はてなキーワード: プラネテスとは
プラネテスをめぐる騒動が完結してしばらく経ったが、いまだ心に残るコメントがある。
こんな意見を何人かが言っていて、それなりに人気になっていた。だが私にはわからない。
もしそこに込められた意味が、「感想は自由だが、ただし悪いことを言うと徹底的に袋叩きにされてしまう」だったなら、それはもう自由とは言えない。ゆえに何も言っていないに等しい。だから、「感想への批判はやめよう」が正しい解釈だろう。
さらに、人種や性別への偏見を「個人的には奴らはクソだと感じる」と表立ってタレ流したらやはり総バッシングを受けるから、対象にはフィクションへの、という限定がつくはずだ。
「全部ちゃんと観てから言って」とか全部観ても「理解力がない」とか「フィクションを視聴する素養がないだけだろ」とか、肯定的な感想にしても「XXX が個人的に好き? お前は見る目がないんだな」とか「正気を疑う」とか、悪くすると「XXX がヘイト創作だって解ってて言ってる?」みたいに言われることさえある。何なんだよヘイト創作って。
現代社会では、ネットに表出されたあらゆるすべては批判される。フィクションへの感想も例外ではない。
加えてこのモラルには、表現の自由を抑圧している、という問題がある。フィクションへの感想の批判を控えれば控えるほど、感想や、フィクションの創作は活性化するのか? そういうエビデンスってあるのか?
世の中のSF作品には嘘が多くそれによって勘違いをする人が多く居て困る。
私は前々からそういった人達の勘違いからくる発言によって迷惑してきた。
取材だったり、質問だったり、若手の失敗、取引先の相手との行き違い、あらゆる場面で「SFから得た間違った知識」にストレスを感じさせられてきた。
同じような間違いを何十人何百人という人間が口にし、その度に指摘し続けることに疲れた。
巷でSF映画が話題になる度に、そういった勘違いをした人がまた自分のもとにやってくると思うとウンザリする。
映画のCMを見るだけで、作品の面白さが最優先で現実の科学なんてものはそのための触媒としか思ってないことが伝わってくる。
詳しい人間に大雑把な質問をぶつけるだけで好奇心を満たしてしまわずにもっと根源的な部分からしっかりと知識を積み上げて欲しい。
SF作品であっても、現実の事象をちゃんと再現しようという気持ちがあるのなら否定する気はなく、それらが「正しい知識」を多くの人に授けてくれる事さえ期待する。
私は前に「プラネテス」という漫画もまさにそういった作品であるかのように誰かに薦められた。
そのことを思い出してふと手にとって見たが、なんのことはないこれもまた嘘まみれの作品であった。
私は非常に強く傷ついた。
私が嘘にまみれたSFを嫌いだと知っているはずの人達からこんなものを薦められたことに苛立ち、孤独感に襲われ、この世界から断ち切られた絆を必死に取り戻そうと焦ってしまった。
私の頭の中で「プラネテスという作品」「その作品の読者」「フィクションから得た間違った知識を信じる人」「間違った知識を信じたことで宇宙事業の足を引っ張るような人」がごちゃまぜになっていた。
特に最後の「間違った知識を信じたことで宇宙事業の足を引っ張るような人」と「プラネテス」が結びついた時、過去のあらゆる悲しみの原因がプラネテスにあるかのように私の脳が錯覚を起こしたのだと思う。
幾千の作品の行く万という嘘によって作り出された幾億の人の勘違いの全てから産まれた苛立ちを、たった一つの作品にぶつけてしまった。
もしも私が突然「私は日本人に沢山酷いことをされたので、日本人である貴方を殺すことで憎しみを晴らします」とお互いに初めてあう相手同士で言われたらギョッとするだろう。
それと同じことをしてしまった。
私が理解してほしかったのは「作品としてしっかりしている」と言われるようなSFでも「サイエンスとしての考証がしっかりしていること」は全く保証されていないという事だったのに。
そして、その違いを切り分けることなく安易につなげて考え「この作品は面白いから、この作品は本当なんだ」というような勘違いはしてくれるなという事だったのに。
これも少し違っていて、実際には「勘違いはしてくれてもいいが、それが勘違いなのかどうかを自分で本を読んで学ぼうという姿勢を持ってくれ」なのだ。
漫画から得た知識を繋ぎ合わせてもどこまでも漫画から得た知識の連鎖にしかならない。
自分でしっかりと学んで欲しい。
面白いSFを読んだ次に向かう先が、次の面白いSFではなく、科学雑誌であってくれればいいのに、そういった自分の気持ちが世の中とすれ違っていると感じて、産まれた孤独感が暴走してしまった。
「作品の面白さは科学的な正しさを保証しない」ということを、世の中のすべての人に理解してもらおうなんて押し付けだったのかも知れない。
リアリティがある作品こそが素晴らしいという価値観が逆流していき、素晴らしい作品であればそれがリアリティであると世の中が歪んでいったのだなんてのは私の杞憂なのかも知れない。
