はてなキーワード: プレイヤーとは
そういうお約束はそういうお約束がある作品、世界観ですって明示があるから受け入れられるんだよ
鳴潮の世界観でやるのがおかしい。戦闘のスピード感とも合っていないし、そもそも6幕は短時間にそれを詰め込みすぎだ
それはプレイヤーが"察せる"情報を繫げただけであってストーリーで明確に主人公の意志として描かれているわけじゃないだろ
あんだけ主人公がしゃべるのに目的の部分に関しては匂わせどころか漂ってるだけレベル
それに目的がなんであれ、主人公が自主的になんか考えてるんじゃなくて周囲のキャラが異様な”察し”の良さで主人公にあれしたら?これしたら?って提案してしかも全部お膳立てしてくれて
すごくなろう、オレツエー作品の系譜の都合の良さでゴリ押してるだけ
普通に友人の故郷が危機に晒されてて戦う力があるから戦う、とか夢の化け物通して記憶を追うためとか複数理由見つけられるやろ。
ここはストーリーというかゲームのレベルバランスの問題もあるけど、鳴潮はサブクエストやってなくても音骸集めを進めるだけでガンガンレベル上がってメイン進められるせいでキャラクエストをやってないプレイヤーにとっては思い入れない
これはメインストーリー進めるのに前提任務を設定するかクエスト進行前に注意書きするだけで変わる部分だが、それもない。これが処女作でもないのにストーリーの導線が投げっぱなしなんだよ
あとこれは多分すぐ直せる部分だとは思うけど会話に対して主人公の選択肢がめちゃくちゃ食い気味に表示されるのでプレイヤーが細心の注意払ってないと会話のケツが勝手にスキップされていくのでもう内容云々の問題じゃない
暇空のやってる事(住民訴訟)ってざっくりまとめると
何故か従来のリベラル界隈には受け容れがたい発想なのが本当に不思議でしょうがないんだよね。
「ある日、ある一般市民がちょっとしたきっかけである団体の公金不正疑惑に気がつく」
「疑惑を追求しようとした所、団体だけでなく繋がりの深い政治家や政治団体、マスコミ等のバッシングに晒される」
「それに反発した市井の人間が立ち上がった者にエールと支援を送り、巨大な疑獄に立ち向かう」
仮に一般市民が平凡な主婦のH子さんだったら、かのアカデミー賞映画『新聞記者』の続編のプロットになりそうだよね。
望月ライクの主人公が平凡な主婦H子さんに寄り添って共に戦う役回りでさ。
リベラル界隈が異常に反発するのって、その役割をよりにもよって「中年のオタク男性」という
彼女ら・彼らが最も忌み嫌い差別する属性の人間に取って代わられた嫉妬もありそうなんだよね。
とは言え嫉妬は抜きにしてもやってる事はリベラリズムそのものであるにも関わらず
左翼やリベラルサイドの人間は何故か権力者側である被糾弾側に肩入れし、暇空や彼を支持する人間を異様なまでに悪魔化して
一丸となってバッシング・誹謗中傷の限りを尽くしているというのは本当に不思議なんだよね。
えっ?あなた達、弱者や一般市民の味方を標榜したり自認してるし「公金の不正利用・会計疑惑」とか叩く側だよね?
何で政治家や政党のバックを盾にやりたい放題やってる権力者側の肩を全力で持ちまくるの?って。
党派性とか抜きにしてリベラリズムを支持しなきゃいけないんじゃないの?自称リベラルの紛い物じゃないんならさ。
裁判一年やっても未だに領収書すらまともに出せないなんて、一般的に考えれば
or
・領収書を物理的に出せない(まともな会計処理をやっていない、不正の温床)
だったかの二択なんだけど、未だに「女性差別!女性に攻撃するな!」で押し通そうとしてるのも
そんなのを支持しているってのもある意味凄いよ。一般市民の感覚と完全にかけ離れてる。
一体リベラルはどこの上級国民様なんでしょうね?それで「一般市民の代弁者」を自認しちゃあかんでしょ…
仮に杉田水脈や三浦瑠麗が自身の言動や活動、息のかかった団体の公金不正利用疑惑に対し
「批判するのは女性差別!女性達を攻撃するのを止めろ!」って言ったら、一体どうするんだろうね?
