はてなキーワード: 免罪符とは
5chとか、増田とか、30過ぎた人間が匿名で便所の落書きとして冗談で書いてる分にはいいんだが、
その言葉自体が、若者の間で〇〇だから仕方ない、という免罪符になっていることが恐ろしい
ADHDでも、HSPでも、これまでだって一定数はいて、その人達なりに折り合いを付けてうまく付き合って生きてきた人がいる中で
それを免罪符に、頑張らなくていいよね、まともじゃなくてもいいよね、人とずれていてもいいよね、
ハードは変えられないにしろ、親ガチャとかいって騒いでいる奴らの妬み、僻みの対象となっていることなんてソフトでどうとでもなるだろ
ただ、一点現代の若者がかわいそうなのは、それを教えてくれるのが両親しかいなくなってしまったこと。
核家族化が進み、祖父母や兄弟姉妹、従兄妹との付き合いも薄くなり、
地域社会も義務教育も、ホワイト化した中で通り一遍でうわべだけの責任感のない教育に留まる。
そうなると、両親がまともでないのなら、自分で自分をきつく律して、自学自習し続けるしか無い。
けれど、それに気づく頃、二十代の中頃には、肉体的、知能的には人間の成長は止まる。
もちろん、そこから色々な出会いで精神的にアップデートされることはあるものの、それこそ運でしかない。
お前を救えるのはお前だけだ。
生まれもって体力があるのか、メンタルが強いのか、副業(会社に無申告)を入れて、毎日12時間労働しても、健康診断や会社内のメンタルヘルスチェックで引っかかることがない。
病気や異常値という分かりやすい結果に現れないから、「大丈夫でしょ?」とどんどん家の仕事も振られるし、罵倒がツラいと言っても「平気だろ?」みたいな扱いをされてパートナーからの罵倒は止まない。
でも、キツいしツラい。
自分より体力がない人とか、メンタルが弱い人と比べると、相対的にはダメージが少ないのかもしれないけど、別にダメージが0というわけではないので、しんどいものはしんどい。
うつ病って診断されれば、それが免罪符になってもうちょっと大切に扱ってもらえるのかなとか思うと、いっそ、うつ病なりたいとか思ってしまう。
もちろん、うつ病の人の皆が皆が大切に扱われているわけではないとは思うけど。
しんどい。
生まれもって体力があるのか、メンタルが強いのか、家庭内でパートナーから「お前は頑張ってない」とか酷いことを言われても、職場で罵倒がツラいと言っても「平気だろ?」みたいな扱いをされても、健康診断や会社内のメンタルヘルスチェックで引っかかることはない。
でも、キツいしツラい。
自分より体力がない人とか、メンタルが弱い人と比べると、相対的にはダメージが少ないのかもしれないけど、別にダメージが0というわけではないので、しんどいものはしんどい。
うつ病って診断されれば、それが免罪符になってもうちょっと大切に扱ってもらえるのかなとか思うと、いっそ、うつ病なりたいとか思ってしまう。
もちろん、うつ病の人の皆が皆が大切に扱われているわけではないとは思うけど。
しんどい。
うつ病になりたい
生まれもって体力があるのか、メンタルが強いのか、連日3時間超えの残業が発生するようなきつい仕事を振られても、家庭内でパートナーから「お前は頑張ってない」とか酷いことを言われても、健康診断や会社内のメンタルヘルスチェックで引っかかることはない。
病気や異常値という分かりやすい結果に現れないから、仕事がキツいと言っても「大丈夫でしょ?」と本気にされずどんどん業務を振られるし、罵倒がツラいと言っても「平気だろ?」みたいな扱いをされて罵倒は止まない。
でも、キツいしツラい。
自分より体力がない人とか、メンタルが弱い人と比べると、相対的にはダメージが少ないのかもしれないけど、別にダメージが0というわけではないので、しんどいものはしんどい。
うつ病って診断されれば、それが免罪符になってもうちょっと大切に扱ってもらえるのかなとか思うと、いっそ、うつ病なりたいとか思ってしまう。
もちろん、うつ病の人の皆が皆が大切に扱われているわけではないとは思うけど。
しんどい。
これできついとか甘やかされてんなあ
生まれもって体力があるのか、メンタルが強いのか、連日3時間超えの残業が発生するようなきつい仕事を振られても、家庭内でパートナーから「お前は頑張ってない」とか酷いことを言われても、健康診断や会社内のメンタルヘルスチェックで引っかかることはない。
