はてなキーワード: モンティパイソンとは
モンティパイソンこどおじ久しぶりに見た
まず沖縄ではポークランチョンミートをスパムとは呼ばず、通常はポーク、ポーク缶などと呼ぶ。それは米国のホーメル社のSPAM以外にもデンマークのチューリップ社やミッドランド社、国産の数ブランドのランチョンミートが発売されているからだ。この中で最もシェアを得ているのはホーメル社のSPAMではなくチューリップ社のランチョンミートである。
ソーミンチャンプルーのくだりも若干の違和感がある。ソーミンチャンプルーの具材としてランチョンミートはオプションの具材であり、常に入っている訳では無い(入れない訳では無いが通常はシーチキンとニラ程度である)からだ。恐らく偶然食べたソーミンチャンプルーにランチョンミートが使われていたからだと思うのだが、ランチョンミートを使った代表的な沖縄料理を挙げるならば、表面をカリカリに焼いたランチョンミートに卵焼きを添えたポークタマゴ定食などを挙げるべきだろう。
スパムメールの語源にも少々の誤解がありそうだ。ただ、モンティパイソンは語源となったと言われるコント「スパム」以外にもSPAMをネタにしたコントを行っているのでそれを見て誤解した様に思われる。コント「スパム」とそれが迷惑メールの語源となった理由は当時の英国の社会情勢などの背景を知らないと少々理解しづらいだろう。
そもそも沖縄の人に「スパムメール」と言う言葉が通じなかった事をもって「沖縄の郷土料理が風評被害にあっている」とした理論の飛躍が解せない。ICTに詳しい方は失念しがちであるが「スパムメール」という言葉自体が日本では一般人への浸透率は低い。ここで筆者がすべきだった事は意思の疎通が取りづらいと嘆く前に、より一般的な「迷惑メール」という言葉を使用すべきであったという事だ。
志村けんは嫌いだったので、
正直、亡くなっても惜しい人をみたいな感情がまったくなかった
京大の霊長研が指摘しているようにチンパンジーやオラウータンを使ったお涙頂戴番組は動物虐待だし、
番組を面白くするためだったらサルを海に投げ込むテリー伊藤とどっこいというか、
バカ殿とかも、あの時代は女性の上半身の裸とかがテレビで許されてはいたわけだけど、
なんというかウケるために安直にエロに走るというのが情けないと思った
エロという表現手法はありだと思うんだけど、そこに逃げればいい、という安直な考えが古い
古いが老害というか、八時だよの過去の成功があるため、周囲も逆らえなかったのではないかと思う
自分には志村けんは滑るネタをする人というイメージしか残っていない
そういう意味でビートたけしも近いんだけど、ビートたけしは映画があった
個人的にビートたけしの映画の内容、ネタにはあまり面白さを感じなかったのだが、
あの独特の「乾いた感じ」と言えばいいのだろうか、あれは個性だと思えた
あと、いかりや長介氏は踊るなどのドラマに移行して笑いはスパッと辞めたと思う
日本で音楽でバンドで食っていくという夢が挫折したことをどう思っていたのか気にはなる
そもそも日本でビートルズのような音楽の価値は白人がやらなければ認められず、
日本人がやっても認められず、
MCとか音楽ではなく余興の下品な笑いの方が日本人には評価されたわけだ
どこかインテリなところがあるというか、
そもそもギャグというのは何らかの予備知識があり、つまり教養があって、
その元ネタをパロディにしたり、茶化したりすることが笑いにつながるところがある
例えば、何か注目を集めたニュースがあり、それをネタとしてギャグを考える
ところが、最近の自分みたいに普段ニュースを観ていない人間には理解できないときがある
歴史家だのバイキングだの、あんな感じのネタは多分日本ではウケないと思うのだ
それより女性の裸を出せだの、動物をダシにしてお涙頂戴をやれだの、
なぜかというと、米軍基地があって缶詰めの保存食としてのスパムが沖縄県内にも流通したからだ。
ご存知の方にとっては、スパムは、なんてことないがハムやコーンビーフの仲間だ。
一方で、スパムメールのスパムの語源は、空飛ぶモンティパイソンの劇中でのスパムの扱いによる。
英国のコメディアンが、スパムを体に付けるという馬鹿馬鹿しいコントをやっていて。
だから、イギリスのテレビ番組と一部のGEEKのせいで、沖縄の郷土料理が風評被害にあっている。
意味が転じて、メールでも空飛ぶモンティパイソンのスパムのように無駄に来てるなーってところから、スパムという名前がついたのだ。
だから、沖縄の人にスパムメールと言ってもピンと来ない感じで、食べ物のスパムを連想する人がいるようだ。
一時期、沖縄の人と仕事をすることがあってスパムメールにご注意くださいというメールを送ったら、スパム自体には文句は言ってこなかったが、いや別にURL先をクリックしても何もなかったですよ、なんていわれた。
これでは、意思の疎通がはかりづらい。
本州のスーパーでもスパムという缶詰めは取り扱っているが、まだ1人で食べたことはない。
沖縄に行って、食堂でソーメンチャンプルーを食べてスパムはこれか...と思ったが。
いや、それ毎日は食べたくないし。積極的には食べたくないが....。
ところで、pythonというプログラミング言語の勉強を始めたが。
pythonチュートリアルという本にもやたらとspamが出てくる。
foo, bar, hogeの代わりにspamを出してくるので辟易としている日々だ。。
こちらも、空飛ぶモンティパイソンからpython から名前をとってきた言語だ。
それだけ、すごい番組なのかと思ってみたら、大して面白くなかった。
ニコニコ動画にも、空飛ぶモンティパイソンでのスパムのくだりのパロディを見つけたが。
ある日本人の哲学家が「日本人は哲学は苦手だが、哲学学は世界でも優れている」と言っていたのが印象的。
つまり既存の西洋哲学における諸概念などの解釈をこねくり回すのは得意だが、独創的とも呼べる新たな概念を創出することは類を見ないとのこと。
尤もそれは、おそらく日本人の悪性として何に対しても「哲学的だ」と捕らえてしまっていることに起因していると思う。
哲学の第一条件としては分類わけを必然とするように思えるし、何の事象に対しても「哲学的だ」と言うのは、どのような巨大ロボットを見たとしても「ガンダム的だ」と言うことに等しい。
昨今の日本では、モンティパイソンの哲学者サッカーネタで大笑いする人は少ないと感じるし、未だに哲学を言葉巧みな詭弁もしくは単なる思考の抽象化に過ぎないと捉えられている節も多大にあると思う。
これまで以上に日本で明確な哲学の意識が流布するようになるには、アニメ化とか漫画化によって身近に感じさせるしか手段はないのかな?