絶対に無視するか「言い訳するな!」って更に燃やす人の方が大半でしょ?リベラル界隈は。
杉田水脈や三浦瑠麗が「(私を攻撃するのは)女性差別!」と言った時、
石を絶対に投げないと誓える者だけが、暇空を批判する権利があると個人的には思うよ。
まあ俺は石を投げる側だし暇空も同時に批判するけどね。それがリベラルでありリベラリズムだから。
たまたま自民党系の息がかかった団体じゃなかった、というだけで、リベラリズムを自ら否定して
権力者側についちゃうのは、ハッキリ言ってリベラルじゃないと思うよ。マジでね。
暇空のやってる事に批判があるのも分かるんだよ。
彼は確実に敵を作りまくる側の人間だし過激な発言も多い。批判されるのはよく分かる。
で攻撃する人間が未だに少なくないのはさすがに酷いって思うけどさ。
問題が始まって一年以上も経つのに未だに暇空への解像度が低いってのもどうかと思うよ。
神原先生らがやっている「暇空は温泉むすめを批判した事の恨みで女性支援団体を攻撃してる!」って主張。
俺はてっきり、悪性立証という裁判戦術の一つでやっていると勝手に考えてたよ。
やましい事が無いのなら悪性立証なんて事をせずに堂々と戦えとは内心思ってたけどさ。
でも最近、ひょっとして本気で「オタクの中年が温泉むすめという萌え作品を批判した恨みで攻撃している!」
と考えているのでは?と思うようになってきたよ。
だとしたら未だに解像度も低いし攻撃も頓珍漢で、ギャラリーである我々から疑問符が浮かびまくる様な
戦術で攻撃しているのも納得するよ。いくら何でもレベルが低すぎるーよ。一年以上も何をやってきたのさって。
いくら何でも戦い方も向き合い方も下手っぴ過ぎる。
そりゃ暇空なんかを支持する人間が未だにいるってのも分かるよ。カンパも一億円突破するわなって。
「カンパで儲けてる!」に代表されるデマ連呼(ナザレンコさんに共同通信のデスクがやっていた様なヤツね)
ちょっと党派性が強いメディアによるメディアスクラムから増田への怪文章投下とかいう草の根ネット活動までやっててさ、
これがどう中立層の第三者にどう判断されるのか、マジで分かっていないか、これで影響される様なコア層にターゲット絞ってる確信犯かのどちらか。
もう「こんなのを支持する方がちょっとヤバいかも…」ってなって、元々の支持者側(自分含め)からもドン引きされてるのが現状だよ。
一時期の仁藤さんと一緒でさ、過激な言動で先鋭化してくとマイルドな層って普通に脱落していくのよ。
ただでさえ高齢化で層が薄くなりつつある支持層を更に先鋭化で削っていくやり方に固執するのか、俺には全く分からないよ。
暇空ってさ、あくまでも合法の範囲、正当な手法(裁判)というやり方で決着をつけようとするタイプじゃん?
良くも悪くもルールを厳守しルールの範囲内で暴れまくるタイプに思えるんだよね。
またそれは彼が自認・自称するアスペルガー症候群(発達障害)の特徴でもある。
生きづらい発達障害の人間を集団で攻撃するのって凄い差別的なヘイトだと思うんだけど、ヘイトが嫌いな人達は当然反対だよね?
