はてなキーワード: 台詞とは
よくまとまっており特段コメントはない。
マスコミの反応の不甲斐なさ…というかダメダメぶりについても、前からだよねというしかない。
そこからちょっと話は逸れるが「悪夢の民主党」は不当だという声がある。
それ自体が党派性の結晶のような台詞であり非生産的だと思うが、
こっちの台詞だよ
あーマジで見てられね―な。
お前がブルアカのこと好きでもなんでもないことは明白なんだよ。
バ レ バ レ って奴ね。
ブルアカの本質、透き通るような世界観の青を理解していればブルアカアニメが何を目指していたのかぐらい秒で理解できる。
ブルアカが目指していたのは「韓国原産ゲームのアニメ化という偉大なる成功体験の再現」なんだよ。
韓国産ゲームが二次元大国日本に文化侵略を繰り返し、その象徴としてアニメ化というゴールへと到達した日々の走馬灯こそがブルアカの見る夢なのだ。
原作ゲームを荒削りに再現し、キャラ萌えと狂気と闇(ニチャァ)で安易にオタクを刺激しようとする牧歌的で原色的な平成中期のポップカルチャーをやり直しているわけ。
原作ブルアカのOPを聞いた時、君は言いようのない懐かしさを覚えたはずだ。
ブルアカはね、若いオタクが青春を味わうゲームじゃないんだよ。
年老いたオタクたちが、自分たちの夢見ていた青春を思い出すゲームなんだ。
青春を夢見ていた頃の気持ちを共有することで、オタクとしての若々しい情熱を蘇らせてくれるんだ。
今風の技術と絵柄を使っているだけで根っこの部分は何十年も前に流行ったような王道楽園美少女動物園だ。
偉大なるキム・ヨンハが目指しているのは、まだ美少女動物園が青々と輝いていた頃を懐かしむことなんだよ。
レッドオーシャンしていくなかで差別化のために迷走を繰り返し、パイを広げていくためにオタク臭の脱臭を図りだす前の時代の追憶だ。
彼は未来を見通す賢者ではなく、自分が経験によって学んできた歴史を課題に評価する愚者だ。
愚者であるからこそ、余計な知恵を振りかざさないからこそ、その実直な気持ちが受け手の心を捉えるのだよ。
日本カルチャーが忘れた原始的な萌えの体験を愚直になぞり続けるキム・ヨンハの繰り出した新たな一手こそが、オタク黄金時代風なアニメ化なわけだ。
OPだけやたら気合が入ってて本編の作画はちょいちょい手抜きを感じさせるこの空気、これを懐かしめない奴はブルアカのことを何も分かってねえ。
声優がフルボイスで全部の台詞を読んでくれているだけで嬉しいと思えるかどうかが試されていることが、自分が本当のファンであることを証明してくれる試練となっていると思えねえのか?
ブルアカのアニメは俺達に大事な気持ちを思い出させてくれたぜ。
このガッカリ来るような気持ちがよ、当たりの少なすぎるガチャのような理不尽さがよ、スコッパーたれと言うが如くの玉石混淆、これが俺達の脳をぶっ壊してきたんだろうが!
☆3が全然引けねえから☆3を同時に引けただけで自慢スクショ取っちゃうような、そんな賭博性が快感の大原則なんだよ!
ブルアカのアニメだから成功して欲しいという気持ちが裏切られたと感じる時、その気持ちに「コレだよコレェ!」となれないような奴がブルアカをいっちょ前に語ってんな。
そしてアニメ版エデン条約編の評判の良さを聞きつけて帰ってきてから「クソすぎて途中離脱してたわwwww」と言ったことから炎上して全部のアカウントが凍結されるがいいさ。
お前は今政治家になりたいと思う?
