はてなキーワード: プロポーションとは
スシとは李素裳のこと。プレイヤー間のスラングだな。キャラデザがすこぶる良く、CVを担当する福圓美里氏もハマり役。
520年前の神州(作中の国で中国に相当する)の太虚剣派に属する優れた武術家の15歳だったが、とある事情でコールドスリープして目覚めたため、535歳そこそこといったところか。
だが実質15歳とは思えぬプロポーションで、茶目っ気がありながらも泰然とした達人感を漂わせる。
師であるフカを「お祖師様」と呼ぶので、その空耳でお寿司というあだ名がプレイヤー間で浸透したのかもしれない。
もちろん名前のスショウも寿司みを後押ししている。とにかくスシといえば彼女なのである。
彼女の勇姿は公式の動画を見れば一目瞭然だが、惚れ込む人がいるのも理解できるだろう。
スシ男性とは、まさしくこの弱冠535歳の剣気を操る武人少女、素裳の虜となった男性のことを指すテクニカルタームだと思われる。
この作品「崩壊3rd」は今まさにサービス6年の歳月を経て、類を見ないほどの壮大なスケールで展開してきた物語第1部を終えようとしているところだ。
素裳を含む物語も一つの幕を閉じようとしている。第2部についてはどうなるかまだ分からないが、一つ明らかなことがある。
今年4月にリリース予定のシリーズ最新作、崩壊スターレイルにも「素裳」と言う名の瓜二つの人物が登場するのだ。
ある種のパラレルワールドとして崩壊3rdの登場人物たちが同名、似た容姿、別人格で登場するこの新作によって、スシ男性たちの素裳成分摂取もより亢進されることだろう。
お分かりいただけただろうか。
変わるって
手近に15歳の女と20歳の女がいたら並べて観察してご覧
俺は別に気持ち悪い話で言ってんじゃなくて純粋な観察力の話をしているからな
胸とか腿とかの肉の付き方も違うよ
肌ももちろん違う
勿論こんなキモい差異をじっくり観察しない大雑把な男はごまんといるしそっちが多数派だと思うが
白人の方がスタイルやプロポーションがいいでしょとか言われても
ファッションモデルとしてならそうかもしれないが性欲の対象としてはまるでだめだ
尻をはじめとして肉の付き方とか肌の感じとかすげえ大雑把な感じがするんだ
差別とかじゃなくて単純に肉体的な好み
俺はたぶん多少変わってるけど
ストライクゾーンが狭い性欲の持ち主なんか男でもざらにいるし
最近のガンプラは塗装しなくても十分に色が分かれているからね。
MODELOIDなんて5000円以上するのにそこは色塗らないと原作どおりにならんじゃないかとか普通なのにバンダイのは5000円以下で塗り分けはやりたいやつがやりなってスタンスなんだから本当にすごい。
所詮はプロスチックの整形色だから塗料の上品な質感にはならないし、全部メタリックのギラギラした感じにしたいことだってあるし、
エアブラシでやるのか筆で塗るのか、その方法についても模索していく過程がまた楽しい。
色塗るっていうのはプラモデルの一つの側面でしかなくて、稼働を改善してみたり、プロポーションを変えてみたり、デティールに拘ってみたり、光らせてみたり、自分のオリジナルデザインを実現したり…
ちゃんと作れば数万〜十数万ぐらいの現金に化けたりするしね、まぁ、作ったものを売るのは作る過程のみを楽しむタイプの人だけなんでしょうけど。
入り口は入りやすく、もともとの模型製作が持っている奥深さに入ることも十分に出来る、
やっぱりガンプラは最高の娯楽だよ。
ハマった作品のせいで二次創作込の女性向けBL(R-18込)から男性向け全年齢&R-18に引っ越ししてからの周囲の変化
備忘録代わり。
良かった所
なんだったの?ってぐらい消えた、何も来ねえ。
これが一番びっくりした。男性向けってジャンル毎に垢変えなくていいんだよね
元いた所だとそのジャンルの垢で別の作品の絵流すとなんかたまに毒マロ送られてきてたんだよね
今冷静に考えると私悪く無さすぎてムカついて来たな。
これはなにがどう、というわけではなく全体的な話。
純粋に男性向けは値段が高い、同人も1ページあたりの値段が高い。
コミッションも4桁にしてるとガンガン入って納期地獄になるから5桁に上げたぐらい。
最初は男性の方が収入高いからかなって思ってたけどフォロワーとかの動向見てると
多分これ手をつけちゃいけない金のラインが女性と男性比べて男性のほうがハードルめっちゃ低いんだ。
個人レベルの争いはどこでもあるけど作品の解釈でバチって空リプ投げ合うとかがない
同担拒否とかリバがどうとかなんもない、なんならリバ書いてる人でも普通にいいねしてくる。
何書いても心のどこかで叩かれたらどうしよみたいなのがない。
女性向け作品ってそもそも前提知識がないと作品を掘る事すら難しいのだけど、それこそpixiv全文検索の使いこなし方とかね
人気ある絵柄みたいなのもすぐ分かるからトレンドつかむのも楽。
悪かった、個人的に駄目だと思う点
最初は堪えた、本当にきつかった。
今は慣れました。
良かった点にも入れたけど同じぐらい良くないと思うからこっちにも入れる
荒っぽいというのが個人的には一番しっくりくるんだけど、いわゆる繊細な人への配慮みたいなのが一切ない
昔女性向けの方角から男性向け見てて繊細な人生きづらそうだなあって思ってたけど
これ繊細な人はそもそも全員死んでて荒っぽい人しか作り手と受け手に残ってないんだなと自己解釈した。
追記;
毒マロとちんこどっちがマシかと言われるとちんこですね(個人の感想です)
ちんこは頻度少ないのもあるけど毒マロは優しいマロの最中に仕込まれてるので
ダメージが倍増します。あとtwitterなら通報しとけばBANされるし。
少なくとも私は女性向けやってた頃と比較してストレスは減りましたね。
追記2;
>あの、絵柄をどう変えたのかとか…そういう部分すごい面白そうで興味があるので気が向いたら書いてよ…
目に入ったので・・・
まず男性はキモい男書く練習しましたね、これは純粋に自分の絵柄広がる感じがあって面白かった。
あと女の子は最初の方は普通に書いてからツールでおしりの大きさを2倍乳を3倍に拡大して調整してました。
その乳に合わせてふともも太らせて腰もでかくしたり…。
どう頑張っても不自然になる時は乳と尻の大きさを小さくするか身長を伸ばしてた。
これで仕上げると本当にプロポーションが歪になるんだけど、男性向けの海に絵を投げると全然違和感なくて最初は不思議だったなあ。
この世にありふれている悲劇とわかっている出来事でも、いざ自分の身に降りかかると、気持ちの整理に時間がかかるもので。
