はてなキーワード: 労働運動とは
インドネシアのスタジアムでの暴動で多数の死者が出た事件で、NHKがあたかも暴力が主原因で170人以上が死んだと取れるような報道をしているが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221002/k10013845461000.html
はっきり言って間違いだと思う。素手の暴力でこんなに死者は出ない。
一方、雑踏の事故では簡単にこれだけの死者は出る。だからこれは観客席に催涙弾を打ち込んだ警察が原因と思われる。
日本の警察であればこんな事はまず起きない。だがこれは日本スゴイって話じゃない。ちょいと説明しようと思う。
警察は司法権力機関であるだけでなく、行政としても強い権力を持っている。
だから雑踏に関しても命令する権限があって、人が集まるイベントを届け出なくやったりすると怒られるわけだ。
店の外の行列を放置していれば「ちゃんと店員か警備員雇って整理しなさい」と言われるし「○○という有名人が△△に来てる」っていうデマを流して将棋倒し惹起したら逮捕される。
警備業というのは監督官庁が警察になっていて、更に警察官の天下り先でもある。また社長が警察上がりというケースも多い。
元々警備業はボディガードなどから派生して色々な形態の警備を請け負うようになったのだが、実はその前から同様の警備請負をする人士達が居た。右翼である。
右翼はボディガードだけでなく労働運動潰しなども請負い、暴力の行使や時に殺人も行っていた。更に昔の右翼はヤクザと不可分の所も多かった。
昭和30年代にTVで「ザ・ガードマン」というドラマが放送されると雨後の筍のように警備業者が起業されたのだが、ここに右翼/ヤクザ経営の企業舎弟の会社が大量に入り込んでしまったのである。
警備請負というのは暴力からの防御という仕事が多い。それは即ち対抗するための暴力だ。
一方、警察というのは国家という暴力装置の実行装置だ。暴力装置たる所以は暴力の独占であり、警察をコピーした暴力が世間にあってはならない。
また、道路工事での交通規制でも警備員は必要だが、土建業というのはヤクザの企業舎弟が大変に多い分野だった。つまりヤクザの資金源になってしまう。
という事で警備業法というのが施行され、警備業は警察を監督庁とする許認可事業で、前科がある人間の雇用禁止、警備員は法含む研修必須などが定められ、業務が完全に警察の指揮下に置かれたわけだ。
警察の天下り先って事で、利益誘導の面もあって警備業の派遣先が増える結果にもなった。「これやるなら警備員を何人以上配置せよ。その配置図を出せ」って何かにつけて言われるって訳ね。
因みに以上の経緯から警備員の装備というのは厳しく制限されているよ。例えば警察署の前で長い棒をついた私服警官が立ってる事がよくあるが、あれは実は軍隊と同じ立哨で立ち方も決まっている。持っているのは「警杖」なのだが、あれを警備員が持つことは禁止されてる。警棒の長さや形に制限がある為だ。
日本で雑踏事故が少ないのはこういう戦後の経緯の末に、人が集まる事をせんとする場合は警備員の配置と雑踏警備計画を提出させられるからだ。
雑踏警備での鉄則は「一方通行」と「ボトルネックを無くす」である。これは群衆が流体のような動きをするからだ。
一方通行にしない場合にどうなるというと、「クサビが噛み合った状態」になる。
例えば広いところの間にトンネル通路がある場合で、通路の両側から群衆が押し寄せた場合、通路の入口では「通路の半分からはみ出さない」という動機が働きにくいので通路のほぼいっぱいに広がって進行する。
だがこれは反対側でも同じなので、出口付近では人一人くらいの隙間をぬって通る事になる。
これは上から見ると三角形のクサビが噛み合っているような状態になる。効率的には最小化だ。
後ろから押されているので隊列が狭くなると群衆密度が増す。だが人は一定以下では足の歩みが出来ないので押されてやがて転んでしまう。
後ろの人間は前で起きていることが見えないので前にどんどん進行してくる→それらも更に転倒する、となって、転んだ人とのその手前の人間には数百キロ~数トンの圧力がかかり、皆死んでしまう。
これが通路を対面通行にした時に起きる雑踏事故だ。通路は一方通行が鉄則なのはこういう理由だ。
ボトルネックがあった場合は、細くなる手前で群衆圧力が上がる。
更にボトルネック手前の壁に当たった人間は通路に戻ろうとして横から割り込む→圧力が高いので弾き出される、となってそこでグルグル回って出られなくなったりする。まるで落ち葉だ。
でもそうする事でただでさえ高い群衆密度へ割り込まないとならない人が出て局地的に密度が極度に高くなる→転倒事故、あとは上記の例と同じで死亡事故まっしぐらである。
だから「狭くなる」箇所というのは作ってはいけない。狭い場所があったらそのずっと手前からパイロン等で狭い状態が継続した状態にせねばならない。
「ボトルネックを無くす」の類型に「通路をのばす」というのもある。
立体交差する駅で秋葉原駅は階段一本で山手線と総武線ホームが直接行き来出来るのに、武蔵野線南浦和駅はわざわざ遠回りして通路を歩かされる。不合理だと思った事ないだろうか?
