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はてなキーワード: ラブレターとは

2023-07-01

倉橋ヨエコが復活した

生きててくれた 廃業から15年かぁ 生きててくれて本当に良かった

エコ(敬称略させてください)は音楽絶対に手放しはしないだろうと思ってたから、一度はプロとしてメジャーデビューもしているわけだし、もしかしたら何かの形で生活のどこかでヨエコが横切るかもとおもってた

(真偽不明だけどヨエコ好きな人は辿り着いてると思う、中国で歌っていたm○chiさんのように)

こうして堂々と正面から戻ってきてくれて嬉しい

正直

15年前のヨエコが発表していた、繊細で苦しい歌はたくさんは出てこないかなと思ってる ほぼゼロかもとも

私も15年前とは考え方がたくさん変わってるし、生活想像してた未来とは全然違うし

でも私はラブレターのような歌もとても好きだった 自転車とかも 一抹不安はあっても、前を向こうと頑張るエネルギーの歌

エコは今何を歌詞にして、どんなメロディに乗せてくるんだろう たのしみ ライブやるのかな 行けなかったんだよな 廃業宣言直後に知ったんだもん 学生だったし なんとか必死アルバムシングル買い集めたな 懐かしいな

好きだ ヨエコ

願わくば、令和の悪意に晒されて擦り減りませんように。コメント欄とか閉じといて欲しいな、

2023-06-27

クシャッと丸め広末ラブレター適当に投げたら

 

 

 

 

キャンドルジュンのピアスの穴を見事に通り抜けた

2023-06-22

anond:20230622133107

中学の頃、私が誰を好きか、多くの人が知っている状況だったので、ときにその相手名前を騙った偽ラブレターが私に届けられることがあった。騙られた本人に「これは偽物だよね?」と聞いたら「私のことが好きなら、そんなの筆跡で見抜けよ」と言われて「たしかになぁ」と思ったのであった。

2023-06-19

anond:20230619100802

でもでも、あん可愛いのに、いつも一人でごはん食べてるって…… そういう事なんじゃないの??

かにしかけてほしいんじゃないの。

少なくとも俺が逆の立場なら、魅力を持て余して男一人でいつもポツンとご飯食べる羽目になってるなら、異性には、女の子には話しかけてくれると嬉しい。

これだけは御本人の意思によりますので自分立場で考えても答えは出ないですね。

ラブレターでも渡すしかないんじゃないですかね、話すのもほんの少しで済みますから

若い頃の恋愛というもの気持ち悪い行動になってしまうのは致し方ないことですので、執着しないことだけ気をつければ行動すること自体は悪くないと思いますよ。

広末手紙晒しイジメとみるか否か

広末涼子不倫相手への手紙晒しいじめではないか問題になっているが、いじめじゃないと思う人たちの意識について考えてみた。

たぶん彼らはそもそも広末涼子いじめっこ側だと認識しているのだ。

くだんの文章内容への言及は主に三つである

不倫で夫や家族を裏切る行為であること、またそれにも関わらずベストマザー賞を受賞していたこ

性的な要素の強い文面

➂「きもちく」「本当に人を好きになった」等の思春期少女のような内容

チャレンジのつづりが間違っていることへのツッコミ

これらへの悪感情類推すれば

言わずもがな不倫によって家族を裏切った加害性と、そんな人間が良き母イメージで売り出していたことへの不満

相手への精神依存による暴走ならまだ同情できなくもないが、内容は性的快楽に関するものであり、家庭や仕事でのストレスによる心の隙間や夫との精神距離由来ではなく、快楽に忠実な結果と言う印象を受けること

➂母と言う立場にも関わらず、「罪悪感にかられながら」でも「擦れた割り切った付き合い」ですらなく、本人は純愛気取りで思考放棄して恋愛に溺れる責任感の無さと無反省

➃もと早稲田大学生にも関わらず基礎的英単語綴りも間違えたうえとっさに修正もしないことからくる「偏差値的に不相応な大学合格していた(うえに結局辞めた)ことへの不信感」

