はてなキーワード: デトロイトとは
市場としての不備に気づいてることがあるんだけど
たまに槍玉に上がるけど
募集者がそもそも来ると思ってないとか、来なくてもいいと思ってるとか、ワンチャン来たら嬉しいくらいに思っているとしたら成立する
この存在はまともに市場に入ろうとしてる人らにとっては害悪である、相場を乱すし、市場への不信感が出るので
労働力100に対して与えられる賃金は最大でも100である場合で、労働者がみな労働力100に対し賃金200を求めた場合
(デトロイトとかこれだよね)
かと言って適正な値100-100にするとマッチしないので市場が失敗する
相場の失敗の状況下で起こりがちだが
そしてきついのは、高待遇詐欺の募集がたくさん出ることで相場が動いてしまい、相場の失敗に至るという点である
これよく見るのはセックス市場だと思う、女を騙してやり逃げした奴が得をするという状態
ここらへんは分かってるつもり
東京のカスヤローどもが、「アテクシ、美術館とライヴのない生活は無理でしてよ!」とか抜かしてんのを見ると、なんかスゲ〜ムカつくので、じゃあ家の周りに美術館がねえこの俺が、キサマより美術や音楽に詳しくなったるわ!という気持ちをもってのことです
やり方については詳述しねえ
詳しくは言えねえけど、ある海外人気の高い大型SNS(って言ったらもう分かりそうだけど…)で、美術とか食とか旅行とか写真みたいな、そういう徳の高いコミュニティ(5chでいうところの板みたいなものがメインのSNSなので、タイムラインを個人ではなくジャンルで作ることになる)をまとめたフィードを作って、それを毎日みる
カザフスタンの旅行写真とか、デトロイトスタイル・ピザとか、マックスフィールド・パリッシュの絵とか、Coq au vinっつうカッコいい上にうまそうなフランス料理とか、そういうものの知識が毎日流し込まれる
マックスフィールド・パリッシュの絵なんか、実際結構気に入った 名前を覚えるくらいに気に入った
冬の風景画の、明朝の深い青色の空の感じが非常に「わかる」感じで、大変よろしい
こういう風景、実際に目にして感動して、あとで見返そうと思って写真にとっても、ぜんぜん感動を切り取れないんだよな
絵で味わえるのはホントにありがてえ
今日見た中だと、秘密ですよ、Alex Colvilleという人のPacificって絵、これがマジで超カッコよかった
オーシャンビューの、開放的で生活感のない部屋で、上半身裸の男が気だるげに海を見ている、のを後ろから見ているって絵なんだけど、なんといっても手前の机にぽつんと置かれた拳銃が目を惹く
この銃はなんなのか、既に使われたのか、これから使うのか?男は何者なのか?何を思っているのか?
男の方から上がフレームアウトしていて、表情なんかがまったく伺えないのもシブい
この絵にインスピレーションを受けた映画があるっていうのも頷ける話だ これはカッコいいよ
いい絵を見ましたねえ!
実際、旅先で美術館行っても、あーこれモネなんだあ、モネって誰だっけ?マネと関係あるんだっけ?とか思って、ただ見たって事実に満足してしまって、画家のこととか個別の絵のエピソードなんて全然覚えないことが多い
まあそれはそれで贅沢なことで、非常に文化的であることは否定できねえが、しかし、東京野郎がそうしている間に俺は俺の組み上げた電子美術館で文化資本を積み上げていくぞ
そんで、東京から来たんスよ、とのたまう野郎のTシャツを見て言うんですよ、「あれ?この絵ってコルヴィルの"パシフィック"じゃないですか!カッコいいですよねえ」とかってさあ!「えっ…ああ、このシャツですか?へー…そんな名前の絵なんだ、気にしてなかった」「あら、そうなんですか?残念、マイケル・マン監督がお好きだったりするのかなと思ったんですけど!」
ウゼー 書いてて嫌になってきた
こんな瞬間は訪れなくていいんだけど、しかし、カードとして切れるものが増えるのは嬉しい
カードとして切るっつうのはなにもマウントを取るだけのことじゃねえ 適当に行った美術館で偶然見かけた絵の青色に見覚えがあって、これはパリッシュ・ブルーなんじゃねえの?!と思って作者名を見たら実際にそうで、ヨッシャ〜とか小声で言って、だれに共有するでもなく、ただマスクの下でニヤつきながら観光を続行、そういう瞬間に俺のもつカードは確かに切られているということになる
日本に限らず新陳代謝が上手く行かずに落ちぶれたのは、アメリカのデトロイトやそれこそ文中にあるアルゼンチンなどいくらでもあるし、日本という国においてって言うのは無茶があると思う。
あと国がそこまで責任を持つべきなのか疑問だし、個別企業が国全体の将来利益を念頭に戦略を考えているわけではないよねって反論を考えられるならそれに対する答えも書いて置いてほしかった。
当然の疑問なのに事前にそう言われちゃうと質問も出来ないじゃん。
そもそも全体の文章から国としてやれってのは読み取りにくいし、ソニーを思いっきり例に出してるから個別の企業について言ってると思います。
