はてなキーワード: フォーマルとは
もしよければ俺のチラ裏を読んでほしい
見た目は痩せてオシャレになったやす子って感じ
ファッションはボーイッシュでカッコイイ系の女性ウケが良さそうな服
以下の方針で事を進めた
今回は素の感じを出して会話することを意識
口調もフランクな感じに
5分程遅刻して登場
なんと知り合いの知り合いだった ちょっと気まずい
主に相手の趣味について話をして特筆することもなく自然と会話が続いた
話を聞くと周りが結婚し始めたからなんとなく婚活を始めたとのこと
なんとなくこれ以上の関係に持って行けそうにないな・・・と思いながら終了
2回目なんとOK
まあなんとなくそうなる気はしていたが結構心にダメージを受けた
すっぴんながらも顔立ちは整っており、身長低めではあるがスタイルが良い
しかし髪が伸ばしっぱなしのモコモコでおとなしめの中学生女子が来ていそうな良くない意味で幼いファッション、自分の外見に全く興味がないのだろうと思った
ブサイクなのに身なりをそれなりに頑張って整えている俺の真逆を行く存在であった
以下の方針で事を進めた
他は前回と同じ
趣味欄が全く合わず受けるか非常に迷ったがチャンスを増やさない手はないと考え受けることに
しかし実際に会ってみると前述した外見に加え控え目な喋り口
が声が小さすぎて何をしゃべっているのか8割ほどしか把握できない
こちらから会話を振っても自分の話を一切しようとしないためこちらの話ばかりしてしまう
ワイルド系の見た目にしたからかこなれている感が出ていたようでもう婚活初めて長いんですよね?とか付き合っている女性はいないんですよね?とか聞いてくる
何度も同じことを聞いてくる 多分こっちの話を全く聞いていない
こちらに興味があるというよりなんとか沈黙させずにやり過ごそうとしている印象
正直こちらのルックスを見てやる気を無くしたのが丸わかりで気分が萎える
2回目はもちろんごめんなさいされた
ここらへんでなんとなく疲れてしまい1カ月休む
2人目とそっくり 身長が低くなった愛○様みたいな顔立ちと髪型
今回は復帰戦ということもあり髪もテキトーにセットして普段のジャケットとチノパンで何も考えずに突撃した
若干遅刻してきた
愛○様に嫌な思い出がある俺、初対面であー今回もダメだったかと落胆する
しかし2人目と異なりずっと笑顔だし積極的に話しかけてきてくれる
趣味がびっくりする位俺とよく合う がしかし多分俺に合わせてくれていたのだと思う
アニメやジムの話で盛り上がった後、家族の話や仕事の話などをする
なんか流れが3人目のときと同じで嬉しい反面嫌な予感を抱く
別れ際は今日は本当にお話できて楽しかったですと言われて笑顔のまま解散
そこまで言うなら2回目もあるだろうと思っていたら2回目はごめんなさいされた
やたら兄弟の話を聞きたがっていたので長男は無条件でNGとかそんなんだろうか
まぁ会ってみたら思っていたよりブサイクだったので付き合うのはねーわってなったのかもしれない
もう深く考えるのはやめることにした
今の相談所に見切りをつけて以前ブコメで貰ったアドバイスに従って顔出し有の相談所に変えようとしている
そちらでしばらくチャレンジしてみたいと思う
申し込みに当たり婚活用の写真を持参する必要があるのでまずは写真館探しだ
とにかく何かアクション起こしてないと将来の不安に押しつぶされてしまいそうだ
女友達どころか普通の友達すらあまりいない俺の嫁になってくれる女性は果たして本当にこの世に存在するのだろうか?
