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はてなキーワード: 俳句とは

2024-05-10

びゃあうまい

びゃあああうまい

うまいびゃあ

マスダ 心の俳句

俳句文脈を前提としたものなら

原子力 明るい未来の エネルギー

を超える俳句出会える気がしない

俳句のものが春の季語

2024-05-09

anond:20240508165744

すまない、作者を書き忘れてた

赤野四羽という現代俳句の人の「ホフリ」という本からです

変わった俳句が多かったよ

俳句短歌って、ちょっと何言ってんのかわかんないっすって印象しかない

https://anond.hatelabo.jp/20240508133151

わかる者同士の俺達わかり合ってるよね感で盛り上がってるの、めちゃくちゃ共感性羞恥が湧いてつらい

スタバ人間観察して酔ってる連中と似てる

小説とかヒップホップみたいな芸術比較しても大きなストーリー性も金になる雰囲気もないか趣味の中でもっと生産性のない極地だよなぁ

まぁイタい人たちだから生産性のないことが〜ドヤァ〜って言い出しそうでそれがまたさらに惨めなイタさを増していく

anond:20240508133151

なかなかプレバトでは見ないタイプエモい俳句だと思うけど、短歌の人的にはどうなんだろう

anond:20240508165744

鑑賞増田とは別の俳句かじり増田だけど、この句は軽く作ってるようにみえてかなりかっちりできてるよ

いわゆる一語一語が「動かない」ってやつだね

まり言葉選択必然性があって、他の語に入れ替えができないようになってる

から行くと、

「実は」:これまで秘密にしていたことを明かすというシチュエーションを冒頭で設定している

「おれ」:男性という主体提示女性であったとしても男勝りの人物像を表している

魔法少女と」:魔法という非現実感と、性別の飛躍によるインパクトが絶大。魔法少女を詠んだ俳句は初めてみたよ

「告げる」:告白という劇的な状況の緊張感を表す語彙だね。話すじゃダメ

「雪」:鑑賞増田がいうように、この季語選択絶妙。劇的な告白シーンの背景として、雪が静寂感を演出してる。死や最終決戦を予感させる心象風景でもある。

かなりのストーリー性が詰め込まれていて、職人技を感じるね

検索しても増田記事しか出てこないから作者はわからんが…

2024-05-08

プレバトで一番気に入ってる俳句

梅雨音の調和数列服眠る

だな

パズドラやってるマックスむらい別にムカつかないでしょ?

俳句やってるからムカつくってよくわからない

anond:20240506103123

これ、全部575でつくってるのな。ラップ系の人のリズム感て、即興性が問われる面含めてなかなか大したものだと思う。

俳句とか教養ぶっているけれど、

要するにラップバトルと同じだろ。

偉そうな態度気取って季語入れて、

消臭が上手く行ったと思い込む

その態度からにじみ出るバカらしさ、

いい加減虚しくなったりしないかね。

「渾身の 増田ほど無視 されがちだ」増田心の俳句

うわーん

anond:20240506233546

俳句が"情念"や"私"を盛る器たり得るか? というのは、増田の言う通りあるあるネタだと思うが、正直情念シマシの俳人もいるので、情念一本槍で説明するのはちょっと難しいんじゃないかと思う。というわけで、自分の好きな情念系の俳人三橋鷹女の句を紹介したい。

  この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉  鷹女

あまりにも有名なこの句。なんというか、余りにもぎょっとする一句だ。作者は秋の夕方燃え上がるような紅葉の樹をただ見ているだけだ。しかし、その樹の美しさが作者の心中出会って化学反応が起きる。「この美しい秋の夕暮れの紅の陽の中で、こんな燃え上がるように輝く紅葉の樹に登ったら、私の中の何かが身を焦がし、たちまち目はつり上がり口元は避け頭には角が生え私は鬼になってしまうのではないかしら……」と考えるという、そんな俳句だ。想像できるだろうか?

