はてなキーワード: メロディアスとは
全部が全部のほほんとはしてないけど、休日に聞きながら読書したらはかどる感じ
音楽:Ben
作曲担当によればゲームについてまったく知らされずに好きなようにBGMを作ったらしいけど、それがパンクなゲームにもすげえ合ってた
そんでそれで実はEDの歌のメロディーのアレンジだったって最後しったときは感動したなあ
楽曲の歌のほうが有名だけど、BGMも実はmilktubがやってる
激しいのからメロディアスなものまでいろいろあって聞いてて飽きない
パンクな内容にあった激しめの曲多いけど、しっとりきかせるものもあったりして良い
上述ですばらしいと連呼したFunczion SOUNDSとmilktubの二者が担当してる
古きよき泣きゲー
いい時代だったなあ・・
冬に聞きたくなるサントラ
いわずと知れた夏影もさることながら、それ以外でもピアノを中心とした俺好みのBGMがたくさん
最初はオルゴールみたいな単音のメロディだけど、キャラを一人攻略するたびに音が重なっていく演出が最高だった
メロディも大好き
高校時代の青春をギターの練習にささげ、ヤング・ギターを読んで教則ビデオを見ては「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤に明け暮れる日々を送るギター・ヲタクだった現在40代の私にとって、
この4名が一緒のステージに上がって演奏するというライヴの情報を見たときはまさに目を疑った。仮面ライダーで言えば初代とV3とストロンガーとスーパー1が一緒に登場して戦うような豪華さなのである。
スタンディング席10,000円というチケット代に昨今の物価上昇の流れを感じながらも私は数ヶ月前からこのステージを心待ちにしつつ、ついに迎えた4/7、定時ダッシュの18:00で会社を上がり、そのまま一目散にお台場のZepp Tokyoへと足を運んだ。
これから綴るのはそんな私からの、ヒーローたちへの拙いラブレターである。
今回出演する5人の中では最も若く、私もインタビューで姿をチラッと見たことある程度の存在だったトシン・アバシ。当然音は一切聞いたことが無い。
8弦ギターを高く構えて演奏するスタイルを見て、「恐らくものすごいテクニカルで複雑な演奏をこなす人なんだろうな」と思っていた私の予想そのまんまの人だったので、何も新しい衝撃はなく、かと言って印象的なメロディがあるわけでもなく、ただただ早く終わってくれとしか思えなかった。
強いて言えば低音弦で鳴らすヘヴィコードがとても心地よく聞こえたくらいだろうか。
アバシの黙々とした独演会のラスト曲で共演したヌーノ。曲が終わってアバシが去り、残ったヌーノはユーモアあるMCで客席を温めてそのまま「Get The Funk Out」を畳み掛けた瞬間からもう会場は雰囲気が一転!「そうそうこれが聞きたかったんだよ」というオッサンオバサン大歓喜!
EXTREMEの「Pornograffitti」ツアーからかれこれもう25年は使い続けているであろうギター、WashburnのN4。無塗装で手垢だらけのボディ、もはや何回交換したのだろうか分からないネックの先に伸びた印象的なリバースヘッド、そのギターを腰の位置まで低く構え、細く引き締まった体で長い髪を細かく振り乱しながら、リアピックアップL-500特有のトレブルな音を、爪を黒く塗った細長い指を駆使してカリカリと弾き出すそのヌーノのスタイルは、25年前から全く変わっておらず、我々ギターキッズにとって永遠の憧れであり、ヌーノといえばそのN4を携えたスタイルこそがアイコンなのである。
ヌーノもおそらくファンのそういった思いをきちんと分かっているのであろう。ドラマゴッズの頃はほんの一時期だけ肥えていたこともあったが、昨今はさらなるワークアウトを続けてとても50歳とは思えない体型を維持している。
要は我々はそんなカッコいいヌーノが懐かしい曲を弾いてくれさえすれば良かったのだ。そしてそんな期待に100%応えてくれるかのように彼はEXTREMEの代表的なギターソロ部分をつなぎ合わせたメドレーで私を満足させてくれた。ありがとうヌーノ!
