はてなキーワード: ピッコロとは
父親がDV・モラハラ・無職と三拍子揃ったカスだったので、自分の結婚ぐらいは幸せにしたいと思って婚活を始めた30手前の女がただ今の気持ちを書き散らしていく
いいなと思える人はいる 目の前にいる人は自分の父親と同じ性別でも同じことをするわけではないと、頭では分かっている
でも常に過去の亡霊が出てきては、そいつをしばき倒すことを強要されるんだなあ、これが
10歳もいかないうちに父親に腹を蹴られて半殺しにされているので、就職して家を出るまでの20年間弱、衣食住の全てに死の匂いが染みついていた
正直どこに父親がキレて発狂⇒暴力発生になるのかのトリガーが埋まっているのか分からないので、生活という生活の全てに死を感じていた
死に触れすぎて、親元を離れた今も生きてる実感が若干薄い 生と死の境目がめちゃくちゃになっている
婚活に話を戻そう
婚活で新しい服を買おうと思って、クローゼットを圧迫するいらない服を捨てようとするたびに、大学生デビューしようとして中学高校の服を捨てようとしたら「親の金で買った服を捨てるのか!?」とクソでかい声で罵られた記憶が出てきて、そいつをしばいてからでないと穴の開いた靴下ですら捨てることがままならない
(てか、貧乏毒親って物貯めたがるし、明らかに不要なものでも取っておくよな あれ何なん?この現象に名前をつけたい)
この現象については、通ってる精神科のカウンセラーさんに「捨てていいんですか?」「いいですよ全然!」と言ってもらうことで解決した 第三者からのロック解除がなかったらずっと捨てられないままだったと思う
衣食住の全てから死臭がしているとはいえ、外食は楽しい だからデートでは楽しくいられる
そうなると、好物を最後まで取っておきたい自分VS嫌がらせのようにこちらの皿を執拗に狙ってくる父親の記憶が蘇ってきて、ああ誰かと家で食事するの嫌だなと思う
(父は大皿の料理を食い尽くすとかではなく、取り分けてるのに私の皿を狙ってくる たぶん嫌がらせというよりいじわるをして気を引きたい小学生男子みたいな感じの行動だったんだろうけど、それは30を越した父親である男性のやることではない)
そのたびに私は大量の揚げ物を作るあにまんラクス様の姿を思い出して、「今度の食卓では誰も取らないし、取り切れないぐらいご飯あるし」と言い聞かせて過去の亡霊をしばいている
住もまあまあヤバい 同一空間に他人がいるってだけで、もう反射的に「また暴力が発生するんじゃないか!?」と感じてしまうんだよな
就職した職場がバリバリに良い人ばっかりだったのに、「あっ、世間の人って、バチクソ怒っても半殺しにするまで殴ったりしないんだ」と実感するのに4年ぐらいかかった(入社して1年ぐらいは先輩から注意されるたびに半殺しの亡霊が蘇ってきて、心の奥で「殺される!」「クビにされる!」とパニックを起こしていた)、これはだいぶ激ヤバ
密閉された同じ空間に人がいることで過去の暴力への亡霊が蘇ってきて、もう気が休まらんから……
ちなみにこの件に関してはまだ対策が見つかっていない いい案あったら教えてください
女性とか小柄な男性といるときはあまり怖くないから、雰囲気の問題なのかな?
