はてなキーワード: 人格とは
ただただ、あなたの自律性と自立性、すなわち尊厳を冒さないように、侵入しないように自らを自制する事だけだ
何事も報いられぬこの世に……神も仏もない、血も涙もない、緑地も蜃気楼も求められない沙漠のような……カサカサに乾干びたこの巨大な空間に、自分の空想が生んだ虚構の事実を、唯一無上の天国と信じて、生命がけで抱き締めて来た彼女の心境を、小生等は繰り返し繰り返し憐れみ語り合っております。
その大切な大切な彼女の天国……小児が掻き抱いている綺麗なオモチャのような、貴重この上もない彼女の創作の天国を、アトカタもなくブチ毀され、タタキ付けられたために、とうとう自殺してしまったであろうミジメな彼女の気持を、姉も、妻も、涙を流して悲しんでおります。
隣家の田宮特高課長氏も、小生等の話を聞きまして、そんな風に考えて行けばこの世に罪人はない……と言って笑っておりましたが、事実、その通りだと思います。
彼女は罪人ではないのです。一個のスバラシイ創作家に過ぎないのです。
単に小生と同一の性格を持った白鷹先生……貴下に非ざる貴下をウッカリ創作したために……しかも、それが真に迫った傑作であったために、彼女は直ぐにも自殺しなければならないほどの恐怖観念に脅やかされつつ、その脅迫観念から救われたいばっかりに、次から次へと虚構の世界を拡大し、複雑化して行って、その中に自然と彼女自身の破局を構成して行ったのです。
しかるに小生等は、小生等自身の面目のために、真剣に、寄ってたかって彼女を、そうした破局のドン底に追いつめて行きました。そうしてギューギューと追い詰めたまま幻滅の世界へタタキ出してしまいました。
ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。
ただそれだけです。
理不尽に産み落とされ、苦しみ喘いで生きていき、恐怖と後悔に苛まれながら果てていくような、
そんな地獄が、現世には顕現している
「もう無理なのに ですか?」
「後でできないと 知ったら余計に 傷付くんじゃ…」
「そうかも しれません」
「でも 亮介君の 生き方は 亮介君に 決めさせて あげたいんです」
友田は、折々に「ブライアン氏」が「真空」、すなわち、独りの状態になる必要があると言及していることに着目しました。対するセラピストは、その度に、中立または否定的に、これに応じています。セラピストは理論上は、非指示的であり続けましたが、一般の西欧のセラピストと同様、孤独な状態もしくは真空の状態の治療効果について非常に熱心だったわけではないようです。
友田の見解では、「人間というものの真の飛躍もしくは成長は、完全に一人ぼっちであるときに生起する。個人の飛躍もしくは成長を確かなものにするのは、何らかの人間関係においてか、もしくは現実の世の中においてである。がしかし、真の成長がおこるのは、現実の人間関係においてでもなければ現実の世の中においてでもない」
友田はさらに、「このことはまた、禅の真理である。(中略)カウンセリングに関して言えば、ロジャーズ派の技術の真義は、それらの技術がクライエントを援けて完全に一人ぼっちである状態になるようにすることである。」と続けます。
―中略―
母性的尽力的配慮は相手を甘やかしたり、子ども扱いするものですし、父性的訓育的配慮は相手を支配したり、奴隷化するものでしかないわけです。第三自我形成期(第三反抗期)を超えてレベルⅢの人格に到達することは、本人にとっても周りの人々にとっても、大変難しい困難なことでもあります。
「人」ができることは、本当に少ない、殆どない
神でも仏でもならざる我々の手や腕は、あまりにも短く細い
半径85cmの範囲ですら「すくえない」のが、我々という生き物の現実なのだ
だから、できる事は祈り、願い、目の前にいる相手を「人」として扱う事だけなのだ
「物」ではない、「人」として
それは非常に難しい
生きていることは素晴らしい、働くことは凄い、人に優しくできるのは偉い、頑張っている人は美しい
それに沿って生きる事が善いとされる
