はてなキーワード: デュッセルドルフとは
子供は親を選べないというけど、もっと言うと生まれる国や地域だって選べない。
その意味では、全世界の中において日本で生まれ育ったことは誇ってもいい事ではないか。
はてな界隈ではすぐに「日本氏ね」とかいうけど、では日本よりもいい国って一体どこよ。
真っ先に思いついたのが世界最大の経済大国の米国と、米国以上のGDPを持つEUの中心であるドイツの2カ国。
米国は名実ともにナンバーワンだけど、国内は銃社会であり、日本やドイツと比べて国民皆保険も満足に整備されていない。
ナンバーワンの割には、人間社会にとって一番大切な部分が欠落していて頭おかしい国に見える。
ヒトラーを称賛するわけではないが、ゲルマン民族は世界一優秀で素晴らしい。
欧州一の人口とGDPを持ち、治安や文化レベル、社会福祉、地方分権とどの分野も世界最高レベルではないか。
東京一極集中の日本と比べて、ドイツは首都ベルリンよりも存在感のある大都市(ハンブルク、ケルン、フランクフルト、ミュンヘン、デュッセルドルフなど)がいくつもあるのも羨ましい。
ただしドイツは周辺の国と陸続きで、東欧経由で中央アジアの難民が歩いて渡ってこれるのは恐怖だよね。
『BADDAY』『星逢一夜』『金色の砂漠』と進んできたけどなんかしっくりこなかった因数分解したい。
『金色の砂漠』は最初花乃さんが明日海さんに(もうそれぞれの役名忘れた)死罪を言い渡すのがしっくりきてなくて、友人に話すうちにしっくり答えが見つかって、ああやっぱすごいなあと思ったから。
それから、『fff』に向けてという意味もある。上田久美子氏のクラシック音楽に材をとったものは、もしかして自分受け付けないんじゃないか、いやいやいや、せっかくだから受け付けるようにしておきたい、みたいな?
『金色の砂漠』を見たあとに、改めて上田久美子氏についてグーグル先生に尋ねたところ、宝塚への見方(昭和なことしててすごい、この文化は途絶えさせてはいけない)、東京と労働への考え(東京砂漠という表現と稼いで使ってという燃費の悪さ)が自分と同じで驚いた。そして単純計算して、自分の1つ年下か、ということも弾き出した。出身大学もまあ、親戚みたいなもんだ(言い過ぎか)。
ブラームスのイメージは、昔友人が言っていた「俺らの大学の気質に合ってるんだよ、クララにひそかに恋しちゃったりしてじとじとしてるところが。あと真面目。交響曲こだわりすぎて4曲しか作れなかった。」「交響曲第4番ほんともうスコアの見た目からして美しい(確か。ベートーヴェンの5番と共にこの2曲を挙げてた)」。
それから、ビジュアルイメージも完全に髭面のそれだった。若いときのやつあんまり記憶になかった。
自分の携帯に入ってる唯一の交響曲が、ヴァントのブラームス交響曲3番だった(あ、最近幻想交響曲入れたんだった)(ヴァントにこだわりがあるわけではない。Kugouの中で選んだ)。交響曲1番、4番はメジャーすぎ(というか主張が強いのかな、メロディラインというか)、2番は自分にとって手垢が付きすぎているため。
あ、あと、暗くてじとじと、とはいえ、交響曲1番1楽章とか激しい。
まあとにかく、やっぱ気質なのか、あとはミュールフェルトのおかげか、自分にとっては1馬身出てる作曲家。
シューマンは、交響曲4番(のVnソロ笑)。あと『子供の情景』の<知らない国々>だ。自分の体験としては夢々しい、というイメージ。だけど、これも別の友人が言っていた、シューマンを聞きだしたら、闇落ちしていることに気がつく、と。
ヨハネス・ブラームス、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム
知ってる人らだからと油断していたら名前わからなくなった罠。ヨハネス、クララ、ロベルト、ヨーゼフ。
ヨーゼフは、フランツ・ヨーゼフ1世と混ざる…。
【】翼ある人びと
1838年:『子供の情景 Op.15』『クライスレリアーナ Op.16』
1841年:シューマン『交響曲第1番 Op.38』。シューマン交響曲第4番初演するもイマイチ(メンデルスゾーン体調不良によりフェルティナンド・ダーヴィトが指揮)、出版されず。
1846年:長男エミール誕生【秋音光】。シューマン『交響曲第2番 Op.61』
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1853年(ブラームス20歳、クララ34歳、シューマン45歳、ヨアヒム22歳、リスト42歳、ワーグナー40歳、フランツ・ヨーゼフ1世23歳)
10月:いっぱい滞在。初旬にシューマンが『ヴァイオリン協奏曲 d』を作曲するもヨアヒムが封印(21世紀に入り、ワーグナーを先取りしたような斬新な和声の使用などの先見性が評価されるようになった)。