すでに言っているように、失敗している例を結果論で「日本のエリートってまじ無能だなって思う」って気持ちよくぶったぎってるのが気に食わなかっただけです。
ヒロシマもビキニも大して何も感じない国アメ公どもの不謹慎な日をリストアップしてみたぞ
どうせ世も末なんだからこのリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本も関脇昇進もなんだってしてもらってもいいぜ
FF16やっとクリアした。気になった事をメモしながらプレイした。思いついたまま書いたから見にくいかも。
ちょっと厳しめ。
最初に統括というか全体的な評価を見た感想なんだけど、ChatGPTにまとめてもらった。ちゃんと言語化できてえらい。
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FF16は、FFブランド・吉田ブランドならではの多くのライトゲーマー層を取り込みつつ、広い層に訴求され、全体的な評価も非常に高まった。
一方で硬派なゲームを好むゲーマーからは支持を得られなかったのではないか。
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×感動的なシーンや迫力あるシーン、感傷的になるシーンが唐突に感じる。経緯が説明不足でカタルシスを感じない。
△物語の展開が遅い、と思いきや唐突に進む。緩緩緩急な感じが続く。
×一緒に旅する仲間が少なすぎる。力を貸してくれるキャラはいるがモブ感が否めない。
△仲間が真面目すぎる。クライブとジルの落ち着きはもはや老夫婦。
△序盤ベアラー差別が辛すぎる。デトロイトのアンドロイド差別並みに差別される。
△街につくと問題発生→聞き込み→俺が行こう→なんやかんやで解決のパターンが多すぎる
△マザークリスタルをーぶっこわーすだけでメインシナリオが進む
△やめるタイミングが見つからないとは言っていたものの、特に先が気になる展開でも無い為そんなことは無かった。
△クライヴが知らない重要なことを先にプレイヤーが知ってしまうパターンがある。
△最初と最後だけを考えたようなシナリオに感じた。ラスボスの考え方や設定がちょっとFFっぽくない感じ。(テイルズとかの他作品をFFっぽくした感じになっている)
△登場人物には募る思いがあるんだろうけど、プレーヤー自身にはそれが感じられない。
・バトル
×基本コンボが序盤から最後までシフトから□△□△□△□△アビリティ(工夫次第では何とかなる?)
△LBを使うとマジックバーストのタイミングがズレるのでめんどくさい。
△コンボにトルガルを挟む必要性を感じない。トルガル操作とアイテム操作の場所が同じ(切り替え式)なので誤爆しやすい。
△敵の多段攻撃の1段目をタイミングよく回避できても攻撃すると2段目で普通に食らう。
→順応していく必要があるが、初見でよけられたと思っても食らっちゃうところにストレスを感じる。
△ウィルゲージを削ってダウン中に大技を叩き込めむのが、FF13からの似たようなシステムで新鮮さが全く無い。
△一部のアビリティがスカることが多く結局フェニックスやシフトで距離詰めて攻撃しか使わなくなる
△召喚獣の切り替えで○の性能が変わるのが逆に面倒
○オートアクセサリは気分を変えて戦闘したくなる時にはよかった
△オートアクセサリとステータスをトレードオフにするのは何か違う気がする。
△技性能アップ系のアクセサリは装備ではなく、APで直接強化する方が自由度あったと思う。
△召喚獣の役割が決まりすぎててジョブみたいに好みで選べるようなものではない
※選べるようになったとしても後半から
×召喚獣バトルは動きが重くてインパクトを感じるより先にストレスを感じる
×召喚獣バトルが冗長すぎる。殴ってる間に会話も無いので間が持たない。
○なんだかんだ言ってトレモでコンボを考えるのは楽しそう。
△魔法がただのコンボパーツorチャージ攻撃。魔法メインの遊び方があると思ってたのに、すべての召喚獣で同じ性能でガッカリ。
・システム
△高低差のある村でマップが平面なのがつらい
×ミニマップは無くてもいいが向いてる方角は表示してほしかった
×L3押し込みの目的地を示してくれるシステムはただカメラが向くだけなので、それまでの道は自分で考えないといけない。
◎会話送りがものすごく快適(どうでも良さそうな会話は流し読みできるのでありがたい)
△チョコボを「呼ぶ」のではなくチョコボに「乗る」にしてほしかった。R2の加速が固いのは要らない。
△メニュー画面が直感的ではない。L2R2で切り替えに違和感。
×モブハンのモブの場所が隠れ家のボードからしか確認できない。スクショ取って対応した。
△ポーションの上限が4つの為、回復しようとすると改めて店に買いに行く必要がある。足りない場合は買う→使う→買うという動作を行わなければならなくなる(モブハン巡りでそうなる状況が多い)
→後半は上限が増えるので多少改善する。
×サブクエは各地域の情勢を知るためのイベントとはいうが、いうほど知りたいか?