サッカーで例えるなら、暇空はラフプレー上等でルールのギリギリを突きまくるしカード上等のプレイもするけど
あくまでもサッカーというゲームの中で戦うタイプのプレイヤーなんだよ。
しかし一方で相対する側は、サッカーのフィールドで釘バットとか青龍刀を振りかざしながら
「ピッチャービビってる~ヘイヘイヘイwww」と煽りまくってる輩というね。
で、観客であるお左翼やリベラルの人達がフィールドに向かってゴミや汚物を投げ込んだり
「ヒトラーの子孫は死んで下さい」という垂れ幕を堂々と掲げている様な状況だったりするじゃん?
今日日フーリガンですらそんなマナー悪い事しねーでしょって思うんだけど、清廉潔白とか社会的正しさを標榜している人達が
何故かそういう蛮行をしているか、堂々と支持しているってのが本当に不思議でしょうがない。
君たちのリベラリズムは「自己矛盾」という言葉を捨ててしまったのだろうか?
例えばColaboのバックは共産党系の勢力で、フローレンスのバックは公明党系の勢力だったりする。
本来彼らは対立する勢力なんだけど、対暇空に関しては一致団結しマスコミや政治家の力も使って
ありとあらゆる盤外戦術を取りながら暇空という存在自体を潰そうと協力している様にも見える。
これじゃ暇空のいう「ナニカ」とかいうダサい概念を否定出来ないよね。これが本っ当に気持ち悪い。
いい加減リベラルはリベラルをやってくれよって思うよ。これじゃリベラルを自認してた自分が馬鹿みたいじゃん。
素直に公金を雑な会計でやってる団体は公金事業に関わって欲しく無いし、無駄遣いしてるのなら返金しろって思うよ。
男女平等の観点で言えば、女性支援の異常な厚遇や一切の批判も許されないってのもどうかと思うよ。
ホームレスへの炊き出しとか手伝った事ある?95%ぐらい小汚いオッサンかジジイだよ?
生活困窮者という意味では彼らも助けなきゃおかしいでしょ、ってさすがに思うよ。
批判されにくい女性支援を盾に政治家の権力も使って好き勝手に公金使ってるのなんて、ハッキリ言って市民社会の敵だよ。
何でその対象と一緒になって、批判側を躍起になって攻撃しているのか…
Colaboから端を発した騒動は、左翼とかリベラルと呼ばれていた人達の壮大な自縄自縛の自爆に思えてならないよ。
もう暇空と一緒に左翼の星になって爆散して欲しいとすら思うよ。
いいじゃん超新星爆発みたいでさ。素敵じゃない?
https://realsound.jp/tech/2024/05/post-1676581.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/realsound.jp/tech/2024/05/post-1676581.html
名前で会話をやろうとしている、それは対象外が入り込んでいる状態なのでは?
孤独・孤立の問題を抱えていない人が余裕ぶっこいている状態なのでは?
裏返すと「できるコミュニケーションを求められるストレス」なのでは?
第三者がプレイヤーの補助として名前になにか大事なことを記している、そういうのもあるだろう。
ただ「ガチ孤独です」みたいなのだとじゃあ他の人はそんなガチじゃないのかな?っていう感じもする。
例えば盲目向けのバースがあったとする(既にある気もする)。なんでか知らないけど音オンリー空間じゃなく「見て」もわかるようにできてたとする。弱視も受け入れようとしているのだろうか。半端に目で見て理解できるものだから、そこに視覚に異常のない人がやってくる。
バース先住民は「この人は動物園でも来たつもりか」、そう思ったりしないだろうか。そして体験して投げかけられる感想、「ディストピアみたい」
やってられなくないかこんな扱い。
オープンワールド以前は一応触っている程度のフランチャイズだったけど、
オープンワールドアサクリ、特にオデッセイは大好きな一作になったので、
既存プレイヤーが無理矢理な擁護で作品自体を貶めるのがちょっと鼻についたところはあるのよね……。
実際にプレイして前段部分を評価したわけでもなく、「そういう風に評価されてるらしい」と伝聞エアプで騒いでいる
バズったこれとか顕著
https://x.com/kaito2198/status/1792924140569084101
