はてなキーワード: 内省とは
元記事:
増田で何度か大炎上した経験から増田で知性のカケラも感じさせずブチギレてる人たちを分析してみると、いろんな話を
真実、客観的に認められた事実、主観的事実、伝聞、ポリコレ、お気持ち表明、願望、
くらいのざっくりしたレベルにすらうまく分類できてない気がするんだよな
は三行目まで増田しか登場しないため、増田で知性のカケラも感じさせずブチギレてる人たち=増田達だが
後半の事実に気持ちで殴りかかってきたりする、のは増田ではない(増田は殴り掛かられるほう)。
なので誰の話をしているのか分からない。
これを通じる日本語にするには以下のようにしてはどうだろうか?
増田で何度か大炎上した経験から増田で知性のカケラも感じさせずブチギレてる増田たちを分析してみると、
自分も昔はそうだったが、いろんな話を(後略)
こうしてみると日本語は high context というが実際は no context とか no argument というのが相応しいのではなかろうか。
例えば background は context に明記しなければ context ではないが書いていないため「誰もが知ってて前提にしてる事実」が何なのか分からないがそれを「ドヤ顔で披露」したり、
argument (事実として何の話をしているか)がないため「事実に気持ちで殴りかかってきたり」する。
同じ日本語を使っているから言葉が通じるように錯覚してるけど全然通じていないな!なんで日本語が通じないのか言葉にできてやっとすっきりした!
まさしく no argument (話にならない)というわけだ HAHAHA! 増田も通じない日本語よりも英語で書いたほうが良いかもしれんな。
まとめるとこんな感じだった。
①吸引の際は結構咳き込む。心配されるくらい咳き込むけど、体感としては端から見るほど辛くない。
②5分くらいしたら、口の中がめちゃくちゃ渇く。渇いたときに水分がなくなるからか口の中は苦くなる。そして、身体の表面がそわそわする。強さによっては、この時点で揺れてる感じがしたり、回転してる感じがしたりして、気持ち悪くなることも。これは意識変容の最初のサイン。
③まずは、知覚が変容する。音が立体的に聴こえたり、色彩がビビッドに(赤と緑が強くなる気がする)なり、強さによっては少し歪む感じがすることも。そして五感が有機的につながって、ひとつの体験として感じられる。
④そこまできたら、感情が昂ぶっているのを感じるだろう。そして、思考がまどろんでいく。自分が何を考えてたか忘れちゃったり、距離の感覚が把握できなくなったり、腕が催眠術にかかったみたいに固定化されちゃったり、身体や足が椅子や地面と一体化しちゃったり。いわゆるストーン。個人的な体感として30分〜1時間くらいで落ち着く。
⑤上記と並行して、いろいろと気がつくことがある。この体験内容はセットとセッティング(心的構えと使用環境)によって大きく変わる。バッドトリップしないためにも、品質の良い大麻で、事前に偏見は取り除き、正しいセットとセッティングを整えよう。(当然、セッティングには安全な環境≒合法的な環境であることが望ましい点も含まれる)
⑥だんだんと普段生きている世界に帰ってくる。大麻では問題ないと思うが、意識変容体験であることは間違いないため、グラウンディング(心的着地感)についても気をつけよう。具体的には、黄泉がえりだ。つまり、あちらの世界(彼岸)からこちらの世界(此岸)へ、体験を持ち帰ってくるのであって、彼岸に魂をおいてきてはいけない。グラウンディングが適切に行えるかで、体験の質は大きく変わると思う。
個人的に、マリファナ体験でよく報告されるところの「マンチー」(食欲亢進)はあまり感じられなかった。
詳しくレポートしていく。
まず、体験した国名については推奨するわけではないから敢えて伏せておく。自分で調べてくれ。
もちろん、日本では違法だから吸うんじゃないぞ。合法大麻とか言って売ってる合成カンナビノイドもやめとけ。あれは信頼性の低いデザイナーズドラッグだ。最近は成分もよくわからんのが出回ってる。CBNクッキーとかまでにしておくといい。
さて、ここはとある大麻調剤薬局(ディスペンサリー)。清潔感のある店内で、店頭にはさまざまな品種のマリファナが取り揃えられている。価格としては、日本円にして1,200円〜2,800円/gほど。値段が2倍以上異なるのは、品種ブランドによるためだ。
マリファナには、文化慣習として大きく2つの品種分類があるとされている。夜の使用に適していると言われるリラックス効果が高いインディカ株、感情の高ぶりや笑い上戸、しゃべり上戸になりやすいと言われるエネルギッシュなサティバ株だ。なお、この分類は最近になって実際の化学構成(ケモタイプ)とはあまり関係がないことが明らかになってきていて、あくまで文化慣習的な目安だという。
ディスプレイされているさまざまな品種の前には、その効き方の目安として「意識の上昇」「多幸感」「意識の集中」「睡眠」「会話」などさまざまな効能が書かれている。私は、その中から3種類を選び、それぞれ1gずつ購入した。
ちなみに、購入したらその場でジョイントを巻いてくれた
さて、さっそく試しに吸ってみようと0.5gのジョイントを1本。同行していた友人とシェアしたので、半分の0.25gほどだろうか。火をつけてタバコと同じように吸い込んで、深く肺に入れる。
キック感がかなり強く、咳き込んでしまうわけだが、咳き込んで頭に血が上るような感覚ののち、段々と知覚が変わってくることを感じる。
まずは、口がすごく乾く。砂漠になったかと思った。あとは、少し喉が痛い。一気に吸い込みすぎたかも。喉が痛くて口が乾くから少し気持ち悪い感じがする。というか、世界が歪んできてる?酔っ払って三半規管が狂ったときみたいな、だけど意識はハッキリしてるみたいな、不思議な感覚が襲ってくる。
あれ、いつからここにいるんだっけ?あれ?今何してるんだっけ?聴こえてくる音楽が、風の音が、バイクの音が、なんだかすごく立体的に、リアル以上にリアルに感じるような気がする……
あぁ、そうだ。マリファナだマリファナ。いま吸い終わったんだ。5分くらい?経ったのかな?時間はー、えぇと、うん、進んではいるみたいだね。でも、進んでるとかじゃないよ。ただ、いまここに在るだけなんだから。
あぁー、完全にさっきいた場所とは違うみたいだ。いや、同じなんだけどさ。あれ、いまなに考えてたっけ?あぁ、そうだ。別の世界に来た感じっていうか。景色も随分とビビッドだし、鮮やかで、キレイだなぁ、あれ、時間って経ってるっけ?あぁ、腕が動かない。固まっちゃったみたいだ。あれ?なんか足が、足の裏が、地面が、あれ?どこから地面と足が分かれてるんだ?あれ?分かれてなくないか?一体じゃないか?