「世の中に不満があるなら自分で変えろ」なんていうどこぞのアニメキャラの台詞の誤植みたいなことを言いたいわけじゃない。
「お前だって政治家になんかなりたくないだろう?皆一緒だよ」と言いたいんだ。
お客様根性丸出しで投票にも行かずに文句だけは垂れ流す「有権者様」の文句が流れ込むドブに首まで浸かって汚泥の仕分けと処理をやらされる仕事だ。
誰だってやりたくねぇよ。
だから、一度身近に政治家が誕生するとその支援者は「自分達に利益を運んでくれるドブ掃除屋」という仕事をその血族に押しつける。
政治家本人も望んでいる場合はあるだろうが、世襲議員を真に望むのは周りの人達だ。
ドブ掃除屋のメンタルのために輪番で担当しよう、なんて誰もやらない。
「自分以外の誰かが品行方正で真っ当な政治家になってくれないのが問題だ」と恥ずかしげも無く口にするヤツばかりだ。
自分がやりたくない仕事を他人に押しつけるならせめて報酬ぐらいは沢山積めよと思うが、国会議員になっても得られる正当な報酬は弱小企業の社長レベルだ。
「なにかそういうデータがあるんですか?」
「ぺこーらに告白しようと思ってる」
「5000兆円欲しい」
背景のストーリーを把握し、イメージを共有し、その上で表現としてしっくり来たことが評価され、バズり、シェイクスピア語録みたいになる。
そういう類の文化だ。
はっきり言って気持ち悪い。
アニメやドラマの名台詞ランキングとか、漫画の名シーン投票とか、そういうのも大差がない。
FLASH黄金時代を過大評価してネットが活かした文化の最先端だったのだと憤るインターネット老人welcom to undergroundを見せられているようで共感性羞恥すぎる。
よく分からんけどなんか長年評価されているし若造は知らなそうだからこれ褒めてたら人生のベテラン感出るやんみたいはすけべ心の見え隠れがエグいということだよ。
キモいんだよな。
https://books.google.co.jp/books?id=Okhi4BqhKB4C&pg=PT278&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false
党派性によって「ハレンチ学園より前に流行っていた」vs「広めたのはハレンチ学園」になるのは明白だ
ご本人の談としてはこのようなものが見つかった
そういう中で描いたのが「スカートめくり」だった。当時を知らない人のために書いておくと、当時テレビで流行っていたCMのパロディーだ。小川ローザさんというハーフのモデルさんが出演していて、風で彼女のスカートがまくれ上がって「オー! モーレツ!」と台詞が入るという、全国のお父さんが鼻の下を伸ばしていたアレだ。
CMを元にしたのは間違いなさそうだ
ドラゴンボールのブルマみたいな感じだった様子。確かにインパクトは凄かったのかも
「モーレツごっこ」と「ごっこ」がついているのも漫画の真似だと認識されていたんだと思う
http://www.mazingerz.com/GOSIRYOKUKENKYUJO/2003_01_09/21content.html
それも家事をやりながらでも聞けるようなラジオをイメージしてる。
家事をやりながらっていう主婦の都合も考えて、毎日見ることなんて想定してなくてちょっと話を飛ばしても成立するようにも作ってある。
・ながら見を前提としていて耳だけちょっと意識を残しておけば全容が把握できる絵付きのラジオドラマ
・ちゃんと視聴することを前提としていてちゃんと画面を見なければ成立しない本格派ドラマ
このうち前者に属しているドラマに求められるのは、全体の半分の台詞を聞いていれば話が把握できることなんだよ。
これを幼稚だ女は頭が悪いだと批判するのはそもそもが分かってないね。
そもそもの作りが離乳食とは言わずとも携行食レベルなんだよね。
ちゃんと座って向き合うような本格的なドラマと同じ枠組みで評価しようって発想がおかしいわけ。
映画やゲームのBGMに対して「これって単品で聞くとそんなでもないね。クラシックの方が全然いいわ」と言ってるようなもんだよ。
インベスターZの炎上事例 https://anond.hatelabo.jp/20240503185920
には、昨今のオタク的ないちゃもんの付け方がどんな風に表現を殺しているかの典型例が現れている。
