はてなキーワード: パターソンとは
敬称略、順不同
キズナアイ(金髪)、Loveちゃん、文野環、本間ひまわり、夜空メル、癒月ちょこ、紙代なつめ、なぃとめあ、猫羽かりん、柚木凛
ときのそら、ドーラ、雪城真尋、赤井はあと、島村シャルロット、彩雲のの、魔光リサ、夢咲楓、YuuRi
郡道美玲、ラトナ・プティ、奈羅花、山黒音玄、音霊魂子、天使なの、天輝おこめ、はかりかんな、奏星イト
ミライアカリ、月ノ美兎、樋口楓、静凛、鈴鹿詩子、シスター・クレア、飛鳥ひな、鷹宮リオン、瀬戸美夜子、リゼ・ヘルエスタ、ニュイ・ソシエール、葉加瀬冬雪、夜見れな、健夜花那、早瀬走、星川サラ、山神カルタ、ルイス・キャミー、白雪巴、来栖夏芽、フレン・E・ルスタリオ、レイン・パターソン、壱百満天原サロメ、夏色まつり、湊あくあ、星街すいせい、白銀ノエル、森カリオペ、桐生ココ、西園寺メアリ、宗谷いちか、蒼月エリ、神楽めあ、結目ユイ、花京院ちえり、ヤマト イオリ、八重沢なとり、金剛いろは、猫乃木もち、夜桜たま
森中花咲
右上に行くほど落ち着いていて、左下に行くほど個性的、っていうイメージ。
清楚 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
鈴谷アキ | シスター・クレア | ベルモンド・バンデラス | ||||
鈴木勝 | ルイス・キャミー | 小野町春香 | 桜凛月 | モイラ | ||
レヴィ・エリファ | エリー・コニファー | 来栖夏芽 | 愛園愛美 | ニュイ・ソシエール | ||
物述有栖 | 雪城眞尋 | 先斗寧 | 戌亥とこ | 舞元啓介 | ||
天宮こころ | 葉加瀬冬雪 | アクシア・クローネ | フレン・E・ルスタリオ | ドーラ | ||
家長むぎ | 西園チグサ | レイン・パターソン | イブラヒム | 社築 | ||
森中花咲 | アルス・アルマル | 瀬戸美夜子 | 竜胆尊 | 夢追翔 | ||
天ヶ瀬むゆ | 朝日南アカネ | 長尾景 | 白雪巴 | |||
安土桃 | 鷹宮リオン | 健屋花那 | 夜見れな | 神田笑一 | ||
夢月ロア | ラトナ・プティ | 緑仙 | 叶 | 加賀美ハヤト | ||
魔使マオ | 奈羅花 | 飛鳥ひな | 渋谷ハジメ | 早瀬走 | ||
ガキ | 椎名唯華 | 星川サラ | リゼ・ヘルエスタ | 静凛 | 黛灰 | 大人 |
笹木咲 | 海妹四葉 | 甲斐田晴 | ローレン・イロアス | オリバー・エバンス | ||
えま★おうがすと | 東堂コハク | 葛葉 | 夕陽リリ | 弦月藤士郎 | ||
宇志海いちご | 空星きらめ | 三枝明那 | 春崎エアル | シェリン・バーガンディ | ||
勇気ちひろ | 卯月コウ | 山神カルタ | 黒井しば | レオス・ヴィンセント | ||
町田ちま | 本間ひまわり | アンジュ・カトリーナ | える | ジョー・力一 | ||
北小路ヒスイ | でびでび・でびる | エクス・アルビオ | 伏見ガク | |||
周央サンゴ | 語部紡 | フミ | 成瀬鳴 | |||
魔界ノりりむ | 赤羽葉子 | 樋口楓 | 不破湊 | グウェル・オス・ガール | ||
矢車りね | ましろ | 壱百満天原サロメ | 剣持刀也 | 花畑チャイカ | ||
葉山舞鈴 | 相羽ういは | 雨森小夜 | ギルザレンIII世 | 郡道美玲 | ||
文野環 | 月ノ美兎 | 轟京子 | 鈴鹿詩子 | |||
狂気 |
もちろん、ガワがいいだけで人気になるほど簡単な話じゃない。
でも、人気になるため備えるべき必要条件の一つなのは間違いなさそう。
まあ当たり前すぎることだけど、その「当たり前」を再認識したって話。
先日にじさんじからデビューした新人、通称「エデン組」は、男性4人女性1人という5人構成。
このうち、既にレオス・ヴィンセントと紅一点のレイン・パターソンの人気が物凄いことになっている。