苦しんでいるなら無理をしなくてもいい、休んでも良い、人にはできないこともある、人にはそれぞれの価値観がある
「やさしい」言葉がある
これも、また「正しい」のだろう
けど、何もかもに納得できないまま生きていくこともある
何が正しく、何が善く、何が良いものなのか分からずに、それでも人生が続いてしまうことがある
「裸も」
今思えば、いつかこうなってしまうと、はじめから解っていたのだと思う。
でも、もし駄目になってしまうとしても、その前にゴールに駆け込むことさえ出来れば、何も問題が無いとたかをくくっていたんだ
ゴールはまだ見えない。あの頃想像していたより、僕たちは長生きしすぎてしまったんだろう。
一時停止ボタンなんかどこにもなくて、力一杯全部を出し切った、その瞬間に都合よく存在が消えてなくなったりもしない。疲れ切ってしまって、戦う気力なんか全然なくなって、勇気と書き棒とか自分を守ってくれるものが全部失われてしまって、映画だったら「終」とテロップが出るような場面が過ぎても、生活は続いてしまう。けして止まらない。
そこからが本当に人間が生きるということなのだろうと、最近はそう思ったりもする。
ドラマが終わって、興奮から冷めて、何も心を守ってくれなくなって、これからはもっと大変な毎日が続くだろう。でも、どんなに苦しくても、心が死んだようになって、痛みも喜びも何も感じることが出来なくなってしまって、何をしても無意味に感じられて、もうダメだと思っても、諦めないで、自分に耐えて、もう少しだけ頑張って欲しい。
小さなころに見ていた者は、まだ何も知らなかった時代のまぼろしなんかではなくて、いまでも見ることが出来るずっとそこにある変わらないものだった。辛くなるからって無理に忘れてしまわなくても良かったんだ。僕は気がつくのが遅すぎた。必要なものを、自分で隠していたんだ。でも、こんな僕でもまだすべてを失ったわけではなかった。
時間が過ぎて、僕の事は忘れてしまっても構わないけれど、僕が今ここに書いている言葉のいくつかをときどき思い出してくれるなら、それより嬉しいことはない。
追伸。今までありがとう。
出来る事ならば、誰も憎まないで生きてください。
正しくないことは悪いことだったのか?
それでも正しさを追い求めたり、苦しむことは悪いことだったのか?
諦めたり、やっぱりあきらめきれないことが悪いことだったのか?
善悪の果実を植えておきながらも、そこから取って食べてはならないとも定める、矛盾したことにすら正しさを与える存在であったという
どうか、本当の幸いを与えた給え
必要としてる人や作者自身の願望や信念に応じたり基づいたりしてそういう物語や描き方もちろんあっていいけどあんなに素敵だと思っていたドラマ大豆田とわ子を久しぶりに見たときのあれ……って感情に近い増田だ
とわ子や夫たちの造形とか性格や容姿、関係性とか社会的立場とか諸々
社会不適合的な親友(違国日記の姪や他登場人物との関係性に近しい)の存在と関係も
音楽は今でも最高と思うけど
今見ると主人公たちを追い詰める側が大分舞台装置というか、主人公たち以外には誰も人生や人格がないようにわざと扱いたいのかなという醜い描き方というか……
結局まるごと共感できる、自分は屈託なくこっち側なんだと素直に感じられて、自分はもしかして醜いがために舞台に登場させられない側の人間かも、もしくは舞台装置のごとく描かれる側のように自分も誰かを傷つけているかも…とは間違っても思わずに受け止められる人のための物語なんだと思えば気が楽かもよ
次作?で警察ミステリもののときに生きづらさの中心地にいるが同時に他者を傷つけてもいる人物を書いててそれはよかったけど、結局美しい世界や事情の上での話だなとは思ったの増田読んで思い出した
昨日最終話だったクドカンの季節のない街で描かれてる世界の方が優しいと思うし自分の認められないきれいでないものを排除したい感覚やそうするとき同時に巻き込んでスポイルしているだろう人やものがあることすでにそれをしてることに自覚的でないといけないと思った
クドカンはそういうものを描いたんだと思ったけど本当に全話見てその感想?みたいなやつもいっぱい見たわ
