はてなキーワード: ビジネスモデルとは
昨日から、NewJeansのプロデューサーであるミン・ヒジンと、元締めであるHYBEがこれでもかと揉めている。詳細は適当に調べてくれればいい。
そのとばっちりで改めて「NewJeansおじさん」がきもがられているわけだが、というのも、このニュースに注目して物知り顔で物申しているのがもれなくこの層だからだ。そもそも、ミン・ヒジンという裏方にやたら関心があるのもNewJeansおじさんたちの特徴であって、「にゅじたちが心配😭」とかつぶやいているようなティーンたちは、ミン・ヒジンが誰なのかもろくにわかっちゃいないだろう。
念のため、きもがられているNewJeansおじさんが中年男性である必要はない。ある特定の性質を持った人は誰であれ「NewJeansおじさん」なのであり、非おじさんにきもがられる立場にある。
この性質がなんなのかといろいろ考えてみたのだが、一言で言ってしまえば、「NewJeansを作品として鑑賞しようとしている」ということになるのかもしれない。NewJeansおじさんたちはもれなく鑑賞者であり、非おじさんたちはそうではない。
要は、おじさんたちはよくできた作品を求めているのであり、その価値を堪能したいのであり、それをもたらした作者や文脈について知りたいのだ。なんなら言葉を尽くして批評したい。
残念ながら、ティーンたちからすればおじさんたちのこのようなふるまいはかなりきもい。非おじさんたちからすれば、肝心なのはまずもってメンバーたちであり、そのかわいさであり、人生である。推しの幸せが一番なのであって、彼女たちをひとつの作品の一部としてモノ化する視線をそもそも持っていないのだ。
ここには、決してわかり合えないふたつの態度がある。おじさんたちはNewJeansメンバーたちのVlogなんて見ないし、非おじさんたちはミン・ヒジンのインタビューなんて読まない。
いま、NewJeansはミン・ヒジンを追ってHYBEを去るか、ミン・ヒジンと手を切ってHYBEに残るかという選択を実質的に迫られている。言うまでもなく、おじさんたちがより望んでいるのは前者であるが、おそらくティーンたちにとってより好ましい帰結をもたらすのは後者だ。ミン・ヒジンの世界観、おじさんたちを引き寄せていたあの芸術性を失うことは、芸術作品としてのNewJeansの終わりを意味するが、「推す」側はそもそも芸術性なんて気にしていない。非おじさんたちはなんであれ愛を注ぐのだから、GODSみたいなクソしょうもない曲を連発して人気が停滞したところで、愛がより加速するだけだ。
おじさんばかりがきもがられるのであえて言うが、対象のクオリティを度外視してひたすら「推す」というのは、それはそれで無責任だし傲慢なふるまいだ。
「かわいい」「頑張ってる」ぐらいしか評価軸を持たないファンたちは、今回の件がこじれてNewJeansがいよいよ落ち目になったとしても推し続けるのだろうが、それにだって限度がある。そのうちどうせ、ILLITなんかに乗り換えるのだろう。
そして本当にひどいことに、HYBEに代表される大手企業は、このような乗り換えを推奨するかのごとく次から次へと新人グループを量産しては既存のグループを切り捨てていっている。良い作品を良い作品としてじっくり長く嗜む、という鑑賞的態度が廃れているばかりか、「推し」に対立する態度としてけなされている現状が、このようなビジネスモデルを助長していることは言うまでもない。
いくらかわいくて頑張っていても、作品として劣っていては意味がないだろうと、そう思う私はNewJeansおじさんである。多少なりともそう思うのであれば、あなたも多少はNewJeansおじさんである。
3年前くらいかな、ホテルを検索するとホテル検索モードになるようになった
俺はラブホテルを検索したかっただけなのに、「ラブホ」でもホテル検索モードになるのでマジでクソだった
唯一使えるのは具体的なホテル名を入れた時くらいだ
それで昨日また検索する機会があったのだが
ってことは、普通にビジネスホテルを探す人もしんどい思いをしているのかもしれない
いやビジネスホテルって検索すれば出るんだろうか?ラブホテルって検索するとホテルモードだけど
ということは、これはGoogleのビジネスだということだ、仲介料が発生している