まず、レオス君はデビュー配信からネタに全振り、更に2回目の配信で魔界村耐久(※長時間タバコ休憩あり)と尖りまくりの配信。
これがハマったことで、にじさんじ史上最速で登録者数10万人を突破と、スタートダッシュ大成功。
一方、そんなレオス君を追い抜いて先に20万人を達成した、パタ姉ことレイン・パターソン氏もガチでヤバい。
これはクールなガワにキュートな声というギャップ、「うん」が口癖という全肯定ネキなキャラ、そして同時デビューで唯一の女性ライバーというバフから、男性ファンの需要を一点に集めたことが大きいだろう。
そんなパタ姉について、個人的に最も注目したのはガワ。
このガワを描いた絵師さん(lack氏)は、過去にも女性VTuberだと魔界ノりりむや不知火フレアを手掛けている。
しかし…ご覧の通り上述の2人については、なんでこんなマスに刺さらないデザインにしたんだと言わざるを得ないクオリティ。
だからこそ、今回のパタ姉では絵師さんも相当研究してきたんだろうなーというのが見て取れた。
その意味だと、昨年にじさんじデビューのセレ女のガワが西園チグサ以外は微妙な出来だったことが、微妙な人気に少なからず影響してそう。
あと、セレ女と同時期のデビューだったホロライブ5期生のうち、桃鈴ねねも旧衣装の人気がイマイチだったというデバフを、依然引きずっている感じ。
まあ不人気理由はそれだけじゃないけど、抜きに出来ない話だとも思わされる。
https://anond.hatelabo.jp/20180909073549
↑で色々思い出したのでうっかり書く。
数年前までメーカで組み込みソフト開発やってた。今はWeb系と呼ばれるところに転職した。
どちらも超大手なので、両親レベルの年齢層でも企業名とかプロダクトの名前を知ってると思う。
元の文をディスってるというよりは、うちはこんな感じだったなーと思い出話と捉えてもらえば。
知らなかった。どういう機器を扱うメーカで人手不足なんだろう。自分が転職活動したときは車載機器メーカの求人がやたら多かった。
ソフト開発が好きでそれを超極めてるというよりは、元々優秀で、ソフト開発はいくつかそこそこできることの一つみたいな人が多かったかな…。
旧帝大以上の人がゴロゴロしてたので、その人達がまったり仕事してるから一見緩く見えたけど
雑魚国立大学出身の自分が120%で戦っても、ゆるふわ系高偏差値大卒の方々に多方面で敵わなかった思い出がある。
自分のいた部署では京大とか九大の人が多かったけど仕事の質速さともに、一生敵う気がしなかった。
web系はそこに比べると大学の難易度と仕事出来る度合いの相関がかなり薄いと思う。理由は良くわからないけど、他のメーカ出身の人の話を聞くと同じ感想を持つみたいだ。
まあそれはたしかに。ただその企業でしか使えないスキルもたくさん伸びる…。
古い体質の企業が多いのであんまりスキルなくても給料は年次で増えてく(ごく一部除いて年収600-650万ぐらいから頭打ちになってくるけど)
1年目で500万ぐらいだったけど5年すぎるとほっといても700万ぐらいになって(ただし残業代含む)
誰でも主任クラスになれてそこまでいくと普通にやってれば800万ぐらいにはなった。子供産むと万単位で月の手当つくし住宅補助もあったし退職金も…。
Web系は給料という面では手当も殆ど無いし、そこを除いた額同士で比較しても普通に低い。同じ額もらおうとすると部長以上級にならないともらえない。
古い企業で労働組合がちゃんと組織されていて、会社と色々バトルしてきた歴史のある企業は、やっぱりベースも高いんだよなと思った。
ごりごり忙しいweb系と違って既婚率高い
組み込みのときは深夜残業とか休日出勤しまくってた。既に色々な人が指摘しているけど試行錯誤とか学習含めて会社でしかできないんだもの。そりゃそうなる。
web系の今は休日出勤殆ど無いけど、緊急対応で電話がかかってくると突発的に対応しなきゃいけないのでそれはそれ。
これは嬉しかった。
組み込み系のよくないところ
最新の開発ツールに触れてたい人が発狂するような古い環境もちらほら。github知名度アンケートやっても知ってるが2割超えないところが大半だと思う。