それはこの箇所だ。
作中に「ぼくの見た奴は面白かったから」という理由で、映画を「損切り」出来なかったことを正当化している部員がいる。これ、普通の読解力で普通に読めば、作者のエクスキューズである。(中略)しかし、これすらも、号泣暴走グルグルパンチと化したオタクには「作家自身も気づいてない矛盾を俺が指摘してやる」といういちゃもんのつけどころになる。
インベスターZの作中では、──わかる人はわかって当然なのであえて意識もしないが、──キャラクターの相対化による論調の緩和というものを行っている。
作中に、ある意見を強硬に述べるものがいても、それに明らかに賛成していない人物を出すことで、その論が絶対ではないという作者の立場を示すマーカーである。
当たり前すぎて言っててバカらしくなってくるが、どうもこんなことすらわからないのが今やオタクだ評論家だを気取ってネットで偉そうにものを語るやつらの一大勢力に成り果てたのだということを、残念ながら痛感せざるを得ない。
ではなぜそんなことをするのかと言うと(これもわざわざ説明しなければいけないというのがバカらしいが)、台詞の流れを読みやすくするためである。
漫画は文章とは違う。一人の人間がある立場の意見を示しながら、その意見は絶対ではないしそれを判断するのは相手の自由であるなんてことを一人で全部語っていたら、台詞が長くなるし読みにくくなる。
だからそのかわり、意見の相対化は複数のキャラクターの不同意的空気によって読み取らせることが基本になってくる。そういう意味では漫画の読み取りには、ある種の本などより知能がいるのかもしれない。
あるキャラクターが述べていることだけで作品のテーマを早合点し、それに反対するキャラクターもまた作者の手による創造物であることを忘れるような理解力の低いオタクには、作品を語る資格なんかないし、こういう連中がのさばればのさばるほど漫画の表現は萎縮し後退していくしかないのである。
「虎に翼」を評価してる人って普段どういう作品を楽しんでいるの?
好きなドラマ、映画、漫画、ゲーム、演劇、なんでもいいから教えて欲しい。
なんでかって?
私は虎に翼が面白いとは全く思えない。
正々堂々とハッキリ言っておくのがフェアだろう。
私が朝ご飯をリビングで食べる時間に母親が毎朝見ているから一緒に見せられているが、全然面白くない。
出勤日には食堂や休憩室のテレビで同僚と一緒に見ることもあるが、全然面白くない。
なんでこんなのを見せられなきゃいけないんだろうと思ってる。
つまらない。
虎に翼だけは特別面白いとも思えないし、それ以前にやっていた作品と差があるようにも思えない。
そして、虎に翼は正直言って他のドラマよりもある意味でレベルが低いと思っている。
扱っている題材が単なる恋愛モノに留まっていない分、出来の悪さがより如実に出やすくなっているように感じるからだ。
「じゃあ逆に、虎の翼が好きじゃない人はどんな作品が好きなんだろう」と感じた人もいるだろう。
それに先に応えるのがフェアだろうから回答する。
国産ドラマなら「dele」「民王」「おいしい給食」が最近(もう結構古いな・・・)だと好きだった。
海外ドラマの場合は本当につい最近配信された「フォールアウト」を推したい。
小説だとミヒャエルエンデ、劉慈欣、恒川光太郎、村上春樹といったファンタジー系の作家を好んでいる。
映画ならファンタジー作品だと「チャッピー」のようなSF+人間は愚か、実話系でも「イミテーション・ゲーム」のようにサスペンス寄りなものが好きだな。
全体として、手間暇をかけて世界観、空気感を構築する作品を好んでいるようだ。
さて、じゃあ私は「虎に翼」に対して丁寧な世界観や空気感の構築を感じていないということなのではという仮説が立つな。
うん。そうなんだと思う。
「この時代はこんなにも男女不平等だったんですよ~~~~」と視聴者に語りかける時の説明台詞っぽさは本当になんとかならないのかと感じてしまう。
説明することにばかり意識が言っていて、その中に不自然さが溢れているんだよ。
生まれてから今日まで当たり前のように男女不平等の世界に生きてきた人々であるという感覚がそもそもないとういか、突然あの時代に転生してしまった現代人が必死にあの時代の人間のふりをしているかのような語り口なのはなんとかならないのか。
