はてなキーワード: ホールとは
何度も食べているが表面に北海道の形が刻印(?)されていることに今更気づく。
1ホール2500円くらいのチーズケーキとの違いはそれほど大きくない。
でも、その「さほど大きくはない違い」に価値を見出す人は多い。
その違いとは、ある人にとってはブランドであったりする。
同じ服、カバンでもブランドの刻印が入るだけでその価値は大きく変わる。
ある人はスペックに重きを置く。
その人が実際には64のスペックを必要としていなかったとしても、
ある商品の、主たる機能は「その違い」のあるなしによってほぼ変化しない。
が「その違い」のあるなしによって、そのものの評価は(ある人々にとって)大きく変動する。
というかその付加価値こそがそのものの本質であると誤認し、ありがたがる。
もちろんすべての「違い」はお金として換算されるので対価を払えない者にとっては無縁のものとなる。
しかし、手に入らなければ手に入らないほど執着するのが人間なのかもしれない。
それと同時にそれまであった推しへの愛情がするすると消え去っててしまった。
ピアスがきらいなわけじゃない。
なのになぜ。
それを聞いて、まじでふざけんな。
とイライラしたけどそういうやつだから仕方ないとなかったことにした。
なのに、突然ピアスを開けた。
好きなキャラに憧れて。
中学生でもねーのに。
あんなにも好きだったのに。
顔はタイプじゃないし、アホな子きらいなはずなのにワードセンスと笑顔とダンススキルに惚れ込んでダメなところにイライラもしながら好きという感情だけで全部が愛おしくてたまらなかったのに。
ピアスを開けた。
ただそれだけで好きじゃなくなるなんて。
冷める時って一瞬すぎるね。
好きじゃなくなったら、色々許せなくなって、みるだけでイライラしちゃったりして。
君を推す生活とはお別れするよ。
君を全力で推せて楽しかったよ。
私も大昔ストーカーされたことあるけども、私と結婚前提だって思って、そう周囲に言いふらしていた。
ある時、バイト仲間から「〇〇さんと婚約してるんだってね」って言われて、めちゃくちゃ驚いた。
初めて誰かがそう言いふらしていることを知った。
〇〇さんって誰?って聞いて、そのストーカーを初めて認識した。
本当になんにも印象に残らないような人だった。
婚約どころか付き合ってもないし、本当に知らない人だって言っても、周囲は私が恥ずかしかって、他人のふりをしているって思い込んでいた。
一旦顔を認識したら、バイト帰りにも最寄り家の駅でも見かけることに気がついた。
本当に話したこともない。
集団面接で挨拶した人の中に、そんな顔の人がいたようなレベル。
バイト先に相談しても、「先週デートしたって聞いたよ。意外な組み合わせだけど、恥ずかしがらなくていいよ〜!」みたいな扱いで、誰も本気に取ってくれない。
そして、どこにでも現れるけれど、声もかけてこない。
実害はないのが、また最悪だった。
めちゃくちゃ悩んだし怖かった。
突然、インターホン鳴らされた時は殺されると思った。
色々あって、最終的に傷害事件になった。私は全治半年の大怪我をした。
友達のツテで怖い人専門の弁護士さんにお願いすることができて、なんとか終わらせることができた。
もう十数年前の話だけど、いまでも怖い。
そして、私のことを“婚約相手を振って逆上させたビッチ”だって思っている人がいる。
でも、本当に、最後の最後まで、そのストーカーとは、一度も、話したことなかった。
そんな話。
音楽が消えろという話ではない。
現在の音楽を取り巻く色々なものが一度壊れてしまえば良いんじゃね?という話。
AIが~
ライブが~
配信が~
なんか色々あるけど音楽は消えないでしょ。
どんなことになっても歌うし音を奏でる人はいなくならない。
好きで表現する人は続けるよ。
バケツ叩いて箒に線張ってでもやるよ。
いや「発表会」なんだからお金払って出演させて貰ってるバンドは関係ないじゃん?
文句いってるのどんな人なんだろ?知りたい。
だまって自腹切りなよ。
プロからも聞こえてくる、ライブだけだと赤字なの!物販とか色々絡ませないと黒にならないの。
それ破綻してるじゃん。やめちゃえよ。
派手なセット建てたり演出したり確かに観てる側はすげー楽しーってなるけどさ。
最小限のセットで小、中規模ホールを年間何本もやりなよ。
近くなれば派手なセット不要じゃない?
え?それでもダメ?
やっぱり商売として成り立ってないじゃん。
聴いて欲しいんでしょ?承認(人気)して欲しいんでしょ?稼ぎたいんでしょ?