自分も転職するまでgitとかgithubとか使ったこと無かった人なので…。組み込みのときはsvnだった。
開発部はそこまで酷くなかったけど、評価部隊は評価用のソフトをバージョン管理してなくて悲惨だった。
直接人命を預かる機器に関わったことはないけど、ストレージ系だとバグでユーザデータ消えると大トラブルになるのでレビューは厚めだった。
ソフトウェアの品質が高いかというとそうでも無かったと思う…。レビューで担保できるソフトウェアの品質ってわりと早い段階で頭打ちになると思う。
秘伝のタレ化してるけど長く受け継がれて歴史が証明しているコードには勝てない。
部門によってはコード1行変えるのに部長の承認が必要というところもあったみたいだけど(ダムとか電車とかのインフラ)。
自分のとこは弱電はまああればより良い(特許提案とかしやすいし、マネージャクラスは当たり前のように回路やメカや量産の知識も求められるのでHW出身が多かった)けど
担当者レベルならそれこそ担当が違うんでってことで回路のことは回路部隊がやってたし、それで回路担当の評価が良くなることもSW担当の評価が悪くもなることはなかった。
どちらかというとSW担当ならヘネシー&パターソンの本から重要な部分を抜き出して読んだ程度の計算機アーキテクチャの知識が必要だと思う。
今だとこれ読めば良いんじゃないかな。
ググっても出てこない。社内で作っていうrHWモジュールの開発者は社内に居ることが多いので、やたらドラクエする力がついた。
汎用的なモジュールになると社外のドキュメントを読む必要があるけど、たいてい英語なのでそこは同意。
ただ正確に読んだところで社内外問わず間違えてたり、HWが仕様どおりに動かないことも多かった。
レジスタ設定をするタイミングが超シビアでタイミング合わないとHWがロックするとかデータ失うとか。そんなのばっかり。
それがスキルかと言われると、うーん。転職で活かせそうなところとそうでないところはあると思う。
ただし、詩人の目を通すと、そのルーティーンは、シラブルに分解されて、音韻を持ち始める。
詩の律動で切り取られた何気ない日常の美しさは、何者でもない私達の日常の可能性だ。
男は詩を愛し、誰に発表するでもない詩をノートに書き留める。
控えめで、寡黙。
生活に彩りは乏しく、時代から取り残された男という印象すら持つ。
映画を見た後の彼の生活の印象は、その外見上の説明から想像する様子とはまるで異なる。
同じカメラワークを使うことを慎重に避けているように感じた。
そのおかげか、彼のモノトーンなはずの1週間には決して同じ日はなく、
宙に浮いた謎掛けのように繰り返し用意された双子のモチーフは、
男はやや風変わりではあるが、決して孤独ではない。
スマートフォンとタブレットを持ち、テレビ通販でギターを買ってしまうような
世俗の人として描かれる。
蔑みでもなく、諦めでもなく、あるいは赦しのような高みに立った者の視点ではなく、
ただ、優しさと理解が溢れている。
彼女の存在は、彼が世界をどう受け止めて、愛しているかの象徴であるように見た。
彼はそれに居心地の悪さを感じながらも、否定せずに受け止め、
彼の方法で愛している。
彼の詩には、その把握の仕方が反映されて、
それは詩としてのこの映画全体にも同じことが言えるように思えた。
http://www.junglecity.com/news/interview-aaron-patterson/
IT】シアトル在住のアーロン・パターソンさん、ネットスラングの解説で一躍有名人に 「日本とアメリカの架け橋になりたい」
これのブコメを見て衝撃を受けた
wはエモーションで半笑いを表現する意図でずっと使っていたのだが誰一人言及していないではないか
これがインターネットで使われているのを見かけだしたのは1997年ぐらいのウルティマオンライン日本シャードだったと思う
自分の観測範囲に無かった可能性はあるがほぼ初出で間違いないと思う
