「住み込み」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 住み込みとは

2023-11-16

anond:20231116093406

昭和58年まれだけど、中学卒業したら家から出てけ! 住み込みで働ける仕事を見つけろって言われてた私の家はやはり特殊だよな。ちなみに母子家庭

2023-11-10

anond:20231105175837

それもあるけど、労働時間内だったらどんだけ酷使してもOK!みたいなのもやめてほしい。

死んだじいちゃんからいたことあるんだけど、昔って休み月1だったんだってもっと前は住み込みで盆と正月だけだったって言ってた。

ただそんでもその頃の労働って今みたいにノルマがどうだの通路を歩く速度を一定以上にしろだの言われるような労働じゃなかった。

みんな仕事中でも適度に休める時間もあった。

今は労働時間にどんだけ搾り取れるかチャレンジみたいなのを推し進めてるよね。生産性とか言って。

はてなもよく日本生産性が低いとか言うけど、経営者目線ではそりゃそうだけど労働者がそれ言うの豚がもっと効率良く太らせろって言ってるみたいだなって思うわ。

2023-11-01

anond:20231031172744

田舎仕事がないならリモートワークやれよ

それかとっとと都会の住み込み仕事でも探せよ

ないところでないない言っててるだけで年単位時間消費するとか進歩なさ過ぎる

ないことを理由に甘えてんだよ

2023-10-14

中学一年生の息子、勉強やりだからないので漁船に放り込んでみた

普通に勉強しだした

よくわからん

働きゃいいわけで。

いいじゃんね

のしいぞー魚釣り

希望あるか?

住み込みでどこへなりとも

いきなさい。

喜んで働くだろ、ふつう

2023-10-07

不登校の甥を助けたい

今中3で学校行ってないらしい

小5の時くらいまでは近所同士だったからよく遊んだんだよな

父親の方がもう出てくとか言ってる。多分出てったら金なくなる

4月から住み込みでどこか働きに出るよう勧めようかと考えたが、

実家という後ろ盾もなく知らない所で共同生活強制させられる初めての社会経験なんて酷過ぎるわ

俺が金持ってればよかったんだがなあ

2023-09-19

anond:20230919203100

ヤニカス隔離施設か。

でも駅や電車でも臭いんだよなあ。

山奥とか他に人が来ないところで他人接触しないように住み込み仕事してくれたらいいのに。

2023-09-05

anond:20230904223602

江戸時代の男は長男以外に生まれたら結婚無理ゲー

https://president.jp/articles/-/27679?page=1

農家でも次男以降は十歳くらいか丁稚奉公に出されるけど、元服するまで給料は年一度ボーナスだけの住み込み奴隷労働元服して給料が出る手代になってもまだ結婚は許されない、それから十年くらい働き優秀だと認められたら三十代で番頭になれて、やっと住み込みから開放され結婚が許される。

でも平均寿命も三十代だから大半はそこまでに死ぬ、男の生涯未婚率五割くらい。

そもそも江戸がそうやって送り込まれてる男が大量で男人口が女の二倍で結婚無理ゲーだった。

2023-08-31

anond:20230831165342

うちのど田舎年金暮らしのばあさんの住み込みお手伝いに入ってほしい 

70代を50代が支えるのは体力的に無理だし血縁だとわがまま放題で全く言うことを聞かない

なんか初対面でメイド服とか燕尾服とか着て白手袋名刺さしださせたら気圧されて言うこと聞いてくれんかな

……ホストだなそれ

2023-08-12

anond:20230812174144

金あれば可能でしょ

ないなら作ってから

住み込みジャンル広げたらまだあるんじゃない

2023-08-07

anond:20230806164037

仕事の都合で、飯付きの住み込みだし、その費用引きだから、たぶん手取りは見た目ほどじゃない。

anond:20230807085520

収入への貢献度合いによって変わるな

例えば住み込み家政婦なら、せいぜい年収500万円程度だから

から年収1000万円越えの夫の妻として専業主婦やるなら、住み込み家政婦の仕事に加えて性奉仕くらいやって当然だろ

2023-07-28

anond:20230728085434

ウチは入社半年ほど同期と奇麗な寮に住み込み

建設作業

好評で退社も減りました♪

2023-06-23

ワイの過去就労先で就労先が代替わりしたやつで、繁華街交差点角地という超一等地なんだが戦後くらいから借りてるだかで二十数年まえで月額に!じゅうまん円だった、超ボロ長屋造りの真ん中で狭小木造三階建だが、すでにして右肩下がり業績だったのでなんとか穏便にと就労経営者請願してたの思い出した