オジー・オズボーンの「no rest for the wicked」や「No More Tears」の頃は歴代オジーギタリストの流れを汲む印象的なリフとよく練られたギターソロで、私もよくコピーして練習していたザック・ワイルドの曲。
ソロ時代のザックといえば「Pride&Glory」こそが至高であり、その作曲センスとギタープレイがさらに輝きを増しているように私には見えたが、そこから何があったのだろうか、Black Label Societyなるバンドを組んでからというものの、知性がゼロのギタープレイヤーに成り下がってしまった。
かつての「Miracle Man」のようなスピーディかつメロディアスなギターソロは存在せず、適当にチョーキングしている以外はペンタトニックスケールをフルピッキングしているだけ。ダサい、ダサすぎワロタ。ZZTOPを意識してるのか長いあごひげも汚いだけだし、時折モニタースピーカーの上に立ってゴリラのモノマネをするのも「俺はこれだけアホになったぜ」と言っているようでかつてのザックを知る身としては寒くて痛々しくて仕方なかった。
彼に関してはとにかく「Pride&Glory」の頃のスタイルに戻って欲しいとしか言えない。よくあんな曲とスタイルでレコード契約が持続できるなと思うほどのダメダメっぷりである。
今回の5人のなかで誰が一番好き?と聞かれれば私は即座にスティーヴ・ヴァイと言う。中学3年生で「Passion And Wafare」を聞いて以来、未だに私のスマホの音楽ライブラリではこのアルバムがヘヴィローテーションしているし、私が今メインで使っているギターもIbanezのJEM7Vだ。
過去にヴァイ先生の来日公演は見に行ったこともあるし、ライブ・アルバムやライブDVDはすべてチェックしているうえに、YouTubeもかなりチェックしている。
したがってこれまでのGENERATION AXEのツアーでどんな曲を演奏していたのかについては知っていたのだが、そのうえで今回はどう私たちを驚かせてくれるのだろうというのが一番の期待だった。
ザックに「エイリアン」と紹介され、のっけからヘヴィな「Bad Horsie」という意外な選曲だったのが嬉しかった。しかし、使われているのはあのミラーギター。全弦1音下げ+6弦ドロップCという変則チューニングのこの曲にあのミラーギターを使っているということは、すなわち今日は「Building The Church」をやらないという意味でもあったのだ。これはちょっと残念だったが、ひとまず「Bad Horsie」の重厚な音を堪能することにした。
その後は「Racing the World」が続いたが、今回の短い時間で聞きたいのはコレジャナイ感は否めなかった。アメリカツアーでは「Now We Run」もやってくれたそうだが、そういうのが聞きたかった。
そして「Tender Surrender」。ライブでこれほど映える曲はない。何百回と聞いている曲だが、それでも聞くたびにブルっとくるものがある。そこからは「Gravity Storm」もやったがこの選曲もやはりコレジャナイ感があった。
あともう1曲やってほしいというタイミングでヴァイ先生はあっさりとラストのイングヴェイへとバトンタッチをした。最も思い入れのあるのがヴァイだっただけに、今回のセットリストはちょっと残念だった。
実は私、生でイングヴェイのライブを見るのは今回が初だった。ただ、古くはWOWOWのライブ中継や、DVD、YouTubeを通じてイングヴェイのライブはさんざんチェックしているので、どんなライブをする人なのかはとてもよく知っている。
まさに「王者」の呼称にふさわしい、自信に満ちた堂々たる立ち居振る舞いで、とにかくピロピロピロピロと弾きまくり、3秒に1回はギター回しをし、5秒に1回はピックを投げ、10秒に1回は片足上げをするイングヴェイの変わらないスタイルが私は昔からずっと好きだった。
冒頭から赤い照明にドライアイスのスモーク。そのスモークの中から登場するイングヴェイ。もう最高!
前半は知らない曲もあったが、中盤からは「イングヴェイといえばこれでしょ!」という曲ばかりでうれしかった。お決まりのパガニーニからの「アダージョ」からの「Far Beyond The Sun」はもちろんのこと、なんと「Trilogy」も爆速で演奏してくれた。
途中、例の「バディヌリ」を演るも、キーボードのストリングスがまったく聞こえず、これでどうやって演奏を合わせるんだろうとそのあまりのアンバランス具合に思わず笑ってしまった。また、片足上げキックの高さが以前よりも随分低くなってしまっていたが、53歳という年齢を考えればそれも致し方ないだろう。イングヴェイはこれでいいのだ(笑)。
また、意外にうれしかった選曲がオーケストラとの共演曲である「Fugue」。当然バックにテープを回してのイングヴェイ独演会ではあるが、ずっとバンドの音が続いてきたうえでこのようなサウンドは良いアクセントだった。
ラストはヴァイ先生との共演による「Black Star」!個人的にはこの曲が今回のピークだった。まさかギターのハモリありの「Black Star」が生で聞ける日が来るなんて夢にも思っていなかったのし、その曲をヒーロー2名が一緒に演奏しているというのがもう感涙モノだった。
さぁ最後5人揃って…のはずが、最初はFrank Zappaの曲だろうか?知らない曲が始まり、弾いているギタリストもイングヴェイを除く4人だけ。あれ?イングヴェイは?このまま出てこないの?と不安になったところで「Highway Star」が始まり、ここぞとばかりにイングヴェイ様が再降臨。もう本人も分かっているんだね。どういう音楽なら自分が一番かっこよく振る舞えるかってことが。
しかし、リードギタリストが5人も揃って一斉に音を出してしまうと、聞いている方は「うるさい」としか言いようがない。とてもじゃないがじっくりと演奏を聞くのは不可能で、ただあの5人が一緒のステージに立って演奏しているという感動を味わうのが精一杯である。
かくして長い長い3時間半が終わり、会場を出たら時計は22:30前になっていた。足は棒のようになり、膝や腰にも痛みが来てしまったが、それでも私のギター人生において一生の思い出とも言える素晴らしいステージだった。この企画で来日公演を実現させてくれた全ての人々に感謝をしたい。
例えば昔のロックンローラーのロックなエピソードとかあるじゃん。
破天荒で型破りで犯罪的でカッコよくて、彼らの曲が多くの青少年たちを狂わせたとか。
漫画や小説で、商業性に堕した現代のロックと対比して、めっちゃカッコよく書かれてたりとか。
そんな数々の伝説に彩られたロックスターたちの曲をApple Musicとかで聴いてみたりするんだけど、
いや、もちろん曲にもよるんだろうけど、
でも、だいたいテンポが遅かったり、声がゆったりしていたり、意外にメロディアスだったり。
あのロックなエピソードから想像される曲とはぜんぜん違うんだよね。
たとえば中学二年生のときに聴いて変な方向にはまったりするかどうかで言えば、
昔のロックはそんな感じがしないんだよ。
それなら今のちょいマイナーで尖ったロックバンドのほうがそれっぽいんじゃないか。
これはペレやマラドーナのプレイをYouTubeで観てもピンとこないようなものなのか?