先日、自分が推していたコンカフェキャストが卒業した。コンカフェというものに初めて訪れて、初対面で気に入ったキャストだったので、今後その娘以上に特別な存在は現れないだろうと思えるほど、素敵なキャストだった。自分にとってのコンカフェとは、その娘のいる空間のことだった。
喪失の悲しみと向き合うために、今の自分の感情を整理する必要があると思い、コンカフェに通う中であった悲喜交々を文章としてアウトプットすることにした。取るにたらないオタクの身辺雑記でしかないが、今コンカフェに推しがいるヒト、推しの卒業が迫っているヒトにとっての一つの導になれば良いなと思う。
元々コンカフェというものに興味があって、職場の同僚と飲んだ後に、「一度寄ってみたいんだ」と誘い、とりあえず最寄りの評価が高そうな店を訪れたのがきっかけだった。前提知識がない状態で入店し、そこでたくさんお話をしてくれたのが推しだった。
推しの魅力はなんといっても人間離れした美しい顔立ちとプロポーション、そしてコンカフェ嬢らしからぬ素朴さにあるのだが、これは万の言葉を尽くしても伝え切れるものではないので置いておく。
推しと出会ってから卒業までの1年と数ヶ月、ほとんど欠かすことなく通い続け、多い時では週に4〜5回行っていたこともあった。店が帰路の途上にあるのでアクセスが良く、推しの出勤日は帰宅時に必ず寄るようにしていた。
仕事の疲れや日々の嫌気は、推しと接することで解消され、明日への活力になった。推しと出会ってから仕事のパフォーマンスも向上した実感がある。職場でも、コンカフェに通っていてこんなに可愛い推しがいるんだと喧伝していたので、良いイジられのネタにもなって、コミュニケーションも活性化した。「今日は推しの出勤日なので」といえば、残業も切り上げられ、飲みに誘われることもなかった。コンカフェに通っている間は、私生活にも良い影響が多分に出ていて、「推しは精神安定剤」とはよく言ったものだと実感した。
それくらい、自分の日常の中に推しは溶け込み、なくてはならない存在になっていた。一年という期間は、推し活としては恐らく長いものではないのだろうが、ヒト一人の生活を変えるには充分な期間といえる。
推しのおかげで、自分の人生は間違いなく好転した。そのことについては、ただただ感謝したい。
ここからは少し愚痴っぽい話になる。推しは素晴らしいという前提は当然のものとして、コンカフェというシステム上、どうしてもつきまとう歯痒さというものがあって、これはいくらか共感を得られるのではなかろうかと思っている。
前述の通り、自分は推しの出勤日には必ず店に行くようにしていて、所謂全通オタク状態だった。滞在時間も大体2時間程度で、顔出しだけして帰るということは極力ないようにしていた。それは推しへの目配せとかではなく、単純に自分が少しでも長く多く、推しを見ていたかっただけだから、必然そうなってしまったのだ。
自分の知る限り、他に全通している推しのオタクはいなかったように思う。他のキャストからも「推しちゃんのお客さんと言えば貴方ですよね」という話をされて、嬉しかった記憶がある。店自体が、あまり単価の安いところではないので、足繁く通うことにたしかに抵抗はあったのだが、それを差し置いてでも通いたくなるほど、推しは魅力的だった。
しかし、会う頻度が高いほど、話す時間が長いほど、注ぎ込む金額が多いほど、推しの中での自分の存在は希釈されていく。これが避けようのないジレンマだった。
毎日顔を見る人間と、月に一度しか会わない人間、どちらとの時間を優先するかと言われると、それは後者だろう。1ヶ月ぶりにコンカフェに行ったのに、常連ばかりを相手にして自分は放置となれば、店や推しに愛想を尽かされてしまう。なので、毎日居て、いつでも話ができる自分のような存在はどうしても後回しになってしまう。
推しは客に対して非常にフラットな接し方をするタイプで、誰か一人を贔屓することはなかった。自分に会いに来る客は皆等しく対応し、新規の客にも積極的にアプローチしていた。これは自分が都合のいい解釈をしているだけで、ただ単に相手をするのが厄介だから干されていたという可能性も決してなくはないのだが、それを想定するのはあまりにも辛いので、見えないふりをしておく。
ともかく、通えば通うほど推しからの優先度が上がるというわけでもないので、実のところ、金額に対する満足感というのは求めるべくもなかった。他に全く客がいない、あるいは他キャストの担当しかいない状況であれば、推しと長く話すことはできたが、そうでない場合は、推しが自分のところにいてくれた時間というのは、決して長くはなかった。
それを不満と思うのであれば、コンカフェという、キャストにある程度接客の裁量が委ねられている業態の店に行くべきではないので、不満ではないのだという自己欺瞞は絶やさずにいた。
言い得て妙な話だが、キャバクラやガールズバーはお金を払って女性にチヤホヤされに行くところだが、コンカフェはお金を払って女の子をチヤホヤしに行くところなのだ。そこに気付くと、自分の立場が俯瞰できる。そういう業態の店をわざわざ選んで行っているのだから、甘んじて受け入れるべきだ。そう自身に言い聞かせることで、ジレンマと向き合っていた。
そんな、迂遠な理屈を介してでも行きたくなるほどに、推しは魅力的だったのだ。
推しは学生なので、学業及び就職活動に専念するために卒業する、というのが名目だ。
最終日、自分はオープン前から店前に待機し、一番乗りで入店し、ラストまでの8時間店に居続けた。
店で最高額のシャンパンと推しのオリシャンを一本ずつ入れ、フラワースタンドも発注し、細やかな誕生日プレゼントを渡し、物販のグッズは全て買い占め、ランダムのアイテムも全てゲットした。結果的に冬のボーナスを全て注ぎ込んでも足りない程の会計となったが、最後の花火なので、後悔はない。
シャンパンを開ける時も、フラワースタンドが搬入された時も、推しは喜んでくれた。推しのコンカフェ人生の集大成に、多少の花が添えられたなら、これに勝る喜びない。
最終日の8時間の内、推しと会話ができた時間はおそらく30分にも満たなかった。対面で5分以上連続で話したタイミングは一度もなかった。
推しほどのポテンシャルがあるキャストの生誕卒なので、当然ながら店は盛況を極めた。推しは絶えず各席を回り、オタク達に別れを告げ、思い出話に花を咲かせ、これからの人生の展望を語っていた。
