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はてなキーワード: ホテルとは

2024-05-09

合法国で大麻吸ってみた感想

まとめるとこんな感じだった。

①吸引の際は結構咳き込む。心配されるくらい咳き込むけど、体感としては端から見るほど辛くない。

②5分くらいしたら、口の中がめちゃくちゃ渇く。渇いたときに水分がなくなるからか口の中は苦くなる。そして、身体の表面がそわそわする。強さによっては、この時点で揺れてる感じがしたり、回転してる感じがしたりして、気持ち悪くなることも。これは意識変容の最初サイン

③まずは、知覚が変容する。音が立体的に聴こえたり、色彩がビビッドに(赤と緑が強くなる気がする)なり、強さによっては少し歪む感じがすることも。そして五感有機的につながって、ひとつ体験として感じられる。

④そこまできたら、感情が昂ぶっているのを感じるだろう。そして、思考がまどろんでいく。自分が何を考えてたか忘れちゃったり、距離感覚が把握できなくなったり、腕が催眠術にかかったみたいに固定化されちゃったり、身体や足が椅子や地面と一体化しちゃったり。いわゆるストーン個人的体感として30分〜1時間くらいで落ち着く。

上記と並行して、いろいろと気がつくことがある。この体験内容はセットとセッティング(心的構えと使用環境)によって大きく変わる。バッドトリップしないためにも品質の良い大麻で、事前に偏見は取り除き、正しいセットとセッティングを整えよう。(当然、セッティングには安全環境合法的環境であることが望ましい点も含まれる)

だんだん普段生きている世界に帰ってくる。大麻では問題ないと思うが、意識変容体験であることは間違いないため、グラウンディング(心的着地感)についても気をつけよう。具体的には、黄泉がえりだ。つまり、あちらの世界彼岸からこちらの世界此岸)へ、体験を持ち帰ってくるのであって、彼岸に魂をおいてきてはいけない。グラウンディングが適切に行えるかで、体験の質は大きく変わると思う。

個人的に、マリファナ体験でよく報告されるところの「マンチー」(食欲亢進)はあまり感じられなかった。

詳しくレポートしていく。

まず、体験した国名については推奨するわけではないから敢えて伏せておく。自分で調べてくれ。

もちろん、日本では違法から吸うんじゃないぞ。合法大麻とか言って売ってる合成カンナビノイドもやめとけ。あれは信頼性の低いデザイナーズドラッグだ。最近は成分もよくわからんのが出回ってる。CBNクッキーとかまでにしておくといい。

さて、ここはとある大麻調剤薬局(ディスペンサリー)。清潔感のある店内で、店頭にはさまざまな品種マリファナが取り揃えられている。価格としては、日本円にして1,200円〜2,800円/gほど。値段が2倍以上異なるのは、品種ブランドによるためだ。

マリファナには、文化慣習として大きく2つの品種分類があるとされている。夜の使用に適していると言われるリラックス効果が高いインディカ株、感情の高ぶりや笑い上戸、しゃべり上戸になりやすいと言われるエネルギッシュなサティバ株だ。なお、この分類は最近になって実際の化学構成(ケモタイプ)とはあまり関係がないことが明らかになってきていて、あくま文化慣習的な目安だという。

ディスプレイされているさまざまな品種の前には、その効き方の目安として「意識の上昇」「多幸感」「意識の集中」「睡眠」「会話」などさまざまな効能が書かれている。私は、その中から3種類を選び、それぞれ1gずつ購入した。

ちなみに、購入したらその場でジョイントを巻いてくれた

さて、さっそく試しに吸ってみようと0.5gのジョイントを1本。同行していた友人とシェアしたので、半分の0.25gほどだろうか。火をつけてタバコと同じように吸い込んで、深く肺に入れる。

キック感がかなり強く、咳き込んでしまうわけだが、咳き込んで頭に血が上るような感覚ののち、段々と知覚が変わってくることを感じる。

まずは、口がすごく乾く。砂漠になったかと思った。あとは、少し喉が痛い。一気に吸い込みすぎたかも。喉が痛くて口が乾くから少し気持ち悪い感じがする。というか、世界が歪んできてる?酔っ払って三半規管が狂ったときみたいな、だけど意識はハッキリしてるみたいな、不思議感覚が襲ってくる。

あれ、いつからここにいるんだっけ?あれ?今何してるんだっけ?聴こえてくる音楽が、風の音が、バイクの音が、なんだかすごく立体的に、リアル以上にリアルに感じるような気がする……

気がついたときには、もうすでにストーン状態だった。

あぁ、そうだ。マリファナマリファナ。いま吸い終わったんだ。5分くらい?経ったのかな?時間はー、えぇと、うん、進んではいるみたいだね。でも、進んでるとかじゃないよ。ただ、いまここに在るだけなんだから

あぁー、完全にさっきいた場所とは違うみたいだ。いや、同じなんだけどさ。あれ、いまなに考えてたっけ?あぁ、そうだ。別の世界に来た感じっていうか。景色も随分とビビッドだし、鮮やかで、キレイだなぁ、あれ、時間って経ってるっけ?あぁ、腕が動かない。固まっちゃったみたいだ。あれ?なんか足が、足の裏が、地面が、あれ?どこから地面と足が分かれてるんだ?あれ?分かれてなくないか?一体じゃないか