※ この文章は筆者の伝聞に基づいて構成されているので偏りがあると想われる。
ちなみに以下のふたつのことを教えてくれた人は音楽科の先生に教えてもらったことを
自分に教えたようだ。
以前、自分に、日本の音楽と西欧の音楽について、こう教えてくれた人がいた。
曰く、
と。
どういうこと?と聞いてみたら、
「ヨーロッパ人は、歌い始めに必ず四分休符とか八分休符をいれてから歌い出す。」
はぁ、そうなんだ。そういえば、そうかも。と納得。
その人が言ってたことで、もう一つ気になること。
曰く、
「日本で売れる曲は、カラオケで歌える曲。歌いにくい曲は売れない」
と。
これはSMAPの世界に一つだけの花が売れた時期に言われたことで、
音楽にほとんど興味なくて(アニメのサントラばかり聞いてた)、
へぇ、そうなの。
と流していた。
確かに洋楽では歌える曲と歌うのには適さない、聞く専の曲も売れてる作品あるなぁ
と感じた。
売れてるかどうか知らないけどキングクリムゾンとか。
歌いにくい曲がぱっと見思いつかない。
カラオケで歌うことを想定していない日本の音楽もあると思うんだけど、
なかなか見えないかな、って思う。(最近話題のD.A.Nとかはどうなんだろ?)
歌詞の意味重視メロディアスな曲調重視(要は歌謡曲)の日本の音楽をdisってるわけではない。
鼻歌楽しいし。やっぱそういうのが好きっていうのが自分も日本人だなあって思うし。
それに、ヨーロッパでもRadiohead歌うためにカラオケ行ってる人いるかもしれないし。
でも、
結構気になるのだよね。
もちろん、これに当てはまらない人も多かろうが。
声をサウンドとして聞いてる人、創ってる人、日本にどれくらいいるんだろう?
日頃は少子高齢化問題について憂慮している俺もさすがに堪忍袋の緒が切れて、保育園に苦情を言いに行った。
保育園の入り口に掲げられた「フジロックフェスティバル2013」の看板をくぐって、敷地の中へ。
足を踏み込んだ瞬間、鼓膜とみぞおちを低く重い金属音がついた。
悲しげでメロディアスな演奏が俺の皮膚にまとわりつき、全身をねぶる。なんだこれは。
周囲のオーディエンスは恍惚とした表情でステージ上の一転をなかば崇めるように、なかば畏れるように見つめている。
会場三千の瞳が注がれている先で山嶺のようにそびえ立っていたのは、丸刈りで筋肉質の巨漢。
ナイン・インチ・ネイルズが日本にやってきたのだ。
このフェスのために。
この夜のために。
おれたちのために。
知らず、涙があふれていた。忘我の涙だ。
保育園に来た目的も、その動機となった怒りも、少子高齢化社会のひずみも、すべてふっとんでいた。
今この瞬間。
今この瞬間しかない。
俺たちは今ここで、全身全霊でレズナーの奏でる現在の粒子を浴びている。全身全霊で悦んでいる。
夢の様な四十分間が過ぎたのち、隣に経っていた古参風の園児が俺のすねをポン、と叩いてウィンクを飛ばした。
「楽しんだかい、兄ちゃん?