それを横目で追いながら、机上に増えていくグッズを眺めることしかできなかったことが、とても寂しかった。
ほんの10分程度でも積もり積もった思い出を語らう時間があれば、この寂しさを覚えることはなかっただろう、ということはきっとなく、ヒトの欲に際限はないので、10分あったならばもう5分、さらに5分と、より長い語らいを求めていただろう。なので、この寂しさは決して埋まることはなかったのだ。最終日を迎える時点で、抱えるべくして抱えた当然の帰結だった。
ただ、しかしただ、ほんの少しでも、この一年と少しの期間の思い出が報われる時間が欲しかったと思うのは、贅沢なのだろうか。推しのために誰よりもお金を使った。自分は高給取りではないので、決して平然と出せる金額ではなかった。当日も、誰よりもイベントを盛り上げるべく尽力したつもりだって。誰よりも推しと長い時間を過ごしてきた。そんな自分が、多少でも特別扱いを求めるのは、傲慢だったのか。
推しのオリシャンは、閉店1時間前に急遽下ろしたものだった。店長には「せめて、推しのコンカフェ人生最後のポンは、自分にさせて欲しい」と頼んだ。自分のオリシャンが空いた数分後に、別卓でも軽快な破裂音が鳴っていた。自分は、横に座っていた会社の同僚の肩を叩きながら、腹を抱えて笑った。周りにいたキャストが引き気味に目線を寄越すくらいには、大声で笑った。おかしくて仕方がなかった。
その後、店長が気を遣ってか、「一番最後に退店してもらうので、席に残っててください」と声をかけてくれた。
自分と、会社の同僚と、地元の友人の3人で店を出る間際、もうここしかタイミングがないと思い、「少しだけ語らせてほしい」と推しに声をかけた。とにかく何かしら思い出を語ろうと思ったが、酔いが回っていて、うまく言葉が出てこなかった。ヘラヘラ笑いながら「これからも頑張ってね」的なニュアンスを伝えた気がする。みっともない限りだった。
それで、終了だった。
こうして文章にしてみて、自分は結局最終日に構ってもらえなかったことが悔しかったという、それだけが言いたかったのだと気付いた。
お金と時間を費やせばそれだけ推しにとって特別な存在になれるのだと勘違いしていたその結果の醜態だった。
当然、そんなわけはない。コンカフェとは、支払った分の見返りを求めて通うところではないのだと、自分は最後の日まで気付くことが出来なかった。理屈としてはわかっているつもりだったが、その日まで実感を得ることができなかった。
あるいは自分がもっと、ヒトとして魅力があって、喋りも達者で、推しを楽しませることができる人間だったら結末は違っていたのだろうかと、詮無いことを考えてしまう。ただ座って会話もままならない状態で金だけ注ぎ込んでいたら、それは養分になって当然だ。
自分の非を治そうともせず、そんなところで延々愚痴を垂れ流すことしかできない下らない人間なのだから、相応の結果だったのだろう。
推しが居ない生活に戻って、自分はこれからどうなるのか、今はまだよくわからない。
願わくば、推しの今後の人生で、ほんの一瞬でも自分のことを思い出す時間があれば良いなと思う。それが少しでも良い思い出としてだったなら、多少は報われるだろうかと思う。
よし。
女性キャラクターを設定するときに、遅かれ早かれプロポーションを決める事になる。
果たしてバストサイズはどのくらいにするか。Bカップにするか、Cカップにするか。
というのも、「読者から見た」キャラ性がバストサイズで変わってくるからだ。
髪型・目付き・背の高さ、などの他のパラメータとも連動するので、一概には言えないが。
バストサイズが大きいほど包容力・自信・迫力、などが増して見える傾向にある。
モチロン、実は引っ込み思案だったり、わがままだったりするキャラもいるけど、その場合はギャップを狙ってそのように設定するのさ。
マンガのようなエンターテイメントは、現実世界に属する読者のステロタイプを利用して情報伝達を効率化する。
母親のような優しさをもつ安心感のある女性、というのを違和感のない文章で伝えるのは難しい。ストーリーを通じて小出しにするしかない。しかし、マンガでは垂れ目で胸元を隠した巨乳にすれば一コマで完了だ。
最近話題になったんだがディズニーの映画で、アニメでは白人だったお姫様を黒人のキャストに変えた事件があった。
これが炎上したのは、多くの観客にとって、黒人か/白人か、はキャラクターのアイデンティティに関わる重大な設定だという証拠だ。黒人か白人かはプラガブル(取り替え可能)な属性ではない。それらを入れ替えるとキャラに抱く印象が変わってしまうのだ。
この事実は、世界中の数多のフツウの視聴者の心の中に、普遍的に、差別的偏見が存在してることを意味する。
フィクションメーカーのフロントランナーであるディズニーは、もちろん現実を把握している。その上で敢えて、挑戦したんだろう。映画作りを通して、差別的偏見はただの偏見に過ぎず、実際は黒人の白人も何も変わらない同じ人間だよ、と教えたいのだ。
僕ヤバか~~……
山田→プロポーション抜群で長身、社交的で学校の人気者、芸能活動をしているので外見を売り物にすることをある程度は許容している
今は市川が山田の好意を受け止めて攻めの姿勢に転じてるけどちょっと前までは山田が一方的に市川を好きで
ガタイの差にものを言わせて無理やり引き止めるなどかなり強引に迫るような展開が多く
最新話更新後に「犯される!!」と読者が騒いでいるのはだいたい「おとなしくてか弱い少年がまともに抵抗できないのをいいことに痴女のデカ女に食われる」の意であった
その文脈をすっ飛ばして山田が市川を翻弄する時のエロモードの絵を切り抜いて公の場に出したら
いやこれは好きな男の子の前で見せる顔なんですよ、男の子の方はむしろ性的被害者ですよ、ハラスメントされる側ですよ、この淫魔に搾り取られる方なんですよと一斉にフォローが入って
フェミニストの方々ですら僕ヤバを庇うと思う
卒業式の日、平良は清居から不意にキスされた直後に突き飛ばされ、携帯を側溝に落とし水没させてしまう。携帯から失われた、清居の連絡先。平良は清居と自分はもう関係ないものと自分に言い聞かせる。そして大学に進学した平良は写真サークルに入り、そこで小山と出会った。小山との時間は平良の心を温かくしてくれる。平良は小山との心地よい関係にずるずると浸かり、友達以上恋人未満のような付き合いを続ける。
ところが、小山の誕生日、小山に誘われて観に行った劇に、なんと清居が出演していた。平良は1日を小山の為に過ごすはずが、清居から打ち上げに誘われた瞬間、「行く!」と反射的に答えてしまい……。