身体が椅子に、足が地面に根を張って、私はいつのまにか大樹になっていた。
1時間ほど経った後だろうか?だいぶ落ち着いてきて、立ち上がって歩けるくらいにはなってきた。まだ、世界は鮮やかだし、心は躍ってる。そのまま寺院観光に行ったけど、黄金に輝く仏像に、カラフルに彩られた建築が、なんだかこの世のものとは思えないほど荘厳に見えた。
上の体験記だけ読むと、ちょっと、いやかなり怖いものなのかなと思うかもしれない。たしかに、マリファナ体験の核となる意識変容体験は、認識に現れる世界をその根底から覆してしまうような、そんな衝撃があった。まさに、別次元の体験といっても差し支えない。だけど、不思議と怖いものではなかった。そこには、底しれぬ一体感があり、神秘の愛に包まれるような感覚がある。
思考がまどろんでいき、幸せな気分(THCの主作用に陶酔感、多幸感が含まれる)に包まれていく。「これはあれ」といったような識別作用、分別作用が弱くなっていく。だけど、不思議とそれを冷静に見つめる一つ上の自己みたいなものは保っていられる。そして、そんな変容意識体験においてしか、気がつけない「ナニカ」がそこにはあり、その「ナニカ」を受け取って日常世界に帰って来る。その体験は、さながら黄泉がえりであり、セラピューティックな気付きに溢れている。
自然の中での一服では、鳥の鳴き声、風の音、擦れる木々、すべてがハーモニーを奏でて聴いたこともないほど心地良い交響曲となっていた。
その日は一日観光をしてご飯も済ませたところで、23時頃だったかな。ホテルに戻ってきた。帰りに、ペットボトルに装着するかたちで使えるボング(簡易水タバコみたいな吸引器具)を買ってきた。個人的に、ジョイントでの喫煙は量の調整が難しいし、私は喫煙経験が浅いこともあって、こちらのほうがずいぶんと吸いやすく感じた。ボングの場合は喉の痛みもほとんど緩和されたし、氷水とかで試したらもっと快適そうだ。
それはさておき、ぶくぶくぶく。
もう慣れたもので、吸って5分くらいすると、口の渇きと身体のソワソワ感、その直後に「完全に別のリアリティに来た」という明確なテレポート感を感じたら、トリップスタートだ。
吸って30分くらいは、やはり少し混乱するし興奮する。2mくらい先にあるペットボトルを取りに行こうとするんだけど、動けない。なんというか、水取りに行こう、あれあんな遠くにあったっけ?あれ、何しようとしてたっけ?あぁ、水だ水。あれ、手を伸ばせば伸ばすだけ遠くにあるような感じがする。あぁ、もういいや、Let it be. だ、そういう感じ。
人間の慣れとはすごいもので、こんな超越体験でも1度経験してしまえば、体感のコントロールは効きやすくなる。30分も経てば、波は超えて、穏やかなチルタイムが始まる。
布団で横になって目を瞑ると、身体が風になって、世界の中空にただポツンと漂ってるような、そんなビジョンが浮かんでくる。ただポツンといる。そのはずなのに全く淋しい感じはしない。それは、まさに、風であるような体験だ。漂っている風はどこからか吹いてどこかへと消えていく、何かが振動し、その振動は空気を伝う。自然の振動は、どこかで区切られるものではなく、それは全体性の連関の中で生まれては消えていく。
風は一人ぼっちじゃない。この世界に〈私〉は一人しかいないし、実存的な〈私の世界〉は誰とも共有できない。だけど、ひとりじゃない。家族、友だち、社会、人間に限らずモノだったりコンピュータだったり、自然だったり、ありとあらゆる万物の関わり合いの中で、ただポツンとそこにある。そんな感覚が、ワンネスが愛そのものなんだ。
内省的で詩的なことを考えていたと思ったら、気が付いたときには朝だった。眠っていた。こんなにも熟睡できたのはいつぶりだろう、というくらい本当によく眠れた。眠りに入っていくその瞬間まで愛に満ちたまま眠れた。
もう3ヵ月以上前の話。日本に帰ってきてから無理をしてまで入手して吸いたいとは全く思わない。
あったら幸せだけど、捕まるかもとか勘繰りながら使ってたら安心してチルアウトなんてできたもんじゃないからね。それなりに異常な体験だし、セットとセッティングには気を付けたい。
いずれにしても、1回吸ったら廃人になる、気づかないうちに依存症になってるなんて類のものではない。世界でも解禁の流れは進んでるんだし、もうちょっとマトモな議論をしたほうが良いんじゃないの、とこの間のアベプラを見て思った。
弱者男性、『愛されるための正しい努力をせずに周回遅れになった者が、ありもしない一発逆転のギャンブルばかりに手を出して自滅していく話』として読んでしまうので、彼が遭遇する状況を考えると同情出来ないんだよな。
社会的なヒエラルキーが厳格であり、時間に縛られ、さらに長寿であるという前提条件があるとしても、「女をあてがってほしい」という目標は非現実的。
彼が周囲とあまり交流がない中で生きているとすれば、彼が300年生きたとしても、たくさんの人々と話す機会が限られている。そのような状況では、愛情を育むことは困難。
自分の望みが「女を下方婚させること」と気づいたのは、内省的な成長の一部かもしれん。でも自己中心的な手段で「一発逆転してみんなを驚かせたい。見返したい」という願望を追求するなら、社会的に孤立して詐欺に遭いますよ。どんな社会だって。
直近こじらせたきっかけは多分2つ。
2つめは飲み会の場で男も女も下心丸出しで異性にべたついているのを見て、なんかいろいろ気持ち悪く見えてしまったこと。
それぞれのきっかけと自分の精神状態、思考方法、思想、そういったものを絡めながら言語化していく。
大学来の親友が結婚した。彼がもうすぐ結婚するであろうことは、なんとなく察していた。
洗面所にはずっと歯ブラシが2本あったから、半同棲をしていたんだと思う。
そいつに彼女がいるかは聞いたことがなかった。そもそも自分は、友人に恋人がいるのか聞くことが割と苦手だ。
だから聞かなかったけど、長いこと付き合っている風だし、もうすぐ結婚すると思っていた。
先週あたりにその連絡がきた。普通に嬉しかったし、本当にめでたいことだと思った。
ただ、恋人がいない自分のことをやはりネガティブに捉えてしまう。「結婚」というワードは、いまだに自分に対して大けがを負わすらしい。
匿名で書き込んでいるから説明しておくと、私は一昨年末に離婚している。当時27歳だった。
1年保たずに空中分解した自身の情けなさに対して、当時は大いに病んだ。
そこから恋人はいない。結婚願望が自分の中にあるのかは正直分からない。
ただ自分があさましいというか、自分が叶えられなかった幸せを他者が、それも境遇が近いような人が掴もうとするその姿を、100%の祝福で見ることができない。
どうしても羨望とか嫉妬とか、そういう感情がコンタミする。それに端を発し、また自己否定のフェーズに入る。
我々はそれなりにいい大学を卒業した。もっとも自分は留年して学部卒、友人は修士卒なんだけど。
学歴至上主義を否定できない現代日本で、母校の新卒カードは結構な効力を持っていることを、今なら知っている。
