はてなキーワード: ボンネットとは
そこで暴走族の車バイク、通称族車のトンチキなデザインがどっから来てるかを説明しようと思う。
増田は暴走族やヤンキーじゃないがはてなー平均よりはヤンキー文化に近いってくらいだ。
それじゃあ行くぜそこんとこ夜露死苦。
まずは「google:image:族車」で画像検索してくれ。
さて全然速く走る事に頓着が無いというか速く走れない族車デザインだが、元はレースカーや街道レーサーの特徴をコピーしていた。
だがそれらの文脈を考えずに合体され、更に右翼ファッションの流入によってスピードの文脈が無くなって形だけが意味を持つようになった。
でもファッションというのはみんなそうであってWWIの塹壕戦防寒軍服がビジネスシーンでの正装になったり、ゴールドラッシュの作業着が反抗の象徴になってカジュアルで定着したり、警官の防護服がハードゲイシーンで流行してからカジュアルになったり、と元の文脈が無くなるのはヤンキー文化だけじゃない。
新聞社に使役されていたプレスライダーである。プレスは報道の意味で事件現場で報道陣がしてる腕章に書いてあったり新聞輸送のトラックに書いてあるあの「PRESS」だ。
元々、速報性が重視される新聞社で取材記事の迅速な伝達を支えていたのは伝書鳩だった。新聞社では屋上に鳩舎を設置して多数飼育しており、記者は取材の時に鳩を連れて行った。現場で記事を書いてそれを鳩の脚に括りつけて放すのである。鳩は帰巣本能でかなりの高確率で社屋屋上に帰着する。
伝書鳩は1960年代、昭和40年頃には廃れるのだが、代わって登場したのがプレスバイクだった。
ところで何で電話じゃないの?というと、電話も使われていた。だが「市外局番」が出来たのが1965年、昭和40年頃なのだ。
これがどういう事かというと、市内を超える通話では交換手を通していた。だが事件が起きると記者が押し寄せ、役所や会社でも市外通話が急増するので交換手がパンクして延々と交換待ちになってしまう。つまり通話が困難になるのだ。この為に警察は早くから警察電話という専用線を整備していた。
プレスバイクは原稿や写真フィルムを受け取って現場から新聞社、若しくは駅でリレーして列車経由で社へと迅速、というか猛烈な速度で運んでいた。
そもそも当時のバイク乗りっていうのは不良である。そんな不良が、新聞記者、これも当時はブンヤで柄が悪く反体制的な気骨がないと務まらない職だった、そのブンヤに使役されて街道レーサーのような危険運転でぶっ飛ばしていた訳だ。勿論公道最速である。
こういう公共性と不良的な特性の硬派な組み合わせというのは今でも映画のモチーフになるし、憧れを産む。
という訳で、以下のようなプレスライダーの特徴が族車に取り入れられ、やがてスピードの象徴から遊離していく。
族車バイクはパイプハンドルを思い切り絞って手前側に持ってきたデザインが特徴だが、これはプレスライダーが上向きハンドルにしていたのに由来する。自転車と同じく、パイプハンドルでは固定ネジを緩めるだけでハンドルの角度を変えられる。
プレスライダーは渋滞では足をついて右に左へとすり抜けをするので、上体が起こせて視界が良く、車体を傾けてもハンドルが遠くならないアップハンドルにしていた。
プレスライダーは上記の通り足をついて渋滞すり抜けをするので、足つきが良くなるようにシートの「あんこ抜き」をしていた。着座部分のシートのスポンジを削って取ってしまう加工である。今でも背が低いバイク乗りはこの加工をする。
すると前後方向にも段が出来てニーグリップ(両足でタンクを強く挟むこと)しなくても前後に安定するという効果も出る。
族車はこれを大げさにして後ろに更に段を増やしたシートに交換したり、更にハーレーなどのシシーバーと合体した長い背もたれに繋がるデザインの三段シートになっていった。というか、ヤンキー相手の商材扱う会社が段々過激化していったのが原因だな。
プレスライダーは仕事なので冬でも走る。そこで後付けの風防を付けていた。元々実用品なのでカッコいいもんじゃない。
だがそれが「硬派」の記号となって族車に取り入れられた。
今やってる会社は無いが、昭和後期まで社用車というのは鉄製前部バンパー角に小さな掲揚ポールを付けて社旗を掲げて走るのが多かった。今は歩行者安全の為に前方に突起物を付けるのは車両法で禁止であり、宮内庁の御料車や総理大臣車以外はやっていない。
プレスバイクも新聞社の庸車なので前輪に垂直ポールを立てて「PRESS」のペナント(三角旗)を、更に四角い社旗も併掲するケースもあった。とんでもないスピード違反してても(プレスライダーは常に速度違反)警察はPRESS旗と社旗を認めると取締りしなかった。
