はてなキーワード: 中道右派とは
こんなのいくらでも見るんだけど、普通はパラパラと入れ替わってくじゃん。おたふく風邪みたいなもんで、1回は陥るけどその後はだいたい現実ラインに落ち着いていくもんだ。
しかし、年期が入っていてずーっとこれを言い続けてる人たちがいるよね。
最近、こう言うひとらが教育問題になると、とたんに現状維持指向の中道右派みたいな事を言い出すのに気付いた。
例えば
ほかにも
これってやっぱり教師なのかな。連中。
教師って視野が狭いし社会性ないじゃん。そう考えると色々と説明がつくんだけど。
今の1歳は6歳に比べて2割少ないから、こんな調子で減ってって学校教員は余ること確実なんだけど、学校以外ではやっていけないやつらだけ残りそうで嫌。
自分は日頃壺ウヨからサヨクと言われるようなブコメをつけているものです。
しかし自分自身ではサヨクとはあまり思っておらず、中道右派の認識です。
最近統一教会をサヨクは何故批判しないのか?という疑問を持つネトウヨ風の増田の投稿を読んだが、増田はどうやら、サヨクは
と言っている人のようです。
今回、『戦争後に生まれた人間にも「日本人であることの罪から逃げるな」』という意見について、自分が思うことを少し書いてみたい。
なんでもいいが、仮にある企業が自社の利益のために大きい事件を意図的に起こし、多数の死傷者が出たとする。
世間はその不祥事を大いに問題視し、徹底追及する世論が高まった。
その結果、その企業の経営陣は不祥事の責任を取り追放されたが、創設一族でもある大株主は、今後経営に一切タッチしないという前提で無罪放免となった。
また、すべての経営陣が裁かれ追放されたわけでもなく、数年後しれっと経営に戻ってきた人も多くいた。
社内規定の多くは不祥事前のものを踏襲したが、ミッション・ビジョン・バリューは大幅に変更した。
不祥事に関わりながら経営に戻ってきた経営陣は、新しいミッション・ビジョン・バリューを受け入れたくないと主張した。また、不祥事の責任を取らせるため当時の経営陣を追放したのは違法だと主張した。
一方で、事件前から当時の経営方針に異論を唱えていた経営陣も一定数いた。そういう経営陣を中心に、事件後、新しいミッション・ビジョン・バリューに則り経営をしていくうち、徐々にその企業に対する世論の反感も落ち着いてきた。
さて。その不祥事から数十年後の世界に生きる二人の若者を想像してみる。
残された曾祖母や祖父らはその後とても苦労したのだと祖父から聞かされて育った。
昔の話だと思っているし、その企業の製品は良いものなら気にせず購入するが、意識のどこかで「あの会社、昔やらかしたんだよな」と思っている。
先祖代々その企業で働いてきたが、経営にはかかわってこなかった。また、問題の不祥事を企業が起こしたのは、曾祖父が働いていた時代だった。
祖父から、ブラック勤務で曾祖父が苦労した話や、事件後は一時期給与も支給されず大変だったと聞いて育った。また、父からは、あんな事件を二度と会社は起こしてはならないとか、事件の被害者を中心に、まだこの企業に対して反感を持つ人がいるという話を聞かされた。
この二人が出会って、AがBに対して
「俺は気にしてないよ。でもお前は当然俺のひいじいちゃんに悪いと思ってるはずだよな」
と言ったとき、Bはなんと返すべきだろうか。
俺は関係ないと返すためには、事件を起こした企業≠今の彼が働く企業であることが必須になる。
ルールはミッション・ビジョン・バリューがガラッと変わったが、一部の社内規定はミッション・ビジョン・バリューに則していないので、△寄りの〇と言えるだろう。
経営の意識は、事件後のミッション・ビジョン・バリューに否定的な層が多数で、事件の責任を当時の経営者が取らされたのは不当という主張からみても、事件前と変わっていないことが伺えるので×
社員の意識は、多くの社員は新しいビジョンに則った行動を取っているので〇
つまり「俺は関係ない」と言えるほどには、事件前と事件後で変わってない。
まぁ、徹底してあれはナチスがやったことと整理しているドイツも謝り侍しているから、継続性を完全に断ち切るのは難しいんだろうけど。
なので、Bが返せる言葉は
「残念で不幸な事件だった。でも俺たちの会社はもうあんな事件は起こさないと決めて行動している。だから君もこれからの活動に目を向けて欲しい」
ぐらいになる。
また、この発言をするためには会社が事件が再発しないよう社員として意識する必要がある。
これが自分が考える
かな。
・親露派陰謀論アカウントが、オーストリア議会におけるウクライナ・ゼレンスキー大統領のオンライン演説の直前に、ほとんどの議員たちが一斉に席を立った(ように見える)動画を投稿
・東京新聞の記者がその親露派Z脳の投稿をいいね・リツイート(ちなみに立憲民主党・原口議員もリツイート…)
・しかし席を立ったのは、実は元ナチス党員が設立した極右政党の議員のみであるとのツッコミが多数入る(普通にNewsweekや YouTubeで確認できる)
https://m.youtube.com/watch?t=305&v=S0sRzXfuAI8&feature=youtu.be
オーストリア、元ナチス設立の極右政党が政権入り 中道右派首相は親EU強調 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/12/eu-104.php
これ、どうするんですか?