このwというのはUOのコミニュケーションにおいて非常に優れていた
日本語では(笑 になるのかな
しかしどちらも日本人にはしっくりこなかったのが自分の感覚としてある
lolはタイプしやすく即座に反応したいエモーションとしては良いのだがこれは日本語だと(爆 に当てはまる表現なのである声に出すとがっはっは だ
もちろん大笑いしたときは使うがmmoやってて一番起こる笑いの感情はクスッときた だ
だとすれば(笑 で良いのであろうがこれはタイプが面倒くさく( を入力して 笑いと入力しバックスペースでい を消してエンターとか2秒くらいかかるので適切でない
マクロで発言を登録するのもおっくうだしウルティマオンラインは戦いのために10数個のマクロ登録を主要キーに割当る必要があったりIMEが起動しているとマクロ入力を受け付け無いため普段は英数入力にしていたりと不適切なのだった
^^なら問題はなさそうだが現在煽り表現の駄目押しとして使えているように何か偽善者っぽい
自分は嫌だったし今でも好まない
そこでwの登場だ
半角英数でもかなでも成立し(lolはかなだとぉlという無様なタイプミスとなる
実際に口角をあげてニヤけるに近いレスポンスがありそして何か新しい感覚!
(笑 などは新聞活字でも昔から使われているがwは似て非なるものでmmoという新しい文明の新しい感情表現方法はまさに新体験としか言い様が無かった
あれはパロディなので
>逃げ遅れた家族
パニックになると案外あんなもん、地震の時も震度6の中FPSやってたり
津波が自宅に到達するまで実況している人もいた
>品川くんの前を横切る老人たち
あれは、攻撃目標の側に民間人がいた場合でも自衛隊は攻撃できるのかっていう演出なので
>体育館や公民館への避難:蒲田くんも品川くんも鎌倉くんも地震災害じゃないので指定避難場所に避難してもしかたがないのでは?
そのとおりなんだが、無能な自治体がそこに避難しろって放送してるんだから従うしかない
そもそもゴジラが上陸したときにどうするかのマニュアルが全く出来ていない
ゴジラは架空の怪獣なので仕方ないにしても、中国が攻めてきて爆撃機で攻撃されているとき
>品川くんが海ににげたあと
発信器くらい打ち込めとか
>アンパターソン
どんなに絶賛している庵野信者でさえ誰一人として擁護している人がいなくて、石原さとみがXXしないか心配
海自が驚くほど無能だった、多分撮影協力が得られなかったんだとおもう
地下に批難した人は大体死んでます
矢口が無事だったのは単に運がよかっただけ
>ゴジラの重量
118.5m 9.2万トン
ジャンボジェットが70m 180トン、ゴジラの身長のモデルになったと言われている
陽炎型駆逐艦が118.5m 2000トンなのでめちゃくちゃ重い(戦艦大和でさえ263m 7.3万トン)
海を歩いている描写から水よりも比重が重いわけで、自重で潰れるけどその辺は映画だから
>おりがみ
要するに鶴を折ると文字が浮かび上がる
>血液凝固剤で凍結
血液で核融合で発生した熱を逃しているので、血液が循環しなくなると
安全のため-170度まで冷やす機能がある、それを利用して凍結させた
米軍が余計なことをしなければ、寝ている間に飲ませて楽勝だったのに
飛来するものを全て無条件に攻撃するようになったため、ゴジラに転んでもらって地上から入れる必要があった
>血液凝固剤の経口投与
ゴジラは食事を必要としない、水と空気があれば核融合で必要な元素を作り出せる完全生物
多分水は飲む
>忘れてたけどこの国かの国うるさい
不満点はそれだけか(http://anond.hatelabo.jp/20160822144854)の突っ込みが面白かったので勝手に答えてみる。なお当方は一応2回見た。
