はてなキーワード: 修士とは
東工大やら京大、軒並み女子枠の設置が相次いでいる。Twitterではもっぱら「バカな女に下駄をはかせるな」と盛り上がってるが、自分は別の視点から女子枠に大反対。女子枠なんてクソくらえ。
争点は大学入試ではなくその後のキャリア。いわゆるメーカーにいくか、どうするか、大変なやんでいる。
自分:地方公立進学校→旧帝工学部機械系B4。INTJ。つきあって3年の彼氏がいる。(ここではとりあえずこの人と結婚する前提で話がすすんでます)
弊専攻機械には大量の推薦もあり、多くの人が推薦を使ってトヨタやダイキンやパナに就職。けど、女子でメーカー技術職?それが幸せとは到底思えない。
子供をもうけるとなった場合、産休育休は必須。妊娠したら、大切なプロジェクトや重要なポジションには就かせてもらえないだろうね、男は産休取らないから、そっちに任せるのが合理的。育休からかえってきたら、後輩が上司になっていたりして。復職後も保育園からの呼び出し、小学校の参観などで有給をすり減らせて育児。上司は全員おじさん、同期もほぼ男。みんな子供の世話は奥さんがやってくれるもんね、迎えにいかなくていいんだ。それを60歳まで?いくら安定性のあるメーカー勤務でも幸せとは思えない。
男は10頑張ればよいところを、女は20頑張らなければ同じ土俵に立てない。メーカーに就職することは、その壁を確認しにいく作業にすぎない。
就活の早期化で、就活は3回生の春からが基本になってきてる。院生が修士で修了する場合、修士1年で就活開始。正気か?同研究室の1つ上の先輩を見ている限りは到底無理。大学院の大量の講義を受けながら実験・成果報告。仕送りだけではまったく暮らせないのでアルバイトも必須。その時間で大量のESやWebテストを受けてインターンに行き、私立文系の学生と対等に戦えるのか。いずれにしてもいばらの道である。
(3)キャリアをあきらめ、子供を産むと同時に退職、専業主婦orパート
中高6年を学業に費やし、大学6年間のレポート・実験・卒論を乗り越えて、主婦?努力をみずから無碍にするようなまねはしたくない。
いまの彼氏と結婚した場合、旦那はメーカー、自分はパート。同じ大学を出て、同じように勉強して、旦那は年収1000万、自分はレジ打ちで100万。うつ病になりそうだ
(1)~(3)のいずれも、「頑張ればいいじゃないか」といえばその通りだ。男に負けないよう2倍がんばれば済むし、私立文系と対等に戦うために睡眠時間を削ってESをかけばいい。自分の気持ちに蓋をしてレジ打ちもできる。ただ、男はそこの心配がいらないじゃないか。自分が男だったら、迷わず大学推薦で就活してメーカーに就職する。心底うらやましい。
勉強して高学歴になったのが間違いだったのか。がんばって勉強して、がんばって就職しても、旦那の海外駐在がきまったらどうなる?地方転勤には帯同するのか?生まれた子供に身体障害があったら?小学生で不登校になったらどうする?
高卒でこどもを産んで専業主婦をしている地元の友人がうらやましい。高学歴になってみえたのは女の頑張れる限界。妊娠しなくても親になれる性別に囲まれて働くことの難しさ。そんなもの見えないほうがよっぽど幸せである。
高校では男ばかりの物理の授業を受け、男ばかりの入試を受けた自分を、少し誇らしく思っていた時期もある。自分は男勝りだと。物理や数学が好きで、よくできる自分は特異なものだと。なんなら、数3と物理を捨てて看護系に進む同級生を少し下に見ていた。
蓋を開ければ一切その気持ちは払拭された。医療系に進んだ彼女たちが正解で、こっちは不正解。理工系女子が理工系の中で「普通」に入ることは断じてできない。
大学に入学したあと感じたのは、「女」であることは常に異質であり、常に異性としてまなざされることは苦しいということ。高校までは男性を苦手と感じたことなどなく、何なら男のほうが話しやすいと思っていた自分でさえ、教室に入るのが苦しくなり、不登校になりかけた。最低限の授業だけ行き、あとは家で寝ている生活。キャンパスも男ばかりだから、食堂も図書館もいかなくなった。実験で同じ班になった男に、「〇〇さんですよね?昨日△△で見かけました」と声をかけられる。こっちとしてはお前誰?レベルなのに。正直気分が悪い。
これを就職してもずっと続けるのか?40年間?とんでもない。
理工系女子枠?リケジョ優遇?クソくらえ。こんな苦しみを味わう場所に女をふやすべきでない。入試が少しラクになる程度のエサで女を釣るな。高学歴女の最適解は文系進学もしくは医療系。間違っても理工系で男と対等にやれるなんて思ってはいけない。「親」になるために身を捧げる側は、捧げない側に混ざって対等に戦うことはできない。
旦那に専業主夫をしてもらえばいいじゃないかという声も聞こえてきそうだが、そのつもりはさらさらない。自分が苦労して大学に入って勉強したのと同じように、彼氏も努力している。自分が専業主婦になりたくないからこそ、彼氏に専業主夫を求めるのは筋が通らない。
いまのところ自分は理系院卒の肩書を捨てて、関西ローカルの中小の文系企業に就職するか、行政書士などの資格をとることを考えている。
こういうのって上位10%や下位10%くらいの企業はあんまり変わってなくて、うちみたいな業界でも準大手くらいのとこが顕著なのかも。
10年前くらいに下がって、最近さらに下がったといえばいいのか。
自分は人事じゃないけど、若い頃は出身の研究室まわってリクルート活動するくらいには修士以上の採用に積極的だった。
そのかいあってか近い世代だと地方国立の理系の修士以上ばかりだった。
それが今年は修士は一人、出身大学も地方国立の理系が2人いるくらいで偏差値も低め。
その一人の修士が名工大で、それでもここ数年では快挙と言われているくらい採用できていない。
高専生を青田刈りする方が良いのでは?みたいなことを思うくらいにキツイ。
系列の大学や高専持ってる企業は先見の明があったよね、最低限の質を担保できる。
更に言うと、そういう新入社員と賃金差が縮まってるのもキツイ。