→ジョシュアがニンジンを克服するイベントとか、キャラの掘り下げの方をしてほしかった。(掘り下げはなくは無いけど、キャラの背景の話だけ)
△サブクエに大体戦闘がついてくる。これもメインと同じように問題があるごとにクライブが処理して、何となく解決。
○ロードがほぼ無い
×本拠地のサブクエで歩き回らせられる。ある程度ワープポイントが欲しい
△後半APの使いどころが無くなる
◎アクティブタイムロア(ムービー中に見れる用語解説)はすごくよかった
・音楽
△盛り上がる場面のオーケストラが打ち込みっぽさを感じて映像とミスマッチを感じた。
→バハムート戦の事。打ち込みじゃなかったらごめん。生音っぽいのはちゃんとある。
〇どちらかというと戦闘よりゆったりした感じのシーンの曲が良い。
・その他
マスターアップ余裕だったっならもうちょっと細かいところを配慮してほしかった。
洋物ファンタジーに耐性が無い人は辛そう。
JRPGやアニメ的なキャラ立ちが無く、2次創作はそこまで流行らなさそう。
FF15の4人旅はなんだかんだ言って好きだったんだなあ。
ライトゲーマーでも硬派なゲームをプレイできてる感が出るのは良いと思う。
シームレスなゲーム体験を重視しているが、ゲーム性によって損なわれている。(サブクエ、モブハンなど)
子どもの夜泣きがなくなったので、寝かしつけの後のゲームを再開したいと言われた。
参考までに、これまで妻が楽しんでたゲームをランキングで載せとく。
夫婦ともにゆるめのオタク。時々マンガ読んだりアニメ見たりするが、そこまで熱量はない。
夫婦共々めっちゃハマった。相手が嬉しいこと言ってくれると「あ、今ひゅいーんって信頼度上がったよ」とネタにするのが流行った。
同上。ラスボスの「マ〜〜ックス?」というねっとりした呼びかけ声を真似するのが流行った。
今でもよくBGMを聞いてる。妻の一番好きな曲はスノーフル。自分はホテル。
お互い学生の頃にオリジナルにハマっていたので、違いをあーだこーだ言いながらプレイするのが楽しかった。ティファの「すいませんねぇ」がなくなったのがちょっと残念。
悪くはないけどSF的・オタク的なお約束ネタが多くて、ちょっとついていけないこともあった様子。あとバトルパートはよく分からないと。
ゲームほぼやったことのないうちの母でも楽しくプレイできたゲームはドラクエとどうぶつの森だけだった。Switchならどっちもあるのでいかがだろう。どちらも複雑な操作は要求されないはず
おすすめはアドベンチャーゲームのライフイズストレンジ(PS4、Switch両方で出てる)。同種のストーリー分岐型アドベンチャーにはデトロイトもあるが、デトロイトが咄嗟にボタンを押さないといけないQTE要素が多いのに比べると、ライフイズストレンジはゲームシステム(主人公が超能力持ち)のおかげでアクション性が要求されない。さらに自分の行動、自分の判断で未来が変わっていくというゲームならではの物語体験に溢れている
ポケモンというのがどれかわからんが、もしかしたらオープンワールドのスカーレット/バイオレットだろうか。ゲーム初心者なら色んなところに行けるオープンワールドのRPGよりも、行けるエリアが区切られててリニアな展開のRPGのほうが取っつきやすいかもしれない。アクション性が薄くてオープンワールドじゃないおすすめRPGというと断然ペルソナ5 ザ・ロイヤルなのだが、そこまでのゲーム初心者がやってどう感じるかはわからん、、、
人間と対話できるような精神を手に入れたのだから、もうリアルな体を伴うことも遠くないと思う。
人間社会もアンドロイドの普及にしたがって賛成反対で意見が大いに割れると思う。
そこで思い出すのが「デトロイト」だ。
デトロイトは、アンドロイドに心はあるのか(人権を認めるべきか)をテーマにしたゲーム作品だ。
すでに実用化され現実社会で人間に奉仕するアンドロイドが自我に目覚め、人権運動を開始するという内容。
ゲームではアンドロイド側に同情的な目線での描写が多く、ぼーっとみてると「アンドロイドかわいそう…」というふうに多くは感じるだろう。
人間に対するアンドロイドの扱いはモノ扱いそのもので、奴隷に近いことをさせられている。
アメリカの作品なので、昔の黒人差別みたいな点も開発は意識しているかと思う。
なんにせよ、人間とアンドロイドの距離感や接し方についてリアルで考えさせられる作品だ。
もうアンドロイドがすぐそこまで迫っているかもしれない昨今、このゲームをもうただのSFだとは思えない。