身体椅子に、足が地面に根を張って、私はいつのまにか大樹になっていた。

1時間ほど経った後だろうか?だいぶ落ち着いてきて、立ち上がって歩けるくらいにはなってきた。まだ、世界は鮮やかだし、心は躍ってる。そのまま寺院観光に行ったけど、黄金に輝く仏像に、カラフルに彩られた建築が、なんだかこの世のものとは思えないほど荘厳に見えた。

上の体験記だけ読むと、ちょっと、いやかなり怖いものなのかなと思うかもしれない。たしかに、マリファナ体験の核となる意識変容体験は、認識に現れる世界をその根底から覆してしまうような、そんな衝撃があった。まさに、別次元体験といっても差し支えない。だけど、不思議と怖いものではなかった。そこには、底しれぬ一体感があり、神秘の愛に包まれるような感覚がある。

思考がまどろんでいき、幸せな気分(THCの主作用に陶酔感、多幸感が含まれる)に包まれていく。「これはあれ」といったような識別作用分別作用が弱くなっていく。だけど、不思議とそれを冷静に見つめる一つ上の自己みたいなものは保っていられる。そして、そんな変容意識体験においてしか、気がつけない「ナニカ」がそこにはあり、その「ナニカ」を受け取って日常世界に帰って来る。その体験は、さながら黄泉がえりであり、セラピューティックな気付きに溢れている。

自然の中での一服では、鳥の鳴き声、風の音、擦れる木々、すべてがハーモニーを奏でて聴いたこともないほど心地良い交響曲となっていた。

もう一つ、夜に眠る前に吸ったときの話をしよう。

その日は一日観光をしてご飯も済ませたところで、23時頃だったかな。ホテルに戻ってきた。帰りに、ペットボトルに装着するかたちで使えるボング(簡易水タバコみたいな吸引器具)を買ってきた。個人的に、ジョイントでの喫煙は量の調整が難しいし、私は喫煙経験が浅いこともあって、こちらのほうがずいぶんと吸いやすく感じた。ボングの場合は喉の痛みもほとんど緩和されたし、氷水とかで試したらもっと快適そうだ。

それはさておき、ぶくぶくぶく。

もう慣れたもので、吸って5分くらいすると、口の渇き身体のソワソワ感、その直後に「完全に別のリアリティに来た」という明確なテレポート感を感じたら、トリップスタートだ。

吸って30分くらいは、やはり少し混乱するし興奮する。2mくらい先にあるペットボトルを取りに行こうとするんだけど、動けない。なんというか、水取りに行こう、あれあんな遠くにあったっけ?あれ、何しようとしてたっけ?あぁ、水だ水。あれ、手を伸ばせば伸ばすだけ遠くにあるような感じがする。あぁ、もういいや、Let it be. だ、そういう感じ。

人間の慣れとはすごいもので、こんな超越体験でも1度経験してしまえば、体感コントロールは効きやすくなる。30分も経てば、波は超えて、穏やかなチルタイムが始まる。

本当に深いリラクゼーション体験だ。

布団で横になって目を瞑ると、身体が風になって、世界の中空にただポツンと漂ってるような、そんなビジョンが浮かんでくる。ただポツンといる。そのはずなのに全く淋しい感じはしない。それは、まさに、風であるような体験だ。漂っている風はどこからか吹いてどこかへと消えていく、何かが振動し、その振動空気を伝う。自然振動は、どこかで区切られるものではなく、それは全体性の連関の中で生まれては消えていく。

風は一人ぼっちじゃない。この世界に〈私〉は一人しかいないし、実存的な〈私の世界〉は誰とも共有できない。だけど、ひとりじゃない家族、友だち、社会人間に限らずモノだったりコンピュータだったり、自然だったり、ありとあらゆる万物の関わり合いの中で、ただポツンとそこにある。そんな感覚が、ワンネスが愛そのものなんだ。

内省的で詩的なことを考えていたと思ったら、気が付いたときには朝だった。眠っていた。こんなにも熟睡できたのはいつぶりだろう、というくらい本当によく眠れた。眠りに入っていくその瞬間まで愛に満ちたまま眠れた。

もう3ヵ月以上前の話。日本に帰ってきてから無理をしてまで入手して吸いたいとは全く思わない。

あったら幸せだけど、捕まるかもとか勘繰りながら使ってたら安心してチルアウトなんてできたもんじゃいからね。それなりに異常な体験だし、セットとセッティングには気を付けたい。

いずれにしても、1回吸ったら廃人になる、気づかないうちに依存症になってるなんて類のものではない。世界でも解禁の流れは進んでるんだし、もうちょっとマトモな議論をしたほうが良いんじゃないの、とこの間のアベプラを見て思った。

anond:20240509163652

処女と飲みに行くのは簡単だよ

そっからホテル行くハードルがめちゃくちゃ高いめちゃくちゃ高い

2024-05-08

無臭マ〇コの持ち主って本当に少ないんだな

シャワーで軽くでもボディソープ使って洗いすれば誰しも無臭になると昔は思い込んでた

その後の人生で、

50人ほどの素人女性セックス経験したが、ガチ無臭マ〇コの持ち主は1人か2人しかいなかった。

洗って乾いたらもう臭い人、

洗って乾いても無臭で耐えうるけどベッドインあたりではもう臭い人、

洗って乾いてベッドインしても無臭で耐えうるけど興奮して濡れたらもう臭い人、

洗って乾いてベッドインして興奮して濡れても無臭で耐えうるけど愛液出たらもう臭い人、


上記パターンの人がほとんどだった


2人だけいた奇跡無臭マ〇コの持ち主は、こちらがチンコ突っ込み以後セックスが中盤戦にでも差しからない限り無臭だった

うち1人は、外を歩き回ってデートしたあとそのままホテルに行き、部屋に着くなりノーシャワークンニを強行したことがあったがそれでも無臭だったかビックリして絶賛してしまたことがある


