「伊藤隆」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 伊藤隆とは

2024-05-21

anond:20240521065441

日本歴史学協会が「あらゆる社会的弱者に対する長年のハラスメント行為」にあたると書いた呉座の投稿

人種差別的な書き込み

1.無能白人記者にとっては日本は格好の獲物だろうな。 どこぞの国と 違ってどんなに政府批判しても投獄される心配はないし、 「合法的 「に」有色人種差別できる⇒権力と御用マスコミが叩く記者言論人 に FCCJ が賞贈る ( 田中龍作)

2.だから沖縄性犯罪を行うのは米兵だけなのかと。 在日中国人とか在 日コリアン性犯罪を 「いい加減にしてほしい」 とか非難したら、 あ なたたち大騒ぎするでしょ?

韓国への中傷

3.そういや平泉寺って世界遺産目指しているらしいね韓国から妨害 がないといいね

4.「元いじめっ子糾弾していたら社会が成り立たない」 と主張する弁 護士もいるらしいが、これが世界趨勢⇒ 【萬物相】 私は10年前に あなたしたことを知っている」 (朝鮮日報日本語版)

市民運動民族差別団体の同一視、 在特会批判者への揶揄

5.在特会がまさにそういう団体ですからね。 「『俺たちこそ差別されて いる被害者だ』ということにすれば、 差別発言とか何でも言いたい放 |題になるんじゃね?」 という発想が根底にある。 在特会市民運動醜悪カリカチュアであり、 だからこそ従来の右翼以上にリベラル派 を苛立たせる。

沖縄へのヘイト

6.しかし今の日本米兵を傷つける人がいるとしたら、それはリベラル称揚する過激基地反対派の皆さんでしょう。

7.先日の「沖縄の人々は先住民族」 うんぬんという話や米軍基地反対運 動の背後に何があるのかを教えてくれる良記事沖縄平和拠点北京大学沖縄 中国双方の研究者らが学術会議 自己決定権米軍 基地などを議論

8.だから沖縄性犯罪を行うのは米兵だけなのかと。 在日中国人とか在 日コリアン性犯罪を 「いい加減にしてほしい」 とか非難したら、 あ なたたち大騒ぎするでしょ?

在日コリアンについて

9.在日問題も「帰化しろ」で終了してしまうが、 五ノ井先生其れで良 いのだろうか。

従軍慰安婦問題について

10.「日本性奴隷制度」という表現はもう少し何とかならないものだろ うか・・・ RT @sui9988: 慰安婦強制連行あきらか一日本歴史学協会 らが声明

11.RT右派慰安婦問題で反発するのは、 1:日本政府による組織的強制連行だった (日本性奴隷制度) と言われる事。 2:中韓政治利 用の動きを無視される事。 2,5: 戦時売春問題日本けが取り立てて 問題視される事。 なので、その辺りがクリアされていれば、 落ち着く 所に落ち着くんですよ

立場不安定研究者への揶揄 中傷 差別書き込み

12.こういうマウンティングしている暇があったら論文書けよ。

13.所詮こいつらはネット番長だな。

14.カブトムシとか北守とかを見ていると、 ドロップアウトしたのに自我承認欲求肥大化したままの研究者の最大の受け皿が twitter だとい うことが良く分かるな。 まあ私もドロップアウトしかかっていたので 偉そうなことは言えないけど。

15.そんなに心配なら、 まず伊藤隆喧嘩売れっての。 若手にしか文句を 言わないクズが。

16.若林や北守は人生半分詰んでいて、 自分が唯一見下せる (と思ってい る) オタク罵倒することでしか自我が保てないのです。 その意味で は彼らこそ保護されるべき 「弱者」 なのかもしれません。

17.■■■大先生現在のご自身境遇に不満でもはやネットでマウン ティングをとるしか生きがいのない可哀想な人なのだなという感想し かないです。 ただ私の北守への態度を批判する佐藤信也氏が■■■大先生マウンティングには平伏しているだけというのは二重基準だ なと思います

18.■■■は学界の権威をふりかざす割に、 自分ネットであちこち研究者マウンティングするので意味が分かりません。 北守とかも そうですけど、素人は話にならない、 相手する価値もないと思うな ら、そもそもツイッターで絡む必要がない。