排除されるべきと思われているものを愛して抱えているがかつ一方では街で他者に排除を実行する自身も十分に異物(自身の挫折経験からしまさんにとって立ち退きは排除というより心底自立の促しなのかもしれない)でありながら社会的に成功しているしまさんの存在がその二分された価値観の対立というか、現在のポリコレとそうでないとされるものの間での人間の揺れ動きを表現しているようでよかった
最後にワイフに助け出されるのも
リリコ最高だった
全話も最終話も見事だったな
全話を通じて、特にがんもどき後編の勝手にハモんないでよから明確にオカベが一番嫌いな人物になったのでかっちゃんそんなただ「かわいそうな女の子に恋して助けてる自分のこと」が大好きなだけの男でええんか?と思っていたから最終話本当にあれでよかったと思った
よくも悪くも自身が選んだことでない状況や環境に人は左右されるもので、かっちゃんの場合は本当はあったけどないように扱われていたし自分でも諦めていた意思や才(あの美しいハモり!)があの街から去ることで表に出てきたのだからよかったし、オカベが跡地でしょんぼりしているのもむべなるかなという感じ
それ以前にも叔母がかつこに言ってもしょうがないか……って言うとこも好き
この子は暗愚だから…という考えがあったのだとしても、起こってしまったこと、しかも箕打が起こしたことでそちらを守らず被害を受けた側を悪く思ったり責めることを飲み込む描写、すごいと思う
街の女同士の連帯も不器用に描かれており、起こった事象の表面のえぐみや醜さだけ見てあの編集者がはっきと言ったように
「こんな人たちいるわけないしw」と捨て去ることは、その内側にいる本当は連帯すべき弱い人に起こったことや事情や感情や生命すら無感情に、あるいは憎みながら捨て去ることなのだとあのラストではっきり思わされた
こういう描き方もあるんだよね
この辺を見たはずなのに「クドカンはポリコレを憎んでいる」って結論になってた人、口当たりのよい気持ちのいいドラマに感化されるあまり対立構造に巻き込まれすぎていると思ったな
そんなこと増田みて考えた
・趣味のゲームの時間を増やしたい。(さすがに0時て何よ。。)
0時まで育児して0時からフリータイムって、翌日は普通に出勤するんでしょ?死ぬぞそれは
・フリータイムの曜日の日は寝かしつけまでやってほしい。(寝かしつけの時間に左右されて時間減る、開始時間もっと早ければその分できるのに)
親が不仲だと不安から子供なかなか寝付けないから、子供寝付けない→増田休まらない→夫婦仲悪くなる一方→子供不安から寝付けない、の負のループだな…
・ボイスチャットで声だしてるのがうるさいのは許容してほしい。
ごめんこれは擁護できない どんだけゲーム時は豹変してるんだよ
まあストレスからだろうな…わかるよ、夫婦喧嘩絶えなかったうちの父親パチ狂いで発散してたもん
だから、その騒音が必要にならない人生に変えていかないとまずいと思う
・小遣い昼飯込み3万は勘弁してほしい。
手取りが分からないけど子供3人育ててこれはそれほど悪くない額かと思った
・自由に使えるクレジットカードくれ(今持ってる口座の金あるだけでしか使えないデビットカードでよい)
増田が過去に借金を作ったり子供の教育費まで使い込んだりしたことがないなら返さないとおかしい
・たまたま副業で得た金は全部俺の懐にしたい。(やっぱり納得できない)
奥さんからするとちょっとでも子供と自分のために使え、それが正義だ、という考えなんだろうな
私は増田が自由にしていい金だと思う。自由意志で家族のために使いたくないというなら、増田の中で既に家族は終わっているのだから
ああそっか、それが分かってたら苦労しないよな
モラハラだけじゃなく、自分から見た書き込みの中の問題列挙すんぞ
・こっちも苦しい悲しいという気持ちを必死に伝えても、自分だってわからないと切り捨て(夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。第752条違反)
・父親とは~、父親はこうあるべき~という正論を盾にして色々文句いう(これ全部妻の思い込みですよね?)