インターネット広告を巡る議論は、常に賛否両論を呼んできた。広告は情報の流通に不可欠な存在である一方、ユーザー体験を損ねるものとしても認識されてきた。近年、広告ブロッカーの普及により、この議論に新たな火種が投じられている。
広告の本来の目的は、広告主の商品やサービスについて、ユーザーに有益な情報を提供することにある。それは、ユーザーと広告主の間のコミュニケーションの一環であり、両者にとってWin-Winな関係を築くことが理想とされる。しかし現実には、多くの広告が本来の目的を見失い、ただ単に広告収入を得ることだけを目的としているように見受けられる。
特にブログやアフィリエイトサイト上の広告は、質の低下が顕著だ。ユーザーを騙してクリックさせるような広告ばかりが目につき、ユーザー体験を大きく損ねている。これらは一時的には収入を得られるかもしれないが、長期的にはユーザーの信頼を失い、広告主のブランドイメージも傷つける。広告収入というシステムから利益を得ようとするあまり、本末転倒な状況に陥っているのだ。
特に深刻なのが、SNS上でのAIを利用した詐欺的な広告の蔓延だ。巧妙に作られたこれらの広告は、ユーザーを欺いて個人情報を盗み取ったり、偽のサービスに誘導したりする。健全な広告というよりは、もはやサイバー犯罪の一種と言っても過言ではない。プラットフォームの信頼性を根本から揺るがす由々しき事態と言えよう。
こうした状況下で、広告ブロッカーの存在は無視できない。ユーザーの立場に立てば、質の低い広告をブロックするのは正当な権利だと言える。しかし、媒体運営者にとっては死活問題だ。広告収入に依存するビジネスモデルは、存続の危機に直面している。だが、ユーザーによる広告ブロックを「不当」で「利己的」な行為と決めつけるのは短絡的だろう。問題の本質は、広告収入のみに依存し、広告の質の向上よりも単価の上昇で対応してきた媒体運営者側にあるのではないか。
さらに、広告主の視点から見ても、課題は山積している。詐欺的な広告主と正当な広告主の区別は容易ではない。ユーザーからすれば、どの広告が信頼できるのか判断しづらいという実情がある。そしてこの問題の背景には、広告業界全体の不透明な構造がある。広告代理店やアドネットワークが介在することで、広告主とユーザーの距離が離れ、悪質な広告主が紛れ込む余地が生まれてしまう。広告主側も、自社広告の配信状況を十分に把握できていない可能性がある。
結局のところ、問題の本質は利権の問題に行き着く。質の低い広告や詐欺的な広告を野放しにしているのは広告提供業者であり、その広告提供業者を公に許しているのは各種大型プラットフォーム(SNS及び動画サイト)や中小ウェブサイト経営者だ。そしてこの中で、詐欺的広告や質の低い広告を自主的に制限可能なのは、提供業者と大型プラットフォーム経営者のみ。特に大型プラットフォーム経営者は、広告主と消費者を結ぶ重要な結節点であり、交渉力を持ち合わせる業界のルールメイカーとしての立場にある。
ここで問われるのは、消費者が大型プラットフォーム経営者に対して、質の低い広告や詐欺的な広告を載せるなと要求する権利があるのかどうかだ。言い換えれば、消費者の利益のために、プラットフォーム経営者の「しない自由」を制限する正当性があるのかという問題だ。
この問いに対しては、肯定的な答えが導き出せるだろう。今やインターネットは公共の場であり、現実のビジネスの場となっている。プラットフォーム経営者には、その公共性を維持する責任がある。そして何より、消費者が実際に被害を受けているという現実がある。詐欺的な広告による経済的損失や、プライバシー侵害への懸念は看過できない。にもかかわらず、プラットフォーム経営者がその要望に真摯に対応してこなかったのは問題だ。
この状況を打開するには、消費者、広告主、プラットフォーム運営者の三者が協力し、具体的なアクションを起こしていく必要がある。
まず、プラットフォーム運営者は、消費者からのフィードバックを積極的に活用し、広告審査体制を強化すべきだ。AIを活用した自動検知と並行して、人間の目による確認を徹底することが求められる。また、広告主の身元確認を厳格化し、広告内容の事前審査を義務付けることも重要だ。広告ポリシーを明確に定め、違反広告には厳正に対処する姿勢を示さなければならない。
広告主側にも、自社広告の配信状況を適切に管理し、質の高い広告を提供する責任がある。業界団体などと連携し、自主規制のガイドライン作りを進めることも有効だろう。
