はてなキーワード: 包丁とは
新幹線の上座とかしょうもない枝葉の末節みたいなマナーじゃなくて最強の千代田区一丁目一番地の本丸のセントラルドグマに乗り込まなきゃだめだろ。
だいたいあの正しい箸の持ち方はそもそも突き詰めると全く正しくない。
というかなんなの?あの中指の「添え感」。
無駄すぎる。洗練されてない。
箸なんか突き詰めれば道具なんだし道具としての効率性を追求してこそ美しさが際立ってくるのを全く分かってない。
道具としての箸とはなにかといえば対象の正確な把持・移動を目的としたピッキングツールなわけ。
つまりその真の正しさはエンドウ豆を皿から皿へとうつすタイムでしか決められないってこと。
究極的には薬指と中指をそれぞれ箸にぴったりとつけて各指の延長線として箸を使うほうが断然エイム改善する。
これは「道具とは何か、それは身体の延長である」という道具の本質にテキストブック無しで辿り着ける者であれば自ずと到達する解。
ただしゲーマーがコントローラーの持ち方やキーアサインに我流を持つのと一緒でそれぞれの究極を追求する者たちにとっての究極の持ち方が存在する。
ここでは道具とは効率を追求するものであるという本質が優先する。
いずれにせよ戦場では効率こそが美しさを決定する。マナー講師が言う見かけ上の所作の美しさみたいなのは戦場では全く役に立たない。
まあ批判すべきマナーとしては「包丁のねこの手」こそが圧倒的な真のワシントンディストリクトオブコロンビア一丁目一番地の本丸なんだがまあその話はまたの機会に。
Fラン大卒のせいか、卒業以降マルチにハマる同窓生がそこそこいる。
この10数年で包丁やら化粧品やらサプリやらの勧誘を何度か受けてきたけど、最近の仮想通貨のマルチってなんなんだ。
内容としては、
①コインチェックやビットフライヤーとは異なり、人が作業するのではないDexで利益を出す
③Dexはシンガポールや台湾のエンジニアがコントロールしている(人いるじゃん)
④もうすぐ日本でも登録を受けて一般的にリリースされる(マルチに入らなくても買えるという意味らしい)ため、高い利率を見込める購入権が買えるのは今だけ
細かな差はあれど、共通するのはこんなところだった。
詳しくはこれに載ってるよ!と渡してきた書類に特定商取引法37条の文字があるにも関わらず、
マルチじゃん、と言うと「違うよ!そういう怪しいのじゃないよ!」というまさかのお返事。
4人目の時は興味本位でセミナーに出る約束をしてしまったが、面倒なので飛ぼうと思う。
かろうじて生きてるゼミのLINEで名前出して注意喚起しといたけど、「それ私もやってる!怪しいのじゃないよ💦」などという返信がついてきた。
余談だが、勧誘してきた4人とその返信をした1人あわせて5人中4人が大学時代に遊ぶ金欲しさにキャバ嬢やってた女なので、私の夜職への偏見は深まるばかりである。
LINE内での私の発言には泣いている絵文字のリアクションがいくつも押され、地銀に就職したかつてのゼミ長が県警の詐欺注意喚起ページを無言でアップする流れで終わっているが、グループ内の友人3人からは自分も勧誘を受けたがスルーした&関わらない方が良いという個別LINEをもらった。
わざわざごめんね。
https://anond.hatelabo.jp/20241002004712
広田先生が病気だというから、三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎は必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、
「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである。
「先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である。先生もすぐ起き直った。
「なるほど」と言っている。
「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから、危険です」
三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。
「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」
「ええ、もうよろしい」
三四郎は風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。
「柿を買って来ました」
広田先生は書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎は台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方の中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術の教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。
三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分の寿命もわずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎と蕎麦などを食う時のように、気がさえない。
広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである。
「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」
「寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生は安心して柔術の学士と談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒がはいったか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。
「だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生も三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。
「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」
これはハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。
贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである。三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である。三四郎はこれから曙町の原口の所へ行く。
子供の葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばにきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。
三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである。
曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣にきれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからないくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。
玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和な位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根と羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎は卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。
描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。
「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。
「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、
「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、
「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。
それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しかし足音はしない。
静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。
「また苦しくなったようですね」
女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。
「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。
絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから、素人の三四郎が見ると、なかなかりっぱである。うまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着な人間でないとみずからを証拠立てるだけでも三四郎は風流人である。
三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎は原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。
「小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」
料理初心者の時、こいつらをひたすら作りまくったことが料理を学ぶベースになってる。
・食材選び
基本炒めることが前提になるのだけど、そば、うどん、コメによって微妙にマッチする食材が変わってくる。
同じような野菜で例えば、キャベツ、レタス、白菜ではそれぞれ役割が全然違うし、玉ねぎ、人参、ナス、大根あたりの使い勝手も変わってくる。
肉もそう。豚肉が正義だけど、鶏肉、牛肉、ハム、ベーコン、なんなら焼き肉とか唐揚げとか残った食材でも全然いい。
そうなると今度は手元にある食材から逆算して何を作ろうかという発想になってくるので、結果的に食材が無駄にならない。
あとは困ったときはもやしが全てを解決してくれる。一緒に炒めてもいいし、チャーハンなんかは別で炒めて乗せてもいい。
安い。量が多い。野菜食べてる気になる。神。
・包丁
麺のときはすすれるように細長い方が良いし、ご飯のときはスプーンで掬いやすいように角切りがいい。
厚みや長さを揃えることで火が均一に入ってくれることも理解できるし、どの順番で食材を入れたら歯ごたえが良くなるのか考えることもできる。
どうして色々な切り方があるのか、切り方によって食感や味にどんな違いがあるのか、色々試しながら作ると楽しい。
・火加減
当たり前だけどこれが難しい。
野菜を炒めるときは火力強めが良いし、焦げ付きやすい麺やご飯を入れるときは中火が良い。
もちろん野菜ならずっと強火で良いわけじゃなくて、芯が残りやすいものを先に弱火で炒めておいてから、火の通りやすい、食感が大事な食材は強火で時間勝負だったりもする。
レタスチャーハンに限ってはごはんのあとにレタスを入れたほうが美味しい場合もある。
難しい話をすると、塩をふるタイミングによって浸透圧で水分の出方が変わってきたりもする。(偉そうに言ってるけど未だにこの部分が難しくて、野菜によってベチャッとした出来上がりになったりする。)
大事なことは、出来上がりを予想して、試してみた結果がどうであったかを自分なりに考えてみること。
これら料理の良いところは失敗しても火が通ってさえいればある程度おいしく食べられるという点。
・味付け
焼きそばはソース、焼きうどんはめんつゆ、チャーハンは鶏ガラ塩コショウ、ピラフはコンソメとケチャップだなんて誰が決めた!