19.査読がないとどうなるかって言うと、 北守みたいなのがのさばるって ことですよ。 分かりやすく言うと。 >RT

ポリティカル・コレクトネスへの揶揄中傷

20.小田嶋ほんとつまらなくなったな。 ポリコレに染まってつまらなくな ったのか、 つまらなくなったかポリコレに染まったのか・・・

21.有名作家小説容赦なくボロクソにけなす書評で好評を博した豊崎 由美も最近ポリコレ発言ばっかりですね。 まあその方が楽して稼げ ますからね。

22.ポリコレ何が悪いかって、 綺麗事メッセージ出しただけで何か良い ことしたみたいな話になっちゃうところなんだよな。

23.まあ、そうなったらそうなったで仕方ないですね。 ポリコレ満載の大 河ドラマ時代考証しても面白くないですし。 時代劇ポリコレに従 わないエクスキューズがしやす最後の砦なので何とか守りたいです がね。

24.今小説だけで食える人はほとんどいませんよ。 平野啓一郎意識高い リベラル発言するのも講演稼業のためでしょう。 東野圭吾とかガチで 売れてる人は読者の間口を狭めるような発言をしないわけで。

25.リベラルは身銭を切らないんだよな。

トランスジェンダー差別

26.「(東大教授のオレ様は) 女装するようになってからも、 社会的に何 の不都合もない。 みんなも遠慮せずに女装しよう!」

部落差別

27.マスコミ絶対に報じない公務員現業部門の闇→市職員、 勤務中に ゲームや昼寝 京都向日市 (京都新聞) - Yahoo!ニュース

28.マスコミがその辺りを報じないんですよね、タブーから。 橋下が異 様にバッシングされたのも、このタブーに触れたから。

29.共産党解同は天敵ですけど、 共産党地方議員権力なんてないで しょう。権力を持っている人がメスを入れようとするから叩かれる。 むしろ私は全廃じゃないのにこれだけ叩かれるのかと驚きましたよ。

2016-01-02

正月で暇を持て余している東京の人へ

美術館に行ってはいかがでしょうか?

以下の4館はお正月特別公開で所蔵品展(常設展)の入場料が無料ですよ。

2013-03-01

[]ウィキペディアで暗躍するネット右翼

対馬仏像盗難事件で知られるところとなった観音寺 (対馬市)作成したIPアドレス61.195.32.212編集履歴

2013年2月1日 (金) 07:44 (差分 | 履歴) . . (+25)‎ . . 豊玉町 ‎ (→‎名所・旧跡: 観音寺 (対馬市)) (最新)

2013年2月1日 (金) 07:31 (差分 | 履歴) . . (+4)‎ . . 対馬市立豆酘中学校 ‎ (→‎沿革: 多久頭魂神社) (最新)

2013年2月1日 (金) 07:28 (差分 | 履歴) . . (+4)‎ . . 厳原町 ‎ (→‎名所・旧跡: 多久頭魂神社) (最新)

2013年2月1日 (金) 07:28 (差分 | 履歴) . . (+4)‎ . . 厳原町立浅藻小学校 ‎ (→‎年表: 多久頭魂神社)

2013年2月1日 (金) 07:23 (差分 | 履歴) . . (+4)‎ . . 赤米 ‎ (→‎神事における赤米: 多久頭魂神社) (最新)

2013年2月1日 (金) 07:18 (差分 | 履歴) . . (+33)‎ . . 多久頭魂神社 ‎ (大蔵経 観音寺 (対馬市))

2013年2月1日 (金) 05:21 (差分 | 履歴) . . (+14)‎ . . 海神神社 ‎ (→‎重要文化財(国指定): 観音寺 (対馬市))

2013年2月1日 (金) 05:14 (差分 | 履歴) . . (+1,555)‎ . . N 観音寺 (対馬市) ‎ (観世音菩薩坐像が韓国人窃盗団に盗まれた)

2013年2月1日 (金) 04:37 (差分 | 履歴) . . (+74)‎ . . 観音寺 ‎ (→‎九州地方: 観音寺 (対馬市)) (最新)