脚本を作っている人たちの中に、男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちているようにさえ見えてくる。
「男(女)が~~~なのは当たり前でしょ?」という感覚の当たり前感が薄っぺらい。
劇中でそれをわざわざ再度強調する時の
「女~~~~!!!女ごときが~~~~~!女め~~~~!!!」
「え?女だから駄目なんですか」
「女ごときが~~~俺が間違っているというのか~~~~~」
「それは法律が間違っているんです」
「女~~~~まだ言うか~~~~~~!!!!」
みたいな流れも見ていていい加減うんざりするというか、アレを作劇的に意味があるものだとして監督やディレクターがOKを出している、というよりも後押しをしてより安っぽい作りにしようと頑張っているんだろうなということに程度の低さを感じて目眩がしてくる。
男女平等啓発のための30分程度の教育ビデオならともかく、30時間も尺があるドラマで「物語を通して薄っすらと見えてくる現代とは違う男女観」を浮かび上がらせることを放棄して、露骨にでっち上げた憎まれ役に「女ごときが~~~~」と何度も言わせているのは稚拙と言わざるを得ない。
なぜ、こんなものが評価されているのか、私には本当に不思議でならないんだよなあ。
追記:
皆さんの好きな作品
国産ドラマは「最愛」「vivant」、海外ドラマは「グッドファイト」「トッケビ」、アニメは「PSYCHO-PASS」、本は小説より宇宙物理が好き、映画はネイチャードキュメンタリーが好き。
朝ドラだと「あまちゃん」「ゲゲゲの女房」「エール」大河だと「鎌倉殿の13人」「いだてん」「西郷どん」「真田丸」辺りが好き。
北村薫の推理小説、白石加代子の一人舞台劇「百物語」、柿本人麻呂の長歌、スーシェのポアロ、グールドのバッハとグルダのモーツアルト、ジョージ・セルの「ハーリ・ヤーノシュ」。
漫画課金勢ワイ、この一年で見てるドラマは虎に翼だけ。こんな私が漫画で好きなのは、違国日記、君の心に火がついて、隠密お局、明日カノ、薬屋、町田くんの世界、平和の国の島崎へ、繕い裁つ人、銀太郎さん等
同じくカーネーションが飛び抜けてるという感想だが今回のも秀作。光る君へ、鎌倉殿、拾われた男、エルピス、大豆田十和子、カルテット、大奥(nhk)、MIU404他野木脚本など
今クールはアニメ「ウィンドブレーカー」「転生貴族、鑑定スキルで成り上がる」見てる。/ 一番好きな漫画は「ワールドトリガー」
鎌倉殿と野木亜紀子と坂本裕二が好き…。ごめんね、ど定番で。。マンガは萩尾望都と吉田秋生、小説は恩田陸と村上春樹が好き
虎に翼みたいに、主人公がペラペラよく喋るドラマは掛け合い漫才みたいでわりと好き。逃げ恥とか、ミステリと言う勿れとか、大豆田とわ子とか。
なるほど、色々あるな。
虎に翼以外の朝ドラも見てる人が多くて、大河も見てる人が多いっぽいがそもそも視聴率が高めだからなんともだな。
大河だと鎌倉殿が人気っぽく見えるし、全体として味付けの濃いキャラがたくさん出てきてガヤガヤしてるタイプが好きって傾向が強そうに思える。
なるほど。そもそもの前提として適当に見るような作品として作られているのか。細かい機微を表現することを最初から捨てているとああいった大雑把な演技・脚本になるんだなあ。
「男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちている」その常識に疑問を抱き戦った女性達の話なのでああなるのは作劇上必然。当時の常識に従い耐え忍ぶ話が見たいなら別の話をどうぞ
ちょっと話が噛み合ってないかな。前提としている常識の違いを台詞によって表現する際の微妙な機微が出せていないという話なんだが。まあこれもそもそもながら見前提の大味演技のせいで削ぎ落とされてしまった部分ということなのかな。だとしても、それを出せない癖にこういった題材を扱うのはなんというか・・・失礼な気がするんだがな。
この人がちむどんどんをどう乗り越えたのかが気になる。
乗り越えられなかった。「ちむどんどんする!ちむどんどんする!」の声を聞きたくなくて別の場所で飯食ってたよその時期。
なんとなく色々分かった気がするので増田で聞いて良かったと思う。
・否にはあらず
「ねぇ、僕とお付き合いしてくださいよ」