たとえば妖艶な女性が秋の夕暮れ、紅葉を見ながらほんのり微笑んでるわけだ。(できれば舞台京都とかその辺の古都であってもらいたい。)やあ、紅葉がきれいですねえ、なんてうかつに声をかけると彼女はにっこり笑って、「そうですね、きれい……あんまりれいで…」と何か言いたげに言葉を濁す。ここでついうっかり、え、紅葉好きなんですか、なんて下心を出して聞いたが最後、「いえね、あんまり燃え上がるようにきれいから、この樹に登ったら全身火に包まれしまいそう、そうして大声で叫ぶ私は、まるで鬼になったように見えるかしらなんて思うと面白くて……」などとやべー妄想を全開でぶちかまされるからだ。考えてみてほしい、鬼になるかどうか、とか以前に、美しい紅葉を見て「その樹を登ったら…」なんて想像をする時点で(まともな大人でそんな奴、いるか?)もうこの人尋常じゃないヤバい系の人なのだ紅葉を見たら、駆け上る想像をせずにいられないくらいの、この人の身を焦がす情念っていったい何だろう? 恋か。恋だとしたら、どんな恋なのか想像するだにオソロしい。一方でこの「燃え上がる樹に包まれ鬼女になる」というそ妄想自体は、余りにも凄絶で美しくてカッコいい。自然風景と一体化しながらも、この人の情念はまったく矮小化定型化も減量もされず、読む人の心を打つ。

これにビビっと感じてくれたかもしれない人のために、もう一句だけ鷹女の名句を紹介しておく。

  白露や死んでゆく日も帯締めて  鷹女

ただそれだけ。まあ、露ははかない人の命の比喩でとか、白露はことに露が美しい秋の季語だとか、そこから作者の人生も秋にさしかかっている立場で詠んだ句であろうとか、まあそういう教科書的な講釈はいい。いいと言いながら一応一通り言ったけど、それより、スッとこの句を眺めてほしい。そこに立つ、一人の女性の姿が鮮やかに立ち上ってこないだろうか。

和服着付けというのはなかなかの苦労だが、帯を締めるというのはその仕上げの工程に当たる。この句で「帯を締める」というのは、普段から服の手入れもぬかりなくし、朝からきちんと身支度をし、化粧もふさわしくして、そして最後にキュッと帯をしめるまでの一連の工程総称だと考えられる。これまでも、これからも、そしていつか死んでゆく日にも、私はこうして帯を締めて(そうして死んでゆく)、という( )内の聞こえない言葉が、「帯締めて」という言い差しによってかえって響いてくる。女性としての自身、当時の社会との軋轢、様々なものを一身に引き受けながらすっくと立つ一人の人間としての強い思いが伝わってくるようだ。

死ぬはいい日だ」なんて言葉もあるけど、常在戦場の心構えというのはそういう何気ない言い回しの中にあるものなのかもしれないと思う。それになぞられるというわけではないのだけれど、この「帯締める」行為何だか戦いに備えて自分自身を隙無く装っているような、そんな雰囲気が漂っている。こういう「私はオンナよ」みたいな、固定化されたジェンダー内面化って昨今あまり流行らないんだけど─まあ軽やかに変化し続ける自己というのもそれはそれでもちろんよいのだけれど─人が成熟の深みとでも言うべきものに到達するには、ここまで強く深く「私は○○○だ」という意識自身に刻み込み、時を重ねる必要があるのだろう。そんなこの人の「覚悟」みたいなものを、「死」の一字がぐっと引き締める。誰にも文句は言わせませんよ(ニッコリ)、という体で、これまた見事な情念世界だと思う。

どうだろう、こういった情念個性の強さ深さというのは、なかなか短歌のそれに劣ったものではないのではないだろうか。

そうしてみると、結局増田の言う”情念”も、それぞれの作家性に拠る部分がかなりあるということも理解していただけるのではないだろうか。鷹女の句は、俳句王道を決して踏み外してはいないけれど、輝くばかりの個性情念に満ちあふれている。もちろん、増田の言う、短歌俳句の出発点となる発想・捉え方の違い(ほとんど真逆)、それに基づく「短歌やりすぎると俳句作れない」という主張もそれなりにもっともだと思う。ただ、から俳句には情念が盛れないと言われると、いやいやそんなことはないんだけどなあ……と思ってしまうんだよね。

anond:20240508165744

これ偶然だろうけど、かなり面白いやり取りを見た気がする。

鑑賞増田は、素人作品だと思っていながら、知らない俳句意味技術ちゃん評価できた。

いかにも俳句っぽくない作品にもかかわらず。

ということは、俳句作者名に頼らなくとも、きちんと読む方法を知っていれば作品自体評価できるということだよな。

ハイコンテクストといえばそうなのかもしれないが、鑑賞眼みたいなものの深さを感じたよ。

anond:20240508145854

観賞した増田だよ。

なるほどー、いや道理で、即興で作ったにしちゃすごいちゃん俳句になってるなと思ったんだ。(あなたがその場で即興で作ったもんだと思ってた)