長年勤めても報われないから新入社員の採用にも苦労してるとまで言うと我田引水が過ぎるかもしれないけど、
5年前に結婚。子無し。
増田は35歳、妻は26歳だった。
増田:理学系の博士号持ち。専門を活かした仕事に就いている。年収650万。ずっと国公立。大学と院は奨学金で行った。
結婚するまで自分は普通の稼ぎがあると思っていたが、結婚前にお互いの年収や資産額を明らかにしたら、妻の方がより稼いでおり、資産は0が一個多かった。
結婚のときはお祝いで300万、家を買うとなったら1000万、それ以外にも祖母から毎年100万くらい贈与されている。
妻の親戚もこういうのが「当たり前」なので特別なこととは本人も周りも思ってない。
増田の実家は結婚したときのお祝いは100万、それ以外の支援は特になし。不満があるわけではないが、妻の実家と比べると気後れする。
妻にそれを伝えたら「そんなの気にしてたの?周りがやりたくて勝手にやってることだし、もし二人共仕事辞めても10年は暮らせる貯金はあるな〜って思いながら心穏やかに過ごそうよ。」と言われた。
すべてに増田が行くわけではないが、顔を出すと妻の親戚の華麗な経歴と直面する。
私大の学部卒は低学歴に入る感じだ。修士が普通、高学歴に入るのは博士からって感じ。(口には出されないが)
頑張って博士号を取って良かったと思う。
妻と二人の時は何も思わないが、妻の親戚と過ごすとぼんやり劣等感を覚える。
妻の希望もあり、子供は今すぐには持つ気はない。妻は女系一族なので婿入りとか養子に抵抗がなく、「もし出来なかったとしても、子供が欲しいならもらってもいいんじゃない?」と妻も妻の両親も気軽に言うのでちょっとびっくりする。
直近こじらせたきっかけは多分2つ。
2つめは飲み会の場で男も女も下心丸出しで異性にべたついているのを見て、なんかいろいろ気持ち悪く見えてしまったこと。
それぞれのきっかけと自分の精神状態、思考方法、思想、そういったものを絡めながら言語化していく。
大学来の親友が結婚した。彼がもうすぐ結婚するであろうことは、なんとなく察していた。
洗面所にはずっと歯ブラシが2本あったから、半同棲をしていたんだと思う。
そいつに彼女がいるかは聞いたことがなかった。そもそも自分は、友人に恋人がいるのか聞くことが割と苦手だ。
だから聞かなかったけど、長いこと付き合っている風だし、もうすぐ結婚すると思っていた。
先週あたりにその連絡がきた。普通に嬉しかったし、本当にめでたいことだと思った。
ただ、恋人がいない自分のことをやはりネガティブに捉えてしまう。「結婚」というワードは、いまだに自分に対して大けがを負わすらしい。
匿名で書き込んでいるから説明しておくと、私は一昨年末に離婚している。当時27歳だった。
1年保たずに空中分解した自身の情けなさに対して、当時は大いに病んだ。
そこから恋人はいない。結婚願望が自分の中にあるのかは正直分からない。
ただ自分があさましいというか、自分が叶えられなかった幸せを他者が、それも境遇が近いような人が掴もうとするその姿を、100%の祝福で見ることができない。
どうしても羨望とか嫉妬とか、そういう感情がコンタミする。それに端を発し、また自己否定のフェーズに入る。
我々はそれなりにいい大学を卒業した。もっとも自分は留年して学部卒、友人は修士卒なんだけど。
学歴至上主義を否定できない現代日本で、母校の新卒カードは結構な効力を持っていることを、今なら知っている。
ただ当時はすべてがアホらしかった。ガクチカとか資格とかTOEICとか。自分は専門を活かしつつ、会社の雰囲気が良い小企業に入社した。
社内環境には本当に不満はない。同世代の全国平均以上の給料ももらえているし、友人と飲みに行ったり遊びに行ったりするくらいの余裕はある。恵まれている自覚はある。
ただやはり、新卒カードを上手に切った同級生たちは、名だたる大企業に就職して、それなりに稼いでいる。
経済的に羨ましいとは思うが、努力した彼らとそうでない自分の差を無視し、一方的に羨望することはお門違いだと承知している。だから他人を呪ったりはしていない。
ただ、自分の生き方の下手さにほとほと愛想が尽きて泣きたくなる。
社会人になってからは、老後とかも見越した資産運用を始めたりしたが、学生の頃は本当に刹那的に生きていたと思う。その結果を今になってまざまざと見せつけられているに過ぎない。生きるのが下手くそすぎる。
昔からそうだ。
第一子として生まれて、親との喧嘩も何度もしてきた。言葉を文面通りしか捉えられないような節があることも自覚している。愛想のよい会話も苦手で、可愛げがないと何度言われたことか。
弟はそのあたり非常にうまくやっている。ユーモアで大人を笑わせ、親が望むような労いの言葉を見逃さずにかける。そういうのを見るたび、やるせなさが募る。
幸い、頭だけは良かった。特に、物事の法則性を見出す能力に優れていると思う。まあ、自分より優れた人間なんて掃いて捨てるほどいるんだけどさ。
だから勉強には困らなかった。自分の身の丈に合った環境に身を置くことが幸福につながると信じていたから、特に苦労しないで入れる高校や大学に進学した。
そこで出会う友人たちは、どことなく自分と同じところがあった。頭のデキとか、公立故の家庭環境とか。そんなに大差ない半生を送ってきたんだろうなって。
ただ、社会進出は孤独だ。それまでの半生の判決が下されるような感覚。
特に何もなさなかった自分と彼らの差は、いったいどこで決定的になったのだろう。
俺は知らなかったんだ。そんな判決が下る日が来るってことを。
頭がいい友人はみんな気が付いていた、早い奴は高校生のころから気付いていたと思う。そのあたりは、本当に馬鹿だなって今でも思う。
自分にもポテンシャルはあったはずなんだけど、どこで失ってしまったのか、または持っていると錯覚していただけなのか…。そんなことを考えて少し病んだ。
まあ、優秀な同級生と自分の対比はよくやってる内省のテーマだから、大きくこじらせることはないはずなんだけど。
続けて、先日の飲み会の話。
その飲み会には酒癖が悪い女の子が来ることになっていた。みんなそのことを知っている。
