はてなキーワード: 原作厨とは
原作はとびとびで読んでる。
萬斎版も見てます。
以下、過剰な表現の感想はしないようにするため、多少感想は回りくどくなる。
もともと今回の映画は期待してなかった。
実際問題として映画の出来は70点届かないくらいかなと。68とか69とか。
シネフィルぶった感じで★5の評価をつけるとするなら★3.6、もしかしたらもっと低くつける人もいるかもしれない。
かといって酷いわけではなく「GWに家族で見に行く」のは超おすすめだし、なんか見るもんないしコナンも見たしなぁーって人がふらっと入っても楽しめると思う。
丁寧で難しくもないし、子供向けでもない。でも子供も多分いい経験になるだろうし、大人もシニア世代も懐かしいなとか、美術的にも彩色豊かなので萬斎版と違った新しさは感じられるだろう。
原作厨過激派はネトフリのアニメだって受け入れられないんだろうし映画は見るなと言いたいが、原作ライト層なら楽しめると思う。
しかし原作ではまだ描かれてない部分であるし、原作者もがっつり監修している(監督は原作者指名である)。原作で二人の出会いが描かれるときは違うものとなるらしいが、それはエンタメ的、商売的な観点ということのようだ。
設定は変わっている。でも好感度は高かったのはなぜか。
「世界観」と「主要キャラの関係性」が大きく変わらなかったことだ。
陰陽師という作品は晴明と博雅のシャーロックとワトソンコンビで成立する作品だ。
だから時代が変わってもこの二人がいれば夢枕獏の陰陽師だと認識できる。映画にはちゃんと居た。
ただ今回、原作よりも若い頃の二人という設定なので安倍晴明のキャラが少し違うように思う。青く泥臭く、また甘い。
しかしそこに染谷将太が「どうも原作から来た博雅です〜」って感じでやってくる。
まだ博雅を知らない晴明はツンケンしているのだが、映画が進むに連れ博雅を知ることで「原作の博雅を知った晴明です」って顔になってきて、ああこいつ成長したらちゃんと原作の晴明になると感じられるのが楽しいのだ。
展開も原作でありそうなものだ。まあこのへんが夢枕獏の呪術ワールドでもあり幻想映画にしてしまう部分でもあるので多少分かりにくくなるのだが…大体呪術廻戦の領域展開だと思えばいい。
しかし映画とは作品としての出来を1歩引いた目線で見て総合評価するものではないと常日頃思っている。
この映画はバディ誕生物であり、昨今の話題作だと「ゲゲゲの謎」や「ヴァチカンのエクソシスト」と同じ楽しみ方をしていいものだと思う。
ゲ謎やヴァチクソ(ええんかこの略称)は大傑作というよりは色んな前提を知っている人がキャラの二人を見るのを楽しむ感じで、カルト映画のような人気を博している。
違う点は先に書いたように「子供を含めて家族と見れる」という点だ。どんな因習のある村に住んでいようが陰陽師0は見れる。なんか久しぶりにそういう映画をコナン以外で見た。懐かしさ…。
んー、今暴れ回ってるのって原作厨なの?
暴れ回る理由ができたからなんでも批判していいと思ってる層の話でしょ。
ハイエナみたいに日テレを叩けるぞーと群がるメディアもいる訳で。
脚本の通りにしない演出家も監督もいるしセリフを変える役者だっている訳だから、張りついて噛み付くことにはしばらくは困らないよね。
例の件があって以来、脚本家と名の付く者は問答無用でネットリンチしていい、みたいな風潮だが、お前らは何の権利があってそんなに偉そうなんだ。
原作者が「原作通りに」と要望するのは分かる。自分のかわいい「子ども」だからな。一方で、その辺の考え方は作家によるわけで、原作通りでないから無条件にダメなわけではない。
脚本家が「自分のオリジナリティを出したい」というのも分かる。曲がりなりにも創作者だからな。原作者との約束は履行すべきだし、その自身の感性で解釈し再構成したものが面白いか、それに見合った能力があるのかは別の話だが、「完全なオリジナルでないなら自我を出すな」なんて言い始めたら、世の中の大半の創作物は世に出せなくなる。
翻って原作厨は何なんだ。いや、お前らは高々消費者の分際で何様になったつもりなんだ。さしたる教養がなくとも、「原作通りじゃない」なんて批評未満のことは誰にでも言える。誰にでも言えるから棍棒になる。棍棒を持ったら日頃の憂さを晴らしたいよな。分かるよ。
だけどな、それで殴ってる相手が生身の人間だってこと、もうちょっと考えようや。棍棒で人を殴り続けると人は死ぬんだ。知ってるよな?