人付き合いが苦手だという彼は、唐突にこんなことを言い出した。
「…付き合うって、どういう事です?美妙さん」
「どうって、当世では男が女をこのように誘うと聞きました。男と女の付き合いを、知らないわけではないでしょう?」
なるほど。要は特務司書であるこの私に女として付き合うことを要求する、と言う事らしい。彼…最近この帝国図書館にやってきた山田美妙は高らかにこう続けた。
「なんならここから飛び出しても良い。こんな退屈なところ、うら若き貴女にとっても良くはありません。どうです?僕と一緒にここから逃げませんか?何なら俥を用意しましょう。俥で行けるところまで行ったら、今度は舟に乗りましょう。こっそり脱け出せば、誰も追いかけてきやぁしませんって」
なんと一緒に駆け落ちしようと来た。軽薄な男であると言うのは逍遥先生から聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。
それと同時に、悪魔的な好奇心を彼に感じるのもまた事実だった。色素の薄い整った顔立ちにどこか仰々しい立ち振る舞い、そして蠱惑的な台詞の言い回し。軽薄だと分かっていても、花に寄っていく蝶のようにフラフラとそちら側に倒れてしまいそうな感覚を覚えて、くらりと少し視界が回る。恐らくは彼も本気ではないだろう。それならば、このお遊びに付き合うのも悪くはない、むしろ面白そうだと思って、私は彼が差し伸べた手を取り、引かれるがままに立ち上がった。
「そうですね…二人でどこか遠いところへ行くのも、良いかもしれません」
私がそう答えると、彼は目を丸くした。色良い返事を期待していなかったのだろうか。そのまま顔を引きつらせ、口角をつり上げて高笑いをしだした。
「ハ…ハハッ…貴女、本気にしたんですか?ここから、逃げる?ハハハハッ!僕に惚れていたのなら残念でしたね!共に逃げ出したところで、僕の芸の、文学の肥やしにするだけですよ、ハハハハハッ!!」
乾いた笑いが部屋の中に響く。それは軽くて、悲しい笑いだった。向けられた好意に素直に反応ができない彼の精一杯の強がりのように見えた。なら、私も、その強がりに見合った対応をしよう。
「……何を言っているんですか?」
「え、何って……」
放たれた一言によって高笑いが止む。私は矢継ぎ早にこう続けた。
「惚れたも何も、そもそも本気になんてしていませんよ。単純に、あなたとの火遊びに興味がわいているだけです。誘いに乗ったのだって、ただ何となく面白そうだったからに過ぎません」
「………………」
「私を芸の肥やしにする?それも結構!私は私で、あなたを私の好奇心を埋めるくさびとして扱いましょう。そこには愛も何も有りはしません」
ここまで言い切って一息つくと、彼は呻き声を上げながら固まっていた。少しやり過ぎたかな、と思いつつ、伸びたままになっていた手を握り返す。
「あなたも火遊びのつもりで誘ったのなら、お互い利害が一致して良いじゃないですか。金と女は自由に生きるのにあるだけ欲しいって前に言ってたの、こっちは覚えてるんですよ。嗚呼、金は流石に用意できませんが」
「あ……え……その……」
「さぁ行きましょう。俥は目立ちますから自動車を呼びますね。嗚呼、遠出をするとは言え、朝になる前には帰ってきますからそのつもりで」
私は握り返した手をそのまま引っ張って彼を外へ連れ出そうとする。最初の威勢は何処へやら……抵抗なくついてくる彼は、まるで初めて共寝を迫られた乙女のように顔を赤く染めて、俯いていた。
これは火遊びするどころじゃなさそうかな。そんなことを考えながら、私は彼の腕を引っ張る力を強めた。
でもSTEAMやニコニコ大百科でこんな話したら可愛そうだからココに書くことにする。
最初に逝っておくが、俺は最初の10人だけ対応した所で愛想が尽きたので「それ、後半になるとタネ明かしされるよ?」ってことなら誤る。
カメラを止めるなを10分の所で退場したアホと一緒だという烙印を押してくれていいよ。
マジでコレ。
俺がこのゲームに不満がある最も大きな所はコレ。
怪奇現象だって相談されて、本当にごく一部の違いを当てるゲームなんだけど、その違いを当てたら相手が素直に引き下がってお礼を言うんだよね。
相談ダイヤル「 ”メリーさん”じゃなくて”メアリさん”と名乗っていたので、それはただのストーカーですね」 ←え?これで納得できる?