自分も飲み会の前までは、隣にその子が来てベタベタされたらラッキーくらいには正直思っていた。
案の定、男が寄って行った。男がトイレ等で席を立つたび、他の男が代わる代わるやって来た。
それが素直にきしょいと思った。彼らと同じことを考えていた自分もきしょいと思った。
どいつもこいつも、「自分は介抱しているだけで、下心なんてありませんよ」みたいな顔して近づいていく。なんかそれが無理だった。
もうおっぱい揉んだりキスしたりしろよ。その方が素直だよ。もっときしょいけど。
自分よりイケてない(と自分が勝手に思ってる)やつが、その子とイチャイチャしてるのを見て、なんか正解が分からなくなった。恋愛とか人生とか、そういうのの正解。
たまたま先日開いたまとめサイトで、「外国人は日本人の女をスケベだと認識している」というレスを読んだ。
この女もスケベか。じゃあこのスケベ女にも相手にされない俺はもう終わってますね??(謎理論)
自分は、女は淑やかであるべき、みたいな思想を持っている。割と封建的で昭和チックな価値観を持っていると自覚している。
だからこそだらしない女を見てるとウザイなと思う反面、「ヤレそう(ヤレない)」とも思うし、その自己矛盾も気持ち悪いし、そこに群がる男もきもい。
うーーーーーん、わからん。べつにその特定個人から好意を持たれたいわけじゃない。
他にも夫子持ちの既婚女性が叫んでたり、恋人がいる男女がなんか楽し気に盛り上がっている様を見ながら、理性とか本能ってなんだろう…と一人沈んでいた。
なんか矢印がいっぱい見えちゃって非常に疲れた。という話。
最近は金の事ばかり考えている。なぜか。
ならば自分はモテたいのか?自分の性欲を直視するのが気持ち悪くて、そのあたりは考えないようにしている。でもこれを直視しないといけない。
離婚してから性風俗以外で性行為をしていないが、セックスが普通に好きなので。
自分のセックスに対するコンプレックスもあるが、最終的にヤリたいに帰着する気がする。
恋人とか新婚夫婦って、ほぼ確実にセックスしてるじゃないですか。
死ぬほど羨ましい。そういう愛の確認がしたい。愛がなくてもいいけど。
「同棲してます」は、「昨日もセックスしました、今夜もします」にしか聞こえないし、
「結婚します」は、「今までいっぱいセックスしました」にしか聞こえないし、
頭おかしくなるって。いやもうなってる。なってるからこう聞こえてるんだって。
男子中学生も男子高校生も、ここまで人生観やライフステージや愛についての解像度は高くないと思う。
だからこの拗らせ方は、セックスにコンプレックスを持った哀れなオス特有のものでは。
「風俗行けや」と思われるかもしれないが、安い店はそれなりの嬢しかいないし、それなりに高い店は経済的に厳しい。
だからこそ、セフレを作って性的にも経済的にも得をしたいと考えてるんだけど、これは異常者の発想なのだろうか。
…言語化しなくても気が付いている自分の本心を直視するのが本当につらいんだ。なんやこのバケモン。
色々努力したつもりなんだ。
元嫁にはそういった「努力」が足りなかったから見放された節があることも分かっている。
そのへんの1000円カットから、カット&パーマで15000円する美容院に鞍替えした。
眉毛の処理は欠かさずするようになった。
爪磨きを買って爪を磨くようになった。
こういうのを当たり前にできる人もいるんだろうけど、自分はできていなかった。だから努力の一歩目を踏み出した。
ただまあモテない。顔が悪いか会話が壊滅的に下手か金がないか。まあ全部か。
マッチングアプリでモテてる男を見てみると、盛ってるのかどうか知らんが、同年齢の連中は軒並み年収1000万を超えている。勝てないって。
女さんサイドもなんでそんな男がアプリやってるのか考えろよ。よほどの異常者かヤリモクの二択だぞ。
ヤリたいなら知らん。マザーファ●カー。
…で、ごく平均的で顔にも金にも取り柄のない自分は、埋もれていくしかない。
正直この歳で彼氏がいない女は、別れた直後かよっぽどヤバい奴しかいない思っている。
からこそ、自分はよっぽどヤバい奴だという論が成立して萎える。
そしてそのヤバさを自覚できていないから、方向性の修正の仕様がない。
もしくは高望みしすぎか。
学もある。職もある。顔も終わってない(はず)。
ただこの普通過ぎる男でも、「つまらない」という理由で、加熱した恋愛市場では全く相手にされない。狂ってないか????
というか、自分のモテなさを棄却しようと色々論じてるのが情けなさすぎる。
なんのために「努力」してきたのかももう分からん。ぶつかりおじさんになった方が幸せまである。
弱者男性の言動や思想を追っているうちに、えっげつないエコーチェンバーを引き起こして、思想汚染されている自覚もあるが、生きづら過ぎる。
自分の性欲が本当にノイズでしょうがない。ヤリたいのにヤレない哀れなオスでいることが精神的にきつすぎる。
去勢したら楽になれるのか。ただ、生命活動の一端をそこで止めてしまうことのリスクがあまりにも大きいことも確かだろう。
なんかもう詰んでね?
書き方が悪かったせいで、自分と学友のBLを想起する人が少なからずいたため、該当箇所を修正しました。
ブクマコメントや言及の中で、特に結婚・離婚の話が薄いみたいに言われていたが、確かに離婚の話は自分のコンプレックスであって、それはそれで大いに病んでメンクリにも通った。
ただその話は今回の題意にはそぐわないと思っているし、破局原因をすべて言語化することを拒んでいる自分がいることも自覚している。
だから離婚の細かい話について、ここで掘り下げて共有するつもりはない。
勝手な推測でグチグチ言われるのは心地いいものではないが、それも匿名性のある意味よさだと思うので、やめてくれとも言わないけど。
それから、一部「本心が全然書かれていない」的な意見が散見された。
これが本当に分からない。自分でぐちゃぐちゃ書かれていることをなるべくゲロ吐いたつもりだったんだけど、本心ってなんだ。
自分軸で生きてるか他人軸で生きてるか的な論?かと考えたけど、そういう話?