つらい
前回の記事覚えててくれた人がいて嬉しい 俺頑張るよ
おせっかいな親戚がお見合い話持ってきてくれればいいのになぁと思うんだけど全くないや
顔出しアリの方が引き合い多くなるっていうのは興味深いな やっぱどんな顔か分かってるほうが安心感持てるんだろうね
絶対アウェーだし俺の見た目が真顔のフジモンだから話しかけてもらえそうもないし即辞める気しかしない
あ、愛○様の嫌な思い出っていうのは2人目のことだよ 愛○様ご本人とは会ったこともないし嫌な思い出などとんでもない!
2人目の人には今まで生きてきて一番の塩対応をされたから結構トラウマになってる
逃げるように帰っていくってどんだけ俺としゃべるの嫌だったんだよって
美容室にも3週間に1回は行ってる
ヒゲが濃ゆくなってきたのでそろそろヒゲ脱毛に行こうかなって思ってる
身長だけはそこそこあるからそれは親に感謝だね でも街中で普通に低めの身長の男も彼女連れて歩いてたりするよね
それもイケメンならまだ分かるけどモジャモジャ頭にメガネの如何にもオタクみたいな男が結構可愛い彼女連れて歩いてたりする
なれるなら友達になってどうやって彼女を彼女にしたとか聞いてみたい
見た目フジモンのくせに学生のウェーイwwwみたいなノリが嫌いで比較的おとなしめのグループにいたからね
おとなしめのグループの人ってデビュー決めるたびに昔の友達みんな切るんだよね
もっと頑張らないと
自分は裏がもっこもこの布団のようなボアになっている服が好き。文句無しの防寒機能がある。見た目がおしゃれじゃなくなるからか、そういう服のレビューを読んだら「部屋着には最高」「犬の散歩に行く用に買いました。最高」等と書いてある。
自分はそれを来てフツーにおでかけしちゃう。友達にもあっちゃう
雪国の人がニュースに出てくるとスキーウェアみたいな服装ででてきたりするから、寒い地方の人たちは私が好きな分厚い温かい服を着ているのだろう(当たり前)
分厚いあたたかい服というのはカジュアル感がでてしまい、フォーマル感がでる服は薄いような気がする。
重ね着しなくてもいいくらい分厚い防寒服が好きで、とにかく自分の身を守ってあたためてくれる服がいとおしい。おしゃれじゃなくても服に対する愛情はある
結婚式に白ネクタイするのダサいだろって思う。より正確には黒ネクタイNGってのがダサい。
洋装のマナーとしては、略礼装に黒ネクタイは結婚式葬式両方に通用するフォーマルなものらしい。結婚式で黒ネクタイNGは日本のローカルルールで、最近では眉唾マナーじゃね?という考えも弱くはないらしい。
伝統がどうとかはさて置いて、ある程度支配力のあるものとして浸透はしているし、あんまり出羽守みたいなのは好きじゃないけど。
でも何より、見た目の問題として黒ネクタイかっこいいもんな。シャツとのコントラストが効いてパキッとするし。私はブルースブラザーズとかレザボアドッグスに憧れがあるのもあって、強くそう思う。まあこれは人によるだろうし、刷り込みの要素も強いだろうけど。
私自身は無地黒よりかっこいい色・柄は無いと確信しているけど、他人がそう思うとは限らない。日式TPOを内面化している人は渋い顔にもなるだろう。特に結婚式なんか、ゲストが自己主張をする場でもないし。
マナーに変化が訪れるまでは無難な色のネクタイを締め続ける事でしょう。些細な事ではあれ、わざわざ角を立てるような真似は避ける程度の社会性はあるので。でも黒銀とかで少しずつ抵抗してみようかな。