ただ当時はすべてがアホらしかった。ガクチカとか資格とかTOEICとか。自分は専門を活かしつつ、会社の雰囲気が良い小企業に入社した。
社内環境には本当に不満はない。同世代の全国平均以上の給料ももらえているし、友人と飲みに行ったり遊びに行ったりするくらいの余裕はある。恵まれている自覚はある。
ただやはり、新卒カードを上手に切った同級生たちは、名だたる大企業に就職して、それなりに稼いでいる。
経済的に羨ましいとは思うが、努力した彼らとそうでない自分の差を無視し、一方的に羨望することはお門違いだと承知している。だから他人を呪ったりはしていない。
ただ、自分の生き方の下手さにほとほと愛想が尽きて泣きたくなる。
社会人になってからは、老後とかも見越した資産運用を始めたりしたが、学生の頃は本当に刹那的に生きていたと思う。その結果を今になってまざまざと見せつけられているに過ぎない。生きるのが下手くそすぎる。
昔からそうだ。
第一子として生まれて、親との喧嘩も何度もしてきた。言葉を文面通りしか捉えられないような節があることも自覚している。愛想のよい会話も苦手で、可愛げがないと何度言われたことか。
弟はそのあたり非常にうまくやっている。ユーモアで大人を笑わせ、親が望むような労いの言葉を見逃さずにかける。そういうのを見るたび、やるせなさが募る。
幸い、頭だけは良かった。特に、物事の法則性を見出す能力に優れていると思う。まあ、自分より優れた人間なんて掃いて捨てるほどいるんだけどさ。
だから勉強には困らなかった。自分の身の丈に合った環境に身を置くことが幸福につながると信じていたから、特に苦労しないで入れる高校や大学に進学した。
そこで出会う友人たちは、どことなく自分と同じところがあった。頭のデキとか、公立故の家庭環境とか。そんなに大差ない半生を送ってきたんだろうなって。
ただ、社会進出は孤独だ。それまでの半生の判決が下されるような感覚。
特に何もなさなかった自分と彼らの差は、いったいどこで決定的になったのだろう。
俺は知らなかったんだ。そんな判決が下る日が来るってことを。
頭がいい友人はみんな気が付いていた、早い奴は高校生のころから気付いていたと思う。そのあたりは、本当に馬鹿だなって今でも思う。
自分にもポテンシャルはあったはずなんだけど、どこで失ってしまったのか、または持っていると錯覚していただけなのか…。そんなことを考えて少し病んだ。
まあ、優秀な同級生と自分の対比はよくやってる内省のテーマだから、大きくこじらせることはないはずなんだけど。
続けて、先日の飲み会の話。
その飲み会には酒癖が悪い女の子が来ることになっていた。みんなそのことを知っている。
自分も飲み会の前までは、隣にその子が来てベタベタされたらラッキーくらいには正直思っていた。
案の定、男が寄って行った。男がトイレ等で席を立つたび、他の男が代わる代わるやって来た。
それが素直にきしょいと思った。彼らと同じことを考えていた自分もきしょいと思った。
どいつもこいつも、「自分は介抱しているだけで、下心なんてありませんよ」みたいな顔して近づいていく。なんかそれが無理だった。
もうおっぱい揉んだりキスしたりしろよ。その方が素直だよ。もっときしょいけど。
自分よりイケてない(と自分が勝手に思ってる)やつが、その子とイチャイチャしてるのを見て、なんか正解が分からなくなった。恋愛とか人生とか、そういうのの正解。
たまたま先日開いたまとめサイトで、「外国人は日本人の女をスケベだと認識している」というレスを読んだ。
この女もスケベか。じゃあこのスケベ女にも相手にされない俺はもう終わってますね??(謎理論)
自分は、女は淑やかであるべき、みたいな思想を持っている。割と封建的で昭和チックな価値観を持っていると自覚している。
だからこそだらしない女を見てるとウザイなと思う反面、「ヤレそう(ヤレない)」とも思うし、その自己矛盾も気持ち悪いし、そこに群がる男もきもい。
うーーーーーん、わからん。べつにその特定個人から好意を持たれたいわけじゃない。
他にも夫子持ちの既婚女性が叫んでたり、恋人がいる男女がなんか楽し気に盛り上がっている様を見ながら、理性とか本能ってなんだろう…と一人沈んでいた。
なんか矢印がいっぱい見えちゃって非常に疲れた。という話。
最近は金の事ばかり考えている。なぜか。
ならば自分はモテたいのか?自分の性欲を直視するのが気持ち悪くて、そのあたりは考えないようにしている。でもこれを直視しないといけない。
離婚してから性風俗以外で性行為をしていないが、セックスが普通に好きなので。
自分のセックスに対するコンプレックスもあるが、最終的にヤリたいに帰着する気がする。
恋人とか新婚夫婦って、ほぼ確実にセックスしてるじゃないですか。
死ぬほど羨ましい。そういう愛の確認がしたい。愛がなくてもいいけど。
「同棲してます」は、「昨日もセックスしました、今夜もします」にしか聞こえないし、
「結婚します」は、「今までいっぱいセックスしました」にしか聞こえないし、
頭おかしくなるって。いやもうなってる。なってるからこう聞こえてるんだって。
男子中学生も男子高校生も、ここまで人生観やライフステージや愛についての解像度は高くないと思う。
だからこの拗らせ方は、セックスにコンプレックスを持った哀れなオス特有のものでは。
「風俗行けや」と思われるかもしれないが、安い店はそれなりの嬢しかいないし、それなりに高い店は経済的に厳しい。
だからこそ、セフレを作って性的にも経済的にも得をしたいと考えてるんだけど、これは異常者の発想なのだろうか。
…言語化しなくても気が付いている自分の本心を直視するのが本当につらいんだ。なんやこのバケモン。
色々努力したつもりなんだ。
元嫁にはそういった「努力」が足りなかったから見放された節があることも分かっている。
そのへんの1000円カットから、カット&パーマで15000円する美容院に鞍替えした。
眉毛の処理は欠かさずするようになった。
爪磨きを買って爪を磨くようになった。
こういうのを当たり前にできる人もいるんだろうけど、自分はできていなかった。だから努力の一歩目を踏み出した。
ただまあモテない。顔が悪いか会話が壊滅的に下手か金がないか。まあ全部か。
マッチングアプリでモテてる男を見てみると、盛ってるのかどうか知らんが、同年齢の連中は軒並み年収1000万を超えている。勝てないって。
女さんサイドもなんでそんな男がアプリやってるのか考えろよ。よほどの異常者かヤリモクの二択だぞ。
ヤリたいなら知らん。マザーファ●カー。
…で、ごく平均的で顔にも金にも取り柄のない自分は、埋もれていくしかない。
正直この歳で彼氏がいない女は、別れた直後かよっぽどヤバい奴しかいない思っている。
からこそ、自分はよっぽどヤバい奴だという論が成立して萎える。
そしてそのヤバさを自覚できていないから、方向性の修正の仕様がない。
もしくは高望みしすぎか。
学もある。職もある。顔も終わってない(はず)。
ただこの普通過ぎる男でも、「つまらない」という理由で、加熱した恋愛市場では全く相手にされない。狂ってないか????