「ちょっと決め台詞や名前が違ってたからって何だよ!俺は呪われそうなんだよ!」ってなりませんか?
イタズラ電話でやってたにしても、そこら辺は食い下がったりしません?
じゃあどうしたらいいのかって?
たとえばその場では「は!もう相談しません!呪われたらお前を呪ってやる!」→後日「ごめんなさい。友達のイタズラでした。相談ダイヤルを試してみたくて俺を巻き込んだんだってよ。一発殴ってやったよ。疑って悪かったな」みたいな感じでもよくありませんか?
なんかこう入り込めないんですよね世界観の作り込みが雑だと。
怪奇現象だということを肯定したらしたで、証拠情報の集め方が足りないとキレられるんですよね。
別によくない?
「そっか!やっぱり怪奇現象なんだ!早くプロにお祓いを頼みますね!」みたいになりません?
なんなん?
たとえばですよこれだって「専門家に行ったら全然違うって言われて恥をかいたぞ!相談料もちょっとかかった!授業料だと割り切って弁償しろとは言わないでやる。でも、お前らは信用できないって言いふらすからな!」みたいに後から言わせるとか出来るんじゃないですか?
いやマジで謎。
本当に怪奇現象なのかどうか知ってるなら相談ダイヤルにかける必要なくないですか?
なんで相談者のほうが正しい答えを知ってるの?
元ネタの『Papers, Please』の場合は通して良いか悪いを誰がいつどう判定したのかはブラックボックスになってるんですよね。
監視カメラとかダブルチェックとか業務日誌を見られているとか警察が捕まえてから判明とか色々考えられますけど、とりあえず何が起きてるのかはわからないんですよ。
対してこのゲームは「怪異かどうかを外すと依頼者が怒り出す」という形にしてる。
ええええええええええええええええええええ?????????????????????
そうなっちゃ駄目でしょ。
なんかもうちょいどうにかならなかったんですかね?
『Papers, Please』のマネっ子で、判定成功失敗についてはその場ですぐ分かるようにしつつ依頼者が怒る演出は次の日の新聞だけで済ますとかでもよくないですか?
相談ダイヤルで判定に失敗したら妖怪に襲われる仕組みになっているとかそういうのでも別にいいです。
「なぜか自分が怪異に本当に遭遇したのかを依頼者が知っていて怒り出す」はマジで意味不明。
結局のところ、このゲームの何がよくないって、『Papers, Please』からの換骨奪胎が上手くいってないことなんですよ。
『Papers, Please』のゲームシステムはあの設定だから成立してたし、それで成立するように細かい味付けを調整してるわけです。
でもこのゲームは『Papers, Please』のシステムを踏襲したうえで「怪異に遭遇したかどうかを判定する電話相談」という設定にそぐわないようなシステムになってるんですね。
その矛盾を埋めようとせず、むしろ矛盾をさらに広げるような方向にシステムを調整してしまっている。
ぶっちゃけね、ちょっとしたスパイスを加えれば十分解決できるよなものを放置しまくってるんですよ。
依頼人が何故か結果を既に知っているというシステムになんてしなくても「怪異相談ダイヤルに住み着いてる妖怪がいて結果だけを教えてくれる。失敗した時に嘲笑うために」みたいな設定をひとつまみ加えるだけで私の不満点は解消できたわけです。
そこを掘り下げれてないのが本当に気に食わない。
お前本気でこのゲーム作り込む気あったのかよと思ってしまうわけです。
そもそもをして『Papers, Please』の次々にルールが増えていって煩雑になっていく馬鹿馬鹿しさと、無数の怪異がいて検索をかけて調べなきゃいけない面倒くささってなんか一致してないんですよね。
『Papers, Please』の何を面白いと感じてこの形にしたんだよと。
メリまで入れたら「メリーさんの電話」が出てくるようにしろと。
そして、序盤のうちは出てこない怪異なら序盤は検索に引っかからないようにしろと。
段々と面倒になる『Papers, Please』の面白さを再現するならそこだろと。
序盤はあんまり種類の多くなかった怪異がドンドン増えていって、ドンドン考えることが増えていく、そもそも怪異がドンドン増えている事自体がなんか嫌な予感がすると思ったら、悪いやつが都市伝説を広めることで恐怖を煽り集合無意識の力で怪異が量産されていたのだー!みたいな流れを作れと。
ほんまなんなん?