季語の使い方が良かったし。

現代俳句ってことで、こういうトラディショナルというか「普通」の、書かれていることを現実風景のものとして読み取ろうとするやり方じゃなく、別の読み方もありそうだってことは言っといた方がいいかもと思った。

 

魔法少女告白するというアンリアルな状況、を想起している自分。その時に触れた雪。こういう対比になるかもしれない。そんな秘密を抱えているような自分でいたかった、というような「違った自分」への羨望が感じられる。

または順序を逆に、「雪を見た」、その雪が「アンリアルな状況」を想起させた、ということかもしれない。雪をきっかけに、アンリアル想像が生まれた、という流れ。

 

想像アンリアルであればあるほど、現実にある(のだろう)雪やその冷たさとの無慈悲な対比が生々しく感じられるね。

この人は、そういうアンリアル想像をしてしまうほど、自分人生が嫌いだったのかも。ぶっ壊したいと思っていたかもしれない。そうだったらどんなに良いだろう、とか。夢のある世界ではなく現実で小さく生きている自分に嫌気が差している、とか。そこにはやけっぱちさも、寂しさも、哀しさもあると思う。そういうネガティブ感情に、想像世界でぶつけて相殺してくれるだけのインパクトをもった存在が、「魔法少女」というものだったんじゃないだろうか。そういうことを直観したよ。

 

そこに並び立つのが、季語の「雪」。ああ、なんて無情なんだろう。この雪は、子供がはしゃいで喜ぶような雪景色ではなく、重たく靴にへばりつくじゃりじゃりと融けかけた雪を想像するね。まるで忘れたくても忘れられない自分過去みたいだね。なすり付けられて落ちない汚れのような雪だよ。楽しい想像をしなければやっていられないような雪。アンリアル想像に身を任せでもしなければ、やってらんない雪。

 

もちろん、人それぞれの読み方でいいんだと思うけど、まぁ一例としてね。こんな風に読めたよ。

名句かどうかと問われたらやっぱり分からんけど、個人的にはその句は好きだよ。

anond:20240508133151

ありがとう現代俳句の本にあった俳句なんだが、よくわからなかったから聞いてみたよ

解説をみるとやっぱりちゃんと作られてるんだね

anond:20240508133151

さすがだな

Chat GPTだとこんな感じの鑑賞だったよ

まだまだ人間が上か

この俳句は、日本の伝統的な文化である俳句形式使用していますが、その内容は現代ポップカルチャーとの興味深い対比を表しています一般的に、魔法少女というキャラクターは、可愛らしさや女性らしさを象徴するイメージがありますが、「実はおれ」という男性主語使用されており、性別や期待に対する挑戦を示唆しています

また、「告げる雪」というフレーズは、冷たい雪のイメージと、何かを伝えるという意味合いを持っています。この対比は、普段は明るく希望に満ちたイメージ魔法少女と、冷たく静寂な雪のイメージとを結びつけ、その両方に含まれ可能性や複雑さを示唆しています

この俳句は、伝統的な日本文学形式を通じて、現代ジェンダー役割文化的な観点に挑戦し、異なるレベルでの理解考察を促しています

anond:20240507123506

「実はおれ魔法少女と告げる雪」

  

結社に入ったりしてない不勉強な身でよければ。

俳句としては「「実はおれ魔法少女と告げる/雪」」と二つの流れに分かれるね。

意図たかどうか分からんが、「告げる」で切れが来ている。季語を「雪」にしたのは良いチョイスだ。おふざけで詠んだのかもしれんけど、これわりと俳句になってるよ。分かち書きしてないのも良いね俳句っぽい。

   