毎度言ってるけど、今回もまた萩原利久の平良再現度が120%。完璧過ぎてヤバい。これぞまさに平良。原作既読勢は、ストーリーが原作に忠実でないとか平良にしては背が低すぎるのではないかとか(だが実のところ萩原利久は結構高身長さんだったりする。どちらかと言えば清居役の八木勇征の背が高すぎるとも言えるが、あの身長だからこそのプロポーションの良さなわけで……)で不満の人もいるみたいだけれども、少なくとも平良だけはマジで平良なので原作既読勢もニッコリ、になるといいんだけどなぁ……。
ビーバー小山が思った以上に好青年風なので、小山に対する平良の無自覚塩対応はただ「何この冷たい奴」くらいの寒い印象を与えただけでスルーされるほどのものになって霞んでしまうのではないかなと危惧したけど、清居に打ち上げに誘われた時の平良の「行く!」の即答はピュアさがありつつも無慈悲な無自覚俺様キングオブキモうざ感に満ちており、とてもよかった。直後に場の空気が瞬間冷凍され小山がピキピキしてる様もとてもいい。あー、このドラマの役者さん達ほんと芸達者すぎていいわぁ〜。
そして遂に孤高のクールビューティー清居の化けの皮が剥がれる時がきた……! 実はさびしん坊で甘えん坊の清居がツンツンツンデレで平良の脛に蹴りの一撃。このエンドから来週は遂に清居のターン。次回予告に興奮を禁じ得ない。平良による城田フルボッコ事件が清居の視点から見れるだなんて最高過ぎる。
私みたいな二次創作からBLに手を染めた系の人間には、商業BLは恋愛に重きを起きすぎていて少女漫画のようにゲロ甘くネチネチしていてあんまり受け付けられないっぽい。というあなたにはこれがおすすめ!! と言われて手に取ったんだけれども、本当は同作者の『RIKO――女神の永遠――』から読んだ方がよかったのかな。本作の主人公は『RIKO』シリーズに登場する人気キャラクター麻生龍太郎。物語はサスペンスとかミステリーとかの類だけれども、麻生龍太郎とその同性のパートナー山内練のBL要素がある。しかしBLレーベルから出版された作品ではないので「非BL」扱いだ。
麻生龍太郎は色々あって警察を辞め、私立探偵として独立開業する。人を雇う余裕はないが、自分一人で食べていくには何とかなる程度に、細々とやっている所に依頼人がやって来たり、恋人の練がふらりと現れたりする。短編4話。ちなみに、BLとしてのあらすじはというと、ずっと別れ話してる、の一言で表せる。
麻生の事務所に裕福そうな身なりの女性 唐沢が依頼の為に訪れた。彼女の依頼は意外なことに、子供の頃に住んでいた借家の縁の下に埋めた「タイムカプセル」を探してほしいというもの。借家は取り壊されてしまったものの、管理していた不動産屋のつてにより、借家の過去の住人達の消息がトントン拍子に知れて、調査は順調に進むと思われた。ところが、唐沢には思いもよらない思惑があったようで……。
もっといい部屋に引っ越そうと誘う練。だが麻生は乗り気ではない。練に金を出させていい所に済む気は麻生にはないのだった。挨拶もせずに練が帰ってしまった後、依頼人が訪れる。今回の依頼人は、憔悴した様子の中年男の石田。彼は私立女子学園中等部の校長をしていたが、既に退職した若い女性教師・河野から、身に覚えのないセクハラで訴えられかけていた。しかも河野は最初から石田を陥れる為に巧妙な罠を張っていたという。仕事を引き受けたものの、石田の話に釈然としない麻生。そんな時、一本の電話がかかって来た。電話の主は麻生の古い知り合いの沖田。彼女は元警察官で、現在は麻生の同業者だ。沖田の誘いで飲みに出た麻生だったが……。
風邪を引いてしまった麻生。病院を受診し、調剤薬局へと薬をもらいに行ったところ、そこの薬剤師の顔に見覚えがあるような気がした麻生だった。そして相手も麻生に見覚えがあるという。薬剤師の名は川越琢磨。川越とはいつどこで出会ったのか、どうしても気になって仕方のない麻生は、おそらく川越とは警察官時代に麻生が担当した事件関係者の誰かだろうと麻生は見当をつけ、昔の仕事仲間・山背に川越琢磨という人物を知らないかと問い合わせた。すると、後に山背は川越琢磨について、思いもよらない情報を電話でよこしてきて……。
女をたぶらかして風俗に落とす、いわゆる「スケコマシ」の田村。田村と偶然に再会した麻生は彼と会食をしているのだが、練との煮えきらない関係について説教をされてしまう。
田村と別れた後、麻生はある女性から声をかけられる。彼女は後藤絹子。東京地検の元検事で、現在は弁護士をしており、離婚して旧姓の「早坂」に戻っていた。
早坂絹子は麻生に奇妙な依頼をしてきた。それは、彼女が叔母の啓子から貰った指輪が盗難に遭ったので探してほしいというもの。早坂は指輪を叔母から不正な手段により取得したため、指輪の所有権を持たず、そのため警察に頼ることが出来ないという。麻生は指輪の手がかりを求めて、まずは啓子の元婚約者・犀川修造の元を訪ねたが……。
ネタバレになっちゃうから詳細には言えないけど、どの話も面白かった。得に4話目の『CARRY ON』は本の半分弱のページ数を占める中編なだけあって、複雑に伏線が張り巡らされている。
トリックもいいけど、登場人物の得に女性の心理描写が巧みで素晴らしい。『TEACH YOUR CHILDREN』で河野が石田校長を陥れようとした理由には、相手をハメるほどの気力と頭脳はなくとも、自分が同じ目に遭わされたら出来るものなら相手を地獄の底に突き落としてやりたいと思うだろう。実際、私にも似たような経験はあるしね。『CARRY ON』で登場する馬淵尚美の、カッとなってハチャメチャな行動に出てしまった、その時の心理の移り変わりもリアルだった。
BLとしては、麻生と山内練は相思相愛だけど、前述の通り最初から最後までほぼ別れ話をしているようだし、練はたまにしか登場しないのもあって、そんなに満足度は高くはないかな。面白いミステリー小説を読みたいならいいけど、ガッツリBLを読みたい時に読むものではないかも。
あ、一話目の途中になんか古のケータイ小説みたいに行間の開いてる箇所が一箇所あるけど、その部分は古式ゆかしい感じのBLラブシーンだったのね……。そ、そういう表現するんだぁ。驚き。
本作はシリーズ物なので、これを読んだだけだと麻生と練の関係性とか練の人となりが良くわからないんだけど、麻生は元警察官で、練はヤクザの世界に片足をツッコんでお金を稼いでいる人。二人は相思相愛なんだけれども、麻生は練にヤクザ稼業から足を洗って欲しく、一方練はそういう気はなく、しかも恩人のヤクザの組長の跡目を継ぐかどうかっていう所。そんな訳で本作では別れ話が出ているのだ。