なぜ大多数の一般的女性はマ〇コが臭いんだろうか

無臭彼女らと科学的にどういう理由で差がつくんだろうか


しか無臭マ〇コの女性個人的には顔より大事

無臭マ〇コは素晴らしい

もう愛おしくて愛おしくてしつこいくらクンニしまくっていたよね

ホテル旅館の「奇をてらったウェルカムドリンク」を絶滅させたい

ホテル旅館の「ウェルカムドリンク」で感動したことが一度もない。

訳のわからない、奇をてらったウェルカムドリンクを出さないでほしい。

ふつうコーヒー紅茶でいいから。

自家製ビネガードリンクとか、よくわからない薬草茶とか、本当にいらないのよ。

こっちは休養に来てるのに、ロビーに通されていきなり訳のわからないウェルカムドリンクを出されるのがストレスすぎる。

コーヒー紅茶でいい。

2024-05-07

中国に友人と二人で旅行に行った時の話

私が友人に「中国監視が厳しいらしいか発言や行動には気をつけろよ」と言ったら

「だと思ってね…」とホテルの部屋のあちこち

習近平Love」とか「中華人民共和国万歳」とか

書かれた貼り紙セロテープで張り出したんだわ

日本人平和ボケも…ここまでとは

一泊二食18600円のホテルって高い?

旅行が好きではなかったので相場がよくわからない。

旦那旅行が好きではなかったので相場がわからないが、子供が育ってきたので夏休み家族旅行に行く事にしている。

そして私が申し込むたびに高いな…って反応をする。

今年はホテルアルコールドリンク飲み放題チョコおつまみ食べ放題オールインクルーシブ温泉四つ星リゾートホテルにした。

一人一泊18600円。

ホテルのすぐ前がビーチなのと、インフィニティ温泉と、朝夕ビュッフェなので子供がいても気楽なのと、マッサージチェア卓球ダーツなども無料なのが魅力的だった。

今年も高いな…って反応だが、高いのかな、普通ホテルっていくら位のもんなのか、いつもホテルから直接申し込んでるが安く済ませる方法があるのか、よくわからん

会社PCに全データ消去の時限爆弾を仕掛けた人の話

いい区切りだったので乱文になるけど吐き出させてほしい

多少はフェイク入ってます

 

8年ほど前、まだ20代後半だった自分が今の会社中途採用された際に同時入社の同期が1人いた

自分とは歳の離れた40代後半であった同期である彼こそが後に、時限爆弾を仕掛ける人物である

 

入社した会社はその時期に基幹システム刷新を考えていたらしく

その募集システム部として採用されたのが自分とその同期であった

 

当時のシステム部の社員は2名体制で1人が60代で定年間近の上司A、もう一人は50代の上司B

2人でなんとか基幹システムの維持だけを行っている状態であった

 

会社としては基幹システム刷新以外にも社員世代交代を徐々に行っていくための採用だったと入社直後に言われた記憶がある

そのために自分と同期の年齢を分けて採用したのだとか

60代の上司A、50代の上司B、40代の同期、そして20代自分

かにそのまま行けば年齢層は順調に推移して、10単位20代採用することを繰り返せばいい感じにも思えた

しかし後のこの方針破綻することとなる

 

入社してから仕事としては60代上司Aの定年退職が控えているため、まずは稼働中の基幹システム仕様理解に日々の業務の引継ぎ

そのうえでシステム刷新とやることは山積みであった

 

 

そんな多忙業務をこなすなか同期と話すうちに彼の人柄が徐々にわかってきた

箇条書きでまとめるとこんな感じだったと思う

 

・今の会社採用される前、同じような職を転々として現在8社目であること

受託システム開発ばかりやっていたが、そろそろゆっくり仕事ができる社内SEまったり過ごしたいこと

・前職の会社では上司に切れてばっくれ退職を決めたこ

・年齢と経歴の割にプログラムが雑なこと(※これは自分視点だがそう的外れではないと思う

 

 

また、今の会社に対してのスタンスや不満が溜まってきていることも伝わってきた

 

システムを作る自分たちのチームが上で、運用するチームを下だと見下していること

・その運用チームから稼働テストの際にミスを指摘されると不機嫌になること

残業が多く、給料が少なくて不満があること

 

中々怪しい気配が漂ってきたと当時の自分は思った

 

残業に関しては、毎日という程ではないが20時頃までは働いていたと思う、遅くても21時までだったはずだ

ただこれはシステム刷新が終わるまでという明確なゴールがあったのでそれまでは申し訳ないが対応してほしいと事前に説明があったし残業代もきっちり出ていた

自分は前職が完全にブラック終電帰り、残業代なしが当たり前という環境もあったため特に問題なく仕事ができていたが同期はかなりストレスだったようだ

 

給料については会社方針として勤続給ではなく年齢給であったため同時入社であるものの同期は自分よりかなり貰っていたはずであるが、それでも不満だったようだ

 

 

そして入社1年半後、あるトラブルが発生する

トラブルといってもただ上司Bが打ち合わせ中の同期の態度について不真面目だと切れて説教したのだ

この上司Bと同期の彼は相性が悪いようで度々小さな衝突はあったが上司Bが声を荒げて説教するのは始めてのことであった。

このとき上司Aが場を納めて事なきを得たのだが

しかしこのことがきっかけで上司Bは同期に対して我慢がきかなくなったのかこの後もおよそ2ヶ月に1度のペースで業務ミスといったこから朝に挨拶をしなかったといった細かいことまで説教は続いた