焼きそばなら塩味だっておいしいし、焼きうどんを生醤油風にしたっておいしい。
チャーハンもソース味にして目玉焼きのせたらめちゃうまいし、ピラフにほんだしいれて炒めたってピラフって言い切ればそれはもうピラフだ。
市販の商品だと粉末ソースとかがついてくるけど、自分で味付けしたほうが楽しいしおいしい。
基本となる調味料は、塩、胡椒、醤油、中濃ソース、ケチャップ、マヨネーズ、めんつゆ、焼肉のたれ。あとはほんだしか粉末コンソメもあるとベター。
粉末ソースは使わなければ取っておけばいいだけだし、楽をしたいときに入れるだけで済ませてもいい。
できれば油もいくつか欲しい。
サラダ油で全部作ることができるけど、ごま油、オリーブオイルで作ったときの味の違い、ニュアンスの違いを考えることは大事。
・要するに
大切なことはそれらによってその料理のアイデンティティを考えること。
焼きそばはどこまでが焼きそばで、チャーハンとピラフの境界線はどこなのか。
そういうことを考えてると、食材の選び方から、風味や出汁の選び方、最後は味付け次第でなんとでもなるとかってこととかが理解できるようになってくる。
それで慣れてくると必ず物足りなくなってくるので、そうしたら普段使わないようなオイスターソースとか魚醤とかに手を出すのが良い。
ベースの味が理解できてからじゃないとそういった調味料の旨味に頼るだけの料理になってしまうので飽きやすいし、基本部分での美味しさが上がっていかない。
ベーシックな部分を何周もぐるぐるしながら自分なりにちょっとずつアレンジしていくことがめちゃくちゃ大事。
野菜炒めだとアレンジの限界が早くて、すぐに調味料頼みになりがちなので、やっぱり主食を入れることでおいしい食べ合わせを考えることは重要。
味付けを変えながらローテーションさせてればそれほど飽きないというのも正義。
仮に飽きたら野菜炒めだけつくってインスタントラーメンにぶっこめばいいし、その時だってインスタントラーメンの味(醤油、味噌、塩、豚骨)に合わせて野菜炒めをアレンジしたりするのも面白い。
トマト缶は常備しとけばいいし、にんにくも玉ねぎも日持ちするし、トマト摂れるし、安いし、雪平鍋でできるし飽きにくい。
材料(3食分くらい。1食80gくらいにしたら6食になる。ソース余らない)
・トマト缶(ホールトマトがおいしいがブレンダー使わないか煮込まないならカットトマトでもよい)一缶
・にんにくひとかけ
・玉ねぎ1/2個(なくてもよい)
・オレガノ(なくてもよい)3振り
②玉ねぎ1/4個はみじん切り。ブレンダー持ってる人は適当に切ってもよい。
③雪平鍋にオリーブオイル大さじ2と①入れて弱火で香りが立つまで煮る
④中火に切り替えて玉ねぎを投入して透明になるまで炒める
⑤トマト缶に水を半分入れてプリングルズの蓋で蓋をしてシェイクして洗いつつその水を投入。コンソメも入れる。ホールトマト使う場合はここでブレンダーでトマトを液体にする
⑥そのまま好みの水分量になるまで煮る。濃いめが好きな人は半量まで煮詰める。気にしない人は5分くらい。オレガノぶち込んで軽く混ぜる。
⑦茹でたスパゲティ(乾燥重量で100g)に絡めてできあがり。好みで粉チーズか耳垢を振る
プリングルズの透明な蓋は取っておくとよい。400gの普通のトマト缶(メーカー不問)の缶開けたところにピッタリはまってしっかり缶が洗える上にトマトが無駄なく使える。
とりあえず、目玉焼き作れるようになれよ
あと、8050問題で特にひきこもりの人とか精神障害者に推奨していることとして、自分でご飯を炊けるようになっておけ、というのがある
自分は毎日のように発芽玄米入りのご飯を炊いたりしているが、世の中には本当にご飯が炊けない人がいるのである
ひきこもりとか精神障害者とか関係ない、仕事しかしてこなかった、家事は妻がすべてやってくれていたので、ご飯は炊けない、という人が未だにいるのである
しかも、Z世代でもいるのである、親がやってくれるから、インスタントとかカップ麺しか作れないのである
老婆心ながら助言するなら、あまり料理のハードルを自分の中で上げないこと、あと、料理のハードルを上げるようなことを言う人、バカにする他人を気にしないことである
例えば、ご飯が炊けないは流石にちょっと問題だが、自分はご飯は炊けるけど、あとは納豆買ってきたり、漬物だったり、味噌汁は独身だからインスタントあるし、
みたいなことを職場とかで言ったとして、そんなのは自炊じゃない、サルでもできる、みたいにバカにする人がいるけど、気にしないことである
ご飯が炊ける、パスタが茹でられる、であれば、そこから先はレトルトでも構わない、ちゃんと生活していける
パックのご飯というのもあるが、あれは経済的ではないし、ゴミも多く出る
特に一人暮らしをするなら、ゴミの消費を減らすことを考えながら買い物することも重要だ(例えば、燃えるゴミ一本に共通化するため、できるだけ缶、瓶、ペットボトル等を買わない
それをバカにするような輩がこの世の中には多いが、そんな輩の言うことは気にしないでいい
8050問題のひきこもりや精神障害者に、ご飯だけは炊けるようになっておけ、と言っているように、自分もひとりぐらしの最低ラインは炊飯器でご飯を炊くことだと思う
あと、パスタを鍋で茹でること
土鍋で炊くとかは、本当に余裕がないとできないし、なんか最近はレンジに入れられる鍋?で炊けるようなのもあった気がするし、文明の利器がなんとかしてくれることもある
凝った出汁巻きの卵焼きとか、卵焼き用のフライパンとか買わなくていいからな
目玉焼きか、スクランブルエッグか、混ぜてただ平たく焼けるだけで十分だからな
適当なケチャップライスに、平たく焼いたタマゴのせるだけで、オムライスで十分なんだから
なんか半熟で、真ん中に切れ目入れて、ドバーッみたいなお店とかでやってるようなのやらなくていいからな
ハードル下げてけ
(追記)
こんな文章が、思ったよりもバズってびっくりしたので、ツイッターで「フレンチ自作沼(アカウント名は@French_jisaku)」というアカウントを作成しました。
フレンチ自作界隈の人がいたらフォローしてもらえると嬉しいです。
おおよそ素晴らしいことが書いてあるけど③だけ解像度が低い気が…というのも、料理というのは基本的には科学と同じで味に再現性を持たせる必要があり、そのためには分量を正しく理解し守る必要がある(この分量の正確さをレシピなしでも把握できているのがプロ)。その上で、③では"短時間だとミスった時のリカバリができず"とあるけど、正確な分量を計って料理をすれば大きな失敗はなく連鎖的に料理が崩壊することはまずあり得ない。短時間の作業でのミスとして、例えばイタリアンならカルボナーラの卵に火を通し過ぎる等の失敗はあるかもしれないが、少なくともそれで全体が大きく崩れることはない。