きちんと撤回した方がいいのでは?
東京新聞もその記者も、一貫して国内外の排外主義を批判的に報じてきたのではありませんか?
いやね、いくら今ウクライナで展開している現実が憲法9条の護持や集団的自衛権の否定といった従来の日本の左派の主張を吹き飛ばしてしまうものだったとしても、オーストリア極右政党の肩を持ってまでそれら内向きの議論を守ろうとするのはどういう了見なんだって思うの。
たとえオーストリア議会で席を立ったのが極右議員であることを知らなかったとしても、そもそも何でゼレンスキー大統領のスピーチがオーストリア議会で歓迎されなかったことを嬉々として親露派陰謀論アカウント越しに賛意を示してんだよ。
もうお里が知れてるだろ。
↑左翼
左翼。
資本主義は格差が激しくてついていけないから、もっと平等で公正な社会を目指そうぜ、という感じ。
資本主義によって、土地や工場などを私有する資本家が労働者をこき使って搾取するようになったので、それを打破して平等な社会を目指す。
そのためには、労働者自身が土地や工場などを管理する体制(プロレタリア独裁)を武力を用いてでも築くべきだ(暴力革命)、という感じ。
暴力革命を志向するテロリストや、スターリン・毛沢東のような独裁者を生み出した。
マルクス主義を反省して、暴力革命やプロレタリア独裁を否定し、民主主義を通じて政府に働きかけ、平和的に社会主義を達成しよう、という感じ。
政治面においては「俺たちには自由に生きる権利があって国王や貴族でさえそれを侵害できないぜ」という感じ。
民主主義や共和主義を志向する。フランス革命時における「左翼」。
経済面においては「俺たちが自由に商売すれば自然とバランスが取れるんだから政府は余計な口出しすんな」という感じ。
資本主義や市場主義を志向し、個人の権利を重視して「国家権力は小さくあるべき」と考える。
「社会自由主義」の台頭後は、区別のために「古典的自由主義」と呼ばれる。
古典的自由主義のように野放しにしていると、差別や格差が広がって個人の自由が制限されるから、むしろ国家権力が介入して積極的に差別や格差を是正すべきだ、という感じ。
社会自由主義の反動から、一周して古典的自由主義に戻ってきた感じ。
自由な市場を実現するために、規制緩和をしたり、法人税を下げたり、国営企業を民営化したりする。
右翼。
何らかの急進的な政治運動に対して、それに反対する立場が「保守」と見なされる。
それぞれの政治体制や歴史的経緯によって何が「保守」となるかは異なってくるが、現在の日本においては、政治的には「国家主義」を、経済的には「新自由主義」を指すことが多い。
もとは自由主義と連動していて、誰かに支配されたりするのではなく「俺たち」が中心となって行動すべきなんだ、という感じだった。
しかし国民国家が成立して「俺たち=国家」となると、「おまえも俺たちと一緒だよな」と均質化を強要したり、「おまえは俺たちと一緒じゃない」と排外主義になったりした。
「俺たち」を結びつけるものは「民族」「家族」「宗教」「伝統文化」などであることが多い。
さらに行き過ぎると「個人の権利よりも国家の利益が優先される」という「全体主義(ファシズム)」となる。
↓右翼