というか、自分のモテなさを棄却しようと色々論じてるのが情けなさすぎる。
なんのために「努力」してきたのかももう分からん。ぶつかりおじさんになった方が幸せまである。
弱者男性の言動や思想を追っているうちに、えっげつないエコーチェンバーを引き起こして、思想汚染されている自覚もあるが、生きづら過ぎる。
自分の性欲が本当にノイズでしょうがない。ヤリたいのにヤレない哀れなオスでいることが精神的にきつすぎる。
去勢したら楽になれるのか。ただ、生命活動の一端をそこで止めてしまうことのリスクがあまりにも大きいことも確かだろう。
なんかもう詰んでね?
書き方が悪かったせいで、自分と学友のBLを想起する人が少なからずいたため、該当箇所を修正しました。
ブクマコメントや言及の中で、特に結婚・離婚の話が薄いみたいに言われていたが、確かに離婚の話は自分のコンプレックスであって、それはそれで大いに病んでメンクリにも通った。
ただその話は今回の題意にはそぐわないと思っているし、破局原因をすべて言語化することを拒んでいる自分がいることも自覚している。
だから離婚の細かい話について、ここで掘り下げて共有するつもりはない。
勝手な推測でグチグチ言われるのは心地いいものではないが、それも匿名性のある意味よさだと思うので、やめてくれとも言わないけど。
それから、一部「本心が全然書かれていない」的な意見が散見された。
これが本当に分からない。自分でぐちゃぐちゃ書かれていることをなるべくゲロ吐いたつもりだったんだけど、本心ってなんだ。
自分軸で生きてるか他人軸で生きてるか的な論?かと考えたけど、そういう話?
そもそも人間は少なからず他人からの評価を優先して生きてるっぽいですよ(ソース:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000011.000030921.html)
いくつもあった励ましとか、匿名性ゆえの叫びを評価してくれた人には改めて感謝を。
みんなの言語能力が高くてちょっとビビる。読書量の差を感じた。
持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。
人間だれしも自分が特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、
自分が自分の環境や立ち位置を理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。
高校生のみつみちゃんは「まだ」自分がちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。
作品内で扱われている「人間関係のポジショニングとゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップとローファーはキャラクターの演出をしている。
氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。
作中では、稠密な人物の内面描写やキャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間が相互に作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。
“グループで過ごす時間と不協和音スレスレのスクールライフ・コメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的な空気を持っているのは作者の技量だと思う。
スキップとローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物の属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。
田舎と都会、陰キャと陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃんは水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。
そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女が物語を大きく動かす役割をもつ可能性は高いか。
このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。
恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来のパートナーのために舞台装置や出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、
ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。
本当はもっと掘り下げたり、メタな視点からの感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクターの名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。
需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性がありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。
「自分には価値や自己肯定感がないから……自分を肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地が必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。
スキップとローファーではそもそも都内の進学校に通える学力があって、経済的な問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。
志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。
スキップとローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後や可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺の世界とは無縁だよね。という強がりの業か。
アフタヌーン掲載漫画は結構心理の描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。
持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。
人間だれしも自分が特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、
自分が自分の環境や立ち位置を理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。
高校生のみつみちゃんは「まだ」自分がちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。
作品内で扱われている「人間関係のポジショニングとゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップとローファーはキャラクターの演出をしている。
氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。
作中では、稠密な人物の内面描写やキャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間が相互に作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。
“グループで過ごす時間と不協和音スレスレのスクールライフ・コメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的な空気を持っているのは作者の技量だと思う。
スキップとローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物の属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。
田舎と都会、陰キャと陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃんは水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。
そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女が物語を大きく動かす役割をもつ可能性は高いか。
このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。
恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来のパートナーのために舞台装置や出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、
ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。
本当はもっと掘り下げたり、メタな視点からの感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクターの名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。
需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性がありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。
「自分には価値や自己肯定感がないから……自分を肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地が必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。
スキップとローファーではそもそも都内の進学校に通える学力があって、経済的な問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。
志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。
スキップとローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後や可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺の世界とは無縁だよね。という強がりの業か。
アフタヌーン掲載漫画は結構心理の描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。
その研究は知らんけど、MMT的にはクラウディングアウトは起こらない、が共通見解じゃない?