暴走族の前身はカミナリ族じゃなくて街道レーサーのチーム(イニDの赤城レッドサンズみたいなの)なのだが、このスタイルが真似されてチームの旗をつけるという形になる。
これが1980年頃から「硬派」の文脈が右翼ファッションに転じた。この右翼とは1960年代の全共闘運動に対抗した新右翼で、80年頃には軍服着て国防色街宣車で軍歌を流し、軍旗である旭日旗を掲揚するという軍国主義憧憬路線が確立されていた。
ところでこの旭日旗は「プレスライダーのまね」路線ですでに族ファッションの中にあった。それは朝日新聞の社章でお馴染みだったのである。
故に既存のプレスバイクの社旗模倣の上に右翼ファッションの軍国標榜が自然な流れで合わさる形となった。
前輪の掲揚竿は大きさが制限されるので、大きい旗を後部に付けたり、二人乗りの後部乗員が手持ちするようになったのである。
この名残で、旗が付いていない棒を前輪から斜め前に突き出している族車もある。
同様の理由でタンクへの塗装や服のプリントへと波及していく形になった。
こんな風に族車デザインに過大な影響を与えたプレスバイクだが、盛者必衰で1980年代になると衰退して報道の現場から消えて行ってしまう。
置き換わったのは出先で使えないFAXじゃなくて無線と自動車電話だった。どっちも大きくて自動車必須で、汽車+バイクから自動車に置き換わったのだ。両方とも無線兵みたいな箱を担いで運用する。
それで職にあぶれたプレスライダーが流れた先は2つあって、一つは競馬/競艇新聞の運搬。予想欄の関係でレース当日に入稿されるので印刷所の前に多数のバイクを並べて待つ。刷り上がった新聞をバイクの後ろに括りつけて馬券売り場や競馬場の売店に急いで持って行くのである。
ただこれはレースが日曜しかやってないから臨時バイトの面が強い。
もう一つがバイク便で、オフィスを回って営業する。NYの自転車メッセンジャー便のバイク版だ。
こういう経緯なので初期のバイク便はプレスライダーと呼ばれていた。FAXが普及してもサンプル品の急送とか木型(鋳造で使う型)とか需要は多くあったが、白ナンバーの違法操業のところが多かった。
中にはちゃんと法人成りして営業免許を取り緑ナンバーにして特殊分野でのニッチを獲得したり、後に医薬検体輸送→検査会社と進化して自治体の出資を受けて三セク化したところなどもある。街道レーサー崩れからの地道なステップアップ人生であるな。
これは画像を見てもらった方が早い。こういうの暴走族で走ってるやろ? https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/26/Nissan_Silvia_Silhouette_Formula_001.JPG
量産車のガワだけを使って、中はエンジンも足回りもフレームも全部変えていいよという規定のレース車区分だ。シルエットだけ市販車で中は純粋レースカーなので「シルエットフォーミュラ」という。
これは日本では御殿場の富士スピードウェイと筑波サーキットでレースが開催されていた。
特に富士スピードウェイでは「富士グランチャンピオンレース」というシリーズレース(全戦富士SWでの開催)が人気を博していた。走っていたのはルマン24時間みたいな形のレースカーだった。
このレースの前座としてシルエットフォーミュラが開催されていて、こっちは街で見かける市販車ベースで無茶な改造がされているのでこっちも大人気、更に自分の車を同じように改造するのが流行したのだ。
族車で出っ歯にするのはこのシルエットフォーミュラの真似を大げさにしたものなんである。
更に初日の出暴走を「グラチャン」という理由も判ったかと思う。シルエットフォーミュラ風の改造をして富士山の方、即ち富士スピードウェイがある御殿場方面に東名高速を走っていくからグラチャンなんであるな。
因みにあの出っ歯は貧乏暴走族などではベニヤ等で手作りしてあり、強度が低いのでボンネット辺りから針金で吊ってある。
そんなヤワな造りのものが走行風に耐えられる訳もなく、ほぼ必ず途中ではがれて取れてしまう。または出発地近所の踏切でぶつけて引っかかってしまい、電車が来たら危ないので周りのおじさんや善男善女に助けてもらって出っ歯を踏切から撤去してもらい、「危ないよ~」とか言われてるのである。出っ歯も手作りで温かみがある上に重ねて温かみのあるエピソードである。ハリボテエレジーの如き侘び寂びの趣きだ。