・子どもに対しての叱り方、接し方、時間の使い方、家庭環境の整備、日用品の使い方、全てにすぐルールを設け、まだ慣れずに忘れてしまったりできないと、「理由伝えたよね?理解できないの??大事なことだと思えないの?」と人格否定する(注意指導に人格否定はいらない。明確なモラハラ)
・毎日毎時内容にかかわらず妻の顔色をうかがう日々(夫婦関係の破綻)
・「なんで理解できないの?」とののしられる(これ会社でやったらパワハラでしょ 家庭でも同じ)
・子どもにはこうすべき、生活はこうすべきという、そこから少しでも外れたり、提示したことができなかった時に烈火のごとく怒り罵詈雑言を飛ばす(ここまでいくとDVですね)
・ずっと全ての行動に対してSNSでこき下ろしてる(スクショ撮っとけ!向こうの有責取れるぞ)
・子どもの前で僕のこと色々こき下ろすもんだから、子供らも僕のことなめてるからね、ママがいいパパは嫌(上の第752条以外にも、子供に悪影響与えているという事で大いに裁判官の同情心得られる材料だ)
・結婚するとき言ったよね、キミが一番そばにいてキミが一番味方になってほしいと 「あぁ、それ無理だったわ、嘘だったわ」ってしれっといった一言、いまだに忘れてないよ(これも裁判官の心象をかなり得られるエピソードだ というか単純に聞いてて腹立たしい)
元増田じゃないけどちょっと気に障るとそうやって人格否定の誹謗をしないとおさまらない人格なんだね
頭悪い人ってたいがい性格も悪いよね
どっちかというとそれは元増田の方だと思うけど…。
うーん、もう少し丁寧に言うと、元増田の嫁が酷いのは当然として、元増田自身がこの期に及んでまだ自分自身や自分の人生に向き合おうとしてないように見えるってのはあるな。
いい決断も悪い決断も面倒だから流れに任せるという意思決定もぜんぶ自分が決断したことであって、その結果起こった良いことも悪いことも後悔も何もかも自分で受け止めるしかないんだよ。
以前は多少の違和感程度だったのが、今年に入ってから極端にエスカレートしている。
スーパーの特売の野菜が大好きだし、インスタントラーメンやアイスも食べる。
外食に誘われてもラーメン屋やイタリアンをリクエストしづらい。
「よつばの~、よつばの~」と言ってくるが高すぎてそもそも買おうと思わない
子どもが大きくなるにつれて家事分担を決めつつ、お互いのフリーな時間を設けて過ごしてきた。
朝子供の準備やご飯、家庭内のゴミ集めだし、仕事後の子どもの風呂、寝かしつけを経てフリータイム、
ただし曜日指定で、万が一子供が夜泣きなどしたら対応する担当を振り分け。
子どもが生まれた時に子づくりに発展するようなスキンシップは一切拒否、産後クライシスってやつだね。
もちろんそういう心象になったりってのは知ったし、尊重したいとは思う。
でもこっちも苦しい悲しいという気持ちを必死に伝えても、自分だってわからないと切り捨て、今は恋人というカテゴライズは消失したね。
今も本当に苦しい、でも変わる気も変える気も起こしてくれなかったキミを嫌いになりたくなかったから、趣味に没頭することで紛らわせてきたよ。
昔はなんでも一緒に行動していて楽しかったね、
昔は一緒に遊んだり過ごしたけど、産後クライシス以降、一緒の空間にいるだけで、
それぞれ好きなことやって、好きなタイミングで寝室一人で行くっていう、夫婦というよりルームシェアしてるような日々になったね。
そしてキミはいつもいつも気に食わないこと、父親とは~、父親はこうあるべき~という正論を盾にして色々文句いうよね。
子どもに対しての叱り方、接し方、時間の使い方、家庭環境の整備、日用品の使い方、全てにすぐルールを設け、まだ慣れずに忘れてしまったりできないと、「理由伝えたよね?理解できないの??大事なことだと思えないの?」と人格否定する勢いで大事にする。
自分の自由な時間に、自分の趣味に没頭することに対して、没頭の仕方、内容にケチつけられて時間制限、睡眠時間をしっかりとるのはもちろん大事だよね、正論だね。
たまに自分の自由時間を少し増やしたいがために、家事の分担を変わってもらう事に対して、ブラック企業に有給を申請するレベルでのお伺いレベルな気遣いとため息と嫌味、それくらいのエゴも許されないの?父親は自分の自由を全部捨てて家庭の中だけに活きるべきってこと?