「実は」と「告げる」からすると、これは秘密にしていたことを誰かに告白する/し終えたっていう場面だと想像できる。そういうことを人が多いところでやるのは考えにくいから、真っ先に思い浮かぶのは、「おれ」と告白する相手との二人きりの場面だよね。人気のない場所、人気のない時間帯だろうか。昼間の冬枯れの雑木林だとか、夜の静まりかえった公園だとか、そういう寂しげなイメージがある。

「雪」は、降っているだろうか、それとも積もった雪のことだろうか。それは読み取れないけど、雰囲気としてこれは動きがあって欲しいから降っているところを想定しよう。秘密にしていたことを告白した瞬間、打ち明けられた側は驚きで一瞬動きが止まるのではないだろうか。その「静」と雪の「動」が重なってくる。そして「おれ」は、告げた事実に対して相手がどういう反応をしてくるのか、「静」の時間の中で固唾を呑んで待っているのだろうな。じっと待っている中、視界の中でちらちらと雪が舞っている。時間が止まった二人と、動き続ける雪。もしかしたら「おれ」は、「静」の時間を迎えて初めて雪に気付いたのかもしれない。それまでは、秘密告白意識が集中していたとも思えるから。そうやっていろいろ想像が出来るね。

今のは、告げた後の解釈だったが、告げる前だとしたら、いよいよ秘密を告げるという緊張感の中、心臓も早鐘を打つようになる中で、ふと雪に気付いたということだろうか。秘密を持っていたという後ろ暗さに、白い雪が被さってくるという対比にも読み取れるね。

そしてもう一つ。「秘密にしていた期間がある」ことが想像できるということは、相応の期間、「おれ」は秘密を打ち明けるべきかどうか悩んでいたのかな、という想像もできるわけだ。その期間の長さ、思い悩んでいた時間の長さの「重み」も、言葉としては書いてないけど感じられる表現になっているのがとても良いね俳句にはスケール感(より大きなものを、短い中で表現すること)も大事なんだけど、時間的なスケールの大きさ(長さ)を感じるよ。

  

隠していた秘密魔法少女だというのはアンリアル事象なんだけど、実は案外この「句」の中では効いてる気がする。「おれ」はまず男なんだろうけど、それが魔法少女」という二重になったアンリアル感。それを句の中ではおふざけなしに告げている。全体が俳句として成立しているからこそ、そのアンリアルさが「なんの冗談だよー」からの「え……マジなやつ?」という反応を想像させ、それが上で書いた「静」の時間とも繋がっていくと思う。

俳句客観写生と定めるならこのアンリアルさはアウトなんだけど、ここでは固いこと言わないどく)

  

よくぞ最後季語を「雪」にしたなと思う。だから映像フォーカスできてる。「冬」とかの時候にしてたら、映像や情景ではなく、告白した「おれ」の体験や状況や心情にフォーカスされてしまうので、それだと俳句としては「心情入れすぎ」なものになってしまったんじゃないだろうか。雪だから俳句になった。

  

映画のワンシーンみたいな、演出された映像、情景に感じられるので、自然に発生した情景ではない分、俳句としての評価はどうかなと思うけど、俳句俳句じゃないかといったら、俳句だと思うよ。

  

anond:20240508114006

横増に

反応せずには

いられない

増田 心の俳句

2024-05-07

anond:20240507201612

調和数列の俳句みたいなのまた出してこねぇかな

理系インテリ俳句絶望するのがおもしれぇの

anond:20240507165536

その通り

誰も知らんのよ

代わりに俳句といえば蛙が飛び込んだり馬が通ったり柿食ったりってなっちゃうのが悲劇なんや

学校俳句勉強したとき「お、おう…」ってなったやろ?

その「お、おう…」って印象がいかんのや

anond:20240507161434

俳句ってそもそも和歌連歌ハイコンテキストすぎて庶民が楽しめないから、77の部分を無くして庶民自分たち生活や世の中を滑稽に風刺して笑いをとるようになったのが始まりから

それで「俳優諧謔かいぎゃく=しゃれ・ユーモアのこと)」→「俳諧はいかい)」と呼ばれるようになり、後の俳句になって行った

なので初期の奴らのレベルが低いのは仕方ないのでは、ある意味サラリーマン川柳の方が俳句の源流みたいなもので、脱ハイコンテキスト俳句の始まりだったから(正岡子規あたりから文学的な志を持つようになり、俳諧から俳句に変わっていった)

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