大学入試の小論文を書くような気持ちで文章を書くのは窮屈で仕方がないことだと分かった。
小論文では体言止めすらフォーマルな表現じゃないとして減点対象になり得る。
タメ口の文体のなかでいきなり敬語使うってのも剽軽といえばいいかあるいは軽薄さが売りのエッセイやブログなんかで普通にありがちなものだが、それも文体が統一されてないと減点。
しかしそういう意味で満点な表現が面白くて日本語としてこなれた表現とは限らんのだよな。こんなんじゃ表現の幅が狭まるばかりだ。
誰にも批判されないようにと、小論文を模範として文章を書くようにいたが、もうやめだ。
文法上の誤りさえなければあとは自信を持って好きに書いていいんだと思う。
性自認は完全に男性だし、自分が男性であることに対する違和感は全くない。
これまで男性として育ってきてしまったからかもしれないが、今更手術を受けて女性になろうと思うほど逼迫した思いも抱えていない。
恋愛対象は両方だと思う。
多くの場合好きになるのは女性だが、男性を好きになったこともある。
ちなみに全く女性にはモテない。女性にモテていたらこんな拗らせた思いを抱えることもなかったのかもしれない。
変な悩みを抱えずに男性として生きれていたと思う。
女性になって、女友達と一緒におしゃべりして、お化粧してお出かけして。加工だらけの写真をインスタにアップして。
素敵な男性に愛されて、子供を産んで。間違ってもはてな匿名ダイアリーなんて読まない。
その自身の願望の表れの一つとして、私は一人称が全然統一できない。
使い分けは意識的ではないのだが、ふとした瞬間に「私」と言ったり「僕」と言ったり「俺」と言ったりする。
「私」という一人称がふとした瞬間に出てくるのは、自身の女性化願望の現れの一つであると自覚しているし、
自身を男性として表現したいときには「俺」と言っているように思える(もちろんフォーマルな場面で「私」という一人称を使うからといった理由も存在する)。
この文章もそうやって書いていく。
そんな私だからフェミニストの女性をみると腹が立って仕方がない。
いや、違う。もっと本心で、正直に言ってしまえば、もうちょっと拗らせている。
50%の確率で、「私から見れば運よく」女性に生まれることが出来たのにも関わらず、
彼女たちは、女性であることが辛いと言い、いかにも男性や男性社会に加害されているかのように嘆くのである。そんなのずるくない???
ただ単に「女性に生まれた」ことだけを嫉妬しているわけではない。
そもそも、フェミニストの女性が「生きにくい」というのは「女性だから」ではないだろうと思っている。
単純に、「現代社会」が我々のような「メンヘラ体質」にとって生きにくいだけなのだと思う。
男性だろうが、女性だろうが、現代社会は息苦しく、辛い世の中なんだ。
そりゃ僕だって表立って、「女性ばっかりずるい、女性になりたかった!」と声を大にして言いたい。
でもそんなのダサいし、みっともないし、誰からも共感されない。Twitterなら炎上まっしぐらだと思う。フェミニストが秒で寄ってくると思う。
これだって炎上するんじゃないかとビビりながら書いてる。誰も読まないよね、こんなブログ。だから大丈夫。
俺はそんなのは嫌なんだ。不特定多数のみんなから共感されながら、「うんうんわかるよ、君も辛かったね、君は悪くないよ」って言われたい。
肯定してほしい。他者からのいいねが欲しい。そう思ってしまうのが現代社会の生きずらさでしょ?