・更年期などの体調変化で本当に辛い
・加齢でプロポーションなどが変化して、人にさらすのが羞恥、屈辱まで感じる
・夫の性欲が衰えず、何度も誘われてその都度不機嫌になられ、針のむしろ
・とうとう離婚という最終兵器を持ち出してきた。このままでは経済的・社会的な制裁を受けてしまう。とうとう逃げ場がなくなった。
で苦しい気持ちを押し殺し、定期的に夫とのセックスを受け入れるという苦渋の決断をした って可能性が結構あるからな。
そうでない可能性もあるけど。
けど文章見た限り、増田は相手側の立場にたって考えるのが比較的苦手なんじゃないかと思うんだわ
増田は浮かれてないで、もっときちんと話し合ったほうがいいと思う。増田に書かれた自身の考えも正確に伝えたほうがいいだろうし
そうでないと人の心はわからんのだわ
好きだったんだけどな…
数年前、グッドスマイルカンパニーが売り出したアクションフィギュアの規格の一つ
ねんどろいどとfigmaを足して二で割ったようなスタイルで、デフォルメにしては高い頭身なのが特徴
顔は幼くアレンジされてるけど、プロポーションが秀逸でキャラクター本来が持つセクシーを感じさせる作りだった
ペルソナのアイギスを買った時に綺麗にデフォルメしたなと感心した
既にトゥーンタッチにデフォルメされたものを、セクシーさをそのままにパルフォムへ落とし込んでいたのは買って良かったと感じた
次に好きな作品が来たら是非買おうと思ってはや数年
陶器のようにすべすべで白い肌、大きすぎる目、解剖学を無視したプロポーション。
彼の持つ美的センスはあまりに異質で、当時誰も理解することができなかった。
彼の名はドミニク・アングル。女性の"シワを描かない"ことに異常にこだわり、しばしば解剖学を無視した絵を制作した。
それが公開されると批判と称賛を同時に浴びた。
「椎骨が3つ多い」
批判派には解剖学的間違いが指摘されたが、後にそれは「故意にやったのだ」と理解されるようになる。
美術の歴史は自由の歴史と言える。常識を打ち破りより自由な表現へと進化を続けてきた。アングルは「美の追求のためなら解剖学を無視しても良い」と教えたのだ。
彼の描く女性像は当時の人に違和感を与えたらしいが・・・残念ながら我々はそれを窺い知ることはできない。つやつやの肌も、大きすぎる目も、解剖学を無視したプロポーションも、我々にとってはあまりにも普通だからだ。でもそれは逆に、アングルが伝えたかった美を我々は純粋な目で鑑賞できるということなのかもしれないな
https://ja.wikipedia.org/wiki/グランド・オダリスク
全ての萌えオタは見ると良い。そして讃えると良い。これが巨匠アングルのグランド・オダリスクである。
女性のシワが出ないようにポージングや構図をめっちゃくちゃ工夫して頑張っているのでその辺もよくみてください。お願いします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/泉_(絵画)
76歳にして完成させた『泉』は熱狂をもって迎え入れられました。陶器のような肌、理想化された肉体、古代ギリシャ彫刻に端を発するコントラポスト。新古典主義の傑作として後世に影響を与えました。
まあつまりさ、「お前の描く人間は腰が細すぎる 解剖学的に間違っている」みたいなことを言われたら「それは18世紀にすでに通った道である」みたいな返しすればええんよ。芸術ってやつは自由でいいんよ。好きなもの追求してください。
なんか飽きたからここでやめる
ジャンル名とキャラ名出すと身バレしそうだから言えないんだけど。
オタクの振りかざした拳で大好きな嫁にケガ負わせるわけにはいかないのでジャンル名も嫁の名前も出しません。オタクのお気持ちに嫁巻き込まれるのダメすぎるでしょ。
言いたいことタイトルに集結するんだけどオタク的感情でブチギレること(そしてそれをオタク的感情でブチギレてますよと表明してる)に脳死で「ポリコレ(笑)」「フェミ(笑)」とか半笑いで一蹴されるの我慢できなすぎる。なに?脳みそありますか?
いや別にフェミニストの方もポリコレ重視されている方も非難する意図もないしあの人たちと私を一緒にしないでくれます!?みたいな話でもないわけなんですけど。ただ単にフェミ的感情とかではなくオタクのお気持ちしてるだけなのにフェミっていうカテゴライズに当てはめて出た出た(笑)って消費されるのが我慢ならないってだけでフェミニストに喧嘩を売る意図はないです。
フェミ(笑)って笑われるくらいなので性別ぼかさずいうんだけど増田は女なんだけど、嫁も女キャラなわけですよ。
私の嫁は自身の見た目にコンプレックスがあってあんまり美少女っていう雰囲気ではないんだけど(私としてはそんな嫁もかわいいと思うけど作中で明確に容姿をバカにされている描写がある。作品読んでてキレた)からっと明るくて頼れる最高の女、しかし内面は乙女でかわいいもの大好きだし、でもコンプが高じて「自分なんかが似合わない」とか言っちゃう子なわけですよ。愛らしいしすごい守ってあげたい。基本的に乙女チックな女の子で、そんなところがとっても可愛い。
嫁の出てる作品は基本的に服装のお色直しが無いタイプの作品なんだけど、作品が進むにつれ必要に迫られて一回お色直しがあった。その二着目のお洋服が後半もずっとずっと着てるお洋服なんだけどそれがも~~バカみたいに露出が多いっていうか胸の谷間どころか胸もうほぼ出てるみたいな品性のかけらもない服装なわけですよ。どっからどう見ても痴女。夜道で出会ったら叫ぶ。最初見たときに衝撃的すぎてあまりに理解が追い付かなくて嫁一生お色直しするな初期の服装だけでいろって憤ってたんだけど、そういうことをぽろっとジャンル仲間にこぼしたら「増田さんは男性目線で女性が消費されるの嫌な感じなんですね」「フェミですね」って言われた。
え?は?そういう話はしていない。
例えば嫁が「私の抜群のスタイルをみんなに見てほしい!」みたいなタイプだったら別に憤っていないわけですよ。それは彼女が望んでいることだし、別に男性目線でドチャシコエロ衣装最高~って思われていたところで嫁の気高さには一切関与しないし嫁がそういうの着たいなら支持しますよ。いや嫁そういうの着たがってるとはとてもじゃないけど思えないけど。
嫁そういうの着たがってるとはとてもじゃないけど思えないけど!!!!!