これは秋葉原が通勤ラッシュなどを然程考慮してなかった昭和初期の建設、南浦和が痛勤ラッシュ常態後の昭和後期開業である為で雑踏事故対策なのだ。
電車の降車客は波状的なので、長い通路をダラダラ歩かせてそこで客の波を吸収してしまおうという思想だ。
秋葉原では短い階段でホームに直接客が展開してしまい、群衆密度が高い箇所がホームという危険な状態になってしまう。
地下鉄高田馬場駅の改札はホーム端の先にあるが、2004年頃の改築でホーム中ほどから改札への通路を増設した。
出口は一緒だから一見無意味な改造だ。だが長い通路で吸収して階段の手前で滞留する客がホームに溢れるのを軽減する効果があるのだ。
新潟の神社で行きと帰りの初詣客がかちあって滞留状態になった。そこでやがて参道の石垣が崩れて100人以上の死者。
だが石垣だけに問題があったのではなくて、群衆密度が上がりすぎて路肩にせり出し崩壊したものと思われる。
これは一方通行にしていなかったのが主たる原因の例。
列車が遅延し、混雑が激化して日暮里駅の板張り跨線橋の羽目板が客の圧力に負けて崩壊。転落した客13人が電車に轢かれ8人が死亡した事故。
対面クサビ状態とボトルネックの混合と思われる。跨線橋の角に押し込まれた客が流れに戻れず圧力が高くなって壁崩壊。
雑踏事故じゃなくて暴動なのだが、国労動労の順法闘争の為にダイヤが大きく乱れてカチ切れた乗客が駅員をぶん殴る、電車を悉く破壊するなどで収拾が付かなくなって機動隊が動員されて鎮圧。
翌日から他の駅多数で度たび同じ暴動が発生する国電暴動となって東京はカオス状態に。
大混雑と電車がいつ来るか知れないストレスフルな状態の上にアナウンスもせずにいた為に乗客の怒りメーターがレッドゾーン振り切ったの原因。
なのでこれ以降雑踏では拡声器を使ってうるさい程に行列に関する情報を与えろというのが鉄則となった。
数年前に宇崎ちゃん献血ポスター騒動というのがあった。セクハラっぽいポスターを公益性が高い日赤が使うな!という騒動だ。
この騒動は一枚の写真から始まったのだが、このポスターが掲出されていた場所というのは新宿西口のJRと京王の乗り換え通路である。
ここには「新宿駅西口広場イベントコーナー」というのがあり、その対面に「新宿西口献血ルーム」があって、そこに掲出されたポスターだったのだ。
この「新宿駅西口広場イベントコーナー」だが、実はここは1992年頃まで工事用バリケードなどで塞がれた単なる閉鎖区画だった。
照明もなく、ホコリが積もったままで少ない資材が置かれただけの殺伐としたところで、居心地の悪い場所だった。
実はここが封鎖されていたのは「新宿フォークゲリラ」という騒動による。
ここが広くなっているのは1966年竣工の西口立体化時に地下広場として作られたからなのだが1969年に学生中心のベトナム反戦集会、新宿フォークゲリラが開かれ、機動隊が導入されて解散させれらた。この際、広場として整備されたものを東京都は「通路」に変更するという禁じ手も使用(通路=公道の占拠は道交法違反)。
そこに起きたのが国電暴動で、新宿駅でも暴動が発生。「別に反体制学生じゃなくても暴動起こすのかよ!」と頭を抱えた警視庁と東京都は、別にギター持って屯してた連中と暴動は関係なかったが、万一を恐れて乱雑にこの区画を閉鎖してしまった。
時代が下って最早反体制なども流行らなくなり、閉鎖区画のせいで逆に荒んだ状態になっている元地下広場の有効活用として即売会や催事場としての活用をするようになった。
初めはしょぼかったが、やがて政策アピールの掲示や地産フェアなど商売がうまくなり、綺麗な内装もされて有用なイベントスペースとなってきて人の流れも出来てきた。
そこで対面に献血ルームが出来る事になったわけ。
上記のように日本の警察は雑踏事故防止に関しては極めて有能なんだが、その反面「人が集まる事」を嫌いすぎるきらいがある。
広場否定論なんだな。あんまり人が集まるのを封じてしまうと今度は現在のロシアみたいな事になってしまう恐れもある。
で、最近だと東京駅や池袋駅西口、渋谷駅(予定)みたいにロータリーを追い出して広場を作るという方に行政の方がシフトしてきている。
そういう戦後史と行政史の果てに出来たのが「新宿西口献血ルーム」でそこに掲出されたのがあの宇崎ちゃんポスターだったってわけだ。
あの騒動は色々感情的過ぎたが、でも一方でその辺知ってるとアゴラの復活でもあったって訳なんだな。
という訳で、統率されない人間が大量に集合すると雑踏事故が起きるのはデフォルト状態で、警察行政が力を入れて制御してるから日本じゃ事故があまり起きないのだ。
インドネシアのは警察に問題があり、観客席に催涙弾を撃って視界が乏しくなった客がパニックになったらどうやったって雑踏事故になる。観客席は階段状でそこに下り階段があるという構造ゆえ先が見えなくなるから普段でも危険な構造なのだ。インドネシア警察は雑踏警備の監督指導などを普段からしていないのではないか?
1964年にペルーで同じように暴徒に催涙弾を打ち込んで300人以上が死ぬ事故があったので、そういう事例研究をしていないと思われる。
「警察が私らを人間扱いしていない」との被害者のコメントが報じられているが、インドネシア警察は人間扱いと同時に流体扱いをすべきだった。
・猫権擁護(殺人罪や傷害罪、過失傷害、自動車運転過失傷害などの「人」に猫を含める等)のためのロビー活動
・クジラ、イルカ、馬などの高い知能を持つ動物や愛玩動物、つまりフレンドアニマルの殺傷や食べることを禁止するためのロビー活動
・銃所持解禁のロビー活動
・私有地や所有する山での鹿やイノシシなどの狩猟と銃使用の自由化のためのロビー活動
・零細企業や小規模事業者の保護、既得権益の撤廃、労働組合結成禁止や労働運動禁止のためのロビー活動
・配当金を配当する際に企業にかかる税金や固定資産税の撤廃のためのロビー活動
・幹部以外の公務員の採用、雇用、教育を民間に委託するためのロビー活動
この10年くらいずっと感じているのは、反差別と反貧困は非常に相性が悪い、もしくはジレンマの関係にあるということ。自分用にメモ。
差別に憤り、差別解消に強い関心のある人たちは、「男性」「日本人」を「強者」「既得権益者」と位置付ける。そのため必然的に、「男性」「日本人」の中にいる貧困や社会的排除(引きこもりなど)に対する関心や同情心は、相対的に弱くなってしまう。そうした問題は大したことではないと言っているわけではもちろんないが、怒りの熱量は差別問題とは開きがあることは否定できない。そのため、反差別の社会運動が盛り上がり、人々の関心や視線がそちらのほうに向けば向くほど、反貧困は相対的に関心が弱まってしまう。