一方で女性は違う。
生きずらい自分の目の前に「フェミニズム」という、いかにももっともらしい思想が落ちていて、共感してくれる人もいっぱいいる。
「生きずらい自分」が悪いのではく、「女性を大切にしない社会」が悪い、と責任転嫁して、自分を守ってくれすらする。いいねだっていっぱいつく。
そりゃ目の前にそんな都合のいい思想が落ちていたら飛びつきたくなるだろうと思う。
そこに「社会を変革する」なんていう大義名分がついていたら、他者を攻撃する自分のことだって肯定できるだろうし、
「自分は社会に対して貢献しているんだ」という達成感や誇らしさすら得ることが出来る。アドレナリンやらオキシトシンやら、脳内麻薬ドバドバだと思う。
そう、私も女性だったら多分フェミニストになっていて、男が悪い、社会が悪いと騒ぎ立てていたと思う。
きっとそれは無自覚的に快楽だろうし、弱い自分を肯定してくれさえもする。自分でも自分を肯定できる。
もちろんフェミニストの彼女らがそれを認めることはないだろうし、自分が女性だった場合にもそれを認めるなんて屈辱的なことは絶対にしないと思うが
(ただし、クロワッサン症候群のようにある日突然にフェミニズムの流行りが終焉を迎えて、彼女らには何も残らない……なんて日が来ることもあり得るなと最近は思っていたりもする。ざまあみろろツイフェミども)。
でも、俺は男だ。
自分を守ってくれる安易な思想が落ちていない。「ミソジニー」? いや違うな、俺は女性が嫌いなわけじゃない。
ていうか、むしろ女性が大好きだし、大好きだからこそ女性になりたいとすら感じているのだから。そういう意味では私は自分を原理主義的な「フェミニスト」であると思っている。
だから言い訳なんてできない。俺の生きずらさは、現代社会に適応できない俺が悪いのであり、誰も共感なんかしてくれない。
もしも、このブログを読んで、少しでも同じ悩みを抱えている人がいたら、共感してほしい。それだけで俺は心から救われます。
女性にとって、自分を救ってくれる「フェミニズム」があるのに、僕にとってそれはない。そんなのずるいじゃないか……。
毎日その不条理をかみしめて生きてる。毎日女性に嫉妬しながら生きている。
だから俺は毎晩、「朝起きたら美少女に生まれ変わってますように」と願いながら眠りにつく。
(別に可愛くなくてもいいけど可愛いに越したことはないよね、うん。でも女性はお化粧が出来て、ある程度顔がよくなくても擬態できる。それもチートだと思う。俺だって化粧してかっこいい男になれるなら毎日化粧するわ。でも今はまだ男性用化粧品って種類が少ないのよね~)
一昨日も昨日も明日も明後日も寝る前に祈る。もちろん今日も。でもそんな日は絶対に来ない。不条理すぎると思う。
今の俺の最後の希望は、俺がまだ若いこと。今はまだ20代前半で、これからある程度は稼いでいける見込みがある。
今に金持ちになって弱者男性を脱却して、女を見返してやるんだ、なんて、女になりたいのにもかかわらずそんな女への復讐を胸に抱きながら今日は眠りにつく。
最後に。
長文乱文失礼しました。
ここまで読んでくれた人、あなたのおかげで今日はいい夢が見れそうです。
本当にありがとう。
コメント読んだ。
ありがとう。誰も読まない、誰も目にとめないことがいちばん嫌だったから、批判的でもコメントくれてうれしい。
批判コメント結構、むしろもっとじっくり議論したいまである。私もこの拗らせた悩み解消したいからね。
だから日常ではそんな価値観を隠して生きているわけで、こんなネットの片隅に愚痴をこぼすことくらい許してほしい。
さて、コメントを読んで足りなかったなと思ったところを補足する。
まず私は「女性に権利を与えるべきだ」「女性を尊重するべきだ」という根源にある主張はまず理解できるし、同調しているんだ。
むしろ女性の方が生物として上位種であるとすら考えている。男性である自分に劣等感すら覚える。
なんで上位種である女性に生まれなかったんだと心の底から思う。
これは論理的というよりも感覚的にだ。なんで、と聞かれても思ってしまうのだから仕方ない。
そういう意味で自分を原理主義的な「フェミニスト」だと思っている。
「女性の方が優れているのだから、女性を尊重するべきだ」という肌間隔があるからだ。
そのうえで、表層的な一つ一つの事象、例えば「女性の管理職の割合が低い! 男女平等のために割合を上げろ!」とか
「月経で辛い女性が多いんだから、生理用品は無償配布しろ!」とか
そういうのにもほとんど同意する。まあわかる。全くわからない例もあるけど、ここには書かない。
でも彼女らの本懐はそこにはない気がしていて。
例えば上に挙げたようないくつかの事象とか、さらにそれ以外にも彼女らが抱えている様々な一つ一つの「女性特有の」悩みももちろん抱えているんだと思う。
どこまで行っても生物学上は男性の俺にはわからない悩みだっていっぱいあるんだと思う。大変だね、救ってあげたいと心から思う。
でもそれらを社会が解決したところで彼女らの要求は増えていく一方だと思うんだ。
それは本質的に彼女らが「メンヘラ体質」で「弱者気質」だからだと思う。女性だから悩んでいるんじゃなくて、弱者だから悩んでるんじゃないの?