『Papers, Please』の何が好きでこのゲーム作ったんだよと言いたくなりすぎる。
と俺は思ったけど、好きな人は好きなんじゃないですかね。
じゃあ成仏するわ。
日本のコンテンツ産業の中でドラマって相当レベル低いよなやっぱ
お笑い・アニメ・漫画・小説・ポップ音楽・クラシック・ゲームといった他の産業と比較してもダントツにしょーもないと思う。
ごくごくたまに映画がチラっと評価されることはあってもテレビドラマが評価されているのなんてもう完全に見かけない。
ずっと昔に冬ソナが流行って「昔の日本のドラマのパクリだね」とキャッキャッしてたけど、その頃にはもう日本のドラマはズブズブに腐り果てて半沢直樹みたいなとりあえず叫んでいれば名台詞扱いで受けるような作品が人気の超低IQ向けの産業に成り果てた。
テレビ業界が頭の悪い人向けの番組を安く仕上げて適当に流すのに慣れきるのに合わせて、テレビで放映されるドラマもドンドン酷くなっていく一方だったよ。
アニメはまだ海外に輸出するっていう意識があったから国外でも通用するようなコンテンツを作ろうとしてたけど(つうかまあ日本のオタクの財布の総量がアニメ業界を支えるには弱すぎたんだけど)、ドラマ業界は芸能事務所とズブってそこから金を引っ張ることを選んで内に閉じてった。
そんで見事に駄目駄目になったドラマをだらだらと見続けてハードルの下がりまくった視聴者が「虎に翼は伝説的なドラマになる」とか抜かしてるわけですよ?
えー嘘だーと思っちゃうね。
アレもよくよく歌詞を聞いてみれば「朝ドラとか見てるやつって結局恋愛脳なんだろ?女性の社会進出について語ってるようなドラマでも顔の良い俳優の色恋沙汰にしか興味ないんだろ?悲しいね。結局お前らは性欲まみれなんだね。男女平等とか言ってるけど、そもそもの根底に男か女かで世界を見てしまうのは、お前らが結局性欲でばかり世界を見てるからだよね。哀れだね」みたいなこと言ってめっちゃ煽られてるぞ?
元増田じゃないけど、スネイルは上も下も自由奔放な社員達に囲まれて悩む神経質で真面目で融通が利かない苦労人の中間管理職って感じがして結構好き。それでいて決め台詞が面白いとは卑怯でしょ。
アニメやコミカライズだけ見てた場合、作画コストを考えたら馬や乗り物なんか出したくない、徒歩で済ませるものは徒歩で、となると思う
というか、たぶん最大の理由がそれ…なるべく人間だけ描いて終わらせたい
登場人物たちではなくアニメーターや漫画家などの作画スタッフが断捨離したいんだろう
そのほか
スローライフ推奨はテレビ番組でやってる、国や自治体も宣伝してる、ゲームでもヒット作多数、というか「異世界のんびり農家」なんて台詞で出てくるのがダッシュ村だし、やってるのは「あつ森」だし、メジャーな素材を拾って作りましたとしか言いようがない
あと、田舎といってもそこそこ規模の地方都市在住なら農業なんて無縁なので「あこがれのスローライフ」は普通に娯楽として消費するよね。「地方都市在住なら自動車必須」という話と営農とは、分析対象としても描写対象としても全く重ならない…「乗り物の描写がない…スローライフに憧れ…これは完全に一致!」という発想こそ都会的発想では
竹内 例えば、振り返るときに「んっ」って言って後ろを向いたり、そんな人間いないよって初めは思ったんですよ。
竹内 でもアニメはそれも一つの様式美で、お客さんに対して音として指定する解りやすいサインだと思ってやるようになったんですけど、
普段出してない音だったので、最初は意味がわからなかったです。
(…)
竹内 「こ、これは!?」の最初の「こ」はなんだよ! とか、悪者の最初の台詞はなんで「ハハハ」から始まるんだろうとか、
いろんなところが引っかかってはいたんですよ。