毎日毎時内容にかかわらず妻の顔色をうかがう日々。
何なら口で手伝ってなど言わず、状況をみて判断しないと「なんで理解できないの?」とののしられる。
子どもにはこうすべき、生活はこうすべきという、そこから少しでも外れたり、提示したことができなかった時に烈火のごとく怒り罵詈雑言を飛ばす嫁。
そんな日々をもはや義務タスクとして淡々とこなすしか心を保てない気がしてるよ。
お風呂のカギをかけ忘れた時、お湯残ってて万が一子供が湯舟に落ちておぼれたらどうするの?その理由も理解してくれてないの?という
そうだね、風呂に鍵かけるって習慣が身につくまで時間かかってしまったね、その間何度も何度も怒られたね。
子どもにはこう伝えるべき、こうしてあげるべき、頭ごなしに否定するのはよくない。
そうだね、ものすごく丁寧に色々なたとえ話とかしながら伝えて理解させようとしているね、子どもが話長くて途中で飽きてたとしても。
すごい云ってること、やってることは立派だと思う、それはキミの理想の母親像なのかもしれない。
でもそれなら子供送り届けてから空いた時間に昼寝したり好きなテレビ見たりする時間があったら、
家の中掃除くらいしておいてもいいんじゃないかな?もう家中毛玉や埃がいっぱいあるよ?
キミの云うことは正論、じゃなくてただの理想の父親像を提唱し続けてるだけだよね。
今となっては、トイレの個室と夜の限られたフリー時間に自分の部屋に籠ってるときしか一息付けていない気がする。
そしていよいよ夜の限られたフリーな時間すらも、やることに干渉し始めてきたね。
異性と交流する機会がありそうだったからかな?浮気でもすると思ったのかな??
すごいね、そこだけとっくの昔に捨てた恋人像を出してくるのはずるくないかな??
ここのところずっと全ての行動に対してSNSでこき下ろしてるよね。
ごめんね、それが一番僕の中で傷ついたよ。
こっちは仕事を必死でこなして、家で愚痴ることもなく、酒もたばこもやらず、本当に少ない時間で溜まったストレスを押し込んで頑張ってる。
キミは金使いが荒いとかない、自分の欲しいものも僕と比べたら全然なくて、お小遣い使う頻度も少ない、もしかしたら僕みたいに没頭する趣味に集中できてたら違ったのかな?
キミの理想像通りの生活をして、好きなことも全部放棄して、妻と子供だけをサポートし家だけのことを考えて行動すれば満足なのかな??
もうキミを抱こうとする気も、だからって浮気する気も一切ない、とにかく自由が欲しいよ。
その自由を求める事ですら、エゴで、普通の父親ならしない、父親らしくない、というのであれば、
いっそ愛想つかしたということで終わりにしませんか??