で、出っ歯が無い普通の車として他の族車と一緒に東名を走っていくと、途中で交通機動隊が集中取締りをやっていてFRPの高級出っ歯車は皆とっ捕まってしまうが、手作りシルエットの方はなにしろ普通車に戻ってるからそのままスルー。
これは他の出走馬が前部倒れた後にハリボテエレジーが壊れた馬体というかダンボールを引き摺り走ってきて完走するのを彷彿とさせる。大穴である。
まだ土の方が目立つ麦畑を強風が吹き抜けるので、辺りは土埃で霞み、遠くの山の輪郭もぼんやりしている。空もうっすら黄土色。強すぎる風に、車のハンドルが取られるほど。空では時が止まったかのように鳥が浮いている。
農道をのろのろと車を走らせていると、前方からカップルらしき二人組が風にあおられながら歩いてきた。ほとんど身長差のない二人で、特に風が吹き荒れるごとに、わずかに背の低い方が相方の方へ倒れ込み、それを相方が自らもよろけながらなんとか支える。それでも歩みを止めることなくこちらに向かって歩いてくる。
こちらと距離がつまってくると、埃でぼやけていた彼らの姿がはっきりと見えてきたが、二人とも中学か高校生くらいの男子だった。キャーキャーと楽しげ叫びながら歩いているように見えるが、声は全く聴こえてこない。風が全部の音声を吹き飛ばしてしまう。
彼らとすれ違う時、ぎりぎりまで道の端まで車を寄せ、元々徐行だったのを更に速度を落とした。もつれ合うようにして歩いてくる彼らが二人まとめてボンネットに倒れ込んでくるのを回避するためだ。
すれ違う時も、彼らは無声映画のようで、聴こえるのは風の吹き荒ぶ音ばかりだった。窓の外に見える彼らの表情は楽しそうだ。大人には迷惑なだけのこの嵐も、彼らにはただのイベントでしかない模様。
経費削減&そろそろ寿命なのでセカンドカーで使っていたオンボロの軽自動車を処分することにした。
買い替えではないので下取りとか気にしなくていいし、勉強も兼ねてお小遣い増やせたらいいなと思ったのだ。
車検で世話になっている整備工場では1万円で買い取ってくれるという話だったが、欲深い女なので何社か見積もりを取ることにした。
A社:せいぜい1万、ツテを当たればワンチャン2万で買取できるかも
B社:1週間以内にイエスと言ってくれれば3万で買い取る。ただめっちゃ押しが強くて怖かった
とまあピンと来ないままぼんやりしてたら某社のカーオークションやってみませんかという話が来た。
セルフ出品とやらで、色々なアングルで車の写真を撮ったりしてデータを送ると出品表が作られてオークションにかけられるらしい。
希望価格を設定し、それ以下なら断ることも可能という事でダメもとでチャレンジ。
写真撮りはポンコツ素人にはなかなか難しく、ボンネットの開け方を思い出せずに夫に泣きついたり、警告灯が消えなくてやはり夫に泣きついた。
無事に出品表が出来上がり、オークションにかけられた結果買取金額35000円となった。
手間の割に大差ねえな断るかと思ったら電話が来て、
「値上げ交渉した結果、今日中にOK出してくれれば46000円にする。10万以下の車は原則ノークレームノーリターンだから安心してくれ。」
という。まあよかろうと思い承諾。
ところが届いた契約書には買取金額35000円の表記。おおッと不穏だ。
(まあ…損にはなってないし、これで嘘こかれたら差額分は話のタネにしたろ)と思いつつ書類を完成させた。
というかここで断るとおそらく違約金がかかって大赤字になるので後に引けない。
「35000円」
やっぱりぃ?電話越しで言われたことだったから証拠残してなかったし、35000円で契約書にサインしてるしなぁ…
一応電話くれた日付くらいは表記して、こっちに非があるんだろうけどぉ…ねぇ?って感じのメールを書いた。
速攻で返事が来て、「記録が残っている。反映してなくてすまんな。差額振り込むで」
とのことだった。そして差額が振り込まれた。
結局無知な女をだまして値切りたかったのか、素でうっかりしてたのかはわからないが前者のような気がする。
youtubeも見てみるもんだ。
中華EV(日本の公道は走れない系)の分解動画を見る機会があった。
50万円は超えてるそうでまあまあ車というかピックアップトラックには見える。
注目ポイントは
朝家を出ると、右隣の鈴木さんが車のボンネットの上でうんこをしていた。
「おはようございます。いいクソですね」
うんこが車の燃料になってから、人類のトイレは車のボンネットへと移動した。
「やばっ!……増田さん!お願い!」
後ろを振り返ると左隣の田中さんの娘さんである花子さんがこちらを見ていた。
花子さんは高校2年生。少し遠方の高校に通っている為、原付バイクに乗っている。