反差別運動は、差別解消の手段として競争的業績主義には基本的に肯定的である。反差別運動が推進してきたアファーマーティブアクションは、まさに機会平等の保証と競争的業績主義の徹底化を目指すものである。しかし競争的業績主義は、他方では経済格差の正当化や貧困自己責任論などの言説を生み出す源にもなっている。なので反差別運動が盛り上がるほど、業績主義がもたらす格差や貧困への問題意識は弱まってしまうことになる。
『サンデーモーニング』に出演している安田菜津紀というジャーナリストをご存知だろうか。良心的な反差別運動の人で、非常に尊敬できる人だと思っているが、兄を過労で亡くすという不幸を経験しているにも関わらず、最近は反差別への熱量に比べて、労働の問題への言及が非常に少なくなっていることが気になっている。この事実に象徴的されているのは、差別の問題への怒りや関心が強くなるほど、労働や貧困の問題一般への関心が相対的に弱まってしまうという構造があることである。
逆に、反貧困・労働運動の側が差別に対する関心があるのかと言えば、はっきり言って弱いと言わざるを得ない。反貧困・労働運動の最前線にいる人のほとんどが暑苦しいほど「男性日本人」であることにも、それは象徴されている。
もっとも、この中ではネトウヨが歴史が古くて変遷も大きい&現実の政治運動にまでリンクしてる側面もあるので一概に「ネトウヨ」とまとめづらいんだけど。
いずれも独自の理論・独自の用語を大量に構築していること、外部の権威に頼りがちで(その権威が出典めちゃくちゃだったりするんだけど)、議論する気はなく、感情と信念ベースで行動している。宗教に近いのではないだろうか。。。
もっとも、戦後の労働運動なんかでも末端にあっては議論や思想をしっかりと持っていたというよりは「xxさんについていけば良くしてくれる!」という人柄ベースから始まり、信念というかカーゴ・カルト的に(あるいは単に宗教的にというべきか)、用語を連呼していたりするような運動メンバーも多く見られた。。。
また、特定の要求で一件一致するようなケースも見られるが(e.g. 移民反対・観光地や公的機関のxxのキャラ排除・ワクチンパスポート反対)、基本的には受動的・リアクション的で具体的に大きな要求をきちんと掲げることはできていない。ウーマンリブや婦人参政権運動、妥結可能な政治的主張が無い/勝利条件が感情に依っているためゴールが見えない。
その点では天皇制復活主張の右翼のほうがまだマシにすら見える(実現可能性がゼロなのとそのための道筋についてノープランすぎてあれだが)。
なお、海外では「ワクチンパスポートの強制」というのが反ワクチンだけでなく様々な思想(個人主義・自由主義など)を束ねる現実的な脅威として直面している!というところもあるので団結・直接的なデモや抗議活動になる側面もある。それにゴールも明確だしね。
あとわざわざ書かなかったけど当然サヨクっぽいものの中にも似た特徴を持っていたりする。けどなんかサヨクっぽいのは共同幻想が薄い感じがするか?(だから選挙でも負けるのかな)ていうかネトウヨ・サヨクのことは範囲広すぎだしあんま触れるべきじゃなかったかもしれんが。
とにかく、ツイフェミや反ワクチンは信念・思想・感情の問題というものが大きく、権威付けや理論的フレーバーをふりかけた用語を使っていたりするが、現実の問題として対処したいわけでもないようだ。
なので、これらは「人間関係を良くする(根気よく)」「社会的活動に参加していく(徐々に)」「その枠(ツイフェミ・反ワクチン)から外での認知・承認を高めてもらう」「日常の生活を一緒に過ごす(少しづつ、だんだんと長く)」「一緒に興味を持てることを探す・温かな人間関係をキープする(根気強く)」「否定はしない・肯定もしない(話題をそらす)」
最低賃金が上がったことを、竹中平蔵は嫌がっているのではないか。
などと思ったので書くことにした。
ご存知の通り、この国には「政府」およびその一群と膨大な数の「私企業」と「国民」がいる。
「私企業」は「国民」を労働力として雇用し、商品を製造して「国民」に販売する。
「政府」は「国民」を雇用し、「政府」と「国民」から費用を徴収しつつ調整にあたる。
「国民」は「政府」か「私企業」から賃金を受け取りながら生活し、労働力などを提供する。
本当は、これ以外にもたくさんあるのだけどとりあえず単純化する。
「聖域なき構造改革」、「規制緩和」を振りかざした小泉改革の大きな点は、私企業にとって有利な様に日本のルールを変えていった点だ。
それは労働運動などで「国民」が勝ち取り「政府」が保障したことだ。
これは「私企業」にとっては非常に都合が悪い。
同じ製品が出来て、同じ値段で売れるのならば製造にかかる費用や、販売にかかる費用は安い方が儲けが大きいからだ。
そうして「政府」は「私企業」の要望に応えて「国民」の雇用に関する権利を保障することをやめた。
つまり、当時の政権では「私企業」を手厚くもてなすことにより競争力が上がり、結果として国の力も上がると考えたのだ。
これは、間違いだったと結果が出ている。
「私企業」も「政府」もすべては「国民」が構成し、利益の多くは「国民」を当て込んでいるからだ。
「国民」から搾取するかのような国家運営の結果、「国民」貧しくなった。当然、購買力も激減し、納税額も落ち込んでいく。
稼げる「私企業」というのは、豊かな「国民」の中から生まれる。
労働者の権利や保護という「聖域」は本来、侵すべきではなく「規制緩和」などするべきではなかったのだ。
余談になるが、水道事業民営化や『稼げる大学』のように、こういう「聖域」を侵す議論は続いている。
結果として一部を除く「私企業」はさらなるダンピングを続け「国民」を大いに貧しくした。
国も全体として貧しくなっていく。
竹中平蔵の罪とは、つまり「国民」への責任を放棄して「私企業」に富を積ませようとし、結果として「政府」も「私企業」も含めた国の全てを貧しくしたことである。
巨大な、消えない罪だ。
その罪がもたらした惨状をいやすためには、小泉政権が破壊した「聖域」を再び築き上げ、(行き過ぎた短期的利益を睨む)「私企業」から「国民」の保護が急務なのである。
自分はセックスワーク擁護派だけど、「セックスワーク差別は無知からやってくる」(https://anond.hatelabo.jp/20210714185723)を書いた元増田のロジックはだいぶマズいというか突っ込まれどころが多いので、もう少し理論武装してください。通常の賃労働とは違うセックスワーク固有の困難というのは確かにあって、セックスワーク当事者たちも、そのことはきちんと問題化しているので。
