はてなキーワード: プライベートとは
職場の男性(恋愛対象ではない相手)からもらって不快で無い無難な物の例なんだけど↓
少し書きこめるメモ的な付箋。猫が好きな子なら、猫柄の付箋とかを選んであげたらいかがでしょ。ロフト行きゃいくらでも可愛いのはある。仕事でも使うし、プライベートでも使える。
使えば消える物なら、相手も気兼ねなく使える。
ペンとかクリップは形が残るから嫌だ。彼氏とか仲の良い友達から貰えるなら嬉しいけど。
その子が職場の同僚とか家族と食べて盛り上がってくれれば、良い思い出として記憶されると思う。食べながらネットで調べるだろうから、評判の良いものを。
使えば消える
キモいと思われなさそうな、無難で控えめな例をあげてみた。相手の子に好意を持たれている自信があるなら、もうちょっと凝った品にしても良いんじゃない?
ワイはようやく Touch ID ついたから iPad Pro 12.9インチ (第2世代/512GB) から
iPad Air 13インチ(1TB) に乗り換え予定やがいうほど新しいか?
田舎に足を踏み入れて3週間が経過した。初期配属がここになることは承知していたが、思っていたのと現実とのギャップに今まさに苦しんでいる。まさかこんなにも地獄のような場所が存在するとは思わなかった。都会の華やかな生活から突然引きずり込まれ、絶望の淵に立たされている。田舎と言っても10万人以上の人口はあるし駅近くの見た目は綺麗な町だが、その内実は汚れきった噂と陰湿な人間関係で溢れかえっている。
この田舎の職場はまさに地獄の業火で焼かれているかのようだ。他の部署や社員の家族までがターゲットにされ、悪口と陰口が絶えない。都会でも厄介な同僚はいるんだろうが、こんなにもひどくはないはずだ。上司や同僚から漏れ聞こえるプライベートな情報には唖然とするばかりだ。さらに、女性である私は見下される扱いを受けることも珍しくない。
雑談から個人情報を無理やり聞き出され、プライバシーが踏みにじられる日々。新卒からいきなり転職することもできず、逃げることもできない。この田舎地獄から脱出する道が見えない。
息抜きの場所もなく、休日も地獄のようだ。観光地も飽き飽きし、同僚との遭遇を恐れて引きこもるしかない。こんな日々が私の未来なのだろうか。都会に戻りたいと切望するが、その希望がかなう日は来るのだろうか。どうせなら死ぬ方がましだと思うことさえある。
女性でありながら、この田舎の閉塞的な社会に挑むことは地獄そのものだ。男性の支配下にある職場で、女性はいつも不利な立場に置かれる。都会でのキャリアを持つ女性にとって、この環境は耐え難いものだ。私たち女性は、自らの価値を常に証明しなければならない。それが私たちが抱える負担だ。この田舎の閉塞感と女性としての私の立場。その両方が私の心を苦しめ、私の生活を地獄に変えている。だが、私はあきらめない。いつかこの地獄から抜け出し、自由な未来を手に入れる日が来ると信じている。
いい区切りだったので乱文になるけど吐き出させてほしい
8年ほど前、まだ20代後半だった自分が今の会社に中途採用された際に同時入社の同期が1人いた
自分とは歳の離れた40代後半であった同期である彼こそが後に、時限爆弾を仕掛ける人物である
入社した会社はその時期に基幹システムの刷新を考えていたらしく
その募集でシステム部として採用されたのが自分とその同期であった
当時のシステム部の社員は2名体制で1人が60代で定年間近の上司A、もう一人は50代の上司B
2人でなんとか基幹システムの維持だけを行っている状態であった
会社としては基幹システムの刷新以外にも社員の世代交代を徐々に行っていくための採用だったと入社直後に言われた記憶がある
60代の上司A、50代の上司B、40代の同期、そして20代の自分
確かにそのまま行けば年齢層は順調に推移して、10年単位で20代を採用することを繰り返せばいい感じにも思えた
入社してからの仕事としては60代上司Aの定年退職が控えているため、まずは稼働中の基幹システムの仕様理解に日々の業務の引継ぎ
そんな多忙な業務をこなすなか同期と話すうちに彼の人柄が徐々にわかってきた
箇条書きでまとめるとこんな感じだったと思う
・今の会社に採用される前、同じような職を転々として現在8社目であること