病気や異常値という分かりやすい結果に現れないから、仕事がキツいと言っても「大丈夫でしょ?」と本気にされずどんどん業務を振られるし、罵倒がツラいと言っても「平気だろ?」みたいな扱いをされて罵倒は止まない。
でも、キツいしツラい。
自分より体力がない人とか、メンタルが弱い人と比べると、相対的にはダメージが少ないのかもしれないけど、別にダメージが0というわけではないので、しんどいものはしんどい。
うつ病って診断されれば、それが免罪符になってもうちょっと大切に扱ってもらえるのかなとか思うと、いっそ、うつ病なりたいとか思ってしまう。
もちろん、うつ病の人の皆が皆が大切に扱われているわけではないとは思うけど。
しんどい。
時系列めちゃくちゃじゃねーか
イスラム教の成立は7世紀。だから中世に十字軍をやってたんだよ。そしてイスラムの成立・発展の理由はキリスト教の腐敗ではない。その時期はキリスト教がそれまでの国教化と勢力拡大に伴う解釈の分岐を統合する教義論争が盛んで、三位一体説などの複雑怪奇な教義が正統として定められていった。異端審問・魔女狩りの時期はもう少し先だが、それに向かっていく厳格化の時期だ。だからこそ、教義が単純明快なイスラムが広まったんだよ。
プロテスタントは16世紀だ。そしてプロテスタントが自由だ退廃的だなんてのは真逆で、プロテスタントの方が戒律に厳しく、腐敗していたのがカトリックだ。だいたい免罪符を引っ張ってくるならそれを批判するプロテスタントが自由で気楽で退廃的なわけがないと分かるだろう。単純な知識だけでなく論理的な思考すら欠けてるぞ。
毎日死ぬことばかり考えてて、週末は当たり前のように家に引きこもって風呂キャンセルする典型的ミドルエイジクライシスです。
さらっと書いてますが、とにかく何をするにも「死ねば無意味」という言葉が邪魔をして、やる気が全く湧いてきません。
そこに来て身体的なガタがきて、スポーツはもちろん、ウォーキングもままならない状態。いわゆるよくある八方塞がりですね。
テレビを見てもネットを見ても近しい世代の訃報が毎日のように流れてきて、見ないほうがいいとわかっていながら、速報とかで不意打ちをくらっては鬱に落ちる。
見る夢全部自分が追い込まれる夢で、夢だとわかっていながら現実にも悪いイメージを引きずってしまう。
考えること全てが悪い方向に転がり、その先に待っているものは死。虚無。
それが全ての今を否定する。
あぁ、こうやって人間は鬱になっていくのかと実感するような毎日。
ただ、やっぱりこのままじゃいかんなと思って、なんでそういうふうに考えてしまうのか自分なりに向き合うことにしてみました。
そうすると、どうもなんだか死というものを色々な言い訳にしているような自分が見えてきました。
今抱えている不安というものを色々と並べてみたら、全部がなにかの言い訳みたいに思えてきて、それが何の言い訳なのかを考えたら、要するに今生きるための覚悟に対する言い訳だっていうことに気が付きました。
どうせ死んでしまうことを、ずっと何かの免罪符のようにしているように思えました。
それはたしかにそうかも知れないけど、今生きている事実も現実です。
それであれば、生きている限りは生きる覚悟が必要なのではないか。そんな感じでこの言葉に連想がつながっていきました。
これが面白くて、それまで死という虚無が襲いかかってくるとやんわりと丸め込まれてモチベーションがなくなっていたものが、「死ぬまでは生きる覚悟」を決めたという気持ちがあると、とりあえず一瞬ではねのけられるようになりました。
負の連想ゲームを、一言でキャンセルできるようになったというとわかりやすいかも知れません。
夜、布団に入ってふと不安に襲われた時、夢うつつの段階で急に死を意識してしまう時、飛び込んできた訃報に悲しみより先に虚無感に襲われた時、自分が「死ぬまでは生きる覚悟」を決めたのだと思うようにすると、それ以上不安なことを考えなくなりました。
そんなに単純ではないかも知れませんが、でも、いつ死ぬかわからないことをずっと不安に思い続けるより、どうせいつか死ぬのだから生きている限りは生きるのだというように覚悟を決めてしまえば、あとは全てを受け入れるだけになったような気がしました。
まだそう思うようになって時間が短いのでこれからまた別の不安に襲われるかもわかりませんが、他にもこんな方法があるよーなんてアドバイスが欲しいです。
突然鬱な展開でごめんね。