「昨日クソ入れ忘れちゃって。でも明日の朝クソするからいいかって思ったんだけど…」
「出なかったんだね?」
「そう!だからお願い!」
幸い私は昨晩に大量のクソをしているので、今給糞する必要はない。
「よし」
「ありがとっ!」
「主人今朝クソでないっていうから……」
関西空港に降り立つドミニクとレティ。二人は過酷なミッションを終え、つかの間の休息を得るためにここへやってきたのだった。迎えに来たのは日本人の男で、カミオカと名乗る彼は、ワンダー・シビックに乗ってやってきた。その小さな車体を見て
カミオカは陽気で
「リオでの現金強奪の話は聞いてるで、ハンに紹介されたんやから大いに楽しんでもらうわ」と上機嫌だったが、狭い後部座席に押し込められた二人は少し不機嫌だった。しかし、ホテル到着後に案内された夜の道頓堀でドムとレティはその賑わいとB級グルメに舌鼓をうち、次第に心も解きほぐれていくのだった。レティは
「ブレードランナーみたいな街だ」と思うのだった。
「見せたいものがある」とカミオカは阪神高速へ車を乗り入れる。そこではS15がスカイラインがフェアレデイがRX7がランエボがインプレッサが、速度制限を無視して環状線を爆走していた。ドミニクは
「トーキョーでも見たやろ?気に入ったんならもういっちょ行こか」とカミオカは南港へと彼らをいざなう。
昼間はコンテナを牽引したトレーラーが行き交う南港は、夜になると車も人もいなくなる。そこにはあらゆるカスタムカーが路上にたむろしていて、車載のごついスピーカーからEDMが流れ男女が踊っていた。カミオカは車を停め、ドミニクとレティはシビックを降りて車を見物に行く。JDM(japan domestic market:日本国内仕様)の車が勢揃いしていて、ドミニクはかつて日産スカイラインに乗ってストリートレースに参加したある男の姿を思い出した。
BGM:https://www.youtube.com/watch?v=iuJDhFRDx9M
カミオカは一人の男をドミニクに紹介する。男はオオキと名乗り環状レーシングチームのリーダーだと名乗った。オオキの車もシビックだった。
「とにかく車体が軽いのが良いんや」とオオキは言った。
ドミニクが少し遠方に目を向けると黒塗りの高級車が集まって停車している一角が目に入る。
「あれは?」とオオキに問いかけると、彼は
「ああ、あれはVIPカーや、クラウンとかセルシオなんかをシャコタンにして乗ってる奴ら、速くないで」と言う。しかしその中にはリーダー格らしいベントレーが一台混じっていて目つきの鋭い男が車に寄りかかっている。
「すごい高級車もいるんだな」とドミニクが言うと、オオキは
「あれははタムラや、政治家に媚を売って小銭をせしめてるしょうもない奴や」と唾を吐きながら答えた。
一瞬、ドミニクはタムラと目があったが、こいつと仲間になることはないなと直感した。
「明日は京都に案内するで、車やったら大阪からはすぐやから」カミオカはそう言って二人を宿泊先のホテルへ送った。
京都。
ドミニクとレティは寺社仏閣をカミオカのシビックで巡った。後部座席の狭さに閉口しながら。しかし北大路通りのコンビニで休息していた彼らの車に
「かくまって欲しい、どこでもいいから車を出して」と飛び込んできたアジア人の女性が現れる。慌てるカミオカを尻目にハンドルを握ったドミニクは、シビックを急速発進させる。後ろには黒塗りのレクサスが追いかけてきて、そのボンネットには異様な膨らみがあり
「変なレクサスやな」とカミオカは言ったが、ターボかスーパーチャージャーをエンジンルームに無理に押し込んだせいでああなっているのだろうとレティは気付いていた。
京都の狭い路地を爆走して怪しいレクサスを撒いた彼らは、女から事情を聞き出す。彼女はアグネスといい、香港の民主活動家で、迫害を恐れ一時日本に避難していたが、中国共産党の手先が彼女を香港に連れ戻し逮捕しようとしているらしかった。仲間が手配した船で亡命するつもりだったが、移動していたその矢先に怪しい男たちから追われたということだった。
ドミニクとレティは彼女の側につくことを決める。それには車が必要だ。カミオカはオオキに協力を依頼すると京都市北部の街、修学院に良い中古車屋があると紹介された。
「好きな車を選び」フクダは言い
「税抜きで売ったるわ」とトクイは言った。
「少し値が張る車やで」とトクイは言ったが、ドミニクがデズ・パーカーに電話すると秒を待たずにトクイのスマートフォンが鳴った。彼はスマホの画面で入金が完了したことを知り
大阪府知事公邸では黒いスーツに身を包んだ男と府知事が応接室で向かい合っていた。