さて増田の疑問の半分くらいは「非常時なんだから仕方ねえ、という意味でリアルの範囲内」と感じた。これは個人的な感覚。避難者の行動も、巨災対メンバーの挙動も。私物持ち込みにしたって、そもそも非常時のほぼ非正規組織の中でのことなんだから、セキュリティレベル下げ本人の希望最優先でとなるのも納得できなくはない。ただ、「地震の時のように避難するのはおかしい」というのは、作中描写があったので(都庁本部で「対策マニュアルがない」と問題にしているシーンと、消防隊員か何かが「地震用の避難マニュアルでは役に立ちません!と本部らしきところと通信しているシーンが有ったので、多分そういう点も柔軟に対応できず結局既存の地震マニュアルでしか避難指示が出せていないと見ているものに悟らせ、絶望感が一段と増す描写)この点については、特に不審には思わなかった。地下鉄民はゲロから助かるのか、という点は、まあ東京の地下鉄は防空壕使用になっているという都市伝説でもって勘弁してやってくれ。そこは国家機密なので(笑)。
それよりも、あらためて増田の指摘で気付かされたのは、「振動の少なさ」「逃げ遅れ」「海自の見失い(特にコレは、鑑賞時に自分もやや引っかかっていた点なので、それを思い出させてくれたことを感謝したい)」そして「地面踏み抜かない」といった非常によい指摘から、明確に一つの結論が導かれるということだ。上映中、これらの点について、自分がそれほどの違和感を感じなかったのはなぜか、ということ、それから、今回のゴジラの最大の特徴であるあのゆらゆらと宙に揺れる巨大な尻尾の違和感とを含めて、それにこたえたい。
ここから導かれる結論は、シンプルだが「あのゴジラは実はスカスカなのだ」ということだ。もちろん一定の重量はあるだろうが。一番最初の総理の記者会見は、今から思えば伏線だったのだ。「陸上であの巨体の生物が自重を支えられるとは考えられない、だから上陸はしない」と。だが上陸した。なぜか? 答えは簡単だ。「巨体に見合う重量がないから」だ。ゴジラのもたらす圧倒的な破壊のせいで、劇中の人物も、見ている我々もうっかり忘れそうになるのだが、今振り返ってみればおそらくそうなのだ。見ている人が、どこかで「重量があまりないこと」にも心の底で気付けるようにした様々な仕込み…それが増田の指摘ポイントなのではないだろうか。
海自が見失った原因もおそらくそこにある。まあ、レーダーまで装備する(笑)生き物なのだからソナー打ち消す能力くらいあってもいいのかもしれないが、海中でいったん質量に見合った大きさに戻ったとみる(そして上陸前に海辺まで近づいてから巨大化した)のが妥当ではないか。「折り紙、食べてないんだ」という間准教授の気づきも重要だ。折り紙の鶴のように中身がないのだ、最初から。だから短時間にあれほど爆発的に巨大化できたのだ。外殻こそ固いが内部はスカスカ…というのは、バンカーバスターの命中シーンでも思えば描写されていたようにも思う。本来あれは、外殻を突破して内部を破壊する爆弾だったはずだ。だが、想定外にスカスカな内部のため、ゴジラの体をあっさり「突き抜けてしまった(だから内部にはそれほどダメージを与えることができなかった)」のではないだろうか? また、血液凝固剤があれほど一気に巨体に浸透したのも、東京駅真上にいたのに(地下30mまであるのに)地盤を踏み抜いていないことも。あれほどの銃弾・爆弾を跳ね返す体皮の固さを持ちながら、列車の突撃、ビルの崩壊といった質量攻撃に意外ともろかったことも。こう考えると、劇中の様々な謎が解けそうな気がする。
自分が、増田の指摘した点について、正直鑑賞中に上のようなことを考えて納得していたわけではない。あくまで「不自然に感じなかったのは、うっすらとこういうことを感じていたせいではないか」と、後付けで言語化してみただけだ。異論・反論は認める。できれば二度目の観劇を踏まえて。
http://anond.hatelabo.jp/20160822144854
(追記)
一個忘れてた。「パターソン日本語うますぎ問題」。これは、まあアレだよ。その分英語上手くないところから推察して、つまり忙しい両親でなく被爆一世である日本人の祖母に育てられたんだよ! 日本語上手いのに敬語苦手なのもそれが理由だよ。そのせいで子供のころからいじめられてきて、それが彼女の強烈な上昇志向とアメリカという国へのプライドの原動力になってるんだよ。以上、解決!