そもそも人間は少なからず他人からの評価を優先して生きてるっぽいですよ(ソース:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000011.000030921.html)
いくつもあった励ましとか、匿名性ゆえの叫びを評価してくれた人には改めて感謝を。
みんなの言語能力が高くてちょっとビビる。読書量の差を感じた。
一部はてサは「日本のような没落国家に働きに来る奴はいない!」って力説してるんだけど、また嘘が発覚してしまった。
シンガポールのシンクタンクがASEANを対象にした調査結果で、
https://www.iseas.edu.sg/wp-content/uploads/2024/03/The-State-of-SEA-2024.pdf
ってのがあるんだけど、ここの69ページに「どこの国で住みたい、働きたいですか?」って項目がある。
この中で「日本」と回答したのは17.1%の人であり、これは全体の2位に相当する。
もっとも1位はASEAN内(≒自国)なので、海外居住/就労先としては実質1位である。
なお、はてサが外国人の就労先として推してる韓国と回答したの割合は3.9%で、挙げられている10か国中9位。
というわけで、日本は東南アジア圏にとって、まだまだ魅力的な出稼ぎ国である。
回答者の属性が分からない、というかもしれないが、これも調査結果に記載されており、
勤務先も政府機関が25%、大学やシンクタンクが24%と(9ページ)、そこそこインテリ層である。
暇空茜アンチの「カルピス軍団」は、暇空の弁護士・垣鍔晶が「カルピス」という名前でTwitter活動して仁藤夢乃の容姿を叩いてたことが由来
垣鍔の過去が掘り下げられた際に、当てこすってカルピスと名乗る者が大量に出現して今に至る
「カルピス軍団」と名付けたのは暇空で、カルピスと名乗っていない人でも暇空アンチだと軍団の一味扱いされる
文鳥もそういったカルピスとは名乗っていないカルピス軍団の一味
文京区に住み、数学修士で数学教諭免許を持ち、阪神ファンだと語っている
カルピスの中には言動が過激であったり、暇空への揶揄冷笑が強すぎるタイプもいるが、文鳥は比較的穏やか
暇空被害者の相談に乗り、裁判で使えそうな暇空の失言魚拓の提供などをして、実際に提供を受けた伊藤和子は勝訴している
多くのカルピスはわりと若い男性らしく、たまにスペースを開いているが文鳥はそれには参加せず年齢性別は不明
一人称が「私」なこともあり女性疑惑があり、また一方で「数学が得意」という点から暇空は文鳥の正体はcolabo弁護団の伊久間だと認プロしている
伊久間は東大法学部卒業後すぐに弁護士になっているので数学修士になっている暇はない
暇空は最近はナニカグループよりもカルピス軍団に言及することが多く、彼らを監視している
カルピスの一人が気まぐれに鍵垢にしたりするだけで「カルピスが逃げた、なにか起こったのだ」と暇空や支持者はは認プロして大騒ぎするので
おちょくるためなのか、鍵垢にしたり、アカウント名(@~)変更したりをよくやっている
つい先日も文鳥はアカウント名を変更し、「文鳥のアカウントが消えた、なにか起こったのだ」と暇空は大騒ぎした
それを面白がったのかカルピスたちは「文鳥消えたけど、あの人ヤリ目で会おうとか言ってくるのキモかったよね」「すぐナンパしてくるよね」などと架空雑談
暇空支持者たちはそれを信じて「文鳥は出会い厨なのが問題になって逃亡したんだ」「カルピス軍団内部崩壊」と盛り上がった
文鳥は女性説が根強いことと、カルピススペースは女性も少数いるが男性ばかりなので、痴女の文鳥が男たちを食っていた路線でちんちんをふっくらさせた
2024年3月、某大学大学院の修士課程を修了した。2024年4月からは同大学院の博士課程に進学する。
さてここで、折角なので、ここまでの自分の人生を少しだけ振り返ってみようと思う。
俺は、地元の自称進学校の中学校を出て、地元の商業高校に進学した。そこに行った理由は、高校を卒業したらとにかく働きたかったから。
小学校高学年の頃から、家を出たくて仕方がなくて気が狂う寸前だった。そんなんだから生きることに意味なんか見出せなくて、「ちょろっと働いて小金を稼いで、趣味のサッカーをそれなりに楽しみ、さっさと人生畳んでしまおう」というのが中3で進学先を考えていた時の完璧な人生設計だった。
何故そんな設計かと言うと、毎日死にたくて堪らなかったから。今でも少し。本当に、死にたくて堪らなかった。生きてる意味がなかった。ほとんど毎日、親や学校の教員からは理不尽に責められ、侮辱され、殴られた。友人と思っていた人間からも屈辱を受けた。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や友人、社会への怒りだった。大好きなサッカーだけはその感覚を少し忘れさせてくれたけど、それが続くのは90分だけだった。
本当に、死にたくて堪らなかった。今でも少し。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や社会への怒りだった。それは今でも変わらないし、たまに自分の内側から顔を覗かせる。何かがずれていたら新聞の一面を鮮やかに掻っ攫っていただろう。
だから、家を出たかった。サバイブするために絶対に抜け出さなきゃいけなかった。そのために、働いて家を抜け出して1人で生きる金を稼ぐために商業高校に通った。そこなら、高卒で働くのに有利だってって聞いていたから。3年耐えれば良いんだって、少し希望が見えた気がした。
20代後半まで生きてるつもりは想定してなかったし、できなかった。やりたいことなんてあるわけがないから、どうやって生きていけばいいのか、ほとんど分からなかった。
大学進学なんて微塵も興味がなくて自分には関係のない、想像もつかない世界の話だと思っていた。現在通っている大学院が旧帝大と称され、世界で有数の教育・研究機関だなんてマジで知らなかった。