・受託システム開発ばかりやっていたが、そろそろゆっくり仕事ができる社内SEでまったり過ごしたいこと
・年齢と経歴の割にプログラムが雑なこと(※これは自分視点だがそう的外れではないと思う
また、今の会社に対してのスタンスや不満が溜まってきていることも伝わってきた
・システムを作る自分たちのチームが上で、運用するチームを下だと見下していること
・その運用チームから稼働テストの際にミスを指摘されると不機嫌になること
中々怪しい気配が漂ってきたと当時の自分は思った
残業に関しては、毎日という程ではないが20時頃までは働いていたと思う、遅くても21時までだったはずだ
ただこれはシステムの刷新が終わるまでという明確なゴールがあったのでそれまでは申し訳ないが対応してほしいと事前に説明があったし残業代もきっちり出ていた
自分は前職が完全にブラックで終電帰り、残業代なしが当たり前という環境もあったため特に問題なく仕事ができていたが同期はかなりストレスだったようだ
給料については会社の方針として勤続給ではなく年齢給であったため同時入社であるものの同期は自分よりかなり貰っていたはずであるが、それでも不満だったようだ
トラブルといってもただ上司Bが打ち合わせ中の同期の態度について不真面目だと切れて説教したのだ
この上司Bと同期の彼は相性が悪いようで度々小さな衝突はあったが上司Bが声を荒げて説教するのは始めてのことであった。
しかしこのことがきっかけで上司Bは同期に対して我慢がきかなくなったのかこの後もおよそ2ヶ月に1度のペースで業務のミスといったことから朝に挨拶をしなかったといった細かいことまで説教は続いた
この状態に嫌気が差した同期はある時を境にプライベートの予定があるからと基本残業はしなくなった
たまにどうしても必要がある際は業務命令という形で残業を依頼していたが、それでも19時くらいまでであった
しかし同期はそれもかなり不満だったらしく
残業した日は会社の最寄り駅と会社の間にあるビジネスホテルに泊まり
翌朝、ホテルの前を出勤中の社長や役員の前を偶然を装ってチェックアウトして遭遇し上司Bが無茶な残業を強要するせいでホテルに泊まる羽目になったとアピールするということもあったという
そのため、ちょくちょくシステム部にたいして過度な残業に関する指導が入っていたと後に上司Aから聞いたことがある
そして入社からおよそ3年が過ぎ、なんとか新システムも完成に近づいた時
しかしこの時は同期も相当機嫌が悪かったのか、それとも今まで積もり積もったストレスが限界だったのか、もしくは両方か分からないが
上司Bも同期もお互いに売り言葉に買い言葉で収集が付かず、上司Bが一旦頭を冷やすといって席を離れた際に同期はPCを少しいじると私物をまとめ無断で早退として帰っていった
なおこの時、上司Aは有給で休み、自分は電話応対中であったため止める者がおらず気がついたら終わっていたといっていいスピード感だった
そして同期は翌日、人事部に退職すると電話するとその後出社することはなかった
新システムの作成中データを取り出すために起動したがそれ以降はそのまま一度も起動することなく放置という状態であった
上司Bは撤去したい様子ではあったが、ある役員から戻って来るかもしれないからとりあえずそのままにしておくようにと指示があったので触れることもしなかった
その後、同期の担当分を自分が引継ぎ新システムの作成にとりかかるが彼の担当していた機能はなんとなく察してはいたが、かなり雑な作りな上
運用部門の要望をまったく聞かなかったため、とてもリリースできる状態でないことが発覚
改めて要望に沿った形で修正をする方針で進めると彼が作成したコードで残った部分は30%も残らなかった、ほとんど作り直しと言っていいレベルだ
そのときには定年から雇用延長となっていた上司Aは区切りがついたと退職
会社の業績もあまり安定しない時期でもあったため追加人員の採用は見送られシステム部は上司Bと自分の2名体制となった
その際に新システム作成が評価されたのと2名体制で苦労をかける事情からか自分は課長に昇進した、4年目のことである
新システムはその後、小さなトラブルはあるものの順調に稼働を続ける
なお小さなトラブルの大半は同期の彼が作った部分が関わっていることが多く
