はてなキーワード: ブロックスとは
Rubyは、純粋オブジェクト指向と評されるHaskellの直系と遇されるのが常だが、私の見解は、むしろマクロアセンブラにより近い、というものなのだ。Rubyにおいて継続すなわちcontinuationの使用はもはや常態とも言えるが、一方のSchemeでは、Algol的な例外機構の残滓により、Unixシグナルに留まっている。
制御構造のみならず、データ構造の観点からも、RubyはSchemeよりはるかにポストモダンと言えるだろう。淵源へと遡れば、マクロアセンブラとPascalの対立の図式へと導かれる。私は、Schemeのデータ構造は、唾棄すべき要因を含むという思いを抱く誘惑に抗いかねるのだ。そうであるならば、民主党の政権交代は失敗であったと結論せざるを得ない。
もとより、アインシュタインの相対性理論からも、明らかにRubyに軍配が上がるだろう。SchemeをSchemeたらしめているブロックスコープ構造にしろ、今となっては決して珍しいものとは言えない。いやむしろ、真に純粋関数型を指向するなら、Schemeへの共用体の導入をこそ今真摯に検討すべきなのだ。演算子オーバーロードですべての問題が解決するわけではない。この実存的な課題をただ黙殺しているSchemeに、私は異議を申し立てる。
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3時間、4時間のゲームは避けたい。
彼女の設定は
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「カタン以前」を濃縮しきっていて、「カタン以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。
「ボードゲームオタとしてはこの二つは“カードゲーム”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の鉄っちゃんが持ってる鉄道への憧憬と、アラン・ムーンのオタ的な考証へのこだわりを
たぶんこれを見た彼女は「テトリスだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
「やっぱりボードゲームは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「ごきぶりポーカー」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるサイコロの思いが好きだから。
今の若年層でアクワイア見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ザイファルトの「ソロゲームの魅力」あるいは「プレイヤー間の綾」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
これは地雷だよなあ。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にカルカソンヌを選んだ。