仰々しいかもしれないけど、もう本当に、とにかく目の前の一日を誰にも脅かされずに、心穏やかに慎ましく生きるために必死だった。そんな一日だけが欲しかった。その一日を安定して手に入れて、噛み締めるためには最低限の金が必要だった。
運が良いことに、その高校は自分に合ってて、自分を受け入れてくれる最高に面白い友人達にも恵まれた。バイトもして、稼いだお金は家の外で過ごす時間に充てた。そのおかげで家にいる時間も少しずつ減らすことができるようになってきていた。
さて、こうなると「意外と楽しくなってきたし、もう少し長く人生やろうか」なんて考えそうだが、それでも当初のプランに変更はなかった。心の渇きは潤わず、やり場のない怒りが消えるわけもなく、遅くても30歳で終了だと漠然と考えながら日々の空虚感を味わっていた。
3年間耐えれば全ての苦しみから解放されるはずだと、そんな未来を祈りながら高校時代の生活をサバイブしていた。高校はマジで毎日が楽しくて仕方がなくて、今更すぎるけど本当に関係者に超感謝してる。
そしてどうしてか、家を出て関東の大学に4年間通うことになり、入ったゼミで最高の恩師と先輩・友人・後輩に出会ってしまった。
毎日が楽しくて仕方なくて、自分の居場所が少し見つかってしまった。自分が役立てる瞬間だとか、できることに気がつく瞬間にどんどん遭遇してしまった。ここでも人間に恵まれてしまい、人生を取り戻したいモードに心が傾いてしまった。大学時代の出会いは、本当に、人生が変わってしまうほどのものだった。感謝してもしきれない。
本当に、大学生の時は明日が来るのが全く怖くなかった。何なら楽しみで仕方がなかった。高校生までは、あんなに嫌で堪らなかったのに。眠っている時間と学校にいる時間のみが心の安寧が保たれる時間であることに心底腹が立ちながら、勘弁してくれよって思いながら、そのまま一生起き上がらないことを祈りながら床についてたのに。
働いてさっさと死ぬつもりが、気がついたら大学院まで行き、修士を修めていた。今は博士になろうとしている。こんな人間が大学院に進学しているなんて、人生はわからない。本当に運が良くて、人に恵まれたと思う。
といった感じで、俺はこんな人生を送ってきた。
俺について、周りの友人からは「よく分からない人間だ」と言われることが多い。
自分のことを基本的に話さないから当然だ。こんなことは話せないし、話すのが怖くて堪らない。話したところで何かが変わるわけでもないし誰も助けてくれないから、自分で解決しなきゃいけないことだから、話す必要がないと思っていた。話してはいけないとも思っていた。それに、それでここまで上手く立ち回ってこれた。
けど、人に自分のことを話せないって超辛いんだなって最近理解できた。
俺は、自分のことを誰かに理解してほしかった。「君は悪くない」と誰かに言ってほしかった。
そんなことは人に伝えられないから、自分はタフで強いんだと言い聞かせて、そうあらねばならないと思っていた。自分1人で生きていけるように振る舞い、悩みを隠してなるべく人に頼らず生きていた。そのせいで「悩みがなさそう」とよく言われる。そんなことはない。
大学院まで進学して、完璧に強い奴はどこにもいないんだと気づいた。周りにその強さを求めていたけど、そんなの無理なんだって気がついた。自分が一番苦しい思いをしているって驕りがどこかにあった。そんなことなくて、何かしらの傷を皆が抱えていて、それでも必死に生きているんだと気がついた。反省した。そう思うと同時に、少し心が軽くなった。
今、少しずつ自分を大事にして、心が充電されてきている。ようやく失った人生を取り戻せるところに来ている気がする。
博士課程に進学が決まり、少なくともあと3年間は生きてることが確定した。残りの人生設計はこれから考える。それくらいがちょうどいい。多くは望まないから、俺はそれで良いんだ。
んで,結局民間に行ったという話.
これはいろいろな要因があるけど,シンプルにお金がないことが一番の原因.
お金がないのは経済成長が停滞しているからであり,失われたn十年のせいであり,これは要因が根深く,すぐに改善できるものではない.
すなわち,日本のアカデミアは既に何が/誰が悪かったのかを探す段階にあるということ.
昨今のアファーマティブアクションは物議を醸しているが,これも無数に空いている穴を塞ぐ一つの手段でしかなく,日本のアカデミア自体がどうしようもないところまできている.
有り体に言えば,未来がない.
じゃあなんでそんなところに飛び込んだのかといえば,若年層特有の万能感としか言いようがない.
「俺がなんとかしてやる」と豪語し,どうにもならなかったというだけの話.悲しいね.
まあ研究者の仕事って書類書いて科研費などのお金を取ってくることが必須なわけでして.
全博士学生のうち半分くらいが出し,そのうち約2割が採択される(留学生含む全博士学生の約1割が学振持ち).
んでまあ俺は取れなかった.
でも今の時代,少子化で大学のポストが減る中,男性が多い上の世代はテニュアで残り,一方女性比率を挙げるために女性がどんどん採用される時代よ?
純粋に若手男性が取れるポストが減ってる中で学振なしで戦うのは相当に不利よ?
しかもその先の待遇も良いものではない上に,昇進についても女性が有利な時代よ?
流石に勝算が薄すぎる.
幸いにして他の経済的支援プログラムには採択されたので,生活費は工面できた.
これまた大きな流れを受けて状況がとても悪い.
これを強引に解決する手法として,若手男性のポストを犠牲にするアファーマティブアクションが取られることとなった.
諸外国と比べて日本は理系の女性比率が低く,マイノリティである女性が過ごしにくい環境になっていると.
必要性は分かる,分かるんだけどね.
俺の世代は男女平等を叩き込まれてるから,相手がどのような属性の人間であれ通用するような話や言葉遣いを心がけてきたよ(勉強や研究の話がメイン).
だというのに男性という性別の原罪を問うてくるのは,まあやるせなさを感じるよ.