クラウディングアウトの発生原因は政府が国債を大量に発行することによって民間金融機関がプールしてる資金が不足することによって貸出金利が上昇して民間投資が抑制される、という理屈だが、
・そもそも民間銀行はプールしている現金を貸し出してるわけではなく預金通貨を信用創造して貸し出してるので貸出自体には資金が必要がないため資金が逼迫して金利が上昇するわけがない。
・民間銀行が国債を購入した場合、予算が消化されると最終的には民間銀行の講座に購入分の金額が返ってくる上に中央銀行は民間銀行に資金を供給可能なので資金の不足は人為的に解消可能。
なのでクラウディングアウトは発生しない。
(なんでこんななぐり書きの読みにくい文章が今さらホッテントリになってんだよ、さすがに読みにくすぎてちょこっとだけ直したよ。アンフェに反省求めるんなら内省もちゃんとしようね、自分たちの過去の言動や考え方の過ちくらい認識して反省しとこうよ。急に手のひら返してすり寄ってくるやつ気味が悪くてびっくりするじゃん。(2024.5.5))
散々むかしは子無しや未婚者を馬鹿にして自分のことを勝ち組と思って振る舞ってたくせに、賃金とか社会的な格差にようやく気づいてから「既婚子持ちのママはこんなにかわいそう」とか言ってんの馬鹿かよ。
他人の会話をすぐに「うちの子は〜」って子どもか夫か何か自分のステータスになると思ってるものに紐づけないと喋れない程度の女がよ。
今は若い子ですらそんなこととっくに理解してるのよね、だから結婚も出産もしない人が増えてる。
そもそも昔から男に人生縛り付けられる状況に自ら陥りたがるアホ女ばっかりじゃないから昔から未婚子無しも一定数いたんだわな。
こちかめの両さん的に言うと、更生した不良よりも一度も不良にならなかった子のほうが偉いみたいなもんでさ。
さんざん人を馬鹿にして、男の陰に隠れてでかい態度取ってただけのバカ女が自分の選択のバカさ加減に気づいた途端に「私はかわいそう」だの、「同じ女だから子無しとも手を取り合って女性の地位を!」とか連帯だとか言ってんの馬鹿らしいわけ。
いつだったかな、広瀬すずが演じてた津田梅子のドラマでも、友人が結婚するのに津田梅子がドン引きしてたんだよな。男性と女性の立場が平等でもないのに結婚を選んで、「この人は理解ある彼くんだから」って自慢げに言い訳して結婚してく友人みて引いてんの。
こっちもそういう気分なわけよ。
もちろんね、そうせざるを得なかった子もいるだろうよ。
不良にならざるを得ないような、周囲に恵まれなかった子がいるようにさ。
そんでも「女同士手を取り合いましょうww」とか言うんだったらろくに理解力も持たないまま他人を踏みにじって勝ち組気取って社会的ステータスと周囲に流されただけという理由で子ども産んで「かわいそうなママの私…でもキャリアも諦めない頑張りやさんのママ!」みたいなアイデンティティを演じるという馬鹿恥ずかしいクソみたいな自分を認めて「馬鹿ですいませんでした」くらい言えってもんなんだよ。
都合の悪さに気づいた途端に都合よくフェミニズムにすり寄ってくんなよ。
父がねえ。指にあかぎれができて痛いんですって。
指の関節、皺のところがぱっくり割れてね、使わなきゃいいって部位でもないしちょっと繋がったと思ったら些細な動作で端がミシッと割れて新しく血が出てね、まあそれがじくじくじくじくと痛いんですよね。
もう何年も男一人の生活で、今になって急に水仕事が増えるなんてことはないでしょ。それに元々が頑丈な人だし、そういうこまごました身体症状とは無縁の人なんですけれどね。
ああでもどうなのかな。男一人と言いつつ世話を焼きに来る女でもいたんですかねえ。最近すっかり小汚くなって、実の娘よりも洗面台を長く占領してセットしてた髪だってすっかりボサボサでとっ散らかしたまま外に出るようになって、もしかしたらいよいよ女に見向きもされなくなったのがあかぎれの遠因だったりするんですかね。
なんでこんなこと書いてるかってね。これがね、呪いなんじゃねえかなあ。ってちょっと思ってね、どうにも嬉しくなっちゃったんですよね。
あかぎれの何が痛いってことを最初に細々書いたでしょ。あれね。私も同じようになったからああやって書いたわけですね。
子供の頃、十歳くらいの時にね、もう指の関節という関節がそんなんなるかってくらい全部ぱっくりと割れて、漫画みたいに絆創膏まみれだったことが何年かあってね。
それをね。誰が憐れんでくれるわけでもないから年相応に泣くわけもなく、ああ痛えなあと無感動に絆創膏で締め上げてたんですよね。周りは工作でちょっと指切ったってだけで涙ぐむ子がいたのにね。
指を折り曲げるだけで痛くて痛くてじくじく血が滲むから、それが嫌でもうほとんど曲がらないようにぎちぎちと絆創膏を巻いてね、それを見て「どうしたの?」なんて言うのと同じ口でやれ床の拭き掃除ができてないやれ皿洗いができてないやれ洗濯物を毎日やれだの言う人がいたんですよね。びっくりしますね。床の拭き掃除なんてね、クイックルワイパーでも使えばいいのに、というかクイックルワイパーを使ってたんですけど、そしたらそんなもんで埃は落ちねえから雑巾絞ってやれなんて言うんですよね。もうね、わかるでしょ。関節という関節が割れた手で雑巾なんて絞ったらさ、どうなると思います?
それをね、泣くでもなくただちょっとだけ顔をしかめてやってたんですよね。今だったら人が掃除してる時間にまだ寝てる父を血まみれの手でぶん殴ってると思うんですけど、まあその頃は父がいなきゃただでさえ一日三食じゃない飯が一日ゼロ食になりかねませんでしたからね。
でね。その父が最近あかぎれができて痛いって、私に言うんですよね。もう十数年も前、私の指がズタズタだったことなんて覚えていないんでしょうねえ。
それでね。しばらく父があかぎれが痛い痛い言うのを思い出しては悶々と苛々として、私も痛かったと当てつけに言ってやろうなんて脳内でぐるぐる考えたりしてそんなこと言ったってあのクソカスは一ミリも内省なんかしないんだから言うだけこっちが不快になるだけだととにかく悶々としてたんですけどね。ふとね。呪いだったらいいのにな。って思ったんですよね。
いや、積年の恨み辛みに比べたら随分ささやかですよねえ。でも、まあ、そういうものかなあって。
これからも少しずつ少しずつ、人から怒鳴られて言い返すすべも立場もなく殴り返す腕も衰え、あまりの人生のままならなさに食事が喉を通らなくなる日が少しでも増えればいいなと思いますね。
要介護になってからも、介護者が急にぱったり何日間か連絡がつかなくなったりね。かと思えばヘラヘラ笑いながら顔を見に来たりすればいいんじゃないですかねえ。まあその場合の介護者は私なんですけれどね。ガキでも数日間ほっといて死なないんだからジジイなんかもっと死なないでしょうよ。ねえ。