「アサクリ最新作の公式による弥助の説明では、マジで「日本を圧迫者から解放する」となっているね。しかも日本語だけが「日ノ本で陰謀をめぐらす者たちを討て」と変えてて……。それはつまり「日本を救う解放者にする方がウケるが、日本にはバレたくないので誤魔化す」という助平根性だよね」
https://x.com/b3snakano/status/1793441801648660911
「元々そういう圧政からの解放を示すシリーズで10年以上続いてんだけど。だから偽オタクって言ってんだよ。こういうの」
https://x.com/ten104hooon/status/1793060328466694184
「「圧政から開放せよ」「陰謀を巡らす者を討て」こういった文句はアサクリシリーズにおいては、基本的にテンプル騎士団(古き結社)のことを指します。ある程度アサクリをプレイしてる人なら秒で分かる「いつもの」セリフなのです(´・ω・`)」
https://x.com/kazuya78/status/1793001232958943324
「いや、アサクリってそもそも陰謀によって国を背後から操って民を圧迫している闇の結社(テンプル騎士団)の幹部達を暗殺して民衆を解放するってストーリーのゲームですよ?せめてどんなストーリーのゲームなのかくらい把握してから書いて欲しい」
https://x.com/DEARNA/status/1793037515571572808
「こんなもんシリーズをプレイしたことある人なら「oppressors」も「陰謀をめぐらす者」もゲーム内のテンプル騎士団(悪役)のことを暗喩してるなんて一発で判る話なのを、知識ない外野が言葉をこじつけてるだけなんですよ」
https://x.com/gorillanov/status/1793508294398742621
「アサシンクリードを一作でもプレイしたことのあるユーザーなら、ここの"Oppressors"が「テンプル騎士団」もしくは「古き結社」を意味することは明らかなんですよ。
家にいながらにしてリラックスできる特別な場所をお探しですか?日本のオンライン・エンターテイメントの世界に飛び込んでみましょう。この活気ある分野は、デジタル形式で興奮とレジャーを求める人々に、多くの選択肢を提供しています。
技術の進歩と革新的な精神で知られる日本は、オンライン・エンターテインメントを両手を広げて受け入れています。インターネットは、スリリングなゲーム体験を含む様々な活動の拠点となっている。伝統的なゲームがお好きな方にも、より現代的なものがお好きな方にも、日本のオンラインプラットフォームはあらゆる嗜好に対応しています ジョイ カジノ。 日本で最も人気のあるオンライン・エンターテイメントのひとつは、インタラクティブ・ゲームです。これらのプラットフォームは、世界中の参加者とリアルタイムでプレイできるゲームを幅広く提供しています。没入感のあるグラフィック、魅力的なストーリー、インタラクティブな機能により、これらのゲームは多くの人にとって爽快な選択肢となっている。プレイヤーは、戦略的なバトルを繰り広げたり、幻想的な世界を探検したり、あるいは単にスキルとチャンスのゲームを楽しんだりすることができる 。 さらに、日本のオンライン・エンターテインメント・シーンには、ライブ・ストリーミング・サービスもある。これらのプラットフォームでは、ゲームショーや音楽コンサート、さらにはインタラクティブなリアリティショーなど、さまざまなイベントのライブ放送を視聴することができる。このようなライブインタラクションは、興奮とエンゲージメントのレイヤーを追加し、視聴者がアクションの一部であるかのように感じさせる。
日本のオンライン・エンターテイメントのもうひとつの重要な側面は、コミュニティ主導のコンテンツである。多くのプラットフォームがユーザー生成コンテンツを推奨しており、個人が独自のゲームやビデオ、その他のデジタル創作物を作成し、共有することを可能にしている。これにより、創造性が育まれるだけでなく、ユーザー同士のコミュニティ意識も醸成される。オンライン・エンターテインメントに特化したフォーラムやソーシャルメディア・グループは盛況で、ファンが戦略について議論し、経験を共有し、つながりを形成する場を提供している。
そういうのが好きな知り合いで「この人本当に良い人だな」と思う人いる?