隣が初老の三兄妹が住み込み経営している甘栗屋!で、とおもってたらあるとき初老だが割りと整った容貌の老婦人が三兄妹と談笑してるの見てたらワイの就労経営者がアレあの四人は兄妹やねんとあの老婦人は実の妹という情報をブッ込んできて驚愕した

反対側の隣はコロコロ業務形態の変わる店舗で一時めちゃくちゃ適当名称イカ焼き屋だったこしかもうおぼえていない

話もどしてその時の就労先の代替わり前の創業者戦前大阪写真機業を営んでいた(国産初の懐中時計カメラ発売元)とこの兄弟()だかで店内で昔話にキミが一旗揚げる気があるならワシは○紅に知り合い居るから相談にノるでとよく(誰にでも)話していたのも懐かしい想い出

ちな後継ぎの婿の人は同窓会写真機屋だから写真押し付けられて店頭在庫のなかなか売れない高額新品の古都陶磁器会社謹製ブランド(素材は八州光学)一眼レフを持ち出してた

うそう、それの仕入先のエラい人が転勤上洛して来てしばらくして、建物庭園?に水やりしてて元栓閉め忘れで帰るという大失敗やらかしたという話もきいた

2023-06-14

anond:20230614144954

100万貯めたいだけなら自動車工場期間工やれ

中卒でもできる仕事で1年目から年400万もらえて、寮住み込みから支出からないしで、1年で120万は軽く貯まる

節約頑張れば200は貯められる

たかだか100万欲しいくらいならそんなバカ高いリスク負う必要ない

2023-05-07

anond:20230101171001

農家家業の手伝いする気なら、すぐ決まるよー。

最近は「住み込み家政婦」で、定給で募集してて、すごいなーと思った。

検索してみて。

2023-05-05

公金チューチュースキームの現場キャッチ

瑠樹

@ruki_pQuiz

4月19日

寝れない

寝ようとしたら涙が止まらない

呼吸が出来なくなって、苦しくなって寝れない、寝ても怒鳴られたのが夢となって出てきてまともに寝れない

辛いよ

いっそのこと殺してくれ

頼むから殺して

https://twitter.com/ruki_pQuiz/status/1648659411408420864?s=20

ドンベヤ・ウォリッキー

@fleur_chat2

虐待する親から子供を引き離して、生活保護を受けさせてあげるという活動等をしている今井紀明さんという方がいます

認定NPO法人D×Pという団体運営されているそうです。

働けるのであれば住み込み仕事を見つけて働くのも良いのでは?

午後9:20 · 2023年4月19日

https://twitter.com/fleur_chat2/status/1648662941535965185?s=20

ドンベヤ・ウォリッキー

@fleur_chat2

리사이클 숍은 문방구보다 옷이나 식기뿐인 인상.

リサイクルショップで文具を探すには時間必要ですね。

午後9:33 · 2023年5月5日

https://twitter.com/fleur_chat2/status/1654464422197460993?s=20

ハングル使ってる…

2023-05-01

食費めちゃくちゃ値上がりしてっけど、お金ない勢耐えれてんの?

昔、パンの耳だけ20円で買ってた、とかお肉屋さんで「犬用」って売ってる肉買ってた、とかそんな話きいたことあるけど、

今って、スーパー惣菜半額シール時間までゾンビみたいにうろうろしてる人多いけど、惣菜半額でもあんまり安くないじゃん?

スマホ維持できないと暮らし詰むし、お金ない人どうやってんのかな。住み込み新聞配達、みたいなのあるん?