だからといって同年代の女性を恨むかというと,そういうこともなく.
というより,先輩後輩や同期の女性達は,偶然女性が優遇される時代に生まれ落ちただけで,特に俺に何かしたわけでもないし,俺は研究の話ができて良かったよ.
チャンスがあったら掴むのが当然では.
ロールモデルがいないことによる困難さなど,また別のものを抱えてるだろうし.
恨みの連鎖は俺の代で止めるよ.
ま,これも現代日本に生まれて高等教育を受けることが受けた時点で,間違いなく運が良い方には入っているだろうが.
上の世代の不始末の影響を受けているといえばまあそうなんだけど,じゃあ上の世代を全員恨むかと言うとそれもちょっと違うかな.
博士向けの経済的支援プログラムを作ったのもまた上の世代の誰かなわけだし.
上の世代の犠牲のもとに,我々世代の博士の民間就活は改善されているように感じた(上の世代が伝え聞いていた話ほどひどくはなかった).
修士より要求されるものは多いかもしれないが,しっかり就活すれば野垂れ死ぬことはなさそう(文系の状況は分からないが).
あるいは海外に行きましょう.海外はアファーマティブアクション済みのところが多く,また欧米諸国以外でも日本より良い待遇で雇ってくれる所がある.
無論,要求される資質が日本のポストと異なることもあるだろうが,国内のポストよりは生きやすいと思われる.
「女性枠だ」みたいな声に左右されずに,ガンガン研究して成果を出してください.お願いします.
春から修士2年で,今はまだ就活中だがそのうち終わるし,授業ももう無いしで,なんか純粋に知的好奇心を満たすやつをやりたくなってきた
この一年で徐々に徐々に,回路触りたいとか,低レイヤやりたい欲求が再燃しつつあった
本や部品を買うためにバイトを増やすと,肝心の活動に避ける時間がなくなってしまうし
もちろん,研究でもある種の好奇心は満たせるし,就活で停滞していたぶんを早く取り返したい気持ちもある
自分の受け止め方は,
→ググっても出てこないことを調べて,ググったら出てくる情報にする,新規性と客観的な正しさが重要
進学しない人でも実績増やせば奨学金の免除も狙える(大学院の話)
でもまあ,一発ネタでもなんでもいいけど,解決したい課題とかテーマが必要な感じ,独自性があるといろいろと受けがよい
チーム開発したとか,身近な人に使ってもらったWebサービスとかだと,エンジニアでない人事担当者にも伝わりやすそう
→金が儲かる,なんか社会の役に立つ(たぶん),なんか金儲けに役立つスキルが身に付く
動機(金が儲かる,人の役に立つ)があるおかげで,もともとそんなに興味が無いようなことでも,調べて勉強したりするきっかけになって面白い
みたいな感じなんだけど,
ArduinoでLEDをチカチカさせる,CPU作る,みたいなことはわかる人にはそれなりに評価されるのかもしれないが,短期的に対外的評価に繋がりにくいように思うし,すぐには自分の生活をよくしないので,学生の自分ですら後回しにしがちだったと気づいた
ネガティブな意味ではよくわかっていないコンピュータシステムの上でいろいろやっている負い目とか,
コンプレックスだったり,インプットが足りていないままアウトプットに偏った活動をしている劣等感とかだろうか
就活や就活向けの思考に疲れ始めているせいで,そうゆうコンピュータクラフト系に癒しを求めている部分もあると思う
自分のこれまでの活動をうまく利用して,有利に就活を進められる場を提供してくれたサポーターズなどのサービスやイベント,
品定めするような目線を受け続けているとアンチ金儲け主義のような意識が芽生えてくる
会社が金儲けのために使う道具として自分がどれだけ優れているかばかりアピールしていると,そうではない側面が盛んに自己主張をはじめる
就職活動が念頭にあるので,自分の経験をわかりやすく就活で有利になるパッケージにしよう,みたいな考えにいつのまにか陥ってしまっていた
同年代が経済的な豊かさを手に入れ,どんどん人生の次のステージに進んでいくのを見ていて,焦りもあった
パンだけじゃ 生きていけねえ,し,
せめて高収入だったり,他人にすごいと思われるような職について,自分を慰めてやりたかったのかもしれない
あと一ヶ月もしたら,これまでの活動は内定承諾という形で一旦精算されそうなので,
残りの時間は研究と,別に新しい何かを生み出さないかもしれないただ好奇心を満たすための活動に使いたいと思い始めた
(面接では,一日も早く御社で活躍できるような人材になれるように勉学に励みます,みたいな顔をしているが)
別に社会人になっても,休日に自室で一人で自作CPUを半田付けしていてもいいし,多分やってると思うんだけど,
終わりが見え始めたら,周りに興味をもってくれそうな人がたくさんいる今の環境は尊く得難いものであると気づいてきた
そんなことを考えながら,いろいろググっていたらCPU自作を手芸に例えたとても秀逸な投稿を見かけた
裁縫も編み物も商業的にはほとんど機械化していて,実用品を手に入れる目的なら買った方がはるかに早く安く性能もいいが,
まさに手を動かして作る楽しさを味わうために取り組む趣味的な活動として残り続けている
自作CPUとかは短期的には対外的評価を得にくい活動かもしれないが,それ自体が純粋に自分の好奇心を満たし,
在野研究者として生きるということーお金についての真面目な話 | 磯野真穂ブログ
「在野研究者として生きるということ」を読んだので自分の経歴を振り返って感じたところを書いてみる。40代のおっさんの自分語り。
地方私立大学の理系に入学したが、単位が壊滅的に取れなかった。また理系に進学したのは就職率が良いから、というだけの理由だった。そのため元から興味のあった分野を学びたいと、卒業を待たずに地方公立大学の文系学部に転学し、言語学を学んだ。
良い師に恵まれ良い学びを得たが、地方公立大学の就職は壊滅的に悪かった。同じ学部の卒業生の就職先は地方のよく知らない会社(その地方に住んでいた親戚でも知らないようだった)か、当時有名だったブラック企業しかなかった。