兎にも角にも、私が自分の長年の苛立ちを特定の作品そのものにぶつけたのは度が過ぎたことだ。
ありとあらゆる罪の根源を特定の何かを生贄にして押し付けるようなことなどが許されるのは神様ぐらいのものだ。
人間のくせに「現在過去未来その全ての悪の象徴としてお前を断罪する」なんて口にしたのは「分を弁えない」ことだった。
人間に出来るのは、あくまで一度に一つの作品に対して、一人の人間に対して、一つの間違いに対して、一つずつ対処していくことだったのに。
長い時間の間に溜まってきた不満を一度にぶつけてはいけなかったのだ。
個人的なわだかまりや消化不良な怒りの積み重ねから出た99%の八つ当たりをさも100%正当な怒りのようにぶつけたことを謝らせて欲しい。
それでもわがままを言うならあの怒りに1%ほどは正当なものがあったということぐらいは許してもらえないだろうか。
私達はいつだって「フィクションから産まれた嘘によって現実がおびかやかされること」に怯えて暮らしてきたのだ。
有名な作品であれば有るほど些細な嘘がより多くの人を巻き込み大きな渦となって現実に襲いかかってくる。
「作品において嘘を書く」ということは、どこかで現実の科学と戦っている人間に突然の大嵐となって遅い来る可能性を生むとういことを知っておいて欲しい。
それでも、これは私達科学者が戦わなければいけない私達の問題なのだということから目を逸らすつもりはない。
ただ、「分かった上で、それでも誰かを楽しませるために仕方なくやっているだろう」と思わせて欲しい。
本当に、本当に不安になるのだ。
娯楽作品で安易に飛び交う嘘を見る度に、それがどんな形で自分たちを脅かしにくるのかが。
私達の臆病さを、慈悲を持って許してくれるとありがたい。
こんなもんかな?
なんで俺が言語化するのかって?
かんたんだよ。
あの爺さんはプライドも高いし半端に知識も有るしその癖ボケが進行しているからもう自分の口で自分が言いたいことも言えなくなってるからさ。
だからその代わりに俺が言ってやるのさ。
言語化ってなにも本人がしなきゃ駄目ってこともないだろ?
プラネテスが「一番面白いアニメ」みたいなキャッチフレーズつけられてたような気がするんで今回見てみたんだけど、つまんなくはないけどそこまで大騒ぎするほどじゃねんじゃねみたいな感想。
実害が説明されればネットイナゴが矛を収めて大人しくなると本気で思っているのだろうか
そんなことは「絶対にない」と言い切れる
というのも
・そもそもその誤解は創作作品が悪いのか、現実サイドに問題がある。因縁だ
・今更追加説明されても、作品が受けたマイナスイメージは払拭できない、と言い出す
ネットイナゴが実害の説明を受けて納得して大人しく引き下がるわけがなく、そもそも〜〜だと言い出して延々と罵倒し続けるに決まっている
追加説明しても炎上が広がり更に拗れて作者も困るだけなので、実害の説明に意味はない。謝罪してダンマリ決め込むほうが遥かにマシ、と断言できる
俺前に
「キングダムの面白さがわからん」ってブコメしたら放置してたはてなダイアリーの記事にクソコメント書いていったやついたんだよねw
好きなものを批判されたらなんだよって思うのはまぁわかるけどさ
異常だよお前らw
>JAXA男性は「プラネテス」を叩くことで「プラネテスを愛するオタク」のことを叩いた
マジで言ってるの??
(さすがにこんなこと思っているオタクが沢山いるとは思えないが)
野尻さんが言うように現実側が弱いのなら、それをカバーするためにデブリ解説本を出してほしい。
実害をもたらす相手に、これを読め、と投げ返せるような。
幸村さんにも協力してもらって、「物理的に正しいプラネテス」とか書下ろしを付けたら、プラネテスファンにとってもプラスな事だろうし。後日談でもいいからさ。
何とかこのムカつく出来事が、「昔こんなことあったよね」と笑い話になるように、これがきっかけで宇宙開発への理解が広まったと言えるように。
広島から北海道の上十二滝村に(ドライバー一人、)二泊三日で往復するというエピソードが、激しく煽ってくるんだよね。もともとリアリティはない話ではあるんだけど、幻想や酔った時の夢みたいなタイプの虚構から「都合のいいウソ」タイプにチェンジしてしまう。
「私、寝ないでも大丈夫なんで」という台詞も「大丈夫じゃないだろ」と。イラっとするわけは「若い女性なのにプロフェッショナルであるという誇りを持っている。自負だけでなく実力がある」という設定が飛んでしまうから。
徹夜明けで作業すると、そのとき注意力は、アルコールを何グラム摂取したのと同程度に低下する、という研究があったはず。
『竜とそばかす』の高知>武蔵小杉/世田谷も気になったが(ただし往復ではなく片道)、あの劇場が広島でなくせめて福島や北関東・長野だったら、ぐっと飲み込めたかもしれないのに。