”崩壊”という表現は強かったな、というのと、単に私がインド料理や中華料理にそこまで沼ってないからかもしれません。
これを書いた時に脳裏にあったのはスパイスのテンパリングでした。スパイスのテンパリングは、スパイスごとの香気成分抽出温度がすごいシビアかつ、そこをのがすと苦い種になってしまうという実感があったので、テトリスに近いな、という印象を持っていました。
イタリアンのパスタの場合も、フレンチに比べると複数行程同時並行かつ短時間で仕上げるので、ルポゼの間にソースを仕上げればOKのフレンチよりはシビアな印象がありますね。
お客さんに作り方聞かれても説明できないよ
フレンチを作り始めればわりと用語は覚えるかな、と思ってます。なぜなら私がそうだったからです。
動画を見て、レシピ本を見て、実際につくっていくうちにミジョテとかシノワ、パッセ、タミゼ、クラリフェ、リソレ、アセゾネとかその辺の頻繁に出てくる用語は自然に覚えるんじゃないかなと思っています。
なので、これを読んだ人はあまり気にせずにフレンチを作るところから始めてもらえると嬉しいです。
別に店に行ってシェフに話しかける必要だってないです。多分作ってると店にはいきたくなるとは思いますが。
日本の一般大衆にレストランのフランス料理を作ることなんて勧めるもんじゃない
勧めるなら家庭料理
一生ものの沼としてのフレンチを紹介したかったので、家庭料理を入り口にするアプローチはやめました。
まず家庭料理だと、プロの味を食べて自作との差分を楽しむことができないのが一つ。
あと、ミクニさんのレシピもそうですが、基本的には短手番なレシピが多いので、時間が溶けていくような趣味にはならないかな、という理由もあります。
あと、誤解なきようにお伝えしておきますが、自作をどこまで極めてもプロを超えることはないです。
理由は三点あって、
①そもそも調理技術で絶対にかなわない:せいぜい二か月に一回作る素人と、365日作っているプロではまったく比較にならない技術差があります。
②フォンやソースは大ロットで作ったほうが美味しい:ソースやフォンの味と仕込む量は比例するため、一回に10L仕込むプロと、せいぜい1Lしか仕込めない素人では味に差が出ます。
③入手可能な食材品質に差がある:プロが扱う品質の食材を一般人が入手することは極めて困難です。例えばジビエ。プロは契約した猟師さんから送ってもらえますが、素人は楽天で買うしかありません。魚もピンのもの(例:分厚いアマダイ)は素人向けには販売していません。
ただ、あくまで趣味なので、プロの味を超えられなくても、何ら問題ないと思っています。
藤井くんに勝てると思ってやっている将棋沼の住民はいないでしょうし、ツールドフランスに出場できるとおもっているロードバイク沼の住民もいないでしょう。
(本文)
https://anond.hatelabo.jp/20240925202106
元記事はこれ。この増田、ならびにこれを読んで高い飯を食ってみたいなーとおもった人に、全力でフレンチを薦めたい。
それも、ただお店に食べに行くのではなくて、
という楽しみ方を紹介したい。
・この楽しみ方はある程度の自炊スキルがあることが前提となる。
・具体的には、包丁を多少扱うことができて、強火と弱火の違いが判る、大さじや小さじの意味が分かる程度には自炊ができる人向けのエントリである。
・お店で出てくるような、ある程度本格的かつ王道なレシピのほうがよい。
・具体的には牛肉+ソースボルドー(赤ワインのソース)とか、真鯛+ソースヴァンブラン(白ワインのソース)くらいから始めるとよい。
・あまりシンプルなレシピすぎると②の楽しみ方ができないため、「簡単!おうちビストロメシ!」みたいなのは避けた方がいい。
・具体的には以下の二つのYoutubeチャンネルを見ることから始めるとよい
George ジョージ https://www.youtube.com/channel/UCP2gnyy_-ToZeIDw6qeI6HA
Bocuse at Home by シェフ星野晃彦 https://www.youtube.com/@bocuseathomebyteruhikohoshino
・複雑な料理も避けた方がいい。具体的にはパイ包みやパテ系の死ぬほど複雑で構築的なメニューは、最初は避けた方がいい。100%失敗するのと、複雑すぎてどこが失敗したのかが切り分けできないので。
・①で自分の作ったメニューと同じものを実際に食べに行こう。①の答え合わせの感覚だ。
・いきなりロブションとかのハイエンドなグランメゾンに突っ込むのではなく、ランチで5000円程度の店に行くのが無難。
・なぜならば、この段階ではフレンチへの解像度が低すぎるため、グランメゾンのフレンチを食っても、値段相応のよさがわからないから。
・実際にプロの作ったものを食べるといろいろな気づきがある。なぜなら自分で作ったことがあるので、解像度が段違いになっているから。
・ほとんどのケースでは、プロが作ったもののほうが圧倒的にうまい。なぜか考えるのがこのパートの楽しみ方だ。
・例えば真鯛のポワレ、ソースヴァンブラン(白ワインのソース)を食べたとする。「自分でやると身がぱさぱさになっちゃったな……。火入れの仕方の違いなのか、鯛のポテンシャルの違いなのか、何が違うんだろう。鯛を見た感じ、身の分厚さは変わらないから火入れの仕方が違うのかもしれない。ソースもとっても香りが豊かだな、なんかハーブを入れているのかな……。ソースにはかなり酸味をつけているな、自分でやるときもこれくらい酸味をつけてみるか……。」みたいなことを考えながら食うと、漫然と食べているよりも圧倒的に美味しく感じる。
・厨房が激しく忙しいとき以外は、「とっても美味しかったです。もし可能なら、シェフに話を聞きたいんですが……」といえばだいたいシェフに話を聞ける。
・自分が美味しいと感じたポイントと、どうやってそれを実現しているのかをシェフに尋ねてみよう。③で自分で分析した内容の答え合わせをするのだ。
・鯛はどう火入れしているんですか?(フライパンだけ?フライパン+オーブン?)とか、聞きたいことは山のように出てくるはず。
上記①~④を繰り返す。最初は比較的難易度の低い料理から始めて、だんだんと複雑な料理にステップアップしていく。
多分二年くらいやってから、いわゆるグランメゾンにいくと、その高度な技術と美味しさ、芸術的なまでのアイデア力に感動するはず。
この項目では、なぜカレーでも中華でもイタリアンでもなく、フレンチをオススメするのかを説明したい。