ああいうボードゲームが好きな人ってどこかで負けず嫌いだったり頑固だったりするでしょ?
そういう人間になるようにゲームの側がプレイヤーを洗脳していく仕組みがあるからなんだよね。
だって囲碁や将棋って、格ゲーやFPSの前世みたいなもんだもん。
自分の手先だけバチバチやりながら、勝った負けた潰した殺したで身体もロクに動かさないままアドレナリンドバドバになる。
健康にいいはずがないんだよ。
ちゃんとした友達を作りたいなら体を動かす趣味を見つけたほうがいい。
ヨガや旅行みたいな「特に何をしたら勝ちとかはなくて、あえて言うなら今を楽しんだもの勝ち」みたいなのがいいかな。
食べ歩きとかもオススメなんだけど、「俺はこの店が繁盛するのを予言してた!」とか「めっちゃコスパがいい店を知ってる俺は情報通!」みたいになるととたんに頭がおかしくなるから気をつけて。
ある話を見た。
あるゲームのキャラのドット絵があるとき、アップデートで急に変わった。そしてクオリティは下がった。
なんでなのかを調べていたが、ちょっとややこしい経緯だったな。
まず前提としてインディーゲーで、Patreonで支援すると自分の考えたアイテムがゲーム内に登場するのかな?
そんである絵師にゲームへの支援とは別に金を払って依頼してドット絵を書いてもらったのだが、その絵師がその支援者の友人に非礼を働いたらしく、その支援者は違う絵師にそのドット絵を依頼しなおした。
この話に関する反応を見ていたのだが、とりあえずどいつもこいつもなんで変わったのか分かってなかったし、前のほうが良かったって言ってた。
他にも話はある。Modローダー…って概念は増田のおじちゃんたちに伝わるか分からないのだが、とあるゲームのMODローダーの作者が…トランスフォビアだったことが判明したんだっけか?
それでそのMODローダーの作者グループが内部分裂して別バージョンみたいなのが出てきた。もちろん互換性はない。
一部のMOD作者、特に「自分はトランスフォビアの味方じゃないです」って主張しておきたいような立ち位置の奴らはこの別バージョンに乗り換えたのだが、
今もなお殆どはそのトランスフォビアの人が作ったらしいMODローダーを使っている。主流だからだろうな。
で結局プレイヤーは遊びたいMODが別ローダーに移って遊びづらくなっただけだ。
探せば他にもあるだろうな。すげぇいい絵を描くけど反ワクとか、世界的に有名だけど悪いことしたとか。最近だとなんか声優が揉めてたな。
ただ、多くの人間にとっては創作物の後ろにある作者の思想や人柄などは全く関係のない話だと思う。結局はいいものが見られればそれでいいのだ。
それがわからない奴らがいるのは、ちょっと頭固いんじゃないかって思っちゃう。
ちくわぶが
んん~おいしい
これがいい
最初からプレイヤーが勝って褒められるようにプログラムされたNPCの会話とかゲームのステータスに感情移入しまくって、
「俺は最強の勇者なんだからさあ、魔王は簡単に倒せるよwwメタルスライムみたいなザコは一瞬で狩れるしwww」とか真剣に考えてそうなんだよな
同じ弱男友はいそう
「“回復”はプレイヤーの時間を奪う要素だから要らない」──『サガ』生みの親・河津秋敏氏が語る、超鋭角な「攻める」ゲームデザイン論。最新作『サガ エメラルド ビヨンド』では短くかつヒリつくバトルを追求、「プレイヤーに同じような体験を何度もさせない」ことを目指した
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/240527t
そのブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.denfaminicogamer.jp/interview/240527t
先に断っておくと、ギリギリのゲームバランスみたいな事に異を唱えるわけではない