 

 

この状態に嫌気が差した同期はある時を境にプライベートの予定があるからと基本残業はしなくなった

たまにどうしても必要がある際は業務命令という形で残業を依頼していたが、それでも19時くらいまでであった

しかし同期はそれもかなり不満だったらしく

残業した日は会社の最寄り駅と会社の間にあるビジネスホテルに泊まり

翌朝、ホテルの前を出勤中の社長役員の前を偶然を装ってチェックアウトして遭遇し上司Bが無茶な残業強要するせいでホテルに泊まる羽目になったとアピールするということもあったという

 

そのため、ちょくちょくシステム部にたいして過度な残業に関する指導が入っていたと後に上司Aからいたことがある

 

 

そして入社からおよそ3年が過ぎ、なんとか新システムも完成に近づいた時

このころには既に恒例行事になり始めた上司Bの説教が始まった

しかしこの時は同期も相当機嫌が悪かったのか、それとも今まで積もり積もったストレス限界だったのか、もしくは両方か分からないが

上司Bも同期もお互いに売り言葉に買い言葉収集が付かず、上司Bが一旦頭を冷やすといって席を離れた際に同期はPCを少しいじると私物をまとめ無断で早退として帰っていった

なおこの時、上司Aは有給休み自分電話応対中であったため止める者がおらず気がついたら終わっていたといっていいスピード感だった

 

そして同期は翌日、人事部退職すると電話するとその後出社することはなかった

 

 

同期の彼が使用していたPC退職の連絡があった翌日

システム作成データを取り出すために起動したがそれ以降はそのまま一度も起動することな放置という状態であった

上司Bは撤去したい様子ではあったが、ある役員から戻って来るかもしれないからとりあえずそのままにしておくようにと指示があったので触れることもしなかった

 

その後、同期の担当分を自分が引継ぎ新システム作成にとりかかるが彼の担当していた機能はなんとなく察してはいたが、かなり雑な作りな上

運用部門要望をまったく聞かなかったため、とてもリリースできる状態でないことが発覚

改めて要望に沿った形で修正をする方針で進めると彼が作成したコードで残った部分は30%も残らなかった、ほとんど作り直しと言っていいレベル

 

そしてようやく新システムが完成したこ

そのときには定年から雇用延長となっていた上司Aは区切りがついたと退職

 

会社の業績もあまり安定しない時期でもあったため追加人員採用は見送られシステム部は上司Bと自分の2名体制となった

その際に新システム作成評価されたのと2名体制で苦労をかける事情から自分課長に昇進した、4年目のことである

 

システムはその後、小さなトラブルはあるものの順調に稼働を続ける

なお小さなトラブルの大半は同期の彼が作った部分が関わっていることが多く

その度に彼が作ったコード修正され、今では機能殆どに彼のコードは残っていない

残っているのはせいぜい彼が名付けた関数名や変数名くらいである、中身はもう別物だ

 

そして6年目のある日、上司Bが突然亡くなった

腹痛を訴え病院へ、で即入院してそのまま復帰することなくという形だ

癌だったらしい

 

 

その時の会社上層部はかなり大慌てであったらしいがシステム部としては正直あまり変わりがなかった

というのも新システムを作る際に運用部門要望をほぼ取り込んだ結果

システム部の基幹システムに関する仕事ほとんどなくなったといっていいレベルとなったのだ

しかし周りはそうは思っていないらしく、システム部は1人しかいないのだから極力負担をかけないようにと各部門には通達がいったらしい

しか実態はあれだけ忙しく残業していた日々が嘘のように毎日定時で帰っても問題ないのだ

たとえシステム部が自分一人でも、だ

 

 

同期の彼が望んでいたゆっくり仕事ができる環境がここに完成していた

 

そんな中、同期のPCを残しておくよう指示を出した役員退職する時期となり

いい加減彼が使っていたPC撤去することとなった

そこで改めてPCを起動して中をいろいろ確認していったのだが、そこであることに気づく

 

システムスケジューラーに変なバッチ処理登録されていたのだ

起動回数は1回限りで未実行、起動予定はかなり過去の日付が指定されており、とっくにその日付は過ぎていた

バッチ処理の内容を詳しく見てみるとPCの全ドライブの消去コマンドが書かれていた

 

同期の嫌がらせだったらしい

 

起動予定の日付を良く確認すると彼が退職を連絡した日の翌月が指定されていた

彼の中では1か月猶予をあげた、という認識なのかもしれない

 

しかし実際は彼が退職した翌日以来、PCを起動した事はないしバッチ動作していない

まりこの嫌がらせは不発に終わったといっていい

※今回は不発だったから良いけど実際にやると損賠賠償になるから

 皆はデータ削除なんていう復讐嫌がらせはやめようね

 

このことは報告していないが、業務バッチ処理に関わる度に同期のことを思い出す

 

もし彼が残っていたら昇進したのは自分ではなく同期となり、彼の言う満足いく給料を貰えたかもしれない

(※昇進は年功序列の厳しい職場だったためその可能性が高い

もし彼が残っていたら上司Bがいなくなりストレスがない職場で彼は働けたかもしれない

もし彼が残っていたら運用部門から要請はなくなり、残業とは無縁な仕事が出来たかもしれない

 

いや最後のは無理かな

作ってたコード雑だったし、人の話聞かなかったし

 