・上にはったYoutubeチャンネルを見てもらえばわかると思うが、ソースから自分で仕立てるとなると、平気で二日三日かかる。
・段取りの設計→材料の調達→下ごしらえ(ソースベースの作成、肉のマリネなど)→仕上げ(火入れ、付け合わせの作成)で、週末まるまるつぶせたりする。
・しかも待ち時間もそれなりに長い(ソースベースの作成時など)ので、ネトフリも捗る。
・フレンチはそもそも、エスコフィエとかいうオッサンが100年以上前にフレンチの技術やレシピを体系化し、公開したことで爆発的に広まった料理(いまでいうオープンソース化)。なので、他のジャンルに比べると圧倒的に体系化されていて学びやすい。
・また、日本はフレンチ大国なので、日本語のソースも非常に多い。大型書店で、料理コーナーにいくと、和食の次くらいにフレンチの料理本が充実していると思う。
・他ジャンルに比べると、中級者に進むときの勉強のしやすさが段違いである。例えばカレーや中華にハマるオッサンは多いと思うが、この二つのジャンルは食文化のゆたかさのわりには日本でアクセス可能な学習ソースがきわめて少ない。初級レベルでは問題にならないのだが、深めようとしたときには、日本語文献の乏しさに加えて、そもそも体系化されていないので、学習難易度が跳ね上がる。
・作るときの深めやすさに加えて、食べるときの深めやすさも段違いである。フレンチをやる人は大体みんな調理学校で基本的な調理技術を身に着け、それなりのレストランで就労しているから、安価なお店でも高価な店でもベースとなる技術は同じ場合が多い。
・例えば鮨の場合は、2000円の回転ずしと二万円の鮨では全然別の技術が用いられている。根本的に握り手のキャリアルートが違うからである。2000円の回転寿司はバイトがロボットを操作して握るし、二万円の鮨は専門的な店で修行を積んだ職人が握るのである。一方でフレンチの場合は二万円の店で働いていた人が独立してビストロやって2000円のランチをだしていることは余裕でありうる。
・だが、他ジャンルに比べると美味しい味を作りやすいと感じる。
・これはA.多数の工程を時間をかけて積み重ねていくという調理プロセスと、結果として、B.足し算の料理である、ということに起因する。
A.多数の工程を順に組み合わせていくという調理プロセス:例えば中華(特に四川系)やインド料理、イタリアンは多数の工程を短時間で重ねていくことがおおい。短時間だとミスった時のリカバリができず、連鎖的に料理が崩壊していくことになる。ゲームとしてはテトリスとかぷよぷよにちかい。一方でフレンチの場合は一個一個の作業を丁寧にこなしていけばそれっぽいものができあがる。こっちはマインクラフトっぽい。
B.足し算の料理:フレンチは味の要素が多い。肉のうま味や、ワインの酸味、甘味、バターの脂質やハーブの香りを積み重ねていく料理である。そうすると必然的に美味しさのストライクゾーンは広くなる。食材の持つうま味も苦味も臭みも、すべて一皿に詰め込むのがフレンチの基本思想である。これが和食だとどうか。和食は徹底して引き算の料理である。食材の持つ性質のうち、客に見せたい部分以外をすべて除去し(野菜をゆでこぼすのとかね)、組み合わせるのが基本思想である。味の要素が少ない分、ピントを合わせるのも非常に難しくなる。引き算に失敗したり(例えばえぐみが出るとか)、そもそも見せたい部分を間違えてました、とかね。
・調理学校のカリキュラムとかを見てもらうとわかるけど、大体西洋料理と和食に分かれていて、西洋料理の技術のベースはフレンチである。
・フレンチを一通りやると、肉や魚の火入れも格段に上手になる。小麦粉を使ったルーが使いこなせればシチューやカレーも簡単に作れるようになる。ソースオランデーズが作れればカルボナーラはお手の物だ。
・スタートキット編の楽しみ方を一年くらい続けていると、一通りのものは作れるようになっているはず。
・具体的には、肉の火入れは肉を触ればわかるようになるし、魚も皮をパリッと焼くのはお手の物、くらいにはなっているはず。なんとなく手癖でソースボルドレーズとかソースヴァンブランくらいは作れるようになっていると思われる。
・そこから先にステップアップするなら、プロ(の中でもレジェンドシェフ)の書いている本を読むのが一番よい。
・レジェンドシェフの料理本を読む→作る→お金をためてレジェンドシェフの店に行く→もう一回作る、を繰り返せば無限に時間が溶けていく。
・基本的には近所の大型図書館(住んでる自治体の旗艦図書館)にいって、フレンチ料理本コーナーで厳つい雰囲気を出している奴を手に取ればOK。
・僕のバイブル
・アランシャペルの下で長年働いていたこれまた有名なシェフ。シェフの間でも当初をバイブルに挙げる人は多い。
・辞書的に使うのもよい。また、一個一個ソースを作ってクリアしていくだけでも楽しい。
みんなもフレンチ、作ってみような。
Xで気軽に出来なくなった話題を匿名という立場をいいことに書き記そうと決めた。
この文章は殴り書きに近く、分かりやすく熟慮しやすいように噛み砕いた文章を書く才がないことを先に謝罪しなければいけない。
ここにそういう人がいるかは分からないけど、一人でも私の気持ちを理解してくれる人がいれば救われると思う。
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こういう話題をSNSで話そうものならAI推進派や反生成AIに攻撃されるのを知ると、とてもじゃないが素性を明かしての発言が出来ない。
少し名のある漫画家やイラストレーターが生成AIに対して褒めればAI推進派と決めつけて燃やされる。
同じように忌避感が少しでもあれば反生成AIというレッテルを貼られる。
画像生成AIを使っていないのにAIイラストだと疑われて潔白を証明しても謝ってくれない。
自分の気持ちを表明してもお気持ちだと笑われて理解してもらえない。
そうやって気持ちを蔑ろにされたクリエイターは多いはず、私もその一人だから。
卑怯な私は匿名でこうやって吐き出すことで消化することしか出来ない。
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SNSにおいて出身や学歴、どんな人であるかはもはや関係ない。
おもちゃになるか、おもちゃにされるか、傍観者の三種類しかない。
クリエイターだろうが一般人であろうが意味を成さない、私からしてみれば反生成AIはただの蒙昧無知なピエロなのだ。
何故名のあるクリエイターたちが間違った知識を振りかざしてピエロとして踊るのか、TLを見て共通点があることに気づいた。
もしかして無断学習に怒るイラストレーターの中に無断転載やトレースなどさまざまな被害者が多いのでは?