これはまずいぞ、と思って大学院進学を決めた。だけど学部の新卒カードを使わない手はないと思ったので就職活動もしてみた。全国区のマスコミの二次面接とか最終面接まで進んだぐらいで、大学院進学を蹴るほど行きたい企業からの内定はもらえなかった。同級生と話したら、彼ら彼女らは全国区の企業を受けるという発想が無かったり、都市部の学生よりも明らかに就職活動開始時期が遅かった。場数を踏んだ方が有利になる、と思っていた自分はひどく驚いたのを覚えている。
就職活動で知り合った友人に『貧乏父さん金持ち父さん』を勧められて読んだ。資本家のために働くのは嫌だな、と思った。友人もそう思ったのか、彼は起業して成功し、資本家になった。
閑話休題。大学院については学部の師の退職も近かったし、そのまま上に進んでも就職は有利にならないだろうと考え、別の大学に行くことにした。なんとなくどこかには行けるだろうという気がしていたので焦らなかった。でも、旧帝国大学の大学院に受かったときはうれしかった。そこに進んだ。
そこでも良い師に出会い、厳しく指導を受けた。人文科学を学ぶ者は哲学も学ぶべし、との方針の下、マルクス『資本論』なども読んだ。やっぱり資本家のために働くのは嫌だな、と思った。『貧乏父さん金持ち父さん』は『資本論』の焼き直しだとも思った。
別の教員からは「国立大学の学生は私立大学の学費と比べたらわかる通り、毎年数十万円の補助を国からもらっている。そのお金を出すだけの価値があなたの研究にあるかどうか、考えなさい」と言われた。修士ではその言葉を肝に銘じて研究をしたつもりではある。
ある日、大学院の師から「研究者に向いていないと思う」と言われた。あっさりと、そうなのかな、と思ってしまったので、そうなのだろうと思う。アウトプットが下手な自覚はあった。研究者としては致命的である。別の教授からは夕食を奢られて「博士に進学した方がいい」と言われた。でも、就職については「運だね」とも言われたので、決意は揺るがなかった。
大学院時代の就職活動の結果、インフラ関係の会社からと、その旧帝大の事務職から内定をもらった。インプットは嫌いではなかったので、給料がそこそこよくて地方勤務のある前者より、給料は月並みでも図書館等の設備があって都市部にアクセスしやすい後者を選んだ。学部時代の経験で、地方より都市部の方が学問しやすそうな気がしていた。
アカデミアから抜けて後悔はないかと言われたら、少しは後悔はある。明らかに自分より勉強もしていないし、年間数十万の価値がある研究をしていたと思えない先輩、後輩、同級生らが大学教員になっているのを見ると、もやもやはする。彼ら研究が少なくとも私学助成金分に値するのか疑問に思うことだってある。だけど独立系大学院の悲しさか、教員としての就職状況は良くない。MARCH以上のレベルの大学に教員として採用された例はほとんど知らず、知る範囲では数十年で2人しかいない。経営状況もあまりよくなさそうな大学で語学教育とやらを看板にして語学を教えるのは大変だと思う。それでも教育や研究ができて幸せならそれでいい。好きなことを仕事にできるのは幸運だからだ。私には、そこまでの熱意はなかった。
大学院に行ってよかったかといえばよかったと答えるし、就職してよかったかと言われたらよかったと答える。大学院に行ってよかったことは、学んだ分、世の中を見るときの精度が高くなったことだ。認識論、経験論、存在論などいろんな考え方があるし、新自由主義や社会民主主義など、さまざまな主義主張がある。世の中の人たちの考え方をとらえる力はついたと思う。アカデミアに残らず、安定を取って就職したが、私の能力だと生涯賃金は今の選択肢のほうが多かったと思う。
仕事をしながらアウトプットを続けて、専門とは少し違う分野ではあるが財や研究者として、本の一章も書かせてもらった。仕事では出世コースからは外れてしまったが結婚もして子どももいる。幸せだ。アカデミアに絞らなくても幸せは手に入れられる。
中卒にはまともな雇い口が用意されてないっていうのがむしろ真正面の意味で「学歴」フィルターだよね??
何々大卒とかいう大学名で区別されるような学歴はないのに対して、中卒、高卒、大卒、修士、博士、というのはまぎれもない学歴なんだからな
んで中卒という時点で採用条件から除外するってまさにフィルターだよね
ある研究室が博士課程入学希望者の受け入れに年齢制限をかけていることがX(旧Twitter)上で話題になっている。賛否両論あるが、ここではタイトルの通り「研究室が博士進学希望者と適切にマッチングするにはどうすればよいか」について考察する。
PIになるためには他のPI候補者に勝る業績が必要である(注1)。業績とは、具体的には論文であり、論文の数と質が共に重要で、それらが多く、また高いほど競争で有利になる。
当然のことながら、論文を発表するには研究をする必要があり、研究をするには資源(ヒト・モノ・カネ・情報)が必要である。ひとたび論文を発表できれば、その論文を元本にさらなる研究費を調達でき、研究に必要なヒト・モノを揃えることができる。また他の研究機関との共同研究を通じて情報を得、さらに質の高い研究を行いやすくもなる。すなわち過去の業績は複利的に作用し、今後の業績にも影響を与える。
これは資本主義の挙動に似ており、業績を複利的に増やしたい場合は投資期間を長くできた方が有利である。すなわち、若年のうちからアカデミア業界に身を置いて、早期に論文を発表できたほうがPIになるには有利である。
年齢制限を設ける理由について、その研究室のWebサイト上に詳しく記載されているが、まとめると以下4点に集約される。
1.過去の経験で、高齢の志望者に本気でPIを目指そうとする気概が感じられなかったから
4.最短で博士号を取得できる年齢(27-8才)から遠ざかるほど、今後のPIとしてのキャリア形成に不利だから
1.についてはあくまで経験論であり、一般化には議論の余地がある(注2)。
しかし2-4については第一章で述べたことも含めて、若年の方が有利であることは一般論としてある程度許容できる。こうしたアカデミア業界の背景から、研究室が受け入れ学生の年齢制限を設けることには一定の合理性が認められる。