そもそもフェミニズムなんかなくても、昔から強い女性は社会進出していた方はいたわけで、「女性だからできない、虐げられている」には少し疑問符がある。
女性だとか男性だとか関係なく、ただ単に、弱者の自分を守ってくれる、弱者の自分を救ってくれる、それが彼女らの本懐だと思うんだ。
だから、別に女性だからとか関係なくて、きっと彼女らが男性だったら、その時は「弱者男性に女をあてがえ」って言ってたと思うんだ。
男性だからとか、女性だからとかじゃない、弱者だから救われたい、それだけなんだよな。
だから彼女らを救ってくれる「フェミニズム」が目の前にある事実がうらやましい。俺だってそんな浮き輪があるなら飛びつきたい。
竹炭?木炭?拾ってみると靴底のゴム。自分の靴のソールが剥がれてきてた。
歩く度にボロボロ崩れて剥がれてくる。
これだこれ。
冠婚葬祭でしか使わない革靴を履いた瞬間にかかとが粉砕した…経年劣化で粉々になったソールに「あるある」の声 - Togetter
togetter.com/li/1564812
知識として知ってはいたが、自分の身に降りかかるとは思わんかったわ。
↑の棘に「革底の靴履けよ」てブコメ付いてるが、法事だと墓参りで靴底濡れたりするので革底は面倒臭そう。
あと話ずれるが、ブコメに「冠婚葬祭ではローファー(スリッポン)はNG」て指摘あるが、
これだこれ。
フォーマルな場で足開いてたり足組んでたりする女の方がやべーよ
世の中のあるあるなんだろうけど、結婚~妊娠~子育てで、あまりにも義父母と自分の考え方が違って辛すぎる。
ここで吐き出させてください。
私(夫)は父親が中学の頃に家を出てって、実質的にシングルマザーの家庭で育った。
別に母子の仲が悪いわけではないし、それで寂しい思いをしたことはないし、まったく気にせずに過ごしてきた。
妻もそんなに裕福ではなさそうだが、家族は仲良い様子だった。ご両親と義姉の4人家族。
入籍は、私と妻が共通で好きな某ミュージシャンの誕生日にでもしようか、という話をしてた。
覚えやすいし、結婚のきっかけとなった人だし、クリスマスとか2人の誕生日とか行事ごとの無い月でプレゼントを買ったりするのにもちょうどよいと思ったから。
が、妻から「義父母に『その日は仏滅だからやめろ』と言われた。今年の11月22日・いい夫婦の日は大安だからその日にしよう」と提案があった。
妻の誕生日は12月なので、それでは短い期間に結婚記念日と誕生日とクリスマスが連続してしまう。
なにより私は仏滅とか大安とか気にしたこともなかった、というかその存在をほぼ初めて認識した。
でも、義父母のいうことなのだから、まあ聞いたほうがいいのかな…と11月22日にすることに決めた。
結局その日は大雨、役所もとても混んでいて、あまりいい思い出にはならなかった…。
ここから少しずつ、義父母のいいなりになることに後悔としんどさを覚えるようになっていった。
妊娠して数か月、お腹のふくらみも目立ち始めてきたころ、妻が「義父母から『家族みんなで某県のお寺に親戚の七回忌に行きたいんだが、一緒に来てくれ』と言われた」と告げられた。
世の中はコロナ禍の真っ只中だ。