http://anond.hatelabo.jp/20160821212820
一回しか見てないんで見落としてるだけだよってだけかもしれんけども
追記:
シン・ゴジラの作戦名どっかできいたことあるけどなんだっけとおもって、でもしらべるのめんどうで放置していたら、ちょうど今読んでいる本で、その由来を確認して、もーそっから色々妄想がとまらなくなり、深読みをしたくなりまくってしまったので書きます。途中までは、あんのさんのゴジラの作戦名とかに仕込んだ神話ネタの説明。途中からはちまたにあふれるエヴァの超解読本ぐらい怪しい俺の推測。でもまあこういうの含めて盛り上がるのがあんのさくひんだよなとおもうので様式美としてひさしぶりに長文かきます。結論だけかくと、一見くそつまらない勧善懲悪にみえるのだけど、今回もちゃんとあんのさんてきひねくれた映画だったのだろうということです
まずシン・ゴジラ、構造として、わりと愚直なまでにスサノオのヤマタノオロチ退治の神話をなぞっています。誰でも気づくのが、ヤシオリ作戦はヤマタノオロチに眠らせるために飲ませる酒の名前、はしご車の名前であるアマノハバキリはスサノオが使った剣の名前ってとこです。この2つで明確にヤマタノオロチ神話をなぞっていることを示しています。
ということはゴジラはヤマタノオロチということになるわけですかね。ゴジラは原作では恐竜のミュータント、つまり龍です。龍と蛇は限りなく近く、概ね同じ存在と見なしていいと思うのでヤマタノオロチ=龍=ゴジラってことでもいいのだけど、やはり微妙に異なる。今作では幼体の姿で4つんばいの状態を見せているところからも蛇としてのゴジラというのも意識させている気がします。尻尾が長いのもその象徴かなと。後常に状況に応じて進化するのは蛇の脱皮をイメージさせる。だから今作のゴジラはより蛇であり、ヤマタノオロチに近い存在であるとは思います。
そうなると、矢口はスサノオなのか。スサノオの神話は基本構造は貴種流離譚、つまりアマテラスの弟という高貴な血筋をもつものが、本人のか何らかの欠損を理由に追放され試練を乗り越える。矢口は親が力を持った政治家であることが示唆されている。しかし本人の性格は、権威に頼らず上との衝突を辞さず、どちらかというとうとまれる存在。結果、メインストリームから外された専門家集団の責任者になるなどする。まあありがちな設定だが、違和感があるのは親が政治家である設定だ。この流れならはじめからたたき上げの能力戦いがコミュニケーション力低いオタク的性格の主人公でもよかったはずだが(実際アニメだと死ぬほどよくある)、そうしなかったのはスサノオを重ね合わせるための設定かなと思いました。
牧教授の奥さんが、放射能が原因でなくなっているというのは、ヤマタノオロチがこれまですでに八人の乙女を食らってきたという部分に重なる。放射能の象徴がゴジラでもあるからだ。そしてまたヤマタノオロチが暴れ狂うのだと、旅先で出会ったアシナズチという老人はスサノオに告げるのだ。アシナズチは牧教授なのでしょう。もう少し妄想を広げるならクシナダ姫は、日本(出雲に近い広島)の血を引き、過去親族が放射能というヤマタノオロチの被害をうけ、同時に高貴な一族の出(パターソンという名前は、貴族の血筋)であるカヨコかなと。クシナダ姫なら、今回のゴジラに殺されそうになだてるのかというと、そうでもないのがこの説の弱いとこですが、アメリカから核爆弾が落ちるときに、ぎりぎりまで日本にいる選択をしたところで、ゴジラではないが同じ放射能的存在の核爆弾の被害をうけ兼ねないという意味ではまあそういってもいいかなと。
後半になればなるほど、若干強引な結びつけにはなってますが、作戦名ひとつで、まあヤマタノオロチ退治の物語にかけているというのはある程度明らかなのだろうと思います。それはあんのさんがよくやるゲンガクテキになんとなく、物語に深みがあるようにみせかけるためにやっているのかというと、もしかしたらそうじゃないのかなとか思います。ここからは、さらにさらにこじつけになっていく部分が大きくなりますがご容赦ください。妄想です。