大企業であれば、仮に採用者が企業側の求める能力とミスマッチしていることが入社後に判明しても、採用者の配置を転換したり、自社の研修プログラムを通じて長期的に教育を施すことはできる。一方で規模の小さい中小企業やベンチャー企業はそうした余力が大企業ほどはない。研究室の所属人数も多くて数十人程度の小規模組織であり、かつ毎年のように研究費の調達や論文発表が求められる。そのため教育やマネジメントにはあまり余力がなく、学生の受け入れに関しては受け入れ時点でいかにミスマッチを防ぐかがポイントとなる。
しかし非研究職の就職をしてから博士課程に進学を志望する者と研究室のマッチングは難しい。彼・彼女らは研究歴がないため、アカデミア業界の文化や、PIになるためのキャリアパスへの知識が乏しい。そのため行き当たりばったりな研究室選択になるリスクが、ストレートに博士課程に進学した者よりも高い(注3)。また研究室側も、研究歴のない候補者の受け入れはそもそもリスクが高いし、候補者は全国各地の、様々なバックグラウンドの人であるため自分の研究室を広告するにもターゲットが絞りにくい。またアカデミア業界内の知人を介した採用も難しい(注4)。そこでマッチングの成功率を上げるためにも、年齢制限を設けることは有効なように思えてしまう。
PIになるには博士号を所持していることがほぼ必須条件であることから、アカデミア業界では博士号を研究者になるための免許ととらえる文脈がある。かつ博士号は基本的に大学院でのみ取得できることから、大学院がPI養成所としての役割を一部担っている構造もある。そうであれば、大学院がPIの素養の高い候補者を選抜することは自然なことのように思われる。
しかしながら、大学院は本来学問を行う場であり、学問は自由に開かれるべきである。仮に若年であることがPIの素養の高さに繋がるとしても、それを理由に年齢制限を設けることには議論の余地がある(注5)。
タイトルに戻る。第一章・第二章では研究室側の都合を、第三章では博士課程進学希望者の置かれている環境と、マッチングすることの難しさを述べた。この現状でマッチングするには、研究室が年齢制限という方法を、Webサイト上で告知せざるを得ないことはある程度理解できる。そこで議論すべき点は第四章で指摘した。
ではどうすればよいのか。残念ながら明確な答えは導出できなかったが、いくつかの考えを列挙する。研究室側はもう少しマイルドな表現を心がける(注6)。候補者の面談から受け入れまでのプロセスを最適化させる(注7)。候補者を研究員として採用し、雇用契約を結んだうえで給与を支払う(注8)。候補者側は、なるべく事前にアカデミア業界に触れておく(注9)。また両者のマッチングを支援する第三者機関の設立も望まれる(注10)。これらの解決策は、少なくとも部分的には、研究室と博士課程進学希望者のマッチングに貢献するかもしれない。
研究室と博士課程進学希望者のミスマッチ問題は根深く、今回インターネットやSNSによって表面化したものと思われる。同様の経験をもつ者としては、この問題の解決を願ってやまない。
(注1)
業績以外にも本人の将来性や同業者からの評判も採用に影響するが、ここでは割愛する。将来性や同業者からの評判についても若年の方が有利であることはほぼ自明である。
(注2)
例えば高齢の方が職歴があるため、「本気で(ここでの本気というのは長時間研究するだけでなく、他のキャリアの選択肢を捨てた状態も指すと思われる)」研究に取り組まず、研究が失敗すれば前職に復帰するという選択を取れることがネガティブな印象を与えている可能性はある。
一方で博士課程にストレートで進学する学生の数は減ってきている。彼・彼女ら若年者は、博士課程進学と、就職を天秤にかけて就職した可能性もあり、必ずしも高齢であることだけが本気でPIを目指さなくなる原因ではない。また、そもそも博士課程はPIを養成することだけが目的なのかについても議論が必要である。
(注3)
Podcast「いんよう!」でも指摘されている通り、医者はそれ以外の理系学生に比べて、研究に関する知識が乏しいまま研究室や研究内容を選ぶ傾向が強い。それ以外の理系学生は、学部の卒業研究や修士を通じて研究業界のノウハウやキャリアパスを学ぶようであるが、医者は卒業研究もなければ修士もないため学ぶ機会に乏しい。
(注4)
例えば同じ大学の学部生や修士であれば、あらかじめ彼・彼女らを卒業研究や修士で受け入れて、研究活動を共に行うことで博士受け入れ前の摺り合わせが可能である。また候補者も卒業研究や修士で活動していれば、自分に合った研究室の情報が周囲から入ってきやすい。医者(あるいは非研究職)として働いている限りは、そうした情報は入ってこない。
またポスドクや助教以上の採用であれば前所属の教授から推薦書や意見をもらえるが、医者(あるいは非研究職)は業界が異なるため前所属からの推薦書や意見は少なくとも同業者のものよりは効用が乏しい。
(注5)
同様の問題は、医学部入試の女性・浪人生差別が記憶に新しい。医学部は医者を養成する場である一方で、医学を修める場でもある。当時は若年男性の方が医者としての素養が高いと考えられていたため、女性や浪人生の点数を不当に下げていた。秘密裡に点数を操作していたことに加え、学問の自由という観点でも批判が集まった。
(注6)
研究者の研究以外の発言が話題になることは、国内外でしばしば観測される。
(注7)
組織における採用については、Podcast「経営中毒~だれにも言えない社長の孤独~」に詳しい。
(注8)
給与を支払う一般企業やポスドク以上の採用においては、採用にあたって年齢制限を設けることは比較的受け入れられている。また大学においても、特殊事例ではあるが防衛医大は大学でありながら学生に給与を支払うシステムであり、応募資格に年齢制限を設けている。
(注9)
医学部には卒業研究がないが、自主的に研究室に通うことは可能である。またいくつかの医学部は学生を研究室に一定期間配属する実習をカリキュラムに組み込んでいる。
(注10)
一般企業であれば転職支援サイトやリクルーターが仲介してくれて、候補者と採用側のミスマッチのリスクを下げることができる。大学院進学において同様のサービスは存在しない。