妻は妊娠中の大事な時期で、しかも(これは私が悪いんだろうけど)我が家には車がないので、60代の義父の運転で行くという。
義父母の家族は全員喫煙者なので、申し訳ないが非喫煙者の私にとっては車の中はとてもタバコ臭くて苦手だ。
タバコ臭のする高齢者の運転する密な車内に、妊娠中の妻を載せて往復4時間以上…、おなかの子供が心配だ。
結婚式やお葬式ならまだしも、7年前に亡くなったご親戚のために侵すリスクではないのではないか、と反対したが、妻は「義父母が、あなたを親戚みんなに紹介したがっている」と譲らない。
そういうものなのだろうか…、親戚づきあいや冠婚葬祭に無頓着な家庭に育った私には判断がつかない。
また、これも私が悪いことなのだが、冠婚葬祭に無頓着かつ幸いなことに社会人になってから身内に不幸もなかったので、喪服というものを持っていない。
会社も私服勤務なので、フォーマルな衣装は結婚式用のもの一式のみ。
革靴はウィングチップなのでどうやら葬儀にはダメらしい、シャツもネクタイも柄物なので当然着ていけない。
なので結局、会ったこともない7年前に亡くなった義理の親戚のために、数万円かけて喪服一式と革靴を新調して某県へ向かった…。
七回忌後では、マスクもろくにせずに十数人の親戚と会食をした。
「これで万一クラスター感染して妻が流産しても、世間からは『自業自得』と言われるだろうな…」と、みじめな気分になった。
子育てのことを考えて、義父母の家から車で数十分のところにした。
これならいざという時に妻は義父母のことを頼れるし、妻にも子にも良い環境だと思ったからだ。
そして時は立ち、妊娠が発覚してしばらくしたころ、義父母が引っ越したという。
私たちのマンションからさらに近くなり、バスで1本、歩いても行ける距離だ。
近くなる分にはそりゃあ嬉しい気もするけど…、なんの相談もなく、なんだか、急に距離を詰められた気がする。
そして。
我が家には猫がいるのだが、品種的に人懐っこいタイプじゃなく、こちらから撫でようとしても撫でさせてくれない、なんならひっかいてくるような猫だ。
人と猫、お互いあまり干渉せず程よい距離感、たまーにデレるのがかわいいタイプなのだが。
こちらからちょっかいを出さなければ基本的にひっかき癖は顔を出さないし、もし何かのきっかけで興奮してひっかいてこようとしても、おもちゃで遊んであげて気持ちを鎮めれば大丈夫。
上手い距離感で遊べるように躾けていた(まあ、猫に躾けは無理なので、そういう習慣付けていたというのが正しいか)、のだが…。
週一でやってくる義母はそんな思惑など関係なしで、素手で猫にちょっかいを出す。
私がいるときは「遊ぶときはおもちゃで遊ぶようにしてください」とやんわり注意するようにしてるのだが、不在の時はどうしようもない。
猫は当然興奮して、人の腕をひっかいてよいものだと認識するようになり、お行儀もどんどん悪くなっていく…。
猫は何も悪くないのに、時にはゲージに閉じ込めなくてはならなくなった。
つらい。
そんなモヤモヤが少しずつ積み重なっていきながら、ついに妻が出産を迎えた。
コロナ禍で出産に立ち会えないどころか、出産後の2週間、妻の入院中も面会はNG。
スマホのビデオ通話でしか赤ちゃんの姿に会うことはできなかった。
そして待ちに待った退院の日!