そして消費者は、問題のある広告を積極的に通報し、健全な広告環境作りに主体的に参加することが求められる。プラットフォームに対しても、改善を粘り強く要請していく必要がある。
プラットフォーム経営者には、「しない自由」よりも、「すべき責任」がある。業界をリードする立場である以上、消費者の信頼に応える努力を怠ってはいけない。もちろん、行き過ぎた規制は表現の自由や市場の健全な発展を阻害する恐れもある。だからこそ、消費者、広告主、プラットフォーム経営者の三者が対等な立場で議論を重ね、バランスの取れたルール作りをしていくことが大切なのだ。行政にも、この取り組みをサポートする役割が期待される。
ここで、インターネットの本質的な位置づけについても考えてみたい。インターネットは、当初は「市場原理に任された自由な場」という性格が強かった。規制は最小限に留め、自由な競争を促すことが重視されてきた。しかし、インターネットが社会に不可欠の基盤となった現在、その公共性は著しく高まっている。フェイクニュースやヘイトスピーチ、プライバシー侵害など、弊害への対策が急務となっている。
こうした認識の下、各国で法規制の動きが強まっているのは事実だ。だが、だからと言って行き過ぎた規制は避けなければならない。インターネットのイノベーションや表現の自由を阻害しないことが肝要だ。市場原理と公的規制のバランスをいかに取るかは、社会全体で知恵を出し合うべき課題である。
今こそ、従来の広告依存のビジネスモデルを見直し、新しい価値交換の形を模索すべき時だ。サブスクリプションモデルや有料記事など、ユーザーに直接的な価値を提供し、対価を得るビジネスモデルへの転換も一つの選択肢となるだろう。情報に対する価値観も変化し、良質なコンテンツには対価を払うという意識が広がりつつある。
また、広告収入の一部を広告審査の強化に充てる仕組みを作ることも検討に値する。広告の質を高めることが、結果としてプラットフォームの収益向上につながるのだという認識を、業界全体で共有することが重要だ。
健全な広告業界の発展は、ひいては健全なインターネットの発展につながる。広告主、メディア、ユーザーの三者が協力し合い、透明性と信頼を高めることで、より良い広告の在り方を模索していくことが求められる。広告ブロッカーの普及は、そのための重要な転換点となるはずだ。
インターネットは、「市場原理に委ねられた自由な場」から「公共性を帯びた社会基盤」へと変貌を遂げつつある。そして、我々はその変化の只中にいる。だからこそ今、インターネット広告の在り方を問い直し、健全なインターネットの未来を築くために行動を起こす必要がある。広告ブロッカーが投げかける問いは、そのための重要な一歩なのだ。私たち一人一人が、その問いを自分事として捉え、できるアクションを起こしていくこと。それが、より良いインターネットの未来を切り拓く鍵となるだろう。
一方、僕が集めてきたプログラマーはプログラミング未経験の頭の良さそうなネットゲーマーだけです。
なので初期のドワンゴは、森さん率いる天才ハッカー集団からなる超強力な開発チームと、僕の率いる廃人ゲーマーによる即席プログラマーメインの弱小開発チームの二つからできてました。
僕と森さんで最初に考えたドワンゴのビジネスモデルは単純で、優秀な僕ら(といっても森さんチームだけですが)は控えめにいっても普通の開発会社の半分以下の工数でソフトウェアを開発できる。
なので、実際にかかる工数の2倍で見積もりを出せば、半分は利益で丸儲けのはずだ、というものでした。
とても簡単な算数ですが、後から振り返るとそこが「理系のずるさの限界」でした。
僕らはドキドキしながら2倍の見積もりを出したんですけど、本当は10倍ぐらい出すべきでした。じゃないと儲からない。実際は想定よりも工数がかかることがあり、2倍じゃ利益出なくてめちゃくちゃ大変です。
ドワンゴが大きくなってから当初のドワンゴぐらい実力があって良心的な下請けが欲しいと、心から思いました。当時のドワンゴが出してた見積もりのさらに2倍の金額払っても、同等の仕事をしてくれる下請けなんて、なかなか見つかりません。
でも、文系経営者の中には平気な顔して100倍の見積もりとか出せる人もいたんですよね。僕らの感覚ではもはやそれは詐欺で、とてもできない。
本なんてその程度の扱いでいいものだし、本に限らずあらゆる産業の商品・サービスはそのように扱われて然るべき。