人を呪わばと言いますけど、あんたが苦しんで苦しんで地獄行きになってくれれば私の晩年もまあ同じでもいいかなと思っちゃうんですよ。あんたはそんな苦しみの中でも一切の反省なんかせずに「どうしてそれなりに正しくそれなりに善人として生きてきた俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ」って思ってそうですけどね。いやあ不思議ですね。人に呪われるようなことなんか一切してこなかった人生のはずなのに、不思議ですねえ。
まあ。一番の呪いは人並みに幸せな家庭を築いたはずなのに今でもこんな恨み辛みを書き連ねて開陳せずにいられないことじゃないかなと思いますし、大目に見てくださいね。
あぁ、なんでこうなってしまったのか。どうしても吐き出したくて、回顧録も兼ねてここに残す。
トントン拍子で採用が決まり、前職では得られないような年収を提示された。それが全ての始まりだった。
同業他社の選考は書類で落ちており、今回の採用が外れ値であることは明らかだった。実際、エージェントから紹介された案件は隣接業界の同職種、もしくは総合コンサルばかりで、僕の転職先となった業界の求人は紹介してもらえなかった。
気づくべきだった。
そうすればポストの危うさと、全くの異業種に総合職として採用されることのリスクについて認知できたと思う。面接での感触と、ポストとキャリアがあまりにもマッチしていたことで自分を納得させてしまった。高年収に釣られ、異業種への転職を正当化してしまった。
そもそも今回転職活動を始めた理由は何だったのか、内省したい。
挑戦とか、成長とかそんなカッコつけた理由を並べ立てたけど、詰まるところ前職での立場を損切りしたのである。
新卒から数年間、文字通り泣きながら、踠き、苦しみなんとか耐え、小さな地方都市で働いた。成績は泣かず飛ばずだった。
そのまま特に出世もせずに閑職に流れていくであろう自分にある時チャンスが舞い降りた。
とある部長が若手人材を探していたのだった。偶然研修で知り合ったその人に必死にアピールし、関連資格を取得して、引き上げてもらった。あの時の出会いがなければすり減りながら地方を転々としていたと思う。妻とも結婚できてなかったかもしれない。人との出会いに救われた。
異動後、死に物狂いで働いた。もう地方都市にはもう戻りたくなかった。ここでの実績を橋頭堡とし、東京でずっと働きたい。そう思った。
そして上手く行きすぎてしまった。
当時の上司は組織内で圧倒的なポジションを築いており、人事にも発言力が及んだ。
少し卑屈な考え方かもしれないが、彼は自分の判断が正しかったと示したかったのかもしれない。地方で燻っていた若者を見つけ、育て、輝かせることで自身の育成能力を誇示したかったのかもしれない。
今となっては彼の思惑を確認することはできないが、事実彼はがむしゃらに働く僕の功績を何倍にも膨らませて吹聴してくれた。
また、その職場には過去休職したり、既に出世コースを外れやる気がない社員が多く存在していた。仕事の規模が大きい割にルーティンワークが多く、多少働かない社員がいても仕事が回ってしまうため、人事から問題社員の受け入れ先として認知されていたためだ。
だから、そういった環境の追い風もあって少し頑張るだけで驚くほど高い評価を得られた。
それでもずっとコンプレックスは消えなかった。
自分は元々の部署でうまく行かなくて逃げた。環境と上司のおかげで評価されているにすぎない。ずっとそんなコンプレックスが消えなかった。与えられた環境で評価を勝ち取りキャリアを築いていく同期の噂、コンサルや一流と言われる同僚との会話、自分を頼ってこない現場社員。ちょっとしたことから劣等感を膨らまし、勝手に傷付いた。
人事評価の高さや与えられている役割は誰よりも高かったが、自分の仕事ぶりをよく知っている人から同じ評価を得られていないことはわかっており、無力感に苛まれた。評価の高さと出来ない自分の認識のギャップに苦しんだ。特にコンサルからは無能な働き者だと判断されてたと思う。個別の会議では自分が中心だったがここぞという重要な会議には呼ばれなかったし当然根回しもなかった。彼らは合理的で、そして残酷だった。
しかし誰も僕を無能だと口にしなかった。それが一番辛かった。本当に。
その後、お世話になった上司が異動した。新しい上司は持ち上がりで、ずっと一緒に働いた中だった。だから元上司が僕を持ち上げたかったことをよく理解していたし、僕の能力もよく知っていた。
上司が変わって、明らかに僕に振られる仕事が減った。相変わらず評価は高かったが、仕事をこなすことで劣等感を打ち消し虚勢を張りながら生きていた僕は、大いに不安を増長させた。不安を消すために、新しい上司にフィードバックを求めたが、彼は元上司と同じく褒めるだけで僕の出来ていないところを教えてくれることはなかった。
彼は、「君はそろそろ異動の時期が来ており、組織内で君の仕事量が多すぎるので、少しずつ周りに委譲していかないと抜けた時に困る」と言っていた。「お前が無能なくせに直近の評価が余りにも高く、扱い辛いからだ」とは言ってくれなかった。
コンプレックスを大いに爆発させた僕は、後輩や使えない先輩など立場の弱い者に当たった。そこまで優秀なわけでもないのに上司の威を借り、さぞかし不愉快だったろう。本当に申し訳なく思う。
そんな経緯から、社内で次のポジションを探し始めたがうまくいかなかった。兼務先として設定されていたポジションの一つは、元上司が次の異動先として顔合わせの意味でセットしてくれた先でもあったのだが、兼務先の上司からは評価が余り高くなく、元上司が離任したタイミングで仕事は無くなっており、異動の可能性はなかった。
このままだと本店の適当なポストに異動となり、異動先で化けの皮が剥がれるであろうことは目に見えていた。
結果、本当に奇跡的にエリート中のエリートしかいないような会社に入社し、前職も決して待遇が悪かったわけではないが年収は約2倍になった。
しかし、役員人事の余波を受けて入社時点で僕がやるはずだった仕事はなくなり、今、異業種、異職種での仕事に踠いている。能力と評価が一致してしまい、結局前の職場で私が感じていた劣等感が現実になっただけだった。
今の仕事も会社も自分に向いていないことはわかっているが、次も失敗するんじゃないかという不安と、今の会社の社会的地位や年収を手放したくないクソみたいなプライドで、僕は辞められそうにもない。
テメエこの野郎ォオオオオオオオオオ
気力がない?空白12年35歳職歴無し無職で派遣登録しようとして門前払いされた俺を何だと思っとるんじゃワレええええええええええええええ!!!!!!!!