2013年2月1日 (金) 04:34 (差分 | 履歴) . . (+31)‎ . . 対馬市 ‎ (→‎神社・仏閣: 多久頭魂神社 観音寺 (対馬市)) (最新)

2013年2月1日 (金) 04:29 (差分 | 履歴) . . (+1,224)‎ . . N 多久頭魂神社 ‎ (大蔵経韓国人に盗まれた)

2012年7月13日 (金) 02:32 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 1996年 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 02:30 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 平成 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 02:27 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 村山富市 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 02:26 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 加藤紘一 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 02:24 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 反日感情 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 02:17 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 歴史教科書問題 ‎ (パイプ付きリンクの利用により記述はそのままでリンク先だけ変えている Miwa.SS (会話) による ID:43307272 の版を取り消し)

2012年7月13日 (金) 01:04 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . フェミニズム ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 01:02 (差分 | 履歴) . . (-10)‎ . . 中川昭一 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 00:55 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 嫌韓 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 00:51 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 上田清司 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 00:49 (差分 | 履歴) . . (0)‎ . . 和田春樹 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月13日 (金) 00:46 (差分 | 履歴) . . (+4)‎ . . 新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦) (最新)

2012年7月13日 (金) 00:43 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 河野洋平 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 00:41 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . ワシントン・ポスト ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 00:39 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 馬英九 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 00:35 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 上杉聰 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 00:31 (差分 | 履歴) . . (0)‎ . . 伊藤隆 (歴史学者) ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月13日 (金) 00:29 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 今野東 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:55 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . ニューヨーク・タイムズ ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月12日 (木) 23:50 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 広島県出身の人物一覧 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:46 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 三木睦子 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月12日 (木) 23:45 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 歴史教科書問題 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:41 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 近隣諸国条項 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:40 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 日本戦争謝罪発言一覧 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:38 (差分 | 履歴) . . (+108)‎ . . 利用者‐会話:61.195.32.212 ‎ (最新)

2012年7月12日 (木) 23:37 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 家永三郎 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月12日 (木) 23:34 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 奥野誠亮 ‎ (従軍慰安婦)

2012年7月12日 (木) 23:32 (差分 | 履歴) . . (0)‎ . . 西村修平 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:25 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 強制連行 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:21 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 歴史認識 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更) (最新)

2012年7月12日 (木) 23:19 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 赤報隊事件 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:17 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 古川禎久 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:16 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 衛藤晟一 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:14 (差分 | 履歴) . . (0)‎ . . KAMAKURA ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:13 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 上坂冬子 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:06 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 慰安婦の碑 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更) (最新)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/61.195.32.212

2008-11-03

日本は侵略国家であったのか」を読む 補足

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。

 増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。

 さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。

 では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。

 しかし人類歴史の中で支配、被支配の関係戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダオーストラリア南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。

 また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構採用していく次のような例もありました。

1920年代より英国ビルマに赴任するICS〔引用者注インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657

それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。

 1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。

 まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠平和確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア民族解放」、「植民地解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。

ビルマ1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。

日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。

「本稿では不十分ながら、日本大東亜共栄圏アジア主義プロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。

 インドネシアフィリピンベトナム抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、

「要するに、東南アジア諸国の反植民地民族独立運動は、太平洋戦争日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争東南アジア民族独立運動」『法政研究九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。

 以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。

 さて、今回のエントリ執筆目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己見解教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文発表できますよね。

 一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会学会書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。

 さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書自虐史観マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民歴史』のように、専門家研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化歴史岩波新書2000年あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史岩波書店、1997-2000年、では、古代中世近世近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。

 私が前回あげた書評にこういう記述があります。

「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間連続性〔引用者注満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的研究であった」(加藤陽子書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。

 最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。

小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文DLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)

小田中直樹言語論的転回歴史学」『史学雑誌109(9)、2000年

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266

歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社1997年

永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館2003年

 今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。

 また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。

(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。

(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコースト研究の進展について次の文献を参照してください。

健介ホロコーストニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん