はてなキーワード: パイプとは
何でもいいけど 出来ればパンダとかうさぎとネコちゃんとかがいいかな
たまに会社に着いていっちゃって
喧嘩もたまにしたい
喧嘩してぬいぐるみちゃんが部屋から出てっちゃってしばらくしてぬいぐるみちゃんとの思いでが
頭に浮かんで橋の下で泣いているぬいぐるみちゃんとぎゅーってして仲直りしたい
ある日突然 お別れだよって言われて
「そんなのやだよ」ってだだをこねたい
でも結局お別れすることになって
店で売られてるぬいぐるみを見るたびに
ぬいぐるみが攫われて、攫ったやつの顔面を思いっきり鉄パイプで殴打したい
🐯「Het is zo verdrietig om zo plotseling afscheid te moeten nemen...😢💔Maar als ik een knuffel bij me had, zou ik me misschien wat beter voelen🧸💕Als ik bij mijn knuffel ben, denk ik dat het voorlopig wel goed komt😘 」
「パイプとは魚、つまり足はなくヒレで進む魚である。すなわち足で走ることなどは不可能、無理
しかし、今目の前を足が生えたパイプが走っている。どうしてどうしてこうなった?どうして
俺はただバイトをしていた。水槽を泳ぐ魚を逃げ出さないように監視するバイトをだ。
それで突然、魚がこう…ザバッと水槽から上がってきたと思ったら
あ、あ、あ、脚が生えて、すね毛が生えた立派な筋肉の脚がな
俺の横をドシドシ歩いて行きやがった
もちろん、俺は追いかけたさ。逃げたことがバレたら俺はクビどころか損害賠償まで喰らうからな
だが、奴は追いかければ追いかけるほど早くなった。奴はとにかく走る速度が早く、速くなんだ
魚の癖に俺は全然追いつけなくてその
回想してる場合じゃねぇ、目の前のアスファルトを奴は二本の脚で1歩、1歩、踏み進みやがる。
当然、周りも見る。当たり前だ。しかし、止めてくれる奴はまあったく現れやしない。
ああ、もう、腕がないくせにどうしてこうも早いんだ?!ちょっと俺のペースが落ちた内に奴は10メートルも差を広げてやがる!
行先はどこだ?海か?川か?国会議事堂か?
は、はぉ、はぁ…も、もう無理はしれない
水分も取らずに走ってきたせいかもう喉が砂漠みたいにカラッカラだ。足がガクガク震えている
中には女子高生三人組がいた、俺は注文しないでとりあえず給水器からコップ1杯水を飲んだ
「ねーこれ見てぇ、魚が踊ってるぅ!」
「わーイキッてるー変なのー」
その会話を聞き、俺は飲んでた水を全てコップに吐きだした。いや、まだやつと決まったわけじゃないまだ
…絶望だ、奴はもう踊ってイキるまで知能が成長している。「踊ったパイクがイキリだす」ってか
「ねーねー私俳句考えたんだ」
「えー?どんなの?」
「わー!よくわかんけどすげぇ草」
「盗んだ俳句で語り出す」じゃないんだよ
とにかく早くやつを追いかけなければ
そうして走っていると、電話がかかってきた
まさかと思い、電話番号を見るとあのバイト先のおやじだった。俺に監視を頼んだあの
「は、はい…███ですが」
「ま、まだ見てません…」
ガチャッ…
電話が切れた。どう反応していいのか分からず、俺は満点の星空を眺めながら、覚えたてのタバコを一本ふかした
自由になれた気がした███の夜」
「以上、語り手は魚ことノーザンパイプでした」
おわり
このご時世だからこそ杉並区防災無線ジャック事件のWikipediaを読んでみる
1985年(昭和60年)6月22日21時45分頃[1]、杉並区内の小中学校など公共施設104か所[1]に設置された防災行政無線屋外拡声子局のスピーカーから突然、1985年東京都議会議員選挙に立候補を表明していた人物を中傷する内容[1]の女の声[2]が大音量で流れ出した。
でもなんでそんなことを…
中傷演説で言及された長谷川英憲は、1967年以来中核派の支援を受けて杉並区議会議員を務めており、当時は東京都議会への鞍替えを表明していた。中核派と敵対する革マル派は、本事件以前も長谷川の選挙ポスターを破ったり、宣伝カーを盗んで放火したりするなどの政治活動の妨害を繰り返していた。対する中核派も鉄パイプなどで武装し、選挙妨害を繰り返す革マル派との乱闘騒ぎを区内各所で起こしていた[要出典
世紀末か。流石に盛りすぎだろと読む度思うけどほんとに起きた出来事なんだよなぁこれ
内容は以下の通りであった[要出典]。
「こんなひどい男を都議にしてはならない」
語彙力よ…ここまで壮大な迷惑行為の割に誹謗中傷が小学生レベルって
あまりの音量に、区民はあわてて外に飛び出したという。区ではスピーカーの電源を切るための閉局電波を発信したが音声は止まず[1]、そのまま約20分間[1]ないし25分間[3]にわたって流れ続けた。区民からの苦情が区役所や警察署に殺到し、110番が不通となった[1]。
いやいや、大事件じゃないですか
当時の防災無線は音声に特定の周波数を重畳させることでスピーカーが作動する単純な仕組み(トーンスケルチ)だったため、伝送使用周波数とキーとなる重畳音声周波数が割り出せればジャックすることが可能であった。当時の杉並区では毎日18時に「夕焼小焼」のメロディを流しており、この際の開局電波を解析され、周波数を割り出されたとみられている[1]。
区側が発信した閉局電波が利かなかったのは、妨害電波のほうが強い出力であったためと考えられている[1]。犯人は当日、防災無線と同じ周波数に設定した強力な送信機を用意し、自動車に乗せて移動しながら[3]か、区内のどこかに基地局を設置[1]して妨害電波を流したとみられている
もうこんなんテロ事件だろ。長谷川英憲ひとりのためにここまでするならそのエネルギーを別のことに使えって…みんな同じこというからなぁ
まあ山上みたいにならなくて良かった…のか?
英国王室を描いたドラマ「ザ・クラウン」で、ウェールズの炭鉱崩落による悲劇を題材にした傑作回がある。
終盤に、女王はこの悲劇に対して「まったく感情が動くことがなかった、私は人として何かが欠けていると思う」と当時の首相ウィルソンに吐露する。
ウィルソン首相(労働党党首)は「誰にも言わないでください」と前置きして、
「実は私は肉体労働をしたことがないし、(労働者が好む)ビールよりもウイスキーが好きだ。パイプより(上流階級が好む)葉巻を吸う。でも、パイプを吸ってたほうが親しみやすいだろうから大衆の前ではパイプを吸います。ありのままの姿では国の顔にはなれません。」と言う。
要するにウィルソン首相は仕事のために頑張って演技をしているのだが、国の顔として女王のその感情の欠落は恩恵である、と言う。
というのをみて、そういえば職場の上の立場の人たちはなにか自己欺瞞的だったり嘘くさい言葉を並べるなと感じてたが、そうか演技をしてるんだと思ってなにかが腑に落ちた。
結構楽しんで暮らしてるからtogetterやはてなでニコニコといえば叩きみたいな風潮が悲しい。
それはそうと月額払いから年額払いに変更する手続きがちょっとひやひやする手順なのやめろ。
「はいここでいったん命綱を外していただいてですね、はい右手に持って、そこのパイプわたりきったところであそこのフックありますでしょ、あそこにかけなおしてください」
そんな感じだったぞ。
ニート歴15年からどうやって社会復帰したのかという問いあったので、簡単に記そうと思う。
まず俺が最初に走ったのは飲食店のバイトだったが、これはすぐに採用されたものの長続きしなかった。白状すると1月未満で辞めた。
飲食店というのは高度なコミュニケーションやマルチタスクを必要とする職種で、俺とは絶望的にマッチしていなかった。
簡単と思われているバイトすら無理なのかと絶望した俺は、母に付き添ってもらって市役所で相談した。
すると以前うつを患ったことで精神障害の手帳があるという点から福祉課に案内され、障害者としていくつかの就労手段があることを知った。
その手段は主に2つ。
1つは、就労継続支援というサービスで、行政から支援を受けた事業所が障害者を雇って簡単な仕事をするというもの。
2つ目は、就労移行支援というサービスで、こちらは一般の企業に就労することを想定して支援を受け就活をするというものだ。
楽な方を好む俺は前者に飛びついた。
家から歩いて20分くらいのところに事業所があったので、そこで面接し、無事採用されたが、じきに現実を知ることになる。
俺が行くことになったのはA型事業所というもので、このA型になると、その事業所と雇用契約を結ぶことになる。
なので最低賃金は保証されており、一日に4時間、週に20時間の労働という雇用形態になるので、月収は9万円前後が見込める。
ちなみにB型事業所の方は雇用契約を結ばず、作業内容に応じた工賃が支払われる。
こちらは見に行ったことがないので詳細は分からないが、収入は非常に低いもの(一日に1000円とかそういうレベル)であると伝え聞いた。
さて、俺が行ったのはA型事業所だが、どういう仕事をしていたかというと、ネジにナットを通す作業や、パイプにゴムを巻く作業などだ。
非常に地味で単純な仕事である。単価も1工程1円とかそういう次元だ。
はっきり言って誰でもできる仕事であり、昔なら内職などで斡旋されていた類の作業だと思う。
はっきり言うと、知的障害の人が多い。
精神障害の人は少数派で、身体障害の人は皆無。そういう世界だった。
つまり何が言いたいのかというと、やりがいが全くないという事と、知的障害の人と全く分かり合えないということだった。
働いている精神障害の人もあまり健康そうには見えず、知的障害の人が出来ない事をカバーする役割を担っていた。
これがもう絶妙に苦しくて逆に病みそうだったので、俺は数か月でこの事業所を辞めた。
俺にしては長続きしたが、これじゃ失業給付も受けられないし、多くの人から逃げたと思われるだろう。
……まあそれは兎も角、俺が次に頼ったのは就労移行支援のリタリコワークスという事業所だ。
ここは就労移行支援の中では大手で、全国的にサービスを展開している。
俺の運が良かったのは、この事業所が非常に肌に合っていたことだろう。
普通、就労移行支援の事業所というのは物静かで暗いイメージなのだが、その事業所はスタッフも利用者も共に明るく、俺は凄く居心地が良かった。
社会で働く上でのマナーや礼儀作法、就活における書類や面接のコツなどを1から教われたし、周囲とも楽しくおしゃべりが出来た。
面接訓練は毎週受けていたし、電話応対訓練で実際に事業所にかかってくる電話の取次ぎを日常的に経験出来たのは大きな自信に繋がったと思う。
そして何より、20社近くの見学や実習に行った事で自分の世界が大きく広がった気がする。
就活と並行して発達障害の診断も受け、うつではなくASDとADHDを主軸に戦うようになった。
そういうわけで、就労移行支援というサービスは利用期間に期限があり、2年までしか利用出来ないのだが、幸いなことに、俺は1年で内定を貰うことが出来た。
ここまで来るのに2年の歳月がかかった。
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231213191557
直情的なタイプだった。怒りだろうと悲しみだろうと、感情の振れ幅が大きいタイプである。
最初の方で説明した場面で、職場のコピー機が置いてある台を蹴っていたのが彼になる。傍目から見ても、「どうして採用されたのだろう……」と疑問が湧いてくるほどだった。
ストレスには耐えられないし、自分勝手なスタンドプレーは多いし、立場が弱い人間には辛く当たるし、自分は凄いといった主張をしていた(「俺の親、若くして自治会長だから!!」など)。相手の意見を曲解することが多かった。
私も手痛い思いをしたことがある。私がいた指導課には住民基本台帳ネットワークシステム(戸籍課や税務課の職員が使っているものと同じ)があったのだが、B君は特に許諾もなくそれを操作し、職務遂行に必要な個人情報を入手していた。本来であれば事前申請を要するし、厳しい自治体だと戸籍課以外の職員によるシステム操作を認めない。これが普通である。
ただ、ほかの部署から個人情報取得の依頼があった場合でも、身内だからということで、口頭による承認で住基システムを使わせることはあった(課員への一言)。能率を考えてのことだ。が、B君の場合は明らかに一線を超えていた。職務遂行に必要であることがわかるが……一度だけ、彼を思い切り叱り飛ばしたことがある。以降は、口頭で課員の承認を得てからシステムを使うよう徹底させた。
ところで、あなたの職場にもいるのではないか? 仕事でも家庭でも趣味でも、何でもいい。ストレスで精神的に潰れかけた人間の姿である。B君は、元々コミュニケーション能力に難があった。いわゆる話がわからないタイプだった。
残業も多かった。指導課や学事課の教員出身者と同程度と仮定すると、おそらく月60h~70h程度か。彼の上司は「仕事をたくさん振っていないのに……なぜ?」というスタンスだった。
市職員の場合は、予算がある限り時間外勤務手当が支給されるという。私が若い頃だと、時間外勤務をしていないのに、予算消化のために闇残業を認めるという慣習があったほどだ。
教員出身者の場合は、月20hまで支給されていた。学校現場から教育事務職に移った者にとって、長時間労働やサービス残業は避けて通れない。この試練があるからこそ、一定の基準に達した教育人材を育成することができている。
人は光を求める。そして、その光の見える方向へ動いていく。教職員にとっては、教育に関する哲学、という光を見出すための修行の場こそが教育委員会である。量・質ともに圧倒的なレベルでの修行。厳しい体験を幾度となく積み重ねるから人格や能力が磨かれ、玉になっていく。
さて、彼の上司はB君を徹底指導して残業縮減に務めた。だが結果は出ない。残業縮減の効果は僅かだった。ところで、B君の場合は学校歴がよかった。地元の名門公立高校を卒業して、大学も相応のところを出ていた。地元的には血筋もいい。それが採用に繋がったのだろう。
縁故が悪いか? といえば時と場合による。一概に悪いとは言えない(ex.公共の学童クラブの指導員は、その多くがスカウトである。特に、男性の場合はほぼ100%だ)。教職員の採用試験においても、学科・面接試験の点数以外で、非公式に評価すべき点というのは確かにある。
行政一般事務の職員のことはよく知らないが、彼らと仕事をしていると、確かに地元において血筋がいいとされる人に仕事のできる人が多かった。※主観的な統計である。
高等学校の入学試験ですらそうだ。学科試験以外で評価される要素がある。内申点などは、その典型である。本人の人柄や人格、学習態度や常識力、社会への順応性が点数化される。内申点以外にも、+-の評価がされる要素も一応はある。
プラス評価の例としては……今では絶滅した慣習であるが、昔は公立校でも縁故による入学があった。とある高等学校の名門運動部などが、どうしても○△中学校のあの子がほしいという場合、事前に保護者・児童や中学校側と話をつけておく。かくして3者が合意に至った場合、入試前に合格が決まっていた。内申点は中三期を満点にするなどして対応する。
マイナス評価の例としては……生活習慣だろうか。公立高校の入学試験の基本は、学科試験+内申点の合計で決まる。とはいえ、点数に関わりなく不合格になるケースもある。こちらは犯罪行為であるとか、補導されるのを繰り返したとか、入学試験の際に相当奇抜なことをしない限りは関係ない。
ただ、その子が合格基準点に達していた場合でも、入学試験の要綱要領に定めのある範囲で不合格になることはありうる。欠席数が極端に多かったり、在学中に異常な行動を繰り返したなどが内申書に書いてある場合だ。学校教育とはいえ、高校側も不用なリスクを取りたくない。名門とされる公立高校に問題児が少ない理由のひとつである。
B君の話に戻ろう。その年の夏頃に聞いたところだと、どうやら事件を起こしたらしい。
梅雨が明けた頃に、霞が関の新卒キャリア官僚が研修にやってきたという。T区の各部署を廻って地方行政の実務を学習するのだ。T区は、その年の中央省庁の研修先のひとつに選ばれていた。
キャリア官僚達は、ごく普通にT区の歴史や成り立ちを勉強して、地方行政の実務を視察して、心ばかりの現場仕事をこなして、一週間ほどで霞が関に帰る――はずだった。
最後の日に行われた交流会(飲み会)で、B君はやってしまった。喫煙所のよもやま話で聞いたところだと、以下の流れだ。
ex.研修先部署の部長の肩に手を置く、女性職員の体に何度も触る、別省庁のキャリア官僚に「ぶっ殺す」と発言するなど
③国交省キャリアが「お前の区の国庫補助金ゼロにするからな」と言ったところで、B君がキャリア官僚を蹴り飛ばし、馬乗りになる
④ほかのキャリア官僚とB君の部署の係長が、彼を羽交い絞めにして止めた
……気持ちはわかる。侮辱されて悔しかったのだろう。だが、いくら何を言われようと、暴力だけは駄目だ。確かに、若手官僚の場合、調子に乗っている者は一定数いる。子どもの頃から勉強に勉強を重ねてきた自負があるとともに、仕事では自分の親ほどの年代から神輿を担がれるような扱いを受けるのだから。調子に乗るのも当然である(上に出てきた国交省キャリアは東京大学卒だった)。
かくいう私自身も、文部科学省の事業査定担当官であるとか、会計検査院の検査官から相当辛辣なことを言われたことがある。だが、怒りの感情に囚われてはいけない。駄目なのだ。
人間はいかなる状況の下においても、自己の衝動をそのまま表に出してはならないし、出すべきでもないし、さらに言えば、出したいとも思わない、という主張はまったくの真実であり、妥当な見解であると私は考える。衝動は制御することができるし、制御しなければならない。それは現実の要請というだけでなく、一人の個人としてのまとまりや一貫性および価値観の要請でもある。突き詰めて考えるならば、人生には実存的葛藤や解決不能な問題、さらには、あることのためには別の何かを諦めなければならないというような状況が数多く存在しているのだ。こうした状況こそ、人間が生きる上での本質的条件となっているのである。何らかの葛藤が常につきまとい、ある方向へ進もうとすれば別の道を諦めざるをえない。人間はこうした状況に苦悶しつつ、自己を制御しながら生きていかなければならないのだ。 完全なる経営(2001) A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.295
私とB君が教委事務局で一緒だったのは一年だった。その年は、社会教育課にとって厳しい年だったらしく、彼は相当追い詰められていた。年度末の三月時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっていた。
声をかけようか、とも思った。あまりに辛そうだったからだ。係長も課長も、彼を見放しているところがあった。どれだけ残業が積み重なろうと、仲間によるフォローを呼び掛けたりはしなかったし、むしろ失敗に対して反省文を書かせていた。
B君は、口に出すのが憚られるほど救いようがなかった。もし、上司や仲間にとって彼が『かわいい奴』だったら、こんな事態にはなっていない。彼は、実際に不良な人間だった。職場の仲間から非人格的な言動を咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。自業自得だった。
しかし、やはり可哀想に感じることがあって、廊下をすれ違う時やトイレなどで「元気?」「今日は温かいね」「辛くないですか」など声をかけることがあった。
それから、彼がどうなったかというと、真相を確かめたわけではないのだが……私が定年になる前に退職したらしい。別の部署に異動しても活躍できず、しかしながら、何の因果だろうか――霞が関への出向を命じられたという。省庁までは不明。
本来名誉であるはずだが、その出向期間中に退職を申し出たということだ。もしや、生贄型の出向だったのだろうか?
現代社会において、感情が表に出るタイプの人間はしんどいのだと思う。彼が今、どうしているかはわからない。ほどほど幸せにやっていることを祈っている。
先ほどの2.3.でいうところの係長にあたる人物だ。この人は、冷血漢と呼ぶにふさわしい人間だった。サイコパスとは書いたが、私は臨床心理学の碩学ではない。仕事熱心で、結果を求めるタイプだったのかもしれない。目的のためであれば何でもする人だった。思い出してみる。
例としては、部下の叱責だ。普段は物静かで、部下の相談や報告を聞いている。が、一定レベルの何かに触れると怒号を発する。
C係長「お前、こないだできるっていったよな!」
若手部下「すいません」
「なんでできねーんだよ」
「……なんとかします」
「言ったな? じゃあしろよ。今週末までだ」
※部下ができなかった場合は、定時を過ぎても何十分でも説教していた。そして、できるまで残業をさせる。
後は、イベントだろうか。市区町村においてイベントを主催する部署はいくつかあるが、教委事務局もそのひとつである。教育○○大会などの厳かな発表会もあれば、○○総合フェアなど若い人や家族連れが多く集まる文化的なものもある。
さて、そのT区にとっての○○総合フェアの時だった。毎年過ごしやすい季節に、とある大公園で実施されるのだが、50以上もの出店が立ち並ぶ大イベントだった。
その年のイベントは、残念ながら雨天だった。初日は少雨で済んだものの、翌日以降の天気は崩れる可能性が高い。社会教育課は、教育総務課・指導課と並んでイベント主管課のひとつだった。
その初日の、夕方~夜にかけてのことだった。教育長を始めとする幹部級職員が現地に残って、明日以降の対応を話し合っていた(ほかの教委スタッフは全員帰っていた)。主な論点は次のとおりである。
□ イベント会場は維持できるのか?
上記3点のうち、2点目がなかなか結論に至らなかった。イベント会場には、テントも備品も野外展示物も並んでいる。風雨によって損傷する可能性があった。そして、2点目の解決手段を提示したのがC係長だった。
彼は、「業務委託している会場警備員がいるでしょう。数十人。彼らにやらせましょう。折り畳み式テント(※鉄パイプではない)の屋根を低くする作業や、野外展示物の収納もです」といったことを述べた。
私は「それは契約内容に入っているのですか?」とC係長に問うた。すると、彼は「緊急事態です。契約内容にあろうがなかろうが、現場の指示に従ってもらわないと」と言っていた。
教育局長は「後で問題にならないか?」と聞いたが、「私の責任で収めます」と彼は返した。教育長に「本当にできるんだな?」と聞かれると、「問題ありません。警備の発注は当課です」と返していた。ここから先はうろ覚えだが、C係長は警備会社の現場責任者と交渉を始めた。
夜7時頃だったか。私がトイレに行く途中で、社会教育課長とC係長、警備会社がロビーで交渉しているのを見た。当然ながら、相手方は渋い反応だった。
私はそのままトイレに行って、また帰り際にロビーを通りかかったところ、「契約切るぞ。ええんか!?」というC係長の声が聞こえた。この人は、気分が高まると大体こうなる。
以下、会話を手帳にメモしているわけではない。思い返してはいるが、やはりうろ覚えである。
「切るといっても来年からね。今年はもう契約してるし。来年は、こちらの権限でほかの警備会社と契約します。それでいいなら、あなたの判断で断ってください。テントの作業OKなら、これから私の責任で指示しますが」
「いや、でも。ちょっとの量じゃないでしょ? テントの数は何十個もあります。それをひとつひとつ、高さを下げていくんでしょ? それはもう――」
「あなたが決めるしかないでしょ。責任者なんだから。この時間、あなたの会社に上司がいるんなら電話で伺ってください」※このあたりから方言になる
「判断ができません」
「毎年、あんたの会社と契約しとるんやぞ。しっかも言い値で。本来なら正式に競争入札せんといかん金額やのに。こういう時のために、うちは権限使っとるんやぞ。官製談合みたいなこと、してやっとるんやぞ。俺らとあんたの会社のためを思って。で、上の人間に電話するか、あなたの判断で決めるかのどっちかや。あなたが決める場合は、契約切られても全部責任とるんやぞ」
「……」
「俺が責任を持つ。あんたが上司に怒られんようにする。後で言っとく。知り合いだから。頼む!」
「わかりました。指示をお願いします」
C係長のこの判断が正しかったのか、誤っていたのか。今でもわからない。
結果だけ見れば正しかった。その夜は雨も風も激しかった。(鉄パイプ式でない)テントを張ったままだと、風雨で確実に潰れていた。テントや野外展示物を片付けるといった作業は絶対に必要だった。それを怠って、一般スタッフを帰した私たち幹部の落ち度である。
手続き的には違法である。正しくない。警備会社をロハで使ってしまっている。C係長のことだから、きっと事後処理はうまくやったのだろう。あの後、彼やその上司が処分を受けたという話は聞いていない。
個人的には、C係長の行いは正しかったように思える。実際、あの場面だとああするしかなかった。組織のために泥を被ってくれたとも言える。ただ、それが未来に繋がる行為だったかというと怪しい。
例えば、テントが崩壊する未来を選んでいれば――教委事務局が「組織として学習」することができていた。それがいい未来につながった可能性もある。
(次part)
【追記】
ブクマですげー怒られててこわい。
もちろん今は隠し事してた俺も悪いって思ってるけど、あそこまでショック受けるとは思わなかったしデマがあっという間に広まって当時は冷静な判断が出来なかったんだよ。
あといくらキモいからって人の顔見て吐き真似してキモがるの本当にやめろマジで。
【再追記】
なんか二回も結婚してる設定にされてるけど一回もしてねえよw
どっちも結婚直前まで関係を深めたけど一人目は仕事が忙しくて全然会えない時期が続いて振られる、二人目はパンデミックの最中に反ワクかつ中国大嫌いなネトウヨになっちゃって、色々話し合った結果価値観が合わないねって別れたんだよ。俺は中国と台湾のアート市場に凄い可能性を感じてるんで。
特に二人目の人は画家やってて俺のビジネスパートナーでもあり、一緒に個展を企画開催したり画集の出版までしたのにあんなことになって本当に残念だわ。
【再々追記】
いや、なんか…久しぶりにいとこの夢見て、昔を思い出して嬉しくなって独り言感覚で走り書きしただけなのに、ここまで多くの人にマジレスさせちゃって本当にすまん。
ただ、だいぶフェイクも入ってるので支離滅裂な内容になってるだろうし、色々誤解を招く内容になってるからしょうがないか。
でも中学のときからたびたび女のイジメグループのターゲットになってたので、連中のような醜悪な女集団は絶対に現実に存在するとだけは強く言っておきたい。
hiruhikoando ずいぶんと親族間の結束が強い親戚だなという感想。華僑的な 増田 男女
俺の家系は一家揃って韓国系(在日朝鮮)なので日本の一般家庭とはたしかに違うかもね。
take-it “詳細を事細かに話した”=彼女にもいとこと同棲してるのを説明したと思われるのに、ブクマカにここまでフルボッコにしてるの、怖い。お前ら、何があったんだっていうか羨ましいのか。マンガみたいな青春。
そう、ちゃんといとこの事情とか話して(だいぶ慌ててまくし立てた記憶があるけど)あの冷たい拒絶だから当時18歳の俺にはどうしようもなかったよ。漫画は全然わからんが喘息持ちの人と一緒に暮らすのを羨ましがる奴がもしいるなら、あの病気の怖さを知らんのだろうなと軽蔑する。
moeshine 元カノ側も「一時期は男という性別自体が嫌いになるくらい拗らせ」ててもおかしくないような話な気が
俺が中退してすぐ後にmixiで元彼女の日記見たらパイプ煙草咥えてるマッチョな彼氏と付き合ってる報告上げててその後結婚したらしいから幸せだと思うよ。
mirakukira 韓国系なら先に書けよ、キモイと言われるのも納得だわ
こういうの久しぶり。2000年代前半は色んなとこでお前チョンかよって蔑まれたけどもう慣れたわ。
あとsnegってなにってググったら確かにそれっぽい話で俺も笑ったわ。えろげー一切知らんけど。
ので色々思い出したので独り言。
大学一年の冬に俺が二股かけて女を弄んでるっていう根も葉もない噂が学内に流れて、当時付き合ってた子に会いに行ったら、両手を口元に当てて今にも膝から崩れそうな勢いで号泣してて、取り巻きの女二人が俺に向かってアイツキモっと連呼しながら俺を見るなり口元に手を当ててオエッと吐き真似をする始末。
「なにこれ?」
と思って当時同じ大学に通ってて訳アリで同じアパートに暮らしてた幼馴染に聞いてみたら「どうやら同学年の連中の殆どがアンタと私が付き合ってると勘違いしてるっぽいぜw」とケラケラ笑いながら言ってきて。
俺は笑い事じゃないんだが?ってガチで心底イラつきながら泣いてる彼女に詳細を事細かに話したんだけど、泣きながら
「気持ち悪い」
とか言って一蹴される始末。
それ以来、女の
「気持ち悪い」
発言と口元に手を当ててショックを受ける仕草がホントにマジで無理になったんだけど、これやる奴ガチのマジで漏れなく苦しんで死んでほしいしキモいのはお前の方だ馬鹿野郎。感情的でストレス耐性低い奴ホント無理。
俺が同棲してたのは同い年のいとこの女の子で、彼女は喘息持ちでしょっちゅう命の危機に曝されるほどの発作に襲われながらも、大病した旦那に先立たれ太鼓で有名な手かざし系カルトにハマった母親のせいで高校一年頃から病院に連れて行ってもらえなくなって、その後インフルエンザと後遺症の気管支喘息にかかってマジで死にかけたりしてたらしい(喘息って拗らせると本当に死ぬので皆気を付けて)。
その現状を知った俺の両親が高3一学期にいとこを自宅に連れてきて保護し入院させ、それ以降、まあ幼馴染だし長期に一緒に暮らすの小学生の夏休み以来だなって高校卒業まで姉弟みたいに暮らしてて、最初はガリガリで小学校低学年くらいの体格しかなくて死ぬんじゃないかと心配してたけど内心は一人っ子の俺に姉弟が出来たみたいで楽しくて、お互い絵を描くのが好きだったから無事に同じ美術大学に進学して実家を離れルームシェア状態になって以降、学校では殆ど話さないけど通学路とか電車内では色々家の事とかバイトや買い物のこととかで話すことがあって、その様子が同級生に噂になったらしいけど、浮気だとか二股だとか取られる発想は当時の俺には全く無くて、付き合ってた彼女がそういうデマを信じて泣かれたときはマジで頭が真っ白になって未だにトラウマになってる。
付き合い始めた頃に、訳アリで同居人居るから俺の家でデートは難しいかもって何度も言ってたのにさ…。
ただ、その一件でスーッと恋愛感情が冷めて、一時期は女という性別自体が嫌いになるくらい拗らせた。
で、その件以降同学年の女子の殆どに嫌われキモがられて、大学に居づらくなって2年の夏頃に中退し小さな広告代理店に就職し、大学に通ういとこと社会人の俺という関係で同居生活は新たな局面を迎えるわけだが、その頃の生活は正直言って楽しかったし、いとこと疑似夫婦みたいな関係性で、結婚生活ってこんな感じなんかなあとボンヤリ思って、ならこれも悪くないな、幸せだなと思ってた。
「これ夫婦みたいやね」
って時折言うと笑いながら照れ隠しっぽくポカポカと殴る蹴るのプチ暴力を受けるのもなんか良かった。
ただ、幼馴染で照れ臭いし小柄で病弱な幼馴染のいとこを異性として見ることは中々出来なくて、振る舞いも向こうはオラオラ系姉で俺はのんびり系弟だったし、テレビ見てるときに膝に座られたり寒いときにハグされてコタツに潜るくらいで限界な感じ。だけど夏場の無防備な薄着の彼女には内心ドキドキしてた。
でも、休日に意味もなく近所の住宅街や公園を徘徊してその風景を渋いとかつげ義春っぽいとか寸評して携帯で写真撮りながら通りかかった喫茶店や飲食店で写真お披露目会をしつつお腹を満たしたり、ちょっと遠くにある安いスーパーまで駄弁りながら散歩がてら歩いて食料確保したり、真夏の夜に近所のビデオレンタル店に出向いてB級和ホラーを始めとするビデオを借りて深夜まで鑑賞会を開いたり、中古CD屋でマニアックな洋楽のアルバムをディグったり一緒に古本屋で何時間も立ち読みしたり。
ある年にいとこがクリスマスと新年を彼氏と過ごすって二週間ほど外泊してたときはちょっと、いや相当寂しかったし嫉妬したっけ。いつもは俺と過ごして大晦日には近所の寺に鐘つきに行ってたのに…。
家事一般は、いとこが同居中に2回喘息で入院してたし(入院費8万くらい取られてやばかった)よく体調崩してて心配で俺が料理を筆頭に掃除も洗濯も色々やってたんだけど、金が無さすぎて給湯器が買えなかった同居一年目の冬のある日、手が霜焼けで痛くて食器洗いが苦痛って言ったら黙って洗ってくれたのは未だに覚えてる。
その後コーヒーメーカーと炊飯器が滅茶苦茶電気代食うってのに気付いてリサイクルショップでドリッパーと米炊き用の土鍋を買ったら劇的に電気代が安くなって、この世の覇者みたいな気分でお互いやったぜって喜んでた。
んで年明けてからリサイクルショップでナショナルの古いレンジとビクターのテレビデオとメーカー不明のコタツ買って、ナショナルのレンジは今も俺が使ってるけど、あのテレビで色んな深夜番組やら映画を録画して暇なときに一緒に観たり。
忘れもしない、草なぎ剛が泥酔全裸前転で世を騒がせたときに、いとこが就職先を見つけて独り立ちするからって、そのお祝いにアパート隣接の枝垂れ桜が咲く公園で酒盛りしながら俺が裸になってシンゴーって叫びながらでんぐり返しをして、いとこを爆笑させたことを。
んで、いとこはその後良い人と結婚してお子たちにも恵まれたようで、幸せそうな姿を今もSNSで確認出来る。
一方、俺はと言えば二度結婚に失敗してもう生涯独身でいいよって思う昨今だけど、今思うと俺、いとこのこと好きだったんだろうな。
後悔してもしょうがないけど。
オタクをやめたいとずっと思い続けていたが、ちょうど良い機会なのかもしれないとジャニーズ性被害問題を見て思った.