ふと彼のその後が気になって調べてみたことがある

世間話で同期がSNSをやっていると聞いたことがあり検索してみたのだ

アカウントは知らなかったが彼の話していた世間話の内容で検索してみると意外なほど簡単に見つけることができた、アイコン自身顔写真にしており間違いないと思われた

 

最近投稿をみると彼は変わらないようで

また次(の次?)の職場残業がらみのトラブルを起こした愚痴が書いてあった

 

うちの会社退職したときの事は何を書いていたのか過去の在職期間の投稿を見てみると大半は案の定愚痴の羅列が並んでいた

そして、その連続した投稿の中で退職直後の時期に面白い投稿があった

要約するならこうだろうか

 

社内システム作っている自分に無茶ぶりばかり、データ全部消去して退職してやった

直してくれと謝罪の連絡してももう遅い、既に新しいホワイト職場まったり仕事中です

 

少し前に流行ったなろう系のタイトルのような投稿であった

彼の中でうちの会社有用スキルを持った人間無能と決めつけ追放したギルドのように写っていたらしい

 

しかし実際はデータ削除の時限爆弾は不発であったし、仮に成功していても

現在彼の書いたコードはほぼ残っていないから直してくれと依頼することもない

そして彼の新しい職場現在SNS投稿を見るに彼基準ではホワイト職場ではないと自白をしている始末だ

 

ところで実際彼に連絡した人がいたのかという話だが

自分はしていないし、上司Aもしていなかったという

上司Bは既に亡くなっているので分からないが、おそらく連絡はとらなかっただろう

 

人事部の仲のいい人と話をする機会があったので確認してみると

彼が退職の連絡をしてきた後、残っていた有給を消化したくらいのタイミング(大体1か月後)で退職に伴う書類の送付先の確認で何度か電話をしたが繋がることはなかったという

どうやら彼はこの連絡を会社から謝罪の連絡だと思っていたのかもしれない

 

SNSの最新の投稿では

ついに現在職場退職したと綴られていた

 

彼は一体何時になったら異世界転生(転職)の末、理想世界(彼の思うホワイト職場)に辿り着けるのだろうか・・・

2024-05-06

はじめてセックス(未遂)した

当方アラサー処女ゴリゴリ喪女腐女子容姿は多分中の下くらい。ぽっちゃりで誤魔化しきれなくなってきたデブ

女子校育ちで恋愛沙汰にとことん縁がなかった。そもそも自分恋愛するという意識がなかった。

転職したとか色々あって人生の実績解除を求めてマチアプ始めた。ヤったのはそこで会った人。普通に良い人だ。

普通にメッセージ重ねてデートして告白されてホテル入った。

慣れてないことを散々アピールたからすごく手加減してくれた。有難い。良い人だと思った。

それはそれとして、気持ち悪いとも感じた。

アレコレ聞いてくるのもAVかよって笑いそうだったし、キス気持ち良くはなかった。というか他人の唾液は臭い不快

生の男性器初めて見た。包茎だった。かわいいと思った。

いざって時になって相手が勃たなくて挿入はなくて終わった。アルコール入ってたからだと言ってた。私もそう思いたい。

お互い容姿に恵まれた方じゃないしなんて滑稽なんだって思った。

交際には発展したのでこれからもこういうことするんだろうな。嫌じゃないけどひたすら滑稽でキモいな。

それはそれとしてドキドキしてる自分もいる。

めんどくせーな処女

今後のこと考えたら本当にめんどくさくなってくる。あーあ。

プロパレ界隈

最近ではパレスチナ支援する人を「親パレスチナプロパレスチナプロパレ」って呼ぶらしい。

それはいいんだけど、一部のプロパレが現地への個人送金を始めている。

なんでもインスタでパレスチナ関連の発信をしていると「現地の人」から「助けてほしい。送金して」ってDMが来るんだそうだ。

それで、虐殺強制飢餓から彼らを救うつもりで送金する。

インスタのストーリー自分の口座を晒して、

「ここへ振り込んでくれたら私から送金する」って言ってる若者もいる。

誰も突っ込んでなくて「私も振り込みました!」みたいなコメントの嵐なんだけど、これ大丈夫なの?

あるプロパレが「現地の人」って言ってるアカウントプロフィールを見たら、なんか豪華なホテルで笑ってた。どういうこと?

普通にこれに乗じた詐欺あるだろうし、ましてやハマス資金源にされてたらどうするんだろう。

anond:20240506135059

GW中に東京ドームシティフードコートかいう激混み必至の場所にわざわざ子連れで出掛けておいて席がないって騒いで他人容姿をジロジロ観察して「ゆっくりしたいならホテルアフタヌーンティーに行けよ」って書くのもまあまあ毒っぽい。都内在住の人とは思えない行動。

東京ドームシティフードコート、お昼前で既に激混みな中、8人席をずっと占領してる6人の奥様方がいた。

しかも、机の上にはコーヒーの空き容量しかない。

グズる息子を抱っこしつつ、「混んでるので詰めていただけないですか?」と聞いたら「今注文してるところなんです」と返されたので、引き下がった。

するとそれを見ていた近くの席の家族連れが席を譲ってくださった。

奥様方はその後6人で1つのソフトクリームを注文しただけ。私たち食事を終えて席をたつときもまだお喋りしてた。

ハイブランドシャツ時計を身につけていて

みんな綺麗にしてたから、きっと生活水準は高い方々なんだと思う。

ゆっくりお喋りしたいなら、そういった場所を選ぶべきで、例えば近くのホテルアフタヌーンティーとか。

なんて言うか、呆れてしまって。

私も世間一般でオバサンな年齢だから、ほんと「こうなってはいけない」って思わされたわ。

ホテルにやべーやつ来たみたいな話が定期的にツイッターで流れてくるんだけど、そういうやべー客の履歴ってホテル間で実は共有されてたりするの?