その度に彼が作ったコードは修正され、今では機能の殆どに彼のコードは残っていない
残っているのはせいぜい彼が名付けた関数名や変数名くらいである、中身はもう別物だ
そして6年目のある日、上司Bが突然亡くなった
腹痛を訴え病院へ、で即入院してそのまま復帰することなくという形だ
癌だったらしい
その時の会社の上層部はかなり大慌てであったらしいがシステム部としては正直あまり変わりがなかった
というのも新システムを作る際に運用部門の要望をほぼ取り込んだ結果
システム部の基幹システムに関する仕事はほとんどなくなったといっていいレベルとなったのだ
しかし周りはそうは思っていないらしく、システム部は1人しかいないのだから極力負担をかけないようにと各部門には通達がいったらしい
しかし実態はあれだけ忙しく残業していた日々が嘘のように毎日定時で帰っても問題ないのだ
同期の彼が望んでいたゆっくり仕事ができる環境がここに完成していた
そんな中、同期のPCを残しておくよう指示を出した役員も退職する時期となり
そこで改めてPCを起動して中をいろいろ確認していったのだが、そこであることに気づく
起動回数は1回限りで未実行、起動予定はかなり過去の日付が指定されており、とっくにその日付は過ぎていた
バッチ処理の内容を詳しく見てみるとPCの全ドライブの消去コマンドが書かれていた
同期の嫌がらせだったらしい
起動予定の日付を良く確認すると彼が退職を連絡した日の翌月が指定されていた
しかし実際は彼が退職した翌日以来、PCを起動した事はないしバッチも動作していない
※今回は不発だったから良いけど実際にやると損賠賠償になるから
このことは報告していないが、業務でバッチ処理に関わる度に同期のことを思い出す
もし彼が残っていたら昇進したのは自分ではなく同期となり、彼の言う満足いく給料を貰えたかもしれない
もし彼が残っていたら上司Bがいなくなりストレスがない職場で彼は働けたかもしれない
もし彼が残っていたら運用部門からの要請はなくなり、残業とは無縁な仕事が出来たかもしれない
いや最後のは無理かな
作ってたコード雑だったし、人の話聞かなかったし
ふと彼のその後が気になって調べてみたことがある
世間話で同期がSNSをやっていると聞いたことがあり検索してみたのだ
アカウントは知らなかったが彼の話していた世間話の内容で検索してみると意外なほど簡単に見つけることができた、アイコンも自身の顔写真にしており間違いないと思われた
また次(の次?)の職場で残業がらみのトラブルを起こした愚痴が書いてあった
うちの会社を退職したときの事は何を書いていたのか過去の在職期間の投稿を見てみると大半は案の定愚痴の羅列が並んでいた
そして、その連続した投稿の中で退職直後の時期に面白い投稿があった
要約するならこうだろうか
社内システム作っている自分に無茶ぶりばかり、データ全部消去して退職してやった
直してくれと謝罪の連絡してももう遅い、既に新しいホワイトな職場でまったり仕事中です
彼の中でうちの会社は有用スキルを持った人間を無能と決めつけ追放したギルドのように写っていたらしい
しかし実際はデータ削除の時限爆弾は不発であったし、仮に成功していても
現在彼の書いたコードはほぼ残っていないから直してくれと依頼することもない
そして彼の新しい職場は現在のSNSの投稿を見るに彼基準ではホワイトな職場ではないと自白をしている始末だ
ところで実際彼に連絡した人がいたのかという話だが
上司Bは既に亡くなっているので分からないが、おそらく連絡はとらなかっただろう
彼が退職の連絡をしてきた後、残っていた有給を消化したくらいのタイミング(大体1か月後)で退職に伴う書類の送付先の確認で何度か電話をしたが繋がることはなかったという
どうやら彼はこの連絡を会社からの謝罪の連絡だと思っていたのかもしれない
プードル プール プッシュ通知 プディング プリンセス プリンス プラス プラットフォーム プラズマ プラスチック プラネタリウム プラネット プリン体 プライド プライバシー プライベート プラカード プリーツ プリズム プリペイドカード プリマドンナ プリント プリンター プルタブ プルトニウム プレス プレゼント プレッシャー プレハブ プレー プレーヤー プレーオフ プレート プレートテクトニクス プレースタイル プロ プロフェッショナル プロファイル プログラム プログラマー プログラミング プロセス プロセスチーズ プロテスタント プレパラート プロット プロダクト プロテクター プロトタイプ プロムナード プロペラ プロポーズ プロレス プロレタリア プロローグ プロンプター プロデューサー