小学生の頃からいわゆる「オタク」をしてきてもう20歳になってしまった。周りの同年代の女子は「推し活」の範囲内でオタクをし、その傍ら恋人を作ったり勉学に励んだり充実した生活を送っている。
ジャニーズ性被害問題はインターネットやメディアでこそ騒がれているが、正直周りではあまり話題にならない。というか、みんな知っているけどわざわざ話題にするほどのことでもないと正直考えているような気がする。そもそも高校生の時、ある授業で「今の高校生がどれほどテレビを視聴しているのか」というアンケートを学年でとったところ、約半分が「ほとんどテレビを視聴しない」と答えていた。テレビを見ない層は興味がないから皆いちいち確認していないのかもしれない(みんな私の前では話さないだけかもしれない。ある意味深い関係性でないと話せないような話題でもあるから)。
けれどインターネットではジャニーズの問題を話題に上げている人々は多くいるし、事務所とファンを否定する側・事務所を擁護する側の対立はより深まっている。深く見ていけばどちらも対立側への罵詈雑言が見受けられる。その罵詈雑言の応酬を見ているうち、なんだか、もうオタク文化なんて全部消えてしまえと思った。
私はジャニオタだから(自主的にハマり始めたのはここ2年ほどなので新規にも程があるけど)この問題と向き合う必要があると思い、告発が始まってから否定側の意見も擁護側の意見もどちらも見てきた。元からROM専アカウントではリベラルな人たちを多くフォローしてきたこともあり、むしろ事務所擁護側の意見を自ら調べなければならないくらいだった。でももうどちらも相手を中傷する、傷つけるだけの意見が多くなってきた。わざわざ調べなくともおすすめツイートで流れてくる。「左翼は日本から出ていけ」「ジャニオタは人殺し」。感情的になるな、と言うのは意見を述べる人の口を塞ぐ行為になりかねないので言わないが、感情的になるにしても死ねとか人殺しとか、簡単に言って良いんだって感じ。これは一部の声だと言う人もいるけど、性被害問題だって一部の人間の被害だからといってなあなあにしてはいけないのと同じで、罵倒を一部の人の声だからと言って無視していいものではない。
そもそも性被害問題について、私も性被害にあったことがある、そして現在進行形で裁判を進めている人間だから理解できるのだ。高校生の時バイト先の「上の人」から性被害にあった。地元で高校生で雇ってくれる場所が少ないこともあり、大学生になるまでの我慢だと思って数年我慢した。大学になってから親しい人に話し、警察まで行き、被害届を出した。裁判をすることになったが証言が私のものしかない上証拠もなく、相手の弁護士も強いらしいので私にあまり勝ち目はない。一年ほど前にうつ病判定も病院で出たが性被害のせいにできるかは分からない(し、するつもりもない)。多分当事者の会よりそこそこ追い詰められた状況にあるので、彼らの大変さは分かる。そして当事者の会や被害者が金銭的補償を受けることができれば私の裁判もまだ有利に進むと思うので(私は金銭的な補償は受けようとは思っていないが)、正直なところ頑張って勝ってほしい。というか私も金目当てだと思われたら嫌だから金銭を求めていないけど、本当はもらえるなら全然金銭的補償をしてほしい。大学生なんて常に金欠だし。ジャニーズ性被害者、頼むから頑張って金を勝ち取ってくれ。
けれどそれとまだジャニーズの自担(=推し)が好きな気持ちはまた別の感情なのだ。私の推しはジャニーズジュニアで、今の事務所の状況では芸能界に残ることは難しいだろう。かといって退所したところでまだ知名度もパイプも全くないので、どちらにしろ芸能界には残れないだろう。ジュニアとはいえ、私よりも全員年上だし学歴もあまりない。だから性被害問題への責任感と推しを好きな気持ちで板挟みになってだいぶメンタルがすり減っている。母親は激しめのジャニオタだから「少クラが終わったのは若いジュニア担の子が声を上げないから」とか言って責めてくるし。知らない人から死ねとか人殺しとか言われる可能性があるのにわざわざ声をあげたりはしたくないよ。
当事者の会の自殺が起きてからさらに互いへの中傷は激化した。擁護側は相変わらずレイシズムや反日に絡めた罵倒。否定側はジャニーズファンは全員人殺し、とか。流石にそれを見た時はかなり落ち込んで睡眠薬を何錠か飲んでも寝られず、ついでに初めてのリスカを解禁した。痛かった。そうかあ何も言わなくても性被害経験者でも人殺しかあとしみじみした(政治においては意見を表明しないことも悪なので、確かに私は悪ではある)。