り、心の隙間や夫との精神距離由来ではなく、快楽に忠実な結果と言う印象を受ける

まり、彼らにとって広末はいじめっこでありその動機性的快楽のためであり、いじめっ子の癖に優等生のふりで稼いでいた不正に携わるものであり、そのうえ学歴においてもズルをしている、いわばいじめっ子役満状態みえるのかもしれない。

そういった観点でみれば、ラブレター公開はいじめではなく西洋風市中引き回し(罪を書いた札を首から下げ町を練り歩かせる刑罰)に近いそれと認識していると考えられるのではないか

2023-06-17

anond:20230617100622

不倫は最低だけどラブレター晒して茶化しまくるの普通に性格悪いし下品だと思うけど

ヒロスエがどうこうじゃない

2023-06-16

いや、奥さん気持ちはわかる〜まではいいとしてタレ込まれラブレターやらメディア晒したり関係ない大衆面白おかしおもちゃにするのは流石に正当化していいのか?死人が出てもおかしくないと思うんだが

下の話書いてる手紙だぞ

あの内容を公開するのは一線超えてる

anond:20230615203606

犯人卒業文集は、ほとんどのケースで犯罪証拠でも動機を示すものでも何でもない(山上徹也のような、背景を知ることで大きな改革が起こった事例は除いて)けれど、

ラブレター不倫証拠のものから意味はあるだろ。

ただし、犯罪報道と違って、そもそも芸能人不倫報道すること自体無意味という視点も当然あるけれど。

 

個人的には、卒アル代表されるような、犯罪者の人となりを示すものは、ほとんどのケースで「報道する意味がない」かもしれないけれど、

報道してはいけない」とは露ほどにも思っていない。

2023-06-15

ラブレター晒すの恐ろしいね

それはやめてやれよ、って意見も多いけど、

奥さんからしたら許せんわなあ

犯罪者卒業文集とか報道する意味ない」とか言ってる奴は広末涼子ラブレター公開をどう思ってんの?

にやにや笑ってそう

不倫セックスレス裏切りと救いについて

広末涼子不倫ラブレター流出込みでなかなか地獄様相を呈しているけど、

セックスレスに悩む者として、広末一方的に悪いと言い切れなくてモヤモヤしている

不倫浮気のような貞操観念の欠如は蛇蝎の如く嫌いだが、

頭がお花畑になっていたことを鑑みても、あのラブレターの内容は地獄から救われた者の素直の気持ちが書かれている

「俺よりもいい男はいない」と発言したらしい広末の夫は今も被災地へ足繁く通っているとの記事を見た記憶もあるし、

今回の広末不倫相手ビジュアルがなかなかなモノだったこともあって、色ボケアラフォー女優みたいな扱いは胸に来る

同意のない性交夫婦間や恋人間でも犯罪扱いで構わない

しかし、結婚という契約をしたにも関わらず、配偶者との性行為を拒絶するという行為が、まるで当然の権利のように行使されていることに違和感しかない

拒絶された側はどうすることもできず、ただ耐え忍ぶ日々を強制されるのに、どうして拒絶した側は今日も健やかに暮らしているのだろう

不倫という行為裏切り

配偶者へはもちろん、家族にも周囲の人間にも、その人を取り巻くすべての環境への裏切りであることは間違いない

しかし、性行為にも離婚にも応じてもらえない側には救いがないのが実情で、このまま枯れゆく心を他人事のように傍観する人生強制されるいわれはない

いっそセックスレス犯罪扱いにしてくれればいいのに

ラブレター公開とかひでーよなとおもうけど

自分浮気された側ならわからん

ラブレターとか交換日記のやつ

「こんな風に人を好きになったのは初めて」というのが好意の度合いの話なら今いる家族に対してすごくひどい言葉だと思うし、それで不倫するくらいならせめて今の婚姻関係を解消してからしろとも思う