秋頃(それ以前という説もあり):『ヴァイオリンソナタ』シューマンは出版を提案するもブラームスの判断で破棄
11月:シューマンのもとに『ピアノソナタ3番 Op.5』の譜面が送られている
12月17日:『ピアノソナタ第1番 Op.1』初演@ライプツィヒゲヴァントハウス。シューマンの紹介でブライトコプフから出版、ヨーゼフ・ヨアヒムへ献呈。シューマンは当初別の作品を作品1として出版することを提案していた。
12月30日:シューマン『交響曲第4番(改訂版)Op.120』初演(現在一般的に演奏されるのはこれ。翌年出版はするがあまりハネなかった模様)
2月27日:シューマン投身、エンデニヒの精神病院へ。ブラームスデュッセルドルフへ駆けつけ、シューマン家を助ける。クララとの距離近づく。
春?:『ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲 Op.21-2』
6月:四男(末子)フェリックス誕生【次男、花菱りず】。ブラームスが名付け親。ブラームスの子供説あり。ロベルトによく似ていてクララもとても可愛がる。
夏:『4つのバラード Op.10』この曲集の作曲とほぼ同時期にクララへの生涯にわたる愛が始まっている。
1855年:クララを手紙の中で「君」と表現。『2つのガヴォット』『2つのジーグ』『2つのサラバンド』『ベートーヴェンピアコン4番のカデンツァ』『格言(この欺瞞の世界で)』。交響曲第1番着想(シューマンの『マンフレッド序曲』を聞いて)。
1856年『フーガ』『前奏曲とフーガ a』『モーツァルトピアコン20番のカデンツァ』『キリエ』『ミサ・カノニカ』
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1857年:『前奏曲とフーガ g』『子供のための14の民謡』『モーツァルトピアコン17番のカデンツァ(着手)』
1858年:25歳の時、友人の家で知り合ったアガーテ・フォン・ジーボルトと婚約。『セレナード第1番 Op.11』
1859年:結婚生活が音楽活動の制約となることを恐れて婚約破棄
1861年:『シューマンの主題による変奏曲 Op.23』ユーリエへ献呈。
1863年:エリザベート・フォン・シュトックハウゼンがブラームスに弟子として受け入れるも、ユリウス・エプシュタインに送り返している(彼女のまれにみる美貌と才能のため必要以上に惹かれてしまうことを恐れてか、エプシュタインへの配慮か)。
1867年:オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生。戴冠式@マーチャーシュ協会のミサ曲はリストが作曲。
1869年:36歳の時、ユーリエに心を寄せるも内気ゆえいつもの癖で気持ちを打ち明けられずにいるうちにクララがイタリアのラディカーディ・ディ・マルモリートからのユーリエへの求婚を容れて婚約させてしまい、ブラームスは怒りをもって『アルト・ラプソディ(ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章)Op.53』を作曲(別のサイトの表現では、プロポーズを承諾したときににわかに不機嫌に。『アルト・ラプソディ』はユーリエへの嘆きの歌)。
1876年:『交響曲第1番 Op.68』21年の歳月をかけ完成。
1876or7年 *43歳:「結婚すればよかったと思うこともある。……しかし適齢期のころには地位はなく、いまでは遅すぎる」と友人に語った
1879年:フェリックス病没。悲しみにくれるクララを慰めるため、ブラームスは『ヴァイオリン・ソナタ第1番<雨の歌>Op.78』を作曲。クララ「この曲を天国に持って帰りたい」。また同時期にフェリックスの詩に付曲(Op.86-5)。
1883or4年 *50歳:コントラアルト歌手ヘルミーネ・シュピース(23歳年下)に出会い歌唱力の素晴らしさと女性としての魅力に惹かれるが結婚にまでは踏み切れず。
1889年:フランツ・ヨーゼフ1世から「芸術と科学のための金の大勲章」を授かる。暮れに謁見。シューマン交響曲第4番初稿版を再演(クララは改訂版派だった)
1890or1年 *57歳:コントラアルト歌手バルビと出会って音楽家としての魅力に惹かれる。
1891年:『クラリネットクインテット Op.115』@バート・イシュル夏。シューマン交響曲第4番ブラームスヴェルナー校訂版出版、世に知られるようになる。
1893年:『シューマン全集』刊行(ブラームスとクララで編纂)