呼ばれたから答えるけど、こんな感じかな。発音できなきゃ聞き取れないということで発声法を述べます。
・ドイツ語→水に溺れかかった感じでいながらもハキハキ何かいえばOK。ちなみにイギリス英語やるときもこれ使う。モンティパイソンのジョン・クリーズがヒトラーのモノマネうまいのもこれな。
・フランス語→「ジャ」「ジュ」「ジョ」「シャ」「シュ」「ショ」を多めに交えつつ、鼻母音(鼻にかかった音)を適度に入れる。日本語と同じsyllable timed languageだから途切れ途切れ言う感じでOK。中級者以上はrの「喉のうがい音」もほどほどに入れるとなお良い。
・イタリア語→迷ったら全体的に舌をペロペロさせつつ最後の言葉を母音AかOで終わらせる頻度上げととけばOK。
・ロシア語→タルコフスキー一本見れば覚える。そこでため息をつきながらしゃべる感覚を身につければOK。ただ現代ロシア語で通用するかは不明な。
・スペイン語→イタリア語をベースに母音Uの割合を全体的に増やし、イントネーション若干あげて陽気な感じに。(自分はスペイン語苦手だから微妙かも)
・ポルトガル語→すまん。わからない。もっとボサノヴァ歌わないとな。
隣の家族が自分たちの前でレーンに皿を詰まらせてしまい、後続の皿が前に進めずナイアガラの滝の様に次々と床に落ちていったんだ。その間も詰まった皿を取ろうとしない。
何故かと言うと、「この皿私らが食べて無いのに、取ったら払わなあかんやん!どうしよ?」と家族会議が始まり揉めて結論が出なかったから。
不毛で大局を見ない御前会議が行われている最中もバンザイクリフからは罪なき寿司達が行き場を失い飛び降りて死んでゆく。
日本人だからか、大阪だからか、階層の低い非エリートだからか、単にこいつらがバカなのか。
「虐殺器官」という本を読んだ。
読みおわってつまらなかったなーと思い、しかもただつまらなかっただけでなく読んでてイライラしてストレス溜まるタイプのつまらなさだったから、これは星1のAmazonレビュー見に行ってうさをはらそう、としたら意外にひょうかたかい。なんでかしら。
この本にストレス溜まったのは、わりと同じ理由でいらつく本多いんだけど、以下のような点が挙げられる。
・会話が不自然
登場人物がいちいち○○学的な側面からぐだぐだ話す。百文字以上は一息に語る。日常的にこういう話し方する人いないと思うしいたらいらつく。話してるんじゃなくて語ってる。
・登場人物が没個性
こいつら基本的に同じ思考パターンしてやがる。わかりあえなさがない。こんな人間ばっかならそりゃ凄まじいスピードで虐殺文法浸透しますわね、という感じ。社会ってもっと多種多様な人間がいて、それによって生まれる不協和音におもしろみがあると思うんだけど、たぶんこの世界の人間の性格パターンって一つしかない。同じ人間が別々のバックグラウンドをもってるだけって印象。
・主人公の語りがうざい
一人称の小説なので文章の大半は主人公の語りなのだけど、いちいち二千一年宇宙の旅だのモンティパイソンだのをおりまぜてくる。単純にノイズ。あとなぜスターウォーズと銀河ヒッチハイクガイドが同居してるの? どちらかに絞ってほしい。あと主人公はほんとにアメリカ人なの? この小説は『海外小説を翻訳しました風』な文体なのだけど、なんか主人公がアメリカンな心情を持っているとは到底思えない。ついでに言うなれば、なんでか『日本』がちょこちょこと出てくる(オーサカの工場、とかジエータイ、とか)だけど、これも海外小説っぽくなくて違和感がある。海外小説に『日本』がぴょこっとでてきておおっと思うのって、卵が双子だったみたいなプチハッピー体験なのだけど、頻度多過ぎて逆にしらける。
そして主人公は戦闘中に生命の危機を覚えることもなく(これは未来テクノロジーの恩恵という説明になっているけど)、悩みを語るときもそこには気の利いてる風例えがワンセットになっているので、彼に共感することもできない。結果、白々と淡々と読み進めるだけになってしまう。
あと、虐殺の文法の説明少ないとか銃撃戦の最中に気の利いた会話してていいの? とかいろいろあるのだけど、結局内面のリアリティとSFのリアリティと、どっちも中途半端なのが最大要因かなあと思う。どっちかしっかりしてればまだスムーズによめたんだろうけど、両者がやわやわなので中国のビル並みの耐震強度になってる。