妻ははじめての出産でとても疲れていたが、私は嬉しくて仕方なかった。
家に着いて、母と息子と父と猫、3人と1匹きりのはじめての時間…、ゆっくり過ごして嚙みしめたいな。
義母は、どこで買ってきたか、ペラペラの子供用布団とシーツ・キッチンに置き場の無い大きくて安っぽい哺乳瓶ケース・すでに我が家に用意してあった哺乳瓶を洗うスポンジなどなど…、何の相談もなしにたくさんのベビー用品を我が家に持ち込んできた。
もちろん、私たちもお店やネットでたくさん候補をリストアップしていたのだが…、Amazonプライム会員なので、注文すればすぐ届くのだが…、そんな言葉を飲み込んだ。
妻が妊娠してから皿洗いは私の当番なので、モチベーションを上げるためにコツコツと自分なりにお洒落なキッチン用品を買いそろえていたのだが…、統一感のない安めのプラスチックのグッズがキッチンに並んで一気に台無しになった。
皿洗いや哺乳瓶洗いが、視界に入る100均製品のおかげで全く楽しくなくなった…。
また、私の母は衣料品の工場勤務で、ちょうどちょっと高級なセレモニードレスやおくるみを作っており、お祝いに送ってくれた。
大変ありがたかったのだが…。
我が家に何があるかなど全く気にせずものを買ってくださる義母、もちろんセレモニードレスもおくるみもある日突然、何の相談もなしに持ってくる。
デザインもよく似た、父方と母方から贈られたセレモニードレスが2着…、行事ごとでどちらを着せるか胃が痛い。
そのほかにも、裁縫が趣味である義母は、自作のベビー服やおくるみをたくさん持ってきてくれる。
ありがたいとは思うけど…、いつ買った布なのか、白かったであろう生地部分が少し黄ばんでいるように見える。
義両親の家は全員喫煙者。
不安だ…。
前述の、私たち夫婦が共通で大好きな、結婚のきっかけになったミュージシャン。
そのミュージシャンの名前から取った、2人とも気に入っていた名前があったのだが…。
画数が良くない、言葉の響きが大昔の隠語を連想させる?といった、腑に落ちない理由で難色を示された。
その名前を書く命名ボードも、自分たちなりにモダンなものを買おうと思っていたのだが、結局は退院日に義母が勝手に(おそらく100均あたりで)用意してきたもの…。
その命名ボードを見るたびにモヤモヤしてしまう事が、子供に対して本当に申し訳ない。
例えば生まれて一か月の「お宮参り」、100日後の「お食い初め」、女の子ならひな祭り、男の子なら端午の節句、そして大きくなったら七五三。
私の実家では、そういったことはあまり無頓着だったし、やったとしても親子でしか祝ったことがないのだが、義父母にとっては「祖父母や親戚も含めて行う行事」らしい。
お宮参りも義父母家の近くで行ない、写真館で祖父母込みで写真を撮り(はじめて知ったけど、子供の写真を撮るのにこんなにお金がかかるとは…)、その後はコロナ流行真っただ中でも会食。
うちの母は遠くに住んでいて高齢だが今でも工場勤務をしているので、お宮参りのためだけに往復4~5時間を日帰りだ。
お食い初めも、もちろん食器も料理も私は選ぶ権利を与えられなかった。
そんなに行事ごととか親戚づきあいとか縁起を担ぐのって大事なのかな?
自分たちの好きな日に、親子でささやかにお祝いして、スマホで写真を残せば十分なんじゃないかな?と妻に言ってみたことがある。
すると妻には「我が家はずっとそうだったし、それが一般的だよ。そういうのが嫌なんだったら、結婚前に言っておいてよ」と返された。
だってそういうものがあるということを知らずに育ってきたから…。
まるで、私と私の母親は一般的じゃない異端な家族…そういわれたようで悲しかった。
十分、幸せだったけどなぁ。
この後の端午の節句も、七五三も、私や私の母の意向は関係なく進められるのだろう。
親子水入らずで何かイベントをするということは今後なく、義父母と一緒の写真がアルバムに並ぶんだろう…。
ずっと後悔としんどさを抱えて子供を育てていかなくてはいけないこと、そして自分の子供時代が否定されてるような気がして、寂しい。