専業主婦で、子供2人いる中、離婚する場合はそれ相応の慰謝料とか請求してくるんでしょうね。
子どもの前で僕のこと色々こき下ろすもんだから、子供らも僕のことなめてるからね、ママがいいパパは嫌、そうだね、ママがいいよね。
結婚するとき言ったよね、キミが一番そばにいてキミが一番味方になってほしいと。
雑にいえばいつまでもバカップルとまではいかないけど、仲のいい夫婦でいたかったよ。
産後クライシス時に「あぁ、それ無理だったわ、嘘だったわ」ってしれっといった一言、いまだに忘れてないよ。
自分の年収を揚げるために実力をつけていい会社にチャンスがあればどんどん転職していたことも、
「過去のクソ男みたく、簡単に仕事ポンポン変えるんじゃない」って言ってたよね。
キミは社会人経験すくないからわからないだろうけど、何も転職は悪い意味ばかりでするものではないんだよ?
もちろんその会社に対しての不満はあったけど、「ただ仕事がいやになってやめた」とか、その後何も展望もなしにいきなりやめたとか無責任なことも、家庭の収入維持に問題があることもしてないよ??
正直もう僕はキミとはやっていけない、金があればいいだけなら、さっさと手切れ金として離婚してもやぶさかではない。
でも僕のことで不機嫌になって、すべての家事や子供を無視して外に飛び出す癖くらいはやめなよ??
もしかしたら離婚したとしたら、子供らのことも捨てそうだよね、キミ。
あとくされなくって意味なら、いっそ、僕以外で車で買い物に行ったときとかに交通事故にでもあってくれてもいいと思ってるくらいだよ。
もう全てに絶望してる。キミも僕とこうなって後悔とかしてないかい?
そんな奴いないと思うけどね。
ーーーー再追記ーーー
ごめん、いっぱいコメント来るとは思わなくて感極まっちゃった。。
でも俺が一方的に俺被害者目線になるように見えるのもアレだから、ちょっとだけ俺の内容も追記。
子どもできて妻が突然産後クライシスになるまでは、趣味妻ってくらい一直線だった。
妻は母親に即ジョブチェンジして、俺は旦那から父親にジョブチェンジするのが遅いと思われたんだろうね。
そういう意味では俺も怒られることは多々あったと思う、取り決め守れない、習慣んをつい忘れてしまう。
命に係わることは絶対やってということに対する理解はもちろんある、でもつい、、としか言えなかった。
今や趣味のゲームやネットで知り合ったフレンドと遊ぶことだけがとても楽しい。
もちろん夜だけ、昼間は仕事、休日の昼間も寝かしつけるまでは家の事をこなす、淡々と。
いい父親ではないと思う、けど、周りでも自分の趣味の事を俺以上に時間使ってるのも見えてる。
なんで俺だけ??って、エゴを貫けてないんだろうって。
それだけやっても家の事もきっちりやってると見えないところのものを推測してもしょうがないけど。
子どもがかわいそう、父親なら責任取れ、ならなんで?とかもうね、今更。
これから自分殺して淡々とそつなく仮面かぶって過ごすしかないんだろうなって思うと苦痛しかない。
そう、大々的に言ってしまえば自由になりたい。無責任でエゴの塊でごめんね?でも本当に望むのはそれ。
多分このまま続いても絶対傷つけることになるだけだと思うんだよね。
ーーー再追記ーーー
もちろん嫁がこれだけ俺のことを詰めたのも俺が原因。
趣味の時間を何時までっていうのを厳密に守らず過ぎて、都度詰められて。
時間削られ、過ぎて削られ今に至る。
元々は睡眠時間の関連だったからそれなら同じ時間だけ早くから開始できれば留飲は下がったけど、
時間削られたのは俺が約束を守らなかったから、これまで守らなかった奴が何をいっても信用できないし、
最初に削られたときになんでやろうとしなかったのか、あのときの話し合いは意味がなかったし何も伝わらなかったのか、の一点張り。
そりゃあ時間超過はもう少しやりたい、開始時間が遅くなったからとかちょっとくらいなら~という俺の甘えな部分はあったのは間違いないけど、
じゃあその前に約束を守らなかったのは何故?