人間は傷ついたり怒ったりすると正常な判断が出来なくなって感情の洪水に飲み込まれ、法律の正しい意味を読み取れなくなり、法律とマナーの区別、トレースやパクリと学習(ディープラーニング)の区別が曖昧になってしまい反生成AIというピエロが誕生してしまったのではと推測してる。
SNSさえなければ間違った思想に染まることも哀れなピエロを演じることはなかった。
画像生成AIに対して忌避感があるのは否定しないし、間違った知識を振りかざすことは誰しもが起きうること。
画像生成AIから生まれるAIイラストを絶賛することも間違っていない。
しかし間違った知識を振りかざせば正論されて、納得いかず反発することを繰り返す。
それらを利用反生成AIやAI推進派に話題として消費されるのも事実としてある。
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クリエイターの本当の敵は《生成AI》ではなく《生成AI》という言葉を利用してクリエイターたちを蔑ろにする人間だ。
画像生成AIを使わないイラストレーターにAIイラストだと疑ったり決めつけて攻撃するのは《生成AI》のせいではない。
些細なきっかけから火種が大きくなり、戦争などに発展して収拾つかなくなることが多いけど、その原因を作っているのは昔も今も人間しかいない。
人間の敵はいつだって人間だけということを認識しなければいけない。
怒り、悲しみ、疑心が生成AIという武器に変わってそれを使って殴り始めた。
包丁が凶器に変わって人を殺めるのと同じ状況になってしまった。
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絵を生業としている人間は何故か下に見られがちな職種だと思う。
他の職種と比べて受ける劣等感は大きく、名が売れなければ自己肯定感が下がってしまう。
頑張って描いたのに下手くそと言われた。
頑張って描いたのに無断転載された。
依頼してくれたと思ったら安く値踏まれた。
さまざまな被害を受けて傷ついた心を癒そうと都合のいい言葉しか耳を貸さなくなり、目に入らなくなったのが反生成AIになる理由ではないかと思う。
心当たりがある人はSNSから離れて外に出て空気を吸いに行こう。
そこで感じた光景はSNSの殺伐とした雰囲気と違ってとても平和だから。
閉じられたコミュニティで殴り合うより絵を描いたり、外で体を動かす方が健全だと思う。
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何も悩まずに絵を描きたい。
生成AIを使うことを認めよう。
正しい知識を学ぼう。
願わくば行き場のない怒りや悲しみを生成AIに向けないでください。
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小括:イラストレーターの本当の敵は《生成AI》ではなく《攻撃する人間たち》である。
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4人の幼児殺した宮崎勤がオタクのトラウマだけど、その後も定期的にエグい殺人事件起こしてるのどうなってるんだろう。
有名事件だとこんなのとか。
2008年(平成20年)4月18日に東京都江東区のマンションで女性が神隠しのように行方不明となり、後に殺人・死体損壊遺棄が発覚したバラバラ殺人事件。
加害者男は性奴隷獲得目的で被害者女性の帰宅を待ち伏せし、帰宅直後を狙い被害者女性宅へ侵入。被害者女性に騒がれたため頭部を殴打し拉致、自室へ連れ帰り、縛って部屋に寝かせておいた。まもなく、被害者女性と同居していた姉が帰宅し、室内の異変に気付いて警察へ被害届を提出した。早くも警察の捜査が始まったことを知った加害者男は、事件の発覚を恐れ、被害者女性の首に包丁を刺し殺害した。
2008年に日本の東京都千代田区で発生した無差別通り魔殺傷事件
2トントラックで赤信号を無視して交差点に突入し、通行人5人を次々とはねた上、降車して通行人や警察官ら17人を次々とダガーナイフで刺した。一連の犯行によって7人が死亡、10人が重軽傷を負った。
自分も中国とはかれこれ20年くらいビジネスをしていて、長いこと中国にも住んでいたので、
今回の深センの事件はとてもショックで、一日重い気持ちだったので、ちょっと思うところを書いてみる。
今言われる中国の反日教育は、江沢民時代に始まった。その理由として、江沢民の出生や日中関係上の政治カードとしてなどが挙げられている。
だけど実のところは経済発展で激しく広がる経済格差と、酷い政治腐敗への不満が高まる中、
共産党の一党独裁を正当化する為に「日本帝国主義を打ち破り、人民を救い解放した中国共産党と人民解放軍」という新しい「建国神話」が必要だったんだと思う。
江沢民政権の終わり頃に、行き過ぎた反日教育に対し「子供に憎しみを植え付ける教育はいかがなものか」といった常識的な批判もあったが、
その後胡錦涛時代にも反日建国神話はさらに強化されて、ドラマや映画、小説といったエンタメにまで発展していく。
習近平政権の特徴は恐怖政治と個人崇拝で、政権初期にライバルの大物政治家が次々と粛清され、
続いて大物芸能人、大物企業家、最近では大物インフルエンサーなんかも粛清されている。
コロナ前には香港の学生運動への暴力的な鎮圧や、コロナ下での強烈なロックダウンで、これまでに無かったレベルの恐怖政治を行う一方、
中国夢(アメリカンドリームと一緒)や、偉大な中国の復興などのプロパガンダを使って愛国教育を更に強化、加えて習近平語録を教科書に加えたりと個人崇拝の広げてる。