「それでは府知事、この件はよろしく」外国訛りのある黒スーツの男は知事に言った。
「私はあなたたちを羨ましく思っているんですよ、トップがやることに反対や批判がなければ政治はもっとうまくいく、そういう声を押しつぶすあなた達のやり方には学ぶべきことが沢山あると思っています」
黒スーツの男は
「この件が済めば人民が沢山大阪へ旅行に来るでしょう」と言った。
「中国共産党公安部の違法行為は見逃すように大阪府警に伝えろ」と命令した。
「府民に選ばれた私に越権なんてあるか」と怒りをむき出した。そして
「明日からゴミ収集の仕事に配置転換してもいいんだぞ」と言われた副知事は渋々引き下がった。
「ある女を捕まえて欲しい」
「仲間とネットワークがある、お安い御用だ」と請け負ったが
GTRにアグネスを載せハンドルを握ったドミニクは知らない街での仕事も一興だと思っていた。NSXの調子を確かめていたレティも同じだった。シビックに乗ったカミオカだけは不安で、彼はオオキに協力を依頼し
「面白そうやんか、やらしてもらうわ」と快諾を得ていたが、タムラのグループが動いていることも聞かされていた。
アグネスが乗る船は大阪市此花区の北港ヨットハーバーで待っているらしい。たかだか40kmほどのドライブだ。しかしどんな妨害が待っているのか。京都から大阪へのミッションが始まる。
/* 2021-06-10 追記:蛇足を書いたよ https://anond.hatelabo.jp/20210610200709 ) */
「洗車くらい自分でしたいけど、何から何までわからない」という人向け。
ちなみに私は洗車業界関係者ではなくただの一般人。そんな私が「だいたい失敗がない」と思う方法を書いていきます。
これ読んで「めんどくさ!」と思った人は素直に洗車機に突っ込むかガソスタで手洗いを頼んでください。
人間がお風呂入るときと同じだね? 車だけの特別なことって実はそんなにないんだ。でも、人間のお風呂とは違うだいじなポイントがふたつあるよ。
ボディの上で水滴や洗剤が蒸発して乾くと、こびりついて落としにくい跡になってしまうよ。特に水アカが厄介。なので洗車している間はなるべく車をウェットにたもっておく必要があるよ。
ボディをよく見ると細か~い傷がたくさんついている。この傷は全部、洗車する時についた傷だよ。洗車すると汚れは落ちるけど傷は増えてしまうんだ。だから、なるべく傷をつけないように洗車する方法を語っていくよ。
洗車には涼しい時間帯を選ぼう。涼しい曇りの日がベスト。暑いと作業がしんどいというのもあるけど、とにかく乾かしたくないというのが一番。
洗車する場所は、車の周りにある程度のスペースがあって、水道から水をとれるところ。まあわかるよねと。
あと、なるべく日陰を選ぼう。屋内や屋根があればベスト。理由は上と同じ、洗車中は車を乾かしたくないから。
汚れてきたなと思った時が洗車どき(ボーダーラインは人によって違うだろうけど)。その日の夜から雨が降ることがわかっていても、洗える時に洗ったほうがいいよ。
ふつうのガーデニング用のリール式でよいよ。手元でON/OFFや水量調整ができる散水ノズルがついたもの(だいたいついてる)。ホースの長さは20mくらいあるとよい。
7L~20L(車の大きさなりで)。四角い箱型バケツは洗車用具を収納しておくのに便利だよ。2個あると便利だけど、まずは1個でいい。
○個で○○○円とかの安物。奮発して高いものを買ってはいけない(理由は後述)。安物スポンジはたいてい売り場の目立たない場所に置かれているので、床に近いところを探すといいよ。
家にあるふつうの使い古しタオルでいいけど、少し厚手でよく水を吸うものがよい(旅館の手ぬぐいみたいなのは向かない)。洗車用品売り場で売ってるマイクロファイバータオルを買うなら60x30cmくらいのサイズがよい。バスタオルサイズのもあるけど、絞りにくいのでおすすめしない。
安物でよい。お店に行くとコーティング車用!とか○色の車用!とか色んな付加価値のついたカーシャンプーがたくさん売ってるけど、大した違いはない。その売場でいちばん安くて質素な容器のやつでよい。液剤が無色のやつよりは青とか緑とかの色がついてるやつのほうが量がわかりやすいよ。
本来「洗車は上から」が鉄則なのだけれど、ホイールはとりわけ汚れている場所なのでまず先に済ませちゃいます。
ホイールっていうのは車輪を横から見て内周の金属のところね。ゴムじゃないところ。黒いゴムのところはタイヤ。
まずシャワーを当ててざっくり汚れを落とす。シャワーはできるだけ水圧を上げよう!