それを否定しない。おれもそう思う。
一度壊れちゃいなよ。
無理してるんだよ。
壊れても残る人は残るよ。
そこからまた始まるよ。
出すのやめちゃえよ。
え?再生数が回らないと稼げない?知られない?
そういう世の中にしちゃったの自分たちの問題でもあるんじゃね?
もう破綻してんじゃんやめちゃえよ。
約十年前に、とある4年制大学を卒業した。名を佛教大学という。
高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったことである。
なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。
普段から増田に投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。
佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士や作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立に不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である。
なんで自分がここに入学したかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学の社会学部に進むことになった。
大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。
学業は一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。
アルバイトは金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態はサークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家のコピペだったのが記憶に残ってる笑
ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。
学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークルの飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。
冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。
大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族や兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。
でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である。
当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。
そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。
入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学の卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だった。
さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。
入学式と最初のオリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗の大学だったので、そういう縁からか、知恩院の僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。
今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。
この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代の日記を参考に書いていく。
以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。
新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。
先生がそれから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。
「もういい。お前は落とすっ!!!!」
先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。
当方は、京都生まれの京都育ちである。佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。
しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事の最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。
仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。
一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだから。マナーも常識もこれから勉強すればいい。
しかしbut。自分が学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。
(貸出物品のこと)
多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨の張り紙がしてあった。
「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」
久保帯人のブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。
キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食は禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間にステージ上で寝てる人が多数いた。
いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分の認識としては……「なんでこんな貼り紙が存在するのだろう。管理者がダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。
大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学は自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。
(コピーカードのこと)
何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的なもの(ex.学内新聞の関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味の出版物だと難しいものがある。
同じ部活にいた文学部(学科は忘れた)の女の先輩が、趣味で同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミの教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。
もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷費無料で販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。
「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。
「増田君。文学活動にはね、お金が必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」
だってさ。あまりにクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑
(参考:https://tadaup.jp/702e034b1.jpg)
※度数1000のコピーカードの画像。自分も教授から借りてそのままだった笑
早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。
そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。
次
そこに古い大きいビルがいくつかあって、大きいといっても古いから高層ビルじゃないんだけど、横幅はなかなかあった
それらが取り壊されて、どうなるかと見守っていたら、平場の駐車場になるみたい。
見渡しはいいよ。駅から降りて広々開けて見えるのはいい。だけど5階以上ありそうだった旧ビルと比べて縦の密度の落差が凄い。もったいなく感じちゃう。
そしてそんな広めな駐車場が出来て、どこへ行くのかというと、別に周りに目玉になるような施設はない。
少し大きなライフとか市民ホールはあるが、それらは自前で十分な駐車場を持っている。それ以外で言うと古臭いずっとあるチェーン店の飲食店ぐらいしか残っていない。繁華街・オフィス街とはとても言えない。住宅街とも言えない微妙さ。
大規模な再開発が残りの跡地含め予定されているのか。いや希望的観測はよそう。きっとまともな建物を建てる魅力さえなく、どうせ遊ばせるならという消極的理由での駐車場だろう。
新しい大型建築が出来なくて寂れていくのか、寂れているから新しい大型建築が出来なかったのか。
…自分ではどっちか決めてかかってるけれど…。
整地中はイベント会場として食べ物フェアをやったりしてたそうだけど、駐車場になったあともそういった活用ができるのだろうか?