生身でコミュニケーションするとどうしても自分の年齢も意識することになる。
眼前の相手の年齢と、それに対して自分がどう思うかを通して自分の年齢を嫌でも考えてしまう。
生活習慣を改めて健康診断の数値を維持していかなければいけないことぐらいは諦めるし、転職がもう厳しい年齢になっているからこのままこの職場かせいぜい同じレベルの同業他社に骨を埋めるしかないことも諦められるんだが、それ以外の部分についてまで年齢を感じたくない。
たとえばツイッターやDiscordで今月のワールドトリガーについて「閉鎖訓練ってさ、やっぱ◯ックスしないと出られない部屋っぽいからエッチだよね。あんな空間に女子と閉じ込められてオナニーも出来ない状態でよく発狂しないと思うわ」みたいなことを語り合ってる時に、自分にもワートリキャラと同じぐらいの年の子供がいても既におかしくないことについて考えだしたら、なんで自分の子供ぐらいの相手にエッチだなんだ言ってるんだろうと死にたくなってしまうだろう。
でもそこがネット空間だったら、自分も相手もアイコンやアバターの裏に実年齢をうっすらと隠すことでなんとか直視を免れる。
つーかそこがコンカフェだろうがこんな会話を童貞のオッサンたちが集まってしているのを見られたら通報されてもおかしくない。
だからもう俺は生身で誰かと話したくないんだよ。
休日にダラダラとチャットサーバーに居座って「もういっそオフ会とかでよくないっすか?」みたいになったとき、俺は自分が離島に住んでいるという設定をいつもぶち上げている。
とにかく俺はもう生身で誰かと会話したくないんだ。
ただの書き散らし、書き捨て。返信しません
私はこの1、2年定期的にゲームをするネットで知り合った友人がいました。
知り合った経緯は本当にたまたまなのですが、話していると昔好きだったもの、やったことあるゲーム、最近興味のあることなど様々なジャンルが似ていて
会ったことはありません。しかし会話を通してお互いの生活をなんとなく知っていました。
相手にもちょっとなと思うことがありましたが、悪人というほどでもなくわたしとて真人間と言うわけでもないのでお互い様と思って付き合っていました
最近お互いタイミングが合わず、さらにはわたしの不運が重なってイライラすることが多くストレスが溜まっていました。
その最高潮のタイミングでなぜそこでやってしまったのか今でも後悔しているのですが、彼に今後の予定で使用する打ち合わせの内容を一方的に喧嘩腰で送ってしまいました。
次の日それについて私は謝罪文を送り、イライラしていたことと私が悪かったこと、本当に申しわけなかった旨を送ったのですがそれについては向こうは触れないまま打ち合わせは終わりました。
しかし数日たって彼のプライベートのことで打ち合わせ内容のイベントが流れることになりました。
ここまでまとめると私がトンチキな行動をしたせいだね、不運だったね、私のせいだね。
と言う総評で終わるのですが、自分の人生がずっとこんな感じなのかなぁと…
もともと人付き合いが多い方ではない上、仕事もほぼほぼ人と合うことはない仕事なので
たまに知り合った人と仲良くなってもこんな事を繰り返していくのかな、となんだかずっと虚しさでいっぱいになってしまいました。
ここまでまとめても私が悪いことしか出てこず、じゃあ自分が変わるのか、変われるのかと聞かれればそれもまた難しいのかな
昔から比べればだいぶまともになったと思っていたけど自分はこうやって友だちもできず一人で生きていくのかな……
具体的なことを思い出そうとすると細々した嫌なことしか思い出せない
結構我慢して通り過ぎたと思ってたのにと忘れられなかったのかとずっと自己嫌悪中です
ずっとそんな事が頭の中をグルグルしてる
増田の所属する事業部は8年前にスタートした新規事業部。約50名が所属。
本業は男女比率6:4くらいだが新規事業部は1:9で女性が圧倒的に多い。役職者も1人を除いて全員女性。