まず、事前説明として日本における蛇信仰について説明。蛇は、最も古い信仰だと1 外形が男根相似 2 脱皮による生命の更新 3 一撃にして敵を倒す毒の強さという特徴から世界各地で祖神として崇められていました。時代が移ると、蛇は稲にとって害獣である鼠を食べる特徴から農耕の神という属性が強まったこと、また蛇を邪とし龍を崇める信仰が流れてきたことから祖先神の側面はうすくなり農耕の神の側面がつよくなったのです。
オロチとは、そのまま蛇という意味もありますが、峰の神、山の神という意味もあり、かなり古い蛇信仰の対象といえる名前です。それがまず害をなす存在として描かれる。助けを求め最後に勝つの側のアシナズチという老人はテナズチという配偶者がいます。その足がない、手がない神という名前から彼ら自身も蛇の化身と考えられる。その娘がクシナダ姫。奇稲田の姫と書き、農耕の神を意味し蛇の神の子供であるから、彼女も蛇の神。善とみなされるのは農耕の蛇の神なのです。農耕は中央集権的定住型の社会の象徴、それより古い祖先神は、集権化される前の氏族的共同体の象徴ともいえます。この国は、かつて様々な小さい国が、自分たちの祖先神をもち、乱立し互いに牽制し互酬しあう仕組みでした。稲の神である天皇による大和の支配が確立し日本という形がつくられるようになりました。
つまり、ヤマタノオロチ退治の話は、農耕の神としての現体制の蛇神が高貴な新しい王族の血を引くものといっしょに、出雲を中心とした旧支配者としての蛇を倒す話ともよめます。
今回のゴジラを投影しているのがヤマタノオロチだとすると、それは眠っていた古い戦いの神、すなわち現体制にとっては無秩序をもたらすものなどのイメージを仮託してるのではないでしょうか。一方、総理を中心とした秩序を維持し続けようとする政府側、そこからうとまれながらも、大きな役割を果たす矢口は、当然そうした、ありとあらゆる秩序を破壊しようとする悪を許さない中央集権的社会の体制をイメージされているのでしょう。そして日本の力を政府に結集して、無秩序な純粋な力に打ち勝つ。
ただ、ヤマタノオロチ神話のように、実際に打ち勝つことはできず酒で眠らせたとここておわっているところ、本来ヤマタノオロチのしっぽからは草薙剣がでてくるはずなのに、何かまがまがしい生き物が出てきそうになっている描写、おそらくゴジラの次の進化を、におわせていて、勝負はついていないところを見ると、あんのさんの目線はどちらかというと、ゴジラ側の反体制的、封印された本能の塊のような存在に共感をし続けているようにしか思えます。
実際日本においては、かつて天皇による中央集権化画家たちの上ではなされたとはいえ、現代に至るまで強力にそれが機能したことはなく、困ったときは旧来のお互いの話し合いで解決するというやり方がずっと続いています。氏族的共同体のありかたは死せず、この国に眠り続けています。今回の映画でも、体制側の否定されつつ、賛美もされた特徴として徹底した非合理な合議制があります。そしてトップが死んでもすぐに首のすげ替えがなされる。まさに蛇的なありかた。これがゴジラを倒した最大の理由であるとすれば、あんのさんが、最終的に勝たせて賞賛したのも中央集権的な正義ではなく、日本の体制側のなかにもある蛇的、ゴジラ的な部分だったのではないでしょうか。
今回、怪獣は一匹しかでてないようにみえましたが、じつは今作も怪獣同士の戦いであったのです。ゴジラ vs 日本人。
そう考えると、最初いつものエヴァとかのひねくれた作品とちがって、今回は単なる勧善懲悪映画なのかな、つまんねーなとおもってたりしたのですが、やっぱりそうじゃないひねくれ映画だったのだろうな、いつものあんのさんだっとほっとします。
蛇足ですが(蛇だけに)人間も使徒ほひとりで、進化の形が少し違っただけの怪物であるというのはエヴァとまんまおなじな訳ですよ。そう考えるとゴジラは、アダムであり、尻尾から生み出されるのは使徒なのかも。イメージ的には貼り付けにされたリリスの下半身からにんげんがぽこぽこくっていていたのとおなじなのかも。