そもそもセックスワークというのはワーカーの安全確保がとても難しい。行為の性質的に、どうしても個別性・私秘性が求められ、たいていは誰からも見られない場所、多くの場合は密室で、1対1で行うということになる。特に非店舗型風俗では完全にアウェイな相手の自室に1人で入っていくことになるので非常にリスクが高い。男性相手の女性セックスワーカーの場合、フィジカルに圧倒的な差がある。事前のルールで決められた以上の行為を強要する顧客もいる。自室にカメラを仕込んで盗撮を仕掛ける顧客もいる。そういった「意図的な悪意のリスク」に一定確率でさらされるというのは、建設現場など通常の肉体労働では起こらないセックスワーク特有のリスクだ。
健康問題についても、「内臓を売ってるってことなら、サラリーマンは眼球を売ってるでしょ」みたいな悪質な比喩は問題を誤魔化してしまう。臓器を売り渡しているわけではないが、臓器(内性器や口腔)を使わせる自由は売っていて、このことには普通の「ワーク」にはないリスクが伴う。特に女性器への挿入を伴うセックスワークは、眼球で何かを見ることとは比較にならない健康上のリスクがある。慢性的侵襲、性感染症、意図せぬ妊娠など、就労を一時中断したり、離職を決断しなければならなくなったり、将来的な妊孕性を損ねてしまうといったケースも普通にある。またワークを通して何かあったときの労災的環境も全く確保されていない。その点、何度も比喩に使われている建設業は、労災や労働環境保全は過去の事故の反省もあって、非常にしっかりしている(たぶん平均的なサラリーマンの職場よりちゃんとしてる)。そういうところも大きな差がある。
セックスワークが売るものは、性行為とその行為に伴うさまざまなファンタジーだ。このファンタジーには「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分に提供される商行為であってほしくない」という利用者の幻想も含まれることが多い。お金のためにやっているのに、「お金のためだけにやっているわけではない」ようなフリをすることが求められたり好まれたりするという倒錯的な構造がある。たとえば、実際は気持ちよくないのに気持ちよがって見せる、相手に好意を持っているように見せる、セックスが好きだから自分の天職だと演じる、など。別のペルソナを身に付け、本当はそうではないのにそうであるように振る舞うのは感情労働の一種で、このことはワーク当事者にとってストレスになることが多い。多くのサービス業には感情労働的な性質があるが、その「程度」は全然違う。身体への性的アクセスを許して、そのことに快感を感じているように演じて、相手にはビジネス以上の繋がりを感じているように振る舞うということを1日に何回も繰り返すのが、本人の精神的健康にどう影響するか想像してみてほしい。
セックスワークは長く生業とするのが難しい。特に日本の男性向けセックスワーク業界では「プロ」へのニーズが低い。これはさっきの「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分に提供される商行為であってほしくない」という幻想とも密接につながっている。セックスワーク業界は、セックスワークに関する技術を徹底的に磨いたベテランのプロフェッショナルほどサービスの付加価値が高まる、という構造になっていない。むしろ技術が拙いことが「素人っぽさ」「初々しさ」として評価されることもある。風俗店でもAVでも「新人」には高い価値がつけられる。普通の賃労働では技術の拙さが評価につながることはないが、セックスワークではプロでありすぎないことが求められる。経験を積むことはさほどプラス評価にならない(時にマイナス評価になる)のに、年齢が上がることはマイナス評価に直結していく。技術より容姿・年齢がワーカーの付加価値を左右するから、素人の女子高生・女子大生がセックスワークの分野で高い付加価値を持ってしまうし、加齢を経てセックスワークに携わり続けることが難しくなっている。メディアの発達によって、その気になればいつでも誰でも性行為を売れるようになったことで(援助交際からパパ活SNSまで)、ますますプロの付加価値は下がっている。
これは私見だけど、この構造があるので、元増田の言う「合法化したほうが業界団体ができたり、まともな資本が入ってきたりして安全面含めたセックスワーカーの労働環境がどんどん良くなっていくと思う」については自分はあまり肯定できない。管理されていてセキュリティを確保されているプロは、管理されていないリスキーなアマチュアに売り負ける。今後セックスワークはどんどんネット経由で地下に潜っていく。それを防ぐには、管理売春の合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない。このこと自体がセックスワークの特殊性をよく表している。
こういうセックスワークをめぐる構造的問題、特殊性もちゃんとわかった上で、それでもセックスワーカーの権利獲得とセキュリティ向上のために活動しているアクティビストには頭が下がる。そこでしか働けない人、そこでしか働きたくない人がいる以上、そういう人達がより安全に快適に働ける環境作りをしていくという意味では労働運動の正道だし、圧倒的に女性就労者が多い現場で固有の問題を考えていくという意味ではフェミニズムの本道でもある。自分としては精一杯支援したい。
元増田がセックスワークの擁護をしたいなら、こういうセックスワーク当事者や支援者が認識している論点を無視したり、「ワーク」全般とセックスワークを脇の甘い比喩でまぜこぜにしたりして、本人達の意に沿わない正当化をしないほうがいいと思う。あの書き方だと、逆に「無知だけどセックスワーク擁護してる人」になりかねない。
みなさんコメントありがとうございます。自分的に重要な指摘だと思ったことにコメント返します。
id:allezvous 「それを防ぐには、管理売春の合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない」法律行為代理や医療行為を筆頭にした資格制の業務でよくあるような
医行為との対比は一度書きかけてやめたのですが、コメントいただいたので少し書いてみます。医行為や法律行為代理が免許制資格になっている理由は、提供するサービスの質を保ち、その利用者を保護するためだと思いますが、上記の理由でセックスワークを許認可制とする場合、その制度設計はワーカー側の身体と健康と安全を利用者から保護することが主眼となり(そのことは利用者を守ることにも繋がると思いますが)、目的と方向が真逆になっています。