私が継続してブチギレているのは嫁が乙女チックでかわいいものに対するあこがれがある普通の女子高生であるにもかかわらずどう考えても嫁の趣味じゃないバカドスケベな衣装を着せられてることであってそこに性的目線が嫌だとかそういうのは一切ない!!嫁可愛いので性的目線で見る人がいたところで嫁可愛いもんなわかるよまあ私の嫁だから渡さないんだけど……で済む話なんだけどどう考えても本人がチョイスしそうにない服装をあてがわれるのはイカれてるでしょ。キャラにも趣味嗜好があってそれがキャラクター性を際立たせるものなんだから服装にも気を配れよ……胸ガバー太ももドーンなのは絶対違うしどう考えても許せないんだけど。
清楚な大和なでしこみたいな女の子の私服がトップスビスチェのみみたいなのだったら困惑するでしょ。東城綾さんの私服が露出まみれのセクシー路線だったらブチギレる。北大路さつきさんは自身のプロポーションに自信があって服装の好みとしてそういうのだからキレない。露出多さの問題じゃなくてキャラクター性の問題。そういう話がしたいだけなんですけど!!!!!!
こういう解釈違いのクソキモオタク感情を「出た出たフェミ(笑)」みたいに済ませるの本当によしてほしい。そうじゃなくて解釈の話がしたいのになんでそういうふうに一蹴されなければならんのか。キャラの性質を見てほしいしキャラクターがチョイスしそうな服装をさ~~~~~~頼むよ~~~~~嫁は今日もかわいい 結婚せん?
ない。
性的に扱う意図って?それってあなたの感想ですよね?水着ですらない宇崎の絵をぎゃーぎゃー言ってた時点でうんざりしてたし今回の件もまーたフェミが発狂してるよとしか思わなかったからわざわざ
議論に参加すらしてないんだけど。あんたの憂慮はもうとっくに実現してんだよ。
これに関しては中の人情報を積極的に得ようとしているわけじゃないから何とも言えないが、桐生ココとksonは身長全然違うし夏色まつりと佐藤希はカップ数が全然違う…カップ数は自分で言ってたからね。俺が見た目で判断したわけじゃないよ。とにかく、俺の持っている情報ではむしろガワと肉体は全然違うもんだと捉えている…全Vtuberを精査したわけじゃないんであしからず
判決に関しては尊重すべきであり立法でどうにかすべきであってそれを差別と言うのは違和感がある。親権をほとんど女が持っていくのも差別じゃん、じゃあ。女は外国人との子供も連れ去るし。実際は裁判所が女を差別しているのではなく法律にのっとって厳正に裁判所が判断しているだけであって、そこに問題があるのなら法律に不備があると言うだけ。
社会に女性差別があり、それは解消されるべきで、そのためなら議連とも連帯していきたいというメッセージがあるのであれば彼らを支持するのも全くやぶさかではないと思う。
社会に女性差別はある。ただ男性も差別や不当な扱いを受けていて(幸福度の差、平均寿命の差)俺としてはどっちもどっちと言うか、いいとこどりはできないというのが真理だなというところで納得をしている。フェミは女性「だけが」不当な扱いを受けているとのたまい男性の差別には無関心で、男性のことは男性でやれと突き放す。女性差別「だけを」解消すべきといういびつな意見は支持されないでしょうよ。女性も男性も苦しんでいるという部分を認めることができないのなら連帯をする意味がない。勝手にやってくれ。まずはそのラディカルさを捨てろ。
フェミニズムと言うのは、現時点である意味バランスがとれているのではと言う人々を突き動かしうる思想ではもともとない。一人一派とか言うし不利な証拠は隠すとか御大が言うし。一人一派なら俺もフェミニストだわ。産む機械としての幸せを擁護してやるよ。
効いてて草。後悔するのが遅かったな。今回の件だけじゃなくそもそもフェミニズム自体が間違っているから支持が広がらないんだってことに気づけ。お気持ちじゃなく理屈で考えろ。ファクトとエビデンスを用いろよ。女さんには難しいかな?っていうか俺は反自民なんだけど足引っ張らないでもらえるかな?衆院選直前なんだけど?
1. ある程度既に議論されているかもしれないが、今回の件が今まで問題視された公共空間・広告における性的な女性表象への批判と決定的に違うのは、Vtuberの身体は今まで問題とされたような二次元のキャラクターのような意図をもって製作された純粋な”デザインそのもの”なのではなく、中の人と結びつけられた疑似的な肉体でもある点だと思う。今までであれば、女性の描かれ方、デザインに関しての作り手の意図という点に着目して、性的に扱う意図をもってデザインされたものが公共空間や公共広告で扱われることを問題視する事に理があったように思う。描かれ方・デザイン(その意図)の問題であって単純に胸が大きいとかいう問題ではないという話だったからだ(だから宇崎ちゃんの件も現実の胸が大きい人への逆差別”ではない”というフェミニズムを支持する側の理屈にもなっていた)。
それが今回の件に関しては、Vtuberの身体はデザインでもある一方、中の人間の動きと外のガワが一体になって(今回の件では)3d空間で動いているVtuberという存在にとっての肉体そのものでもあるというのがややこしいというか、議連の批判が今までのフェミニズムからの公共・広告における性的な女性表象への批判と比べて明らかに大きく反発を受けて逆に批判を受けた部分だったなと思う。
議連の人たちはVtuberを3Ⅾアニメーションぐらいにしか認識していなかったのだろう。そして、今までの広告で扱われる性的な女性表象の問題においては、その作品がどういう作品なのかという文脈を知る必要はない、その作品を知らない人も目にするのが広告であるから、広告それ単体で女性表象がどう扱われているかのみが問題であるという理路が使われていたように思う。それはそれが二次元にとどまる話であれば正しかったように思う。だからこそVtuberがなんなのかよく知らなくても批判するという事が当然の帰結として起きた、今回の件は起こるべくして起こったと思う。
今回の件はフェミニズムという思想に依拠した批判・炎上問題の中でもとしてかなりフェミニズムに分が悪い出来事だったなと思う。Vtuberの身体とは何かという話は正直自分もきちんとした答えを持っていないし、この文化が今後も発展していけば学術的な議論も深まっていくんだろうなと思う。そんなまだ学術的な議論も深まっていない分野でフェミニズムの名を冠した人々が理論構築の甘い批判をしてしまった(少なくともそう思う人が過去の似た事例に比して格段に多かったと思う)。私はVtuberが好きな人間でもあるが、フェミニズムに興味がない人間だったとしたら、フェミニズムは自分の好きな文化にとっての敵だとしか思わなかっただろうなと思う。