それが商業というもので、そうした方がビジネスのパイが広がり、商材も洗練されていくから。
抜きん出たものをさらに目立たせることで、より多くの人に認知され、共有され、その分野の裾野が広がる。言い換えればバズらせることができる。
それくらいのことをしないと、世の中にはあらゆる商業分野や消費的娯楽があふれているわけだから、認知してさえもらえない。
例えば今ゲーム業界では、市場規模を成すセールスの8割はサービス運営型のものから来るようになった。
それはなぜかというと、運営型ゲームの多くは基本無料の形態をとっており、「手に取る」ハードルが限りなく低くなったからだ。
それくらい、みんなが知っている、みんながやっている状況を作ることは大事だ。
ハードルが下がることで、消費者にとっても、常に手軽に「相見積もり」ができるような状況になっており、都合がよい。
だから無料で触れてもらって、良し悪しはその後で判断してもらうという態度こそ、消費者のセンスや知性を信用する誠実な売り方だ。
音楽や映像などの分野もサブスクの隆盛によって、「見てもらう」のにかかる費用がにわかに低廉化している。
そうした音楽・映像コンテンツを導入口にして、イベント等のファン商売へと誘導することで利益をあげている。
翻って、書籍分野の売り方を見てみると、電書という選択肢が増えたくらいで、ビジネスモデルは変化していない。
売れている本をより売るために目立たせるくらいでは、正直言って生ぬるすぎる。
手に取るハードルを低くできない以上、「絶対に外さない」ように一極集中させるのは理にかなっているだろう。
本当に書籍文化の未来を願うなら、考えることは真逆であるべきだ。
「隠れた良書」とされがちな性質を帯びた作品というのは、もともとその分野にどっぷり浸かっている人が、商業的なアシストがなくとも自分で探し出していける。
逆にそういう発掘の楽しみが残っていた方が、商業に食い荒らされない方が、良いとさえ言えるだろう。
ゲーム業界で言い換えるなら、SteamのインディーやPC・PS5などの買い切りの大作タイトルにはもっと優れた作品がある、それは事実だが、それを声高に叫んだとしても、そういう古い「あり方」が主流に返り咲くことはないのだ。
むしろ現実には、基本無料ゲーム開発のために資金と人材が集まり、ビジネス面では主戦場と化しているのがここ十数年の流れだ。
コアで偏狭なゲームファンはそれを直視できずにいて、運営型ゲームのガチャシステムなどを古い認識のまま嫌い続ける。
もちろん中身を重視するなんたらアワードのような世界では、AAAタイトルがマニアに評価され続けるだろう。
だがAAAタイトルを触れるのはゲーム消費者全体を俯瞰してみると、本当にマニアだけになっている。それは悪いことではない。
ゲームという「あり方」が柔軟に広がって裾野を広げた結果、おじいちゃんでもポケGOを楽しんでいたりする世界を一概にダメとは言えないだろう。
それと同じように考えれば、商業主義を嫌い、「隠れた良書」のようなものをアピールすることがいかにズレているか分かるだろう。
伸びているものをさらに伸ばして多くの人を巻き込み、素晴らしい方向へ成長させる圧力を生産者側へかけていくことが、誰も想像できないような膨らみ方をした未来の文化を作るわけだ。
モバイルゲームでは、開発費が高騰して、競争が激しいのに失敗リスクが大きくなっていることから、技術力や繊細な運営センスがない会社は早々に撤退を余儀なくされ、淘汰が激しくなっている。
この中を生き残って成功していく会社は、従来のゲーマーが評価するAAAタイトルを部分的に超えた品質のものを作れる能力を持ちつつある。こうやって想像を超えた進歩をしていく世界、面白いだろう。
本で例えるなら、なろう系ラノベをくだらないと言って一掃しようとするのではなく、なろう系をさらに洗練・発展させて世代を超えたジャンルへと育てていこう、あるいはそういうものが見たい、という考え方をすべきだ。
GODIVAのパンを売ってる「ゴディパン」のパンの外観について。
VIRON系列の「みんなのぱんや」と同じセンスを感じるというか、高級ブランドの高級パンのわりに見た目がここまで汚い(整ってない?)のってどうなんだろう。
自分はあの「寂れた商店街で高齢の夫婦が営むパン屋さんに売ってる、形が歪でべちゃっと潰れてて焦げすぎな感じのパン」みたいな外見が苦手なんだが。
分かるよ。狙ってるんでしょ「昭和レトロ」を。なぜかGODIVAで。