ついでにタイヤハウス(タイヤが収まっている空間)も流しておくとよい。タイヤとボディのすき間の奥にノズルを向けて、タイヤハウスの壁や天井、裏側の部品などをぐるりと水で洗い流す。水がかかっちゃいけない部品はないから景気よくやっていいよ。
バケツにカーシャンプーをドボドボッと入れ(底から1cmくらい)、強めのシャワーを浴びせかけてよく泡立たせながら、泡がバケツからあふれてくるまで希釈する。希釈率とかは気にしないで目分量でいい。泡を落ち着かせてシャワーを繰り返すと、きめの細かい泡になるよ。
スポンジに泡をたっぷり含ませてホイールを洗う。特別なテクニックとかはなくて、目が届く&手が届く範囲の汚れを落とす。
ホイールはとても汚れているのである程度ごしごしやる必要があるけど、あんまりしゃかりきに洗わなくてもいい。簡単に落ちる汚れだけを落とすと割り切ろう。ホイールのしつこい汚れはどっちみちシャンプー+スポンジ程度では落ちないんだよね。
タイヤは、うーん、タイヤは好きずきかなー。シャワー当てて落ちる汚れだけ落ちてればまずは十分だと思う。
4本とも洗ったら水でよくすすいで終わり。拭かなくていい。濡れたままでOK(どうせこの後ボディを洗うときに水がかかりまくるから)。
ボディの洗浄手順もホイールと同じだよ。ざっと水洗い、シャンプーで本洗い、すすぎ。最後に拭き上げという工程が加わります。
車全体にすみずみまで強いシャワーを当てて、砂埃などを流してしまおう。これらを残しておくとスポンジで洗う時に小キズの原因になるよ。
シャワーの水圧はできるだけ上げてね。遠くから広い範囲にサワサワかけるんじゃなくて、シャワーのノズルをできるだけ相手に近づけて、なんだろ、スプレー塗料で色を塗るような感じ? ゆっくりとノズルを移動させながら、ボディ表面の汚れを高水圧でていねいに吹き飛ばしていくようなイメージ。
基本的にはルーフ(屋根)からだんだん下に降りてくる要領で流すんだけど、シャワーのノズルを上や横に向けないと水が届かない場所もあるよ。
ホイールに使ったシャンプーはめちゃくちゃ汚れているので捨てて、バケツをすすいでもう一度シャンプーを作る。作り方は上と同じだよ。
スポンジもホイール用とボディ用を必ず分けること! ホイールを洗ったスポンジは異物まみれだから、それでボディを洗うと傷だらけになるよ!
シャンプーの泡をスポンジにたっぷり含ませて、ルーフから順に洗っていこう。
こまめにスポンジに泡をとって、ボディが潤沢な泡まみれ状態になるようにキープしてね。スポンジは力をこめてゴシゴシこすらずに、表面を滑らせるような力加減でよいよ。なでて落ちない汚れはこすっても落ちません。傷を増やすだけだよ。
洗っていく順番はおおむね上→下になっていればあとは好みでよいよ。車の形も様々だしね。
スポンジを走らせる方向は、水平往復がいいよ。「の」の字を描くようにぐるぐると洗うと気分的には洗ってる感が出るけど、ボディラインに沿ってスポンジを動かしたほうが実は効率的。それに、洗い傷がついても一方向なら目立たないんだ。あと、スポンジは何度もゆすいでください。ルーフを洗ったらゆすぐ。ボンネットを洗ったらゆすぐ。ドア一枚洗ったらゆすぐ。こうしてやることで、スポンジに噛み込んだ異物を落としたいからだよ。
ここまで何度も洗えば洗うほど傷がつくと言ってきた。これは、スポンジやタオルが異物(砂や鉄粉)を噛むからだよ。そんなもので洗車を続けると、異物をだいじなボディにこすりつけているのと同じだ。
これはもう宿命的なことで、まったく傷をつけずに洗車する方法なんてない。そして、一度ついてしまった傷は専門業者に研磨してしもらわないと根本的に消す方法はない(逆に言えば、金を積めば消せる)。なので、スポンジとタオルは事あるごとにこまめに真水でゆすいで異物を落としながら作業を進めるしかない。
しかし、ゆすいでもゆすいでも居座り続ける異物はいる。洗車を繰り返せばそうした異物は増えていく。これは高級ムートンだろうが安物スポンジだろうが同じだよ。つまり古いスポンジ=ヤバいスポンジなのだ。なので、安物のスポンジを短いスパンでばんばん取り替えるのが最適解だと私は思っている。
お払い箱のスポンジはホイール洗い用に降格するとか、家で別な用途に使うとかしてちょんまげ。
高いムートン買っちゃった人。残念だけどしまっといてください。やわらかくてフサフサで高級感もあるけど、あんなに毛が多くて毛足が長かったら「異物さんお入り下さ~い」って言ってるみたいなもんよ?