セックスワークの特殊性のひとつに「ワーカーの身体による利用者へのサービス」ではなく「ワーカーの身体への、利用者の一時的アクセス権」自体を売るという側面と、それに伴う固有の脆弱性(vulnerability)があります。他の一般的な「ワーク」で、こうした受動的・対象的・客体的な要素を持つ賃労働、「利用者から自分が何かをされるのを受け入れること」自体をサービスとする賃労働を、私は他に知りません(あえて言うなら猫カフェの猫はそうかもしれません)。この構造は、セックスワークが普通の「ワーク」になることを難しくしている、ひとつのアポリアだと思います。
id:aquatofana さん、id:m7g6sさん、id:pekee-nuee-nueeさん、id:yetchさんが、「受動的・対象的な要素を持つ賃労働」の例として、医療・製薬業界の治験バイトを挙げてくださいました。確かに身体そのものの一時的供出、それに伴う健康的・身体的リスクの受忍という点で、似通った部分があります。一方で治験というのは、旧厚生省治験検討会の方針もあって、一貫して労働ではなく善意のボランティアという体裁になっており、支払われるお金も治験協力への直接の報酬ではなく「被験者負担軽減費」(治験参加に伴う物心両面の種々の負担を勘案した、社会的常識の範囲内における費用の支払いによる被験者の負担の軽減のための費用)という名目になっています。報酬金額が制限されていること、終了後に4ヶ月の休薬期間が設けられていることも含めて、「ワーク」にならないような工夫が凝らされています(とはいえ、実際は色々な抜け道を駆使して治験ボランティアの収入だけで暮らすことも不可能ではないようですが)。
国や業界がなぜ治験を純然たる「ワーク」にしなかったのか、してはいけないのか、というのは、セックスワークの「ワークとして成立することの困難」を考えるうえで、ひとつの手がかりになるかもしれません。治験については、おそらく行政にも医療従事者にも『①個人が自己の身体を一時的に相手に使用させ、②相手の〈自己身体の使用〉に伴う身体的・健康的リスクを引き受けること、それ自体を商行為にしてはいけない』という感覚が強くあるのだと思います。
このうち①は、みなさんご指摘のように、多くのセックスワークの業態に含まれている要素です。②は、本来セックスワークの現場からは排除されているべきですが、現実には看過できない頻度で発生している要素です。しかも実際にリスク事象が起こったときには、その責はワーカー自身に帰されがちです。たとえば、ワーカーが性感染症に感染したり、意図せぬ妊娠をしたとして、世の中で利用者・管理監督者・ワーカーのうち誰を責める言説が多いかといえば、圧倒的に「風俗で働いてるワーカーの自業自得」という声だと思います(そしてそのことは、仮に売春周旋行為が合法化されても変わることはないのではないかと思います)。これは、多くの人が「セックスに直接関わる行為には、どれだけ運用を工夫しても一定の身体的・健康的リスクが伴う」と理解していることの現れだとも言えます。
セックスワークには「利用者がやってよい行為」と「やってはいけない行為」の距離が極めて近いという特徴もあります。性的に興奮している利用者は、意図して、あるいは意図せずに、その「やってよい行為」と「やってはいけない行為」を隔てている薄皮を破るかもしれません。いわゆる本番行為がある性風俗店や派遣型風俗では、その〈薄皮〉は0.02mm厚のコンドームだけかもしれません。あるいは、キス禁止にもかかわらず、抱きついているワーカーの顔をつかんでキスを迫ること。本番禁止にもかかわらず、素股というサービスを受けているときにワーカーの腰を掴んで挿入を試みること。おっパブで働くワーカーの乳首を舐めるのではなく、噛むこと。「自己身体そのもののへの直接のアクセスを利用者に許可している」という脆弱な状態にあるので、利用者が予め設定したラインを欲求や興奮とともにほんの少し踏み越えただけで、ワーカーの健康リスクに直結するという構造があります。
建設業では現場の建設従事者に健康診断結果の提出を義務付け、毎朝朝礼を行い、現場パトロールを実施し、ヘルメット・安全帯・安全靴・長袖服の着用を義務づけるなどして、そのワークに伴うリスクを可能な限り抑制します。風俗業界では、店員やドライバー男性による様々な処罰(いわゆる「業界流儀」)によって、そのワークにともなうリスクを可能な限り抑制します。この両者は、似ているようで違います。建設業では、ワークの現場を監視し、ワーカー自身を防護し、事故リスクを減少させ、事故時のダメージを最小化しています。風俗業では、ワーカー自身を利用者から防護することはできません(一時的に身体へのアクセス権を利用者に提供すること=ワーカーの身体を利用者から防護しないこと自体が、サービスに含まれているからです)。管理者がワークの現場を監視し、利用者が「やってはいけない行為」に及ぶ瞬間に介入して中断させることもできません(処罰の担当者は、実際の行為が行われている空間の外にいるからです)。
中規模以上の建設現場では、しばしばゼロ災の継続日数が掲示されていますが、店舗型風俗では、しばしば出禁・罰金などの制裁行為を受けた利用者たちの顔写真が掲示されています(代表的な「業界流儀」です)。これは、後者では、たとえ事後の処罰があっても禁止行為に及んでしまう利用者が一定数いること、そしてその行為の被害を受けたワーカーも同数いることを表しています。セックスワークの現場でワーカーがさらされる健康的・身体的リスクの抑制が「事後制裁」という形式でしか行えず、それが現実に抑制力として100%機能しているわけではないことは、セックスワーカーの安全衛生の確保、そしてそれが大前提になるはずのセックスワークの「普通のワーク」化を困難にしている、重要な要因だと思っています。
1.ジョージ・ワシントン(1789~1797)(無所属)
合衆国建国の父の一人。フランスとの戦争を回避した。移民法と治安法に署名
合衆国建国の父の一人。フランスからルイジアナを買収した。出港禁止法により対英戦争の回避に尽力した。
4.ジェームズ・マディイソン(1809~17)(民主共和党)
憲法の父。大統領としての初の宣戦布告をし、米英戦争を起こした。
5.ジェームズ・モンロー(1817~1825)(民主共和党)
合衆国建国の父の一人。奴隷制を巡るミズーリ協定を制定。スペインからフロリダを買収。モンロー宣言を発表し、孤立主義を打ち立てた。
6.ジョン・クインシー・アダムズ(1825~1829)(民主共和党)
