鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。
Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。
ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?
でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。
大学受験が疎かになってペンタブを没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。
変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。
そう、これがやばい。
第二の衝撃。
みんな………………絵が………………うますぎる。
え?みんな先月まで高校生だよね?
え?え?
鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。
鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)
(ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットだから実感がなかったんだと思う)
比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分はもっと下手になる。
改めて自分の絵を見る。
へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!!
クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!
みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!
でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!
息をするように神うま激うま絵が出てくる!!
困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラストと漫画。
計5部くらい売れた。終わり。
ようやく現実を突きつけられた。
「自分はうまくないんだ…」
鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。
「もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。
何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。
ペンを動かしても「違うよな…」となった。
塗り方を変えてみたりした。
たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物の構造は何があるかちゃんと勉強した。
なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。
でも限界があった。
嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。
だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。
絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。
どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。
授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。
片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。
周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。
「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。
つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?
人体通りに描けていれば上手いのか?
でもそうじゃない人もいる。
崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。
ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。
絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?
鈴木を超えたら終わり?
楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい。
でも上手いってなんだろう?
『芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。
技術も科学も芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。
社会貢献という形で自己の確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』
その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。
絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。
想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。
なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!
せっかく芸術系の大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!
他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!
そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!
それでこそ自分の想像が完成する!自分の勘違いで終わらせない!
という結論になった。
流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメ・ギャル塗りを極めようと絞った。
そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分が100%実力が出せるように調べた。
大変だった。
初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。
漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。
何を描いても必ず楽しいにはならなかった。
「ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。
何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。
「くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。
ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。
急にだった。どうした?
徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。
無我夢中だったのか?
SNSでも反応が増え始めた。
完売した。50部
え…?
え……?
た、たどり着いたってこと?!
人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。
つか作るのたのしぃ~~~!!
思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分の勘違いじゃない!
賞をいただけて、意図が伝わっている!
伝わっているってこんなにも楽しいなんて!
20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。
なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!
*
「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。
どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!と叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。
「絵が上手いね。どうして?」と言われたら
「ずっと描いていたからね」と回答する。
とりあえずの最適解なんだよな。
でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。
自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。
だからおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。
AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。
ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。
考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。
<余談>
鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。
鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。
絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。
私25歳
仕事の愚痴を吐くと「そんなに嫌な職場ならさっさと転職しなよ」って言われるのが本当にストレス過ぎて無理になってきた。
「男性脳と女性脳」「解決脳と共感脳」なんてことは知ってるけど彼氏の男性脳的な考え方が本当にイヤ。
彼氏のというかこれまで付き合ってきた男全員に共通する解決脳的な言動が本当にイヤ。
単に愚痴を聞いてうんうん頷いてくれればまた仕事に行く勇気が湧くってだけの話なのに、なんでそんな簡単なこともしてくれないんだろう。
挙げ句に「向上心がないからそうやっていつまでもウジウジなるんだよ」「赤ちゃんじゃないんだから自分にふさわしい環境を自分で見つける努力をしなよ」とか言われてちょっといま本気で頭にきている。
どうして男って偉そうに説教するの?
最近、結局男って不快感に対する耐性が女性よりもないんだろうなって思うようになったわ。
「別に環境を変えるほどではないけど溜め込んでおく のは辛い」ってくらいの不快感にも耐えられないんだろうね。
だからすぐ「環境変える」みたいな極端な考え方になるし、環境を変えられないならすぐ自殺する。
男女の自殺率の差って単純に男のメンタルが弱いってことを意味してるだけの話なんじゃないの?
何かを訴えたいわけじゃない
友人等はゼロ、親兄妹とすらそれが出来る関係を築こうとしなかったオッサンが
とっ散らかった愚痴を吐きたいだけ
揚げ物辛くなるし、そもそもの食欲がわかなくなるし
あれだけ永遠に布団の中にいたかったのに8時間睡眠すらやりきるのが難しくなったし
1年がかりで1クール作品をやっと見終える(多くて3本)になり
お絵描きだけはまぁ続いてるけど手癖で低レベルの似たようなの量産してるだけであんまやりがいは無く
かと言って向上心はすっかり失せて
仕事終わったあとの疲れ方的に
元々少ない体力、筋力も恐らく更に減ってて
とにかく今年36になるまでの間に動物としても「人間らしさ」にしても
維持する機能が一気にだだ下がりして精神的についていけなくなってる
まぁ、多分人より早目に迎えてる気はするけど
ただ何にせよそろそろ寿命なの…?とか
とかの思考が増え始めてるってのに
同世代は勿論20、30上でも活躍(までいかずとも真っ当に生活)してる人が圧倒的多数なんだから
身体に鞭打ったり向き合って付き合い方を模索調整しながら頑張るのがあるべき姿
って現実があって
でも面倒くさくて面倒くさくて
出来る気しないししたくもないからいじけてる
自ら終わらせる度胸も無い
インターネット上でたまに見かける、実は病気が原因の不調かもだけど
何科かもよくわからんし調べるのも面倒くさい
とかも思いつつも結局全部面倒くささが勝ってそれまで
容姿の整った若い女性社員で、この考え方を改めてでもそういう場に連れて行ってやりたいと思えるほど向上心や学習意欲がある奴が居た試しがない
あのな、そもそも美人で若い女性なんて容姿を武器にして優遇されたり甘い対応してもらうのが当たり前の楽な人生を送ってきているんだから真剣に取り組む訳が無いんだよ
だから仕事で高い水準の教育や幹部の話が聞けるみたいな貴重な機会なんかに女性社員を連れて行くなんて無駄
社会に出ても同じように男に媚びてお姫様待遇して貰う気満々だから上の増田の話みたいに水商売なみに距離感近かったりするんだよね
新卒から数年はそれでチヤホヤして貰って、25あたりから今度は若さってブランドが無くなって今までの待遇が通用しなくなるのを危惧して、サッサと結婚して養われようと金持ってて顔の良い男捕まえる事に力入れ始めるし
向上心はあるに越したことはないだろうけと、それに執着して自分や周りを壊してもな…
そんで、公言した方がやる気が出るとか自分を追い込めるとか、そういうのあまり真に受けない方がいいと思うのよね。
人それぞれのペースと目標で。周り気にすんな。
ただのかまってちゃんは知らんけど。
実際は、報酬系動かないって認知とか自我とかそういう精神的な作用ほぼ全て阻害されるようなもんだぞ
反省、分析、思索、後悔、計画、自責、記憶、こういう心的機能が起こらなくなる
当然、納得も満足も経験されなくなる(それを体験する心が希薄になるから)
そうなると人生スパンで達成する目標とかに基づいて行動出来なくなるし
損得勘定も出来なくなる 世界ランクとかマウンティングやレスバに興味がなくなる
向上心・自尊心・射幸心・グリッド・レジリエンスなどのいわゆる非認知能力も全てオミット
社会性も無くなり他人と形成可能な関係がほぼ0になるか幼稚で非建設的で相互被害的でそういう悪い関係性しか実現できなくなる
自分を許したり許さなかったり、他人の落ち度を探したり自分の落ち度を探したり、こういう批判的な思考も起こらなくなる