水で泡を洗い流す。隅々までね。
洗車中はなるべくボディの水分を切らさないようにと言ってきたけれど、いよいよ水分を拭き取るよ。
タオルを2枚用意したほうが効率がいい。水拭き用と、乾拭き用。
水拭き用のタオルは一度濡らしてから固く絞り、こいつでどんどん水滴を拭き取っていこう。屋根から順に、ホイールは最後。タオルは拭き取った水分ですぐにジュクジュクになるので、こまめによく絞る。あと、こまめにゆすぐ(異物対策)。
水拭きしたらすかさず乾いたタオルで乾拭き。どのくらい「すかさず」かというと、両手にタオルを持って、左手で水拭きしたら右手で乾拭き、というくらいのタイム感。とにかく水道水に蒸発するスキを与えない。ここは手際の良さが勝負だよ。
ホイールまで拭き上げたら洗車は終わりだ。洗って流して拭く、要約すればこれだけのことだけど、作業のイメージがしやすいようにちょっと詳しく書いた。慣れない人だと小一時間はかかると思う。
仕上がった車を眺めてみると、まだあちこち汚れているところが見つかると思う。それは洗い残しかもしれないし、日常の洗車では本質的に洗い落とせない汚れなのかもしれない。それは次の洗車で確認してみてほしい。
私の所はそんなに降ってるは降ってるけど積もってない感じで、
あまりの寒さに
街中を車で走ってると
ヘイリーベネットやボンネットとか屋根とかにどっさり雪の積もった車を見かけるから
どこからやってきたの?
おもさげねぇ~よー来なさったっていって、
アメリカとかでやってる子どもがレモネードを売る商魂たくましい気持ちだけを見習いたいぐらいに
労いたい人がネギ嫌いの人だったら勘弁!
ノーサンキューよ。
ネギが刺さってるんだもん!
ストローがわりにして飲んで欲しい反面
ネギの風味も味わえるところがまた通なのよ。
まあ私の甘酒ドライブスルー形式の店舗にネギは真似しなくて良いんだけど、
そのアメリカのちびっ子がやる商魂たくましいレモネードの販売の魂は分かって欲しいわ。
年末にそんな話をしに来たんじゃないんだけど
私は、
パチパチパチ!
そうわよ!暇わよ!って
やまかしーわーい!
私だってダイハードのブルースウィリスさんか小峠さんばりに「なんて日だ!」って言いたいものよ。
暇じゃないの!
盛りだくさんすぎて鼻血出るわ。
ちなみにあと倒すメトロイドが1桁台になりました!
パチパチパチ!
あとさ、
こんばんは!って言われたけど誰か分からなかったわ。
きっと銭湯で会ったんだろうけど、
覚えてないわ。
割と顔分からなくても、
私みたいにシュッとしてスタイルのいい人はあんまり逆に言うと特徴が無いから
声と体型認識が使えないのよ。
はて?誰だったっけ?って思いながらも
話し合わせられるところが私の特技でもあるのよね。
そこは適当にあわせて、
サウナから出て誰だっけ?って思ってもやっぱり思い出せないのよねー。
銭湯以外のところで会うとハッとお互いなって挨拶しちゃったりするから不思議よね。
私は目の悪いふりをして、
サウナを出たり入ったりしたいところよ。
さて私は
銭湯行って豚スペアリブ煮て豚スペアリブちゃんこ鍋スープ作るわ!
では良い年越しを!
うふふ。
玉子焼きは上手く上手に美味しく焼けないのでちょっと失敗したけど
味は大成功よ!
シスター!シスター!形は変だけど美味しい玉子焼きが焼けました!って
お好みでお醤油さしてもいいわよ。
ってもうお吸い物レヴェル!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
この間書いた増田が伸びた。
炎上方向で。
しかも、こちらが言おうとしていたことは関係なしに、ちょっとした言葉の揚げ足を取って一方的に悪者扱いされた。
ほんの一握りの人は、言わんとすることは正しい。とコメントしてくれたけど、そんなんで炎上の勢いは止まらなかった。
それで思い出したのが、小学校の時、学校に来る途中で猫を拾ってきた友達の話だ。
そいつは拾ってきたにも関わらず、自分では飼えないから俺に飼えと言ってきた。
猫は好きだがもちろん我が家でも飼えない。
だから「自分で飼えもしないのに拾ってくるのは無責任ではないか」と言い返した。
そいつは自分のしたことを棚に上げて、俺のことを人でなし扱いしてきた。
「あのままなら死んでたかもしれない」「なんとかしようと考えるのが普通だ」「親に相談もしないで断るお前のほうが人でなしだ」
人でなし認定はあっという間にクラス全員に広がり、全員から止めどない罵声が投げつけられた。
「そんなことは言っていない。ただ、家では飼えないといいたいだけだ」
その時の猫がどうなったのかは覚えていない。