関税法の設立、軍の巨大化などを試みるもジャクソンらの激しい妨害に遭い大した功績を残せなかった。大統領就任前は外交官として活躍し、米英戦争の終結、モンロー宣言の起草などに貢献した。
7.アンドリュー・ジャクソン(1829~1837)(民主党)
白人男子普通選挙制、地方の役人を自らの支持者で固める猟官制を確率。インディアン移住法を制定し、激しい弾圧を行った。大統領就任前から軍人として活躍し、米英戦争やセミノール戦争でインディアンを虐殺した。
8マーティン・ヴァン・ビューレン(1837~1841)(民主党)
オランダ系。任期中に1837年恐慌が発生した。更にアルーストック戦争、キャロライン事件で対英関係に緊張が生じた。
9.ウィリアム・ハリソン(1841)(ホイッグ党)
就任後わずか31日後に肺炎で死去。就任前はティカピヌーの戦いでショニー族を破ったことで名高かった。
米墨戦争に勝利し、広大な領土を獲得した。スミソニアン博物館、海軍士官学校を設立した。米国史上最低の関税の一つであるウォーカー関税を設立。
12.ザカリー・テイラー(1849~1850)(ホイッグ党)
任期中にカリフォルニア・ゴールドラッシュが発生し、奴隷制を巡る対立が激化した。
13.ミラード・フィルアモ(1850~1853)(ホイッグ党)
1850年の妥協により、南北対立を一時的に回避。日本にペリーを派遣した。
カンザス・ネブラスカ法を支持し、北部から強い反感を買った。オステンド宣言を発表し、スペインからキューバを奪おうとするも失敗。
15.ジェームズ・ブギャナン(1857~1861)(民主党)
16.エイブラハム・リンカーン(1861~1865)(共和党)
南北戦争を勝利に導いた奴隷解放の父として知られるが、実は奴隷解放には消極的であり、インディアンに対しても激しい弾圧を行った。
17.アンドリュー・ジョンソン(1865~1869)(民主党)
合衆国の再建を担ったが、奴隷制を支持したため、議会と激しく対立した。
18.ユリシーズ・グラント(1869~1877)(共和党)
南北戦争で北軍を勝利に導いた英雄であったが、在任中は多くの汚職事件が発生し、米国史上最悪の大統領とも評される。
19.ラザフォード・ヘイズ(1877~1841)(共和党)
南部に駐在していた北軍を撤退させたため、黒人差別が再び激化した。1877年の鉄道ストライキに対しては連邦軍を派遣して鎮圧した。
20.アンドリュー・ガーフィールド(1881)(共和党)
就任後4ヶ月後に銃撃され、その2ヶ月後に死去した。
21.チェスター・アラン・アーサー(1881~1885)(共和党)
22.クロバー・クリブラント(1885~1889)(民主党)
州際通商法により鉄道運賃を規制。公約であった保護関税の引き下げには失敗した。
23.ベンジャミン・ハリソン(1889~1893)(共和党)
シャーマン反トラスト法、高関税マッキンリー関税などを制定した。
24.クロバー・クリブラント(1893~1897)(民主党)
再選された。1893年恐慌の解決に失敗した。プルマン・ストライキなど反政府デモや労働運動には激しい弾圧を加えた。
25.ウィリアム。マッキンリー(1897~1901)(共和党)
金本位体制、ティングレー関税法を制定。米西戦争に勝利し、フィリピン、グアム、プエルトリコを獲得した。ハワイも併合した。中国に対しては門戸解放を主張した。
26.セオドア・ルーズベルト(1901~1909)(共和党)
独占禁止法を制定。中米に対しては棍棒外交を展開した。自然保護に尽力した。日露戦争を調停したことから、ノーベル平和賞を受賞した。
28.ウッドロー・ウィルソン(1913~1921)(民主党)
29.ウォレン・ハーディング(1921~1923)(共和党)
ワシントン会議を開催。内政面では富裕層を優遇した。在任中に多くのスキャンダルが発生した。
30.カルビン・クーリッジ(1923~1929)(共和党)
31.ハーバード・フーヴァー(1929~1933)(共和党)
32.フランクリン・ルーズベルト(1933~1945)(民主党)
ニューディール政策により不況を脱した。中米諸国に対しては善隣外交を展開。日本への石油輸出を禁じて、太平洋戦争を引き起こした。
日本に原爆を投下した。NATO、CIA、国防総省、NSAを設立。共産主義に対しては封じ込め政策を実施。朝鮮戦争に参戦。
34.ドワイト・アイゼンハウアー(1953~1961)(共和党)
封じ込めよりも強硬な巻き返し政策を提唱。武力行使すら辞さないとしたアイゼンハウアー・ドクトリンを提唱した。
アイルランド系カトリック。キューバ危機に対処し、核戦争を回避した。宇宙開発にも力を注いだ。ニューフロンティア政策に基づき、公民権運動に積極的であった。
「偉大な社会」を唱え、公民権法を制定した。ベトナム戦争に参戦し、泥沼化させた。
37.リチャード・ニクソン(1969~1974)(共和党)
ベトナムから撤退、ソ連、中華人民共和国を訪問し、緊張緩和を進めた。金とドルの交換を停止した。
38.ジェラルド・フォード(1974~1977)(共和党)
前大統領に引き続き、デタントを推し進めた。在任中に日中貿易摩擦が生じた。
人権外交を展開し、パナマ運河の返還、第四次中東戦争の仲介、米中国交正常化を果たした。
「強いアメリカ」をスローガンに福祉削減、減税などを行った。レバンノン出兵、グレナダ侵攻など強硬な対外政策を展開した。
レーガンの政策を継承。マルタ会談で冷戦終結を宣言。湾岸戦争でイラクを破った。
42・ウィリアム・クリントン(1993~2001)(民主党)
オスロ合意、ベトナムとの国交回復、ボスニア和平などを実現した。反面、多くのスキャンダルに悩まされた。
43.ジョージ.W.ブッシュ(2001~2009)(共和党)
同時多発テロを契機に「テロとの戦い」を主張、アフガン攻撃、イラク戦争に踏み切った。
こういう話を読むたびに思うのは、自分を弱者男性だと規定する人達は「強い男性」に救いを求めたり抗議することをもう諦めてるんだろうか、ということ。
現代社会が、弱者男性を抑圧したり搾取したり見殺しにするひどい社会だとして、そういう社会を設計・運用してる人達の少なくとも半分ぐらいが(日本みたいな国だったら大半が)男性なわけじゃん。ある意味、この問題の解決のキーを握ってるのは強者男性を主とした強者側全般なわけでしょ。弱者男性論の語り手が、そういう強者男性に声をあげる…たとえば労働運動をするとか、権力・権威を持つ男性に向けて弱者男性問題やメンズリブ的観点を啓発する、みたいな話にはあんまり行かなくて、女性やフェミニストに対する批判に帰着しがちなのは何なんだろう?