Vtuberはなりたい自分になれる文化というのは特に2018年ぐらいの初期の頃のVtuberとは何かという話においてはまさしくその通りだったと思うし、今も個人VとかVRチャットとかの文化ではそうなんだと思う。この世界観をVtuberに親しんでいる人が共有しているというのも議連への批判が大きい点だろう。ただ、企業Vは必ずしもそうじゃない。デビューした後の別の新衣装とかは本人の意を汲んだものになることが多いけれど、最初は既にデザインとしての肉体(ガワ)は決まっていて、そこにオーディションを経て中身が決まっていく流れだと聞く(個々の企業によって差異はあるかもだが)。なりたい自分の姿を選んでいるとは限らない。
でもさらにややこしいのは、中の人間のプロポーションとガワの肉体のプロポーションをある程度同じにしている企業もあるらしいことで。胸が大きくてすごく揺れるVtuberがいて、そして更に中の人も胸が大きくて、中の人の動きをガワたる3dモデルに反映させている以上、3dモデルの胸の動きも中の人の胸の動きとある程度リンクしているとする(モデルと中の肉体で動き方が同じとは勿論限らないというか多分違うと思うが正直詳しくない)。そしてこのVtuberが警察とのコラボのような公的な広告に出ることがあった場合、今回と同じような批判がフェミニズムの立場からそれになされて、企業Vの中の人が自分のモデルを不適切だと批判されることは自分の肉体に対しても差別だと抗議した場合、自分は正直フェミニズム側からの批判を支持できないなと思ってしまう(起きていない仮のケースを想定して支持できないと述べるのは不誠実だとは思うが、起こり得ることだと思う)。今回議連を批判している人にとっては、私が例に出したケースと今回の事はほぼ同じだろってなりそうだけど(私にとってはそうではないが)。
Vtuber文化は今後も発展して警察のような公的な機関や催し事とのコラボも増えていく事と思う。そしてそれに付随して、公的なものに相応しくないという批判からの炎上も今後も目にしていくのではないかと思う。オリンピックの小山田氏やラーメンズ小林氏のような過去の不適切な発言での問題が、もしVtuberで起きて、そしてそれがVtuberとして活動する前の、Vtuberたるその人ではない純然な中の人間としての過去の発言だった場合、それはVtuber〇〇としての問題として扱われるのかどうかとか、そういった事を最近考えている。Vtuberの肉体とはなんなのかというのも、もっと議論が必要な部分だし、容易に結論がつくものでもなさそうだ。だからこそ、もし批判するなら真剣に理論を立てないといけない分野だと思う。普段の思想が近しい人同士でも、Vtuberの世界観(個々のVの世界観ではなくVtuberという文化の認識の枠組み)を共有している人とそれを知らない人の間で今回かなり意見の相違がある話だったと思うのだが、オタクの内輪の論理(Vtuberを知らない人には分からない世界観・認識)を持って来られても困るというのは一理あると思うが、この内輪の論理を共有する方が多数派になってしまったら結局そんな言葉もかきけされてしまうんだろうなと思う。知ろうとしない方が悪いとか言いたいのではなく、ただそういう未来がありそうで嫌だなと。
2. 現代の日本にはフラワーデモが起こったきっかけでもあった性犯罪の判決や、知識の不足や劣悪な環境に置かれたことでやむなく堕胎も出来ず病院にも行けずに一人で出産して赤子を死なせてしまった女性が犯罪者となり父親は何も責任を問われないような司法での女性の扱われ方に関する差別の問題がある。医学部の受験における差別措置も記憶に新しい。女性の政治家の数は少ないし、女性の総理大臣も0だ。ジェンダーギャップ指数の世界ランキングなんて参考にしなくても、日本には是正されるべき男女差別があり、その為にフェミニズムという思想がまだまだ必要である事は前提として認められる社会になってほしいと私は思っている。
公共空間・広告における女性表象の扱われ方の問題は勿論大事な問題であるし、フェミニズムにとってなおざりにしてよい問題であるとも思わない。だが、先に挙げたような女性差別の問題に比べると、人それぞれ色んな価値観があるし、フェミニズムを支持する人間の間でも一番意見がバラバラに感じるトピックだと思う。私としては女性表象の問題はフェミニズムという思想にとっての”鶏肋”であると常々思っている。鶏肋とは三国志で有名なエピソードが由来の言葉で、意味は「大して役に立たないが捨てるには惜しいもの」である。
私は少なくとも今までの女性表象に関する問題はフェミニズムの立場からの批判側に理があると思っている。しかし、一連の女性表象の批判は繰り返す度にフェミニズムを嫌う人間を増やしこそすれ、フェミニズムを支持しようという新しい賛同者をそこまで増やしているようには、少なくとも嫌われる人数を上回る程には新たな賛同者を増やしているトピックには思えない。思想が政治的に勝利するためには賛同者が増えなければいけない、いくら理論で勝っていたとしても民主主義においてはその賛同者の数が力になる、政治で勝つためには賛同者を増やす戦いになる。批判する側が悪いと言いたい訳ではない。これを批判する人々自体は必要であるとすら思う。女性表象に関する事で傷つけられた人も過去・現在も存在していて、その人たちの事を考えたら決して役に立たない問題なんかではない。ただ、女性表象の批判は賛同者の増減に関しては基本的に分が悪い戦いで、基本的に負け戦を強いられるものだなと見ていて思う。女性表象の批判でフェミニズムを敵視する人間の声が大きくなる風景がどんどん広がるばかりだ。嫌われるから批判をやめろという話ではない。嫌われるのだからこそ、理屈で負ける批判をしない事が大事だと思う。フェミニズムに興味のない人間にとっては、娯楽への批判なんてのは繰り返せば繰り返す程嫌われるものだ。いかに損害を出さずに負けるかという負け戦なのだと思う。今回の件がニュース番組や新聞など今までに比べて大きくメディアで取り上げられているのは、今回の件が華々しい(無惨な)負け戦だからだ。フェミニズムを嫌う人間にとってはこれほど溜飲が下がる事はないであろうし、メディアもフェミニズムが叩かれている所が人々の耳目を集める格好の餌だと分かっているから宇崎ちゃんやラブライブ!、アツギのタイツとは比較にならない程大きく取り上げる。自分は今回のメディアの取り上げ方にも不信感というか、怒りというか、やるせなさというか、とにかくいやな気持がした。