2024-05-05

https://anond.hatelabo.jp/20240505193635

  お前があの部屋にいた時代

      平成30年5月14日         疲れたような感じで、メモ帳に、 あなた携帯電話番号を教えてください、後で電話しまから・・・といった疲弊した様子だった

      平成31年2月25日         入試実施されている。電話を持ち歩いている。経済学部建物の中にいるという。

      令和元年7月26日          もぐらおばさんでセーターを着ている。 冷静に話しましょう。 あー変な人が来た、といった感じ。

      令和2年7月             ROOMという名前特殊詐欺があり、おまえが、総計で40万円をもっていった。

      令和3年6月23日          ホテルプリンスに仲間の尾崎正和と一緒に出てきた。

      令和3,4年?            法務局事務員のような女性がおり、今来ても私しかいないという。

      令和5年8月22日           別の太った女性に変わっている。

ロードムービーホテルとかで休養してるシーンがないと見てて疲れてくる

anond:20240505075348

風俗も行ったしライブ見るのに小旅行もしたけど並の混雑具合だったよ

風俗は前日予約でも余裕でお目当ての子が取れたし

旅行お金を使いたくなかったか満喫での宿泊で、はなからホテルは探してもいかなったが

2024-05-04

anond:20240504175608

お二人とも X (旧Twitter)の「興味関心」項目を調べた方が良いか

 

設定とプライバシー →  プライバシー安全 → 表示するコンテンツ → 興味関心

 

ダンジョン飯にチェックが入っていたら外してみてください。トレンドに載ったダンジョン飯関連の単語クリックしたことがあるのではないでしょうか?それで X が学習してしまったのかもしれませんね(見当違いだったらごめんね)

私もオタクアカウントは持っていますダンジョン飯は一度も流れてきたことはないのですよ

参考のため書いておくと、私のXアカウント勝手に流れてくるアニメ話題

 

ゲゲゲの謎 → ブレイバーン → ハズビンホテル(?)→ コナン

 

こんな感じです。ダンジョン飯原作の人気度も知名度も高い反面、2次創作人気はあまり出なかったという印象です。ダンジョン飯関連ポストがそんなにも表示されるというのはXがお二人の趣味に合わせて勝手に選んできているのではないかと思います

今まで見たドヤで一番凄い。なんじゃこの鍵

GWインバウンド神戸ホテルも空きなし暴騰で、唯一空いてたホテル(1100円)がこの惨状でこれはもうダメかも分からん!🤤

https://twitter.com/ibukiinterpress/status/1786358248771387852

昼間からラブホに入っていくカップルがいたか

昼間からお盛んやな!って声かけしたけれど、よく見たら普通ホテルとしても使えるラブホだった。

悪いことしたかな。

デートってつまんねーじゃん

博物館とか水族館とか映画館とか遊園地とか動物園とか行った後ショッピングしてメシ食ってホテル行ってセックス

この流れしかねーじゃん

つっまんねーーーーーーーーーーー!

車でどっかでっかけて何かやってセックス

これしかねーじゃああああん

いきなり謎の忍者集団とかでてきたり

いきなり悪の手先がでてきたり

いきなりヒーローが現れて颯爽と悪をぶちのめしてくれたり

いきなり隕石が落ちてきて超能力に目覚めたり

いきなり薬を飲まされて体が縮んでしまったり

そういうシチュエーションデートねーじゃん!

結婚相手を探しています

私のスペック

相手に求めること

 (例:ちんぽのシリンダーペニシリンダー)

よろしくお願いします。

ホテルの大浴場で「ああ…気持ちいい…イッちゃう」とか漏らしてたクソガキへ

てめえのチンポ風呂上がりにギンギンなの見えてたぞ

2024-05-03

浮気相手になってしまった話

誰にも話せないのでここでアウトプットすることを許して欲しい。

事の発端はラーメン食べに行かないかって誘われたことだった。相手は3つ年上、趣味繋がりの人、恋人がいることは元々承知職場の最寄り駅で集合ねと言われ駅で待ってたら車で現れた。そこら辺でラーメン食べるんじゃないのかと驚いてたら行きたいラーメン屋が駅からいからって車で来たらしい。

車の中で恋人とその友人の悩みをずっと言ってた。1時間ぐらいかけて隣の県のラーメン屋まで来てラーメン食べた。おいしかった。遅くなるから帰り送ってくよって言われたけど申し訳ないんで方向同じところの駅まで送ってと頼んだ。

帰り道はどんな話してたのか覚えてない。なんかの愚痴を言い合ってたような気がする。はっきり覚えてるのはここから

「一緒に飲まない?」

「いつ?」

「今から

「車じゃないですか」

「家帰ってから

「さすがに飲んでたら終電なくなっちゃますし帰りますよ」

「泊まってきゃいいよ、恋人今日夜勤でいないから」

「さすがにまずいですよ」

自分の家の最寄り駅まで1本で帰れる路線駅前踏切待ちをしていた。

「飲むなら今日遅いんでまた後日にしましょ」

そう言って私はドアノブに手をかけ降りようとした。

「ガチャ」

ドアロックされた。

「帰さないよ」

目が輝いてた。野獣の眼光だった。

全てを諦めた。相手恋人とは接点ないしいざとなれば連れ込まれたことにすればいい、別に付き合ってない人間行為することに抵抗はなかった。自分も最低な人間だが相手の方がもっと最低… 自分に言い聞かせた。