今のような制限かけられたのはお前が約束守らなかったからだろう?
とどのつまり、今までお前が散々やらかしてきたんだから何を言っても信用できない、そもそもお前が約束違えなかったらこんなことにはなってないんだぞ?お前の責任だぞ?と。
セックスレスになり、もはやパートナーとしては見られず、父親要素しか求められてないにもかかわらず、ゲームで異性とは遊ぶな、異性ばかりに声かけてるんだろ?(そんなことはないが、、比率は女性のが多い)と今更何を云ってるのかと。。
そういう異性絡みに関してだと必ず、それと同じことを私がやったらどう思うの?っていってくる。
それこそレスで浮気したら子供が悲しむというって視点じゃない、完全にパートナー目線。
俺だったら「もちろんヤダよ(愛しているもの)」それしかいえないよね。
そして鬼の首を取ったように、「自分がされて嫌なことをするな!」っていう流れ。。
でも妻は俺の事愛していないはずだろ?だったらレスにもならないし、スキンシップも気持ち悪いなんて言わないでほしかった。
下手気に嫉妬するくらいなら、もっと俺のことを大事にしておいてほしかったよ。
なんだかもう、色々とすれ違ってる気がするんだよね。
必ず今までの失敗を全部掘り起こして並べて、信用できない、どうせできないと思ってるくせに約束というルールを付ける。
そこを必死に我慢して守れてない俺も悪いけど、考えられないんだよね。
こんなに詰め寄られてるこいつは何だろうって、ちゃんとずっと愛してくれていたならそもそも趣味に没頭しまくることもなかった気がする。
セックスだけの話じゃなくて、もっとパートナーとして寄り添っていてほしかった。
先日親戚が亡くなって、その奥さんが棺桶に向かってものすごい泣き崩れて、「ありがとう、最高のパートナーだったよ」って言ってるのを思い出した。
俺がその立場になったら、果たして泣けるんだろうか、嫁がその立場だったら俺に対してなんて言ってくれるんだろうか。
今本当に胸のあたりが重い、虚無感がすごい。
再々追記
なーにが、「今は〇〇(メインストリームではないというだけで現在も普通に存在するジャンル)を書くだけで叩かれる……」じゃ。
それで、「でも、誰がなんと言おうと俺は〇〇を書く!」とか続くわけですよ。
そもそも誰も何も言ってねえよバカ!被害者ポジション乞食してんじゃねえぞ!
悔しかったら、そのジャンル書いてることだけを理由についた批判コメントの実物でもなんでも、リンクつきで晒してみせろよ。好きなもの書いてるだけで叩かれました~(T_T)とか言いつつ、叩かれた証拠のひとつも出せねえ連中ばっかりじゃねえか!(絶対話盛ってるかゼロからねつ造してるでしょ?)
あ、もちろんマシュマロは自演し放題なので証拠能力はありません(^-^)
あのさあ。あのさあ!
特定のジャンルであるというだけで叩かれるという状況が、あるかないかでいえば、そりゃあるとは思うよ?
でもそれに当てはまるのは、ちょっとマイナーだったり古かったりするジャンル“ではなく”、「いま流行ってるジャンル」の方が圧倒的にターゲットになりやすいわけ。
ネット上の小説でいえば今は、なろう系・異世界転生・悪役令嬢・追放ざまあとかですよ(全部同じじゃねえか)
たとえどれだけ読まれて、どれだけ売れてても、それらジャンルへの嘲笑はいっっっっこうに止む気配はないでしょ?