結果、反日と愛国と個人崇拝が混じった、反日=愛国=習近平への忠誠という構図が作られていく事になる。
https://youtu.be/gluhfawkefc?si=B23duV9mUEnZ0inh&t=499
上記リンクの動画は、田舎の小学校で、子供が図工の時間に「我愛日本人」(日本人が好き)と書いた絵を見つけた教師が「お前、何を書いてるんだ!中国人の恥だ」と、
同級生の前で強く批判して体罰を加える動画なんだけど、やばいのは、この体罰の現場を教師自身が撮影し、ネットに公開していること。
日本だと炎上必須のとんでも教師だけど、中国では「反日教育をする俺は良い先生」といった感覚で、反日が自己の愛国心、忠誠心をアピールする要素になってしまっているわけ。
他にも、浴衣を着た女性が「日本かぶれ」として罵られたり、有名な靖国神社に落書きしてヒャハーする動画みたいな、コンテンツが沢山あって。
反日は政治的に安全で、再生を稼げるコンテンツとして、愛国コンテンツと合わせてクリエイターの人気ジャンルになり、
不景気なんで国民総インフルエンサーで過剰競争の結果、より過激なコンテンツが量産される状況となっている。(この辺は日本の嫌中や日本すごいコンテンツと同じ感じ)
そんな中、今年6月に吉林省で4人のアメリカ人が刃物で襲われる事件が発生、次に蘇州で日本人児童が狙われて、
そして今回の深センでの事件に至るんだけど、多くの人が指摘してるように、これらは単純な反日や反米教育の結果ってわけではない。
日本では15年くらい前から毎年中国経済が崩壊するって言われてきたけど、コロナ後にやっとバブル崩壊、景気は急速に悪化している。
中小企業は倒産が相次ぎ、大企業もリストラの嵐で、不動産価格や株価も急落しているんだけど、
政府は民間企業を救済せず、経済全体の国有化を進めるような、これまでの開放政策とは逆の方向性を示している。
「今年は不景気でみんな大変だよねぇ。でもさ、もしかしたら今年は今後の十年間で一番景気が良かった年になるんじゃない」といったブラックジョークが流行しているらしい。
不景気になると社会不安が広がるのはどこでも同じだけど、中国はちょっと特別。
宗教が無い社会なんで、不安を抑える為には金しかないなー的拝金主義者が大半で、突然バブルがはじけちゃったもんだから、ものすごい深刻な社会不安が起こっている。
車で人混みに突っ込んだり、幼稚園や小学校に包丁を持って乱入するなんて事件が、毎月のようにどこかの都市で起こっていて、日本でいう「無敵の人」が大量に発生中。
これらの事件は海外ネットでは一部流れるけど中国国内は情報統制で広がらない。
それで、今一番追い詰められているのが、家や車のローンを抱えた現役世代の40歳~あたりで、中には反日教育を真正面から受けちゃって、
不満のはけ口として日本人を対象にする、「無敵の愛国者」が出てきているってことだと思う。深セン事件の犯人は44歳。
どこの国でも権力側はメディアやネットに影響力を使って、世論をある程度コントロールしてるけど、ご存知のように今の中国共産党はこれらを完全に支配下においている。
SNSに習近平の悪口を書くとアカウント消されて警察から連絡があるなんてのは数年前の状況で、今では友人同士のグループチャットも、夫婦間のチャットも全部監視されている。
たぶんスマホ通じて周辺の会話音声データなんかも監視していると思う。
なので共産党が本気になれば人民の反日感情を管理するなんてのは楽勝なんだけど、経済悪化、米中対立、台湾関係の緊張なんかもあるんで、反日建国神話はますます大事になってきてる。
しかも、中国人口の65%を抱える農村や田舎の街には、失業統計には乗らない若い大量の失業者が発生中で、
彼、彼女らは小学校からたっぷり反日教育を受けて、エンタメはスマホ中心で、Tiktokで毎日反日コンテンツに晒されてるから、今後も極端な反日感情を持った人が出てくるのは必須。
まあ、こんな感じで全体的には悲観的な将来像しかイメージできない。
でも、どこの国でも受けた教育や与えられる情報に縛られず、自分の頭で考えられる人は一定数いて、
経験や教育を通じて親日になったりニュートラルな考えを持っている中国人も少なくない。だけどみんな怖くて沈黙しちゃってるのが現状。
https://dailyportalz.jp/kiji/okinawa-lace-tawashi
定期的にネットではスポンジ論争が起きているがレースたわしユーザーはなんとなく蚊帳の外である。たわしだからね。
色んなスポンジを使ってきたがレースたわしを試したら戻れなくなってしまったよメモ。
・水キレが良い
・泡立ちが良い
・乾燥も早い
・シックな色を選べば部屋に馴染む
・スポンジと比べて寿命が長い
・1個700円~1200円前後なのでちょい高い
一人暮らしで1日1回程度の使用頻度なので大家族だと違ってくるかもしれないが寿命は今まで使ったどのスポンジより長い。まあたわしだけど。
ただでレースが引っかかるようなものを洗うと破れてしまうので注意が必要かも。刃のかけた包丁とか凹凸のあるスライサーやおろし器など。
収入源はFXで窓埋めだけして年20万近く稼いでる以外は一切ない。貯金を食いつぶしてる。
家賃は6万。家賃含め、生活費は毎月13万ぐらい。打つ呑む買うは一切しない。
リュックを背負って歩いて業務スーパーまで行き食材を買い、面倒くさがり屋なので大きめな冷凍庫にミールプレップを作り置きしてる。まとめて3日分作ってる。働いてる時は精神的に余裕がなくて自炊なんて出来なかった。
今は早朝にランニングしたり、懸垂したり、部屋の掃除や包丁を研いだり(友人から貰ったダイヤモンドペーストで鏡面磨きするのがマイブーム)、図書館で借りた本を読んだり、N予備校でWEBプログラミング講座を受講したり、時間だけはあるし高卒なので放送大学で勉強したりしている。