これが保育園の、
これがフェスってもんよ。
音楽ってのはな、
現場にやってきたやつにしかわかんねえヴァイヴスってのがある。
四畳一間の寂しい部屋でヘッドホンつけてセンズリこいてるだけじゃ決して手にはらねえサウンドがな。
俺たちは、この感動を共有するために保育園に来てるんだ。
身分も、出自も、人種も、年齢も関係ねえ。境界なんか存在しねえ。
ジョン・レノンの理想を現実を知らない戯れ言だと笑った人間を呼びつけて、これを見せてやりたいね。
兄ちゃんなら、わかるんじゃねえか?」
「わかる……」俺は三歳児に跪くような体勢をとり、泣きはらしながら彼の名札をみた。「わかるよ……たけのり……」
たけのりは莞爾とした笑みを浮かべ、俺の方を叩き、
次のライブも楽しんでくんな」
と告げると、そのまま風のように去っていった。
どこからか、スクリレックスのエッジの聞いたビートが響いてくる――
歌い方がキャラじゃなくなってる人も多いが元曲もなのかどうかは分からない。
個人的に日高愛が好きだから戸松遥の登場は嬉しかったが、戸松の歌やセリフも愛ちゃん感が弱まっていた。忘れてても仕方ないか。
ミリオンライブの楽曲は作曲陣がラブ×イブと被っているせいか、メロディアスな楽曲が多い印象を受けたし、良いかもしれないと思った。
(ラブ×イブ、初期の楽曲の質は高かった。アニメ化でキャラも曲も多様性も卓越性も消えて段々と死んでいった。)
対して765やシンデレラガールズの楽曲は楽曲として軽さがあって、音楽としての個人的な評価は低くなってしまう。
M@STER PIECEあたりはその典型で、劇場版の主題歌で必殺の楽曲のつもりなのだろうということは分かるし多くのPも絶賛しているようだが、
その点ラ初期の楽曲は好みだったのだが主にアニメ2期以降楽曲の方向性がアイマスに近付いていって唯一の長所も死んでしまった。
2期や劇場版の劇中歌は総じてなんとなく良い曲っぽいだけで刺さるものがない。こちらもライバーの多くが絶賛していたが以下略。
アイマスもラも途中まで好きだったのに失望させられる出来事があって距離を置くことになってしまったのだが、(アイマスは今も嫌いではないがラはほぼ嫌い)
アイマスは好きだった頃も特に楽曲の質については評価してなかった。
恐らく作品性の問題もあるのだが、アイ×ツ、プリ×ラ、ラブ×イブ(アニメ)、W×Gはアイドルが主人公ということもあってファンもアイドル目線。
あとアイドルが作詞作曲や自己プロデュースを自ら行ったり、楽曲の内容と作中ストーリーの間の関連性が強かったりする。
そのために、キャラクターソングとしてもアイドルソングとしてもただの挿入歌ではない味が出ている。
アイマスは原作であり核となる作品であるゲームで基本的にプロデューサーがプレイヤーで主人公という目線だったり、最初から用意されている楽曲を選んで歌わせる形式なため楽曲とアイドルとのマッチングの意味合いは捏造的な想像しかしにくい。
アイドル自身が主人公でそれぞれが主体的に動かざるを得ない状態の4作品と比べると、アイマスはアイドルがP含む大人の操り人形のように与えられた機会で与えられた楽曲を歌うという感が強いので楽曲やライブシーンが作品やキャラから乖離した挿入歌っぽくなる。
一方、アイドルマスターDSはアイマス作品の中では異例のアイドル達が主人公の作品で、オリジナル楽曲とアイドル自身のストーリーとの関連性も強いのだが、楽曲自体は軽さがある。
しかし、ゲームをプレイすると作品のストーリーと相乗効果で心に染み入るものがあった。
その他、アイマスライブはどうも作品ライブというより声優ライブとしての色が濃いしファンもキャストを声優として見ている点も大きい。
声優に興味や愛着がないとライブへの感動が半減どころではない。
その点でいえばラやWなどはキャラクターと同様にフォーメーションを用いたダンスパフォーマンスを行うためによく分からない人が見ても凄さや良さを察するものがあるが、ラはその影響で故障者が出たりしているのでダンスを専門としない人がやるにはハードすぎる部分もあるのかもしれない。
声優の身の丈に合った範囲で理想のイベントを行うとしたらアイドル作品ではないがサクラ大戦の歌謡ショウが究極的な理想だ。
映像でしか見たことがないが何故ほかの作品はあれをやれない、もといやろうともしないんだろうか。
豪華声優陣が声優としてではなく最初から最後までキャラクターとして演じ通し、観客もキャストをキャラとしてのみ扱い持て囃す。キャラクター作品イベントとして完全に完成されたイベントだと思う。
昨今はアイドル作品が増えているが、どちらかといえばアイドル声優がアイドルを演じるアニメ作品が増えている。
ライブイベントもキャラクターを片手間として演じつつ主にはアイドル声優としての私(たち)をチヤホヤしてほしいというスタイルで、売り方もそうなっている。
そんな状態だから、一度声優ライブの人気がついてくると作品の出来が悪くてもバレないし影響もあまり出ない。声優ライブやっとけば売れるから…。
とりあえず勢いに任せて書いてみたら、twitterに投げるには長すぎ、そもそも俺きめぇってなったので。