なら、どうすればいいのかは分かるな。お前らは「聖書に書いてない」っていう理由で人に殴りかかる奴らと同じことをしているんだ。作家は人を楽しませるために作品を作ってるんだ。お前らの棍棒を作るためじゃない。
こういうのもオタクさんサイドから見ると、オタク叩き、ネット民叩きに都合の良い棍棒として「攻撃したかったわけじゃない」を使ってるなーって見えるわけよな
攻撃の対象が脚本家やらの日テレサイドか、加熱しやすいネット民やら原作厨やらのオタクサイドかの違いで攻撃したかったわけじゃないを尊重するよ派にもすげえ攻撃的なのが混じってるのがインターネット味が濃くてすごい
私が描いた「セクシー田中さん」という作品の個性を消されてしまうなら、
どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、
粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の
完成にこぎつけましたが…。
ただ、脚本家のプロットがボツになったから脚本家がキレたのと、毎回毎回加筆修正が必要で原作者も疲弊した
ということとは関係なく、原作者のブログを曲解して脚本家ぶっ叩きに行ったバカな原作厨のせいで原作者が追い込まれて…
だって書いたものを誰かに勝手に修正させられてそれを最終稿にさせられるんだから
原作者と脚本家の合意プロセスがなく、契約があるからというだけで原作者の一方的な意見のみが通ってしまったのではないかな
結構しんどかった
いわゆる携帯小説のたぐいだった
太平洋戦争の時代へタイムスリップして特攻隊員に恋する話なんだけど
あとヒロインの性格や悩みも良くわかんなかったし、どう惚れたのかもよくわかんなかった、男の方はちょっと不気味だった
それでも若者には受けてるみたいなので、俺が間違ってるんだろうなと思った
多くの違和感の正体は、原作が小説であり、主人公が中2であるためだった(映画では18歳、女優は25歳)
主人公の発言が言ってしまえば幼稚なんだ、偏差値35の女子高生ならこんなかな?とも思うが、設定では頭がいいことになっていたので違和感がすごかった
元が中2なら納得だ
もしこれがちゃんと中2主人公で、戦時下の難しい話や価値観の違いは脇に置いといて、愛にフォーカスを当てた文章がイラスト付きであったら、しっくり来る内容だと思う
あと展開の改変も多かったようだ
小説の方では波乱があり、盛り上がる場所もあるようだが、映画ではごっそりだ
(一応ネタバレはしないが、あらすじをちょっと調べるだけでだいぶ削ぎ落とされたことがわかる)
でも実際若者には受けているようなので、そのチューニングは正しいのかもしれない、わからないけど
個人的にはちゃんと原作通りの内容をアニメかなんかでやったら泣けたと思う
ところで、ゴジラ-1.0でも正直戦中戦後の描写は微妙だなとか、邦画特有の臭さとか、偽物感とかあったんだけど
ゴジラが出てきて全部ぶっ壊しちゃうから、「ああこれはファンタジーだ」と割り切れた面があると思う
ショックだったのは、若者にとってアレが不気味の谷ではないということで
つまり太平洋戦争というものが、ナーロッパや時代劇のような、ディティールを誰も知らないファンタジー舞台に近づいたということだ
例えばアニメ「薬屋のひとりごと」ではファンタジー中華が舞台なわけだが、アレは私にとって不気味の谷ではない
Z世代、α世代にとって戦中というものもそうなっていってるということなんだろう
むしろ制作者がそれを見越して若者向けにチューニングしているんだとすれば、それはそれですごいなと称賛するところかもしれない
(ちなみに小説とは展開が違うが、漫画とは近いらしいので、チューニングした人は漫画の編集かもしれない)
___
それにしてもゴジラでも感じたけど、今回もすごく舞台用の構成に見えた
あの子昔から艶がありすぎるから、助けてくれる男が下心あるようにしか見えなくなるんだよ
あと棒立ちで話すシーンが多すぎたんだけどこれは元が小説だからだよね
もう少し動きをつけられなかったのかな
あと軍用の食堂という設定なのにメインメンバー以外が全然出てこないの違和感あるしもったいない
たぶんこれも小説で描かれてなかったからだろうけど(それか予算不足か)
先に何人かが特攻に行ってしまう描写があるだけで結構違うのにな
親との喧嘩の内容が雑すぎ
なんで親と和解できたのかも謎
「溺れた子を助けて亡くなったお父さん」のフックも回収してなくてモヤモヤした