だが限られたリソースの削り合いって意味ではヒリヒリする緊張感を味わえる
救援対象の操作可能キャラが砦に居て、リーダーがロードでユニットがソルジャー
敵に囲まれながら削られたユニットを下がらせ城壁に元気なユニットを回す
さてどうやって防衛してやろうか
RPGバトルで行動の最適解をシステムが押し付けてくると自由度は下がるんだが
「ギリギリで独壇場発動して勝利」をバランスがいいと有難がるのは違う
レベル(サガ系ならステータス)を上げて物理で殴っていい筈なんだよ
力こそパワーとばかりに、ビュッテン突破しても良い筈だ
だから「“回復”はプレイヤーの時間を奪う要素だから要らない」と選択肢を奪ってしまってはダメなんだ
そう思うプレイヤーがいるなら、勝手に制限プレイすればいいだけなんだよ
でも大概のシリーズは製作者のシステム的な思想がゲームに侵食していく
どんどんとプレイヤーの手からゲーム体験が離れてクリエイターの理想のリプレイになっていく
「敵のガードをブレイクしよう、一転攻勢だ」(ブレイクしないと満足にダメージ出ない)とかが典型で
これを有難がる人が増えると、シリーズが停滞していく
https://kultur.jp/younanbuwan-movement/
少数意見であることは心得ている。商業性や売上云々の話も弁えている。
とはいえ本当の理想を言うとTOTKのガノンドロフや、控えめに言ってもタウロぐらい鍛えられた身体と意気地を備えた男が主人公・プレイヤーキャラであって欲しいんだわ。
モヤシみてえな陰気臭いガキ(一応言っとくがリンクは勿論これに含まれない)が操作キャラなのは本当に鼻につく。ラノベだのギャルゲーだのを全然通らなかったのは雑で無個性で抑制的な外見の主人公と、そいつが放つ童貞の腐ったような奴の主観みたいなテキスト、価値観が気色悪かったからだ(これがたまたま最初に触れたものが舌に合わなかったことによる偏見に過ぎないということは理解しているが、結局それらのジャンルを遠ざけてしまった)。そういうものは見たくないし、触れたくない。男が気にいる男(まあ本当は俺が気にいるという話でしかないが)なら良いが、覇気のない雑魚に阿ったような男キャラは虫唾が走る。
ましてそいつに勇敢な女がチョロく好意を持つみたいなのは本当に勘弁してほしい。せめてヒモの才能があると思わせる男にデザインしてからにしてほしい。
あるMMOを数年遊んでいる。
公式にブログサービスがあって、プレイヤーは日記や記録を自由につけることができる。
そのひとの日記はたまたま、Google Discoverで見かけた。
どうも誰かに読ませる前提でなく、ただ書きたいから書いている感じのわかりにくい文章で、これは事実なんだろうなあという感覚があった。
ぽつぽつと静かに綴られる書きぶりが妙に心に残り、定期的に覗きに行った。
すでに没した配偶者のアカウントも課金を続けており、たまにインさせては眺めている、というような話もあった。
野暮を申し上げるとそのゲームは規約でアカウント共有は禁止されているんだが、動機が切実すぎて咎める気にならなかった。
もう会えない人に、少しでも近くにいるような気持ちになりたい、そんな日もあるだろう。
そうか、と思った。
その後しばらく自分は雑事に取り紛れて訪問の間をあけてしまった。
そのひとが(もとは配偶者さんが)営んでいたギルドは代替わりして、別の人がリーダーになっていた。
競技のシステムに大きな変更が入れば、もちろん上位帯のプレイヤーはランキングが変動する。
得意なキャラクターがナーフ(弱体化)して、プロゲーマーが苦戦を強いられるというのはよくあることだ。
しかし競技の根っこの部分が変わらない限り、上級者が上級者で居続けることには変わらない。
「実力差が覆らない」と書いたのはそういうこと。
例えばサッカーをハンドOKドリブルOKのバスケみたいな競技に変更したら、