他にホールがあるからどうかしたのだろうか?というか、もとよりそんな話はしていない。
軽く遡るだけでもこれだけの悪行を働いているクソ企業なんだけど、こんかい西村博之を起用したことで、さらに以下の属性が追加されたよね。
サントリーは我が国にふさわしくない売国企業であり、さらには児童ポルノや陰謀論に対しても肯定的な姿勢を取る世界的にもクズでゴミで滅ぼすべき企業だという自己紹介。ここの商品を購入するということは以上に挙げた姿勢を肯定的に捉える売国奴。
ついでに言えばサントリーは芸術、文化事業に乗り出しているのは衆知の通り。国民からアルコールを利用して大金を巻き上げ、サントリーホールを建てたりサマーフェスティバルと称して演奏会などを企画している。
このような演奏会やホールを利用している芸術関係者は深く恥ずべきだし、当然この企業に依存しない体制を模索すべきである。
それをせずに演奏会に足を運んだりホールで演奏している楽団、演奏家、作曲家、すべて売国奴である。
少なくとも、この界隈が健全であれば来週以降のスケジュールはすべて空白となるはずだ。そうならないなら、特にクラシック音楽でメシを食ってる関係者は自浄作用のないゴミクズ売国奴だと自己紹介をし続けることになるだろう。
俺は『Angel Beats!』に登場する岩沢さんというキャラクターが使っていたアコギを探し続けている。
そもそも、俺がギターを始めようと思ったきっかけは、ガルデモの曲である『My song』と『一番の宝物』を弾き語りたいと思ったからだ。
劇中で使用されているものと同じ機材を所有したいと思うのは自然な流れだろう。
そういったわけで、懐かしみながらも『Angel Beats!』アニメ第3話を見返してみると、
岩沢さんの持っているアコギはヘッド形状がVの形をしているということに気が付いた。
(おそらく)名前の由来である『ゆず』の岩沢 厚治氏も愛用している事から、
『FG』シリーズのうちのどれかであることは間違いないだろうと当たりをつけた。
となると、岩沢さん本人の
しかし『FG-151』だとするとサウンドホールのインレイ(装飾)が一致しない。
『FG-151』のインレイは白い線が複数本入っているだけのシンプルなものだ。
『ロゼッタ』と呼ばれる特殊な技法の木工細工によって仕上げられていることに気付く。
これはよほど高級なモデルに違いない、もしかすると同じヤマハでも最高級のグレードである『L』シリーズかもしれない。
いやいや、最低でも定価15万円はする『L』シリーズをゴミ捨て場に捨てる人などいるのだろうか。
いや、そんな人はいないだろう。
そんな事を考えながら、
いつものように大阪日本橋のカードショップを巡っていると、ある1枚のカードが目に入った。
それは『ヴァイスシュヴァルツ』のカードだった。
マーチンをゴミ捨て場に捨てるバカがどこにいるんだよ!!!!!
教えてくれよ!!!!!
じゃあな!!!!!
ー終わりー
社会参画に至る通過儀礼としての自傷、特に思春期女性について、ボカロ歌詞、ラビットホールやら、人間なんか大嫌いやら、からふと想起する。
私が自分の容姿を卑下しトラウマトラウマと風聴するのは、ルッキズムとジェンダーバイアスに対するシニシズムである、と自己分析していたが、どちらかというとニヒリズム的かもしれないと最近思う。女性と男性の非対称性に嫌気が差し、弱みを見せる女性がモテて弱音を吐く男性がモテない古い世界を転換させたいという価値観への承認欲求、他者への不信感・不満が、この態度の根源ではありつつも、さして世は変わらないと感じながらも年老いても自傷的に耽るのは、自らの社会性への価値の毀損を厭わない虚無的な諦念所以である、と最近思った。
今の自分、ツイ垢沈黙たる自傷的な行動に対する幼稚さ、メカニズム、普遍的な欲求について類推し思索に耽る。自己価値の曖昧さや不安による試し行動は思春期的であり、これに私は虚無主義的に該当しないところである。寂しいからかまって、という凡な気持ちはもちろんあるが、最もはイベントに対する愛である。公式が今までありがとうも何もなく次のイベントの告知しかせず、蔑ろに感じた憤り、過去への執着だ。そこに対して付加的なイベントたる自傷を作ることで、イベントそのものへの関心と尊さをアピールしたい、というところか。ウェルテル効果が近しいか。そう考えると、面白みもないね。
ありがとうスプラトゥーン1。初めてのネトゲ。初めての交流、初めての彼女。ブラック企業退職から、全国の顔も見知らぬ友人を巡礼する旅。出会った人たちには様々な背景があり、半グレに手切れ金渡したことも。そんな人たちと甲子園に出て、思い出を作った。
最後に潜った。ナワバリには誰もきてくれなかった。ガチマでは有名プレーヤーとよくよくマッチした。うまく立ち回れずもやもやした。だんだん酔ってしまい、リタイア。昔はフェス丸一日プレイしたのにね。
……なんだこれ。婆やの死に目よりも涙出てきた。別れたくない。
別れたくない。
…って考える人、結構多くてビックリした。皆んながガイドラインを破ってるんだからセーフ。公式に近しい絵師がガイドラインを破ってるんだからセーフ。
[B! 著作権] ラビットホールを描いたどれくらいの絵師が初音ミクの規約を読んでいるのか調査|maoka
で、今回の件。やっぱり公式に問題視されてないんだからガイドラインには従わなくていい、って意見が人気みたいだ。著作権法的には、権利を行使できるのは権利ホルダーだけで、彼らが怒ったとき初めて著作権侵害になるのであって、スルーしてる限りでは権利侵害は発生してない。だけど、大勢に向けていちいち叱りに行くのは大変すぎるからこそ、第三者でもセーフ・アウトを判定可能にするためにガイドラインが設けられたはず。