誰か一人でも、共有できる想いがあれば嬉しいので、こっちに投げ込みます。
ライブ2013の例からいって、円盤収録もない可能性が高いので、両方を聞き比べられた人はきっと幸せ。
というかむしろ、日曜の内容は土曜を聞いてること前提だったような。
『後は昨日のテープ流しといて』とか、『強制退場ってことは、チューするのか?』からの『昨日と言ってることが違うゾ』とか。
しないフォギアといい、やっぱスタッフ側もガリミカ好きなんだなと理解した次第。
オープニングはRADANT FORCEかギャラクシィクロスか、という大方の予想を覆しての、まさかのオープニング曲。いや、アニメ本編のオープニングだから使い道としてはあってるんだけど。
後のMCでも言ってたけど、これまでにも各媒体で『終わりの曲』『Glorious Breakを受けてのアンサーソング』って言われてたから、てっきり終盤で演るもんだと。
そしてそれが予想外だったことに加えて、ついに始まったってことで感情が昂ぶって、覚えてたコールが飛んでしまったりも。ラスサビ前の『Exterminate』は叫べてよかった。
Exterminateから息つく間もなく、初手から全開のシンフォギアライブ。
日笠陽子は『マリア・カデンツァヴナ・イヴ役の』と噛まずに言うだけで笑いが起こる女性になってしまったなあ。
序盤からまさかの予想外曲。リハの音漏れから、前期曲も演るんじゃないかと思われていたけど、このメロディアスで印象的なイントロが流れたときの適合者のヒートアップっぷりはもう。おう、叫んだとも。
そしてこの予想外に難なく適応して完璧なコールを飛ばす適合者たち。このライブの成功が約束された瞬間といってもいいかもしれない。
トーン低めのキャラ声で、この熱狂のただ中にいきなり入っていくとか、冷静に考えたらわりと超難易度っぽい気もするけど、さすが装者の中でもライブの場数はトップクラスと言っていいだけある。
予想はできていたとはいっても、実際にディストーションばりばりのギターのイントロが流れると、どうしたって盛り上がる。南條愛乃の高音と茅野愛衣の低音とのハーモニーは、もうねえ。
イントロがかかったとき、きっとほとんどの適合者が、『このセトリ、俺たちを殺す気だ』と思ったにちがいない。
今回も、南條愛乃デザインで揃いの衣装。ギアのヘッドパーツを模した、というかそのままヘッドパーツの萌えポイントが高すぎて。あと、茅野愛衣は、なにげに前回のシンフォギアライブ以来のライブとのこと。あんな強くてまっすぐな低音を出せる女性声優って珍しい気がするのに、もったいない。
いやほんと、茅野愛衣の低音は素敵。オリジナルバージョンの、近い声質のハーモニーもいいけど、ZABABAの個性のあるバージョンもいいものだ。
\デデース!/\デデース!/
(顔をしてぷるぷる)のところはコールしないのね。
これ、イントロだけで、即座にライトを紫に変えられたひとってどのくらいの割合だろう。というレベルの予想外。ライブ2012以来だし、そういえばそのときも初披露なのにこういうコールをしていた記憶が蘇ってきた。
ステージから客席に放たれるレーザーは、シェンショウジンの光そのもの。
身体を削って喉を振り絞るようなパフォーマンスには、ただただかっこいいという言葉しか出ない。
話を総合すると、奈々さんが好きだから触りたいけど、触られたらぽよぽよだぞ、と。
いやでも実際問題、あの声量をあれだけ身体を動かして安定して出せるなんて、鍛えてることに異論はないやね。
あと、『たやマ?』はしばらく笑い転げてしまった。
染みる歌詞染みるメロディ。「歌が好きだ」とハジけた感情の上昇は、日笠自身を現していた。
泣き声で『みんなに力、もらったよ!』とか泣くでしょ。
シングルカットバージョンではなく、アニメ本編で使われていたイントロのロングバージョン。次第に加速していく4つ打ちの重いビートにあわせて、会場を埋め尽くした赤いライトが上下に揺れ続ける一体感は静かに熱気が高まっていくのをしっかりと感じた。
そしてキレッキレの振りがまたすばらしい。
『盛り上がってるか! 群雀ども!!』ってアオリで一気にクリスへと切り替わる瞬間。
『高垣彩陽の爆笑MC』って、どこぞのアドリブアニメの声優じゃないんだからさぁ。
そして、もらったブドウ缶で、クリスのうさぎキーホルダーとクリスソーサーを入手するとか、ほんと役に愛されている。
だから1期の回想とか泣くってば。……いやごめん、ネフシュタンクリスは久しぶりすぎて正直笑った。
ほんと、この曲の揺れ幅がクリスだよなぁ。前回の教室モノクロームもよかったけど、こちらも圧巻の歌唱力で歌い上げられたら、そりゃもう幸せですわ。
きりしらとはまた違った形で、特徴的な声と声とのぶつかりあいは、緊張感であり安心感でもあり。
あんなヒラヒラの衣装で舞台を右に左に走り回るなんて、水樹奈々のライブ特性はほんとどうなってるんだ。
『話はベッドで聞かせてもらおう!』の正しい使い方講座。
それはそれとして、ダジャレで自らを窮地に追い込んだSAKIMORIの照れ顔最高。
あと、『翼はこういうキャラじゃない』って言ってたけど、しないフォギアを見る限りはわりとそういうキャラっぽいよ?