いやまあ話は分かるやで、
ご両親は医者でスンナリ医師免許取れたから知能レベルが医師の域まで届かない子息が生まれる可能性なんて頭になかったんやろね
頭にないがゆえに一つのテンプレートに当てはめようとして取り返しのつかないことになってしまう(まあ実家が太けりゃ人生を楽しむという意味での取り返しはある程度つくやろけど)
金は有るが想像力が欠落したクソ親の股から産まれたことに同情申し上げます
ワイは昨日はお散歩中に雨に打たれてショーシャンクごっこして帰って寒かったし
野永氏のレシピのハンバーグ作ったら激ウマで氏の他のレシピも試す気マンマンやし
金がなくても割とたのしい
遊び尽くして才能の無さを自覚したその先に労働意欲が湧く人もおる
元増田は実家が太いということでもうちょっと高尚な遊びができるやろ
とりあえず家名を人質にクソ親に金せびって、ちょっとでも興味があることをやってみておもくそ遊ぶことをオススメしたい
というか親御さんには黙って金を出す以外の選択肢がない
出さんようなら毎日昼間っから散歩してご近所さんに挨拶もしてその身を世に晒して無職アピールして復讐したれ
体面を重んじる者には恥を晒すことが最も効く
ご近所さんからの「息子さんは何やってらっしゃる人なの?」という質問に窮する御両親の姿を想像すると愉快やろ?
遊ぶのは早い方が良いということを申し上げておきますやで
(加えて貴増田には内省力が有る程度備わっているようなので超えちゃいけないラインを超えることはないと信じておりますやで)
最近、村上隆と村上春樹の本を読んだ。どちらもインタビュー本のようなもの。
村上隆は、「コンテクストや市場のルールを理解する」という文脈で村上春樹に言及している。
曰く、村上春樹は私小説的・内省的な作風かもしれないが、欧米の名作に翻訳等で触れ、その文法・手法を理解することで、グローバルマーケットで通じる作品を作ることができたのではないか、と。そして、自分自身も同様に、欧米のハイアートのお作法・ルールを研究することで、それをクリアした作品を作り、売り込むことができた、と。
一方、村上春樹の視点では、そのような市場のルールを読み解く戦略的な思考はしていない、ということのようだ。ただ、書けることが広くなるように文章を鍛え、日々題材を見つけ、時間をかけて待つことにより、ある時に書き出すことができると。そして書いている時は文章に集中し、それを読む人のことなどは考えない、と。
両者のスタンスで共通する部分はあって、とにかく文章を、画力を高める、そのためにはガッツを持って書き直し、描き直し続けることだ、ということ。
Twitterを見ると、「チー牛に優しくしたら加害された」系女子が結構な割合でいる。
しかし実際自分の現実の女子と話してみると、チー牛に付きまとわれた経験が無い人ばかりだ。
ただ、そのような女子がチー牛と関わらないかというとそうでもない。
普通に世間話をしたり、普通にコミュニケーションをとり、優しさも与える。社会人だから当たり前だ。
好きになられたら、傷つかない範囲であしらう。それで終了である。そのような景色を見た人がほとんどだろう。
しかし、Twitterでは謎のチー牛男や弱男叩きが行われている。なぜか。
ここから先は、夜職の方やオタク系女子、チー牛・コミュ障女の自覚がある人は見ないで欲しい。
ここから先を読むことで、「チー牛女」の生態と、「チー牛に加害された」話がいかにしょうもないかがわかるようになる。
まず、チー牛女について解説したい。
簡単に言えば、「チー牛女」は「チー牛」と同類だと思った方が良い。ただ、いくつか男とは違う部分がある。
まず被害者意識が強く他責傾向にある。すぐ人のせいにして、被害を訴える。
新歓でオタサー以外から誘われなかったとか、テニサーにスルーされたとか、そういうのを「ルッキズム」とか言って批判したりする。
オタサーが嫌なのもテニサーに憧れるのも、顔がキモイ奴が多い、テニサーは美男美女が多いから憧れている、とかそういう自分を内省することはない。
男に関わった事がなく、姉の愚痴とかしか聞かないため、男は若さと見た目しか見ないとか極端な視点を持っている。
一方で関わった異性が配信者やアイドルなため、トーク力や見た目に対して異常な要求を見せる。
そもそもあまり人と関わった事が無いか、子供特有の自他境界の無い付き合いしか経験して無いため、詰め方が下手糞。
いきなり将来の夢や家族の悩み、好みのタイプなどを話したと思えば、それ以外は表面的な会話しかできない。
恋愛感情を断られると極端に避けたり、イケると思うと極端に詰めたりする。
素の容姿がチー牛。
化粧で隠せる上に、基本的にコミュ障的なアプローチや関りでも周りは優しくしてくれるため、自分がコミュ障やブスの自覚が無い。
年上の男性しか恋愛感情を抱いてくれないのは、普通以下の容姿。同年代の女性とまともに話せないのはコミュ障だ。
そんな「チー牛・コミュ障女」がチー牛男と出会うとどうなるか。Wチーズ牛丼特盛現象が発生するのである。
チー牛女がチー牛男と出会う
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お互い素の容姿がキモイので、チー牛女とチー牛男は「こいつなら話しやすそう」と思い引かれあう。
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チー牛女は「チー牛女」の自覚が薄い。
上から目線でチー牛男に「優しく」するが、他人との距離感の詰め方が下手なので、普通の人なら「好意」に受け取る行為をする。
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チー牛男がチー牛女を好きになる。
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チー牛女は「チー牛女」の自覚が薄いため、格下に好意を寄せられたと思い発狂する。
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チー牛女は「チー牛男や弱男に優しくしたら勘違い・加害された」とTwitterに書きこむ。
じゃぁ、チー牛女どうすればいいの?と思うかもしれない。
それは、チー牛同士で傷ついて学ぶのが一番だ。
大学に入ったばかり、社会人になったばかりの人ならチー牛女であるのは当たり前だ
ここで逃げてはるか年上の人や、モテている格上のセフレになったりして、傷つかない恋愛をしても成長しない。
Twitterでチーチーわめくのはやめて、自分と目の前と向き合ったほうが、結果的に傷つくことなく人として成長できるだろう。
婚活は現代における一大イベント。しかし、その過程で多くの人が直面するのが「婚活疲れ」です。希望に胸を膨らませながらも、長期にわたる検索と失敗は心身に疲れをもたらし、時には諦めたくなる瞬間も訪れます。だからこそ、婚活疲れを乗り越え、本当の愛を見つけるための秘策を五つご紹介しましょう。
自分自身のことを知り、どのようなパートナーが合うのかを理解しましょう。内省の時間を持ち、価値観や将来の目標を整理することで、より適した相手との出会いにつながります。
② 趣味を楽しむ:
あなたの趣味や情熱を追求することで、婚活のストレスを和らげることができます。また、同じ趣味を持つ人との出会いが、意外な縁を生むこともあります。
ボランティアや地域活動に参加することで、さまざまな人との出会いがあり、自然体での交流が可能です。人々との繋がりは心を豊かにし、婚活への新たな視点をもたらします。
定期的な運動、瞑想、趣味など、ストレスを管理する技術を学びましょう。精神的、肉体的な健康は婚活の成功にとって不可欠な要素です。
⑤ 婚活休暇を取る:
時には、婚活から離れ、リフレッシュするための小休止も必要。自分自身を再充電し、新たなエネルギーで婚活に戻ってくることができます。
婚活は運命の人を見つけるための旅ですが、その過程で最も大切なのはあなた自身の幸せ。無理をせず、これらの秘策を利用して、心豊かな婚活を楽しんでください。そして、どこかで、誰かがあなたと歩む未来を待っています。婚活疲れに打ち勝ち、自分らしい愛の形を見つけ出しましょう。
全6曲。
落ち着いたアレキサンドロス。よく聴いてるわけじゃないけど『kick&spin』とか『閃光』とかのイメージが強くて意外な気もしつつ、耳触りのよい英語が結構好き。何言ってるのか分かんないけど。
日本語で歌うパートにくると歌詞の内容が分かりだす。「午後一時半の小田急線」——どうやら、一度出勤したけど風邪気味だから午後休取って早退したやつの話らしい。サボってる学生や、楽しそうな主婦がいたりする時間帯だ。うんうん、わかるわかる。
そして彼は、最寄りに着いたところでふと気付く。このまま乗っていれば実家に帰れる、と。そして実家で猫に会い、(おそらくは親に)小言を言われ、おいしい味噌汁を飲む——。
は?