(経済的・社会的・相互承認的に)「強い/弱い」という軸と「男/女」という性別軸のマトリックスの中で「弱者男性」層が存在するのはわかるし、女性の社会進出や雇用機会の増大によって、経済的な意味での「強者女性」層が増加してるのも理解できるんだけど、その弱者男性論の批判の矛先が、主に女性やフェミニストに向かっていく理由がよくわからんのよね。
男女雇用機会均等法(1986)で「女性の社会進出」というフェミニズムの具体的課題が一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズムの売れっ子研究者達は社会における女性表象の批評や男性性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性の貧困というリアルなテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗(彼女はフェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このときも専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇・給与で)働く女性になれば、女性の生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃんと評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的にバカにしてる、みたいな。
「女性の貧困」というテーマについて地道に調査・研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達が上野千鶴子や小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブなフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌(模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム』栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。
あと、もうひとつ女性の貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカーの問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASHの要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方の女性支援センターみたいなとこに巣くってる公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。
いまは働く女性、専業主婦、セックスワーカー、みんなを支えるような「お金と労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治生まれで、山川均の妻で、戦後は労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子と平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性の労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前に家事と育児の社会化を主張し、60年代に日本の高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代に北欧の福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。
その彼女の名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場の女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム/女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄の精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性の生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。
あと「弱者女性と弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性と弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。
・新卒のアニメーターは月給数万円が普通である(大量の残業をしても)、当然、家計がマイナスになってしまう
・家計がマイナスになるので、新人が、3年で9割がやめる事になる
・3年でやめなかった1割の人も、賃金が低く、家計がプラマイゼロで、食っていくだけで精いっぱいになる
〇なぜ問題なのか
・売れないミュージシャンや声優は、仕事のない時間に、バイトや内職、副業で金を稼いだり、学業や資格の取得で次の職業への準備をしたり、家事や介護で家計をサポートできる。
・しかし、アニメーターや制作進行は、フルタイム労働(+残業)をしているので、そういう事ができない。
・売れない芸能人がいなくなってもテレビ業界は回るが、売れないアニメーターがいなくなれば、アニメは作る事すらままならない。
スーパーアニメーターも、雑兵となる下っ端がいなければ、無用の長物なのだ。
〇法律上の扱い
・日本には最低賃金という制度がある為、名目上は、フルタイム労働をすれば生活していけるはずである。
・手書きアニメーターが、最低賃金を受け取れないのは、正社員やアルバイトではなく、個人請負で雇われているからだ。
・日本では、ライン工、介護士さん、公務員等の特定の場所に集まって、時間を管理して働かせる仕事の場合、雇用扱いにして、時間給にし、最低賃金を与えないといけない。
・しかし、大工さん、内職さん、タクシー運転手のように、上の立場の人が仕事ぶりを管理しきれない仕事の場合、雇用扱いせず、成果給にし、出来高払いでよい(そして出来高が少ない場合は、最低賃金を払わなくてよい)
・アニメーターの仕事は、設備が必要でない為、職場でも家でもどちらでもできる。経営者は、雇用扱いせず、成果給・出来高払いでよい。
・また制作進行の職でも、雇用ではなく、個人請負のところがある。
・2010年に自殺したA1ピクチャーの制作進行は、社員ではあったが、残業代が支払われていなかった。(多い時で、月344時間残業していたようだ)
(アニメSHIROBAKOでも、おそらく制作進行の宮森は社員で固定給、アニメーターのえまちゃんは個人請け負いで成果給である)
・内職さんはいつも同じものを加工する、タクシー運転手は大体いつも同じルートで仕事をする。
・それに対しアニメーターや制作進行は、毎回、作るものが違い、どの程度のクオリティまで仕事をすればOKなのかが曖昧である。
そういった仕事を、個人請負の対象にしていいかというと、法律的にはグレーである。
〇製作委員会のスポンサーや、制作スタジオが、解決に動かないのは当然である
・製作委員会や制作スタジオには責任がある、しかし彼らには、下っ端の報酬を増やすインセンティブが全くない。
・『鬼滅の刃』の映画が大ヒットした時、『下っ端のアニメーターにボーナスが出ないのはおかしい』という声が出たが、そもそも社員でもなんでもない人の為に、ボーナスを出したら、それは背任行為である。
・下っ端の報酬を増やすには、下か外部からインセンティブを作り出すしかない。
〇どうすれば解決できるのか1
・社員雇用とサービス残業の廃止を求めて、労働組合を作って、団体交渉をし、それが駄目ならストライキをする
・それを受けて、各スタジオが製作委員会への増額を要求する、それが駄目なら作品のクオリティを低下させて、総仕事量を減らし、時間当たりの報酬を増やす。
・少ない仕事量でアニメを作る為に、CGを多用したり、止め画を増やしたり、デザインをシンプルにする。
・そしてこれらの労働運動は一社単位で行うのではなく、業界全体で行う。
〇どうすれば解決できるのか2
・アニメーターや制作進行の個人請負は、法律的にグレーゾーンなだけで、別にホワイトでもない。
(一部のスポンサー企業や制作スタジオは、クールジャパン関連事業を通して、官僚や与党政治家と癒着関係にあり、期待できないが)
・まずそもそも日本国民の多くは保守政党である自民党の支持者で、労働運動やストライキに対して批判的である。