かといって不倫関係であること込みでの「こんな風に」ならそのやり方にハマる倫理観の無さがやばい

どっちにろ外野から見てるとそれぞれの家族がただ可哀想だわ

「こんな風にひとを好きになったのは初めて」広末涼子が赤裸々に綴った鳥羽周作シェフへの‶直筆W不倫ラブレター"

https://bunshun.jp/articles/-/63572

これ。W不倫って事は相手奥さんもいるって事だし実際記事でも「糟糠の妻」って言われているのに

奥さん被害を考えずに広末涼子擁護してしまフェミニスト人達ってほんと想像力がないし、

自分達の見える範囲の事しか見えないんだなあと思う

つかどんだけ悪意があれば自分宛のラブレター他人に見せようと思うんだろう

anond:20230615002633

それにしても、文春はどうやって、そういうラブレターを手に入れるんだろ?。不思議だなぁ。

2023-06-11

anond:20230611144227

その後妹に丸文字で偽のラブレター作らせて、そいつ名前で女の卓球部の先輩のロッカーに入れてレズ疑惑流行らせて鬱憤を晴らした。

やめろ

未成年女性とLGBTはお前の復習の道具じゃない

anond:20230611143431

嫌なこと思い出させんなよ。性格悪いな。アイヌ人か?琉球土人か?大陸土人か?

もう特定されて全然構わないから懐古するけど、高校の時ダンス部の女に「私の方が背高い!」とか言われて背比べさせられて「弟にしてあげる」とか言われて笑われたことあった。あの時は怒りのあまり親父が母親捨てる前に母親にあげたらしいロシア製イースターエッグ粉々にした。その後妹に丸文字で偽のラブレター作らせて、そいつ名前で女の卓球部の先輩のロッカーに入れてレズ疑惑流行らせて鬱憤を晴らした。

なんか過去に受けた色々な不当な扱いを思い出して本当に不快な土日になった。最近sun値正常だったのに。全ては高身長旦那高身長の息子を称賛して低身長の男をバカにするツイートをしたあの主婦のせいだ。全世界の子持ち女は子宮頚がんになって死ぬべき。

2023-05-22

マリオ映画感想

はじめに

 マリオ映画を観た。

 まず私のプロフィールを明かしておく。

 大学院生社会学文学あいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。

 映画学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません

 匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SM実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。

 

 「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミック評論の場で散見される。

 これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用特に必要でない限りはしない。

 「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオ映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。

 メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。

試行する」快楽

 ゲームアニメとしたら、キャラクター解像度物語の運び方だけでなく、どのようにゲーム快感が写し取られているか重要ポイントに思う。

 マリオゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。

 「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアタスク消化に似た快感

 「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感

 マリオシリーズだけでなくゲーム快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか

 私はといえば、ゲームが苦手だった。

 クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。

 我ながらヘタクソなプレイであるしかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム快感がある。

 翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。

 アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。

 文学研究者藤田直哉上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662

 ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。

 周回前提のゲーム「ドキド文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。

 また、勉強不足と笑われそうだが、3D映像2Dフィールド表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。

父と息子の物語としてのマリオ映画

 「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。

 しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さら男性性との関わりについて分析する。

 https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq

 こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113

 クッパ名誉と所有、暴力原理においたキャラクターであり、婚姻幸せを直結させる家父長制を背負った男である

 ピーチ姫に対し無茶な論理婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人婚姻犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。

 この「有害男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。

 それは物語ラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫マリオとの恋愛成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。

 

 マリオゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。

 葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。

 しかマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。

 イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。

 そしてマリオ映画の終わりに藤田のいうところの「有害男性性」の発露であるクッパを倒し、父親から承認を得ることとなる。

 婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力ねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。

感想、あるいは魔王へのラブレター

 倒されたクッパは小さく、管理されるものとして扱われる。

 その是非について何か言いたいわけではない。

 現実では家父長制や異性愛規範同性愛差別トランス差別人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである

 その是非についても何か言いたいわけではない。

 ここまでが建前。

 私はフィクションにおいてこういう権威的な男性が大好きだ。

 「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。

 本気で惹かれると言っていい。

 だが彼の愛は決してピーチ姫には届かない。正しくないから。

 そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。

 異形はある意味孤独である

 槇原敬之の「軒下のモンスターから「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。

 三島由紀夫の「仮面の告白から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。

 

 ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。

 「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソング哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。

 私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。

 今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダークィア批評規範可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ

 本当は、弱者クッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまり感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。

 でも愛してる、魔王クッパ

 お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。

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