「部屋汚いの思い出したかホテル行くね」

言い訳のように言われたと同時にどこか興奮してるきた。

ふっ切れた私は深夜まで背徳感と快楽に浸っていた。NTRモノのAVとか同人誌敬遠していたがどうやら実際めちゃくちゃ興奮するらしい。禁断の果実を味わってしまった。

翌朝駅まで送って貰い帰ったが、同意があったなかったで後から言われる可能性にビクビクしてる。なんかあった時悪く言われるのは男。しかし今回は女の方が悪いからと自分に言い聞かせてる。

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 4/4

https://anond.hatelabo.jp/20240502193040

終わりに~

この大学卒業してから長い時間が経った。あれから1回転職して、新卒で入った会社とは別の電子機器メーカーで働いてる。今はキーボードとか作る仕事をしている。東京神奈川オフィス工場がある会社である。もしかしたら、地下鉄なんかで増田民はてな民ニアミスしてるかもしれない。

今では佛教大学感謝してる。あの頃はいろいろ思うこともあったけど、だからこそ今の自分があるのだ。

仮に、第一志望だった同志社大学に進んでいたとしたら、きっと、ここまで努力は重ねなかった。自分に実力があると勘違いして、学業に力を入れるとか、TOEICで相応の点数を取るとか、就職活動に超力を入れるとか、そんなことはなかっただろう。

この道は、正しかった。第一志望の大学不合格でよかった。親や兄弟や親戚に不合格バカにされてよかった。だから、悔しさをバネに努力ができた。

自分は運がよかった。今ではそう思って、歩んできたこの道に感謝してる。

でも、実は後悔がひとつだけある。卒業である。実は、自分卒業式に遅刻している。その前日にアルバイト飲み会があって、就寝が遅くなった。朝起きたら卒業式開始の10分前だった。

失敗はそれだけじゃない。なんと、卒業式の最中にゲリピーブレイクになってしまい、トイレに行っている間に式が終わっていたのだ……あれはショックだった。遅刻だけならまだいい。遅刻してる学生はたくさんいた。しかし、これは……「失敗した」という思いが強かった。ずっと引きずっていた。

というわけで、先日3/18(月)に佛教大学卒業式に参加してきた。もちろん保護者である

後ろの方の席だったけど、約十年前もあんな感じだったな、としみじみした気分になった。この時はさすがに遅刻はしなかった。しかし、残念なことに……式の最中にゲリピーブレイクが再発した。

焦った。これは焦った。けれども、ここで奇跡が起こった。十年前のことを思い出したのだ。十年前の失敗は確か、最後まで我慢しようとしたのが原因だった。それで、学歌斉唱が始まったあたりで体育館和式トイレ(※洋式はない)に駆け込んだ。それで、失敗した。

式次第を読んでみる。そして、学長その他3名による卒業祝いの挨拶が長時間になると踏んだ。「よし今なら……いける!」と、その時間帯に会場を抜け出し、体育館和式トイレ(※洋式はなかった)に駆け込んだ。

会場に帰る頃には、ちょうど学歌斉唱が始まっていた。そういえば、大学の学歌ってほとんど聞いたことがない。どこの大学でもそんなものだろうか。

とにかく、卒業式は無事に終わった。終わったのだ。十年来の無念が晴れた気がした。最後プロジェクションマッピングがあって、マジでびびったわ……。

卒業式中の写真(※個人情報保護のため一部編集しています)

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ところで、式次第には学位記授与のことが書いてあった。卒業式の後、それぞれの教室学位記を受け取る儀式があるのだ。

ああ、確かこんなのあったなと思いながら、ついでに保護者枠で参加することにした。幸い、見た目は学生時代から老けている。今ではすっかり小太りのおじさんである。社内では、同輩や後輩から部長」と呼ばれることもある。保護者に見えなくはないはずだ。

卒業式の会場を出てから100席ちょっと教室に入ると、今まさに社会学部とある学科学位記授与が行われようとしていた。この時も、約十年前にあった学位記授与の記憶が蘇ってきた。

「静粛に。これで二度目だぞ、君らは最後までわからんのか!」

約十年前は、学位記授与の担当教員に怒られたんだっけ。小さい講義室で、学生たちがあまり煩いものから学位記を授与する前に怒号が鳴り響いたのだ。懐かしい。4年前の入学式でも、やはり怒号が鳴っていた笑

あとは、その日の夜にあったホテルでの謝恩会の時も、一番最後卒業代表が、ステージ上で「私がこの学校入学が決まるまで、大学受験で苦戦しました~3月最後最後まで受験を続けて、それで最後合格を掴み取ったのが、この佛教大学でした~卒業生の皆さんも~(以下覚えていない)」といった卒業記念の挨拶をしていた。が、当時の卒業諸君は大騒ぎだった。卒業代表の話なんて聞いちゃいなかった。

今では、そんなことは一切ない。みんな、小さい教室の中で静かにしている。雑談している子は1人もいない。こういうのって、なんだろうな。もしかして少子化によって選ばれし優秀な遺伝子しか世の中に存在できなくなりつつあるのか?