バスケのスキルが高いプレイヤーが躍り出るわけで、もはやサッカーの競技性は失われてる。
ここからが本題だが、eスポーツのルール変更とは、そういう変更じゃないわけ。
まるでサッカーがバスケになる変更かのように主張する奴がいるが、
プレイヤーは新たな戦略の開拓を求められるわけだが、アップデートへの対応力も競技力の一つだと言える。
伝統的なスポーツは基本的にシステムが変わらない→eスポーツはシステムがよく変わる→だから伝統的スポーツと違ってダメ
これは理屈として成り立ってないわけ。
なぜ日本でFPSが流行らなかったかといえば、制作されるのがチーム対戦ゲームばかりだったからである。
チームで勝つためのセオリー・規範の確立は、参加者を隷属させ、そこには「労働」が現出した。
普段から臆面もなく雑に働く欧州人にとっては「労働」がレジャーたりえるのであって、
日本人はさような「労働」に無賃休日出勤するほど殊勝ではなかっただけである。
かつて唯一の希望があったとすれば、ArenaFPSが1on1路線の重大さに気づいていればよかったのである。
しかし、数ある対戦モードの一つ、余興の一つという扱いを辞めるべきで、
覚悟と決意をもって、FPSにおける個人対戦ゲームの道のりを進むべきだった。
個人参加なら「デスマッチ」でも「バトルロイヤル」でも良いというわけではない。
数ある群像の中の一人では、観戦コンテンツとして弱いのである。
無論、「チームデスマッチ」だの「キャプチャーザフラッグ」だの「サドンデス」だの「ドミネーション」だの「エスコート」だの、
「デュエル」にしても、遮蔽物ごしの駆け引きという消極的なシーンが多々見られる点はいただけない。
観客にしてもプレイヤーにしても、壁や景色を監視し続けるために、わざわざ休日を割いているわけではない。
格闘ゲームのように、対戦プレイヤーの位置は常に表示しても構わなかったのだ。
FPSにおいては、位置情報秘匿も駆け引きの内と、信じて疑わなかったところが限界だった。
防御を軸にした格闘の駆け引きと、回避を軸にした銃器の駆け引き、題材の根本的差異が生み出す限界であった。
マップ上に点在する武器やリソースを拾い集めるというArenaFPSのコンセプトは、それに付随するものだ。
そうでもしなければ、有利なポジションで銃を構え続けるだけなのだから。
怠惰なFPSプレイヤーたちを動かすために、ゲームデザイナーはエサをバラまいて釣らなければならなかった。
だが、その涙ぐましい工夫でさえ、リソース差をつけて、まだ何も拾っていない丸腰に等しい相手を蹂躙し続けるという、
観戦に堪えないシーンを産み出し、それがテクニックや力量の証であるという開き直りに至る始末であったが、
もちろん内輪の人間以外に通るわけもなく、順調に衰退コンテンツたる現状に至っているわけである。
だが、日本の世間一般では格闘ゲームがesports・プロゲーマー第一号とされているとおり、その試みは歴史の闇に潰えたと見るのが客観的に妥当であろう。
その観戦のつまらなさと敷居の高さは内輪志向を加速させ、限界集落と揶揄される衰退コンテンツとなった。
私としては、個人対戦FPSが、プロスポーツのように、生計を立てる手段の一つとして勃興していてほしかった。
野球のダルビッシュ選手は「自分は価値がある人間じゃない、1番最初に野球のルールを作ってくれた人がいて、そこに自分達が生まれてきて、その才能がたまたまあっただけ」という。
FPS以外になんの取り柄もない私が生計を立てるには、FPSを通じて身を立てるのが自他共に最も幸福だろう。
しかし、そうはならなかった。
数少ない上位プレイヤーたちは、内輪の馴れ合いとゲーミングデバイス実演販売業で満足してしまった。
後からFPSにきた若者たちも、チーム対戦ゲームの限界に気づき、今ではゲーム配信者として、揃いも揃って格ゲーを嗜む有様である。
芽は、私が来る前に、とうに枯れていたのである。