あれを買うためにLINEで深夜0時に予約して交通費かけて有楽町まで行って、一人当たり5個までという購入制限ありのなかで1個500円も払ってパンを買う精神が、なんつーか客を舐めすぎた店相手に媚びへつらう信者みたいじゃね? と思う。
アニオタ相手にコラボカフェでぼったくりメニュー出してる店のようというか、ゲームのコラボイベントかなんかで屋台で具のない焼きそばに1500円払ってる層と被るというか、それで本当にいいのかと思うけど。
けど無理なんだよ
これは10年で30倍、20年で1100倍の進化で驚異的だった
気を抜いてたら、追いつけないくらいに差が開く異常なスピードだった
だから先にやったもの勝ちで、最初は赤字でも後から利益を出せばいいというビジネスモデルがうまくいった
EVの各要素はせいぜい年5%~10%くらいしか進化しないよね
MSオフィスやAdobeみたいに、みんなが使ってるからしょうがないとか文句言いながら使わせることができる
だから先にやったもん勝ち、普及させたもん勝ちなビジネスなんだけど
EVは所詮モノ売りなので、次はあのメーカーのEVに乗ろうなんてことができてしまう
先に売ったところで、赤字覚悟で売ったところで、そのあと同じメーカーを買ってくれるわけではない
IT革命がうまくいったのは、オールド企業がITが何のことかわからない別業界な人たちだったからITを舐めてたよね
でも、EVは違う
トヨタなんて門外漢の老害でEVに無知だわ~とか思ってるかもしれないけど、
30年モーターと電池と格闘してたトヨタのほうがわかってるでしょ
つまりwaymoとかね
スマホやらで呼び出して、そこに来た車がどこで作られてる車なのか興味あるやつマニアでしょ
所有をするからメーカーを気にするけど、利用の時代になったらメーカーは気にしない
電車やバスの利用者は車体がどこで作られてるか気にしないよね。マニアくらい
トヨタが負けるとなったらそういう時だと思う
伸びてて草。読んでくれてありがとう。
EV論争って、BDvsHDDVDみたいな話だと思うんだよ。どっちが勝つでしょうか!みたいな
それで結局勝利はyoutubeとかnetflixだったみたいなオチでさ
ドリルと穴じゃないけど、客が欲しいのは円盤じゃなくて映像でしたって話だし
そりゃ自動運転社会の車はモーター駆動だとは思うけどね、コンピュータが操作しやすいだろうから
持たない移動手段のエネルギーが水素だろうが電池だろうがどうでもいいよね
まぁ電池だと無線で充電できるから自動運転と相性よさそうではある
あと、移動がモノからコトになったら、GAFAが支配しそう。まぁAppleはギブアップしたけどさ。
あれも結局はEVやりたいんじゃなくて自動運転やりたかったんでしょ?
ただ少なくともテスラではない気がするなぁ。
聞いてみました
健太が発見した魔法を使ったビジネス革新の方法は、以下のようなものです:
1. **魔法による即時通信**:遠隔地の取引先とのコミュニケーションを瞬時に行うことができる魔法を開発しました。これにより、情報の伝達速度が飛躍的に向上し、ビジネスの意思決定が迅速化されます。
2. **予測魔法による市場分析**:市場の動向を予測する魔法を用いて、需要の変動を先読みし、在庫管理や生産計画を最適化します。これにより、無駄なコストを削減し、利益を最大化することができます。
3. **魔法エネルギーによる生産効率化**:魔法エネルギーを動力源として使用することで、従来の手作業や機械を使った生産プロセスを改善し、生産効率を大幅に向上させます。
これらの革新的なアプローチは、健太が異世界のビジネスを変革し、経済全体を活性化させるための鍵となりました。彼の方法は、異世界のビジネスモデルに革命をもたらし、多くの企業が成功へと導かれるきっかけとなります。また、これらの技術は人々の生活を豊かにし、異世界の経済発展に大きく貢献することでしょう。
開発者AとBがいる。
開発者A「ビジネスモデル全体を最適化するための施策を実施中です」
開発者B「アイテムの重複を避けるために、アイテムの属性の文字列から固有の識別子を生成しています」
一見すると開発者Aのほうが全体を俯瞰していてデキそうに見える。開発者Bが無能のアスペのようだ。
しかし開発の進捗を確認すると、Aは全く進んでおらず、Bは「重複を排除するロジックが完了したので、これを効率的に実行できるようにしています」と言っている。