だから1期の奏回想とか泣くってば。泣くってば。
客席の青いライトにまじってちらほら見えるオレンジと赤の光に、やっぱりみんな奏のことが好きなんだなって。1期から追いかけている適合者も、まだこんなにいるんだなって。
水瀬いのりのあの小さい身体のどこからこんなドスの効いた声がでてくるんだって思いが、生歌を聴いてさらに不思議になった。
シンフォギア現場にずっといたとはいえ、ついにこのメンツに混じってライブ参戦とか、そりゃ怖いだろうって話で。
歌い上げる系の唄を、生でこれだけ表現できる子だったのかー、と。黄色のライトの意味が、さっきとはぜんぜん違って見えた。
スポットが当たって姿が見えたとき、ディスプレイに響そのものの姿が映し出されたとき、そして歌い始めと、わずかな時間に3回。
ただただ叫んだことと、それをさらに自らが煽っていく悠木碧と、それだけしか頭に残っていない。
響を連れてくることだけを考えました。そしたらみんなが『座長』って呼んでくれました。
ライブ2012、2013と見てきた適合者は、そのトークに込められた想いがどれだけ重かったのか、自分のことのように感じていたはず。
2012のカーテンコール。締めの挨拶をしたのは、奈々さんだった。もともとそういう予定だったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。
2013のカーテンコールでも、このメンバーで自分が座長なんてありえない、そう言っていた。
やっと、本当の意味で、自分がいられる場所を見つけた。そういえる彼女は、間違いなく強くなった。
高まってるところにこれはいけない。
というか適合者は何故サビ合唱を当たり前のように!
手を繋いで左右に揺れながら楽しげに歌うふたりが、ほんとうに幸せそうだったあったかい曲。
日笠を、泣いたことで弄る悠木碧の頭上に、ぴこんとフラグが立ったのを見たのは、自分ひとりではないだろう。
勇ましくて、でも優しくて暖かい曲。
横一列に並んだ装者たちが、思い思いに身体を揺らして歌ってるのが、ほんとうに楽しそう。
これまでの歴史が語られ、そして。さすがシンフォギア、予想を裏切ることにかけてはその方向性に間違いはなかった。
絆、心、一つに束ね 響き鳴り渡れ 希望の音
願い、祈り、全てを背負い 本気を超えた 本気の唄
twitterで検索しても、興奮により上気した満面の笑顔とぐしゃぐしゃになった泣き顔が同居していた適合者は決して少ないものではないようで。
シンフォギアの世界は、唄を奇跡に変えられる世界は、あのとき、たしかに存在した。
RADIANT FORCEがくるなら、当然こちらも。
どうして、さっきまでわけのわからないくらいに絶唱していたのに、この曲ではコールどころかかけ声も上がらないことが統一できてしまうのか。
そして最後まで予想外の1期曲。まさか、また、この唄を聴けるなんて。あのときには今にも折れてしまいそうだった悠木碧が、中央で笑いながら、ほかのふたりを導いている。
見事なフラグ回収でした。
と・き・は・な・て!!
「狼狽えるな!」と言いつつ自分がいちばん狼狽えていたことを暴露される日笠。
ライブ2012のゲームコーナーの話もすこし。四字熟語といえば、やぱり翼さんの『風林火山』。
誰が言ったか『次はアイドル活動とか?』の直後、おそらく客席のほとんどの目は、ピンクい人に注がれていたのだろう。
キャストがそれぞれ、殴っただの殴られただの敵対していただの嫌いだっただの言い合っていて、こういう関係性の変化を積み重ねて楽しめる、長いコンテンツになったんだなと感慨も。
「やっぱり、愛ですよね」のフリに乗り損ねた日笠はおいしすぎてもう。
BDが発売されたときに、しっかり編集点で切られていたらそれはそれでほんとおいしいよなぁ、とよこしまな考えも。
シンフォギアはほんとうに、長く続くコンテンツになった。まだ終わらない。キャストの愛が、スタッフの愛が、適合者の愛が、武道館を満たしていたのを、みんなが感じていた。だから、そこにあるのは笑顔だけで。
G・X!!!!