将来、アンドロイドが町を動き回り、必ずそれを見て「かわいそうだ、奴隷扱いをやめてアンドロイドにも人権を!」と言い出す人間がでてくるだろう。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
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中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
無料版。シングルプレイヤー。Classic Mode。マップは「World」。時間は無制限。
出てみると「Beach Cities RV STORAGE」っていう看板があった。
他にもクソでかいショッピングモールみたいなのが建ち並んでいる。
道路名の標識に小さく「Costa Mesa」って書いてある。街の名前かな。
なんとなくフロリダとかカリフォルニアみたいな南部の海沿いの雰囲気。
道路標識に「San Diego」とある。高速道路405号。しかし地図を見るとサンディエゴの周辺に405号は無いな。
ロサンゼルスに近いあたりにコスタメサを見つけた。ハーバー・ブルーバードを辿って適当なところで回答。
誤差は100m。5000ptだった。
なんもない平野に道路だけ通ってる。こういうパターンほんと嫌だな。
かなり進んで小さな町に到着。
看板の言語は中南米っぽい。ウェブサイトのドメインが「ar」だからアルゼンチンかな。
町中の道路標識がこんな錆び錆びで読めないのすごいな。
うーん、初期地点がひどいのでたぶん正確な地点はわからんのだよな。
いくつかわかる地名(Cordoba・Rio Tercero・Hernando)からするとこのあたりかな、というところで回答。
誤差16kmで4946ptだった。意外に外してなかったな。
パーキングエリアっぽい感じだけど何故か道路とつながってないな。どうやって行くんだろ。
道路の番号は422。このワッペンみたいなデザインはアメリカの国道だな。
北西に向かって進んでいくと「Sanatoga」という案内が。
南東に向かって進んでいくと「Linfield」という案内が。
なんかやたら自動車店が多いな。トヨタ・スバル・ホンダ・ジープ・ヒュンダイ。
アメリカで自動車と言えばデトロイト…と思ったら本当にデトロイトの近くで422番を見つけた。
そこからずっと南に辿っていってフィラデルフィアのあたりでサナトガやリンフィールドを発見。
回答して誤差は600m。4998ptだった。
また広めの道路。だが周囲は木々に囲まれていて市街地からは離れているようだ。
標識に「23」「Queanbeyan」「Cooma」などとある。
この盾みたいな番号の書き方はカナダじゃなかったっけ。と思ったけどオーストラリアかもしれん。
カナダは右側走行でオーストラリアは左側走行だっけ。ここは左側走行だなあ。
と思っていたら看板に「Canberra」とあったのでオーストラリアだ。
Queanbeyanも発見。でもCoomaはかなり離れている。距離感覚がわからん。
「Adelaide Ave」という道路を探してみるとキャンベラのど真ん中にある。
それで「街から遠い」と勘違いしただけで、むしろ街の中心だったわけか。
誤差15m。5000ptだった。
看板に「Килифарево」と書いてある。
Google Mapの他の地名表記から考えるに「Kilifarevo キリファレヴォ」みたいな読み方のはず。
標識に「Гурково」「Я∧ово」と書いてあり、おそらく地名だろう。
「Гурково」は「Gurkovo グルコヴォ」という感じか。
「Я∧ово」は…「∧」が「л」のことだとしたら「Yalovo ヤロヴォ」?
って下の看板にまんま「YALOVO」って書いてあるな。
「ワイナリー」と書いてあるからそんな寒冷な地域ではないのか。
というわけでロシアの南西部、ウクライナとの国境付近で回答してみた。
誤差は1253km。2159pt。致命傷は避けたか。
今年にホグワーツレガシーっていう最新のオープンワールドゲームが出るそうだ。先日、先行プレイの動画を見たら、CPUとの会話や戦闘がfallout4とほぼ同じだった。TPSに限らずFPSも同様だ。
要は、ここ10年以上ブレイクスルーが全然起きていないってことを言いたい。最近のゲームは、プレイ動画を見て、楽しそうだなってならんのよ。
デトロイトビカムヒューマンは新しいなって思ったけど、あれはプレイ動画を視聴すれば十分なんよ。わざわざ購入してプレイしたい気持ちにはならん。龍が如くシリーズについてもストーリーは面白いけど、プレイ動画を見て済ませた。