男女比7:3だった前職や他と比較して、女性ばかりの職場の良いところを挙げていく。
前職では高いところの物を取る、荷物を運ぶ、というような仕事は男性がやることになっていた。そして書類の整理とか電話対応、飲み会の店決め、事務用品発注は女性。とくに雑務に関しては明らかに男女で役割があった。増田はそれが結構嫌だった。
今の職場は小柄な女性でも高いところは脚立を使って自分で取ってるし(近くに男性がいても)、重い荷物は台車を使うか女性数人で協力して運んでいる。
増田は171cmあってスポーツもやっているので小柄な細身の男性と比べたら肉体的に出来ることはそう変わらない。
それなのに前職では男女で仕事が異なることに違和感を覚えていたので、今は過ごしやすい。
前職でもあからさまなセクハラは無かったが「女の人としてどう思う?」とか「こういうのは女の人の方が得意だから」とか言われるのが地味に嫌だった。別に女性を代表してるわけじゃないしと毎回思っていた。
また、声を荒げる人がいない。前の上司は男性で縦にも横にも大きく、本人も自覚なく大声で話したり注意するので毎回ドキリとした。今はそういうのは全く無い。
③時間に厳しい
上司、同僚たちが介護や育児やらで忙しいので、始業ギリ出勤、終業時間になった瞬間に帰宅するのが普通。
終業5分前からみんなトイレを済ませ、通勤用の靴に履き替えて、鞄を足元に置いてスタンバイしている。増田は入社当初、始業20分前には席に着いていた「早く来るな」という同調圧力に屈した。もちろん嬉しい。
前職は始業ギリに出勤なんてあり得なかった。
みんながみんなプライベート優先なので喫煙室や飲み会、ゴルフで話が決まるようなことが全く無い。(そもそも飲み会がない)
手順に従って意見を言って、妥当性があれば採用される。社内政治に腐心する必要がない。
以前の会社は仕事以外のことでも上司の評価が変わるので、気を遣う時間が長くて結構疲れていた。
付与される有給25日、毎年全部使える。使っていないと周囲から使うように促される。増田は2週間休んで海外に行ったりしている。
上司によると、「育児や介護している人だけが有給やフレックスを使うから不公平感が生まれる。全員同じくらい休めばそのようなことはなくなる。」とのこと。残業もほぼない。毎月平均して3時間くらい。
総務部の友人によると、有給をMAXで使ってるのは増田の所属事業部くらいだという。
⑥嫌なやつがいない
上記のように余裕がある職場なのでみんな大らか。少しいる男性社員もこの雰囲気に馴染めるタイプの人なので柔和だし接しやすい。
たまに変な人(悪口を吹聴する人、上司に過剰な媚を売る人)も異動して来るが、そのうちに毒気を抜かれて馴染むか、半年くらいで他の事業部に行く。本業の事業部にはギラギラした人がたくさんいる。
前職は日本型企業だったので、どんなに有能な人でも女性であれば課長止まりだった。
今は部長も他の役職者も女性ばかりだし、自分も真面目にやっていけばキャリアを築けるんだと安心出来る。
転職前は女性ばかりだと陰湿だったりするのか?とか少し思っていたが杞憂だった。
上司によると、立ち上げ時は全員女性で本業ではお荷物とされる時短社員や育休明けの社員が少なくなかったらしい。
そういう人達と、フルタイム勤務の独身の人達が公平に働けるように色々調整したら今の形になったという。
書いていて思ったけど、今の社会では育児や介護が女性に偏重しているから、女性だけで仕事を回すには今の事業部のような形にせざるを得ないんだよなぁ。
プライベートも仕事に捧げ、育児も介護も妻に丸投げできるような人ばかりが出世していったら、なかなかこんなふうにはならないと思う。
男性にも子供はいるし、親の介護がある人もいるし、それこそ体が弱い人だっているのにね。
増田は独身で何のしがらみもないけど、今の働き方は本当に良い。
いつ戦線離脱する人がいても良いように常にバッファがあるので、産休や介護休職に入る人がいてもそんなに仕事が増えた感じはしない。
あと、体の不調を同僚や上司に相談しやすいのも良い。おかげで仕事の調整をしてもらいやすいし健康的に働けている。
給料は31歳で役職なし、残業ほぼなしで年収550万くらいだから給料も悪くないと思う。
とにかく、転職して良かった!