私に向かってではないけどオタクは人殺しと言われてからかなり全部どうでも良くなった。遺書でメディアとインターネットの人々のせいだと一人一人のユーザーネームやメディア名を書いて自殺したらメディアは取り上げてくれるんだろうか。インターネットは湧きあがってくれるのか。大学生の「普通の」インターネットでも現実でも意見をあまり述べてこなかったジャニオタの自殺でちょっとでもお互いの罵詈雑言が減ってくれるなら全然良いなあとか思う。でもニュースでそんなの取り上げなさそうだな。あと今鬱状態だからこんなこと思うだけで、薬が効いてくれば多分、大丈夫だと思う。
これだからジャニーズオタクは宗教みたいだと言う人もいるけれど、正直これはジャニーズオタクに限った話ではなく、どこにでも趣味を宗教にしてしまう人はいる。私が2次元やソシャゲ、映画、舞台など他の界隈のオタクもしていて周りにもさまざまなジャンルのオタク友達がいたからわかるけど(むしろ私はアイドルオタクをしている期間の方が少ない)趣味に宗教じみた入れ込み方をする人はどこにでもいるし、そういう人はどのジャンルに行ってもそんな入れ込み方をする。ソシャゲでは学生として自分の学費を稼ぎながら夜勤にも入り課金・グッズ集めを同担の上に立つために頑張っている人を見たし、二次元でも借金をしてまでグッズを集めている人を見た。けーぽオタクの友人は同い年であるにもかかわらずCDを◯◯枚積んでヨントンを当てたりランダムトレカをせっせと集めていた(ヨントン?のために積んだ枚数は言ってはいけないと聞いたことがあるのでここでは伏せる)。つまり、どこのジャンルでも入れ込み過ぎているおかしいオタクは存在する。ジャニーズオタクの母数が多いからより「全員洗脳されている」と感じるのかもしれない。なんだかんだ私も多ステ(たくさんライブに行くこと)のためにウン万のチケット買ったりしたし、写真も好きなものは100枚単位で集めたりしたし、学生にしては金遣いが荒かったので宗教と言われても言い返せない。ジャニーズも推しもいなくなれば強制的にオタクをやめられてお金を自分のために使えるようになるし、それはそれで良いのかもと思ったりする。
あとジャニオタは人気ジャンルだと勘違いしていると揶揄している人もいるけど流石に成人してちょっとのオタクあたりはそんなこと思ってないと思う。けーぽのオタクも女性アイドルのオタクもいっぱい見るし。ジャニーズジュニアだってTDCやEXシアター六本木規模でライブする程度人気のグループもいるし。LDHも最近インターネットではよく見るし。アニメやソシャゲ、地下アイドルなど見渡せば他ジャンルのオタクはいくらでもいる。だから紅白や番組にジャニーズが出なくなっても視聴率はそんなに変わらないと思う。私はこれ以上推しを作りたくないのであえて見ないけど、そんな閉鎖的もオタクも少ないだろう。
いい意味でも悪い意味でも、ジャニーズがなくなったとて世間も日本もメディアの体質も大して変わらないだろう。でもジャニーズがなくなることで救われる人がいるならきっと正しいことなのだ。
はてブロ書くの初めてだけどこんな感じでいいんだよね?裁判で記録とか取られたら嫌だから年齢やちょっとした情報にはフェイクを入れているけれど、私が10代後半〜20代前半の現ジャニーズオタクであること、性被害経験者であることは本当だ。
大体感想を3行でまとめると、
・ジャニーズで好きなアイドルがいるし行く末が不安だけどジャニーズがなくなって救われる人がいるなら良いこと
・それはそうとして人殺しと言われると自分に向けてじゃなくても死にたくなるよ〜鬱だから勘弁しちくり
・別にジャニーズがなくなっても良い意味でも悪い意味でも世界とメディアと社会は変わらない
以上。解散。
だけど最新の科学的知見では、逆のことが明らかになっています。
まず男子と女子とで成績やIQに有意な差はありません。ただし、いわゆるSTEMと呼ばれる理系分野が女性に好まれてないのは事実です(後述)。
ごく最近になって、狩猟に出掛けていたのは男ばかりではなく女の方だったと明らかになりました。
現代でも海女さんなど女性が主役になって狩りをする職種が残っています。
CTスキャンの結果をまとめた研究によると、脳の物理的構造に差がないことが明らかになっています。男女の脳に差はないんです。
狩猟農耕時代があまりに長かったため、進化的に性質が固定化してしまった。
しかし、これは近代になって女性を下に見て支配する家父長的な考えが現れたせいです。
男性の心のケア役割を女性に任せ、感情を受け取ったり出したりするのは女の仕事と規定しました。
そのミソジニー(女性蔑視)な考え方が、逆に男性からケア能力を高める機会を奪い、
女性のしているような同性同士での傷の舐め合いを甘えとみなさず、メイクやスキンケアなど周りの人目を気にする習慣を取り入れて、人格を道具化・モノ化して性的に消費したりせず同じ人として扱って、同性同士で心を開きあえれば、ミソジニーな価値観をアップデートできれば、男性の不幸も改善していくでしょう。