「働くよりニートしてる方が辛い」
みたいな事言ってる奴いるけど、今年でニート三年目になるがマジで何も辛くないし、のんびり過ごせて心の底から生きてて良かったと思える。自分の生活を自分でコントロール出来ている感覚は人間に幸福をもたらす事をじっ感した。本当に、働いてたほうが圧倒的に辛かった。
働いてた時は定時で帰れたが、仕事のためにだるい身体起こして、疲れ切って帰ってきて明日の仕事のために準備して早く寝る、精神的な体力のない俺にとっては、8時間勤務といえども家に帰っても休んだ気がせず平日24時間勤務と遜色なかった。
アフターファイブを楽しめる能力のない俺にとってのアフターファイブは24時間勤務の中の仮眠時間のようなものだった。
働いてる間、ずっと生きた心地がしなくて、とうとう不安障害を発症した。
予約三ヶ月待ちの末、精神科の扉を叩き、ワイパックスを処方されて抗不安薬に依存するようになった。抗不安薬の量だけ増えていき何も改善しなかった。ある日、発狂して有給をまとめて取りそのまま仕事を飛んだ。一般的に拘束時間も少なく、人間関係も穏やかだったので、たぶん職場の人達も困惑したと思う。俺はもう限界だったのだ。横一列でスタートして、すぐに躓いてる、どこにいっても上手くいかない人間は皆誰しも1人ぐらい思い浮かべられるだろう。仕事を全く覚えられないし全くできないからポンコツで、大人しくて、つまらない奴、それが俺だ。仕事が、社会生活が、気が狂う程辛かった。苦しかった。
ニートしてから不安障害も寛解して、精神科のお世話になってない。なんなら病院の世話にもなっていない。年に一度、市の歯科検診で歯医者に行くぐらいだ。
ただ、貯金残高の残りから計算して、ニートをあと2年も出来なそうで、また働かなくちゃ行けないことを考えるだけで具合が悪くなる。社会が怖い。働くの想像するだけで何も手がつかなくなるような不安を感じる。
もう30前半で空白期間三年以上あるため、再就職も絶望的だろう。素直に働きたくないのだ。また働いてた時のあの感覚がトラウマで、一種の学習性無力感を感じる。
たぶん俺は生活保護を受けても貯金出来るので、生活保護を受けながら生活したい。余ったお金は償還しますので。
ま、こんな感じで、働いてない方が幸せを享受できる人間も一定多数いるっていうのが言いたいのと、働かなくても最低限度の生活を享受できるライフハックをお持ちの方がいたら是非とも共有して頂きたい。
う~さぎうさぎ~なに見て跳ねる~
ぴょんぴょんぴょん!
私をつかまえて!
仲秋の名月と言うけれど
私は夢中なのはいよいよ始まるサンマ祭りのサンマの名月!ってところかしら。
夏の風あざみ夏の終わりの蝉時雨そして秋のサンマの名月と言えば分かるわよね。
いったい世の中はサンマが豊漁なのか不漁なのか、
どっちって思うぐらい毎年毎年サンマ相場がころころ変わるらしいわよね。
今年は前もいったかもだけど
1匹100円ぐらいの価格で
円高円安って私たちの生活にソッコウで影響あるかどうか分からないわよね?
直接私たちの晩ご飯の献立に影響しまくりまくりまくりすてぃーなので
安かったら美味しい焼き秋刀魚が食べられて私もションテン爆上がりでニッコリなんだけど、
あの外人四コマのしょんぼりしている部分とションテンが爆上がりしている2コマを対照的に素早く入れ替えたい紙芝居を作りたいぐらい
私のハートは秋の模様のようにころころ変わるのよ!
私あれやって欲しいのよね。
1尾じゃ物足りなくない?そんな時あらかじめ追加で注文するとまた時間がかかるから
最初から2匹とか3匹とかってサンマアップチャンスのある定食を作ったら良いと思うのよね。
たぶん業務用の秋刀魚焼く機械は同時に複数匹の秋刀魚を焼くのだってお手のものだと思うの。
つまりは
1匹を焼く手間も3匹を焼く手間も一緒ってこと。
まあ気になるなら軽く包丁でささっと撫でるように鱗的なものはそんなにないけれど取る仕草をして、
秋刀魚焼き機に投入すればいいと思うはずなので
手間は一緒だと思うのよね。
でも1人で秋刀魚3匹もいっぺんに食べようとしている人がいたら食いしん坊だと思われちゃうわよね。
油断は禁物よ!
でもあんなに栄養たっぷりの豊富で滋味滋養あふれる秋刀魚をたくさんいっぺんに食べたら逆に身体に良すぎてってのが悪影響をおよぼす可能性があるので、
食べ過ぎ注意!って
お餅食べ過ぎ注意!ってみんな書きがちだけど、
きっとみんな秋刀魚食べ過ぎ注意!って
もしくは秋刀魚何匹食べた?って書いていると思うのよね。
あとこんな上手い話しがあればいいよね!って例えで
「鴨が葱しょってやってくる!」ってあるじゃない。
あれの秋の都合の良い美味しい話しの例えとして、
「ウサギがサンマ咥えてやってくる!」って言ってもいいと思うんだ。
でもあれって鴨も葱も同時に食べる前提じゃない、
開発したり発明したりした人気が出っかもよ!
だから新しく作られる料理ももれなくユネスコ文化遺産受賞!ってことで
でもあんまりウサギって食べる習慣がないから開発されて発表されても眉唾ものよね。
天高く馬が飛ぶぐらい太るって例えと同時に流行っても良いと思うな。
でもさ逆に
鴨がショットガンぶっ放してやってくる!ってなると
考えただけで恐ろしいわ、
でも少なくとも今秋シーズンは
たぶん新しく刷られた紙幣の新札が手もとに回って見るより私は先に秋の今年の新サンマを目にする方が先かもね!
うふふ。
ハムが挟まった小さいロールパン2つとバナナジュースを買って食べたのよ。
なんか甘いジュース系飲むのって珍しいけど、
マウントレーニア的な。
別にマウントレーニアだけにスムージーマウントを取ってるワケじゃ無いのよ!