ご察しの通り、問題を細かく分解していかないと、開発というのは進まない。
全体を俯瞰してビジネスについて考えているふりをするだけではコードという形にはならないのである。
開発者Bは穴を掘り進めなければならないので、実際に掘っている。開発者Aは穴を掘る必要があるかどうかすらわかっていない。
別の言い方をすれば、巨大に見える問題も、適切に分解すればグイグイと進んでいくとも言える。開発者Aのように巨大なままで捉えていると、何も実装できない。
イトーヨーカドーもイオンも閑散度は似たようなもんだ、というブッコメに★が多く集まっていて(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/735015)、それを書いた人がどの立場でそう感じているのかは分からないのだが、それはとても正しい。ロードサイドだって平日はガラガラだというブッコメもあり、それもとても正しい。ただまぁ一方で平日は都心のファッションビルやデパートだって閑散としてるし休日は駐車場の入庫行列するようなショッピングセンターだって閑古鳥なので、そこの時間帯を比較することには、本件を読み解くためにはあんまり意味はない(このご時世に小売って厳しいよなーという文脈なら検討に値する視座ではある)。
まぁ、今のところはイトーヨーカドーが劣勢でイオンが好調である。GMSの世界というか小売業は本当に栄枯盛衰の移り変わりが速い業界で、イオンがいつまで好調を維持しているかも分からない。分からないが、これまでのところはイトーヨーカドーが降り、イオンが勝ち残っている。ヨーカドーが降りざるを得なくなった理由にはいくつかあるが、それは客足以外のところにある。
イトーヨーカドーの駅前店舗は、多くが賃借ビルの一棟貸テナントである。これはイトーヨーカドーが飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃には効率経営が高い(BSを圧縮したまま事業拡大できる)として称賛されていた。少し話はずれるが、イトーヨーカドーと地元商店街の対立図式は、単なる客のパイ争い以上に「駅前の再開発」に絡むものだから、要するに再開発の線引きエリア外の商店主が怒っていたという側面もないこともない。
話を戻して。ただし賃借方式だと賃料を支払い続ける必要があるため、薄利な小売店にとっては経営のかじ取りが難しい。イトーヨーカドーはドミナント出店(回りをイトーヨーカドーだらけにして、低価格の目玉商品を大量投入して周囲の競合を脱落させる手法)が上手だったと言われているが、それは当該の前項記事にもある通りhttps://toyokeizai.net/articles/-/734323?page=2昭和時代のダイエーとの比較においてであり、駅前に地域旗艦店GMSを置き周囲にSMを置くという手法は、次項に説明するが、消費者の買い物行動の変化に伴う商圏の変化に付いていけなくなっていたのだろう。ドミナントの難しいところは、囲い込んで他に選択肢を無くさせる過程の「手段」において安売りキャンペーンを続ける必要があるところで、そこも賃借だと館全体の利益を圧迫することになるというリスクもある。
また、イトーヨーカドーはGMSであることをアイデンティティにしてきたためか自社のPB衣料品ラインの損切りがかなり遅れたのだが、アイデンティティへの固執に加えて、もともと店舗が賃借であるためテナントを入れると自前で仕入れた商品の販売や自社PB商品を売るよりも利ザヤが小さくなってしまうのがその理由だと推測できる。PBの衣料品も昭和の頃は「衣料品は腐らないから賢い」と称賛する人もいたんだけどね…。
一方でイオンは(買収や方針転換もあるので全てではないが)多くの施設が賃借ではなく自社開発だ。拡大戦略の初手から自分で土地を調達し自分で建物も建てる戦略。発祥が地方都市だからということもあり「田舎の安い土地を二束三文で借り(または買い)自前で建物を建て、広大な駐車場を持つ巨大スーパー(GMSというよりも巨大スーパー)をあちこちに作っていった。
自前開発なので建物を建てたコストが償還できればその館の運営はかなり安定的に行えるようになる。またちょっと話はずれるが、イオンはGMS店舗もイオンモールも建物の作りはかなり安普請というかお金をかけない割り切った作り方をしていて、SCの競合であるららぽーとはもちろんゆめタウンよりも安普請。清掃などの館のマネジメントもお金をかけていない(全てのイオンモールがこの限りではなく都市部店舗などはもう少しハイグレードになっているが)。この割り切りが、ある意味イオンの現在までの堅調さを支えていると思う。