そんなこんなだけど、最近は「過去と未来は何の関係もない(⇒今までがヤバかったからといって、この先ずっと不幸だとか貧乏だとも限らないし、幸せな結婚も自分自身が変わればできる)」ということに気づいて、毒親から仕入れた考え方を幸せな考え方で上書きしてちまちま治すのを繰り返している
ちまくても効果ある、積み重ねれば 塵も積もればなんとやら
ハァ~ バリボリ贅沢言うけど顔面がFGOのシグルドで性格がドラゴンボールのピッコロさんみたいな人が現れて私と結婚してくんね~かな~
とりま手料理のレパートリー増やすとこから頑張ってる 最近ホンマの昆布とかつおで出汁取ってだし巻き卵作り始めた
料理って作ってるときは楽しいよな 自分で食うと太るし(数日に分けて食ってはいる)
全然まとまってないけど吐き出してすっきりした チャオ~
俺はピッコロさんやることが多かったなぁ
アニメが先で原作も通して読んだのは大人になってから2回だけだからあまり何かを言える資格がないかな
小学校の頃アニメのZがやっててみんな見てたから自分もなんとなく見てた
人造人間17号と18号が好きだった
トランクスもだけど↑で目つき悪い前髪内ワンレングスキャラに目覚めさせられたくらいしか思い出がなかったかもしれない
でもニュース見てかなりびっくりはした
ジョジョの奇妙な冒険と同じような「なんか話題になってるしよくネタも聞くけど、実際に自分で見たことはない作品」という枠だったんだよね。
超シリーズもいきなり入っても全然わからない作りで、まずはZまでは必修してこいって雰囲気にハードルの高さを感じていた。
ウルトラマンやガンダムのような毎シリーズリセット型のコンテンツじゃないということがドラゴンボール最大の弱点だと思う。
孫悟空の幼少期は知らなくてもいいから、ベジータ~セルの辺りは把握してないと全く話についていけない。
作劇が「あの悟空が」「あのベジータが」「あのクリリンが」「あのピッコロが」「御飯が遂に」といった所に軸足を起きがちだからだ。
悟空とベジータの名前は大雑把に知っていても、どれぐらい強くてどういう関係なのかが分かってないと、なんか突然パワーアップしてビュバビュバして勝ったり負けたりするだけで終わってしまう。
ドラゴンボールの戦闘スタイルは出てきた当時は画期的だったのだろうけど、今やもう使い古された戦い方になってきている。
もはやAKIRAと大差はないと言えるだろう。出てきた当時はその差分がそれはそれは大きく感じられたのだろうが。
なまじっかリメイクや超が進んだことで、ドラゴンボールは合流するタイミングの難しいコンテンツになってきている。
子供向けゲームコーナーにはデジタルカードダスがあるが、そういった所から入ってから正しいストーリーを把握するまでには長い時間がかかる。
スパロボから入ってガンダムとガオガイガーが全く別の話であることを理解するまでには、どちらか片方を単品で見なければ始まらないわけだが、そこにたどり着くまでが長いように。
そもそも戦いに興味がない子供はドラゴンボールにハマらないし、女の子はプリキュアに対してインプリンティングを行ってしまう。
激しい空中戦といえばドラゴンボールという感覚がある層は日本人の過半数よりかは少ないだろう。
でも何故か世の中では、誰もがドラゴンボールを好きで、シュッシュッババババババッッとなればドラゴンボールを連想するのだと思い込んでいる層が結構多いように見える。
人類70億人中の少なくとも60億人ががかめはめ波の練習をしたことがあると思いこんでいるような言動を目にすることがある。
不思議でならない。
望んでもいないのに親によって無理やり生み出され、その後は過酷な運命をたどることになる漫画・アニメのキャラクターは多い。
その中でも私元増田にとって一番印象に残っているのは、ドラゴンボールのピッコロ大魔王編に出てくるピッコロ大魔王(マジュニア)である。
ピッコロ大魔王が誕生したのは、親であるピッコロ大魔王が孫悟空との決戦に敗北した直後のことである。
親から「孫悟空を倒してお前が世界を征服しろ」という願いを込められ、タマゴとなって地球のどこかへ飛ばされた。
産まれたばかりのピッコロは、孫悟空への復讐だけを目標に生きていくことになる。
この時点ですごくきつい。
ドラゴンボールを読んだのは小学生の時だったが、当時は反出生主義の思想は無かったし、ピッコロの過酷な運命という感想も持てなかった。
大人になって読み返してみると、反出生主義の思想を念頭に考えてみると、ピッコロは「産まれてくるべきではなかった」。
作者の鳥山明氏もそのことについて考えてくれたのか、ピッコロにも救済措置としての「生きることの意味」を与えてくれた。
ピッコロ大魔王編の続編であるサイヤ人編で描かれた、ピッコロと孫悟飯の師弟関係、いや師弟関係以上の親子のような絆である。
ナッパの攻撃によって孫悟飯がピンチになったとき、ピッコロは身を挺してかばうシーンがあった。
鳥山明はドラゴンボールでそもそも少年悟空の冒険アドベンチャーを描きたかったのが人気が出なかったので
編集が「悟空と亀仙人以外全員捨てて仕切り直せ」つってアドベンチャー路線を捨てさせてバトル路線に舵を切った。