いつでも苦難受けたくてウズウズしてるまんこ野郎っす
使徒の見てる前なのにガッチリ年下に金貨三十枚でハメられ、俺もしっかりたぎってる
こんな親父の扱いもイスカリお手の物、マタイのガタイがちらちら目に入る、
続けざまに晩餐のメインディッシュにされちまった俺の身体よ
通行人に見られながら丘の上まで達しちまったが、そこで百卒長にバトンタッチ
生でロンギヌスは初めてだから不安だったけど考える間もなくピストン始まって
兄貴の槍さばき、超絶テクで俺も声を漏らす、「ジーザス!ジーザス!」
十字架にしっかり打ち付けられて、リバもできねえけど大満足
血が流れちまったがそんなの問題じゃない
3日後の復活のときにまた会う約束をして俺はゴルゴダを後にした
その時記念に貰った聖書には俺の恥ずかしい受難までしっかり載ってやがる
こいつを読み返すと思い出してまた興奮してくる
俺のバイブルだ』
シャ乱Q 結成25周年記念ライブツアー 2013 秋の乱~シハンセイキ伝説~
当時は売れてるバンドがたくさん出て来たし、
ミリオンヒットも多く(95年だけで22曲)、
そんな中でも、特に「いいわけ」は、正直「良くわからない曲」だった。
「ズルい女」、「My Babe 君が眠るまで」、
どれもメロディアスでドラマティックな展開が印象に残る曲だった。
とても100万枚売れるような曲に思えなかった。
当時小学生くらいだった僕には、
時に真に迫って息を飲んだし、
しかしそんな中でも個人的に最も印象に残ったのは、「いいわけ」だった。
つんく♂さんはライブ中かなりキレキレのダンスを見せていたが、
細かく体を揺らすダンスをした。
わかりやすく言うと、
「痙攣ダンス」のような感じに見えた。
それはある種「気持ち悪い」ダンスなんだけど、
ニューロマンティックやグラムロックの影が見えて、
曲の内容とも相まって非常に「かっこいい」ものになっていた。
当時のPVの、つんく♂さんが半裸でドアップでカッコ良く歌うイメージで、
「カッコいい男がカッコよく歌ってるカッコいい曲」としか思えてなかった。
「アアアア」と苦しそうな叫び声を上げて、クライマックスを迎えた。
「カッコつけている」姿はどこにもなかった。
そこにあったのは煮え切らない、どこにもやり場のない苦しみだった。
映像をいくつか探してみたが、似たようなパフォーマンスをしているものは見つからなかった。
非常に印象的なダンスなのに、当時のテレビを見ていた記憶にも残っていない。
僕にはわからない。
日本のビートルズは誰か、という質問にリットーミュージックの社長が「フリッパーズ・ギターだ」と確言したというニュースを見たことがある。発表した曲群に駄作が1曲もない、というのがその理由だったと思うが、実は俺もそう思う。無論フリッパーズが「バンド」なのかと言われると躊躇するところがない訳ではないが、俺の主観でも、彼らの作品には駄作がない。アルバムたった3枚で解散しちゃったけど。
しかし再度「日本のビートルズは誰か」という、どうでもいい人にとっては本当にどうでもいい質問に立ち返ってみると、リットーミュージックの社長さんは重要な観点に触れていないことに気づく。音楽のクオリティ、これはもちろん重要だが、実はビートルズをビートルズたらしめているのは、4人のキャラ立ちの凄さだ。ジョン・ポール・ジョージ・リンゴ、という4人の住み分け具合は見事だ。
例えば、ビートルズより格好いいバンドというのはいる。俺にとってはザ・クラッシュだ。特にジョー・ミック・ポールの3人が革パンで立った時の格好よさは異常。或いはビートルズより演奏が上手いバンドというのも結構いるだろう。レッド・ツェッペリンを始めとするハードロック勢やヘビメタなんかにうようよいそうだが、俺の好みでもザ・ポリスは上手かった。さらに、ビートルズより芸術的なバンドというのもいただろう。ピンク・フロイドなんかのプログレ連中もそうだろうし、最近ではレディオヘッドなんかもそれっぽいが、ブライアン・ウィルソンが神がかっていた時のビーチ・ボーイズは、俺の感覚ではビートルズよりも真に美的だったと思う。前衛的、と言い換えてもベルベット・アンダーグラウンドやフランク・ザッパがいる。ビートルズよりノれるバンド、などと言ったらそこかしこで手が挙がりそうだし、ビートルズより現代的なバンドは、という問いには答える必要もないぐらいだ。(余談だがローリング・ストーンズは実に興味深い立ち位置にいることに気づいた。いずれ考えてみよう)
ここで「しかしビートルズほどメンバーがキャラ立ちしているバンドはいない。その意味で真の日本のビートルズははっぴいえんどやYMOなのだ」なんて阿呆なことを書こうと思ってたのだが、もっと重要なことに気づいた。結局ほとんどのロックバンドがビートルズの影響を受けているのだ。格好よさや上手さや芸術性など、どの特性においてもビートルズを上回るバンドは現れたのだろうが、ビートルズほど人々の支持を得て、生活様式(a way of life)に広く深く影響を与えたバンドはいない。
例えばアメリカ人ならニルバーナは凄いとか、イギリス人ならザ・スミスは素晴らしいとか、ヘビメタ好きならメタリカは偉大だとか、ヒップホップ好きならATCQは完璧だとか、歴史家ならバディ・ホリー&ザ・クリケッツの先進性はどうなんだとか、それこそカウント・ベイシー楽団は、とかそういう話にもなりそうだが、とにかくそれらを一掃できるのが「だってビートルズほど影響与えてないんじゃん?」という一言だ。