このイトーヨーカドーは賃借店舗が多かった、というのが、まぁ10年以上苦境が続いている最大かつほぼ唯一の理由じゃないかと思う。そして一つ歯車が狂うと、どんどんうまく行かなくなっていく、経営って本当に難しいな。
住宅の郊外化が進んだことで商圏(客がどのぐらいの範囲から来るかの推測で店の形態ごとに違う)が変化した。スーパーマーケットの商圏が拡大する。毎日の買い物に車を使う人が増えて、駅前出店を中心にドミナント出店をキメてきたイトーヨーカドーは駐車場の確保に苦慮することになる。イオンはハナから広大な駐車場が付いている。スーパーマーケットの商圏が拡大すると、駅を中心にした半径に「ドミナント城」を構えていようがあまり意味がなくなってくる。
そのタイミングにイオングループは巨大スーパーの次の拡大策としてショッピングセンター開発を本格化する。イオンは建物を自前で建てているのでテナントを入れたらまるっと賃料が入ってくる。ヨーカドーが賃借部分をまた貸しするのと比べると旨味が大きい賃料収入になる。要するにイオンモールは実は半分不動産事業(デベロッパー)である。一般的にデベロッパーが作るSCにはコアテナント・キラーコンテンツとしてスーパーマーケットを誘致するのが常なのだが、イオンは自分がコアテナントであるのが最大の強み。
このビジネスモデルでイオンは全国の「ここに商業施設は建つのか」という郊外やロードサイドにバンバン巨大なイオンモールを作っていく。同時期にSC競合である三井やゆめタウンもバンバンSCの出店拡大を行っていった。これで「家族の日常の買い物」という消費行動における商圏が変化する。まずは商圏がいったん拡大(毎日の買い物でも車で30分のSCに)、そしてSCの出店が増えることで「道路網に沿うように」商圏が縮小(もう少し近いSCができたね)という順番で商圏が車前提に変化していった。ここでチェックメイト感は正直あったと思う。他デベロッパーのコアテナントでイトーヨーカドーが入ることはもちろんあっただろうがやはり賃借モデルなので利益は(イオンと比べて相対的に)小さくなってしまう。
イオンはさらにドミナント戦略も巧みで、多様な店舗のラインナップを作ることで出店用地を比較的選ばずに囲い込みができるようになっていたのもデカい。巨大SC、巨大SM、安売スーパー、小型店、コンビニなど、他の小売店の買収も効率的に使った出店戦略が巧みだった。イトーヨーカドーが、買収したSMチェーンを集約化する(「鳩のマーク」に変えさせるのが象徴的)のと逆に、ラインナップ自体を増やす方向に舵を切ったのが成功の要因だろう。敵がどこに出店しても、何らかのカードを切ることができる体制を作った強さ。イオンは買収したチェーンのブランドをしばらくそのまま使っていたりが全然平気なのだが、買収された店舗はじわじわと数年かけてイオンに変貌する。怖いね笑。
商売がうまいといえばイオンの食品PBトップバリュも複数のラインアップを出しているがこれも恐らく同様の「多様志向」を捉えた戦略で、セブンアイおよびセブンアイプレミアムでやってきたイトーヨーカドーとの経営の方針の違いが出ていると思う。ネット民に不評な「黄色トップバリュ」だが(美味しくないよね笑)価格訴求に全振りする商売上手ぶりは、要するに下請企業との関係を保ちながら「安いものが買いたい」客を掴めるし、グリーンアイという単なるグレード分けではないような見せ方がうまいし消費者をよく見てるよなぁと感心する。会社として戦略的柔軟さがある(というかイトーヨーカドーが柔軟さがなさすぎるというか)
これは私見だが、「車で肉や野菜を買いに行く」ライフスタイルが定着した理由には、日本人の共働き化も大きいと思っている。あなたも私もそうだが、働いている人たちは平日に買い物ができないからだ。休日にデカいスーパーに色々なものをまとめ買いする、という行動様式自体は米国(SCを生み出した国でもある)などを中心にすでに存在していたライフスタイルだが、これが日本に定着したことで、自転車で買い物に行ってる場合じゃねえ!という感じになる。一週間分の買い物は重い。保育園や学童から子供を連れて帰る足で出来る買物はたかが知れている。