楊脩は”鶏肋”との言葉を聞いて「鶏のあばら骨は捨てるには惜しいが、食べても腹の足しになるほどの肉はついていない。この戦もそれと同じだ」と解釈して軍を撤退させた結果、曹操に首を切られた。私は自分を楊脩になぞらえるような真似をしたい訳ではないが、上記の自分の意見もフェミニズムを支持する人から批判されるだろうと思うし、それは甘んじて受けるつもりだ。正直言って自分が正しいかどうか自信がない。でも、この表現をめぐる問題で一致が見られなくても、社会に是正すべき女性差別があるという点で一致できれば連帯していく事が出来ると思う。もっと言えば、件の青識氏とおぎの議員に関しても、表現をめぐる問題で議連を批判する立場であっても、他の部分でこの社会に女性差別があり、それは解消されるべきで、そのためなら議連とも連帯していきたいというメッセージがあるのであれば彼らを支持するのも全くやぶさかではないと思う。私が彼らを支持しないのは、差別を是正して社会を良くしたいという動きに対して、方法論の違いで衝突しているのではなく、敵対者としてその理想そのものを腐し足を引っ張る為に、自分が支持していない敵対者の思想の論理だけを借りて相手を批判し、批判に使った論理の元の思想(フェミニズム)が目指す理想そのものは唾棄して見もしないような輩だと思うからだ。今回の件で彼らの影響力が増しても彼らはそれを上記の女性差別の解消には向ける気はないだろうし、そんな人間がフェミニズムの論理でフェミニズム議連を批判し、そしてフェミニズムに興味のない人間からは彼らの方がよっぽどフェミニストだと思われるであろう現状が死ぬほど馬鹿馬鹿しい。
山田太郎議員のようなオタクというアイデンティティをナショナリズムのようにくすぐって、あおって、票にしていくスタイルは、おぎの議員の登場により今後アンチフェミニズムと結びついて、それだけでシングルイシューとしてオタクから票を集められるような政治勢力に発展していくのだろうなと思う。「フェミニズムから表現を守るオタクの会」なんて党が出来て議席を得るのも時間の問題だろう。今後この問題がアンチフェミニズムの立場から定期的に引き合いに出されるだろうことも想像に難くない。Vtuberという若い文化が今後発展していけばいくほど、この文化に若い人間が参加していけばいくほど、「フェミニズムとは僕たちが愛する文化を排除しようとする敵なんだ」と先輩オタク達が後輩に囁く風景が見られることだろう。暗澹たる気持ちだ。どうしようもない負け戦だった。
YouTubeでリオのカーニバルとかサンパウロのカーニバルとか見るとね、すごいんですよ。
まあ、だいぶセクシーな感じのイベントであることは薄々知ってた。
知ってたけど、マイクロビキニとかニップレスどころか、トップレスが普通にいた。これほどまでとは。
勢い余って脱いじゃったとかじゃなくて、コスチュームのデザインが乳を丸ごと見せるようになってる。巨大な山車の上にずらりと並ぶおっぱい、おっぱい、おっぱい……。
世界最大規模の超メジャーなお祭りがこれでいいの? 子供とか見るんだろ。見ないのか。大人向けのイベントなの?
って思った。
ともあれ、今後とも積極的に見せていくスタイルでやっていってほしい、とも思った。
あと、ついでに日本のサンバイベントの映像も見たんだけど、んー、あれだね、本場のを見た後だからだけど、ありゃあ平均的日本人のプロポーションでしていいカッコじゃないね。当人の自由ですけど。
ちょっと照れがあるせいでブラジルの裸よりもむしろ淫靡なムードになっちゃってるし。
あとどう見ても小中学生みたいな子供たちのきわどいサンバ衣装姿にカメコが群がってるの見てげんなりした。
不道徳。
とりあえずまた4本買ってみた。
「【VR】いつも一緒だよ♪ 山中真由美 【3DVR】 ベッド編」
全年齢IVの中ではいつも一歩踏み込んだ演出をしてくれる山中真由美。本作でも股間に突き立てた棒キャンディーを下着姿で舐め回すというかなり踏み込んだ演出で、それだけを見ればまずまずの出来なのだけれど、サンプル動画と内容がまったく違っていた点が非常に不満である(サンプルの中のごく一部が本作)。半額だとしても20分990円は高い。
「【VR】セーラー服で教室&スコートで保健室でラブラブ くりえみ」
こちらも全年齢IV。くりえみのVR作品はほかにもいくつか見ているが、本作は全体的にかなり密着度が高く、ファンとしては非常に満足だった。IVのVRは基本的に相手役(つまり自分)が透明人間のことが多いのだけれど、本作では実在人間でしかもお触りシーン(マッサージなど)がふんだんにある点も高評価。けどやはり値段が高いね。半額セールでもないと手が出ない。
「【VR】【絶対本番禁止】のお店なのに…真面目なFcup美巨乳エステ嬢と【キメパコ】火照った身体を愛撫しイカせまくると【性欲覚醒!】お店に内緒で本能のままに【生ハメ中出し性交】 中村ここね」
半額なので冒険してみる。女優の顔は好みギリギリというところだったけれど、プロポーションは素晴らしかった。脚本ががさつで、真面目なエステ嬢が薬を盛られて乱れていくというストーリー性はほとんど体をなしていなかった。女優さんの媚薬の影響で乱れてしまう演技はなかなかがんばっていて、見ている自分の顔によだれがしたたってくるところなどはグッと来たものの、エロマンガみたいに最後は笑顔のアヘ顔でイキきってほしかった。
「【VR】3年2組 はるちゃん 142cm ピアノレッスン中にわいせつ」
こちらも冒険。ロリータものにはそれほど興味がなかったのだけれど、最近のロリ女優はここまで完成度を高めてきているのかと驚いた。ルックスやセリフなど、小学生と思って見れば本当に小学生に見えてくる(もちろん大人と思って見れば大人にも見えるが)。気の持ちようだけれど、かなりの背徳感が味わえた。余談だけれどこの子はピアノがなかなか上手で、陰部を指でまさぐられながらも立ててある譜面の曲をさらりと弾きこなしているのがよかった。ただ、カメラ位置の都合なのか譜面の1オクターブ下で弾かされていて気の毒だった。せっかく上手なのに。