まあだから、結局ビートルズが凄い理由は、その影響力だよね。訴求力と言い換えてもいいかも。ポールのメロディアスな名曲群はアジアを中心にいまだに根強い人気があるし、ジョンの野太い傑作群に対しては皮肉屋のイギリス人もいまだに評価せざるを得ない。そして多分3日後に世界中で同時発売される全作品のリマスター盤も売れるのでしょう。この人気・影響力がいつまで続くのかは、神のみぞ知るということだろうが、2009年9月の時点でビートルズより影響力を持ったバンドは出ていない。
ちなみに以上の話はあくまでバンドの話。影響力の話を持ち出すならバンドに限る必要はあまりない気もする。アメリカ人ならエルヴィスの影響力は強大だと言いたいだろうし、少なくともビートルズはボブ・ディランより影響力があったという結論に素直にうなづいてはくれないだろう。個人的には、それでもビートルズはその両者より影響力を持ったと思っているが、じゃあJ.S.バッハはどうなんだと言われたら平伏するしかない。
しかしバンドと、アーティスト個人とは、何かが違うのだ。もしかするとこの違いに同意してくれる人でないと、俺の考えるビートルズの本当の凄さは共有できないのかも知れない。何が違うのかと考えてみると(考えるものでもないのかも知れないが)、結局は最初に話した4人のキャラ立ちとか、そういう話になる気がする。ジョンのソロである「イマジン」と、ポール中心とはいえ4人のバンドで作った「ヘイ・ジュード」のあいだに決定的な差異を見るのは、もしかしたら単なる思い込みかも知れない。メンバーの人生のストーリーに比重を置いたロマンティックすぎる見方なのかも知れない。
それでも、一人のソロ・アーティストが助っ人を雇って作った作品と、たとえ名義上であれ、複数のアーティストが協働して作り上げた作品を同質のものだとは考えたくない。ビートルズはキャラ立ちしたソロ・アーティストが、ひとつの曲に対して、自らのアイデアをぶつけ合って作品を作り上げていくタイプのアーティストだった。本人たちの言葉によれば、スタジオでのアイデアは誰が提案したものであれ全く公平に扱われ、有効なものであれば必ず採用されたという。特に後期、そして特にジョンとポールの間ではアイデアの競争のような状態になっていたようだ。
アップルやEMIの企画次第ではあるが、将来、ビートルズの人気が落ちることもありえるだろう。しかし音楽好きの間では、彼らの音楽は愛され続ける気がする。その理由が結局、ビートルズの何が凄かったかという問いに対して、自分が最も満足できる答えでもある。つまり、曲から聞き取れるアイデアの豊かさが半端じゃない、ということだ。ビートルズは結局、アイデアが凄い。
メタリカとかのメジャーものもいいけど、ジャーマンメタルとかも好き。なんでだろ、と思って考えたのだが、なんかゲーム音楽に近いところがあると思うんだよな。ゲーム音楽って、躍動感があって、それでいてとてもメロディアスでキャッチ??だよな。だいたい色気づく前って男子はゲームに夢中だよな。それでコントローラ片手に、同時発音数の限られたピコピコした音色の中に感動を見出したりもしていたわけだ。だのになぜか旋律も曲想も貧困で、それにとってつけたような自意識過剰か自意識滅却系の歌詞がのせられた不毛な音楽を聴かないといけないような気になってくるんだよな。だから本当に辛かった。別にそんなの自己責任だけどさ、何がいいのかわからないのに、わかった振りして聴いてても、わからないものはわからないんだから他に行くしかない。でメタルとかプログレとか、かなり恥かしい遍歴を辿ることになった。今はルネサンス期の音楽がお気に入りだけど、とてもきれいな旋律が相互に複雑に絡み合っていて、聴いてると至福の気持ちになれるよ。
音楽ってBGM的に聴く人と没入的に聴く人に分かれると思う。前者は、あまり好きな言葉じゃないがリア充向けっていうか、やっぱり現世的なんだよな。後者はやっぱり疎んじられた人たち向けというか、やっぱ非現実を求めるんだよな。同じ棚にならんでいても、たぶん別物なんだと思う。だから前者と前者にそって作られた音楽を今さら全否定する気はない。けれども、それだけで世の中が覆われると後者は辛いわけで。そりゃ世の中は暗かったりつまらなかったりするよりは、明るく楽しい方がいいよ。子連れの母親とかが歩いているとそう思うよ。けれど、それは少なくても俺のもんじゃないし。勝手な言い分だがね。
とはいえ、メタルとかがださいのはさ、一言でいえば童貞くさいんだよな。そんなナイーブで扇情的な音楽に心揺さぶられてしまうのは、おぼこいってことになるんだろう。目があっただけであっちに気があるんじゃないかと気を揉むタイプ。まぁ、わかってはいるんだが、やめられん。
RYOJI & THE LAST CHORDSが、大変格好良かったのです。POTSHOT好きじゃないけどこっちは好き。あとはもちろんゆら帝。あんなに綺麗でメロディアスでなんでウンコの歌なんだ。格好良すぎる。
ポップパンクに燃えます。ラウド過ぎないロックも素敵なものです。とはいえ遡って聞く程音楽好きでもないので、最近のバンドや曲「しか」知りません。興味ないのよごめんあそばせ。趣味でも教養でもないものを知り尽くそうとしないのは、さすがに恥とは思いません。がなり声は好きですが、金切り声は苦手。シャウトは好き。酒焼け、煙草でかすれた声はセクシーです。酒飲み喫煙者が好きかと言われたらそうでもないんですが。
なんでこんなことを書いてるかっていうとさ、切ないロックは恋の味がするし、走るパンクは初恋の匂いだよねみたいな話。小難しいこと考えてないで、恋をしようとか思った。新しい恋を始めるんだ。始めたい。男の人の素敵なところを見つけよう。そんでもってその人が私のことを好きになってくれると良いな。