当該のブコメにもあったが、イトーヨーカドーがかつて誇っていた衣料品のニーズは、ユニクロなどのカテゴリーキラーが現れたことで魅力がなくなってしまってたがそれに気づけないままたぶん10年以上ぼんやりしてたと思う。IYGはぼんやりついでにそごう西武を買収して案の定うまく行ってなかった。よりによってそれを買うのか笑、という感じは正直あったけど、駅前旗艦店が華やかだったころの夢を組織が忘れられなかったのか。一方でカテゴリーキラー業界は活況を呈して、駅前にはヨドバシカメラが続々と出店していっている。栄枯盛衰…。
実はネットスーパーはイトーヨーカドーの方が先んじて頑張っていた。頑張っていたが、どうも、生鮮品の配送は本当に儲けが出なかったらしい。また足元ではそもそも「店員がいない」問題が起きていて配送している余裕がなくなっているという話もちらほら。
生鮮品の配送については巨大な「生協」という存在がいる。実は生協も、いくつかの狂信的ナチュラル系生協以外は生鮮品の扱い量はそれほどは多くはないらしいのだが、卵や牛乳などを定期配送してくれて安全基準も高い生協の生鮮宅配が一強で、他の小売はどこも大苦戦しているよう。イオンもグリーンビーンズという宅配サービスを始めたが、さてどうなるかとワクワクドキドキである。
今までインデックス投信のみをやってきて、個別株に手を出しては失敗を繰り返していた。一喜一憂が面倒なのでやらないと決めていた。ところが先日高校の同級生と連絡を取った際に元手いくらを来年までにいくらにできるかみたいな話になり、無くなってもいい額を元に個別株を再度やってみようかという気になった。
個別株の購入はほぼ素人同然だ。焦る必要も無いので信用口座開設を申請しながら本を一冊読んでみた。割安株の購入を勧めていたため、証券アプリでスクリーニングをして10社くらいに一旦絞り、四季報やホームページでIRを見たりして数日過ごした。その後、ここかなと思うところの株を購入。日経平均は今日も高値を付けているがこちらが上がるのはまだ時間はかかるだろう。
購入後だがホームページの採用ページを見てみた。よくある新卒と年齢の近い採用担当のインタビューページなのだが弊社より魅力的に見えた。バイアスがかかっているのかもしれない。一月前には知らなかった会社である。はじけるような笑顔の採用担当が頼もしく思えた。自分は株価が上がるのを期待しているだけで、がんばれなどとおこがましくて言えないが妙に一蓮托生な気分になってきた。
ビジネスモデルも良く業績もそれなりに良さそうだがまだ株価は低い。いくつか他の株も買おうと思うが、このフレッシュな気持ちをどこかに書き留めておきたく、ここに書いてみた。
スシローで皿ペロやコンビニでおでんツンツン並みに無くてクビなんだわ。何のための秘密保持契約(NDA)って話で下手したら賠償問題。だから、大炎上した
とりあえずエージェント使ってたらそのエージェントは二度と使えない
無限♾️投稿しているけど、マジでここ、なにが増田の理解を妨げているのかわからない。日本は法治国家だぞ?法律と契約に基づいてお仕事する。お気持ちで人員稼働させない
霊界から使命を得たガチスピの人でなくば、端的に基地外ですよね
脚本家のせいで死んだ、編集のせいで死んだ、小学館のせいで死んだ、日テレのせいで死んだ、原作ファンのせいで死んだ、ネット民のせいで死んだ、
いずれも正気じゃないですね
遺書も公開されていませんし、たとえ遺書にある内容が公開されても、それが事実かどうかわかるのも、亡くなった本人だけですよ?
もちろん、虐待・拷問などの物理攻撃を加えられていたとか監禁されていたとか死ぬよう脅されていたとか、
胸糞な旭川14歳少女イジメ凍死事件や類似する事件、くら寿司パワハラ焼身自殺事件や類似する事件、
自殺が裁判で労災と認定されるような事件とか、因果関係が明らかであるケースは除きますが、
それ以外の自死はさまざまな不幸がタイミング悪く重なった結果であって、何かひとつの不幸でどうこうは基本的にない
ここ理解出来ていれば、脚本家のせいで死んだ、編集のせいで死んだ、小学館のせいで死んだ、日テレのせいで死んだ、原作ファンのせいで死んだ、ネット民のせいで死んだ、
そんなイタコ芸は出来ないはずです
もちろん、自死に結びつくことにならないよう社会全体がフォローをするは大前提にあれど、それはそう
誰も今その話をしていないし、何事も命あっての物種だと思いますけど、理解はフツーに出来ます