5月07日:『4つの厳粛な歌 Op.121』完成。辞世の作品とみなされている。
5月20日:クララ没(76歳)。埋葬式のあと体が衰弱し、肝臓癌であることがわかる。
6月:『11のコラール前奏曲 Op.122』@イシュル。第11曲「おお、この世よ、われ去らねばならず」。作品を書き終えたブラームスの健康は日に日に衰えていく。医者の治療を受けても病状は一向によくならず。
1937年:シューマンの『ヴァイオリン協奏曲 d』がヨアヒムの蔵書から発見される
※出典:ウィキペディアとか奇特な方のブログとかブラームスインスティテュートとか、、余力があれば追記…。
あと書籍類もぼちぼち読んでいきたい
あと映画も
http://europa-japan.com/category12/entry77.html
ヨーロッパで作られるアニメは基本的に子ども向け主体だからこそ、日本のようにストーリー主体で作られる大人向けのアニメが新鮮で、フランスを中心に人気が出るのだと思います。フランス・パリのJAPAN EXPO、スペイン・バルセロナのSalon del Manga、ドイツ・デュッセルドルフのJAPAN-TAGなどなど、ヨーロッパ各地で漫画やアニメのイベントが開かれ数十万単位の来場者を動員しています。
そこまで人気なのにどうして自国では日本タイプのアニメを作らないの?と思われるかもしれませんこれは、単純にコストの問題です。フランス国内でのアニメ制作費は1分間70万円もするのにたいし、日本から輸入すれば1話20万円で済みます。
ケーブルテレビや衛星放送のアニメーション専門チャンネルで日本やアメリカの高品質なアニメが放送されてるのに、わざわざ大金かけて作るメリットがあまりないというだけなのです。
ホントかどうかは知らんけど
菅ちゃんが意味不明なことをいって携帯キャリアの株価を下落させたので、書く。
議論の切り口は
である。
最初に言っておくが、菅官房長官のこの発言は来月20日の自民総裁選を見据えたもので、
「携帯料金の値下げ」発言に政策的根拠はなく権力闘争の一手段だと忖度する(=推察する)
できもしない「無茶な政策」を口にすることで暗に「総務相からおろすぞ」と脅しをかけ、
国民に受けがいい携帯料金をだしにして支持率をあおっているように思える。
石破氏に対してはどうなのだと言われてもそれは知らない。私が言えるのは石破ちゃんの顔がアンパンマンに見えるということだけだ。
検索すればいくつかブログもヒットするが、日本の携帯料金が世界からみてことさら高いということはないのである。
これは東京・ニューヨーク・ロンドン・パリ・デュッセルドルフ・ソウルの6都市の携帯料金を調べたものだ(総務省自身の調査だ)
http://www.soumu.go.jp/main_content/000493771.pdf
平均的な利用パターンとして、月5GBの場合の金額を抜粋した。
都市 | 金額 |
ニューヨーク | 6,187円 |
ソウル | 4,640円 |
デュッセルドルフ | 3,937円 |
東京 | 3,760円 |
パリ | 2,554円 |
ロンドン | 2,505円 |
もちろん各国の物価は異なるし他にも様々な要因があるので単純比較はできない。
だが、これをみて「携帯料金を4割も下げられる」と思えただろうか。いや、無理な話だ。
海外では公衆Wi-Fiが日本よりも多い。日本では携帯の電波が津々浦々まで届いているので、公衆Wi-Fiが流行らなかったのだ。
またヨーロッパでは新しい電波(4Gとか5Gとか)の普及が遅く、一世代前の通信速度しかでない地域も多い。
コストをかければ料金もあがるのが道理だが、このランキングは必ずしもそうなっていない。
次に電波利用料について考える。
携帯事業は免許ビジネスだ。国から電波を仕入れて、ユーザーが使いやすい形にして売っている。
では携帯キャリアが国にいくら電波代を払っているかみてみよう。比較のためにテレビ局の金額も合わせて表にする。
http://www.tele.soumu.go.jp/j/sys/fees/account/change/h28_futangaku/index.htm
ドコモ | 209億円 |
ソフトバンク | 168億円 |
au | 137億円 |
NHK | 22億円 |
日テレ | 5.1億円 |
TBS | 4.9億円 |
テレ朝 | 4.9億円 |
テレ東 | 4.7億円 |
フジ | 4.7億円 |
ひとくちに電波といっても周波数帯が異なるし帯域幅も異なる。伝送方式も違うしそもそも利用方法が違う。
とはいうものの民放の30倍から40倍の電波利用料を携帯キャリアは国に納めている。