大騒ぎの教室に先生が入ってきて、大泣きをしている自分を教室から連れ出したところで記憶は止まっている。
炎上した増田の真意を伝えようと、どれだけ追記しても(改変は違う気がしたのでしなかった)一度ベクトルが否定に向くと誰一人としてその意図を汲んでくれようとはしなかった。
そりゃそうか。これだけ炎上している内容に正論を書いたところで火消しどころか火傷しかねない。
20年ぶりに酸っぱい記憶が蘇ってしばらくの間、嗚咽とゲップが交互に止まらなくなってしまった。
ある日一人で遊んでいた時の話だ。
声の方に行くと、なんと目の前で子犬が車に轢かれていたのだ。
幸いにも軽く乗っかられた程度、子犬は意識があり弱々しく泣いていた。
便をしているときに轢かれたのか、出血はなかったが、便をタイヤで轢いたあとが道路に点々と伸びていた。
小学生だった自分には、この犬を病院に連れて行ってあげるお金も行動力もない。
しかし、何を思ったか、そのときはこの犬を轢いた人なら、車もあるし経済力もあるし、病院に連れて行ってくれるだろうと思ったのだ。
心優しい大人が、たまたま子犬を傷つけてしまったことに気づいていないだけだと考えてしまったのだ。
早くなんとかしなきゃいけない一心で、家に戻るよりもそのほうが早いと考えて、子犬を抱えたままタイヤの跡を追いかけ始めてしまった。
そうして何軒目かにタイヤに便のついた、ボンネットがまだ温かい黒いセダンが止まっていた。
急いでインターホンを鳴らす。
出てきたのは口ひげをはやした強面のおじさんだった。
ドスの利いた声で「何だよ」と一言。
しどろもどろになりながら、犬が轢かれたこと、その時の便がタイヤについていたこと、自分はお金がなくて、車を運転している大人ならなんとかしてくれると思ったことを早口に伝えた。
しかし、そのおじさんは一言。「知らねえよ」とだけいうと、ドアをバタンと閉じてしまった。
その時はじめて、自分は間違ったことをしたのかもしれないと思った。
もしかしてと少しの希望にすがりたい一心で振り向いた自分に浴びせられた言葉はより絶望に突き落とすものだった。
「お前、公園にいたガキだろ。顔は覚えたからな。親に余計なこと言ったらどうなっても知らねえぞ。」
子犬は両手の中で苦しそうに寝息を立てていた。
泣きながら走って家に帰ると、玄関から母親を大声で呼びつけた。
何事かと走って出てきた母の顔が、手のひらの子犬を見てあからさまにこわばる。
嗚咽とゲップを繰り返しながら事情を説明するも、母の眉間のシワは深くなっていく一方だった。
最後に声を振り絞って、「この犬、うちで飼ってもいいかな?」と尋ねる。
それには答えず、「とりあえず動物病院に行きましょう。」と母。
そうしてどれくらいの時間が過ぎただろう。
ニッコリとした顔で、「お医者さんが大切に面倒を見てくれるそうよ。」とだけいうと、こちらの返答を待たずにそそくさと病院から出るように促された。
帰りの車内、母親はしきりにそのほうが子犬にとって幸せだとまるで言い聞かせるように同じ話を繰り返していた。
その時、うちでは絶対に動物を飼うことはできないのだと、子供ながらに悟った。
大げさな話をすれば、今の自分では命を救うことはできないと悟ったのだ。
そんな機会すら与えられず、自分は人でなしの烙印を押されたまま小学校生活を過ごすことになった。
今更どうせもう誰も覚えていないだろう。もはやこんな記憶は自分を苦しめる以外に何の役にもたちようがない。
まさかそんなことを増田の炎上で思い出すことになるとは思わなかった。
その時の出来事は忘れていても、その時の大人や同級生に対する嫌悪感は忘れることすらできずにべっとりとこびりついていたのだろう。
俺は運転するのは好きじゃないけどクルマを眺めるのは好きなんだぜ。
街中ですれ違うたびに惚れ惚れと見ていたもんだよ。
いまの4代目はキャビンとボンネットの境目がへこんでいるせいで三角形が崩れていて好きじゃないな。
あとはレクサスも好きだぜ。
うーん、たまんねえな。
レクサスが全般的に好きなのはスピンドルグリルが好きだからなんだよな。
パッと見てレクサスだって分かるし、完全にブランドのアイデンティティになってるよな。
没個性ではなく、奇を衒いすぎもしない、絶妙なデザインだと思うよ。
そしてマツダ。
その代表格がワールド・カー・デザイン・オブ・ザ・イヤーにも輝いた「MAZDA3」だよな。
マツダはこれまで「RX-VISION」や「魁CONCEPT」っていうクソ美しいコンセプトカーを発表していたんだけど、
MAZDA3はまさにそれらを商品レベルにまで落とし込んだって感じだよな。
ドアに流れる陰影がめちゃくちゃ綺麗なのと、
いやあシンプルに美しすぎるだろ。