・さらに、アニメーターは、保守的な思想の人が多い。なおさら労働運動に消極的である。
・アニメーターは芸術家という意識が強く、労働者としての意識が低い、その為、労働運動に積極的でない。
・個人的には、『オリジナルアニメの監督・シリーズ構成・キャラデザ』以外の職種は、ライン工やサラリーマンと同じ労働者だと思う
・アニメにしがみついてストライキをするより、やめて別の職業についた方がてっとり早いから
・というか、変に残ってしまった方がまずいのだ。
3年以上アニメ業界につとめたら、外の業界には、簡単に転職できない。
・中堅のアニメーターが『野球部の二年生』化し、自らも搾取されているのに、新人への搾取を肯定するという状況がある
自分たちが新人時代にひどい目にあったのだから、今の新人もひどい目にあえという風に、搾取を肯定してしまう。
(実際のところ、上に述べたように、新人は若いから別の職業につけるので、まだいいのだ、変に残ってしまった中堅こそ簡単に転職できなくて、まずいのだ)
・ストライキをしたら、仕事を干されるのではないかという意見がある
・上にも書いたように、干された方がいいのだ
干されて、バイトでもしていた方が稼げて、家計もプラスになるのだ
〇3年で9割もやめて雇用者側は困らないのか
・新入社員が、3年で9割もやめたら普通、会社は困るが、アニメ業界ではそうではない
・アニメ業界では、たくさんの人が必要だが、スペシャルな人は少しだけでいい。
・制作進行に問題があっても、演出や監督が優秀ならどうにかなる
・下っ端が駄目でも、上位職がしっかりしていれば、どうにかなる
・低賃金でやめても、代わりに困る事はない
・そう考えれば、下っ端の中から、上級職候補のみを厳選し、他はやめてもらった方がいい。
・3年で9割がやめて困る仕事なら、やめさせないように報酬を増やす
3年で9割がやめてもどうにかなる仕事だから、報酬を増やさないのだ
〇そんな業界になぜ人が入ってくるのか
・3年で9割がやめる業界だが、1割は残る。残った1割は、大金持ちになる事はないが、少なくとも家計がマイナスになる事はない。
・少なくとも入った時には、自分だけはその1割になれると信じている
〇厳選
・ゲームポケットモンスターにおける『個体値』をご存じだろうか
同じ種類レベルのポケモンでも、個体値が違うと、パラメータが異なるのだ。
・この個体値は、プレイヤーには公開されておらず、ある程度まで育てないと、分からない
・優れた個体値のポケモンを求めるゲーム廃人は、大量にポケモンを生ませ、それらを個体値が分かるまで育て、優れた個体値のもののみをキープして、それ以外を逃がす
・普通の企業は、自社に優秀な人材を入れる為に、入社試験や面接で審査してから、入れる。
入れてみたものの、優秀でなかった場合は、頑張って教育する、それでも駄目だったら、我慢して雇う
・しかし、アニメ制作スタジオは、大量のアニメーターを青田買いし、仕事をさせながら、厳選し、その内、優秀な人材をとりたてる。能力の低いアニメーターは、食べていけないので、そのうちやめていく
そうすれば、審査するコストを減らせるし、より実際の仕事に適性のある人材を確保できる
・でも、こんな事は普通の会社はやらない。雇ったからには責任を持たないといけないからだ
・日本のCGアニメーターは、社員雇用されている人が多く、手書きアニメーターよりは労働条件がマシだと言われている。
・これは、CGアニメーターが芸術家という意識が低いというのがある。
CGはゲーム業界から来た技術であり、ゲームは芸術ではない。よってCGアニメーターは芸術家ではない。
・また、最先端のテクノロジーを扱う為、長期雇用が望ましく、やめないように報酬を高くする
・別に人気の仕事でもないので、人があまり入ってこないし、子供向けの作品が多く、芸術家という意識が低いというのがある。
芸術家という意識が低いから、団体交渉をするし、ストライキもする、その結果、報酬や待遇がよくなる。
・上に、労働運動で、予算の増額もしくはクオリティの低下をすればいいと書いたが、予算は多少はぶんどれるだろうが、それでも足りないだろう
(一部のすごい売れたアニメ以外は、スポンサー企業に損害をもたらしている)
ただ、末端のアニメスタッフは働けば働くほど家計が悪化する、それと比べれば、れっきとした格差が存在する。
・普通、労働者を、家計がマイナスになるぐらい搾取したら、マージンが発生するはずである。
マージンはどこに消えたのか。
・『ザ・シンプソンズ』や『アドベンチャー・タイム』といった、アメリカの手書きカートゥーンアニメは、指が四本だったり、目が丸の中に丸があるだけだったり、全体的に丸っこかったりと、デザインがシンプルである
・それに対して日本の手書きアニメは、線が細く、髪も複雑、目も複雑、難しいアングルを多用し、書くのも動かすのも難しい
こうした日本の手書きアニメだと、時間当たりの生産量が低くなってしまい、作品を完成させるのに、より多くの人手・時間を必要としてしまう
・その為、家計がマイナスになるぐらい過酷な労働をしても、マージンが発生しないのである
・制作スタジオは、搾取をしない事によって、クオリティを低下させると、スポンサー企業に相手にされなくなる
・スポンサー企業は、制作スタジオを選ぶ際、同じ予算ならクオリティのいいろころにアニメを作らせる
・日本では、クオリティの為に、スタッフが犠牲になっているが、本当にクオリティは必要なのだろうか。
・クオリティと人気は比例しないし、クオリティと売り上げは比例しない。
・CGアセットの使用、バンクの多用、デザインのシンプル化、難しいカットの削減等を行い、総労働量を減らすしかない
・NETFLIX等の海外マネーが、下っ端アニメーターの貧困を解決するのではないかと期待されたが、駄目だった
・経営者達に対して、下っ端にまともな報酬を払わせるインセンティブがなく
増えた予算が、一部の上位職の獲得と、総労働量の増加に使われるのだ
〇誰が現状を動かすのか
労働者、ましては社員ですらない個人請負の人の生活の為ではない
企業は、法律の許す限り、労働者を搾取するものなのだ。『善意の経営者様』が、施しをくれるとでも思っているのだろうか。
・ウォルト・ディズニーがアニメーター達にまともな賃金を払うようになったのは、ウォルトが『善意の経営者』だからではなく、アニメーター達がストライキを行ったからである。
〇結論
・どの程度働いた人が、どの程度給与をもらうべきかは、永遠に答えのない問題である。
・たくさんの人が一緒に働き、階級が生まれれば、大なり小なり問題は生まれる、不満が一つもなくなることはないのだ
・ただ、国が定めた最低賃金は守るべきだし、残業代は払うべきだ。
・その為には、アニメーター達が自ら動かなければならない。
結婚という個人の人生における選択でもアファーマティブアクションを適用すべきというなら、たとえばあなたがヘテロであっても一定の確率で同性パートナーをもつべき、ということになるわけだが、そういう世界が理想?なわけはないので、これが「女をあてがえ」論のおかしさ。
また、逆に「弱者男性はその意識自体を変えるべき」論というのも、上記に対して「そもそもヘテロであることに疑いをもたないのが悪い」と言ってるようなもんなので、これも奇妙な主張。
確かに、企業が性別や性的志向により不合理な採用選抜を行っているとすれば、それは社会全体を蝕み長い目で見れば結局企業自身にも利益がない。ただそういう社会の一角の下からではなかなか全体の意識が変えられず、変革の負担が一部に偏るから、社会全体として望ましい方向へと(半強制的に)リードしていこう、というのがアファーマティブアクションの意義である。それ自体は有効な社会政策なのだが、それはプラクティカルにそうであるというだけで、決して「いついかなるとき、ところ、対象においても絶対の正義」みたいなもんではない。だから、こうやって個人の行動にこれを適用しようとしたとたん、上記のような奇妙な誤解を引き起こしてしまう。
では、正解とは何か? とりあえず弱者男性に限って言えば、話は簡単である。「弱者男性」と言われる人は、自身を「弱者」に追い込んでいる社会構造そのものに怒るべきだ。働けど働けど結婚もできない、楽にならない暮らしに怒るべきなのだ。つまり、必要なのは労働運動であり賃金闘争であり政治運動である。なのに、「それは個人の努力の問題だから……」などと納得したような顔をしている、そうやって「新自由主義・自己責任論」に騙されているから、「弱者」は延々と食い物にされているのだ。
それに気付いて活動し、この社会から「弱者」が一人でも減れば、それはすなわち「弱者」が一人救済されたということである。これ以上簡単な話はない。恋愛がどうこうとかいうのは、このことに人を気付かせないようにするためのまやかしにすぎない。「弱者」よ、銃を取り、闘え。