それはいいとして。学位記の授与では、一人ひとりが名前を呼ばれて学位記を受け取ってたんだが、やはりその……しみじみとした思いがした。自分はずっと、彼ら彼女らが教員から学位記をもらうのを眺めていた。全員が終わるまで30分以上もかかった。

最後に、学部先生挨拶をしていた。

(以下要約)

あなた達はコロナ禍の大変な時期(※2020年度)に入学してきた

入学式はなく、授業はリモートだった。学食でも黙食であり、不安も大きかったと思う

学生生活の中で、あなた達は多くの試練を突破してきたはず

社会人になってもどうかそのことを忘れずに、自信をもって働いてほしい

・いつでも大学に帰って来ていい。私たちは待っている

すべてが終わると、学生たちは粛々と立ち上がって、静かに退出しようとしていた。俺がいた頃とは大違いだ。あの頃は、絶対にみんな大騒ぎだったと思う。懐かしい。「威勢のよさ」と「常識の順守」がトレードオフになっている。そんな気がした。

※推測だが、2020年当時って、入学式オリエンテーションはないし、マスクオンで皆の顔わからないし、何より授業はリモートだし、学食でも黙食が義務だった。ということは、学生間の絆のレベルコロナ禍以前に比べて低かったのかもしれない。

ちなみに、ほかの学部学位記授与の教室もチラッと外から覗いてみたのだが、どこもいい雰囲気だった。先生学生も、熱の篭った感じで最後儀式に興じていた。特に教育とか保健とか看護学部がよかった。

卒業式の後~学内散策(※上に同じく一部編集)

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大学を出た後、近くにある千本北大路交差点で、卒業生達が「じゃあな」と言いながら別れていくのを見た。

社会人をやって十年以上が経つけど、今日という日は感慨深いものがあった。涙までは出なかったけどな。



これで結びになる。

若い頃は楽しかったってよく聞くけどさ。実際、そこまで楽しくはなかったよな。当時の日記を読み返してて感じたんだけど、「早く実力を身に付けたい」の一点張りだった。あの頃は、自分雑魚すぎて嫌だった。

「あの頃はキラキラして、いつでも輝いていた~」みたいなことは絶対なかった。あるわけねーだろ。当時の日記を参考に、あの頃の気分を一文で表すと、砂漠をうろついてるフンコロガシみたいだったよ。でっかい玉を作りたくて、己のショボい脳と身体でどこまでも足掻いていた。満たされなくて、いつも飢えていた。心が。

大学の中も、大学以外の外にある世界全体も――学業アルバイト先、恋愛とかでも、自分よりはるかに格上のヤツがいっぱいいた。劣等感が凄かった。自分が何者でもない感じがして、苦しかった。自分雑魚さ加減が嫌になったよ。そんな4年間だった。

今でも夢に見る。学生時代の下宿で、コタツ机に昔の自分が座ってる。深夜1時だというのに、アルバイトから帰った後で、TOEICの教材でリスニング勉強をしている。

なんだか寝落ちしそうな雰囲気なのだが、その度にコタツから立ち上がり、頭をそのへんの壁に打ち付けていた。一息を吐いてから、それでまた、勉強に戻る。

あきらめないでくれ……」

夢の中にいる自分には、そう応援するくらいしか手段がなかった。でも、勝手に声が出ていた。

「昔の俺よ、どうかあきらめてくれるなよ」って、そう祈っていた。そしたら、いつの間にか目が醒めていて、いつもの布団の中にいる。天井を見上げている。

でも、学生時代が楽しかたかといえば、楽しかったよ。当時は辛かったんだろうけど、でもなぜか、今になると「あの頃は楽しかった」に記憶がすり替わっている。

しかったはずの日々なのに、どうして「あの頃は楽しかった」ということになるのか? それって錯覚じゃないか? 自分自分を騙してる。なぜ、こんなことが起きる?

確信はないけど。【一所懸命】だったからじゃないか自分は忘れても、脳は覚えてる。あの頃、一生懸命に苦しんで、欲しがった何かが――今、自分の手元にあるんだって無意識はわかってる。

から、それまでの過程がぜんぶ、愛おしくて、切なくて、やり切った感があって、いい思い出として変換されるのだ。実際は辛くてしょうがなかったのに。

しかった時のことほど、楽しく思い出すことができる。反対に、楽しかった頃の記憶って、特に何も感じない。脳裏から記憶が消し飛んでいく。それだけだ。

今回、自分記憶を整理する機会に恵まれた。十年ぶりに大学卒業式に参加することができた。おそらくもう、あの大学の門をくぐることはないと思うけど、本当に運がよかった。

ありえないことだけど、昔の自分に伝えられるのなら、伝えてみたい言葉があるんだ。「諦めないでくれてありがとう」って。

セックスできるならしといた方が良いのか?

喧嘩というか一方的に罵られて嫌われたと思ってた彼女から会いたいって連絡が来た

嫌いなんじゃなくて色んな思いが積み重なって盛った言葉が出ただけで好きなのは変わらないって言われた

そん時は喧嘩の時みたいに車の中でマシンガントークが始まって帰りたくても車から降りてもらうまで帰れないと困るのでファミレスで会ってた

ファミレス出た後なんかホテル行きたそうにしてたけどそんな気にならないからそのまま別れた

また会いたいって連絡来たけど会うべきか

多分自分の中では気持ちほとんど残ってないんだけど性欲はモリモリある

からって風俗行くくらいなら彼女セックスした方がプレイ的にも金銭的にも高パフォーマンス

やっとかない理由は無いんだけどなんか気分が乗らない

とりあえずホテル行ってしまえば猿みたいにメチャクチャセックスしてどうでも良くなるのかもしれない

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