この曲は、俺のような英語のリスニングもできない片田舎の人間が風邪をひいた時に聴く歌ではない。ただただ、恵まれた環境にいる人間が風邪をひいた時の歌なのだ。
「いや、そんな恵まれてもないだろ」と思う方もいるかもしれないが、2番の日本語パートで彼自身もこう内省している。
「思えば恵まれた生活をこう/与えられてたこの坊ちゃんが/ロックンロールなんて/叫んでいいんだろうか?」
彼は会社員というよりはロックを叫ぶバンドマンのようである。アレキサンドロスの人そのものを描いているのかどうかは分からないが(まあどちらでもよい)、芸術系とか創作系・表現系に全ベットできる人間の実家が太いというのはままある話である。
彼の悩みに答えは出ず、玄関まで送りに出てきた親(おそらく)の顔も見ることができずに電車に乗り込む。「一人部屋のアパートに帰ろう」——ロックで売れまくってるってわけでもないようだ。
曲を聴くというよりは歌詞を読みふけってしまった。この曲で描かれる人物は俺とは全然違うところを生きているけども、好感が持てないかと言えば全然そんなことはないし、そういう人間が風邪をひいた時の情景を描いた歌として、うん、よかった。しっとりしたアレキサンドロスも良い。
名前だけは見たことあるけどちゃんと聴いたことのなかったamazarashi。
ピアノのイントロから入っていきなり「37℃の微熱」、うん、風邪の歌だ。
そしてなんか、フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出したな……と思ってるうちに曲が終わった。歌詞サイトを見る。さっきのアレキサンドロスでも見ていた。
2回目の再生ボタンを押すと、なんとこの曲1分55秒である。そりゃすぐ終わるわけだ。
しかし改めて歌詞を見ると、この曲で描かれる風邪を引いた人間もまあ、全然共感できない類の人間だ。部屋にはソファがあるし、彼女がいるし。フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出すあたり、俺には話を合わせることもできなさそうである。
彼は「ごめんちょっと調子が悪いだけなんだよ本当に」と言い訳をし、「かれこれ数時間/便器にしがみついて/朦朧と/うわ言」。うわ言だったらフィロソフィーとか言うのもやむなし……か?
2分に満たない短い曲の中で、「朦朧と」のフレーズが繰り返される。印象に残る曲だ。全然好きだ。好きだ、amazarashi。もっと俺の調子がよくて、なんか小難しいことを考えたいときに聴きたい。
恋風邪じゃねーか!
でもまあ、Vaundyは好きなので(数曲しか聴いたことないけど…)楽しみである。
これ前に聴いたな……。
Apple Musicは自動再生で似たような曲や売れ線の曲を流してくるので、Vaundyなんかは知らぬうちに受動喫煙しているのだ。
「恋風邪にのせて」というタイトルには、いわゆる恋の病的なものを風邪に例えた「恋風邪」と「風にのせて」言葉や思いを吐き出す行為がかかっていて、全編的にそんな感じの曲である。俳句みたいな技法で割とすき。
しゃらくせぇ曲だなあとは思うものの、そのしゃらくささがVaundyの魅力だとも思う。いい曲。
「くだらない愛で/僕たちはいつも笑っている」
旧Twitterのフォロワーにこの人のファンがいて、ちょくちょく名前と情報が目に入っていた。実は曲を聴いたことはないのだが、シャニマスが好きみたいなので信用の持てる人だと思う。
そして肝心の『風邪』。風邪をひいた舞台役者・脚本家?のつらさを綴った曲のようである。あんまり面白くない舞台であんまり上手くない芝居をして、叩かれて、病んでいるようだ。そんな感じの「風邪」ニュアンスを感じた。
自らの作品や表現の稚拙さに苦しむというのは、個人的には結構わかる。わかるけれども、今食べたい料理はそれじゃない。それじゃないんだ……全然上流階級の人間を描いてていいからがっつり熱出して寝込んでてほしかった……。こういう形の風邪も全然あるんだけども。こういう形の風邪の話だよね?解釈に失敗してるような気もする。
それはそれとしていい曲だと思うし、小林私のボーカルも結構すき。やはり信用の持てる人だと思う。元気になったら(あるいは精神的に病んだら)他の曲も聴いてみようかな。
この曲もしっとりした雰囲気で、熱が出てぼーっとしたいときに合っているような気がする。
歌詞としては、風邪が治った直後の情景が描かれている。まだ少しぼんやりとしつつ、でも体の軽さがある、そんな感じ。早くこれになりたい。
「君の手のひらはbutterfly」「僕の額をその翅で慰めた/あぁ」
どうやらこいつにもパートナー的な人間がいるらしい。だけど、不思議と嫉妬のような気持ちは湧いてこない。キリンジの、この曲のふんわりとした雰囲気ゆえだろうか。
曲は終盤に1分ほどbutterfly…を連呼して終わる。すごい余韻である。風邪のときってこれぐらいの余韻がほしいというか、ぼーっとしたい。いい曲だ。好きだ、キリンジ。
間違いなく1番ひどい。
検索しても歌詞は出てこないし、そもそも歌詞というか一般的な曲の体をなしていない気がするし……音楽に決まったルールなんてねえんだよと言われたらそれまでだけど……。