その間に携帯は2G→3G→4Gと次々に設備を更改し、通信速度は1000〜10000倍に向上した。
公的なデータではないが以下のサイトから数値を借りることにする。正確さは求めずに雰囲気だけみていただきたい。
https://heikinnenshu.jp/ranking.html
フジ | 1482万円 |
日テレ | 1453万円 |
TBS | 1441万円 |
テレ朝 | 1342万円 |
テレ東 | 1256万円 |
NHK | 1160万円 |
au | 905万円 |
ドコモ | 833万円 |
ソフトバンクモバイル | 748万円 |
テレビと携帯の順番が逆転している。これでも携帯キャリアが儲けすぎだといえるだろうか。
トヨタ 783万円 ホンダ 773万円 日産 701万円
本体と子会社で年収が大きく違うということもあるし、同じ会社でもホワイトカラー・ブルーカラーや総合職・一般職が混ざっていたりする。
しかし業種全体でみれば大まかな傾向は読み取ることができる。
このランキングでNTTドコモは143位となっている。日本の平均年収よりはかなり高いが、大企業の年収としては「並」の部類といっていいだろう。
逆にテレビ局はテレ朝が10位となっておりテレ東を除く4社が10位内にランキングしている。テレビ業界はランキング上位を席巻しており、これは明らかに「特別」であり「異常」だ。
問おう。
「携帯料金を4割安くできるか?」
国が無理やり民間ビジネスに口をだして値下げさせるとどうなるか。
ろくなことにならないだろう。
携帯ショップは携帯キャリアではなく販売代理店が運営していることがほとんどだ。
携帯キャリアの収入が減れば最初に煽りを受けるのは販売代理店だ。携帯ショップが4割少なくなるかもしれない。
次にインフラへの投資が抑えられ、田舎の電波はまた過去のように悪くなるだろう。
そして世界で5Gが普及し1Gbpsで通信できるようになっても、日本ではまだ100Mbpsで通信してるかもしれない。
最後にあらためていうが、今回の官房長官の発言は自民総裁選に向けた権力闘争のためのものであり、携帯キャリアはスケープゴートにされているのだ。
世界的な金融危機の荒波をかぶって、ポーランド経済がふたたび窒息死直前にある。
ブームだった不動産投資が裏目にでて、市場が頓挫したのは、各国共通だが、ポーランドの相違点は、なぜか多くが、スイス・フラン建てで住宅ローンを組んでいるために、為替相場の変動で、二重の苦しみなのである。
もともと異様な投資境遇にあった。
ソ連崩壊後、いち早く投資が集中したのはポーランドで、米国にはブレジンスキーなどポーランド系の移民が多く、またカソリック教会のネットワークもあった。
筆者が最初にポーランドへ行ったのは90年だった。ワルシャワ駅前の(昔の)一流ホテルに宿泊、ジャガイモのサラダがいっぱいのったステーキが「一万ズローチ」と言われ、目を白黒させた。
すごいインフレだった。
ポーランド通貨は「ズローチ」。当時、一ドルが一万ズローチだった。ハイヤー(ベンツ)を雇ってグダンスク(グダニスク)を日帰り往復。高速道路をぶっ飛ばした。朝九時にでて、ワルシャワへ戻ったのは午後九時ごろ。途中、高速道路にドライブインが一軒しかなかった。
ハイヤーが往復わずか百ドルだった。グダニスクが「連帯」発祥の地、議長のワレサは、そのご、ポーランド大統領になった。
それから二年ほどして、再訪したら、はやくも証券会社が乱立し、株式市場が盛況を極めていた。
このときはワルシャワのホテルに一週間ほどいて、ヤルゼルスキー元大統領に会見したり、南のクラコウにも足を伸ばした。
ポーランド政府の招待で共同通信、日経、産経の記者と同じ政府系のボロ・ホテルが宿舎だった(招待と言ってもポーランド政府が出してくれたのは、このホテル代だけ)。近くの豪華ホテルには朝日、読売の記者もいた。
外国との合弁アパレル工場を見学し、社長とあったり、忙しかった。その時のルポは『財界』に連載し、なにかの単行本に収録した。
王宮跡の広場にあった有名なレストランへ行くと、素晴らしい鹿肉料理、音楽隊の伴奏もあった(余談だが、そのとき一週間隣室だったのが当時の産経ボン特派員の前田徹氏。その後かれはワシントン支局長から上海へ飛んで、先日まで上海からの特電を産経に書いていましたっけ。上海時代には二回あった)。
閑話休題。ワルシャワにはショパンの記念館もあり、昔の栄華の面影が甦った感覚があった。
駅前にはマリオット・ホテルの偉容が輝き、発展は約束されていた。駅裏にはホリディ・イン・ホテルもできていて、なんと日本経済新聞がデュッセルドルフから空輸されて読めた。
実際にポーランドは急激に発展したのだ。