40才手前の1年間で5キロ太り、これはまずいと思い今日4年ぶりに走った。(それまで定期的に運動していたもののプライベート色々あり運動できなかった。)
太った人が走ると脂肪がぶるんぶるん揺れて、一気に血流が良くなっているのか洋服の摩擦なのか、痒くて痒くて堪らない。
みんな走り始めはこうなの?
初体験だけど辛い。
「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。
じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。
もちろんこれは、単なる個人の体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付けや証拠を出せ!と言われても無理である。増田だから匿名だし。
ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。
すごく賢い男の子がいた。
私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気がクラスにはあった。
ある時、別の賢い男の子が転校してきた。
あまり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。
ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。
男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。
「まさか、女に負けるなんて」
私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。
そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。
そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子だから!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。
従兄弟はクズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。
これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母に随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。
私は、嫌になるほど祖母に似ていた。
外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。
そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。
私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。
「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母の姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」
「えっ?それって」
「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」
ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。
田舎の小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。
だから脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。
というわけで、若干遠い学校に通うことになった。
一時期、寮に入っていた。
その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。
「下着も干している、プライベートな場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」
私の主張は鼻で笑われた。
「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」
私は食い下がった。
「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしのプライバシーを尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」
男は心底驚いた顔をした。
「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」
周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。
どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。
翌年から私は寮を出た。
私も、周りの子も、親や教師に相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。
お前達は子供だからお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想
あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢とかいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。
一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。
このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分の権利を主張するな、という空気しかなかった。
今も変わらない?そうかな……そうかも……
部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。
理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。
もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的に彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。
「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」
しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!!?!?!(流石にキレる)
感謝の気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?
最後に感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?!
人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。
食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき、台所で食べた。
「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。
お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。
ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。
最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。
ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。
お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。
「やっぱり、お墓参りはちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」
と言いにくそうに言われた。
「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????
と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。
そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。
そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に、女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。
そのうちの一つが、以下に書くような話だ。
というか、胸の大小について、男性から公的な場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的な言葉をかけられる。」
これまで私が受けてきたセクハラは、「性的な意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。
でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的な意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。
私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生に揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。
だから余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。
大学院に進んだ。
そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。
父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。
一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。
「女がそげん勉強して、どがんすっ」
翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である。
小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。
戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母の気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。
大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。
買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から、言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。
男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、
と言われた。
雷に打たれたような気持ちだった。
こいつは何を企んでいる?と思った。
どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。
頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。
女の子だから、という理由で作業を免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。
さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。
もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったものが日本の他の地とは違っているからだと思います。
普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。
中学生くらいの時から、欧米の女性は自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米の女性はそもそも『お人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォだから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。
前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックスの相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんとしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも10〜20年前の九州ではそう言われていた。
生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所を俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。
上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代、男の子になりたかった。
だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。
「男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。
セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。
一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。
ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的な気持ちで、男の子になりたかった。
あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。
私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。
けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。
今、私は、身体違和を感じていない。
生まれながらの心の問題とは別に、社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療法である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。