ゴジラって、いままでSF定番の行き過ぎた現代科学に対する警鐘としてえがかれてきたかとおもうのですが、そして今回も福島原発のイメージはわかりやすいほどかぶせているとは思うのですが(こちらでも言及されてますね http://anond.hatelabo.jp/20160805000418 )、ヤマタノオロチを持ち出してきたことによって、いままでのような科学の力への警鐘ではなく、また311の反省映画でもなくしているのではないかと。単発の事象に対する象徴的な映画なのではないとおもうのです。この国が根本的に抱え、なおかつ封印している体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望の力強さとその恐ろしさへの警鐘、それと同時にその力は今でも脈々と体制側の中にもすでにとりこまれていてそれを有効に使うこともできるよね、というような話をみせたかったんじゃないかなとかおもいます。ゴジラは死なないよどこまでも、ってかんじで。
あーーーー、妄想がとまらない。とりあえずここまで読んでくれた人ありがとう。ヤマタノオロチの解釈に関しては、たぶん世の中的には主流ではない解釈だと思います。一般的には、川の氾濫の象徴とか、そんな感じでしょう。でもまあこういう解釈の方向性は、いろんな人が出していて(この本とか https://www.amazon.co.jp/dp/B00PS2FK8C/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)そこ自分で味付けして解釈してみましたというかんじです。
まあ、最初にも書いたけど、こう言うのを考えるのが楽しいのがあんのさくひんだなとおもいました。
http://anond.hatelabo.jp/20160807101757
読み方は(増田も言っている通り)やや(かなり?)牽強付会くさい点もあるけど、面白い読みだとは思った。
ただ、増田の言うことが正しいとして、何で今の時代に「氏族的共同体と中央集権の争い」を描いたの?ってのが気になった。「体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望」が発現した事件とかって最近あったっけ?ISとか?
前提として、巷で言われるように右翼礼賛、共同体万歳的な側面がこの映画にはある。ただ、共同体主義には2種類あると思っていて (1) 国家型(中央集権的) (2) 地域型(地方分権的) がある。
今回は地域型共同体主義に共感している映画だとおもっていて、結果的に国家型を否定するなぞりがあるんじゃないかと。
地域型共同体主義の人にとっては、リベラルのいうような何か理想とする社会を人工的に作るというのはぴんとこない。もっと自然な感情で、近しい人で社会をつくりあげたいとおもっている。しかし、国家というのは大きすぎてぴんとこない。そしてそこにひも付きやすい全体主義的な思考には拒否反応をしめす。そういう思想です。
これって全く特別なイデオロギーではなく、割と普通のネトウヨとかじゃないけど、左翼むかつくとおもっているネットによく人たちの自然な思想だとおもっていて、おとなしめのリベラルちっくなオタクと親和性がたかい。そしてあんのさんもそういう思想を意識的か無意識的かもっているんだろうなと思うのです。だからこういう対立を描いたと。
無秩序への回帰というのはちょっと「現体制にとって」の無秩序であり、ほおっておいても自然に生まれる家族的情愛による秩序への回帰に共感したいというメッセージかもしれないなと思います。
マサチューセッツ工科大学教授でコンピュータ・サイエンスの権威であるサスマンは
「ビル・ゲイツなんてコンピュータ・サイエンスになんの貢献もしてないぜ。
コンピュータの本のなかに彼の名前は1行たりとも掲げる必要はないんじゃないかな。
少なくとも、私にとってはそうだ」と言った。
ビルゲイツはこれをチャンスだとにらんだ。
松下幸之助やブリヂストン創業者の石橋正二郎、最近ではマイクロソフトのビル・ゲイツも、特別な考え方を持っていたわけではありません。
大成功を収めた現在から見れば、だれもが考えつくことを世界で最初に、なおかつ想像を絶する斬新な組み合わせで、世に問うただけなのです。