西側から奢侈品が入り、ドイツや日本のクルマが疾駆し、レストランは満員。人々はスイスフランに投機を始める。
▲ドイツマルクにもユーロにも見放され? スイス通貨に依存した
ポーランドはドイツを憎み、ロシアを憎むが、それゆえにスイスが投資の的になるのか、或いはポーランド人というのは、もともとがギャンブル好きなのか。
スキームはこうだ。住宅ローンをスイスフランで借りると、金利が低い。
それを進めるファインス会社がたくさん出来た。またポーランドの輸出が好調だったので、通貨ズローチが切り上げになったことも大きな理由だった。
住宅ローンの60-70%がポーランドではスイスフラン建てである(ワシントンポスト、3月15日付け)。
欧米の銀行が機能しなくなって、突然ポーランド通貨ズローチが崩落、対スイスフランで半値、いや半値以下となる。
ズローチ建てに換算すると「天文学的な借金」が目の前に現出した。
つまり、日本で喩えると3000万円のマンションが、6000万円にいきなり化けたことになる。値上がりではない。債務が膨張するのだ。同様にフラン建てで不動産を借りている企業もオフィスレンタル急騰に悲鳴を挙げる。
同時期、ハンガリー、ウクライナ、ブルガリアなどの通貨も暴落を始めた。
他方、EU加盟を認められて以来、ポーランドからおよそ百万人がイギリスなどへ出稼ぎにでた。
レスゼク・ザルニッキという不動産王がいた。銀行も経営していた。いや、両方とも倒産の危機には至っていないが、このレスゼクが、スイスフラン建て不動産ビジネスとファイナンスをポーランド全土に広めてビリオネアになった張本人である。
「スイスフラン建てビジネスは失敗だった。しかしもっと悪いのは格付け機関と外国銀行だ。外国銀行は投資家に向かって東欧から資金を引き揚げろとアドバイスしているし、格付け機関はどんどんと投資不的確マークを東欧企業に打っているではないか」。
■TOUR OF THE UNIVERSE 2009/ヨーロッパツアー全日程
May/5月
Sun 10th テルアビブ, Ramat Gan Stadium / イスラエル
Tue 12th アテネ, Terra Vibe Park / ギリシャ
Thu 14th イスタンブール, Santral Istanbul / トルコ
Sat 16th ブカレスト, Park Izvor / ルーマニア
Mon 18th ソフィア, Vasil Levski Stadium, Tuborg Greenfest / ブルガリア
Wed 20th ベオグラード, USCE Parc, Tuborg Greenfest / セルビア
Thu 21st ザグレブ, Arena, Tuborg Greenfest / クロアチア
Sat 23rd ワルシャワ, Gwardia Stadium / ポーランド
Mon 25th リガ, Skonto Stadium / ラトビア
Wed 27th ヴィルニアス, Zalgirio Stadionas / リトアニア
Sat 30th ロンドン, O2 Arena / イギリス
Tue 2nd ハンブルグ, HSH Nordbank Arena / ドイツ
Thu 4th デュッセルドルフ, LTU Arena / ドイツ
Sun 7th LEIPZIG, Zentralstadion / ドイツ
Wed 10th ベルリン, Olympiastadion / ドイツ
Fri 12th フランクフルト, Commerzbank Arena / ドイツ
Sat 13th ミュンヘン, Olympiastadion / ドイツ
Tue 16th ローマ, Stadio Olimpico / イタリア
Thu 18th ミラノ, Stadio San Siro / イタリア
Sat 20th WERCHTER, TW Classic Festival / ベルギー
Mon 22nd ブラティスラバ, Inter Stadium / スロバキア
Tue 23rd ブダペスト, Puskas Ferenc Stadium / ハンガリー
Thu 25th プラハ, Slavia Stadium / チェコ
Tue 30th コペンハーゲン, Parken Stadium / デンマーク
July/7月
Fri 3rd アルヴィーカ, Arvika Festival / スウェーデン
Sat 11th ポルト, Superbock Super Rock Festival / ポルトガル
http://www.emimusic.jp/intl/news/?id=intl_news&no=100?rssno=941