鳥山がアドベンチャー路線が好きなのはドラゴボ以降の作品群見てりゃ誰でもわかるわな。
ちなみに等身の高い大人キャラクター描くのもそんな好きじゃない。
その後、バトル路線に飽き飽きした鳥山がピッコロ大魔王編でまたちょっとアドベンチャー路線に戻して
ピッコロ倒して終わりにするはずが人気がありすぎて編集から続けろ、次は大人編だと言われ継続。
その後は本人も「エピローグのつもりで書いてた」「アニメ版をZにしたはもう終わりにするため」と語っていたように
本宮ひろしの男一匹ガキ大将なんかも有名な作品で、作者は何度も終わらせてくれと編集に直訴したが許されず
とうとうブチ切れた作者が主人公の腹に竹槍をぶっ刺して死にました!終わり!ってして
いざ本誌が届いてみてみたら編集の煽りコメントで「続く」と書いてあってビックリ仰天。
結局、それからダラダラ連載を続ける羽目になった。
他にもハンターハンターの富樫が幽遊白書で連載辞めさせてくれなくて病んで失踪した話は有名。
つーか集英社にこの手の話多いな。
他にもなんか途中からジャンル自体がガラッと変わって何だこれってなった作品もあったよな。
そこまで行かなくても、マガジンで連載されていた我間乱ではコミックスのキャラ紹介で定期的に
「編集が入れろって言うから入れたけど面白くならなかった」的な文句がちょろちょろ出てくる。
連載作品でこの手の「作家の思いとは関係なく作品の流れやキャラクターを改変させられる」話は事欠かない。
もちろん、出版社としては芸術やってんじゃなくて、商売として最善を尽くしてるだけってのは実際そう。
人気作品は引き延ばせるだけ引き延ばして金稼がなきゃいけない。
そのほうが作家にとってもいいはずだと思ってそれをやることは否定しないけど、
でもそれで出来上がってきたものは果たして「作家が本来描きたかったもの」だろうか。
降った雪が思い出に変わる頃、
12月のこのシャンシャンクリスマス感な世の中それだからって言ってF-ZERO99にもトナカイ走らせていいわけ?
それじゃ私も走りだすわい!
って言うかさー
また人が戻ってきたのか
最近は8割9割が何となくもしかして対戦相手がコンピューターなのかしら?って思っていた矢先のこのトナカイ仕様!
で人がまた戻ってきたみたいで
恐らく5割強は人間じゃないのかしら?
と言うのも
うかうかとのんびり走ってられない、
そんなF-ZERO99を走りまくっていたら
99人のメンバーでいま人が多いのかも!コンピューターが多いのかも!って分かる様になってくるような気がするのね。
急に寒くなってきたからそりゃーF-ZERO99にも雪降るわー!ってなるわよ。
そんな人が多くなってきたのをよそに
いつものもはやノルマになってきている1日5レースを消化してラッキーカードを集めているんだけど
そんなこともあるのね!って
2ペア判定はないみたいよ。
ガッカリだわー。
そんでね、
雪降ってるコースと降ってないコースで雪の結晶のマークがコース名に付いているんだけど、
エントリー後に今回走るコースをランダムで選ばれた2コースのうちどちらかに投票するって仕組みで走るコースが決まるんだけど、
それも雪が付いているコース雪が降っているコースに投票が集まるので、
これやっぱり今人間の人が多くね?ってなるのよ。
こんな毎回1票差で決定ってある?って思っていたら、
雪のマークの付いたコースの投票数が今までにないぐらいの獲得数で、
そんで案の定走っていたら人多すぎ!
リアルな人が操作するマシンは本当に速くて序盤順位も後半に付けることもしばしば
私はそう決めて
ドサ!ってするくだり。
それも私もして
片手に持っていたしばしばの柴漬けのお茶漬けのお茶碗をドサって落とすの。
その重さ2トン!
いくらそれで素早さが上がったとて
やっぱり人間って早いなーってさすがにお尻を出した子一等賞が何の競技か分からないような誤魔化しようのない速さなのよね。
12月はもしかしたらトナカイも邪魔だしレースは大盛り上がりになるかも知れないわ!
だって、
あまりにもトナカイカーが走りまくっているのでケーオーしまくっていたら
いままでのケーオー新記録叩き出しちゃったわよ!
そんでエネルギーゲージもこれまで今まで見たことのないような長さになってターボ使いまくりまくりすてぃー!
ちなみに、
F-ZERO99ではローリングアタックとかターボでぶつかったときに相手を撃破破壊すれば
自分の体力ゲージの最大ヒットポイントが上がったり回復したりするので、
とくにグランプリではケーオーしたいのよね!
もーそのぐらいトナカイが走っていてシャンシャン言っていいのは薬師丸ひろ子さんだけ!って言いたいぐらいだけど
忙しくなるわよー!
うふふ。
これ一体いつになったら
いつもそう食べるごとに思うのよね。
しみじみ。
ふと思ったんだけど
ウォーターサーバーのお湯が出るお湯をそのままカップに入れてホッツ白湯ウォーラーって言って飲んでる人も
もしかしたら世の中にいるのかしら?
ふとそう思ったのよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ピッコロ「いうほどそうか?」