たまには甘いのも飲むわって話し。
夜中寒かったのでエアコン切っちゃったけど
朝方暑くて目が覚めてもう起きる時間だったので
うーん起きれて良いのかもうちょっと寝れたのにーって思うのか私次第だけど
まあ暑くてうなされて目覚めるよりかはマシよね。
喉が乾いていたので
油断は大敵よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ヤマハ発動機の社長が包丁で腕切られケガ 殺人未遂容疑で娘を逮捕 「父に殴られた」と自ら通報し事件発覚
https://news.yahoo.co.jp/articles/98c7fa879c5144a570b24f2b7616258a67ef086a
娘のTwitterアカウントらしきものが見つかっているが、
無職であるにもかかわらず頻繁に美容院に通って4万の美白クリーム買うような女性(しかも彼氏持ち)が
親ガチャが外れたかもしれないと漏らし、「オランダで安楽死を考えています」……
なんだかなあ
(先に言っておくが、私は小さい頃から本も読まないし、国語は苦手だし、読むのはBL漫画と雑誌とツイッターだけだ。出身学部も今流行りの横文字のネーミングだし、文章を書くのはてんでだめだ。)
このあいだ、3年間付き合っていた子と別れた。
3年間なんて短いと言われるかもしれないが、ランドセル背負ってた子が高校生になってしまうくらいには長い。
付き合いはじめの頃から喧嘩が絶えなくて、相手の子は私の機嫌を伺ってばかりの3年間だった。「嫌われちゃったかな、今日もイライラして眠れてないんじゃないかな、って考えて心が休まらなかった」と言っていた。でも私だってそうだ。トラウマ級の罵詈雑言を浴びせられ、その傷を反芻しつづける地獄みたいな3年間。
別れ話を切り出すたびに、その子は自分の頭を殴ったり、包丁を持ち出して死ぬなんて言い出したりする子だった。笑っちゃうくらい、絵に描いたようなヒステリーだった。幼稚すぎて嫌だったけど、そんな姿も愛おしかった。その子を傷つけたくなくて、別れられないまま3年も経ってしまっていた。
でもその子が自分にとっては世界一可愛くて、甘い香りがして、自分にはもったいないくらい素敵な女の子に見えていた。
ここまでが、
私がこうであれと願う
である。
相手の本心は分からない。私に復縁のチャンスがあるのかも分からない。
私のこと嫌いになってないよね?私のこと今でも好きだよね?って聞いたら彼女は涙いっぱいの目で今も大好きだよって言ってくれた。
完全に冷められていたけど、私が傷つかないように嘘ついてくれたのか、本心だったのか、私には分からない。
私がヒステリーを起こすのを嫌がっていた彼女は、自分のせいで私が傷つくのを嫌だと言っていた。
幼稚な私にはその気持ちが理解できない。それくらい激しく愛しているということを分かって欲しいだけだから。喜んで欲しくて、わかって欲しくてやったのに。
私のことを世界一好きだと分かっていても別れを告げた彼女は、もうこれ以上自分のせいで傷つく私をみたくないという利他的な人だったのだろうか。
それとも、どれだけ傷ついても世界で一番好きな人と一生を共にすることが幸せだと思っていた私と違って、穏やかな人と傷つかない一生を過ごす方を選びたいという保身的な人だったのだろうか。
24時間365日機嫌を伺ってばかりだったから、別れてからの日々は寂しくて苦しい時もあるけどすごく楽だ。
ちゃんとおやすみを言ってから寝る習慣もなくなって、自分が眠い時に寝れるし、朝の目覚めもすごくいい。
休みの日は全部彼女に捧げていたけど、今は我慢していた趣味も、友達と遊ぶことも思う存分できる。
でも、経済面や学力など、私が絶対に恋人に譲れない条件を、彼女は全てクリアしていた。なんなら、これからの人生、彼女を超える優良物件なんてない。
(そんなに愛した人のことを優良物件呼ばわりするな、というコメントは理解できるけど私は賛成できない。人生のパートナーを選ぶ上で、綺麗事なんか言ってられないでしょ。SixTONESの松村北斗が昔「大好き程度で結婚すんじゃねえ」と言っていた。これは大好き♪くらいのノリじゃなくて、愛してる相手と結婚しろ!ということなのか、大好きだけじゃなくてちゃんと現実面も考えて洗濯しろ!ということなのか分からないが、どちらにせよ、伴侶とは生活を共にするわけなのだから、条件で選ぶなよ!と文句は言わないでほしい。愛で金は買えませんから。)
その感情は愛情からくるものではなくて、顔のパーツ一つひとつが好みドンピシャだったという本能的なものだった。
すごくいい匂いがして、この人となら一生過ごしてもずっとラブラブでいれると思っていたのだった。
思い直してくれないかなあ〜
他の人と付き合っても、やっぱり私との日々の方が楽しかったなあって戻ってきてくれないかなあ〜
振られたのにまだ振られたと思えないのは、
とりあえず「死にたいくらい疲れてるから一分一秒でも多く寝かせてほしい」と旦那に言おう。そんでとりあえず一週間は夜泣き対応代わってもらって、増田は別室で夜7時間ぐっすり寝よう。
まず寝ないことにはどうにもならない!泣き叫んで暴れて脅してでもいいから、自分がどれだけ追い詰められているかを訴えて夜寝るんだ!
抱えてるつらさとか怒りとか、「外に出せないけど出さないと爆発する」って状態だと自分の身体に向かうんだよな。自分で処理できれば周りに迷惑かからないし、相手を怒らせることもないから。
増田は優しくて頑張り屋だよ。産後のボロボロの身体で子ども二人抱えて、本当に頑張ってるよ。でもそんな旦那の前でいい子にしてても「あ、俺やらなくていいんだな」っていうのが当たり前になるだけ。
育休が終わったところでしんどいときに助けてくれる存在にはならないよ。死にてぇーって爆発しそうになったら、包丁を手に取る前に旦那の前で「もう死にてぇんだよ!!!!!」って全力で叫べ。ガチギレしろ。今までそんなにしっかり旦那の前でキレたことないんじゃない?ここが正念場だよ。
病院行くにも再構築頑張るにも別れる算段するにも、とにかく睡眠。日中の家事を任せられないなら夜を任せて自分は寝ましょう。
サガフロ2の話
ウィルの父がエッグを発見したがエッグに魅了された仲間に殺された
と並行して
(アニマが当たり前の世界とはいえ包丁くらいはアニマが無くても手軽に使えて便利という話をしてた)
予想:アニマの強弱に関わらず戦果を挙げられる鋼鉄製の武器が注目された
ジニー一行にギュスターヴの甥のグスタフが参加し一緒にエッグを倒す
なのでエッグは封印され遺跡の奥深くに隠されてたのに封印が解かれて世界を脅かそうとしてたのをアニマが無い事で激動の人生を送ったギュスターヴの末裔がアニマを使わない武器で破壊したって話なんだけど
鋼鉄製の武器が流行ってきた世界ではいつか誰かが破壊できたし、なんならウィル家はしつこく追いかけまわしたせいで逆にエッグを育てた可能性もある