売れ線狙いのジャンクフードと見なされ、作者や読者の人格否定にたやすく結びつく、そういうキッツい批判、あなたの書いてるご大層なジャンルが受けたことあります?ないでしょ?ないよね?絶対ありえへんわ。
おおかた、他愛ない要望コメントとか、あるいはPV・ランキングが振るわないとかその程度のことを「叩かれた」と大げさに言ってるんだろうけど、そういう盛松いい加減にやめろよ。文字書き全体が信用されなくなるぞ?(もうなってま~す)
『モテたければ人として接しろ』というアドバイスはまちがい。正確には『個人として接しろ』 - 自意識高い系男子
これ読んで、日本語の「人」はpersonの意味とhumanの意味の両方があるんだな、と気付いた。
元増田は、暗黙に、人をperson、人間をhumanという区別をしていると思う。
ただ、日本語の「人」はどっちの意味でも使えるので、誤解が生じるような文脈で、
personの意味で人と言いたい場合は、個人や人格と言った方がよいのだと思う。
別の増田で、
・「人間扱い」とは、十把一絡げの「女性扱い」ではなく個人個人に合わせた扱いのことだよ派(抽象度を下げろ派)
・「人間扱い」とは、性差を意識した「女性扱い」ではなく男性と同じように/無性かのように扱うことだよ派(抽象度を上げろ派)
個人的には「人間扱い」といったら人間一般に適用できる後者を指すべきで、前者は「個人扱い」とでも呼ぶべきじゃないかと思うが
ってのがあるけど、まさに前者がperson、後者がhumanだと思う。
いずれにせよ、「人」は多義的なので、「個人」や「人格」と言い換えた方が正しく伝わる、というのはその通りだと思うけれど、
「人」にはpersonの意味もあるので、「人として扱う」という言い方もまちがいではないと思う。
実際、自分もpersonの意味で読んでいて、上述の記事を読むまで、その多義性に気付いていなかった。
さっき「誤解が生じるような文脈で」と書いたけれど、
個人的には、恋愛や人間関係についての話のなかででてくる「人として扱う」が「personとして扱う」以外の意味を持つとは思ってもみなかった。
・男にのみ足切り基準として働く身長と違い体重は男女ともに性的魅力に大きく関連する
・身長と違って体重は自らコントロール可能(そしてコントロールすべき)ことなので本人の性格や人格と関連が強い
サイゼデートの炎上というのは絵師のkureha自身には結局プラス・マイナスのどちらだったのでしょうか?
あれで結局認知されて新たに増えたファンもいると思うんですよね。既存のファンであるような人たちは、あの炎上の論点に対して憤ってファンをやめるような人格をしているとも思えないです。それを上回るようなマイナス因子はあるのでしょうか?
推測でいいのでどう思うか教えてください。
そういう分類がまず間違ってんだよ。
人類は皆平等であるべきです。これは揺らぎません。男も女も低収入も高収入も美人もブスもデブもガリも若者も老人も同じ。
その上で、
各個々人が、平等に、個人的に、胸の内に、「好きな人(意中の人)(恋人になりたい人)(セックスしたい人)」と、「それ以外」という枠を持っている。
というだけ。
で、その「好きな人(意中の人)(恋人になりたい人)(セックスしたい人)」への欲求を叶えるためには、
個々人がそれぞれ相手に効く努力やアプローチを、自分自身でしないとダメって話。誰かが何とかしてくれる話ではなし、誰かになんとかしてもらうべきでもない。
相手がイケメン好きならイケメンになるべきだし、優しい人が好きなら優しい人になるべきだし、浮気しない人が好きなら浮気しない人になるべき。
自分の欲求を叶えるために満たすべきニーズが、自分にとって高すぎる場合は、自分の欲求も下げるべき。
というのを理解した上で聞いて欲しいんだけど、
なかなか「自分を凡百の女やマンコとして大きく括って見てくれる男とセックスや恋愛がしたい女」って絶対数が少ないし、居たとしてもそんな女にマトモな人格は期待しにくいから、そういうのをやめた方が成功率や幸福度は上がるんじゃね?って世の恋愛成功男女が教えてくれてるの。ただそれだけ。あまり卑屈になるな。