2023-04-01

築50年都内マンション様相 身寄りのない高齢者の補足

身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。

 

 コメントで、築50年、1970年代に作られたマンション様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。

 

 このマンション1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取り3LDK私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。

 小学校入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれ班長レストランせがれが副班長スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋社長理工系技術者保育士共産党員福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋おやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油砂糖がないときは借りに行ったりというつあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域情報を過剰に共有していた。マンション商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったか情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。

 おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者ほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり住民がいぶかしがるような時代だった。独身者アパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民マンションに住むという構造だったのだと思う。商店街コンビニレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しか資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京未来を信じていた時代だったのだと思う。

 その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由暮らし謳歌していた。文化的地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。

 そんな2000年代。わが地元マンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化たからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンション世帯四方にあり、衛星放送アンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたときマンション理事会が開かれるという。私は屋上衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話インターネットに繋いでいた時代の話だ。

 「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンション構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下であるエレベーターマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段けが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人住み込み管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心いたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦住民とは打ち解けている。数年前、管理会社方針住み込みでの雇用は打ち切るとなったときマンション自治会自治会費で管理人室を買い取り、管理人雇用することになったとのことだ。そのとき声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込み管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠管理人介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人裁量判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。

 

 とりとめなくなってしまった。地域先生の話をひとつ

 マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球サッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭大人行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師夫人が、先生師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき野球サッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。

 たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生最近どうなのという話題は常にあがる。先生スーパー下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。

2023-03-27

駐在さん(警察官)のおかげで狂った親を簡単入院させられた

自分田舎には「駐在所」という警察官家族住み込みで働いている交番みたいのがある。

そこに勤める警察官は近所の人から大体「駐在さん」と呼ばれている。

当時そこにいた30代前半の若い駐在さんとその奥さんに助けられた。

当時80の父親。昔からおかしいかったが歳をとるにつれて妄想引きこもり暴言が増えていった。

ただ身体はしっかりしていた。

近所の人とトラブルを起こすようになってきた(100パーこっちが悪い)

一緒に暮らしている母親は元気で世話焼きだった。昔からなんかある度に頭を下げに行っていたらしい。

私は結婚して県外に嫁いで、たまに母に子供を見せに帰っていた。

2歳の子供を連れて妊娠中に帰ると母が腕を骨折していた。

父と揉み合いになって転んでおったらしい。

ただ母は誰にも言うな、お父さんのことは私がどうかするからと言っていたが、今後のことを考えると不安で吐きそうだった。

私は妊娠後期で産休に入っていた。上の子供は小さい、夫も私も仕事を変えてまで介護に帰るのは現実的ではなかった。

しかしあまり心配で、1週間ほど泊まることにした。

私が吐きそうでも子供は騒ぐので公園に連れて行った。

そしたら同じ年頃の子を連れた駐在さんの奥さん出会った。

なんというか「感じが良い」という表現がぴったりの人だった。

出会って3日目くらいで父親のことを話してしまった。

するとそれはやばいですね、夫に話していいですか?と言ってくれたので是非とお願いした。

そこから早かった。

駐在さんが家に来た。母と話して何かあったらすぐ連絡すると言うことになった。

地域の包括支援とも繋いでくれた。

その後私は自分の家に帰り出産し、生後半年にまた実家に帰った。

から駐在さんは定期的に様子を聴きに来てくれていると聞いた。

駐在所に遊びに行ったら奥さん子供と出てきて、前のように遊んでくれた。

それからすぐに、母から父が入院したと連絡があった。

暴れたので駐在さんに来てもらった、駐在さんの方で行政とやりとりして措置入院することになったと言うことだった。

前に相談したのが効いたのか、駐在さんが仕事ができる人だったのか、多分両方であっという間だった。

実家に帰った時にお礼を言いに行ったら駐在さんと奥さん子供たちが出てきてコーヒーを淹れてくれた。

母は父が家にいる頃より明るくなった。

地域サロンなんかにも参加するようになった。

私も夫も住む場所、職を替えずに済んだ。

次に駐在さんに会いに行くと、転勤があったらしくもう他の人に代わっていた。

奥さんは転勤ばかりで大変な仕事だろう。

本当にお世話になりました。

2023-03-22

anond:20230322155756

まぁまぁまぁ、そりゃあね

 

でも食費、家賃を雇い主持ちで住み込みだったらいくらになるかはちょっと気になるな

屋内で着る用の制服支給したら10万くらいで何とかなりそうな気もする

 

でもこの場合、最低おちんぎんってどういう計算になるんだろうか

東南アジアって住み込みメイド(老若男女問わない)を格安で雇えるから

専業主婦仕事金額換算したら1000万!なんか鼻で笑われるわな。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん